ちょっと、なにやらかにやらで忙しくてなって、あんまり本を読んでいない。 図書館から借りた本も、大慌てで速読してしまった。 小説をあまり読んでいないので、数がかせげないのが弱点かもしれない。 ところが、ホラーやミステリーは古典的なやつが好きで、いまどきのはあんまり好きじゃないから、ジャンル小説で冊数を稼ぐのは無理みたいだ。 10代から30代にかけて、あほなSFと冒険小説をいやと云うほど読みすぎたので、「娯楽小説はもういい」というのが本音。 英語のファンタジー小説や、冒険小説のレジュメをつくる仕事を、出版社や翻訳エージェントから請け負っていたので、英語のその手の本は馬に食わせるほど読んだ。 そのせいか、もはやあんまり力を入れて、読みたいという気はしない。 買ったはいいけれど、結局読まないミステリーは居住空間を圧迫するだけで、腹がたつ。 数を稼ぐのは、あきらめて、一日数ページでいいから、(だれも読まないであろう)古典というやつを読んでみたい。 いくつかの読書メーリングリストをROMしているけれど、この世には恋愛小説とミステリーの愛好家しかいないのかと、つくづくおもう。 しかも、ミステリー好きは和製ミステリーしか読まない。 それも悪くはないけれど、高村薫みたいな書き手はめったにいないから、あんまり読む気はない。 古典を読もうとして、おもいついて書籍デジタル化委員会 をのぞいた。 たぶん、あるだろうと狙いをつけていたが、やはりあった! 与謝野晶子が翻訳した現代語訳「源氏物語」である。 いまや、文豪谷崎潤一郎版や、鬼才橋本治版もある「源氏物語」ではあるが、初心者にはコンパクトなものがありがたい。 与謝野晶子版は、いちばんコンパクトであるから、ざっと目を通すにはいちばん良い ――と、勝手におもっている。 54帖もあるから、一気に読み飛ばすのは無理だ。 ぽつぽつ読んでみようとおもう。 ただし、困ったことがあって、HTML化されてはいるものの、PC画面を長時間眺めているのはつらい。 タグに手をいれて、バックグラウンドとフォントのカラーを変えればなんとかなるだろうか。 それにしても、インターネットはありがたい。 以前、紹介したGutenberg Project からは聖書や、シェークスピアの原文テキストをダウンロードできる。 じつは「アントニーとクレオパトラ」と「ジュリアス・シーザー」をダウンロードした。 こっちも、仕事のあいまあいまによむつもりだ。 それにしても、目がつかれてかなわない!! |
「道ありき」(三浦綾子)を読了する。 ほかの本をちらほら読んでいて、集中しなかったために、時間がかかってしまった。 それにしても、目頭からいつのまにか涙がこぼれる。 三浦綾子さんが気の毒だというよりも、彼女の前に現われる男たちが、感動的だからだ。 三浦さんの恋人、前川正という青年は結核に冒されて、三十歳そこそこで医学生のまま一生を終えた無名の人だ。 しかし、この人の気韻は隆慶一郎描くところの<おとこ>である。 クリスチャンだからといって、遠藤周作描くところの偽悪的な、いや偽悪的というより、ただひたすら弱いだけの、「言い訳=自己正当化の権化」ではない。 前川青年は三浦さんを経済的にもささえる人間になりたいと、危険な肺形成手術をうける。ふたりが文通するハガキ代を稼ぎ出すために、ガリ版刷りのアルバイトをしなければならないほど経済的に貧しかったからだ。 身体を治療して、復学して医師免許をとり、三浦さんと結婚しようと考えた。 しかし、結局はその手術が仇となって、かえって寿命を縮めてしまった。 しかも、前川青年は三浦さんが将来だれかと結婚することを願って、文通した手紙や自分の思いをつづったノートをすべて送って処分してくれるように頼む。 まことに、あざやかな散り際と云う他はない。 はっきりいって、三浦さんの自意識過剰な思い出話よりも、前川青年のエピソードのほうが、心に残った。 三浦さんが生まれ育ったのは、北海道の旭川という、当時は立派な田舎町だ。しかも付合うのは結核患者たちと、キリスト教会に通う人ばかり。 そうした狭い世間で、<悪女として>という悪い噂をたてられたといって、三浦さんは告白しているが、彼女の筆によれば、かえって世間の根性の狭さしかみえてこない。 大変だなとはおもっても、それほど感情移入はできない。 しかし、ほんのエピソード的に現われる男たちに、たぐいまれな<おとこ>の風貌が浮かんで、ぐっと込み上げてくるものがある。 たとえば、のちに小説「夕あり朝あり」の主人公になるクリーニング屋白洋舎の創立者五十嵐健治さんもそのひとり。 三浦さんの小説は、日本では数少ない<たましい>の物語なんだと実感した。 |
まだ「『あたりまえ』の研究」を読んでいる。 なぜ、こんなにペースが遅いのか? われながら不思議だ。 とはいえ、すこし理由はみえてきた。 山本七平氏のものいいが、大人というか、タヌキというか……ヒョウタン鯰のように、尻尾を読者につかませない。 なんだか、騙されているような気がして、安心して早く読めないのである。 こんなのを、すらすら読んだら、騙されるぞという感じがビシビシして、一行一行用心しながら読んでいる。 たぶん、わたしはこの人の書くものを生涯信用できないだろう。 なんとなく、危険な臭いがする。 きなくさい。 この人は大きな前提を直感して、それを隠しつつ、論理的で事実検証的に説得しているポーズをとる。 その前提はあくまでも、山本氏独特のパーソナルなもので、あんまり普遍性はない。 しかし、次々と並べ立てる取捨選択された事実群と、一見論理的なレトリックで、なるほどと思わされる。しかし、これは詐欺師の常套手段にちかい。 立花隆の「『知』のソフトウェア」を読んでいると、この手のやり手さんはなんとなくわかるようになる。 しかし、うさんくさいから面白いという面もあるから、むずかしい。 山本流説得術をじっくりみていくと、たいがいのカルトや独断主義者に免疫ができるのではないか。 かわった読み方ではあるけれど、こんな見にみえない攻防をしながらする読書も楽しいものだ。 アドルフ・ヒトラーの「我が闘争」を読んだときみたいな感じだ。 いまや、アカデミズムに籍を置いていても、ナチの亜流や、カルトな人々がいっぱいいる。 そうした人たちに騙されないように、山本七平氏を読むのは大変いいことだとおもう。 山本さんは故人であることもあり、御布施で全財産を差し出せと「定説」を迫ることはない。 生前はただの評論家だったから、現代の一部の人たちみたいに日本の徴兵制復活とか、核軍備賛成を現実にしかねない権威も権力もなかった。 そう考えてみると、いまどきのカルトな人や、戦争大好き人間たちとは違って、 「良い人だったんだ」 と実感する。 イスラム圏まで視野にいれて、西洋文明と日本的生き方(Japanese way of life)をみごとなまでに相対化して分析するなんて、いまだって珍しい。 「なんのかんのいっても、コーラン、タルムード、聖書から、日本の江戸時代の随筆(恩田木工)までカバーして、思考を組み立てるなんて、珍しいタイプだよなーっ!」 と、やっぱり感心する他はない。 すこし人間が単純すぎるわたしのようなおバカさんは、こういう人の本を読んで、どたまを鍛えよう。 ――って、思っちゃいました。! ところで、「論語を読む」というページを作ってみました。 もし、よろしければ見てください。 |
本日はちょっと忙しくて本が読めなかった。 反省する。 そのかわり、メモがわりに本日の出来事を書く。 国会での小渕首相の施政方針演説を中継で観た。 司馬遼太郎さんの「二十一世紀に生きる君たちへ」とか、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」まで引用して、なかなかの名演説だった。 ただし、野党席は無人で、無所属の議員がちらほらいただけだ。 この人たちは何者かとおもえば、トラブルを起こして自民党を離党した藤波元長官や中村喜四郎議員だと翌日わかった。 やっぱり……。 よほどいいブレーンがいたのか、演説はなかなか良い作文だった。 たぶんに河合隼雄さんの本を読んでいるような感じがしたから、例の「二十一世紀日本を考える懇談会」の白書を要領よくまとめたのだろう。 しかし、野党がまったくいない異常な状態で、額に汗を浮かべながら、<文句のつけようのない美辞麗句>を並べ立て、二十一世紀のビジョンを語る総理の姿は異様だった。 国民はだれも政治には無関心だったから、騒ぎはおきないが、これは明らかに異常な事態だ。それでありながら、これを論じるキャスターにも危機意識はみられない。 言論の府としての国会は、死にかけているのではないか。 ごく最近、友人のコネで衆議院のなかを見学してきたが、国会議事堂というのはえらく金がかかった建築物だとわかった。 案内をしてくれた係員さんの説明では、天皇の座所には総工費の五分の一が費やされたとかで、中へは入れないが、立派な大理石が使われていることは一目でわかる。 どうやら、現代日本にあっては国会はただの箱となっているのかもしれない。 ところで、29日付けの読売新聞に面白い記事があった。 作家富岡多恵子さんが怒っている。 「勇気をもらう」 「元気をもらう」 いつから、勇気や元気はもらうものになったのか! 「きんさんの生き方に元気をもらった」 「○○のコンサートで、勇気をもらった」 こんな言葉をいつのまにかよく目にするようになって、しっかり慣れっこになってしまった。 わたしも、少しも不思議とも思わないようになっている。 だが、戦中派の富岡さんはこういうのを「乞食根性」とおもっているようだ。 「勇気は奮い起こすもの」 「元気はひねりだすもの」 強く正しい戦中派の富岡さんは、そう思っているらしい。 本読み人間の悪い癖で、訳知り顔でいえば、 「気をもらう」ブームの火付け役は、お肌の老化と死闘を繰り広げる中年女性と老人の友、<気功>ではないか! と、わたしは睨んでいる。 「良い気」をもらうために、大樹から「良い気」を取れ、 神社みたいな「良い気がいっぱいある」スポットへいけ。 元気な人から「気」をもらえ。 気功が流行ってからというもの、 萩尾望都の「ポー一族」じゃないが、日本人全部が「良い気」を吸い尽くす吸血鬼と化してしまった感がある。 エドガーみたいな美少年が薔薇のジャムでも嘗めていれば絵にもなるが、 元気のない根暗な女の娘や不定愁訴に悩む中年女性がゾンビさながらに、 「良い気をくれーっ」と日本国内をうごめいているのを、 強くたくましい富岡さんは怒るわけである。 知らず知らずに、自分も「気」をねだるゾンビになっていたかもしれない。 自分の健康と運勢好転だけを考える「気のヴァンピリズム(吸血病)」のせいで、 屋久島の縄文杉に殺到して、杉の根を傷めつけて縄文杉を殺しかけたり、 熊が出ようが、天候不順で危険だろうが、いっこう気にしないで日本百名山におしかける中高年が誕生してしまった! 正しい老人をめざす身としては、自戒しなければならない。 |
ようやく小説とエッセイを読む。 毎日、歴史の本ばかりではさすがにくたびれた。いまや日本中世史と古代史のマニアとなってしまったが、本来はこの読書日記はいろんな本を読もうというのが目的だ。 あんまり本を読まなくなりつつある自分に、活をいれようとしてやっている。 みょうな取り合わせではあるけれど、 「道ありき」(三浦綾子)と「『あたりまえ』の研究」(山本七平)を読んでいる。 小説でも読もうとおもって、遠藤周作に手をだしたのはいいが、すっかり気分がめいってしまった。 クリスチャンというのは、精神衛生上よくないと思いはじめたとき、ふたたび手に取ったのが、三浦綾子さんの「土の器」だ。 それから、少しずつ三浦さんの本に惹かれて、いろいろ読んでいく気になった。 「道ありき」は、三浦さんの自伝で、「土の器」の前編だ。 若くして死んだ三浦さんの恋人、前川正さんのことを知りたかった。 ご主人の三浦光世氏の短歌にも登場して、読んでいて思わず爆笑してしまった。 けっして、ユーモラスな場面ではないのだが、三浦氏の短歌には独特の可笑しみがあり、つい笑ってしまう。こういう種類の笑いは、他にはあまり知らない。 しいていえば、良寛や浄土真宗の妙好人の逸話を読んで、感じるたぐいのものだ。 こうして徐々に三浦ファンになりつつあるのかもしれない。 今回は、三浦さんがいろんな素晴らしい人々と巡り合い、やがて死に別れる状況が多いので、読んでいてつらい。 三浦光世さんとの結婚で、本編は終るのだが、まだ光世さんの短歌はほとんどない。 ひとつ紹介されているのをみて、おもわず笑ってしまったのだが、これを引用するのはやめておく。 なぜ笑ったのか、わからん人にはわからんだろうし、もしかするとこの本(「道ありき」)を通読して、三浦綾子さんの苦しい人生を追体験しないと、こうした笑いは共感できないかもしれないとおもうから。 いまから7年も前に亡くなった評論家山本七平氏の本を読んで驚くのは、この人の思考がどうやら自分には少しも新しいものに感じられないことだ。 この人の思考は、どうやらマスコミ界の言論人たちに徹底的に吸収されたらしい。 それも、民族系・保守系の言論人たちに。 ちょっと気の利いたことをいうその種の人物の思考プロセスは、ほとんどが判で押したように、山本流だ。 すくなくとも、「『あたりまえ』の研究」という書物に書かれていることは、保守系の新聞や保守派の評論家の本にはうんざりするほど散見している。 これは、山本氏が三流の評論家として時代精神を真似たというわけではなく、それどころか保守系の人々の思考プロセスのチャンピオンだったからに他ならない。 じつは、こういう風にエピゴーネンに消費されつくしたおかげで、風化したようにみえる著者がわたしは大好きだ。 こういう人の本をじっくり読んでいくと、内部で醗酵して、エピゴーネンたちとは違った見方が生まれるからだ。 そういう瞬間はとても個人的なものだけど、わたしは好きだ。 もっとも、こんな個人的で、へそ曲がりなことばかりやっているおかげで、世間とはなかなか波長があわないで困っている。 とにかく、はやく読み終えるようにしよう。 |
ひさしぶりに面白い日本史の本を読んだ。 「聖徳太子 未完の大王」(遠山美都男)という本だ。 著者の遠山美都男氏は、「大化の改新」や「白村江の戦い」に新しい解釈をしている古代史の研究者だ。 この本には、じつは聖徳太子本人の事蹟はあまり書かれていない。 遠山氏は聖徳太子の伝説を後代の創作と考えているからだ。 文中に山岸涼子の「日出る処の天子」のことなどを書いているところをみると、聖徳太子を超能力美少年にしたてた少女マンガと、奈良時代以後の聖徳太子伝説を同じレベルに並べていることがわかる。 べつに、山岸作品をけなしているわけでなく、フィクションなんだから、どうでもいいですと云っているのである。 それで、遠山氏の結論をずばり云えば、聖徳太子の事蹟はすべて<持統天皇時代の王権が自己を粉飾するために創作した>ということだ。 さらに付け加えれば、後世どうにも財政的に苦しくなっていく奈良仏教の古寺院が、太子信仰を意図的に盛り上げていったのではないかという最近の学説にも同調している。 その良い例が「太子未来記」という鎌倉時代から出てくる文書だ。 法隆寺の庭をある日、寺僧が掘ると石に書かれた太子の予言がみつかるという事件が、鎌倉時代以後この国の歴史を通じてたびたび起きた。 寺の経営がぱっとしなくなると、不思議と石が見つかることになっている。 その内容を「太子未来記」という。 その文書を読むと、石が発見された時代に起きたことを、聖徳太子が数百年前に予言していたことがわかる。 これは有り難いというわけで、善男善女が法隆寺に信心して、御布施をはりこむしかけになっている。 いってみれば、日本版ノストラダムスみたいなもので、未来のことはちっとも当たらないが、過去のことならぴたりと適中するという…… 立派な偽文書である。 というわけで、題名に惹かれて読んだ聖徳太子ファン(じつはワタシです)なら、ちょっと騙されたような気がするのです。 もっとも、遠山氏は大化の改新なんぞ、<乙巳の変>とでもいうべき軍事クーデターにすぎず、 中大兄皇子(後の天智天皇)は軍事クーデターの主役どころか、 蘇我入鹿の首をちょんぎっただけの暴力屋と考えているラジカルな人だ。 中大兄皇子が皇太子として活躍したというのも、フィクションだと考えている。 事蹟がはっきりしている天智天皇でさえこれだから、厩戸豊聡耳皇子(聖徳太子)なんて意味不明の名前をもっている皇子が、相手にされないのも無理はない。 それでも、古代の天皇制度のことが、すこしわかってきた。 あれは<万世一系>なんてものではない。 じつは、日本各地に盤踞していた地方豪族の連合体が、取り纏め役として選んだ首長が<大王>だ。 これは天皇家という一家系ではなく、各地の豪族から実力のあるものが推戴されてなるものだった。 だから、天皇家の系図にいう履中天皇・反正天皇兄弟と、兄弟とされる充恭天皇は赤の他人らしい。 充恭天皇とその息子の安康天皇・雄略天皇の王朝と、履中・反正天皇兄弟の王朝は別のものだと考えられる。 雄略天皇が死んで清寧天皇が即位すると、ふたたび王位は混乱して、履中・反正系統の豪族の手に王権がもどり、仁賢・顕宗・武烈の王朝が続く。 これを<播磨王朝>という。播磨王朝が武烈の死で断絶すると、越前の豪族が政権をとって継体天皇として即位する。いわゆる<越前王朝>だ。 継体天皇のあとは、安閑・宣化・欽明と続く。これがいまの天皇家の遺伝子的先祖だ。 欽明天皇のころから、大和の<大王>はこの家系のものだけがなるという決まりができた。 各地の豪族の権力争いに、みんなが疲弊してしまったからだろう。 大王が変わるたびに全面戦争の危機があるわけだし、敗者になったら、一族皆殺しだからたまったものではなかった。 そこで、この家系が奈良盆地にすくって、<大王>となるのだが、王位継承のやり方がどうもうまく決まらない。 けっきょく、王位継承の大筋がきちんときまったのが、持統天皇のころだ。 それ以前の政治史は、王位継承をどうしようかという試行錯誤に終始するわけで、その試行錯誤のプロセスにあって王位につけなかった気の毒な人が聖徳太子だ。 さすがに遠山氏も厩戸豊聡耳皇子(聖徳太子)という皇子が非凡な人物だったからこそ、伝説ができたことは認めている。 厩戸豊聡耳皇子というのは正確な本名ではないし、聖徳太子というのは後世送られたタイトルだ。 正確な名前が伝わらないから、太子がまったくの架空の人物という史論家もいるが、そこまで考えるのも行き過ぎのようにおもえる。 歴史というのは、神話に似ていて、権力の自己粉飾という性格がどうしても強くなる。 正確な歴史なんて、利害関係のない後世の人間にしか発見できないものかもしれない。 天皇制も、日本民族創成と日本王権創造にまつわるフィクションだから、あんまり真面目に考えると騙される。太平洋戦争のときみたいに。 いまから1000年もすれば、聖徳太子は超能力使いの美少年で、蘇我蝦夷に惚れていたなんて<歴史>があったりするかも…… もちろん、そっちのほうが<天皇陛下万歳!>よりもずっといいのではないか。 |
ひさしぶりに小説を読みました。 というより、読了したというべきでしょうか。 「血脈の火」はかったるいので、いっきには読めません。 こちらはまだ継続中です。(苦笑) 今回読んだのは、「天保悪党伝」(藤沢周平)だ。 年内に藤沢さんの小説をすべて読破しようとおもっている。 これは角川文庫に唯一入っている藤沢作品だ。 歌舞伎で有名な<天保六花撰>というのがあって、河内山宗俊・片岡直次郎・暗闇の丑松といったそのころの有名な悪党六人たちを主人公にしている。 「天保悪党伝」はかれらを主人公にした連作短編だ。 藤沢作品にしてはパワーがないなというのが正直なところ。 親分の河内山があんまり元気がない。いや、もっとはっきりいえば、悪党らしくなくて、しょぼくれている。 だからこそ、藤沢さんらしいともいえるが。 歌舞伎では全然ぱっとしない暗闇の丑松や、片岡直次郎とその愛人の遊女・三千歳なんかをじっくり書き込んでいるあたり、やっぱり藤沢さんかなとおもったりもする。 なんだかしょぼくれた物語で、いま流行の「せつない」というより、若さの終り、老残の予感という惨めな感じがなんともいえない。 こういう時代小説は、風邪でもひいて気がめいったときにはいいかもしれない。 えらく景気の悪い<天保六花撰>でしんみりしたところで、 「母性社会日本の病理」(河合隼雄)をひろい読みする。 遊郭が舞台ともなっている小説を読んだせいか、<遊郭>がなぜ近代に廃止されたのかという議論を面白く読む。 女性もしくは少年が身体を売る場所が<遊郭>だけれど、これは近代以前にあっては、それなりの役割をはたしていた。 成長に応じて、ひとつの世界から別の世界へ脱皮し続けるという<成長の儀式>(イニシエーション)というものが、人間という社会的生物には必要らしい。 古代や、未開社会においては、一人前の大人になるための<成長の儀式>(成人儀礼)はかなり危険に満ちていて、身体に入れ墨を入れたり、性器の一部を切り取ったりする。バンジー・ジャンプなんかも、本来は命懸けの成人儀礼だった。 その時期は、未成年の少年・少女は日常生活と隔絶した修業生活を送らなければならない。 そういうのを<異界>という。 「人間はヘビみたいに死ぬまで、人生の節目・節目で日常生活を捨てて、 <異界>へ入っては古い自分を脱ぎ捨て、新しい自分に生まれ変わって、 生き直しの活力をもらって日常生活にもどってくる」 という思想は、じつはわたしたちアジア方面からベーリング海峡をへだてて南米南端のインディオにいたる人間が共有して持っているものだった。 インド人みたいに鼻が高いひとも、日本列島の胴長短足人もそうだった。 そういう仕組みは、ごく最近までいろいろな職域集団のなかでは<一人前>になるための儀式として生きている。 ただし、普通の生活からは、じつは近世(江戸時代)ころからだんだん姿をけしつつあった。 そこで、「<異界>を伝統とは無関係につくってしまおう」 「生き直す活力を人工的に作る場所をつくろう」 と思いついた人々が、大人のためのそうした場所を提供して、生業にした。 世の良識的人権派は激怒するだろうが、<遊郭>とは身分制度がしだいに固まってきて、日常生活がストレスに満ち満ちてゆく封建時代を生き抜く知恵として発達したのである。 人間の意識が素朴な異界シュミレーション体験で満足できればよかったのだが、すべに<遊郭>が発生する時点で貨幣経済を理解して運用できるほどに、頭脳が<近代化>してしまっていた。 <近代化>には、もうひとつの側面があって、西ヨーロッパほど硬質ではないけれど、日本においてさえ古代にも中世にも注目されていなかった<自我>という心の領域を発達させずにはおかない。 明治・大正・昭和のひとたちは、「西洋的自我を日本へ移植しよう」としていたけれど、じつはソロバンづくで生きることを得意とする<自我>は江戸時代にもどんどん成長していたのである。 明治以降のゲージュツ家さんたちの悲壮な叫びは、とんでもないお門違いだった! そんなものは、すでに日本の土壌に芽生えていたわけである。 ところが、<自我>というやつは<遊郭>のユートピズムと馴染まないところがあって、<異界>であるべき<遊郭>を日常生活と強引に結び付けようとする。 その結果として、遊女にいれあげて身を持ち崩す男、客と心中する遊女が現われる。 遊女は<異界>の<仙女>のシンボルだから、客と本気で恋愛したり、いっしょになりたいと思わないというのが、<遊廓>のユートピアたる由縁だ。 <仙女>はめったに会えないか、一生に一度しかあえないからいいので、何度も会おうとして家産をつぶすのは、ゲームをわきまえない無法だ。 しかし、<自我>はそんな<異界の遊戯性>を許さない。 古代から綿々とつづいた人間の<ありよう>を、一時的に<遊戯性>で幻惑して、保持しようとした<遊廓>は、近代の人間にとっては有害なものになってしまった。 その理由は、人権思想ではなく、近代人の<こころ>の仕組みなのである。 近代人の<自我>は、生き直しの問題を偽りの<異界>ではなく、論理的・情操的に統一した世界観で解決しないと気がすまない。 <自我>は自己責任という重荷を背負いたがる。 だから、自己責任を故意に無視すると、近代人はどんなに悪人でも後ろめたい罪悪感で自ら苦しむことになる。 このへんが、どんなに悪いことをしても、 「わたしに取り憑いた神さまのせいです」 と心の底から確信して、万事を済ませることができたし、世間もそれを許した古代・中世の人と決定的に違うところだ。 「自分はそんな難しいことなんか関係ないわ」 と、おっさん・おばさんが云っていても、このへんをきちんとしないと、人間はいろいろとオカシなことをやらかしてしまう。 近代人の<自我>が<生き直し>の問題に必ず直面するのが、40歳前後だと、河合隼雄さんは云う。 いわゆる<中年の危機>というやつだ。 おそかれ、はやかれ、そんな日が、誰の身にも必ずふりかかってくる。 早い人では三十台後半から、そろそろはじまるらしい。 それは買春では解決できず、いよいよ問題を悪化させるだけだとか。 <買春>はながいあいだ、生き直しの活力として必要悪みたいなものとして存在していたが、よほど識字率が低い国ならいざしらず、この国ほどに老若男女の頭に情報がつまってくると、<中年の危機>には役にたたない。 良識的人権派をますます激怒させるだろうけれど、 わたしはこう云いたい。 「こころの健康のために買春はやめましょう」 |
今日はちょっとオカルト、はいってます。 「不老不死」(大形徹)を読む。 「仙人の誕生と神仙術」という副題があり、著者は仙薬の研究者だ。 といっても、道教の実践者=道士ではなく、れっきとした大学の先生だ。 アカデミズムのひとだから信用できるとはおもわないが、少なくとも科学的常識は踏まえているはずだとおもう。 じつはこの本は以前に読んでいたのだが、今回は歴史とは無関係な視点で再読してみた。 それはずばり健康法である! 中国4000年の歴史は、漢方薬の歴史でもある。 最古の漢方薬事典は『神農本草経』には、仙人になるための薬と並んで病気を直す薬草の知識がぎっしり詰め込まれている。 薬草や薬効のある鉱物は、上薬・中薬・下薬の三種類に分類される。 上薬は仙人になるための薬。 中薬は健康維持・保養のための薬。いまのわたしたちの漢方薬のイメージに近い。 下薬は病気になったときに使う治療薬で、劇薬である。 仙人になる上薬は、砒素化合物の雄黄や、硫化水銀がはいっているので、へたをすると、現世からいっきに霊界へいける。 後世の皇帝たちは、<金丹>という仙薬を服用して、背中に皮膚ガンを発したり、水銀中毒や砒素中毒になって、苦しみぬいて死んだ。 <金丹>には、砒素化合物や硫化水銀が含まれていたからだ。 「散歩」という言葉の語源は、魏の時代に貴族たちのあいだで流行った「五石散」(または寒食散)という仙薬の副作用で、身体がほてるのを冷ますために歩き回ったことにあるそうだ。 仙薬は、服用した人間にとってはそれと知らずに自殺薬ともなっていた。 あまりにも悲惨な事例ばかりをみたので、現実主義の権化である中国人は物質的な仙薬はさっぱり信用しなくなった。 そこで、登場するのが、<導引吐納の術>だ。 いまの気功や健康体操用太極拳のたぐいの先祖だ。 物質の<金丹>に頼らず、体内に<気のちから>で<金丹>を合成することを、目的にしている。 目的はもちろん長寿と老化防止。できれば、不老不死になれれば、いうことはない。 古くは前漢の時代の墳墓から「導引図」という気功系の健康体操の指導図みたいなものが発見されている。 「不老不死」という本にも、その図が紹介されていた。 一見して、驚いた。 というのも、そこに描かれているポーズは、わたしが毎日やっている気功体操そのものじゃないですか! さらに「三国志」にも登場してファンの多い名医華陀がまとめた「五禽戯」の復元図も掲載されている。 これは五種類の動物のポーズを真似る健康法だ。 こっちには、もっとびっくりした。 こっちのほうは、わたしがやっている気功体操のひとつと100パーセント同じだ! 「五禽戯」というのは健康体操ではあるけれども、古代中国拳法に興味があるひとなら誰でもしっている拳法の源流である。 それぞれの動物の名前をとって、<鶴拳><猴拳><虎拳><蛇拳>というのができたことになっている。 ただし、こちらの本で紹介されている五獣は、虎、鳥、熊、鹿、猿となっている。 伝承が違うのかもしれない。 とにかく、自分がそれとしらずに「五禽戯」をやっていたとは。 驚いた、驚いた。 しかし、道教健康法のラジカリズムはさらに亢進する。 気功によって、練った気は体内で<金丹>と化すのだが、それは<黄金の胎児>のかたちをとる。 インドのウバニシャッド哲学にある世界創世の神話的存在<ヒラニヤ・ガルバ>(訳語はそのものずばり「黄金の胎児」)を連想する話だ。 修行次第では、<黄金の胎児>は体内から自由に離脱できるようになる。 この<黄金の胎児>が成長して、<陽の気>からなるボディでできた<天仙>にすることをめざす修行が存在する! こっちのボディに意識を乗り換えて、肉と血でできた身体を捨てれば、そのまま人間は<仙人>になれる。 と、読んでいて、あれっと意外な感じがした。 なんか似た話を読んだことがあるぞ。 本棚を捜してみたら、あった、あった。 日本の仙道家高橋聡一郎氏の「秘法!超能力仙道」という本である。 そこらのオカルト本といっしょにして、読み捨てにしていたものだ。 高橋氏は<陽の気>からなる<黄金の胎児>を、<陽神>という。 修業のかいあって、<陽神>をはぐくみ、いまでは幽体離脱して、あちこちに飛び回らせているとか。 知らなかった。 健康のために、はじめた気功体操にそんな結果が待っていたなんて! カルチャーセンターでならった太極拳の先生も、愛読している「らくらく気功健康法」の著者もそんなことは云っていなかった。 もちろん、そんなことを云えば、カルトと間違えてまともな生徒は来なくなるから、当然ではあるが……。 一部の気功や太極拳の先生たちは勝手に独習することをひどく嫌う。 「正統な師匠から習わない限り、気功を行なうと身体を損ない、ひどいときには死に至る」 などということを、もっともらしく書いている気功の本もあるが、「北斗の拳」じゃあるまいし、そんな馬鹿なことはない。 <正統な>というのがくせもので、これは著者が「おれだけが正統だから、他へいかないで、おれのところへ習いに来い」といっているだけのことである。 気功のやり方を間違えたところで、せいぜい役に立たないだけで、「ビデブーッ」と叫んで身体が爆発する懸念はいっさいない。 (そういえば、「鍼灸治療の針で、投手生命を断つツボを押されたので引退する」と発表した大投手がいましたね。「北斗の拳」が流行ったころに。あの人は、ワインの本を書いたり、利口そうなことを云っているけれど、根本的にはアホだとおもいます。) 間違えたって、ラジオ体操ていどには有効だ。 30歳をすぎたら、ラジオ体操だって健康維持には馬鹿にはならない効果がある。 ゆめゆめ馬鹿にしてはいけない。 中国拳法や気功関係者の<正統主義>は、中国社会であんまり社会的評価を受けなかったために、この種の業種に染み付いたけちくさい根性の産物だ。 それと、中国人の欠点である<党派心>のなせるわざだから、秘密めかして非常識的なことをいう人については、どんなに有名な達人の言葉でも信用しないことにしている。 <拳聖>といわれた中国拳法の達人(日本人)が、日本に帰ってから牛乳配達の勧誘員になった。 拳聖さんは自分の営業業績をあげるために、他の営業所の配達員たちに暴力をふるって自分の担当地域へ寄せつないようにしたという。 直弟子がいっているのだから、本当のことだろう。 貧乏であることはけっして恥ずかしいことではないが、非力な人間(拳法の達人からみれば、ピーター・アーツやアンディ・フグみたいな人間を除けば、すべての人間は非力なド素人であろう)に無法な暴力をふるうのは卑怯だ。 強ければいいという中国拳法の教えを素直に実践したのだろうが、なんだかイヤな話だ。 長年、中国拳法を修行している知人にいわせると、 「中国拳法には、嫌らしい技がいっぱいあっていやになる」 とのことだ。 正々堂々という言葉が好きなあたり、日本人はまだまだお人好しなのかもしれない。 ただし、まともな(とワタシが思う)先生たちは、そんな危険はないとおっしゃる。 「気功」は中国が世界に誇る財産であるから、遠慮なく実践するようにとのことだ。 わたしは、こういう心の広い人の言葉を嘘でもいいから、信じることにしている。 縄張り根性旺盛な自称他称「達人さん」たちに飯のタネを提供する必要はいっさいないとおもう。 ただ、オカルト的な行法を実践すると、神経がおかしくなることが多い。 わたしとしては断固、健康体操にとどめておくつもりだ。 それにしても、NHKの「みんなの体操」にも、気功運動が取り入れられる昨今である。 身体をだいじにして、みんな長生きしましょう。 |
「道教の本」(学習研究社)を読む。 学習研究社の<ブックス・エソテリカ>という叢書の一冊だ。 このシリーズは、いろいろな宗教をコンパクトに手際良く、しかも情報量を犠牲にすることなくまとめているすぐれものだ。 読者に媚びて、単純化しすぎることなく、執筆している姿勢がいい。 巻末のブックガイドをみるとベーシックできちんとした参考文献が載っているので、調べたい宗教の見通しがついてうれしい。 自慢めくが、このシリーズの巻末ブックガイドをみて、読んだ本をチェックして、自分の実力判定をやっているが、なかなかいい成績である。 ただそのうち読まなければと、おもっている本が載っていると、 「しまった!」 と、臍をかむことになる。 このシリーズの編集者さんの見識が高いせいで、執筆者たちも、「なに云ってんだか」という哀しいひとはいない。 こういうところも嬉しい。 腹をかかえて笑うような、無知と間違いを得意になって書いているライターがひとりでもいると、こうした本の値打ちはいっきに落ちる。 ふつう宗教関係の本となると、そうしたライターが必ずまぎれこんでいて、笑わせてくれるものだが、このシリーズにかぎってはそういうことはない。 このシリーズをとりまとめている編集者さんは、たいへんな人だとおもう。 ところで、このシリーズのいいところは、ごちゃごちゃしていた頭の中味を整理してくれるところにある。 道教は荒俣宏氏の「帝都物語」(あの「かとーッ」って奴ですね)を読んでから興味を持ち出して、いろいろ本を読み漁った。 じつは仙人にどんなのがいて、なにをどうしたということは「聊斎志異」以下の「志怪小説」(中国の古典的怪奇小説)のファンだから、その前から詳しく知っていた。 「列仙伝」「神仙伝」という中国の仙人の伝記は学生時代からの愛読書だった。 そのかわり、道教の「方術」「仙術」ははなから馬鹿にしていて知る気もなかったということはある。 ところが、「帝都物語」に登場する魔人加藤保憲に惹かれて、いろいろ「方術」の本を読んでみた。 「抱朴子」まで読んでみた。 あれは馴れないと、そうとうに退屈な本である。 「道教の本」でおもしろかったのは、<道教の宇宙観>ということで、道教の神々をカタログ的に並べて紹介してくれたことだ。 おかげで、ごちゃごちゃとおぼえていた神々が有機的に関係づけて覚えられた。 道教では、人間の臓器にも神がいて、人体という内宇宙を司っている。 そうしたことを、気功の直接的先祖である<導引吐納の術>と関連付けて、理解できた。 気功に興味があるので、普段やっている気功体操の原理がわかっておもしろかった。 さらにいえば、「方術」関係でも、<キョンシー>映画で有名になった<霊符>の書き方までくわしく書いてある。 物好きで生きているわたしには、これほど嬉しいものはない。 ただし、<霊符>どころか、仏教の<梵字>でさえ霊障があるそうだから、いくら書き方を教わったからといって、<霊符>など書かないほうが身のためだろう。 日本神道は、中国の原始道教や、後世の成立道教からの有形・無形の影響をうけつつ自己を形成した。 そのあたりのことも触れているが、内容的には浅すぎる不満が残る。 このごろ日本の仏教と神道が面白くてたまらない。 日本の場合、仏教と神道を切り離して考えることができるのは、明治の廃仏毀釈からのことで、それ以前では宗教者であっても仏道と神道は渾然一体として融合すべきものだった。 中世においてもっともラジカルな親鸞でさえ、日本の神に関心を持ち続けていた。 日本禅宗の中興の祖というよりは、実質的には禅宗をはじめて日本化した実質的開祖である江戸時代の白隠和尚でさえ、神道の研究家・実践家でもあった。 神仏習合のパワーをうしなって、大学で梵語なんか研究する僧侶が多くなったせいで、日本の仏教界は衰退したのかもしれない。 とにかく、日本において、神仏のニ道は切り離せない。 しかも、道教はその両者に重大なかかわりがある。 というわけで、道教へのマニアックな関心がここしばらく続きそうだ。 |
NTV「街道をゆく」を毎週土曜日にほとんど欠かさず観ている。 司馬遼太郎さんの大河紀行「街道をゆく」をドキュメンタリーにしたものだが、なかなか面白い。 最初は「シルクロード」みたいな1時間半くらいのドキュメントで、田村高広がナレーションをしていたが、いまでは30分ものになって毎週やっている。 ナレーションも、古屋アナウンサーに変わった。 当初はがっかりしたが、いまでは古屋アナウンサーの原文朗読にも味がでてきて、楽しみとなった。 昨日は「ニューヨーク散歩」だった。 日本総領事タウンゼント・ハリスが来日以前に造った学校がハイスクスールとなっていることを紹介してから、ブルックリン橋を建築したドイツ人技師、ユダヤ人街の正統派ユダヤ人、白人でありながら長い間差別されてきたアイルランド移民というふうに話をまとめていた。 司馬さんの友人ドナルド・キーン氏のコロンビア大学退官記念晩餐会に招待されたことにも触れ、キーン氏の大学時代の恩師であった日本人教授をも紹介した。(名前は残念ながら忘れてしまったが……) 番組の最後で、司馬さんの原文が紹介された。 その主旨を要約すると、長い間白人仲間に差別されてきたアイルランド人から二人の大統領(ケネディとレーガン)が誕生したように、アメリカはチャンスの国だ。 そして、ヨーロッパで能力を発揮できなかった人々に、力を試す機会を提供できたからこそ、アメリカは二十世紀最大の大国になることができた。 ここで、司馬さんは<文明というものは、だれもが参加できるもの>というふうに定義して、現代世界において<文明>をもっているのは、アメリカだけかもしれないと断言する。 そうした普遍的な価値をもつ<文明>は、他民族が共存する環境で発生しやすいとも。 この表現は、司馬さんにとって最大級の褒め言葉であったに違いない。 しかし、わたしは<文明>についてはもっと別の見方をしている。 「文明」とは、人類にとって富と権力の異常な集中状態をさす病的な状態なのではあるまいか。 かつて中東古代史大好き人間だったので、わたしは<文明>は文化よりも一段高い状態だと素朴に考えていた。 日本文化には普遍性がない。 しかし、チグリス・ユーフラテス文明や、エジプト文明は、その後の人類におおくの知的な遺産を遺してくれた。だから、偉い。 その文明の直接の後継者であるギリシア文明も、いまだに大きな遺産があるから偉い。 日本文化なんて、茶の湯と歌舞伎や能・狂言だけじゃないか。 などと、とんでもない愚論をまともに考えていたのである。 しかし、最近はそうはおもわない。 陶器を作成した年代だけを素朴に考えれば、日本の東北にいた縄文人のほうが世界でいちばん古いのである。 石器と陶器だけで、精巧な道具をつくって、文化生活を送った石器時代に、世界でいちばん進んだ<文化>をもっていたのは、日本人の先祖だ! しかも、かれらは原始的ながら、のちには金属器さえ自作できた。 ところが、西アジアや、黄河流域の大平原で、富と権力を異常に集中化して、近隣の異民族を奴隷として搾取する<都市文明>が誕生した。 <(都市)文明>は、文字をつくり、暦を造った。そして、商業と工業を生んだ。 どうじに大規模に金属器を製作するシステムも作り上げた。 富と権力の集中過程で、近隣のいろいろな民族が混在して<中心地域>の周囲に生活せざるをえなくなった。 一箇所でガン細胞のように発生した<文明>が、近隣の雑多な民族を己のうちに吸い込むとともに、近隣の民族も刺激をうけて自分たちの<ミニ文明>をつくりあげた。 <文明>は、それを模倣とする雛形の分身を周囲につくりあげずにはいられない。 ひどい例だが、ガン細胞の転移にそっくりだとともいえる。 <文明>のもうひとつの特徴は、自然環境の猛烈な破壊だ。 文化は自然環境と人間の生活環境のおりあいのついた落ち着いた平衡的な生活状態ではあるが、<文明>は文化のような安全弁をとりはらって成長を続ける。 古代文明を早い時期に受容した場所で起きるのが、森林破壊だ。 中国の黄河流域は黄砂が舞い上がる平坦で豊かな畑になったかわりに、河川の氾濫をふせぐ森林がなくなった。 メソポタミア文明、エジプト文明が栄えた土地は砂漠に変わった。 ギリシア文明や、ローマ文明が栄えた地中海沿岸の土地からは、杉やオーク(みずなら)の森林がまったく消失して、低木のオリーブや葡萄しか生えない準砂漠になってしまった。 アメリカもじつは猛烈な勢いで、砂漠化が進行している。 大竜巻がアメリカ中西部を襲うようになったのは、アメリカが農業革命をなしとげた第一次世界大戦の前後からだ。 これは、大規模農業の副産物だった。 そうしたことから考えると、<文明>はあまり有り難い状態ではなくなる。 もしかすると、中国はある時点から<文明>をもつことを止めたのかもしれない。 「中国史は漢の時代から停滞している」 というのが、中国史の定説だ。 しかし、そのようにみえるのは、<文明>であるリスクを捨てて、環境と折り合いをつけるためだった――と、わたしは考えている。 後漢から三国時代・晋時代にかけて、中国の人口は一時は前漢時代のピークの25パーセントにまで減った。 これは戦乱ばかりでなく、漢という統一国家が鉄を大量に生産したおかげで、鉄生産の燃料となる木材を入手するために、深刻な森林破壊が行なわれたせいでもある。 そのため農地が荒廃して、その時点までに増大した人口を養えなくなった。 その人口の空白地帯に、北方の異民族が入り込んで国造りをしていった。 学校で教わった歴史とはちょっと違うが、最近の歴史研究ではそういうことになっている。 中国が<文明>であることを止めたのは、唐の時代以降だろう。 それ以後の中国は異民族の人間が簡単に溶け込める社会ではなくなっている。 たとえ、大勢の異民族出身の王や軍人が歴史に名をとどめているにせよ。 唐以前では、異民族の人間は<文明>に参加する気さえあれば、出自はいっさい問われることはなかった。 世界有数の国際都市<唐の長安>は、中国人になれない異人たちの街でもある。 異境から来た人間がいつのまにか中国人になっているそれ以前の都市とは違う。 ひるがえっていえば、それだけ中国人の民族的アイデンティティが固まったとみるべきだろう。 しかし、そのかわりに中国では順調に人口が増えていった。 それなりに、自然環境と生活環境を調和させる方向へむかったせいだろう。 近年は(あえていえば)<(アメリカ)文明>に毒されて、自然環境を破壊するほうに風向きが変わったようだけれど。 <文明>は自然環境との調和という安全弁を破壊して、富と権力を異常に集中させる人類にとってのガン細胞だ。 <文明>は、人間のあらゆる欲望のブレーキをはずす。 結果的に、知的進歩も猛烈な勢いで加速される。 だから、<文明>は多くの知的遺産を後代に遺すことになる。 ただし、<文明>が誕生した地域は、破壊されつくした荒野として残ることになる。 その場所で、人々は暮していけなくなる。 というふうに、わたしは考える。 以上は、個人的な妄想みたいなもんです。 偉そうな言葉で怒った人、司馬さんの大ファンのひと、あまり気にしないでね。 ところで、話は変わるが、 「論語を読む」(仮第)という日記ページを近々立ち上げることにした。 どうも自分にプレッシャーをかけないと、なかなか読めないような気がするからだ。 たぶん、ごたくを並べたページになるだろうけれど。 とにかく、今年は「論語」「孟子」の儒教グループと、「荘子」「列子」「淮南子」の道教グループをなんとか制覇したい。 21世紀の半ば頃には、あの世にいる公算が高いから、 「元気なうちに世界の古典を制覇しておきたい」 と、これはけっこうマジめに考えています。 お暇なひとがいたら、読んでみてやってください。ペコリ。m(_ _)m |
どうも寒い日が続いています。風邪をひかないように気をつけたいものです。 ところで、またお得意のポカをしてしまいました。 宮本輝氏のライフワークは、「流転の海」でした。昨日の日記は修正しておきました。 「血脈の火」を読んで気がついたのだが、これは芥川賞をとった「泥の河」と舞台が同じではないか。! 「泥の河」は本屋で立ち読みした記憶しかないので、はっきりしたことはいえないが、そのような気がする。 そのうち、調べてみよう。 主人公熊吾というのは、宮本輝氏の実父をモデルにしているらしい。 宮本輝氏も、熊吾の息子伸仁として登場する。 伸仁(宮本輝氏)はこの作品では七歳だが、後年の文豪になる優秀な資質をすでにしめし、 熊吾氏は 「この子は今に大きなことをする。自分はこの子が成人するのを見届けるために生きている」 と、悲壮な覚悟をして、次々と新しい商売に手をだしてトラブルに巻き込まれてゆく。 世話になった他人のことを神格化するのはよくある話だが、自分で自分のことをそんなふうに書くのはすごい。 文豪になるひとは違う。 素直に笑かせていただいた。 さて、このシリーズも三作目に突入したので、いよいよホームドラマのような感覚で読んでいる。 第一作や第二作に登場した人物たちの消息が、ちらほらとわかる仕掛けもいい。 第四作では、熊吾さんはなんの商売をやっているんだろう。 |
「血脈の火」(宮本輝)を読みはじめる。 宮本輝氏のライフワーク「流転の海」の第三作である。 ほんのはじめなので、まだストーリーが展開しはじめていない。 もうすこし読んでから、書くことにする。 しばらく日本古代史で遊んできたが、やはり日本の文化を知るには中国の古典も読まなければだめだと痛感した。 今昔物語、宇治拾遺物語、平家物語や、その外の軍記物にも、中国の古典の逸話なんかがさりげなく取り入れられている。 執筆した人々は当時の最高の文化人だから、そうした典籍をよく知っていたに違いない。 鎌倉仏教の原典でも、事情は同じだ。 今年は、日本の古典にくわえて、中国の古典も読もうとおもう。 しかし、あいかわらず時間がない。 ほんとうに困ったものだ。 なんとか時間をひねくりだして、漢文を読めるようになりたいものだ。 「論語」ぐらいはクリアしておきたい。 じつは昨年から読み続けているが、まだ読み終わっていない。 それもしかたがないことで、「論語」という本は、走り読みしたら、これほど退屈な本もない。 古臭い封建道徳の訓戒としかおもえない。 そのかわり、じっくり考えながら読んでいくと、じつにさまざまな叡智があるらしいことに、いくらボンクラな人間でも気づいてしまうようにできている。 というより、自分の人生経験に照らし合わせながら、訳注をみながら考えていちいち結論を出すというふうに読んでいくべき書物なのである。 だから、訳注を読んでも、素直に納得できずに、 「いや、待てよ。この大先生のおっしゃっていることはオカシい」 と、考えてしまう。 早く読める道理がない。 ところが、そうやって読もうとすると、岩波文庫版はつまらない。 厳密なテキスト至上主義で、いくらもある写本のなかから良質なテキストを厳選してあるが、素人には大切な脚注が足りないのである。 研究者にはいいのだろうが、わたしは別に中国哲学の学徒でもなければ、中国文学の専門家でもない。 わりと大胆な脚注がある「中公文庫版」を愛用している。 訳文もこなれていて、わかりやすい。 だからこそ、かえっていちいち考えこんで読むことになる。 「論語」で、この調子だ。 先がおもいやられる。 でも、今年は「老子」を再読し、「荘子」「列子」「淮南子」「抱朴子」を原文ではなく現代語訳で読んでやろうとおもう。 「論語」も読破して、絶対に「孟子」も読むつもりである。 後厄の年齢に突入したから、豊かな老後のために、いろいろと勉強しておこうとおもうわけである。 われながら、良いジジイになれるのではないかとおもう。 そういえば、高校生のころから、若年寄りといわれてきたっけ。 あたらしいミレニアムをむかえて、いよいよ本領発揮かも…… |
ちょっとがっかりしました。 予想通りで、別にどうということはないのですが、講談社文庫に入っていた金達寿さんの「日本の中の朝鮮文化」は品切れで、今後再版する予定はないそうです。 本屋に注文したところ、端末で検索してから、出版社営業部に直接聞いて確かめてもらいました。 講談社から出ている少しカタい本は、すぐに品切れ・絶版になるので、心配した通りになりました。 神田神保町かどこかの古書店であえることを楽しみにします。 さて、「飛鳥ロマンの旅」(金達寿)にふたたび話題を戻します。 この本は、「日本の中の朝鮮文化」近畿編のダイジェストということで、飛鳥だけでなく、奈良や摂津(大阪西部)、河内(大阪東部)、京都まで守備範囲にしている。 「畿内の古代遺跡めぐり」という副題があるけれど、ほとんどは古い神社仏閣だ。 それもそのはず、神社や寺院は古代豪族の政治・文化センターだったから、いきおいそうならざるをえない。 金達寿氏は戦前生まれだから、日本の国家神道にアレルギーがあった。 だから、神社めぐりは嫌だったのだが、研究がすすんで実際に現地を歩いてみると、十歳まですごした故郷朝鮮の自然や家並みと、神社のまわりのそれがひどく似ていることに驚いた。 プロの詩人でもある金達寿氏の「古代豪族=朝鮮系文化人」説はそうした直感にも触発されているにちがいない。 古事記や日本書紀でおめにかかる意味不明の古代日本語も、朝鮮語から類推できる場合が多いらしい。 たとえば応神天皇の本名「ホンダワケ」の<ワケ>は朝鮮語の<ワング>からの訛りだとか。 「比売許曾神社」(ひめこそ じんじゃ)という各地に分社をもつ神社の「許曾」(こそ)という言葉が、古代朝鮮で祖霊廟を意味する言葉から出来たのではないかという説がある。 赫居世(かくきょせい)という朝鮮民族の伝説的始祖が、朝鮮半島で最古の神社に祭られている。 このうち「居世」という言葉は<〜様>を意味する美称なので、「居世」を<こそ>と呼びかえて、古い日本語では祖先を祭る神社を「許曾」(こそ)と読んだという説がある。 これを云っているのは、金達寿さんではなく、江戸時代の国学者伴信友であるらしい。 社も<社>(こそ)と呼ぶことがある。 ただし、これを突き詰めていくと、悪名高い「日鮮同祖論」ということになって、朝鮮半島に国籍を有する人々の心証を害するから、用心したほうがいいかもしれない。 どうやら、金達寿さんは朝鮮半島の人々にはひどく嫌われている金沢庄三郎氏の「日鮮同祖論」という戦前の本をよく読んでいるようだ。 文中に同書からの引用もあるし、祭の掛け声である「ワッショイ、ワッショイ」がもとは朝鮮語だったというのは「日鮮同祖論」のいちばん有名な例証だ。 とはいえ、古代や中世は民族主義なんてないおおらかな時代だったから、良い男・良い女とみるとすかさず恋愛して子どもをつくったりしている。 だから、こちらも古代・中世を考えるときはのんびりいきたいですね。 ところで、京都で一度いってみたいと思っている神社がある。 酒の神様、<松尾神社>だ。 渡来系の秦氏が祭った神社で、いまでは大山咋神(おおやまぐいのかみ)が祭神となっている。 江戸時代から、どういうわけか、酒造りの神様になった。 劇画「夏子の酒」で、杜氏が「松尾様」を祭っているのが印象的だった。 いや、正確に言えば、夏子がつくろうとしている幻の酒が…… 酒を極力飲まないようにしているせいか、どうもこの手のマンガが欲求不満の代償行為となっているようだ。 気をつけよう。> (自分) 秦氏は養蚕、絹織を主力にして、殖産興業にはげんだ古代氏族だ。 秦の始皇帝の末裔とはいうのは、自分たちの出自を誇る大ボラで、じつは新羅文化グループであった。 とにかく勤勉で、殖産興業にたけている。 松尾神社の隣町には、日本の稲荷神社の総元締め「伏見稲荷大社」もある。 これも、創建したのは、秦氏の秦伊呂具(はたのいろぐ)なる人物だ。 稲荷神は狐ではなく、農耕神だ。 狐はその<お使い>にすぎない。 もともと農耕神だった稲荷神も、やがてあらゆる商工業の繁盛をいのる御利益神にかわった。 ともかく、養蚕、絹織からはじまって、稲作・農業から酒造り、商工業まで、古代豪族秦氏の守備範囲はひろい。 まとまりのない話になってしまったけれど、いつか松尾神社へいって、近所で旨い地酒を探したいとまるで本題と関係のないところで、しめくくります。 |
昨日の日記で間違いがありました。 金達寿さんの「日本の中の朝鮮文化」は講談社文庫に収められていて、全12巻で完結していることがわかりました。 どうもすいません。修正しておきました。 さて、ここから本日の話題。 読書日記と銘打っておいて、どうかと思うけれど、あんまり面白いので、読売新聞日曜版に連載中の米原万里さんのエッセイ「真昼の青空」からロシアの小噺を引用する。 「理想的な人間とは、どんな人のことを言うのでしょうねえ?」 「それは、きっと、イギリス人のように料理がうまく、 フランス人のように外国人を尊敬し、 ドイツ人のようにユーモア・センスに長け、 イタリア人のように生真面目で、 アメリカ人のように外国語が得意で、 ロシア人のように酒を控えめに飲み、 日本人のように個性豊かな人 のことでしょう」 この小噺はもちろん皮肉で、それぞれの国民の有名な欠点を逆説的に並べている。 理想的な人間なんているはずがないことを、ユーモアをこめて主張したいわけだ。 ロシア人もふくめて、国際社会では日本人が没個性的であるという常識がはびこっている。 外国育ちの米原万里さんも、日本へ帰ってきた当初は、こうした日本人没個性論を信じていたが、友達ができてつきあううちに、どうやら日本人にもロシア人たちにも優るとも劣らない個性があることを知るようになった。 昆虫学者の云うところではアリにも紛れもない個性があり、アリの一般的特徴だと思い込んでいたものが、じつは観察した個体だけの個性にすぎないことがよくあるとか。 アリと同列とはひどいが、海外では日本人はアリ並みに無個性なエイリアンだとおもわれているから、比喩としては妥当なのかもしれない。 ところが、「21世紀の日本人はそうならないぞ」と、声をあげた人々がいる。 心理学者河合隼雄氏を座長とする「21世紀日本の構想」懇談会の面々である。 小渕首相の私的諮問機関だから、どれだけの権限があるか、わからないけれど、とんでもなく斬新なので、つい面白く読んでしまった。 懇談会によれば、日本は21世紀ではつぎのような問題にぶちあたる。
義務教育を減らすかわりに、国家が費用を負担してその時間を好きな機関での就学にあてるらしい。いままでの国民教育が駄目であると、自覚したのだろう。 英語を習得させるにあたって、こうした具体的な目標をあげたということは、下の外国人永住権付与の問題とからめると、少子高齢化で人口がまちがいなく減少する将来のために、海外から新しく日本居住者をつのる必要を考えてのことだろう。 この提言が意味するものは、新しい日本の国づくりだ。 おそらく懇談会の人々は、聖徳太子が登場する前の異文化雑居状態を意図的に作り出して、ヴァイタリティに満ちた新しい「クニ」をつくろうとしているのだろう。 それは没個性というかたちで、<和>を重んじてきた日本から、別の価値観を抱く日本に生まれ代わることを希望している。 そうした認識のもとになっているのは、同じく読売新聞1月17日つけの寄稿記事「地球を読む」でアルビン・トフラー/ハイディ・トフラー夫妻が予想しているような21世紀の国際社会のありようだ。 昨年末米国のシアトルで起きたWTO閣僚会議を妨害しようとしたNGO団体のような存在は、これからどんどん増えてくる。 それはいままでの「国民国家」とは別の権力、トフラー夫妻のいう<グローバル剣闘士>だ。 具体的にいえば、多国籍企業、カトリックやイスラムの政治勢力化した旧宗教、民間活動団体(NGO)、さらに反社会勢力である麻薬密輸組織、国際犯罪シンジケートである。 こちらのほうは、国民国家よりも構成員の人数は少ないが、しばしばテクノロジーにおいては、官僚組織よりもはるかに進んでいる。 そして、インターネットなどを通じて、はるかに密接にコミュニケーションや情報共有をなしとげている。 だから、国民国家の百万分の一以下の構成員でありながら、国際的に巨大な影響力を行使しうる独自の権力となっている。 もう「国民国家」が国民を保護・指導できる時代ではない。 もしまだ「国民国家」にできることがあるとすれば、そうした<グローバル剣闘士>の世界で国民がたくましく生きていく手助けをする他はない。 トフラー夫妻は、現在の世界を<ドイツ三十年戦争>になぞらえている。 日本人には、あまりなじみがない<三十年戦争>だが、じつは近代国民国家の出発点は、三十年戦争の成果である<ウェストファリア条約>にある。 長くなるので、詳しいことは書かないが、この戦争を通じて、宗教を国家体制から排除した国民国家が誕生したのである。 いまはまだ新しい世の中の仕組みをきめる新しい<ウェストファリア条約>はできていない。 国民国家と、<グローバル剣闘士>たちはひたすら集合離散をくりかえして、生存競争を続けるだけだ。 「21世紀日本の構想」懇談会は、そうした時代の要請を整理してまとめた。 奇抜にみえるかもしれないが、主旨としては間違っていないとおもう。 ここしばらく日本古代史を読んできた視点からみると、現代日本は聖徳太子から天智・天武・持統の各天皇の時代にいたる<日本人の創成期>にも相当する時代であると、考えないわけにはいかない。 歴史好きとしても、江戸時代の名君や戦国武将の話ばかり読んで、ビジネスのお手本にしている場合じゃない。 「江戸や戦国時代よりも、もっともっと大変な時代に生きているんだ」 と自覚しないと、歴史好きはボケ老人の鼻毛抜きとおんなじことになってしまう。 とにかく面白い時代になったものだ。 |
© 工藤龍大