「発掘された日本列島2008」展にゆく。 31日までなので、大雨のなか出かけていった。 今回は、江戸博物館の企画展示室でこぶりな印象だった。 去年は高松塚古墳の解体修理のほかに目立った発見がなかったせいかもしれない。 なんとなく元気がないように感じた。 展示品もごく少なかったようだ。 毎年開催された考古学のイベントだが、ここ数年見ていない。 買いそびれた数年分の資料を買う。 昨年、一昨年あたりのほうがおもしろかったようだ。 会場が江戸博物館の常設展示場の内部だったので意外に人は入っていた。 土偶や埴輪から、人物の衣装を復元したり、展示にも工夫がこらしてある。 石見銀山や高松塚古墳解体の関係展示が多いかと期待したが、それほどでもない。 奥州平泉が世界遺産に洩れたこととは関わりがないだろうが、しょんぼりした感じだ。 往復の電車で『指揮官たちの特攻』(城山三郎)を読む。 人が自分の生命を無造作に投げ出す「特攻」が、アメリカ人に衝撃と恐怖を与え、畏怖したかれらが戦後日本の復興に積極的に介入して、日本の高度成長が可能になったというストーリーは、高度成長期によく言われた。 「特攻」の実体は、参謀本部や司令官たちの無計画さと戦略眼のなさに尽きる。 人の生命というより、人間というものの価値を軽んじた官僚主義の無能と非常さ。 それだけだ。 そんなもののために、若い生命を使い捨てにした参謀本部や司令官たちの性根が憎い。 当時の高級将校たちと比べて同年齢または年長になったいまでは、彼らを擁護する気にはなれない。 保身とないまぜになった彼らの決断は、経営者・管理者として失格だ。 戦時という緊急事態でもまわりの「空気」を読んで、責任だけを部下に押しつける無責任体質は、日本人エリートの遺伝病である。 先々週に読んだ『日本の敗因―歴史は勝つために学ぶ』(小室 直樹)を思い出して、いよいよその感を強くした。 同じようなことは山本七平の『空気の研究』でも感じた。 ところで、「発掘された日本列島」展で『武蔵野の遺跡を歩く 郊外編』(勅使河原 彰、勅使河原 保江)を買った。 近所の黒目川遺跡や電車でいける八国山あたりの遺跡について書いてあるので惹かれた。 中学の先生で考古学も研究されている勅使河原彰さんが奥さんと実際に歩いて書いた遺跡ガイドだ。 この本には、縄文時代の集落について、集落の住民は勝手な行動は許されず、採取は共同で行い、獲物や木の実は平等に分配されたとある。 自然が豊かとはいえ、自然採取経済では食料の十分な確保は難しかったかららしい。 縄文関係の別の書籍では、縄文人の世界観では「環」が重要だったとある。 集落内の家屋も必ず「環状」に配置され、装飾品でも「環」が重要なデザイン・モチーフになっている。 これは「和」の思想の源流ではないだろうか。 そして、「和」という考えには「空気」を読む技能が必要不可欠。 「空気」を読むことは、縄文以来の日本の伝統といえるかもしれない。 もし、そうだとしたら、責任ある決断をしなければならない国際化された現代日本において、わたしたちに希望はあるのだろうか? 考古学のパラダイスから、いきなり不安な現実に引き戻された! 追記: 現在、体重は71.4キロまで戻った。 あと少しで、70.0キロ台に復帰できる。 ビールも酒も今日は飲まないぞ! アルコール絶ちが減量法としてはいちばん効果があるのは、身をもって体験済み。 むほほほっとがんばるぞ! |
なんとか体重は70.0キロ台でとどまっている。 69キロ台は瞬間風速としては、まれに計測されるのだが、とどまるのは難しい。 ただアルコールを控えれば、なんとかいけそうな気配だ。 辛抱のしどころ−−というところか。 ところで仕事からみで光学に関する本を読んだ。 『図解レンズがわかる本』(永田信一) 『よくわかる最新レンズの基本と仕組み』(桑嶋 幹) 理科系ではないので、数式が出てくるとたちまちアレルギーが。。。。。。 ただ両方ともわかりやすい記述なので、発疹に苦しむようなことはない。 いろいろ翻訳案件があり、仕事抜きの本を読む時間がとれなかった。 下手の横好きのタイ語とインドネシア語は続けている。 ついでに中国語も勉強しているが、聴き取りは難しい。 いっそ一方的に話すのと、作文・読書に注力すべきではないかと思う。 受け身は難しい。 攻撃こそ最大の防御! ほとんど居直りだが。。。。。。(笑) ところで昨日、今日と久しぶりに自転車で運動した。 さびついている愛機のサビ取りをする。 放っておいたせいで、すっかり錆びていた。 すまん、すまんとわびながら(ウソ!)、自転車を磨いた。 |
© 工藤龍大