目次に戻る


■■■――――――――――――――――――――――――――――――■
■    ■                                      No.017  01/06/03    
■      ■          http://www32.ocn.ne.jp/~thkudo/   
■        ■                                                      
■        ■      ドラゴニア通信                                  
■        ■                                                      
■      ■          歴史と読書を楽しむサイト「ドラゴニア」更新情報
■    ■                                                (週刊)  
■■■――――――――――――――――――――――――――――――■


--------------------------------------------------------------

「ドラゴニア通信」は読者登録された方へお届けしています。
歴史と読書のサイト「ドラゴニア」の最新情報をお届けします。

アドレスの登録・解除はこちら↓

      http://www32.ocn.ne.jp/~thkudo/page/trk.htm

==== Index ===================================================

01: 先週のお薦め読書日記(番外)
02: 特別企画「日本語の不思議」
03: 編集後記

==============================================================


--------------------------------------------------------------
◆ 先週のお薦め読書日記(番外)

  このところ忙しさにかまけて、読書日記が更新できません。
 もっぱら掲示板を日記代わりにしています。もっとも、ほとんど「北
斗の拳」BBSと化していますが……。
  それというのも、雑誌『コミックバンチ』で連載がはじまった「蒼天
の拳」のおかげ。
『バンチ』は原哲夫氏の言葉によれば、漫画家有志と編集者が資金を出
し合って創刊した雑誌だそうです。
  いまどきのマンガ雑誌は、売れそうな作品しか載せない。
  資本主義の論理からはしごく真っ当な行為ではありますが、その結果、
少年マンガの分野から読むに値する、いやもっとはっきり言えば、読者
が夢中になるような作品が消滅して二番煎じ、三番煎じの作品ばかりに
なった。
  柳の下のドジョウばかりを狙うから、こんな惨状になってしまった。

  二十年ほど前に大ヒットを飛ばしたベテラン勢も、クリエイターとし
ての枯渇感に苦しんでいた気配が見て取れます。
  他でもない原哲夫氏にしろ、北条司氏にしろ、近作を見る限り、読者
からの手ごたえを感じていないという気がしてなりません。

  そうした漫画家さんたちが、編集者の手を借りて『バンチ』という雑
誌を作ったのだから、一読者としてはその思いに応えなければなります
まい。
  たぶん今時の二十代や十代では、かつての少年マンガのクリエイター
たちの熱い思いを受け止められないんじゃないでしょうか。

  現在三十歳以上の、昔の「男の子」たちだけが、クリエイターたちと
思いを分かち合えるのだと思います。

  最近、いろんなホームページを覗いてみると、四十代くらいの人たち
が特撮(FSXと言うとちょっと違う!)だの、アニメやマンガだのを
熱く語っていますね。

「ヲタク」と呼ばば呼べ。
「♪熱くなれたら、それでいい♪」(*)
  同世代のそんな雄叫び(笑)が聞こえてくるのが、たのもしいです。

    *  アニメ『City Hunter』のエンドテーマ

                                            (了)
--------------------------------------------------------------
◆ 特別企画「日本語の不思議」

  いろいろ外国語を勉強してきましたが、いつも不思議に思うことがあ
ります。
  それは私たちの使っている日本語に似た言葉がないことです。
  アジア系の言葉では、わたしがかろうじて知っているのは中国語と朝
鮮語だけれど、そのどちらも日本語には似ていない。
  あえて言えば、朝鮮語は意味不明の田舎のおっさん・おばさんの方言
と聞こえないこともない。でも、それは朝鮮語の話しかたが、口をもぐ
もぐする東北弁や、物言いがずけずけとした関東弁や、うなぎを素手で
つかむような関西風アクセントのすべてを兼ね備えているからだと思い
ます。
  語彙に関して言えば、朝鮮語の祖語らしいものと日本の上代の言語は
似ている要素も多いけれど、はっきり親縁関係にあるとまではいいきれ
ない。
  ただし、文法はそっくりです。しかし、助詞がそのまま対応している
例はないんじゃないでしょうか。
  日本語の「てにをは」に対応する助詞はあるけれど、その音素はまっ
たく違う。日本語使用者からみれば、「てにをは」に対応する助詞を勝
手に作って人工言語を作ったような感じさえある。
  半島の民族主義者を間違いなく激怒させるような言い方ですが……。

  わたし自身は、その考えはあまり間違っていないと思うのです。
  ただし、人工言語なのは朝鮮語ではありません。
  日本語のほうです。

  古代史のロマンとして、日本語の源流を探すというのがあります。
  いろいろな仮説がありますね。なかにはシュメール語という説もある。
大野晋さんのタミール語説は有名ですね。

  でも、日本語の祖語(原型となる言語)というのは、ほんらいないん
じゃないでしょうか。

  その有力な根拠になっている(とわたしが思う)のは、日本語の柔軟
性です。
「スタンパッテる」という言葉を聞いて唖然としたことがあります。
  これは英語の「スタンパイ」に日本語のサ行変格活用「する」をつけ
た新語です。この手のヘンな英語と日本語の合成語はいやに多い。
  和製英語がやたら多いのも、日本語の柔軟性が発揮されたせいではな
いかと思うのです。
「ナイター」「ランニング・ホームラン」なんてのは英語の辞書には存
在しないけれど、いわれてみればなんとなくわかるって気がします。
  造語の可塑性がいやに際立っている。
  わたしたちが百年前の文章を読むのに苦労しているのは、じつはこの
おかげでして、若い世代には鴎外・漱石の文章は英語なみに難しいらしい。
  これは今に限ったことではなく、「万葉集」ができた奈良時代ですら、
この歌集に収められた歌の中にさえ意味不明の言葉が混じっている。

  造語の可塑性と、異言語受容能力の高さによって、日本語はどんどん
変化している。いや、むしろ変化こそが日本語の本質といっていい。
  それでいて、骨組みとなる日本文法はそれほど変化はしない。
  見た目が変わっているけれど、言語学的な仕組みからみる限り、奈良
時代の日本語も現代のら抜き言葉も同じものです。

  この特徴はどこから来るのか。
  わたしは、日本語がピジン語だったのじゃないかと考えています。
  ピジン語というのは、固有名詞ではありません。別にピジン人という
民族がいて、ピジン語という言語を使っていたというものではありませ
ん。
  これは言語学的な現象のひとつで、多様な言語を使う人々が必要に迫
られて作り出す人工言語なのです。それも意図的であるよりはむしろ偶
然の産物のようにさえ見える。

  イメージとしては、未開地域で物々交換がはじまる。互いに言語が通
じない集団同士が身振り手振りでは足りなくなって、ついに交換する商
品やサービスについて共通の呼び名を与える。
  これで生み出された動詞や名詞・形容詞からピジン語が誕生する。
  近代ではカリブ海でクレオール語が、アフリカではスワヒリ語がこう
して誕生しました。

  本来はヨーロッパ諸国の言語と、その支配下に入った植民地の住民の
言語が混交して出来たものでして、「ピジン」という言葉じたいが英語
の「ビジネス」がなまって出来たとされています。
  もともとの意味はそうなのですが、現代の言語学ではもっと広い意味
にとらえて使っています。そうでなければ、「スワヒリ語」がピジンだ
とはいえないはずですから。

  ただ面倒なことに、ピジン語を母語にする集団が現れると、母語とな
ったピジン語は別の呼ばれ方をする。
  そちらを「クレオール語」といいます。カリブ海域で誕生した現地語
とアフリカ語と英語のピジン語を母語とする言語集団を「クレオール
語」というのですが、それからとった名称ですね。
  言語学的現象としての「クレオール語」と、れっきとした言語集団と
しての「クレオール語」が並存しているからややこしい。

  そこで話を日本へ戻すと、たぶん古い日本にはアジア全土から来た人
々がいたはずです。
  縄文人とはいうけれど、その集団が単純な一系統であったとは考えに
くい。一万年前から始まった縄文時代です。そのあいだに、黒潮だの対
馬海流だの千島海流だのに乗って、ずいぶんいろんな人たちがこの列島
にやってきた。
  それだけの時間をかけて、いろんな出会いがあったのであれば、しか
も圧倒的武力を持った集団もいなかったのであれば、かれらはいろんな
言語を混交させてピジン化させて使っていたに違いない。

  おそらく、ピジン言語の段階はかなり後まで続いたのではないでしょ
うか。
  いろんな学者さんたちの書いたものを読んでみると、どうやら万葉集
が出来るあたりでピジン化が終わったようです。
  逆にいえば、この時代に日本語は出来た。
  その作り手はおそらく中国文化の素養を受けついだ朝鮮系統の官人た
ち。しかし、かれらも漢文(文書化した中国語)と朝鮮語だけではなく、
日常語としてはピジン語をつかわざるを得なかった。
  だからこそ、朝鮮語とは文法がそっくりだけど、語彙には共通するも
のがほとんどない。

―― などという仮説を、最近ますます本当らしく感じるようになりま
した。

  なぜ日本語の発音が、他の東アジア諸国に比べて簡単なのか。
  なぜ日本語の語彙に似たものが言語学的には互いに無関係とされるア
ジア諸言語で見つかるのか。
  そういう謎がこの仮説なら、簡単に説明がつくように思います。

  古代のロマンというばかりじゃなく、アジア諸語のピジン言語から誕
生した「日本語」こそが地球時代の世界語には合っているんじゃないか。
別に大日本帝国の「八紘一宇」の野望を繰り返す気はありませんが、そ
の可能性をわたしたちの言葉が秘めている可能性までは否定することは
ないでしょう。

  ねがわくば、世界の人たちに尊敬されて、この国の言葉を習いたいと
思ってもらえるような国民になりたいですね。

  司馬遼太郎さんがいっていたように、21世紀の日本人は世界から尊
敬されて、親しみをもたれる存在になるしかない。遠大な目標というの
ではなく、そうでなければ生きられないのです。

  資源もお金もない国ですからね。
  人柄と文化で勝負したいものです。
                                      (了)
--------------------------------------------------------------

* 企画「21世紀に読み継ぎたい作家」(フロイト編)はお休みしました。
   来週をお楽しみに。

--------------------------------------------------------------
◆ 編集後記:

  ハリー・ポッター第三巻目は、まだ読了していません。
  週末に読むつもりが、インフルエンザでダウンしてしまったので。

  来週こそはきっちり片をつけます。(笑)
  それにしても、本を始末しようと思った週末にインフルエンザで倒れ
るとは。
  これは本たちの叫びでしょうか?

  自分で言うのもなんなんですが、この国でわたしほど本を大事にする
やつが他にいるだろうか?
  本たちも捨てられるのが嫌なんだろうか?
――などと、布団の中でしょうもないことを考えていました。

  たかが本とはいうけれど、別れがつらい。(涙)
  来週こそは、本たちを処分しないと……。

            工藤龍大

■――――――――――――――――――――――――――――――――■
ドラゴニア通信:  歴史文学と鉄人的読書日記のサイト「ドラゴニア」
発行者:          工藤龍大 (C)Copy right 2001 

■――――――――――――――――――――――――――――――――■


目次に戻る