クリスマス小百科


目次

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クリスマスについて、ほんの少し物知りになるミニ百科です。
日常生活には、あんまり役には立ちませんが、好奇心旺盛な方に
お勧めします。

作成 工藤龍大


【クリスマス関連のカレンダー】

中部ヨーロッパを基準にしたクリスマス関連の行事を一覧表にしてみました。
詳細については、あとで充実するつもりです。

11月  
  11月30日 聖アンドレアスの祝日
12月  
  12月4日 聖女バルバラの祝日
  12月6日 聖ニコラウス祭
  12月8日 聖母受胎日
  12月13日 聖ルシア祭
  12月21日 聖トマスの日
  12月25日 クリスマス
  12月26日 聖シュテファン
    ボクシング・デー
  12月31日 シルベスター
1月  
  1月1日 元旦
  1月6日 公現節・三聖王祭
2月  
  2月2日 キャンドル・マス

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【クリスマスの日付】

クリスマスの日付は、イエス・キリストの誕生日ではありません。
歴史的には、イエスの誕生日はわからないのです。
もちろん、聖書にもイエスの誕生日は書かれていません。

現在のクリスマスの日付が、12月25日と決まったのは、西暦325年に開かれた第一回ニケーア公会議でした。
教皇シルベスター一世が主宰したこの会議は、いわゆる三位一体の教理が決定されたことでも有名です。
これ以前は、イエスの誕生日は1月6日だとされていました。
いまでも、アルメニアでは旧暦1月6日をクリスマスとしています。

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【クリスマスの起源】

クリスマスは、ほんらいはキリスト教の祭典ではありませんでした。
キリスト教が地中海世界から、ヨーロッパ世界へ浸透するにつれて、現地にあった異教の要素をとりいれて成立していった祭典です。
現在のクリスマスには、キリスト教だけではなく下記の三つの古代宗教の祭典が源流となっているとされています。

  1. ミトラス教の冬至祭( Dies Natalis Solis Invincti )
  2. ローマ帝国の農耕神サトゥルナーリア祭
  3. ケルト人とゲルマン人の冬至祭

ミトラス教とは、古代ローマ帝国ではキリスト教と並んで有力な新興宗教でした。
冬となり力の衰えた太陽がエネルギーをとりもどし復活するとされた冬至の日は、ミトラス教の主神ミトラスが「義の太陽」として復活する大切な祭日です。
端的にいえば、クリスマスとはミトラス教の主神の祭典を換骨奪胎したものなのです。
古代ローマ帝国は、多神教の世界です。さまざまな神々をTPOにあわせてお祀りするのが、普通のローマ人のやり方でした。なかでも農耕をつかさどる神サトゥルヌスは農業経営を基盤にするローマ人にとってはたいせつな神でした。
そこで、冬至の日をはさむ一週間をこの神の祭日として、大いに飲み食いして楽しみました。
キリスト教がローマ社会に浸透するにつれて、クリスマスにはこの風習も取り入れたのです。

さらにキリスト教がヨーロッパ大陸に広まるにあたって、現地にすむケルト人やゲルマン人の信仰を吸収していったことはいうまでもありません。
12月25日は、この頃の暦では冬至の日とされていました。
ケルト人やゲルマン人にとっては、冬至を中心とする前後一月ほどの期間は悪霊が跋扈し死者や祖霊が現世に戻ってくる恐ろしい季節でした。
そこで、死者と祖霊にご馳走をそなえて霊を慰め、くわえて力を失った太陽が復活して悪しき魔物を追い払ってくれるように祈る祭りをとりおこないました。
クリスマスには、こうした古い信仰もなごりをとどめています。

以上みてきたように、古い暦では12月25日が「冬至」にあたっていたことで、さまざまな古代信仰の祭典がおこなわれたきたことがわかります。
ヨーロッパ世界では、冬は荒涼した死の世界だと考えられていました。
「冬至の祭り」は、恐ろしい冬の季節が終るようにとの祈りに他なりません。
クリスマスのお祝いには、そうしたヨーロッパの人々の願いが込められていまのです。

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【クリスマスのアイテム】

クリスマスに登場するさまざまなグッズ。その起源を調べてみました。

1)クリスマス・ツリー

●聖なる樹木

・モミの木  
  <起源>ドイツの習慣。19世紀にイギリスの紹介
・ヒイラギ  
  <起源>サトゥルナーリア祭に由来する
・ヤドリギ  
  <起源>ケルトとゲルマンのドルイド僧。魔除け
・月桂樹  
  <起源>ギリシア・ローマ時代から聖樹とされる
・リンゴ  
  <起源>北欧神話。不死の象徴

●クリスマスを彩る花々

・ポインセチア  
  <起源>19世紀から。メキシコ原産
・クリスマス・ローズ  
  <起源>イギリスで愛好。キンポウゲ科の植物

●ツリーに関連するアイテムなど

・リース(花輪)  
  <起源>もともとは戸口につける門松のようなもの。新年の平安と繁栄を祈願
・ろうそく  
  <起源>異教徒の習慣。衰弱した太陽を活性化する呪術
・ベル(鈴)  
  <起源>異教徒の習慣。魑魅魍魎を追い払うお呪い
・星  
  <起源>聖書。イエス誕生のとき、三賢人(*)をベツレヘムに導く

2)その他のアイテム

●くつした  
  <起源>聖ニコラウスの伝説より
●クリスマス・カード  
  <起源> 1843年ヘンリー・コール卿(イギリス)の考案
  <普及>1875年ルイス・プラングの印刷カード

* 三賢人
イエス生誕のときに現われた三人の東方の賢者。東方の三博士(はかせ)ともいう。
ガスパール、メルキオール、バルタザールの名前がある

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【クリスマスを作った偉人たち】

クリスマスのイメージを作った人々 業績
モーリッツ・フォン・シュヴィント 19世紀のドイツ画家。 サンタのイメージを作った人
ワシントン・アービング アメリカの作家。作品「ニッカーボッカー」で聖ニコラウス(=サンタ)を描く
クレメント・ムーア アメリカの牧師。「聖ニコラウスの訪問」(1922年), トナカイの曳くソリに乗るサンタを描く
ディケンズ イギリスの文豪。「クリスマス・キャロル」(1843年)、 クリスマス・キャロル祭(12月16日)
オー・ヘンリー アメリカの作家。「賢者の贈り物」(1904年)
メーテルリンク フランスの作家。名作「青い鳥」(1908年)はクリスマスの夜だった

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【サンタクロースのお仲間】

サンタクロースは、通説では3世紀後半に小アジアに生まれた聖者《聖ニコラウス》とされています。
しかし、民俗学者たちの研究によって、サンタクロースの実体が、聖ニコラウスの伝承と古代ヨーロッパの異教の神々、とくにゲルマン人の神オーディンやゲルマン人たちが恐れた冬の聖霊たちが複合されて生み出されたものだということがわかってきました。

さらにいえば、いま私たちが知っているサンタクロースは、アメリカの商業主義が生み出したものであることはよく知られていることです。
とくに、コカ・コーラ社の宣伝画家ハドン・サンドブラムがサンタクロースのイメージに決定的な影響を与えたことは知る人ぞ知る事実です。

とはいえ、とくにヨーロッパ諸国では、古いクリスマスの習慣にしたがって今でもサンタクロースとは別の日に子どもたちに贈り物をもってきてくれる聖霊たちがいっぱいいます。
その姿は、老人あり、赤ん坊あり、魔女ありとさまざまです。
ここでは、サンタクロースの仲間たちとして、そうした各国のクリスマスの聖霊たちをあげてみました。

名前 あらわれる日
サンタクロース アメリカ クリスマス・イブ
ファーザー・クリスマス イギリス クリスマスまたは翌日(ボクシング・デー)
聖ニコラウス or クリスト・キント オーストリア 聖ニコラウスの日(12月6日)
クリスト・キント ドイツ 聖ニコラウスの日(12月6日)
ペルヒタ ドイツ 1月6日(公現節)
バイナハツマン ドイツ クリスマス
聖ニコラウス ベルギー、オランダ 聖ニコラウスの日(12月6日)
ペール・ノエル or プチ・ノエル フランス クリスマス
ユール・ニッセ デンマーク、ノルウェー ユール(12月25日)
ユール・トムテ スウェーデン ユール(12月25日)
ヨール・スヴェン アイスランド ユール(12月25日)
バーブシュカ ロシア 1月6日(公現節)
ベファーナ イタリア 1月6日(公現節)
ヨール・プッキ フィンランド ユール(12月25日)

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【サンタクロースのふるさと】

サンタクロースの故郷にふさわしいのは、トナカイの住む雪の国。
というわけで、北欧の三国、フィンランド・スウェーデン・ノルウェーがサンタクロースの故郷として名乗りをあげています。
ただし、それぞれのお国でサンタクロースの名前も少し違います。

フィンランドでは、サンタクロースはヨール・プッキと名乗っています。
ヨール・プッキはふだんはソビエトとの国境に近いコルバントンリン山に住んでいて、クリスマスが近づくと、下記の住所の家にやってくるとか。
漏れ聞くところでは、ヨール・プッキは450歳くらいだそうです。

スウェーデンのサンタクロースは、ユール・トムテといいます。
ジプシーという犬と、ホリーという猫を飼っています。
「サンタの学校」というものまで作っているやたらと教育熱心なサンタさんです。

ところで、下記の住所に手紙を送ると、昔はお返事をもらえたそうですが、いまは良い子たちからのお便りが多すぎて日本に受け付け窓口を作っているそうです。
良い子の皆さんは、日本の窓口までお便りをしてあげるとよいでしょう。

■フィンランド

図

  Mr.Santa Claus または Mr.Joulu Pukki,   サンタクロース・エンバシィー
  Joulupukin Pajakylä,   〒107-0052
  96930 Rovaniemi   東京都港区赤坂 6-6-16
  Finland   黒田ハイツ 203

■スウェーデン

図

  Mr.Santa Claus または Mr.Jul Tomte,   サンタワールド事務局
  Tomteland,   〒104-0033
  Gesundaberget 790 43 Sollerön,   東京都中央区新川 2-6-2-203
  Sweden    

■ノルウェー

図

  Mr.Santa Claus または Mr.Jul Nisse,   ユールフーセ白馬(クリスマスハウス)
  Nissenhuset,   〒399-9301
  1440 DrØbak,   長野県北安曇郡白馬村北城3467
  Norway   ノルウェー・ビレッジ内

日本のサンタクロース

日本にも、1996年いらいサンタクロースの「ふるさと」ができました。
青森県の白神山地にあるそうです。
ここは、フィンランドのサンタクロースと縁があるらしく12月になると、フィンランドのサンタクロース、ヨール・プッキがやってくることになっています。

■サンタランド白神

図

  サンタクロース岩崎簡易郵便局  
  〒038-2206  
  青森県西津軽郡岩崎村大字松神字下浜松14  
   

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【クリスマスにちなんだ音楽】

クリスマスには、おなじみの音楽があります。
ここでは、そのなかでもいちばんポピュラーなものがいつ、どこで誰によって作られたかを紹介します。
キリスト教の祭典であるクリスマスには、もともと教会で歌われるためにつくられた「クリスマス・キャロル」という歌がありました。さらにクリスマスを題材にした物語や映画から作られたクリスマスのためのポピューラーソングもできました。

●クリスマス・キャロル

クリスマス・キャロルというジャンルの歌は、アッシジの聖フランシスコが最初に作ったとされています。その後、主に教会関係者がさまざまな曲をつくりました。なかでも、いちばん有名なのは、「聖しこの夜」と「もろびとこぞりて」でしょう。

◆聖しこの夜
作詞 ヨーゼフ・モール
作曲 フランツ・グルーバー

この歌は、不思議な因縁で作られました。
1818年の12月のこと。オーストリアのザルツブルクの近くにあるオーベンドルフという村で、教会のオルガンが故障してしまいました。修理も間に合わず、クリスマスのミサに音楽が演奏できなくなりました。そこで、当時この村の牧師補をしていたモールが、村の小学校教師グルーバーに頼んで、ギター演奏でうたえる曲を作ってもらいました。
そうして誕生したのが、この曲です。やがてオーストリアの村から全世界へと、この曲は広がっていきました。
オーベンドルフ村には、この出来事を記念して「サイレントナイト・チャペル」という礼拝堂がつくられ、毎年クリスマスには「聖しこの夜」をうたうことになっています。

◆もろびとこぞりて
作詞 アイザック・ウオッツ(イギリス人)
作曲 L・メーソン(アメリカ人)
(原曲はドイツの作曲家ヘンデルの「メサイア」)

この歌詞には、いろいろな人が曲をつけているそうですが、いまもっとも歌われているものは、メーソンのものです。

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●ポピュラーから

ここでは三つのポピュラー・ソングを紹介します。
「ホワイト・クリスマス」は同名の映画から、「ジングルベル」や「赤鼻のトナカイ」はコピーライティングから誕生しました。
◆ホワイトクリスマス
作詞・作曲 アービング・バーリン

1942年にビング・クロスビー主演のアメリカ映画「ホリデイ・イン」(邦題「スイング・ホテル」)で発表されました。なお、この映画は1954年に「ホワイト・クリスマス」と改題されてリメイクされました。

◆ジングルベル
作詞・作曲 J・S・ピアポント

もとの題名は「One Horse Open Sleigh」

◆赤鼻のトナカイ
作詞・作曲 ジョニー・マークス

1949年に作られました。
もともとは、1939年にアメリカのコピーライター、R・L・メイがある店の宣伝用につくったパンフレットに載せられたメルヘンでした。それをもとにして、コピーライターの義理の兄弟にあたるマークスが詞と曲をつけました。

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(c) 工藤龍大
最終更新日:
99/05/29