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エッセ・クリティク

Esse Critique
Critique 1) critical 2) decisive 3) crucial
工藤龍大

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ものをおもうということは、なかなかに楽しい。
しかも、それをひとに聞いて貰うのは、もっと面白い。
だが、聞かせられるほうは、たまらない。なんともお気の毒……



●映像のちから 2000/08/28


ショッキングな映像だった。
沈没したロシア原潜乗組員の遺族の前で、クレバノフ・ロシア副首相が記者会見を開いていた。死亡した乗組員の母親が激情にかられて、クレパノフ・ロシア副首相をののしった。「謝罪するかわりに、自殺しろ!」とまで言っていた。
すると、その背後から独りの女性が近づき、注射器で薬物らしきものを、母親に注射した。注射されたことさえ気づかないように、母親はなおも怒鳴っていたが、いきなり側の制服軍人に倒れるようにもたれかかった。
この映像を、大勢のひとがTV・新聞で見ただろう。
翌日、その母親がAFP通信にコメントを出した。「薬物は心臓病の薬で、当局が気分のすぐれない自分のために薬を打ってくれた。医者に注射を頼んだのは、自分の夫だ」と言うのである。
しかし、……その言葉を信じる人間がいるだろうか。

それよりも、もっと気になる映像がある。
この事件について、ロシア国内のメディアはほとんど報道しなかった。ただ日本でいえば、三流スポーツ紙に相当するイエロー・ペーパーだけが報道した。当然のことだが、一般国民の目には触れなかった。
そこで、日本のメディアが街頭でその新聞を見せて、通行人にインタビューした。
まだ母親のコメントが流れる前のことだ。
すると、カメラを向けられた通行人たちは、いちように堅い微笑を浮かべながら、「ひどい話だ」と呟いた。そして、ひと呼吸ほど間をおいて「でも、仕方がないね」と付け加えるのだった。
なぜ、仕方がないのかという質問には、みんな笑って答えない。
そちらのほうが、衝撃的だった。
繰り返すが、この時点では母親のコメントは出ていない。母親と謎の女性の動きを連続でとらえた写真と本文記事を見れば、だれもが口封じのために鎮静剤を打たれたと思うだろう。
しかし、ロシア人たちは曖昧な微笑を浮かべたまま、足早に立ち去った。

この反応をみて、ロシア人は強いロシア復活を願っているので、政府当局が薬物を使って反政府的言動を押さえることを黙認した……と考えるのは、素朴すぎる反応だろう。
むしろ、ロシア民衆は共産党時代を思い出したと見るべきではないか。
反政府的言動をなす者には、強制労働か暗殺が待っていた時代を。

プーチン大統領の暗い前歴を、裏情報のプロであるロシア国民が知らないはずがない。かれらは他国者よりも、ロシア権力のやり口には詳しい。
もはや言論が自由である時代が終わり、暗い時代が戻ってきつつあることを、三流新聞の記事を見た瞬間に覚ったのであろう。

ロシア人の権力とのつきあいかたは、優れたロシア語通訳者の米原万里さんのエッセイで教えてもらった。若者のようにむきになって対決するかわり、じつに密やかなスタンスをとって対峙するのが、ロシア流の権力との付き合い方だ。その独特の間合いといい、一見してそれとわからない巧みな権力批判のやり方といい、戦後五十年ほど天真爛漫に権力とつきあってきた日本人の比ではない。

街頭インタビューでのロシア市民の反応をみるにつけ、いよいよそう思う。
旧ソ連時代には、街頭インタビューで正直に本音を吐く人間はいなかった。そんなことをすれば、たちまち秘密警察や国家保安委員会(KGB)の手が回ってくることはわかりきっていた。
インタビューに答えていた中年男女は、旧ソ連時代の記憶を忘れていないのであろう。

ただ、こうしたことは文字情報だけでは水かけ論になってしまう。文字にしてしまえば、注射で失神したはずの母親の言葉はなるほど事実はそうだったかと思いかねないし、ロシア市民の反応も無関心で冷ややかなものとしか考えられない。
だが、あいにくとTV映像を見てしまった人間には、活字メディアが伝える意見はどうしても信じられない。
母親はたしかに衣服の上から注射針を突きたてられたように見えたし、路上のロシア国民のとりつくろった苦微笑はどうにも怪しい。
いや、母親が打たれたのが鎮静剤であれ、心臓病薬であれ、街頭インタビューをうけたロシア人たちにとっては関係ない。かれらはあの時代が戻ってきたことを覚った。
写真を見ただけで、かれらはそのことを一瞬にして理解したのである。

司馬遼太郎氏の「ロシアについて」というエッセイは、わたしたちの隣人を知るうえでこの上ない手引きだ。ロシア人という民族がいかに周辺諸国の圧力にさらされ、その圧力に対する恐怖によって、国造りをしてきた事実を、じつに巧みに教えてくれるのが、この本だ。
西ではポーランド、リトアニア、トルコ。東ではイスラム諸国と中国というように、ロシアという国はかつてその民族を圧迫した周辺諸国に対する劣等感と、侵略されることの恐怖に骨がらみ捕らえられている。
今回の原潜事故で、ロシアの軍事・科学技術の劣弱さを全世界へさらけ出すことになって、ロシア民族の遺伝的本能とでもいうべき対外恐怖と、過剰な防衛本能が噴出したといっても過言ではない気がする。
そのことをいやがうえにも実感させてくれたのは、文字メディアであるよりは、TVで放送されたVTR画像であり写真だ。

映像は怖いと思う。
いくらロシア政府や海軍が「鎮静剤の注射はなかった」と言い、母親がやっきになって否定しても、あの映像を見てしまったからにはその言葉を信じることができない。
原潜事故が起きてからのロシア政府の情報非公開ぶりを見るにつけ、いよいよ不信がつのってくる。そこへ、このインパクトの強い映像を見せられたのである。
素直に信じろというほうが無理だ。
母親に偏向がないとはどうしても信じられない。事故死した息子も、夫も海軍軍人なのである。海軍から圧力がかかったと見るほうが自然だろう。
もちろん、いま早急に真実を求めても無理だ。真実が明かされるのは、プーチンが失脚してから数年経たった時期だろう。それまでは、このことは西側にとっては疑惑のまま残るしかない。

だが、いっぽうでロシア国民にとっては、事態ははっきりしている。野放図にマスコミがなんでも報道できた時代は終わったのだ。ひたすら口をつぐんで、外国メディアには本音を吐かないこと。旧ソ連時代のモラルが戻ったのである。

繰り返すが、映像は恐ろしい。
いったん焼きついたイメージは百万遍言葉を費やしても、変えることはできないのだから。
それでいて、政治学者のコメントやぶ厚い論文よりも、強烈かつ明々白々に事態の本質を一瞬で鮮やかに見せてしまう。
他人事としてどこかのんびり見ている異国の人間よりも、ロシア国民にとってそのことをいよいよ切実である。

ことはロシア原潜事故の添え物にすぎない事件だが、映像のおそろしさと力をまざまざと見せつけられた。

とにかく、この両刃の刃ともいえる恐ろしい武器― 映像 ―と、わたしたちはこれからもつきあっていかなければならない。

油断は禁物……である。



●佐々木正さんという技術者 1999/11/24


佐々木正さんは、ただいま八十四歳。
現役の技術者だ。
日本で最初に電子レンジを開発し、いまは液体太陽電池を開発している。
この太陽電池はナノ粒子という超微粒子を利用して作られる塗料みたいなものだ。
これを自動車のボディーに塗ると、ガソリン要らずの電気自動車ができる。

シャープが小型電卓を開発したのも、佐々木さんの力によるところが大だ。
そのころ、LSIはアメリカ軍需産業の独占品だった。LSIの生産にかかわったアメリカの大手企業は、民生品として供給することなど考えてもいなかった。
シャープにいた佐々木さんは、アメリカの大企業に次々と商談をもちかけ、いくら断られてもめげずに新しい交渉相手を捜した。
最後の交渉相手、ロックウェル社にさえ断られて、さすがに帰国しようとした。
帰国するため、旅客機に乗りかけたところで、呼び戻されて、商談は成立した。
コンピュータ・エイジの幕開けは、このドラマがなかったら、もう少し遅れたかもしれない。

佐々木さんは、ベンチャー企業や中小企業の仲介役・相談役としても、働いている。
技術をもった企業同士をむすびつけ、共同で新しい製品開発をする手助けを、豊富な人的ネットワークを活用して、やっている。
ソフトバンクの孫正義会長も、そうやって佐々木さんに見出されたひとりだ。
19歳でドイツ語・英語翻訳機を開発して企業した孫会長に、銀行から融資をうけられるように口をきいてくれたのが、佐々木さんだ。
いまでも、佐々木さんは孫会長に一日に一度は面会して、ベンチャー企業を紹介して、資金提供を依頼するという。

佐々木さんの視野は、日本だけにとどまらない。
海外の企業であっても、注目すべき会社とはコンタクトをとる。
げんに、自分でおこなっている液体太陽電池の研究では、ロシアから優秀な研究者をひきぬいて、開発・研究にあたらせている。

八十四歳の高齢でありながら、佐々木さんは日本全国をとびまわって、企業の開発ブレーン・アドバイーザーとして活躍している。

このひとを知ったのは、NHK教育TVの番組だった。
番組の結末で、佐々木さんは新幹線のホームをゆっくり歩いている。
若くて奇麗な女の子が、佐々木さんの脇を足早にすりぬけていく。
佐々木さんは、老人特有のゆっくりとした歩みだが、足元はしっかりしている。
カメラを通して、老いた背中がみえる。
「人中の宝」
という言葉が、脳裡に浮かぶ。

このひとは、年齢をものともせずに、忙しく立ち働いている。
行き詰まった企業に助言をあたえ、ときには融資の仲介までする。
まるで、天使か神様のような――

神様とは、佐々木さんみたいな存在のことなのかもしれない。



●小学校で英語を必修にする議論(2) 1999/10/25


前回、タイトルとは無関係な内容をくだくだしく書いたのには、理由がある。

英語教育推進派の寺沢氏がめざす英語とは、現実にはどういうものであるかを示したかったのである。
こうした英語でも、内容さえあれば、じゅうぶんに世界に情報を発信することはできる。簡略化された英語で必要なのは、陰影にみちた繊細なレトリックではなく、ごつごつとしたロジックであり、言語ゲームにも似た説得の戦略だ。議論を説得するためにはもちろんレトリックがなければできないが、どちらかというと気持ちや心根を伝えるよりも、双方の言い分を強引に相手に承知させる強弁に類するものだ。
そうしたテクニックを<ディベート>としてもちあげる英語教育関係者もおおいが、あれは学校だから通用するのであって、ビジネスや政治交渉の場では無用のものだ。
教室にすわって、水泳競技のルールを教わるようなものであって、決して泳ぐことはできない。

手短にいえば、
「英語の早期教育はやりたいひとだけがやればいい」
と、わたしはおもう。

もちろん、中学校から公的に勉強することに異論はない。

ただし、外国語の学習はそれをどうしても必要とするひとでなければ、なしとげることができないという事実はある。
じつは、はじめて学んだときに英語の基本をおぼえなければ、あとで勉強しなおそうとして、<やりなおしの英語>にチャレンジするのは、かなり不利だ。しかも、<やりなおしの英語>に失敗するたびに、あらたにチャレンジするとしよう。
何度もトライしたから、前回よりも有利になるということはない。失敗するたびに、前回よりもハードルはどんどん高くなる。ついでに、年齢も高くなって、記憶力もおとろえているから、ますます<やりなおし>は難しい。

だから、中学・高校では基礎的な単語と文法だけをきっちり覚えさせればいい。
<聴く英語>など、高校からでも間に合う。
じつは<聴く英語>は、そうとうなボキャブラリーをもたないと不可能だ。
馴れないと音のかたまりとしておもえないネイティブ英語であっても、発音のこつさえ飲み込めれれば、類推がきくから、単語を聞き取るようになるのは、それほど難しいものではない。

言語学者の鈴木孝夫氏も、ビジネス畑の寺沢芳男氏も、めざすところは同じである。
高度の情報やメッセージを、世界に発信する若い世代の日本人が出現することを願って止まない。

ただし、外国語学習の現実からいえば、早期教育をすべての子どもにほどこすのは無用という鈴木氏の意見に軍配をあげざるをえない。
やる気のない子に、無理強いすることは、かえって将来その子の学習に足かせになってしまうからだ。
英語が好きな子は、英語の科目だけ飛び級でもなんでもして勉強すればいい。
あくまでも、やる気優先なのである。


ただ、もうひとつ気になることがあるとすれば、英語教育よりももっと大切な学習があるのではないかということだ。
うだうだと書くのはやめて、はっきり云おう。
<国語力>である。
言葉を通じて、ものを考えて、自分の考えをまとめて、他人に伝える能力の育成だ。
違った意見をもつひとびとと、辛抱強く話し合い、妥協点・合意点をみつけだす技能である。これは、けっして自然には身につかない。

天才ロシア語通訳、米原万里さんを悩ませているのは、じつは日本人のお偉いさんたちの言語的表現力である。
同じムラ(業種・階層といいかえてもいい)の人間にだけ通用する<ムラの掟>を前提に話をするので、外部の人間にはなにをいいたいのかわからない。
あるいは、言質をとられることをおそれるあまり、内容が相手に理解されないように努力する人々である。
農業社会や工業社会では、<ムラの掟>の範囲で暮らしていれば問題があっても、臭いものにフタをすればよかったし、声高に正義を叫ぶ人間は見殺しにすればことたりたので、このような生活態度のほうが生きるうえでは利口だった。

ところが、情報化社会になってくると、<ムラ>に閉じこもっていると、日干しになるおそれがある。
いまでは閉鎖された<ムラ>社会のなかで、うごうごと口もごりながら生きていくことは倫理的にも許されないところまできてしまった。

だから、言葉というコミュニケーションが大切となる。
ここでひとつの言葉を引用したい。

「言語の基本(つまり文明と文化の基本。あるいは人間であることの基本)は、
外国語ではない。
母親によって最初に大脳に植えこまれたその国のつまり国語なのである。」
                     司馬遼太郎

米原万里さんや、鈴木孝夫氏は、早期英語教育には反対だ。
その理由は、司馬さんの言葉に要約される。
外国語の達人だからこそ、お二人はこの事実を身にしみて知っている。

頭脳が急速に発達する九歳までにつちかった母国語の思考力が、その人間の潜在的な思考力の限界であるということは、大脳生理学からみれば冷徹な事実らしい。

この時期に幼い頭脳は、言語や数理理解力において、爆発的な成長をする。 ひとつの言語の高度な運用能力、理解力、ひいては言語をつかったコミュニケーション技能の基礎がここでつくられる。

そのとき、ふたつの異なった言語体系を並行して発達できる余裕はない。 もし、いちばん使用しているはずの母国語の発達過程が、英語学習で阻害された場合、弊害はいくつもあるが、いちばん問題となるのは、こまやかな情操や微妙なコミュニケーションを理解することや、伝達することができなくなることだ。
じつはきれいな英語の発音で、一見自由自在に英語会話を楽しんでいる海外帰国子女には、こうしたひとがおおい。
小学校五、六年くらいまでに、母国語をしっかり習得できなかったひとは、生涯どこの文化にも所属できないエイリアンとなってしまう。

英語を習得しても、言語操作そのものという意識活動の基本中の基本がないわけだから、ほんとうのコミュニケーションはできない。

英語しかできない人間が量産される可能性を、外国語の達人たちは心配しているのである。



●小学校で英語を必修にする議論(1) 1999/10/24

時事ネタは得意ではないけれど、本日の読売新聞でおもしろいディスカッションがあった。
形式は記者が対立する論点の識者ふたりに別個にインタビューして、それぞれの持論を聞くというもの。
登場したのは、言語学者の鈴木孝夫氏と元経済企画庁長官でローンスター・ジャパン会長の寺沢芳男氏である。
寺沢氏は、小学校で英語教育を必修にする必要をとく。
それに反対なのは、鈴木氏で、むしろ英語は勉強したいものだけが、勉強する必修科目にせよと主張する。

この種の議論は、論者たちのレベルの低さにうんざりするので、読まないことにしている。
日本語が得意なくせにわざとたどたどしい言葉使いをするので有名な香港出身の文化人きどりの芸能人と、肩書き好きなどこかのアホ老人が英語を公用語にしろとくどくど云っているのを読んで、ひそかに殺意をおぼえたことがある。
小説家井上ひさし氏も、この二人には激怒したらしく、どこぞのコラムで皮肉たっぷりに反論を書いていた。
そのときのコラムで知ったのだが、文学者の志賀直哉は敗戦後、フランス語を日本の公用語にしろと云ったらしい。
日本の文化、ものの考え方がいかんから、戦争などをして負けた。そんなものをすっかり捨てて、フランス語でものを考えろ。そうすれば、少しはまともなものの考え方をするようになる――という主旨らしい。
いくら、戦時中の日本人が狂気に陥っていたとはいえ、この言葉だけを額面どおりにうけとれば暴言でしかない。

そもそも、学習院の劣等生だった志賀にまともなフランス語が使えたのかといいたくなる。たしかに志賀は東大にも入学できたが、あのころは少し金があるうちの子どもなら、ちょっと勉強すれば東大へは簡単に入れた。進学率が圧倒的に低かったからだ。
もう少しのちの時代では、無理だったはずだ。
そのことは置くとしても、こんなことをいうだけで、志賀がまともなフランス語を使えなかったという十分な証拠になるとおもう。

いま通訳界の大スターというべきひとに、米原万里という女性がいる。ロシア語通訳者だが、子どものころにチェコに住み、学生時代はモスクワで過ごした。
通訳者としての技能は、超一流である。
このひとも、読売新聞日曜版にコラムをもっていて、わたしは愛読している。

米原さんによれば、言語は文化そのものである。文法と単語、イディオムを学んだだけでは、外国語はできない。無限といっていいレアリア(realia)を学ばなければならない。
レアリアとはなにかといえば、店の名前が大勝軒と珍来軒とくればラーメン屋で、長寿庵とか砂場であれば蕎麦屋とわかるような、その国の住民でなければならないわからない実物情報だ。
そこまで入れないと、日常生活の言葉にはならない。
日本語の世界では、ポチとチビときけば犬だということになるし、ミケとタマときけば猫だと相場が決まっている。
フランス語のことは知らないが、英語では犬はジョンであり、猫はトムであったりする。歴史的にさぐれば、なにかの理由があるのだろう。

幕末に横浜に外人居留地ができたころ、愛犬にカメという名前をつけることが流行した。
居留地におおぜいいた英国人や米国人が”Come on”といって、犬を呼ぶのをみて、犬は「カメ」というのだと近在の日本人は思ったらしい。
これを「カモン」と表記するよりも、「カメ」と聞き取るほうが原音を忠実に再現していることは、すこし英語を勉強したひとならわかるだろう。
それをきいて、居留地の外国人たちは日本語では犬のことを「カメ」というと思い込んだというから面白い。

つまらない例だが、外国語を公用語にしたところでその場所でしか通用しない「言語文化」が生まれてしまう。
もっといい例をいえば、カリブ海のクレオール言語というものがある。
アフリカから奴隷として連行された黒人と、現地人のインディオは言葉が通じないので、それぞれ植民地の宗主国となった欧米諸国の言語、英語、スペイン語、フランス語を共通語として使っていたのだが、そのうち本来持っていた言語の単語・イディオム・レアリテが支配者の言語と混交して、かれらにしか通用しない独特の言語・文化ができてしまった。この言語や文化現象をクレオールという。
「クレオール化」という現象は、強国の圧倒的な政治・文化の力にさらされた地域では容易におこるもので、東南アジアなどでも英語をもとにした独特の言語が生まれている。

余談みたいになってしまったが、いいたいことは簡単だ。
日本語を廃止して、外国語を公用語にしてしまえば、こういう現象を招かざるをえないのである。
言語学者は認めないだろうが、言葉そのものの定義を考えれば、英語公用語論者が嫌悪するカタカナ英語でさえ、立派なクレオール現象のひとつなのだから、文句をいえる筋合いではない。
現代日本人は「英語」を日常語として立派に使っているのだ!

正しい英語という規範は、じつはあるようでない。あるべき英語の規範を求めることは、英語という文化の本質には反している。
英語はつねに現実の語法を事後承諾のかたちで、取込みつづけることで豊かになり続けた。
近代の英語辞典の生みの親、サミュエル・ジョンソン博士のころから、そうであった。

これと反対の道をたどったのが、じつはフランス語で、アカデミー・フランセーズという言語の検閲機関をつくり、きびしく外来語の流入を撥ねつけてきた。
したがって、コンピュータは外来語として排除され「オルディナテュール」という言葉が作られた。
異文化をとりこむ力を抑圧しつづけたので、ついにはボキャブラリーそのものが貧弱になってしまった。
おかげで、国際語としてはすっかり人気がなくなり、長期低落傾向にある。かつて植民地だった国ではまだ使用人口は多いが、将来的には英語に取って代わられるとも考えられる。

だが、いっぽうで英語自体にも深刻な問題が生まれつつある。
国際語としての英語は、最悪の英語公用語論者がいうような米語ではない。
じつはイギリスの植民地国だった某亜大陸の人々のように、本国人よりも奇麗なクィーンズ・イングリッシュを話すアジア人もいるが、圧倒的な大多数は独特の発音・言い回しを用いる<なんとかグリッシュ>なのである。
ニュースでアジア、アフリカの政治家が英語でスピーチするのを聞くと、あきらかにアメリカ英語やイギリス英語ではない。
限られたボキャブラリーに、経済・科学の専門用語をちりばめた簡単な英語である。
このように文法・単語の語彙数をかぎって、純粋に政治・商業などのコミュニケーションに特化した言語を<ピジン>という。
いまや、国際語となった英語はピジン言語への道をひた走っている。
そこには、聖書やシェークスピアの知識はまったく必要ない。
イギリスやアメリカという文化大国が育んできた言語文化や歴史に対する共感・知識はいっさい不要だ。
お金の運用と商談ができて、うまくいかないときは女を抱かせて、ものをプレゼントすればいい。
細やかな感情のニュアンスは、伝えられないし、伝える必要もない。
人間の欲望のなかでも、いちばん原初的で即物的なものを媒介すれば、それで用がたりるわけである。
このピジン化はじつは他民族国家アメリカのなかで、すでに内包されていた。
アメリカ合衆国は「民族のるつぼ」ではない。サラダボールみたいに、融合できない多くの民族が雑居している。
英語は公用語だけれど、多様な文化をもつ民族すべての価値観・文化をリードするものではない。
スペイン系アメリカ人は細やかな心情を同胞に訴えるときは、スペイン語を使用する。それはイタリア系アメリカ人もそうらしい。
そこで、英語はビジネスに特化する。
ビジネス文明ともいうべきアメリカに自己同化することを願うアジア人は、さっさと母国語を捨てて完全な英語使用者になって、中上層階級に紛れ込むわけだが、社会の底辺部にいて、人口構成のうえで次第に他を圧倒しているラテン/スペイン系はそうした立場はとらない。それでいて、人口が多いので消費者としてはきわめて重要な位置にいるから、いきおい商業をベースにするアメリカ文化は人間の原初的な欲望を刺激するものとならざるをえない。
英語が言語として空前の繁栄を誇りつつも、文化としてはたいへんな危機に直面しているのはこのことによる。


(少し余談が長くなったので、続きは別項で)



●スズメの戦争 1999/10/20


先日、所用があって霞ヶ関に出かけた。
待ち合わせの時間よりも早くついたので、日比谷公園で時間をつぶすことにした。ベンチに座って、ひなたぼっこしながら本を読んでいた。
ついでにスナック菓子をぽりぽり食べていた。
すると、まるまると太ったスズメが一羽足元に飛んできた。少しも人間を恐れる様子がない。どうしてこんなに丸っこくなったのだろうとおもうほど、栄養がゆきとどいている。それでいて、足は精巧な針金細工のように細い。
まるで縫いぐるみの鳥のように可愛いので、スナック菓子を放ってやった。
可愛い嘴でついばむさまが、とても愛らしい。
つい面白くなって、菓子を砕いて次々と放ってやった。
そのうち、二羽、三羽と集まってきて、やがて十数羽も集まってきたので、菓子のクズをばらまいて逃げ出した。みな肥えたスズメばかりだ。
スズメたちは楽しそうに菓子クズをついばんで去った。
それをきっかけにして立ち上がり、公園内をぶらぶら歩き回ると、同じような体格のいいスズメばかりだった。細い木の枝にまるまるとしたスズメが何羽も止まっているのは、愛玩用のオモチャのようで、ひどく可愛らしい。
皇居の近くでは、スズメも栄養がいいらしい。よほど人が優しいのか、人間を恐れない。日本のスズメが人間を恐れることは欧米の非ではなく、あちらの鳥好きから日本人はひそかに軽蔑されていた。
不況とはいえ、日本も心豊かになったものだと、いい気分になった。

ところが、事実はそうでもないらしい。
さきほどの話をひとにしたところ、それは違うと、たちどころに反論がかえってきた。 最近、都内では在来種ではない外国産のスズメが増えてきて、日本産のスズメを駆逐しているというのだ。
日比谷公園でみかけたスズメは、日本に古くからいるスズメではない!
そういえば、いまでも埼玉県や新宿、池袋でみかけるスズメは、薄汚れた茶色の羽根で、痩せこけている。日比谷公園にいたスズメにくらべると、貧相というほかはない。
道を歩くとき、気をつけて眺めていると、わたしの住んでいるあたりにいるのは、ぱっとしないスズメばかりだ。ころころと手のなかで転がりそうな、縫いぐるみタイプは皆無であった。人が近寄ると、あわてて逃げてゆく。
話をした相手は女性であったから、スタイルが悪くて、けなげで働き者の昔からいる古いタイプはおよびでないのよと、自嘲するような口調で云った。
貧相で可愛がられない在来種のスズメに、ほろびゆく古いタイプの日本の女をみているようである。ご当人が、古いタイプを自認するのはもちろんである。

どうやら都心あたりでは、スタイルがよくて大柄な外国産のスズメたちに追い払われて、日本在来のスズメはいなくなっているようだ。
身体が小さいので、どうにもはばがきかないので、生存競争に敗れて、餌場を奪われてしまった。
最近、大手都市銀行がやたら合併しようとするのも、こんな悲哀を味わいたくない一心からだ。図体さえが大きければなんとか生き延びられると、考えたあげくの決断だ。
外国銀行のほうがサービスもいいから、人気もでるだろうと、最初から諦めているのかもしれない。

人間のほうはひとまず置くとして、在来種のスズメたちはどこへいったのだろう。
田舎で生き延びているだろうか。
それにしても、外国産のスズメたちのふるさとはどこなのだろう。
なぜ、日本へ飛来したのだろう。
考えれば、考えるほど不思議だ。
知っているひとがいたら、教えてほしい。




●外国語のあがり 1999/10/10


英語を勉強しはじめて、かれこれ三十年になる。
語学力のなさは、いやというほど思い知った。自分には、英語は向いていないと、ときどき天を仰いで嘆きたくなる。
仕事のつごうで英語は使うので、読み書きに不自由はないが、会話はあいかわらずひどい。ネイティブのいっていることはわかるが、自分の発音のひどさはどうにもならない。ネイティブの発音がわかるのは聞き取っているというのではなく、ボキャブラリーで補っているにすぎないことはよくわかっている。

英会話の得意な友人にいわせれば、英語発音に必要な筋肉の鍛え方がたりないという。
「こんなふうにやれば、ちゃんと発音できるよ」
と教えてくれたやり方をみると、顔面筋肉をフルに活用して、教科書通りのみごとな発音である。
個別的な発音はそれでいいが、リエゾンがだめ。リエゾンとは、"Sit down, Please" が「しらんぷり」にばける、あれである。
米英からの帰国子女や、英語圏に滞在経験のながいひとびとにかなわないのが、こうした連続した音韻変化だ。ただし、これは耳のいい人間なら、日本から一歩から出たことがなくても、マスターできるらしい。
逆に成人してから英語圏に移住したひとは、滞在経験がながくても、これができない場合もある。そういう例も何人かしっている。
ただ文法とイディオム、単語力があればじゅうぶんにカバーできるので、自分の口でいえなくても、相手のいっていることを理解するのに不自由はない。
視覚型の人間は、ネイティブなみの発音については、あきらめたほうがよさそうだ。

<どうしたら、外国語をマスターしたといえるのだろう。>
と、僭越な考えを抱いたことがある。
かつて英語のライティングを教えてもらったアメリカ人にいわせれば、
「マスターってなんだ」
ということになる。
「アメリカ人のわたしだって、英語をマスターしているとはおもえない。いわんや、外国人のあなたがマスターするというのは不可能である」
この英語教師にしてみれば、マスターとは(武芸の)達人や悟りを開いた宗教者というほどの意味合いだから、ゆめゆめ「マスターする」などとほざいてはならぬということらしい。

とはいえ、あてもなく、外国語を学習しつづけるのはつらい。
「人間は限界のみえないものを恐怖する」
という名言もある。
なんとかならないものか。

明快な解答を出している本をみつけた。
岩波新書からでている「外国語上達法」という本だ。著者は、東京外国語大学教授で、チェコ語の専門家である千野栄一氏だ。
カレル・チャペックや、カフカの愛読者には、名訳者として記憶されている。
千野さんによれば、外国語学習は次のように分類される。
カギは、単語力である。

1)辞書を引きながら、その言語で書かれたテキストを読む
    2000〜3000語
2)小説・詩を楽しみ、会話ができて、手紙(論文)が書ける
    4000〜5000語
3)翻訳者・通訳者といったプロ並みのレベル
    6000語〜無限大

千野さんは、自分の必要に応じて、終了段階を決めることをすすめている。
商談程度の能力なら、(2)のレベルで充分である。このレベルなら、推理小説ぐらいなら辞書をひかなくても読める。ゼロから、このレベルに達するには、よほど勉強して三年から五年かかる。
5000語をこえるボキャブラリーを身につけるには、血の滲むような努力と時間がかかる。あまりにも努力と成果が引き合わないので、その外国語で生計をたてざるをえないひとの他には必要ないといえる。

ふつうに暮らすひとなら、(1)のレベルで終了してもなんの不自由もない。
日常会話だけなら、500語でたりるからだ。
ただこれで伝達できる内容は、「買う・食う・寝る・排泄する……」など動物レベルだから、もうすこし人間的なことがしたかったら、1000語は必要だろう。


そういえば、英語のボキャビルの本に、
「5000語から10000語に語彙数を増やすのは至難の技だ。
それができる人間はほとんどいない」
という一文があったようにおもう。
10000語の語彙数というのが、実力ある上級プロとただの英語使いをわける壁かもしれない。

ボキャブラリーの本で自己採点したみたら、すくなくとも(3)レベルには引っかかっていたので安心した。実務翻訳者として仕事しているのだから、(2)のレベルでは顔をあらって出直さなくてはならないところだった。

千野さんの本には、どうやって単語力をつけるかということまで書いてある。
<とにかく最重要単語を1000語おぼえる>
このことに尽きる。
おそろしいのは、いったんこのレベルに到達しないで外国語学習を中断したときだ。
<中断した学習を再開するのは、ゼロからスタートするよりもつらい>
それだけではない。
<いぜん勉強したことがすべて障害となって邪魔をする>
というのである。
だから、1000語をおぼえる段階で中断したなら、その外国語は諦めたほうが利口だそうである。
いったん外国語をはじめた以上は、ゆめゆめ中断することなく、1000語のレベルをクリアせよと、千野さんは断言する。
<さもないと、もっと苦労しますよ>
ということである。

どおりで、かじりかけては中断し、時間をおいて再挑戦した他の外国語がぜんぜんできないわけだ。
反省して、覚悟をきめて再スタートしなければなるまい。

千野さんによると、外国語学習のコツは、
<その外国語を勉強したくてたまらなくなる>
まで、あえて勉強しないことだそうである。



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量は質に転化する ― カール・マルクス



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Last Renewal Date; 99/10/10