1809年に、一冊の本が出版された。 作者は、小説家ワシントン・アーヴィング。 ただし、実名ではなく、オランダ人にみせかけたペンネームが使われた。 その名前はディートリッヒ・ニッカーボッカーという。 本の題名は「ニューヨーク史」といい、「世界の始まりからオランダ王朝の終焉まで」という副題がついている。 現物は残念ながら、まだ読んだことがないので、他書の記述によると、「ニューヨーク史」の内容はオランダ人が開拓したニューヨークの歴史である。 ニューヨークはもともとオランダ人が開発した都市で、当初の名前は「ニューアムステルダム」といった。 第二次英蘭戦争(1665−67)のあとで結ばれたブレダの和約によって、オランダからイギリスへ譲渡された。その後は「ニューヨーク」と改名された。 アーヴィングは、「ニューヨーク史」のなかで、のちにニューヨークと呼ばれる土地がオランダ人によって発見された。顛末を語っている。 以下に、それを要約してみる。 オランダのアムステルダムからアメリカへ新天地を求めて移住したオランダ人の一団があった。 かれらは北米ハドソン河の河口にたどりついて入植したが、先住のイギリス植民者たちに圧迫された。そこで、船を仕立てて新しい土地を探しに出かけた。 土地探しに出た人々は良い土地を発見できずに、入植した場所のすぐ近くにあるマンハッタン島の南端にもどってくる。 その夜、航海者たちのリーダー、オロフ・ファン・コートラントが夢をみた。 聖ニコラスが現われて、いまいる場所に新しい植民地を建設するよう告げたのである。 オロフはお告げのとおりに、そこに新しい街を築く。 それがニューアムステルダム、つまり後のニューヨークになった。 もちろん、これはアーヴィングの創作したフィクションで、こんな伝承が当時あったわけではないらしい。 このエッセイでおいおい説明する予定だが、アーヴィングにはオランダ人によるニューヨーク開拓という、新しい神話を創造する意図があった。そこで、ニューヨークあたりのプロテスタント教会で、当時から祝われていた聖ニコラス祭を利用した。 アーヴィングの偽史「ニューヨーク」史には、聖ニコラスがさまざまな場面で登場する。 アーヴィングにとって、聖ニコラスをニューヨーク市民の統合のシンボルにどうしても仕立てたい意図があったためだ。ヨーロッパの大都市に守護聖者がいるように、ニューヨークの守護聖者として、聖ニコラスをかつぎたかったともいえる。 ところが、おもってもみないことが起きた。 「ニューヨーク史」の神話的起源の夢に現われた聖ニコラスの描写が、じつは以後のサンタ・クロースの図像学的スタイルを決定した。 この夢では、聖ニコラスはこんな風に現われる。 聖ニコラスが空とぶ馬車に乗って、木のてっぺんにやってくる。 この馬車は、子どもたちに贈り物を届けるときのものだった。 (この描写でみるかぎり、聖ニコラスが子どもにプレゼントをもってくるというオランダの風習を、アーヴィングはすでに知っていたらしい) 馬車は木をするすると降りて、地面につく。聖ニコラスは馬車から降りて、地面に座ると、のんびりパイプをふかしはじめる。パイプから、もくもくと煙がたちのぼる。 夢をみたオラフが見ていると、その煙のなかに未来の大都市ニューヨークが浮かんでみえた。(前に書いたように、オラフはこれをみて、マンハッタン島南端に新植民地を建設した) 聖ニコラスはパイプをしまって、オラフのほうを見ながら、「指を鼻につける仕草」をしてみせた。 そして、馬車に乗り込んで、木のてっぺんに飛び上がり、そのままどこかへ飛んでいった。 ここには、後年のサンタ・クロースの特徴がいくつも現われている。 1.子どもに贈り物を持ってくる 2.移動に空を飛ぶ馬車を使うこと 3.垂直の構造物(ここでは樹木)を媒介として、空と人間界を往復する 4.パイプを愛用する 5.「指を鼻につける仕草」をしてみせる 5の仕草は、日本ではあまりポピュラーではないが、アメリカのサンタ・クロースにとっては「お約束」のポーズとなっている。片手の親指を鼻の脇にあてて、残りの指をひらひらさせる。相手を馬鹿にするときのポーズで、普段こんなことをしたら、よほど挑発的である。 なぜ、サンタ・クロースがこんなポーズをとったのか。 それは次回の講釈にて考えることにする。 次回はサンタ・クロースに詳しい人なら、だれでも知っているある詩を紹介する。 その詩は、ワシントン・アーヴィングの聖ニコラスのイメージに深い影響を受けている。 いまわたしたちが知るサンタ・クロースの姿は、この詩によって、定まったのである! |
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