お気楽読書日記:9月

作成 工藤龍大


9月

9月18日

土曜日に京都へ行ってきました。
翌日所用があったけれど、その日は洛北観光を愉しみました。

まわったのは蓮池で有名な法金剛院、妙心寺、仁和寺、大徳寺、今宮神社。
翌日は上賀茂神社へ行きました。

今回は臨済宗のお寺をまわるので、『臨済録』(岩波文庫)を新幹線で読んでみました。
禅宗というのは、不思議な宗教です。
神も仏もいらない――というのですから。
いまここになる「自分」が、悟った人(真人)であり、同時にそうではない。

何をいっているか、わかります?
なんとなくわかるような気がしますが、たぶん禅問答になれば老師から一喝されるか、警策で殴られるのが落ちでしょう。

臨済とその師黄檗や、かれらの法孫仰山和尚と徳山和尚の問答を読んでいると、やたらに殴り合っています。
警策で殴られたり、鉄拳でどつきあうことは、かれらの問答では全面的な否定ではないようです。
つまり、答えがOKでも殴る、どつく。NOであれば、これまたどつく。
一回の正解(これを印可とよぶ)が次回通用するかというと、もちろんそんなわけもなく、印可をあたえた老師も弟子にどつかれ、弟子はすかさず老師に打擲される。

言語と行為の徹底的な相対化作業を延々とつづける――よくもまあと感心してしまいます。
末流の禅僧は、禅問答を形式化していると骨のある老師はいつの時代でも嘆くのですが、無理もありません。

こんなパフォーマンスを飽きもせずやれるのは、ある意味天才だけだからです。
ビートたけしクラスのセンスがないと無理です。

さて自分の観光に話をもどすと、妙心寺と大徳寺では塔頭をめぐり、抹茶を飲んだり、庭を見たり・・・

七箇所も庭ばかりみていると、さすがに飽きますね。
つきあったうちの奥さんは呆然として無言をつらぬいておりました。
わたしもいうべき言葉がありません。
不立文字。心身脱落。
無念無想の境地でした。

大徳寺の塔頭、大仙院を最後に禅寺めぐりをおえると、今宮神社門前で名物あぶり餅をたべながら、憮然と顔を見合わせていました。

まあ、そんなことはどうでもよろしい。

ところで今回の観光の目的は、これまで書いてきたことと無関係ではありますが、真言宗御室派総本山、仁和寺でした!

宇多天皇が開山の仁和寺は、門跡寺院の嚆矢でもあります。
このお方は菅原道真を大抜擢したものの、藤原氏との政争に嫌気がさして、さっさと譲位して法皇になってしまった。息子の醍醐天皇と馬が合わなかった道真がその後どのような運命をたどったとかはご承知のとおり。

泣きついた道真を結局、見殺しにされた方です。
「貴人に情なし」という俚諺を体現した見本でもあります。

(長くなったので、続きは次回に)

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