お気楽読書日記:7月

作成 工藤龍大


7月

7月28日

世界は終末に向かっているのか。
それとも、革新の時を迎えているのか。

重たい話だ。
この問いは、避けて通れない。
いずれにせよ、五年後、十年後には予想をこえた何かが起きるだろう。
そうした予感をもたない人はいないだろう。
その変化については、予想するだけで、はっきりした結論は出ない。
ただ作業仮説であっても、未来を予想して生きていくだけだ。

残念ながらというべきか、期待以上というべきか。平坦で単調な未来はもうだれにも存在しない。
目の前に広がるのは、広漠とした未知の水平線。
これを虚空とみるか、大海原をみるかで、ひとの人生は変わる。

どちらを選ぶかは自明。
ネガティブに生きられるほど、もう世の中には余裕はない。

綱渡りで生きるだけなら、綱の上でおのれを頼んで歩くほかない。

もうそんな時代になっている。

このごろ仏典や精神世界の本をよく読む。
生きるための「問い」は発せずには、息をすることさえ難しいから。
不安の概念が青春の特権なら、いまは第二青春といっていい。

ただ今日の本は、第二の青春にめざめた「古狸」には歯ごたえがない。
書き手が「古狸」にはほど遠い「とっちゃん小僧」だから。
若いときからいい目をみすぎて、話にならん。
さもなければ自分で信じてもいまいことを書き散らす恥知らずだから。

ところで、訳が古いとかアマゾンの書評でいうせいか、古典はどしどし消えている。
または超甘く、シュガーコーテングされている。

それを思うと、やはりオリジナルの言語で読むべき時だと思う。
語学力、読解力はなくても、辞書があればなんとかなる。

甘えは捨てよう。
英語とフランス語とドイツ語くらいなら大丈夫。
漢文だって読めないわけではない。
ほかの言葉だって、やる気さえだせば問題なし。
対話なんだよ、大切なのは。
文字を通じて、ホンモノの人たちとであるべき時が来たんだ。
あとはやるか、やらないかのどちらを選ぶ。。。ということだ。

目下のところ、読んでいるのはセネカ、マルクス・アウレリウス、エピクテートス。
あとこちらは拾い読みだけれど、パスカルの『パンセ』と、モンテーニュの『随想録』。
ついでに、Kindleでフランス語原文にあたる。
なにがどうなるかわからない。
なにをしたらいいのか、はっきりとは見えない。
視界ゼロの未知領域に入っている。
だからこそ、ゼロに巻き戻す。

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