次ぎに、『密謀』(藤沢周平)について書く。
大河ドラマ「天地人」のからみで、藤沢周平版関ヶ原を読みたくなった。 『密謀』は上杉家の視点から、関ヶ原を書いたものだが、歴史読み物としては特にどうということはない。 別に新しい視点が提供されているわけではないし、独自の解釈、人物評があるわけでもない。 ただ、みょうに心に残った。 作品の終わりにある上杉景勝と直江兼続のやりとりだ。 「おれをみろ、与六」 と景勝は言った。 「わしのつらを見ろ、これが天下人のつらか」 兼続は撃たれたように景勝を見た。 (中略) 天下人の座に座るには、自身欲望に首までつかって恥じず、ひとの心に棲む欲望を自在に操ることに長けている家康のような人物こそふさわしい。 景勝が新しい天下人があらわれたと言ったのは正しいのだ。 ――義はついに、不義に勝てぬか。 そのことだけが無念だった。 (中略) 石田も上杉も、家康の機略にではなく、(中略)、欲に狂奔するひとの心に破れるのである。ひとの心をつかんだがゆえに、家康は天下人となるらしい。 (中略) 兼続はしりぞいて畳に手をついた。 「・・・・・・(中略)殿が天下をのぞまぬと申されるのも道理。天下人とは、所詮人の血と欲の上にあぐらをかいて平然たる者の謂にござりますれば、いかにも上杉の家風には合わぬやも知れませぬ。・・・・・・」 この主従の会話は、藤沢周平という小説家のコアだ。 藤沢さんは醒めている。 天下国家を語る野心も、権力闘争に淫する文学(いわゆるほとんどの歴史小説)にも興味がない。 「戦場往来に臆したことはないが、腹黒の政治はすかぬ」という武人・景勝に、生活人としての誠実さを感じとり、自分はそちらに立つと宣言している。 生活人とは生活に没頭するだけの人間ではなく、もっと神聖な志を心の奥底に抱いている志ある人。それがどのような「人間」であるかは、藤沢作品の読書ならだれでも知っている。 作家の核となる信念を知る。 それが作品と出会い、作者と出会う秘密だ。 このくだりを読むだけでも、『密謀』という作品はわたしにとって大切な小説となった。 下記は、購読済みで目下読書中の本。 どれもかなり面白そうだ。 そのうち紹介できると思います。 『家康の手紙』(桑田忠親) 『プリンキピアを読む』(和田純夫) 『獄中記』(佐藤優) 『国家の罠』(佐藤優) 『自壊する帝国』(佐藤優) 『アガサ・クリスティー自伝』 『読書家の新技術』(呉 智英) 『読書術』(エミール・ファゲ) |
夏休み中に読んだ本は下記のとおり。 『密謀 上下』(藤沢周平) 『小説修行』(小島信夫/保坂和志) 『 2週間で小説を書く!』(清水 良典) 商売ということにはなっていないが、「小説とは何か」というテーマは、わたしにとって重い。 いろいろな著者の本を読んだが、今まででいちばん納得出来たのは、保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門 』という本だった。 書評では、「この本を読んでも絶対に小説は書けない」というものが多いけれど、たしかにそういった意味では、この本は入門書とはいえない。 ただ、すんなり新人賞をとってしまう才能の持ち主とか、書くには書いているがさっぱり評価されない人(わたしです)には、とても価値のある本だ。 プロ作家が小説を書く技法について書いた本は多い。 ただし、これはほんとうに役に立たない。 この種の本の指導にしたがっていると、自分が何を書きたいのかだんだん分からなくなってくるからだ。 すでに長編を書いたことがあるアマチュア作家ほど迷いが深くなる(繰り返しますが、わたしのことです)。 罪作りなものだ。 書き始めのころは人を楽しませようと、いろいろ工夫するものだが、このころに小説技法の本を読む。すると、それなりの体裁の小説が書ける。 ところが、こういう作品はまず一次選考さえ通らない。 なぜか、既製品にあまりにも似ていて、つまらないからだ。 さらにいえば、書いている本人でさえ、自分がどこにもいなくなったような気がして、自分の作品に愛想をつかしてしまう(これも体験談)。 保坂和志のありがたいところは、迷いに迷った未熟な書き手を、もう一度ワープロに立ち向かった原点に立ち返らせてくれること。 出発点に仕切り直しできたおかげで、未だに発表のあてもないチャレンジを続けていられる(繰り返しますが・・・・・・)。 『 2週間で小説を書く!』は、某私立大学で創作コースを教える文芸評論家の本。 ひょっとしたら、この本を読んで小説を書ける人はいるかもしれない。 だが、そんな人はこの本を読まなくても小説は書けただろう。 この本を読んで小説を書いたとしても、よほどの才能の持ち主でない限り、創作を続ける気になるかどうかは疑わしい。 これに比べると、『小説修行』(小島信夫/保坂和志)には小説を書き続けようと決意している人間にとって、いちばん大切なことが書いてある。 それは、「小説を考えるあたまの働き」だ。 じつは「小説を小説たらしめるもの」は、作者が小説をどう考えているかということであり、言い換えれば、作者が世界をどうみて、世界とどのようにつきあっているかということを、どうやって言葉にするかということだ。 とっても簡単に思えるそのことを、ただの概念でなく、具象化させることは至難の業で、そのことに成功しない限り、小説が自分以外の他者に読まれることはない。 だったら、小説家ならだれしもそのことをわきまえていて、人に説明できるかというと、さにあらず。 優秀な作家でも、そのことを語ることができずに、日常言語のレベルにおちてしまう。 本来、そのような言説はメタ言語レベルの思考であって、日常語におとすのが難しいのである。 小島信夫と保坂和志の往復書簡の形式で構成されている『小説修行』は、メタ言語レベルの発想法を具体的にみせてくれている。 非常に刺激的な創作論だ。 小説を書くために大切なことはすべて書いてあるという保坂和志の自負は、当然だろう。 扱っている話が枠組み(フレームワーク)に関するものなので、書いていて内容を正確に伝えられたかどうか、はなはだ心許ない。 いちばん大事なことは、すっきり整理して語ることはできないものだ。 そのことを承知して書いておく次第です。 『密謀』(藤沢周平)については、別に書くことにする。 |
江戸東京博物館で開かれている「発掘された日本列島2009」に行った。 いつものように展示ガイドを買う。 『発掘された日本列島2009』(文化庁) 『発掘された日本列島2009』(ジャパン通信情報センター) 今年も去年と同じ陳列方法だ。 数年前と比べると展示方法がだんだん洗練されてきたようだ。 新しい発見が少ない寂しい年ではあるが、歴史愛好者の定点観測として、このイベントははずせない。 今年の隠れテーマは中世の「城館」だ。 「城」というと、安土城、大阪城、江戸城みたいな天守閣つきの近世城塞をイメージするが、この種の城は戦国時代末期から江戸時代に造られたもの。 復元されたり、現状残っている名城のほとんどは、見栄えを考慮して天守閣付きだ。 ところが、戦国時代真っ盛りの頃には天守閣はないのが普通だった。 関東で敗者となったため破棄された石神井城(遺構は石神井公園にある)、練馬城(遺構はなんと豊島園!)、八王子城はこのタイプ。 「中世の城館には必ずある装飾品は何だ?」 こんなクイズが出たら、どうします。 ご心配なく。 今回の展示で教わった。 なんだか、長屋の八つぁん、熊さんみたいだな。 江戸博物館の土曜寄席で三遊亭鳳笑の落語を聞いたせいかもしれない。 横町のご隠居に、「鶴がなぜ鶴と呼ばれるようになったか」を教えてもらった八つぁんの話だった。 「鶴が『つーっ』と飛んできて、「る」と松の木に止まった」という演目。 いや、そんなことはどうでもいい。 答えは「青白磁梅瓶」と「青磁龍紋盤」。 それがどんなものであるかは、この際どうでも良い。 なんとなく曰くありげでよいではありませんか。(笑) 八王子城や石神井城からの出土品の掲示をみて覚えただけだが、思い返してみると、中世の城館の出土品には青磁が必ずあったな。 中国からの舶来品で珍重されたんだろうとあたりはつけていたが、そんな大層なものだとは初めて知った。 大河ドラマ「天地人」の舞台にもなった鮫ヶ尾城の出土品には、炭化したおにぎりがあった。 ここはイケメン武将上杉景虎(謙信の養子)の居城で、「御館の乱」の敗戦で廃城になった。景虎の無念がしのばれる炭化おにぎりである。 合戦に使う「飛礫石」が展示されていた。鉄砲の時代に「飛礫」か。 中世の戦法をひきずった北条氏の息子には、新しい時代を迎えることは難しかったと考えさせられた。 展示会の売店で、関東の山城に関する本を入手した。 こういう本は一般書店ではまず見あたらず、アマゾンでは検索する手がかりもない。 物いりだが、必ず買っておかねばならない逸品だ。 『関東戦乱記−戦国を駆け抜けた葛西城』(葛飾区郷土と天文の博物館) 『よみがえる滝山城』(中田正光) 『八王子城−みる・きく・あるく』(峰岸純夫・椚国男・近藤創) 『決戦!八王子城』(前川實) 最期の本には、「直江兼続の見た名城の最期と北条氏照」という副題がある。 なかなか資料のない関東の山城、それも後北条氏の廃城の詳細が書かれている得難い本だ。 最期の三冊は地方史家の方々が足で調べた労作だ。 地味だが、血の通った歴史がわかる。 最近、有名どころの武将ばかりの歴史小説や歴史読み物に嫌気がさしている。 新しい知見はないし、同じ内容をこね回しているだけだ。 網野善彦のような天才がいないと、小説のネタとなる新機軸を見つけることは難しい。 だからこそ、足で調べた「歴史」は素敵だと思う。 「天才史観」と「英雄史観」を抜け出した歴史小説。 そんなものが書けるといいな。 |
© 工藤龍大