お気楽読書日記:2月

作成 工藤龍大


2月

2月 21日

今週はかなり本が読めた。
今週読んだ本は下記のとおり。

『小説の書き方』(井上光晴)
『偽書「東日流外三郡誌」事件』(斉藤光政著、新人物文庫)
『平安妖異伝』(平岩弓枝)
『ニジンスキーの手』(赤江爆著、ハルキ文庫)

残念なのは、『平安妖異伝』。
源氏に詳しい平岩弓枝が、藤原道長を主人公にした妖怪物を書いたというので期待したが、結果はがっかり。
「御宿かわせみ」を期待したのだが、これははずれ。
論評は避けたいと思う。

意外に楽しめたのは、『ニジンスキーの手』。
小説のたくらみを満喫できる。
この種の小説はなかなか二十一世紀に入ってからはお目にかかれないと思う。

ニジンスキー、バレエという取り合わせに何かしらの興味をそそられるのは、今の若い読者には難しいだろう。

ただ萩尾望都をリアルタイムで読んだ世代なら文句なく楽しめる。
それも1990年代以降の萩尾作品を。

ところで、これを除く同短編集に入っている作品はほとんどボーイズラブである。
これが書かれた今から40年ほど前には、そんなジャンルはないのだが、こう読んでもおかしくない現代性がある。

現代のそちらの方面の少女漫画として出されても違和感は全然ない。

この作品の面白さは、女性が介入不可能な異空間として想像する「ボーイズラブ」を、男性が再構築する二重の隔絶にある。

どんな扇情的なレディースコミックでも、ふつうの男(ヘテロというほどの意味)であれば、エロスを感じることはまずないが、赤江爆の交情にもエロスはまったくない。

下世話な話、ヤオイ穴をうたがってしまう濡れ場だ。
動物的な臭気がすこしもない清潔な詞藻の海。
女性作家の描く官能のようにとりとめもなく、男の身体性にはすこしの共感もわかない不思議な世界。
この耽美がやめられないファンも多いときく。
1970年代の「少女マンガ」が持っていたきらめきを感じた。

すでに少女漫画家に期待できないいま、この種の作品は貴重だ。
他の作品もぜひ読んでみたい。
耽美はいいぞお。

じつは、いちばん書きたかったのは、『小説の書き方』(井上光晴)なのだが、これは来週に回したい。

この本が出た1984年当時、井上光晴は存命で各地で文学塾を開いていた。
その講演をまとめた本が、『小説の書き方』だ。

井上の没後をしっているわたしたちは、この人が本書で詳細に描いた自分史がほぼ嘘であることを知っている。

「全身小説家」井上光晴はなぜか徹底的に自分の過去をねつ造した。
その経歴は自己を美化するものでもなく、むしろ卑下するものだった。
アウトローなら別だろうが、作家としてそれなりの地位を築いていた男にそんなものが必要だろうか。

なぜ、井上は自己卑下の過去ねつ造をしなければならなかったのか。
井上の創作論と深い結びつきがあることは容易に想像できる。
そのことをずっと考えている。
結論はまだ出ない。

『偽書「東日流外三郡誌」事件』についても、来週触れてみたい。

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2月 14日

今週も佐藤優ではない本について書きます。

『ブラームスはお好き』

とにかくタイトルが良い。
"Aimez-vous Brahms?"

タイトルをみただけで、手にとって読みたくなる。
たとえ中身が苦手な恋愛小説だとしても。
これほど素敵なタイトルはない。
ネーミングの勝利だ。
(サガンはブランド戦略の天才だった!)

39歳で、バツイチ。
インテリア関係のディスプレィをコーディネートするプロとして経済的に独立する女。
作品が発表された当時、主人公ポールの立場は女の憧れだった。


主人公の愛人ロジェは、44、5歳の男。
職業は建築関係。設計家ではなく、土建屋に近いほう。
インテリらしさは微塵もなく、徹底的なガテン派体育会系。
主人公とデートした夜でさえ、夜更けの街に一夜の情事を探しにいく男。

情熱はすでにないものの、安定した関係の二人。
男は毎週末、仕事と偽って、若い女と田舎に家を借りて同棲している。
ポールはうすうす男の浮気を知りながら、別れる気はない。

この二人の前に、25歳の美青年シモンがあらわれ、ポールに恋をする。

なによりも凄いのは、サガンがこの作品を書いた年齢だ。
22歳。
40目前の女の不安と悲惨。四十男の小心と卑小さ。
彼女はみごとにどちらも描いている。

彼女は、四十男の若い愛人だったのではあるまいか。
男の「本妻」(実質は情人だったろうが)との嫉妬と女の戦いを通じて、年上の女の悲哀を見抜いた。
愛さなければ、いくらでも残酷に悲惨は観察できる。

若さゆえの冷酷さ。
サガンの本質は、いくら年を重ねても変わらない。
十代でデビューしたときから、そういう眼で世界をみてきた。

早熟を驚く必要はない。
彼女はほかの見方をしらなかっただけ。
成長することができなかった。

うん十年前に読んだとき、ストーリーは理解できたが、登場人物たちの心情は分からなかった。
悪意をもたずに、こんなにも身勝手な人間がいることが実感できなかったからだ。

再読してみて、登場人物たちの心情が痛いほどよくわかった。
そして、サガンの早熟にあらためて唸った。

ポールが美青年の魅力をおそれ、若さに怯えてゆく心情。
いったんは中年男と別れて、シモンと同棲したものの、シモンに結婚を申し込まれると、中年男とよりをもどす心の動き。

昔読んだときは不可解だったポールの心情が今ならよくわかる。
彼女は自分の生きる時間が青年の時間と決して同期しない現実を覚った。
たとえこの先浮気を繰り返すとも、生きる時間の質が等しい中年男としか生きられない。

これも、サガンの体験なのだろうか。
シモンのように愛を求めても答えてくれなかった中年男との。

恋多き女サガンはすでに見ていた。
加齢という悲惨の現実を。
彼女は二十歳にして「心朽ちた女」だった。

時間がたつともに、しんと心が冷えていった。
なぜだろう。
理由をずっと考えていた。

二十歳で心朽ちる人生。
終末と到達する高みをすでに諦念とともに受け入れて人生を歩み続ける。
そんな真似が自分にできただろうか。
いや、できはしない。

自分の未来をみせつける恐ろしい現実であったろうに、舗装された悲惨への一本道を進み続けた。
とほうもない強さの持ち主というべきだろう。

いま井上光晴の本を読んでいるが、この人も同じタイプの人間だ。
小説家であるとはどういうことか、まざまざと教えられる。

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2月 07日

『国家の罠』について書こうと思ったが、今週は別の本について書きます。
『古本とジャズ』(植草甚一)

J・J氏こと、植草甚一氏は、70年代の若者の教祖だった。
いまだに愛読者は多い。 ジャズと古本、それにアメリカン・ファッションで、昔の「若い人たち」を魅惑してきた。
ジャズとファッションに疎いせいで、当時はその手の話題にはついていけなかった。 それでも洋書を読んだり、散歩しながら古本を買いこみ、喫茶店でお茶するライフスタイルには憧れた。

生まれたのは明治十四年。
家は日本橋小網町の木綿問屋。本物の江戸っ子だ。

谷崎潤一郎の生家がまだ印刷屋をやっているのを見たこともあるらしい。
間口が二間ほどで玄関はきたないガラス戸だったそうな。

早稲田大学理工科建築学科に21歳で入学。学費未払いのため25歳で除籍。
映画館に就職してその縁で東宝に入社。
この時代に淀川長治や江戸川乱歩と知り合った。

東宝の労働争議にまきこまれて40歳でフリーになり、映画評論やミステリー評論を仕事にするようになる。

一般に名前が知られるようになったのは、52歳ごろ(1960年)から。

まとまった形で書籍を出したのは、59歳のジャズの本が最初。
意外に遅咲きの人だった。

1979年(昭和54年)に71歳で亡くなる。
わたしが高校生になったころ、すでにJ・Jおじさんは有名人だった。
大学を卒業する前に物故されていたわけか。

植草さんはバブル経済後に異国さながらに変容した日本社会をみていない。
生きていれば今以上に持ち上げられていたに違いないが、あの狂乱の、(そして節度のない社会)をみてどう思っただろうか。
楽しく暮らしたことだろうが、明治生まれとして本音はどうだったか。
あらためて、エッセイを読みながら、本音の植草甚一さんとJ・Jおじさんは別のキャラクターだったように感じている。

J・Jおじさんは、明治人の植草さんが「若い人たち」とつきあうために「作り込んだキャラクター」だった。
そんなことも分からないで、「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」「映画だけしか頭になかった」「こんなコラムばかり新聞や雑誌に書いていた」を引き込まれるように読んでいた。
若いっていい気なもんだとつくづく思う。

英語の雑本雑誌をひたすら買い込み、フランス語の小説を読み、ジャズを熱くもなく、さりげなく語る散歩好きのおじいさん。
おしゃれがじまんで、かわいい小柄なおじいさん。

J・Jおじさんのダンディズムにぼんやり見とれてしまっていた、あの頃の若い人(つまりわたしたち)たち。

J・Jおじさんは、若者にはアイドルとなるおじさんが必要だということを教えてくれた。

本の上のつきあいとはいえ、バブルで壊れる前の日本で、素敵な人にであえて、ほんとうについていた。

あらためてエッセイを再読しながら、70年代に生きられた幸運をかみしめている。
だから、なんなんだって言われても、だまって微笑むしかない。
J・Jおじさんもそうだったんだろう、きっと。

それが大人の本音ってものでしょう。
ウイスキーでも嘗めて、英語の本を読もうっと。

来週も『国家の罠』とは別の本になりそう。
ごめんなさい。

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