雨だが、散歩してきた。 本日は体重が70.0キログラム。 快挙だ。 昨日は酒を飲んだのに、この数字は嬉しい!! ところで、先週の続きだが、『ネパール仏教』(田中公明/吉崎一美)と『新約聖書はなぜギリシア語で書かれたのか』(加藤隆)について書こうと思う。 「新約聖書はなぜギリシア語で書かれたのか?」 当時のエルサレムを含む東部地中海世界では国際語といえばギリシア語。 だから、なんの不思議もない。 −−というほど、ことは簡単ではなかった。 なぜナザレのイエスが読み書きはもちろん話すこともできなかったギリシア語で新約聖書は書かれなければならなかったのか? イエスが使っていた言葉はセム語系言語である「アラム語」だ。 ヘブライ語にかなり似ている。ただし、当時ヘブライ語は庶民にはほとんど使われていないユダヤ知識人(それも神殿関係者のみ)の言葉だった。お経の漢文といえば話がはやい。 ペテロもギリシア語は話せなかった。 では、誰が使えたのか。 そう新約聖書のほとんどの書簡を書いたパウロである。 新約聖書は福音書ではなく、パウロの書簡集としてまとめられた。 だったらギリシア語で書かれていいんじゃないか。 まったくその通りだが、著者はパウロのようなギリシア語使用者グループとアラム語を使うエルサレムローカルグループの対立があったとみる。 ペテロやその他の使徒たちが属する土着アラム語グループと、非ユダヤ人への布教をねらうギリシア語グループは、原始キリスト教時代だけでなく、初期キリスト教時代までいろいろ暗闘していたらしい。 勝利したのはギリシア語グループで、世界宗教としてのキリスト教への道を開いたわけだが、その過程でずいぶんヨーロッパの要素をとりいれ、非常に教義がわかりにくくなったのはいなめない。 中東ではその弱点をつかれて結局、ユダヤ教の改革宗教ともいえるイスラム教に支配権を奪われるのだが、それはこの場合余談というべきだろう。 著者が指摘するアラム語グループの敗因がおもしろい。 このグループは使徒たち直接イエスと交渉があった人々のカリスマ性でまとまっていた。 哀しいことに人は死ぬ。 属人的なカリスマ性が集団の骨格になっていたアラム語グループは皮肉なことにイエスを直接知る人々が死ぬにつれて勢力をうしなっていった。 ギリシア語資料による福音書は、イエスの行状をその目と耳でみた人々が世を去ったあとにまとめられた。 人の記憶から、言葉に置き換えられたとき、イエスは世界宗教の主になった。 そう指摘されると、最後にできたヨハネ福音書の言葉は意味深だ。 「はじめに言葉があった。〜すべてのものはこれによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」 『ネパール仏教』については、また後日あらためて書こうと思う。 ただ一つ、ネパール仏教について驚いたことがある。 なんとネパール仏教ではカースト制度を認めている! これは古代から現代にいたるまで、およそ「仏教」というものに興味がある人間には驚愕の事実だ! 光源氏が男色家だったと聞いても、これほど驚かないかもしれない。 たとえはヘンだけれど。 驚愕の仏教については、機会をあらためて書くつもりだ。 追記: 仮面ライダー響鬼の元気娘「立花日菜佳」を演じた神戸みゆきさんが6月18日に心不全で亡くなった。 お姉役の蒲生麻由さんの方は再放送だが「ウルトラギャラクシー」ケイト役で姿を見ていたのだが(「神楽坂署生活安全課」で館ひろしと共演もした)、みゆきちゃんの方はTVではみなくなっていたことに改めて気づいた。 ルックス以上に、演じるキャラクターの心映えが可愛ゆいので、特撮オタゴコロを「ジンジンさせる」(@襟立健吾)子だったので、残念。 特撮オタ必愛女優エンクミ(特撮オタ用語?)の後継者はこの子かと期待していたのに。(涙) ライダー出演女優に妙なジンクスが出ないことを祈りたい。 今日どこかでみた女の子だと思っていた「キバ」鈴木深央役の女の子が−− 芳賀優里亜ちゃんであることが判明。 さすがに女っぽくなった。 もう21歳だもんな、やはり。 先週までは髪で顔が隠れていたのでわからなかった。 秋山莉奈ちゃんみたいに元気で活躍してほしいなあ。 |
先月は法事で帰省して、家を留守にした。 故郷には十日間いた。 その後は、はた迷惑なスケジュールで人道的にどうかと思うぐらい働いた。 ずっとページの更新ができなかったのは、そんなわけだ。 ウィークデイの帰りは日付が変わってから−−なんで、こんなに働くのかよくわからない。一種の病気ではあるまいか。 電車の読書は目を休めるためにやめている。 デジタルオーディオでクラシックを聞くだけ。 それ以上はさすがに神経にこたえる。 今日はひさしぶりに本が読めた。 『ケストナー ナチスに抵抗し続けた作家』(クラウス・コードン著、那須田淳/大木栄訳) 『わたしが子どもだったころ』(E・ケストナー著、高橋健二訳) 『大人の教養としてのBAR入門』(森下賢一) 『ネパール仏教』(田中公明/吉崎一美) 『新約聖書はなぜギリシア語で書かれたのか』(加藤隆) 『釈迦と十大弟子』(西村公朝) どうもドイツ語圏の作家が、われながら好きだ−−それも第二次大戦前生まれの作家が。 ケストナーは、その一人。 定評ある児童文学の大家というより、創元推理文庫から出ていた『雪の中の三人男』『消え失せた細密画』『一杯の珈琲から』といったユーモア小説の書き手というイメージがつよい。 世間では逆だろうが。 コードンの評伝は、ケストナーがいかにして作家となり、ナチスの「手鎖」刑のもとで三冊のユーモア小説を書いたかを教えてくれた。 モラリストでお堅い人だと思っていたケストナーが、筆とはかけはなれて「人間くさい」というか、酒と女にだらしのない男だとわかって、ますます気に入った。 「人生処方詩集」の人が、破綻のないきまじめな人物だったら、あのユーモア小説は生まれなかったに違いない。 それにしても、ケストナーが超マザコンで、しかもその理由が不倫の子という出生の秘密にあったとは−− このことを知るためだけにも、コードンの本は読む価値があった。 五十歳を過ぎてから、二十代の若い愛人に子どもを生ませたというのも驚きだ−−道徳的(!)な意味ではなく、生物的いや、ぶっちゃけ精力的な意味において。 なんだかすごく元気な人だったようだ。 ただ愛人にせがまれても、長年の同棲相手を捨てないのはえらかった。 ナチスの執筆禁止令のせいで食えなかったケストナーの生活を支えてくれたのは、彼女だった。 戦後はぶりがよくなってついでに子どもまで作ったからといって、そんな彼女を捨てるのはどうかと思うが、添い遂げてくれたのは愛読者としては嬉しい。 でも、なぜ結婚しなかったのだろう。 やっぱり、この作家はちょっと変わっている。 コードンの本を読む前に十六歳までの自伝「わたしが子どもだったころ」を読んでいたが、評伝を読んだあとで読み返した。 予想にたがわず事情を知っていると、二倍楽しめた。いろんな意味で。 他の本については、いつか書くことにしよう。 来週も非人道的なスケジュールが待っている。 |
© 工藤龍大