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フロイトの横顔 | ||||||||
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二十世紀最大の思想家ジークムント・フロイト。 この偉大で興味深い人物は、わたしの心の師でもあります。その生涯と思想を考えてみたいと思います。
人間を知ること。
仕事を通じて、人間を理解すること。 それは、フロイトの生涯にわたる願望だった。 フロイトは、自分の人生でいちばん価値あることを問われたとき、「愛することと働くこと」と即座に答えた。 それは、だれにも通じる真理であろう。 働くことは、人間を理解することである。 治療家としてのフロイトこそが、真の革新者であり、天才である。それに比べれば、思想家フロイトはなにほどの価値もない。思想家としては、自分の発見したこと、書き記したことを読み替えられることで評価されている。およそ、著述家としてはまことに口惜しいだろうが、思想とは本来他人の誤解のうえに成り立つものだとすれば、これもいたしかたないことである。 フロイト本人はどうかといえば、自分を医師だと生涯にわたって規定し続け、思想家だと思った気配はひどく希薄である。 ドイツ語文化圏の人間らしく、青春時代には哲学に熱中したこともある。ギムナジウムを首席で卒業してウィーン大学に入った超エリートである。無理もない。 かれが熱中したのは、フォイエルバッハだった。 フォイエルバッハは、「神とは人間の理想化にすぎない」と喝破した哲学者である。 この人間化された宗教論は、若いフロイトを大いに満足させた。 もっとも、いわゆる哲学的なるものへの関心は、いつまでも続かなかった。大学生となったフロイトは、実証的科学に自分の世界観を見出してゆく。哲学者は口先で言葉をもてあそぶだけというのが、その後一生変わらない哲学観となる。 いっぽうで、芸術家へのコンプレックスを抱いているのも面白い。 のちに妻となる婚約者マルタ・ベルナイスが詩人の男友達の近況を手紙で書いてくると、独占欲のつよいフロイトは嫉妬まじりでその男と絶交しろと書き送る。詩人に言い寄られたら、マルタがなびいてしまうと真剣に恐れたらしい。 そのせいかどうか、フロイトは芸術家にはいい感情をもっていない。 いっぽうで、「芸術家は科学者が苦心のすえ実証することを直感で悟ってしまう」というやっかみとも皮肉ともいえることを、友人の作家シュニッツラーに手紙でいっている。
フロイトは、ひどく独断的であるくせに、直感や思想的大系を好まない。
<イタリア ― こころの故郷>
フロイトたち、上流ユダヤ人はローマやギリシアに自分たちの精神的故郷をみいだしていた。フロイトが毎年夏にイタリア旅行へ出かけたのも、その現われであろう。
それだけ憧れていたくせに、どういうわけか四十四歳までローマには行ったことがない。イタリアにはすでに何度も足を運んでいるというのに。 「ひとかどの業績をなし終えないと、ローマに行けない」 研究者たちによって、フロイトがそんな強迫観念を抱いていたことが明らかにされている。 生涯の大作『夢判断』を出版してはじめて、自信がついたフロイトは故郷に錦をかざるような気持ちで、ローマへはじめて出かけた。四十四歳のときのことだ。 フロイト家の家系伝説では、先祖はもともとケルンのあたりにいたという。 ケルンといえば、ネロ皇帝の母アグリッピナの生まれた場所でもある。 フロイトは古代ローマ帝国を精神的故郷にしていた。 イタリアへの愛着は、古代への感傷だった。 とうぜん、ギリシアにも興味を持っていた。だが、ギリシアへの旅行は、わずか一度にすぎない。アテネのアクロポリスに登って、白日夢のような非現実感を味わったにすぎない。それは父の没後のことでもあり、精神分析でいう「喪の仕事」が関係している。それが判明するのは、フロイトにとっても晩年の理論的発展を待たなければならなかった。 簡単に考えれば、フロイトにとって、ギリシアはあまりにも遠すぎたのかもしれない。 そのかわり、ローマへは足しげく通っている。 イタリアは、フロイトのお気に入りだった。 大学生時代、当時オーストリア帝国の領土だったトリエステに研究助手として出かけてから、イタリアはフロイトの魂のふるさととなった。 子ども時代をなつかしむことがあっても、ギムナジウム時代に二度出かけたほかは、生まれ故郷フライブルク(現在はポーランド領)に足をむけたことはない。 かれが結婚後、子どもたちをつれて夏のバカンスをすごしたのは、オーストリアの高級リゾート地バート・アウスゼーだった。 貧しい故郷フライブルクには、戻りたくなかったのである。 フロイトはかなり上昇志向の強い成り上がりだった。大学教授という職業のイメージを守るために、そのスノビズムは和らげられてはいたが。
もちろん、悲観症のフロイトは現在のイタリアとローマには絶望している。
<作家としてのフロイト>
フロイトは何よりも文章の達人である。
神経学をやっていた頃は、明快な文章だったが、晩年になるにつれ味のある文章を書くようになった。あまりにも、生き生きと患者とのやりとりが描かれているので、自然科学者からはいよいよ信用されなくなるほど、巧みに文章をかいた。 ドイツ語圏であっても、人文系と理科系は互いに不信感をいだいているものらしい。 フロイトほど勤勉な作家は、世界でもまれであろう。 生涯にわたって書き残した論文は、それだけでも大変な分量だが、手紙作家として書簡の形で残された分量だけでも優に並みの作家の全集を越える。 そのフロイトがまったく書けなくなったことがある。 精神分析の誕生となった自己分析の途中だ。 まったく何も書けなくなってしまった。 精神分析でいうところの「抵抗」である。 フロイトの自己分析が進み、いよいよ神経症の核心となる幼児記憶がよみがえろうとしていた。(実は数年前から、フロイト本人もりっぱな神経症患者になっていた。)そのとき、フロイトはまったく書けなくなってしまった。 しかも、手が震えて字が書けない書痙にまでなった。 この心理的ブロックと書痙症状を克服するための自己分析を続ける過程で、精神分析の根本原理であるエディプス・コンプレックスを発見することになる。 1970年代までの伝記作者たちは、これをもって精神分析の誕生と考える。だが、最近では、ニュアンスが違ってきている。 むしろエディプス・コンプレックスという発見そのものが、隠蔽記憶のごとき自我の防衛ではなかったか。 研究者のなかには、フロイトが捨て去った性的外傷説(いわゆる誘惑説)のほうが正しかったと考えるものもいる。とくにアメリカで急増している幼児性虐待が、その反論の拠り所となっている。人格障害、多重人格など、フロイトが治療対象としては認めなかったような重度の精神障害では、病因に幼児期の性的虐待が最大の要素となっていることがわかっている。 時代はとりすましたウィーン時代よりも、さらに過酷なものとなっている。 フロイトが治療対象としてヒステリーという病気は、現代では消滅した考える精神科医も多い。 誤解のないように書くと、かつてヒステリーという病名でくくられた症状はいまなおある。 しかし、個々の症状はそれぞれ独立の病名をつけられて、もはや一くくりにされることはない。初期の精神分析家たちの症例のなかにも、今ではもっと重度の精神障害だったと考えられているものが少なくない。 精神分析の有効さが、最大の消費国アメリカでも精神治療のプロである精神科医に疑問視されているのも、こうした消息による。 話しは横道にそれたが、フロイトの考えたエディプス・コンプレックスは、今では少なくなった正統的フロイト派でなければそれほど重視されていないのが実状だ。 正統的フロイト派といっても、数多い精神分析の学派がすべてそのように名乗りをあげているわけだが、ここではフロイトの学説を文字通り遵守する一派をさす。 フロイトの没後に、精神分析を深層心理学として推進したのは、女性である。 もちろん、アドラーやユングのように早い段階で自分の心理学体系を確立した人々を別にしての話だが。 フロイトの弟子、孫弟子の優秀な女性精神分析家こそが、二十世紀の精神分析をつくりあげた。現代の創造的な精神分析家は、なんらかの形で彼女たちの系譜につらなっている。精神分析の直系後継者は女であった。フロイト自身の娘アンナ・フロイトもまた精神分析界に大御所として隠然たる権力をふるっていた。 彼女たちこそは、フロイトが無意識に探求をさけた領域の探検者である。 禁断の領域は、母子関係であった。 フロイトは、母と子の内的関係をあばきたてるのを意識的かつ無意識的に嫌悪した。
<始源なる母の国>
「死とは、なんという甘美なものだろう」
これはフロイトがある人物にいった言葉である。フロイトはよく失神発作を起こした。とくに、深刻な論争をした直後に。不思議なことに、相手をいいまかして譲歩を引き出したとたんに失神した。これは、そうした失神発作のあとに口にしたものだ。 無神論者のフロイトは、もちろん死後の世界など信じてはいない。だが、自我意識が消失する意識変容(アルタード・ステーツ)をしばしば経験したことが、その著書から窺われる。 そうした意識変容は自我意識が芽生える以前のプレ・エディプス期の心と同じではないかと晩年のフロイトは予想していた。 しかし、壮年期にはこうした心理状態を「性一元論」で考えていた。 「快感原則・現実原則」や「幼児性欲」の概念は、今日から考えると「母親との一体感」に対する渇望とその欠乏に置き換えることもできる。 これはポスト・フロイティアン(非正統的フロイト派という意味での)の女性精神分析家たちの考えだが。 「母親」と「乳房」が、幼児にとっての全世界だ。「乳房」を通じて「母親との一体感」を持つことが、幼児の全能感の根源となる。 ドイツの文豪ゲーテが『ファウスト』で「母たちの国」として、神話的な始源世界を構想したのは、ゲーテが詩人的直感でこの事態を見抜いたからに他ならない。 後世の人類学者、宗教学者は全世界の民族の神話、文化から再発見した。 フロイトは、こうした世界があることを予感しつつも、それを好まなかった。 「母親との一体感」を認めるかわりに、「母への性的固着」と「エディプス・コンプレックス」を唱えた。 「自我を忘れる渾然的一体感」を、十九世紀ヨーロッパ文明の申し子であるフロイトはどうしても受け入れられなかった。はっきりいえば、「男性至上主義」のヨーロッパ文明において「女性的要素」は劣等因子でしかない。ジェンダーの壁は、フロイトにとってもしごく厚かった。 フロイトが選んだ世界は、「良いおっぱい」のない世界である。 「母親との一体感」を否定して、「女としての母親へ性的固着」とみなして、それを断ち切るのが成熟のプロセスだと考えた。翻ってみれば、フロイトが父親と自分を一体視して母親を否定したといえないこともない。 つまり、フロイトは父と一体化して、男根をふりかざすことを選んだ。だが、男根的世界の裏側では、口唇愛的な同性愛志向がうごめくことをどうすることもできなかった。 フロイトのいう口唇愛的段階とは、母親と赤ん坊が一体である発達心理を意味する。否定したことによって、この段階を抑圧してしまったのである。 口唇愛的段階とは、ナルチシズムしか存在できない心理である。誤解をおそれずにいえば、「おっぱい」と一体化した自分しかいない世界といってもいい。 この世界はパラノイアの世界でもある。 「思考の全能」という言葉がある。神経症患者が周囲の環境の悪化を、すべて自分の思考が引き起こしたとして自分を責める状態をさす。こうしたパラノイア的思考の根源にあるのは、「口唇愛的段階」である。 フロイトはダニエル・パウル・シュレーバーの症例研究から、パラノイアと同性愛と口唇愛的段階に相互に絡み合った関係性を発見した。 同性愛とパラノイアを、フロイトは最大限に嫌悪した。
<以後補足>
始源的な「良いおっぱい」との同一感を、ナルチシズム的段階とみなしたフロイトはおぞけをふるって、この世界を拒否して男性=男根的世界を住処とした。
これは外向的な人間は、無意識が内向しているというユングの考えに一致する。 対人関係に悩む内向型人間は、日常生活とは無関係な夢をみる。神話や幻想に深くかかわる夢である。夢は無意識の王道だ。内向型人間は意識を補償するかたちで、象徴操作を通じて外延的な思考を無意識(反・意識という意味で)でおこなう。外向的なタイプはこの逆の無意識をもっている。 外向的な躁鬱型人間フロイトの無意識には、対人関係しかなかった。フロイトの夢分析に登場する内容は、対人関係にかかわるものばかりだ。フロイトが弟子たちに詳しい夢分析を語るのを嫌がったのも無理はない。それを語ることはフロイトの人間関係を暴露することになってしまうからだ。 それに比べると、内向的なユングは無意識が外的だったから夢分析も対人関係というよりは、自己の立場や思想、宇宙観にかかわるものとなる。だから、人に話したところで、恥ずかしくもない。このあたりの資質の違いからくる食い違いが、フロイトとユングの決裂を招いたのはよく知られるところだ。 ユングは始源なる世界を恐れなかった。 今日では、ユング本人の精神にもほとんど精神分裂病の境界例と考えざるをえない要素が多々あることがわかっている。 しかし、そもそも精神世界を探求すること自体が、狂気と紙一重だ。 宗教界でも、革新者といわれる人々はみな狂気にも似た状態を経て、それぞれの境地を開拓したのではないか。 ユングの精神生活を狂気とみて無視することは、人間という生き物を理解するきっかけを捨てることでもある。
<のみこまれる不安>
フロイトには、数人の有名な患者がいる。
そのうちわけは、子ども、少女、三人の男である。 即座にその名前がわかれば、かなりのフロイト通だといえる。 この患者たちは、じつはフロイトの分身だとされる。フロイトがかれらを分析した「症例研究」をつうじて、後世のわたしたちはフロイトの実人生や精神生活をうかがい知ることができるからだ。 つまりは、「症例研究」そのものが、フロイトの意図せざる自伝なのである。 さて、そのひとりで、「狼男」と通称されるロシア人がいる。本名はわかっているのだが、精神分析の世界では通称のほうが有名だ。 フロイトは「狼男」を重度の神経症だと診断した。 この患者はあらゆる宗教や倫理を否定するニヒリズムに陥っていた。無気力で、不安症候群に苦しんでいた。 分析治療の結果、フロイトは「狼男」が両親の性交を垣間見たために神経症を発症したことをつきとめた。 「狼男」は父親へ同性愛的な固着をいだき、しだいにそれは父親に対する過度の同一化となり、かえって自我喪失の危機に瀕した。 「狼男」は自我喪失の恐怖、「のみこまれる不安」に反発して、父親のような規範的なあらゆる存在、とくに宗教・社会倫理に冷笑的な態度をとるようになった。 フロイトも、宗教には強い反感を覚えていた。その根底には、じつは「のみこまれることへの恐怖」があった。自我人間フロイトは、患者「狼男」に出会ったことで、自己の病理におぼろげながら気づいたのである。
<母子関係>
フロイトが母子関係をこそ自己分析の対象とするべきだったという見解は、すでに土井健郎によって提出されている。
現代の精神分析家にとって、フロイトの見解自体も、母子関係の観点から見直しがせまられている。フロイトの見出したエディプスの答えが隠蔽記憶にすきないことは、精神医学界ではすでに周知の事実となっている。 エディプスとは、周知のように、自分の出生の秘密を知らなかったばかりに破滅した古代テーベの王オイデプスのことである。フロイトもまた古代の王と同じ運命をたどることになった。 だが、フロイトの戦いは決して無駄ではない。 他ならぬエディプス・コンプレックスこそは、無意識へのアプローチとして格好の作業仮説になったのだから。 ただし、フロイトを批判する人々には、こうした理屈は通らないようである。 フロイトと精神分析を冷静に批判する研究者は、めづらしい。 精神分析に反対する陣営には、その歴史的意義を認める論者はごくわずかしかいない。 例外をのぞけば、これが学者かと思うほどヒステリックかつ感情的にフロイト学説を攻撃する。ただし、精神分析陣営も応酬にかけてはひけをとらないが。
<科学的心理学>
フロイトが作り出した精神分析学については、実験心理学からの批判はまことにきびしいものがあった。
そのいっぽうで、思想界ではフロイトは二十世紀最大の思想家とされた。現代において、思想家フロイトの重みはますます増している。 両者のあまりにも大きすぎる隔たりに、フロイトに好意的な研究者は、精神分析を人文科学の範疇である解釈学だとみなす。 実験観察−法則定立的な自然科学ではなく、記述学−現象記述の学問とする。 簡単にいえば、前者がサイエンス(自然科学)であり、後者は社会学・哲学である。 ところが近年では、フロイト学説への発言は、サイエンスの立場からよりも哲学・思想の領域からのほうが多いようにみえる。サイエンスに属する実験心理学は、もともとフロイト派を含めて深層心理学を相手にしていないともいえる。 フロイト本人は、精神分析を自然科学だとかたく信じ込み、「科学的心理学」を構想していたのだが。 もっとも、学説の創始者とは大いなる誤解に引きずられて仕事を始めるものらしい。 他ならぬ「科学的心理学」の構想が破綻したことによって、「精神分析」は誕生したのだから。精神分析が誕生すると、フロイトは生理学と心理学の接近を自分では巧妙に回避し続ける。性一元論は、そうした折衷的態度の所産であった。
<言葉の人>
フロイトの最大の功績は、無意識の発見ではなく、無意識が言語として構造化されていることを発見したことにある。
二十世紀思想の特徴は、世界を言語構造として再構成したことだ。 フロイトが今世紀最大の思想家たりえるのは、人間の意識そのものが世界そのものと同じように言語として文節化できることを発見したからだ。 そうした意味では、フロイトは二十世紀後半のフランス構造主義者たちの成果をすでに十九世紀末において予言していたことになる。 さらにいえば、ポスト構造主義者にとって、フロイトがいまだに新鮮な魅力たりえている理由はここにある。 この文脈でいえば、フロイトはその母胎であるニーチェやショーペンハウエルと同じようにいまだ消費されつくしていない。 フロイトがなぜ言語構造にこだわったのか。 そこに、フロイトの独特の資質がある。 ドイツ最大の文豪ゲーテは、人も知るように「眼の人」だった。 この種の人は、鮮明な視覚的記憶力、想像力にめぐまれている。文体でいえば、音楽的というよりは視覚的な描写にすぐれている。音楽はまったく不得手で、歌を歌えば音痴と見られやすい。 この種の人は、聴覚的な記憶力にはあまり恵まれていない。外国語を学ぶさいには、有利な性質とはいえない。 だが、ページそのものを視覚的に記憶できるいわゆるカメラ的な記憶力があることもある。記憶力が抜群に強いことは語彙をふやしたり、文法の習得には有利だ。 勤勉な性質さえあれば、逆説的だが、外国語の読み・書きは聴覚的な「耳の人」よりも得意になる。 フロイトもまた「眼の人」だった。 さらに、フロイトには非常にすぐれた言語操作能力があった。 かれはドイツ文学史を通じて傑出した文才の持ち主である。 ドイツ語の達人といっていい。 こうした自国語の達人は、外国語学習では、とくに会話が苦手である。自国語の言語操作能力が高いほど、視覚型人間であれ、聴覚型人間であれ、自国語の音韻体系に高度に適応している。だから、自国語の音韻体系つまりアクセント、発音に敏感だ。 人によっては、わずかなアクセントから、話者の出身地を類推できることもできる。意識せざる言語学者といっていい。 翻っていえば、その長所は「自国語の専門バカ」という欠点にもなる。高度な自国語の操作能力があだとなって、外国語の習得がひどく困難になる。文章のうまい作家やライターに外国語の得意な人があまりいない理由でもある。 こういう人は無意識で自国語のトレーニングを毎日一瞬も休まずにやっている。文章読本や「よい文章の書き方」のたぐいに書かれている内容を、本を読むこともなく、生まれてから死ぬまでやり通す人々である。いきおい大変な活字人間にならざるをえないから、外国語学習のような面倒なことは嫌いである。ひたすら自国語の本を読みまくる。 まれに、この種の人間が外国語をマスターした場合、外国語の読み・書きはかなりのレベルになる。研鑚次第で、ネイティブなみになることも不可能ではないと思う。もちろん、このネイティブとは大学教育を受けた程度の表現力という意味であって、プロの物書きではない。 フロイトはまさにこうした人間に属している。 こころみにフロイトが学んだ外国語をあげてみよう。 ラテン語。ギリシア語。フランス語。英語。スペイン語。イタリア語。 ラテン語、ギリシア語は、ギムナジウムでの必須科目である。日本でいえば、「古文・漢文」に相当する。ギムナジウムでは、ソフォクレスの悲劇「オイデプス王」を学習をかねて翻訳したこともある。フロイトの時代、ドイツ人の学者はやたらラテン語やギリシア語を文中に並び立てる癖があった。フロイトもその例にもれず、原書には注釈もなくこうした言語が飛び出してくる。 フランス語、英語も同じだ。英語では大学の医学部在学中にイギリスの哲学者J・S・ミルの「自由論」を翻訳して出版したこともある。フランス語は五ヶ月間ほどフランス留学したこともあり、また留学した学んだ精神医学の大家シャルコーとベルネームの著書をドイツ語に翻訳して出版したこともある。さらにいえば、後年フロイトの名声をしたって精神分析治療をうけにきたアメリカ人患者に対しては英語で対応した。またフランス語で論文を書いて、フランスの学術誌に寄稿したこともある。 スペイン語とイタリア語については、ほとんどおまけのようなものだ。 スペイン語はギムナジウム時代に親友と交換日記めいた手紙のやりとりをするときに使っただけだ。いまに残るその手紙をみると、ドイツ語から勝手に造語したあやしいスペイン語が多い。イタリア語はイタリア旅行にいくときのご愛敬といっていい。 ただし書斎の人、フロイトは外国語の会話をひどく苦手とした。 フランスに留学したときは、発音が悪くて会話が通じないのが悩みだった。道ひとつ聞くにも筆談に頼らなければならなかった。英語についても、ひどいドイツ語なまりがあったと患者たちが回想録で告白している。 だが、そのことはフロイトが優秀な翻訳者であったことをさまたげはしなかった。 こうしたことをいまさらのようにくだくだしく書いたのは、他でもない。 フロイトがおよそ言葉に対して、大変な感性と操作能力の持ち主だったことをいま一度思い出してほしかったからである。 無意識という名称で呼ばれるある存在が、構造化されていることを見破るには、フロイトが持っていたほどの言語的な感性が必要だった。 幸か不幸か、無意識探求のもうひとりの巨人、ユングはフロイトほどの言語的才能をもっていなかった。そこで、かれはイメージを操作する象徴体系を視覚的に構築せざるをえなかった。 誤解をおそれずにいえば、ユングは自分の認識を言語化することにひどく苦労した。 かれの象徴体系を自分のものとするには、ユング自身の内的体験を追体験するしか方法はないだろう。 だが、無意識界が象徴を表象とする世界であることをはっきりさせた点からいえば、かえってユング思想の表現には、こちらが向いていたといえなくもない。 ともあれ、フロイトの話にもどろう。 言葉に対する豊かな感性と、表現力が、意識と言語の構造的アナロジーを可能にした。 構造主義の祖ソシュールが発見したラングとランガージュの重層構造は、フロイトの自我構造と並行進化的に対応している。ソシュールの業績は、乱暴な言い方をしてしまえば、言語の無意識を発見したともいえる。 二十世紀の思想の特徴を一言でいえば、言語構造が社会や人間のもろもろの関係性の元型であると喝破したことにある。 フロイトは、抜群の才に恵まれた歌わざる詩人だった。 その詩才が物質的科学の装いのもとに、ひとの意識にむけられたとき、豊富な洞察がうまれたのである。
【自我人間の病理】 以下は、精神科医小此木啓吾氏の著書をまとめたものである。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
自他の自我分裂を受け入れることこそ、成熟のあかし。
はてしない「個」の追求は、人間を食うか食われるかの「ひとみな狼」の時代に退行させる。
「ほんとうの自分」とは、破壊的な幻想にすぎない。
「ほんとうの自分」は、探してみつかるものではない。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
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