お気楽読書日記:5月

作成 工藤龍大


5月

5月31日

今月、『昭和新修法然上人全集』(石井教道編:平楽寺書店)を買った。
目当ては、「醍醐本一期物語」と「西方指南抄」。
前者は、法然の高弟勢観坊源智の弟子宿蓮坊がまとめた法然の伝記。
後者は親鸞がまとめた法然関連の文献集。

「一期物語」は法然のもっとも古い伝記。
この文書が興味深いのが、法然が比叡山へ登った年齢を十五歳としているところだ。
通常は上山の年齢は、数えで十三歳とされている。
法然は十八歳で当時の僧侶がたどるキャリア エスカレーターを降りて、僧侶の出世コースとは無縁になる。こちらは「一期物語」でも同じ。
ただ、法然の生涯の重要なポイントとして、その年齢までに天台法華宗をマスターしていることになっている。
具体的には、初学としての「四教義」と天台宗の主要論集「摩訶止観」「法華文句」「法華玄義」(天台大師智著)と「法華玄義釈籖」「法華文句記」「摩訶止観輔行伝弘決」(湛然)合わせて六十巻を読みかつ理解して、人に教えられるレベルに達していなければならない。
実際に漢文だけで、この六十巻を眺めてみたことがある。
呆然とするほかない漢字の海だった。
岩波文庫に入っている「摩訶止観」さえもてあますほど。
「法華玄義」は便利な漢文読み下し文があるけれど、それを読むだけでも厳しい。現代人ならかなり仏教用語になれていなければ理解することは不可能だ。

ちなみに、当時の読書には黙読の習慣はない。
漢文訳された全ての仏典(大蔵経)を生涯五度にわたって読破した法然さんは、音読したのである。
少なくとも二度は大蔵経を読破したであろう弟子の親鸞もそう。
さぞ顎がつかれたことだろう。
(これは冗談。)

とにかく十六歳から17歳半くらいまでのあいだに、これだけの猛勉強を法然はした。

一年前に比叡山に登ったばかりで、それだけの集中的な勉強ができるものだろうか。

他の伝記では、法然の父漆間時国が夜討ちをかけられ死んだのが、法然九歳のとき。それから十三歳まで岡山県の「菩提寺」という寺で勧覚(母方の叔父)という僧のもとで修行したことになっている。
叔父勧覚がつてをたよって、比叡山に法然を送ったのが、十三歳。
それから二年ほど髪をそらずに、喝食(かっしき)という童形ですごす。

このあと剃髪して僧となり、猛勉強するというなら、(異常なまでに知能が発達していることを除けば)すんなり理解できる。

また「醍醐本一期物語」のもう一つのポイントは、法然の父漆間時国の死が上山のあととしたこと。
この説は当時の武家の慣習からみてまずありえない。

大事な跡取り(法然は一人っ子だった!)を出家させたら、家が絶えてしまう。それは会社をつぶす以上に、当時では重大な事態だ。
地方の領主として必死の生存競争を続けている漆間家がみすみす家をつぶすようなことをしたとは考えられない。

そもそも父の殺害という大ショックを受けた直後に、すさまじい知的消耗を要する仏教書の猛勉強ができるだろうか。
法然ほどの知能の持ち主なら不可能とはいわないが、いくら天才であっても父の死というトラウマを乗り越える時間は必要ではないか?

梅原猛の『法然十五歳の闇』は、「一期物語」を核とする醍醐本「法然上人伝記」の説をふまえて、独特の法然伝を書いたものだが、実際に「一期物語」を読んでみて、やはりいつものファンタジーだと分かった。

ところで、なぜ、法然の生涯にこだわるかといえば、三十代の終わりから現在まで法然について、資料を調べ原典を読んできた。
この人が日本史では例をみない大革命家だとだんだん分かってゆくにつれ、いよいよ懐かしさがましている。
だから、あまりにも他の資料や原典から読み解いた姿からかけはなれた梅原「法然伝」が気になって仕方なかった。

それで一万七千円なりの全集を買って確認した。

もやもやしていたものが解決した。
未読の伝記をしっかり読んだので、梅原説に対する自分の立場がはっきりできた。

醍醐本「法然上人伝記」がこの全集に入っていると分かったのは、ごく最近だ。
いろいろ調べたつもりだったが、全集に入っているとは気づかなかった。

ネットで別の資料をしらべているうちに偶然見つけた。
素人が研究のまねごとをしているのだから、手間がかかるのは仕方ない。
とにかく見つかったことを喜んで、買うことにした。

ところがネット書店では不思議なことに在庫が見つからなかった。
用事のついでに立ち寄った京都で、新京極にある仏教書専門店にあるのを見つけて購入した。

Amazonを使うようになってから、本を買うのでこんなに苦労したのは久しぶりだ。

そんなわけで、五月の読書はこの全集がメインだった。
白文や読み下し漢文に久しぶりに没入できて嬉しかった。

春秋社版法然全集(大橋俊雄編訳)と日本思想大系「法然・一編」は読了済みだったが、これに含まれていない原典を読めたことは自分の人生にとって大きかったと思う。

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