お気楽読書日記:5月〜6月

作成 工藤龍大

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5月

5月 3日

月末まで多忙につき、ほとんどまともな読書はしていない。月末でやっと解放された。
その間、「ワシントンポスト」や「ニューヨークタイムズ」や「ルモンド」をオンラインで読んでいただけ。
やっと時間がとれるようになったので、ふたたび読書日記を再開できた。

5月 4日

大昔に買った『Z−80の使い方』(横田英一)を読む。
8ビット・マイコンの本をいまさら読むのもなんだが、CPUという具体的なハードの世界がなつかしくなった。仕事で、あんまり抽象的な文章ばかりに触っていた反動であろう。
読んでいるうちに、昔読んだ「286」や「386」の参考書の内容を思い出した。
こういう具体的なものの話は、ほっとするというのが実感である。

5月 5日

『母性社会日本の病理』(河合隼雄)を読む。
このごろ、夢についてよく考える。フロイトの『夢判断』を昨年からかなり読み込んだせいだと思うが、ついでに河合隼雄と故秋山さと子の本を読んで、分析心理学(いわゆるユング派)の夢分析も参考にした。
夢を覚醒時にいろいろ分析してみると、自分が本心で何を望んでいるのか少しずつ分かってくる―つまり、本音の底にある願望や、現実認識がわかるという意味だ。
フロイトの著作や、河合と秋山の著作を読んでわかったのは、いわゆる心理モデルで自我や無意識の構造をわかった気になっても、なんにもならないというひどく平凡な事実だ。
そのかわり、自分自身を含めて人間を理解し、他者と対話することにはとんでもない忍耐が必要であり、忍耐を通じてしか生涯のテーマを発見することはできない。もちろん、その実現には、さらなる忍耐が必要であることはいうまでもない。

人間はやっかいな生き物であることを、生涯にわたって知ることが、「生きる」ことの意味かもしれないという気がする。
河合の本をそうしたことを教えてくれる。

5月11日

H.エレンベルガーの大著『無意識の発見 下』を読む。
上下二巻の大著である。
ポケットマネーをはたいて購入したが、分厚いのでフロイト、アドラー、ユングの生涯を学説をまとめた下巻から読むことにした。
フロイト関係の本についていえば、人文書院の『フロイト著作集』をふくめて、定評ある文献をすでに六十冊ほど読んでいる。日本語で未訳のものや、翻訳版が絶版のものは原書をとりよせた。こうした洋書を加えれば、数はもっと増える。
なんとなく、エレンベルガーのいう「力動精神医学」(俗にいう深層心理学)について、人の流れや学説がわかってきた。
それにしても、エレンベルガーは長い。翻訳した先生たちの苦労がしのばれる。

5月15日

『魔術師ファウストの転生』(長谷川つとむ)を読む。
実在のファウストについては新しい発見はないが、筆者の真骨頂はマーロゥ、ゲーテを初めとして、バイロン、ハイネ、マンから森鴎外、北村透谷、中島敦そして手塚治虫まで視野を広げて、ファウストに憑かれた人々の作品とかかわりをコンパクトにまとめたところにある。
本格的な独文学者でファウスト研究の権威でもある著者であるから、ビブリオグラフィーも充実していて、魔術師ファウストに興味をもつ人なら必須のガイドブックといえる。
「ファウストとは、自我という病に憑かれた近代的な人間に他ならない」
ルターの宗教革命とほぼ同時代の魔術師が、興味深い理由はこれにつきる。
現状維持に満足したとたんに、破滅を宣告されるファウストの運命は、現代人そのものだ。
願わくば、現代人に心優しき悪魔メフィストフェレスが現われることを祈ろう。

さて、本日よりフランク・ベルナップ・ロングの“Howard Philips Lovecraft”を読み出す。
ずいぶんツン読しておいたラブクラフトの伝記本である。
いろいろ忙しかったので、幻想小説関係とはずいぶんご無沙汰していた。
このところ、やっと正統的なファンタジーを読む余裕ができたような気がする。

5月16日

プラトンの『クリトーン』をギリシア語で読み通した。
これほどリデル&スコット希英辞典を酷使したのは五、六年ぶりだ。すっかり錆ついていた古典ギリシア語のブラッシュアップは成功したとみていいだろう。
日本語では、数え切れないほど繰り返して読んだごく短い対話編だが、ギリシア語で読むと、また特別な感慨がある。
冒頭のソクラテスと友人クリトーンの対話はいまだに記憶に残っている。

日本語で読むと七面倒くさい後半部のソクラテス(正確にいえば、ソークラテース)の長科白はギリシア語で読んでもかなり面倒なものだが、音読してみると力強いリズムが脈打っていることを実感する。
ギリシア語読みのプロにしてみれば、なにを当たり前なことをと一笑にふされるのが落ちだけれど、プラトンの古典ギリシア語はじつに美しい。

それにしても――苦労して読んだおかげで、悪法に殉じるソクラテスの「生きざま」が鮮明に脳裡に刻み込まれた。この人は自分の「生き方」の美学を、生命を捨てて貫き通した。
「生命は大切なものだが、それを惜しむばかりではどうにもならない」
ソクラテスはそう問いかける。
「生きるに値する生とはなにか」
その根源的な問いについては、目の前に置かれた現実と向き合うことで、一人ひとりの人間が自分なりの答えを出すことを迫られる。ソクラテスの生き方と、死に方はそれを教えてくれている。

ところで、こちらに寄り道したおかげで、クセノフォンの原書講読はさっぱり進まなかった。気をとりなおして、また読み始めることにしよう。

5月16日

『フロイト 1』(P・ゲイ)を再読する。
伝記本では、英語のE・ジョーンズ、シュールを読んだが、ゲイの本は最新であるだけに学界の研究成果が反映されているのが頼もしい。翻訳者鈴木晶氏の意見では、とうぶんこの本がフロイト伝の決定版になるという。
ただし、日本では分冊化されていて、原書の半分しか翻訳されていない。
ゲイの原書はまだ入手していない。わたしが原書の後半部分にあたるのを読んでいるのは、紀伊国屋書店でみつけたドイツ語版である。
ドイツ語に翻訳されているけれど、もともとが英語なのでひどく読みやすい。これはドイツ語だけでなく、フランス語でも感じることだけれど、英語を翻訳したものはオリジナルの独仏語のテキストに比べて、あっけないくらい読みやすい。
わたしのような英語読みの頭は、すでにそれだけ英語に影響されているのだろうか。

5月19日

『フロイトを読む』(P・ゲイ)を読む。
この本を購入したのは、伝記本には書かれていない大きな問題を考えるためでもある。
フロイトは、妻の妹ミンナ・ベルナイスと不倫をしたのかどうか。
写真をみればわかるが、この女性は決して美しいタイプではない。肥満していて、むしろ美人とは反対のタイプである。
義理の妹とフロイトの不倫をいいたてた張本人は、C・G・ユングだ。
ユングはフロイトやミンナの口からそれを聞いたと主張する。当然のことだが、他のフロイトの弟子たちはこぞって否定する。
事実関係はどうかといえば、状況証拠にかぎっていえばフロイトは不利だ。
ミンナは中年期以降、フロイト家に同居している。驚いたことに、ミンナの寝室とフロイト夫妻の寝室はつながっている。ミンナの寝室からは、フロイト夫妻の寝室を通らなければどこにもいけない構造だ。
スウェールズという研究者は「フロイトと義理の妹は妊娠中絶のために旅行した」というセンセーショナルな説を発表した。
アンチ・フロイト派は、この仮説にとびついた。以後、かれらにとっては不倫説は絶対的な真実になる。
フロイト擁護派はどうにも旗色が悪い。
そこで、この件についてミンナとフロイトの手紙が公開された時点(1988年9月)で、新しい事実があきらかになったかどうか確かめたいと思ったのである。
結論は残念ながら、出ていない。
ただし、この書簡集のなかで1893年4月23日付けの手紙から1910年7月25日付けの手紙のあいだに六十五通の手紙が欠損していることが判明したという。
ゲイはあくまでも推論だと前書きしておいて、まんがいち二人が不倫していたとすれば1893年から1910年のあいだではなかったかと考える。
ただ、ふたりの人柄からいって、どうにも信じがたいともいう。
これはじっさいにふたりを知るすべての人が証言していることで、それに反対しているのはユングだけだ。

アカデミックな学者たちは曖昧な態度に終始している。かりにイエスか、ノーかと断定するとしたら、どうだろう。これまで読んできた文献やフロイト自身の書簡から、わたしはこう考える。
たぶん、肉体関係はなかったと思う。
しかし、このふたりが強い愛情で結ばれていたことは、疑いえない。ふつうの恋人や配偶者よりもずっと強い愛情だった。それだけでなく、ふたりは妻であり、姉であるマルタ・フロイトを深く愛していた。
フロイトとミンナは究極のプラトニックな関係だった。それは間違いない。

将来、ふたりが肉体関係にあったことを証明する事実が発見されたとしても、それでもなおフロイト、妻、ミンナが生涯にわたって信頼と尊敬と愛情に結ばれた関係を続けた事実はいっそう重みをますことだろう。

5月23日

『異端カタリ派と転生』(原田武)を読む。
中世キリスト教異端のカタリ派の歴史が、よく整理されている。
ただし内容的には、以前読んだクセジュの『異端カタリ派』(フェルナン・ニール)よりも薄いような気がする。

5月24日

『ユングとオカルト』(秋山さと子)を再読する。
この本は、グノーシス派の思想の簡便な要約となっている。昨日読んだ本『異端カタリ派と転生』を考えるために、みなおしてみた。

こんにち、ユングに影響を受けていない宗教学者はいない。
聖なるものを考える視座には、象徴体系を記述化して操作するユングの思考方法が不可欠だ。ただし、これまではそうした認識は宗教学・人類学・フォークロアの分野に限られていた。
深層心理学とライフ・サイクルを考えたとき、はじめてヘレニズム時代の異端思想は日常生活に意味をもってくるのではないか。
たぶん無意識と対話して、自分のシャドーにきづいたとき、ユングが脱構築したヘレニズム思想はその人の血肉となる。

5月26日

岩波文庫の『鏑木清方随筆集』を読む。同じ文庫に入っている『明治の東京』はずいぶん前に読んでいたが、こちらは長く品切れだったようで古本屋でもみつからなかった。やっと最近重版してくれたので、入手することができた。
忙しかったせいで、春先にやっていた『鏑木清方展』を見逃してしまった。
かえすがえすも残念だ。
この日本画家の随筆は、絵画そのものと同じように、的確なデッサンと高貴な品格がすばらしい。清新な香気に満ちている。
こういう作品は、なにもいわずにひたすら熟読玩味するべし。
なんだか、名酒の品評会をやっているような書き方になってしまった。

英語版“NewsWeek” 5/31 号を読む。
文化欄に俳優ロバート・デ・ニーロの記事が載っていた。
俳優には同名の父親がいる。父は画家だった。それも一時はポラックたちと並び称されたほどの。
父ロバートは、拠点だったニューヨークを離れてパリへおもむく。その選択は失敗だった。パリで父ロバートは次第に人々の記憶から忘れ去られた。
妻とは息子ロバートが四歳のときに離婚した。以後、父子は数えるほどしかあっていない。父がパリへ旅立ったあとは、交流も途絶えた。
息子は十代にヨーロッパをヒッチハイク旅行したときに、父と再会した。やがて、息子は俳優として名声をかちとった。ふたたびパリを訪れた息子は、父の窮状をみかねてアメリカへ連れて帰った。
その父は二年前に亡くなった。デ・ニーロは自分が経営する有名レストランに父の絵を飾った。今回の記事は、デ・ニーロが父親の個展をパリで開くために渡仏したことを伝えている。
『タクシードライバー』以来、デ・ニーロはわたしにとってカルト的な俳優だ。デ・ニーロの人生にこんなドラマがあったとは。ふと考えてみると、この俳優の私生活はまったく知らない。ニューヨークで有名レストランのオーナーになっていたことも初めて知ったくらいだ。わたしは、どう贔屓めにみても映画ファンではない。気に入った俳優と監督にしか興味がない。それも作品だけだ。私生活を詮索する気はぜんぜんない。

5月28日

中断していた『平家物語』を再開する。
平家琵琶ではこの長大な物語を延々語るのだと思えば、驚くほかはない。
宝塚出身の美人琵琶演奏家の語りを生で聞いたことがある。そのときはじめて、『平家物語』が口承文芸であることを実感した。
しかし『栄華物語』の綿々嫋嫋とした語りに比べると、はきはきとしていて気持ちがいい。鎌倉時代以降に作られたせいだろう。
総じて、平安時代の文芸は、第二次摂関政治以前か、院政期以後のものでないと楽しめない。その中間の期間についていえば、健全なリアリズムが欠如しているとしか思えない。

無粋なわたしには、平安女流文学は理解を絶している。

5月29日

『現代の精神分析』(小此木啓吾・編)を読み直す。
今度読み返してみると、「精神分析は科学と詩学の二股をかけている」という北山修の主張がすんなり理解できた。このことは、以前読んだときにはどうにも呑み込めなかった。
精神分析は、自然科学や内科・外科のようなサイエンスとは少しばかり違うという消息がわかってきたせいだろう。
科学の言葉で語ろうとするフロイトや精神医学者の記述を、読み替える(脱中心化)ことをしないと、部外者にはよくわからない不幸が「精神分析」にはあると思う。

5月30日

『フェンテス短編集』(岩波文庫)を読む。
メキシコの作家カルロス・フェンテスの短編集はいける。
怪奇幻想が横溢して、妖艶なエロティシジムが匂う。
この一冊で、フェンテスは愛読書となった。

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6月

6月 1日

『正法眼蔵』を読む。
まだ解説だけであるが、なんとか読み切ってみたいと思う。読んでいるのは、中央公論社の「日本の古典」である。抄録だから、なんとかいけると思う。

このところ、寝酒かわりに『鏑木清方随筆集』を布団のなかで読んでいる。こういうのを「枕頭の書」というのだろうか。

6月 2日

このごろ、やっとクセノフォンの文体に慣れてきた。
まだキュロス王が反乱を企んでいるあたりだが、すいすい読めるようになった。
もっとも、このへんには軍事行動の行程が書かれているだけなので、えらく簡単なせいでもある。
とにかく、プラトンのこみいった書き方よりは、はるかにわかりやすい。ありがたいものだ。
この調子で、ペルシア反乱軍とギリシア人傭兵の物語を読みすすもう。
蛇足だが、まだ青年将校(?)クセノフォンは登場していない。

6月 3日

ひさしぶりに『パンセ』を読み直す。
パスカルの原文で、気のむいたページをゆっくり読んでいる。こうした古典は日本語にすると、すんなり読み捨ててしまう傾向がある。さほど達者ではない外国語で読むと、内容をとっくり考えなければならないので、老化防止になってよい。
たまたま開いたところにあったのは、「あらゆることをすべて知るよりも、あることの一部分をじっくり知っているほうがすばらしい」という一節。
好奇心の虫のような人間には、耳が痛い。

6月 6日

『春昼・春昼後刻』を読む。
あまりにも雅やかな泉鏡花の幻想譚である。
ロマンというよりも、映像詩といったほうがよい。
たぶん鈴木清順のような監督なら、美意識あふれた映像にしてくれるだろう。
わたしには、この作品の真価がいまひとつわかっていない。
だが、なんとなく気にかかることは確かだ。
たぶん、それは日常的な描写のなかに怪異な異世界を潜ませる鏡花の言語世界が、消化しきれていないせいだと思う。

6月 7日

ドイツ語版聖書を購入する。
平易な会話体なので、とても読みやすい。
新約聖書の四福音書をざっと眺めて、創世記からよみはじめた。
ほいほい読めるので驚く。こんなに簡単に読めていいのだろうか。
少なくとも、フロイトの『夢判断』や論文のドイツ語で苦労していたのがウソのようだ。

英語版聖書は、国際ギデオン協会の対訳聖書で四福音書とローマ書を読んだことがある。
King James版では、創世記を読んだ。あとは、名文句を探して拾い読みする。
語学と古代中東史のために読むという読み方なので、偉そうなことはいえないが、四福音書と創世記は好きな本だ。

6月10日

『ウィーン世紀末文学選』(池内紀・編訳)を読み返す。
カフカを読むときに感じた非人間的なまでの官僚主義(Red Tape)が、じつはウィーンを首都とするオーストリア・ハンガリー二重帝国の刻印であることを改めて感じる。
書類をまわせば万事終れりという無責任な官僚主義が、皇帝から小役人にまで染みついていた。無能・怠惰・無責任が、ウィーン人士の看板である。

ひどく享楽的で、明日のことは思い煩わない。ひどい階級社会で、なんの働きもない貴族の若様でさえ、小遣い銭で子どもを生ませた貧しい愛人を養ったりすることができてしまう。それほど、階層のへだたりは大きかった。

世紀末のウィーンは、頽廃しきった文化文政の頃の江戸によく似ていると思う。

6月11日

『チャンドス卿の手紙』(ホフマンスタール)を読む。
岩波文庫版のホフマンスタール短編傑作選とでいうべき、この本はいける。
なかでも、「チャンドス卿の手紙」は秀逸。
言語と、イメージと、意識が先鋭に乖離してゆく感覚は、いまの時代ではありふれたことかもしれない。
これと同じようなことを、いぜんからぼんやり感じていたのだが、これほど鮮やかに小説として結晶化できるとは!
世紀末ウィーンの底力を感じた。

「パッソンピエール元帥の体験」も、幻想譚として秀逸。
自前の世界幻想文学短編集を編むとしたら、ぜひ入れたい逸品だ。
そのうち、このホームページでも、自前の幻想文学推薦リストをつくろうと思う。

6月12日

久しぶりに書庫=書斎の整理をする。
あまりにもツン読している本が多いので呆然とする。
じつはここに書いた本は、実際に読んだものの一部にすぎない。
本を買うスピードに読書時間がおいつかない。永遠の悩みである。

それにしても、Amazon.comで買った洋書はたちまち山をなす。
英語でも日本語なみの速読力を身につけたいと思う。
英語を読むには辞書は使わないし、ときどき英語の速読力を計測してみるとかなりのスピードである。それでも、なかなか洋書のヤマは減ってくれない。
なんとかならないものか……と思いつつ、Amazon.comに発注したりする。

6月13日

『書斎のナチュラリスト』(奥本大三郎)を読む。
『虫の宇宙誌』『虫のいどころ』と続く奥本先生のエッセイ。
爽快なノリが冴えにさえている感じ。

外国文学研究の不可能性に思いをこらし、漱石の『草枕』にでてくる硯を考証し、酔っ払って自転車を盗まれ、フランス税関の頭の硬さに怒る。
ダイザブロー節は絶好調だが、前二書に比べると、だいぶ丸くなったと思う。自己醗酵しがちなペジミズムをさらりと押さえているのは、としの功だろうか。
よくをいえば、虫の話が少ないのが惜しい。

6月15日

新聞にて、飛鳥浄御原京の噴水庭園復元のニュースを読む。
謎の酒船石も、噴水施設の一部として組み込まれいた。流水を楽しむ智慧が、あんな古代からあったとは驚くほかはない。
酒船石を大陸から渡来した薬品作りの道具と考証したのは、故松本清張氏だと記憶しているが、今度の復元は松本清張説に優るとも劣らないロマンを感じる。

ところで、遅まきながら書くと先々週のNewsWeek誌で、9400年前に死んだと考えられるアメリカ大陸最古の人骨が報じられていた。いままでの記録を塗り替える「最初のアメリカ人」は、“Spirit Caveman”と命名された。
記事を要約すると、アメリカ大陸に人類が到達するにあたっては、二つのルートがあって、いっぽうは今まで知られていたベーリング海峡経由であり、もうひとつはヨーロッパ大陸経由である。
ベーリング海峡ルートも、従来の説では陸続きの半島を徒歩で渡ったことになっていたが、新説では氷河に閉ざされたベーリング海峡を氷河の海岸にそって海上を移動したとされる。
ヨーロッパ大陸ルートも、ブリテン島とアイルランド島、アイスランド島、グリーンランド島をとりまく海を完全に押し包んだ大氷河に沿って海岸線を西へ向かった。
彼らはアザラシの皮と肉、海鳥の羽根と肉を求めて移動したらしい。

これまで、アメリカ・インディアン起源論は、ぺーリング海峡ルート一元論だったが、この発見で少なくともベーリング海峡・大西洋二元論になったわけだ。
ただし、今回発見された最古のアメリカ人は遺伝学的には現代のアメリカ・インディアンとは異なるエスニック・グループに属していると云う。
なにはともあれ、古代の姿がだんだんわかってくるのは楽しみなことではある。

6月16日

昨日の続きで、ちょっと「えんじん」の話など。えんじんといっても、自動車ではなく「猿に近い人類」、わたしたちのご先祖のことである。

このあいだエティオピアで「ガルヒ猿人」がみつかった。「ガルヒ」とは、現地語で「驚き」を意味するとか。
新聞の切り抜きを久しぶりにしようと思って、読売新聞を眺めていると科学特集記事が載っていた。最近の先史人類学の業績が要領よく整理されている。
わたしなどが受験勉強で覚えた最古の人類は、今から170万年前に現われた猿人アウストラロピテクスだった。ところが、今では440万年前のラミダス猿人が最古とされる。
一気に270万年も溯ったわけだ。
しかも、170万年前には、猿人よりも原生人類に近い原人が出現していたとされる。
昨今の遺伝子学の成果によって、旧人といわれるネアンデルタール人とわたしたち原生人類ホモサピエンスとは、系統が別だと結論された。
興味がなければ、こんな話はただのデータの羅列にしか思えないだろうが、人間の来し方行末を考える面白い材料だ。
人はどこから来て、どこへゆくのか。
滅び去った古生人類の頭蓋骨を眺めて考えてみるのも悪くない。
ミイラや、古生人類に対面したくなったら、上野の科学博物館がお勧めである。

6月18日

古書店で旧版の岩波文庫『ドイツ文学案内』を買う。著者は、『ツァラトゥストラ』の名訳者手塚富雄氏である。
いまでは、統一後のドイツまでカバーした新版があるのだが、「古いものが好き」というあまり根拠のない理由で購入した。
予想に反して、この本は手塚氏の思い入れが、じつに読ませてくれる名著であった!
ドイツ文学者は、仏文学や英文学にくらべて自虐的なスネ者が多いような偏見がある。たしか大学時代にドイツ語の授業で読まされた本の題名は、『何よりダメなドイツ』というものだったと記憶している。
しかし、手塚氏の本にはそういうところはなく、ひたすら不器用にガンバッているドイツ作家を応援している姿勢がこころよい。

それにしても、ドイツという国は銭と戦争にしか興味がない現実主義者と、頭のなかのアチラの世界へぶっ飛んでいる理想主義者が極端にわかれている。
極端な外向型と内向型が入り交じって、どうにもならない。ドイツの文化人、芸術家がひたすらガンバルのは、この国の根底にある分裂症気味の世界観のせいだ。
この軋轢があんまりつらいので、この国では作家がやたらと自殺した。自殺までいかないにしても、悲惨な死に方をする作家がこれほど多い国も珍しいのではないか。

だが、手塚氏はそうしたプロメテウス的な営為を続けるドイツ文学を、「人類の宝だ」といいきる。
(結果だけみて、悪く言ってはいけない。プロセスが大事だ)
なるほどドイツ文学には、大人になりきれない少年がひたすら不器用に生きているイメージがある。この国の人は、どうやらそうしたガキの部分を大量にかかえている気配がある。
音楽にうといわたしですら、ビートルズがハンブルクで下積み生活を送り、テクノ・ポップやヘビメタの最大の生産国がこの国であることを知っている。
ひどく乱暴にいってしまえば、ドイツ文学は思春期境界例の見本市だ。余談だが、世界ではじめて「見本市(メッセ)」を造ったのも、この国だ。
ドイツ語文化圏から、ニーチェ、シュニッツラー、フロイト、カフカ、ユングという錚々たる心理学者が誕生したのも決して偶然ではない。

6月19日

古書店でシュテファン・ツヴァイクの『昨日の世界』を購入。
上下二冊の大部の本である。
ナチス・ドイツがオーストリアを合併したとき、故国を亡命したツヴァイクが旧きよき時代を回顧した大作だ。しばらく、オーストリア・ハンガリー帝国の世界にどっぷりひたろうと思う。

6月20日

黄昏のオーストリア・ハンガリー二重帝国の世界に浸るつもりが、すこし重過ぎてくたびれてしまった。
なにげなく手にとった『里見”トン”(←変換できないのでカタカナにする)随筆集』につい読みふけってしまった。
脂っこい料理のあとの、ソーメンみたいにつるつる読めてしまうのが嬉しい。
それにしても、里見がこれほど面白いとは思わなかった。この人も、志賀直哉のお友達だけあって、勝手気ままでワガママな人である。
白樺派の舞台裏がのぞけるかと思って買った随筆集だが、意外な収穫だった。
そうじて、わたしはワガママ爺さんの随筆にひどく弱いことを改めて発見した。

明日は気をとりなおして、ツヴァイクに戻ることにする。

6月23日

シュテファン・ツヴァイクの『昨日の世界』(T)を読了。
過ぎ去った時代を知ることは、すぐれた作家の筆を通してだけ可能な作業だ。
このところ、年表を作ったり、歴史書を読んで、世紀末のウィーンを調べていたが、この書物のおかげで断片的な事実が有機的な生体として蘇った。
これでフロイトの生きた時代が、血肉の通ったものとして理解できるようになった。

「安定と停滞」――世紀末ウィーンを一言で表現するとしたら、こうなる。
安定とひきかえに、すべての「若さ」に不信の目をむけた時代。今では考えられないが、若いということは、この時代では美徳ではなく「恥辱」だった。
上層階級の若い娘は徹底的に性的知識から排除され、同じ階級の若者には「買春」がそれとなく勧められる。
この時代では、未婚者には恋愛の自由はなかった。恋愛は既婚者か、地位と財産のある中年男に許された特権であった。
とにかくおかしな世界である。だが、紛れもなく、それが現実の近代ヨーロッパだった。

第一次世界大戦は、そうした近代ヨーロッパの終焉だった。ブルジョワジーの台頭とともに誕生した世界市民という理念が、ただの幻想にすぎないことが暴露された。
理念を失ったヨーロッパが、民族主義という非文明時代の野蛮に退行したとしても不思議はない。ナチス・ドイツの蛮行は必然だったことがよくわかる。

そうした時代をツヴァイクは懐かしさをもって描き出す。
なぜなら、問題は多かったとはいえ、この幸福な時代には、人間が恐るべき野獣であることをまだ誰も知らなかったからだ。
「言葉」に誠実が、「人間」に尊厳が必ず結びつかねばならないと、(少しばかりの偽善はあったにせよ)無邪気に信じられた時代――第一次世界大戦はそうした時代の終焉だった。
ツヴァイクは、悲しみをこめて、そうした世界を「昨日の世界」と呼んだ。

6月25日

ツヴァイクの『昨日の世界』(U)を読了。
大戦間の混乱した時代から、ナチスがドイツで政権を奪取して、ツヴァイクの祖国オーストリアを併合するまでが語られる。
ツヴァイクは、混乱の時代を生きて、絶望のはてに亡命先のブラジルで自殺をとげる。それは東部戦線でソ連軍が反撃に転じる9ヶ月前だった。
その翌年(1943年)、1月末には東部戦線のドイツ軍は降伏。5月にはアフリカ軍団降伏。夏には連合軍がシチリア経由でイタリアへ上陸する。

だが、ツヴァイクにしてみれば、決して早まった自殺ではなかった。
優れた知性の持ち主であるかれには、ナチス・ドイツ敗北後の冷戦構造が生み出す悲劇も予感されていたに違いない。
かつてツヴァイクは、透徹した知性の人「エラスムス」を歴史小説で描いた。エラスムスは、時代の悲劇を予感するものの、自らは何もなしえない悲哀の人である。ツヴァイクは、この作品を衣装をつけた自伝と呼んだ。エラスムスの悲哀は、ツヴァイクのものでもある。

当時、ツヴァイクは六十歳だった。ナチス後の世界に対して、人道主義者として異議を申立てる苦しい戦いをしなければならないことを、かれは悟っていた。自国語での発表が困難な異境の地で、まったくのゼロから再出発を余儀なくされていることも。
それは第一次大戦後、かれがおこなった苦しい孤独な戦いの再現だった。良心にしたがってペンをとって戦い抜いたその結果は――祖国を失い、異国での亡命生活に終った。
もういちど闘士となるには、ツヴァイクはすでに疲れきっていた。

6月26日

おもいついて『ファウスト』(第一部・第二部)を読む。
少なからず、ドイツにはまっているのを感じる。ケッタイな話である。
これは、新潮文庫で訳者は高橋義孝氏。この翻訳は平明で少しものたりない。
中学生のとき、家の本棚ですごく古い翻訳をみつけて読んだのは、誰の翻訳だったろうか。
すごく時代がかっていて、おどろおどろしくて、とっても良かった。
自宅の本は引越しして紛失したようだ。いつか図書館か古本屋で同じ本を見つけ出そうと思う。

6月27日

のんびりとドイツ語版旧約聖書を読む。
読んだのは『創世記』と『出エジプト記』。エピソードごとに、説明的なタイトルがついているので、読みやすい。
わたしはけっしてキリスト教信者ではないのだが、旧約聖書というのは人間観察の宝庫であるがゆえに愛読している。この面白さは、司馬遷の『史記列伝』と同じだ。人間の原初的な欲望がむき出しであるだけに、聖書のほうがもっと面白い。
飽きたので、次に King James版の英語聖書を読む。こちらは、映画タイトルや諺の宝庫である。ひたすら頁を繰りながら、目を皿のようにして、こうしたものを探す。非生産的な暇人の最たるものだが、これがわたしの本の読み方だ。

6月28日

Barnes & Nobleに注文した”The Diary of Sigmund Freud 1929-1939”が届く。
フロイト晩年の日記である。英訳ではあるけれども、手書き日記のファクシミリ版あり、翻刻されたドイツ語原文ありのすぐれものだ。
かなり大きな本だから、読みではたっぷりとある。ありがたいことだ。
しかも、写真が充実しているので、眺めるだけでも楽しい。それにしても、フロイト一家の人々の写真を、いろんな本でたくさん見たので、どうも他人とは思えなくなってきた。だが、この本をみると、フロイトの孫まではカバーしていないことに遅まきながら気づいた。しょせん、こんなことは無理だろうが……。
ゲーテのように、孫娘の段階で家が絶えていると、こういう余計なことは考えなくてすむ。

6月29日

なんだか徹底的にくたびれたので、ビデオを見る。
ハリウッド版の『Godzila』である。

おバカ映画を期待したのだが、意外にも、とても楽しめた。
日本のゴジラのような神話性こそないが、ハリウッド版 Godzila はモンスターとしてなかなかのすぐれものだと思う。ミサイルで「銃殺」されたような死に様もみごとだった。

これほどの映画をB級映画の傑作と誉めちぎらないのは罪悪だと思う。今後、日本およびアメリカの映画評はいっさい信用しないことにした。
……もしかしたら、わたしはB級映画が死ぬほど好きなのかもしれない。

6月30日

『山伏春秋記』(藤沢周平)を読む。
藤沢さんの本にしては軽めかなと思って、読んでいなかったが、人情味豊かでとってもよかった。
山伏やサンカといった異界の住人と里人との交流を、きめこまかく描き出す手腕は絶品だ。藤沢さんの懐の深さに、思わずため息がでる。ふーぅッ。

このごろの時代小説は、池波正太郎さんや藤沢さんが道を開いてくれたおかげで、いろいろ楽しみな人が出てきた。
藤沢さんと池波さんは日本小説界の大恩人である。

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