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■    ■                                      No.028  02/09/21    
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■        ■      ドラゴニア通信                                  
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■      ■          歴史と読書を楽しむサイト「ドラゴニア」更新情報
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==== Index ===================================================

01: ご挨拶
02: エッセイ「夕あり朝あり」
03: 編集後記

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◆ ご挨拶

  前回発行から五ヶ月ぶりとなりました。
  そのあいだ色々あって、「埼玉都民」から東京都民になり、PCの外
部記憶装置が次々と壊れ、プロバイダのメールサーバの異常でメールが
使えなかったり、ネット生活も危機的状態でした。
  もしかしたら、メールが届かずに不義理をしている人がいるかもしれ
ません。

  ところで、六月からごく最近まで本の処分に追われて、読書時間がと
れませんでした。余暇の絶対量と体力残高のかねあいだからやむをえな
いけれど、少々あせりもある。
  いつまでも本が読めるというわけでもなく、視力の衰えも計算しつつ
生涯読む本を選ばなければならない時期だとも思います。
  現代では六十代では老年とはいえないけれど、九十代くらいまでがん
ばる体力は作るのは今しかない。
  逆算しなければ、なにごとも出来なくなっているのが「働きさかり」
という時期なんでしょうね。

  高校時代の同級生が入院したり、なかにはあちらへ旅立った人もいる。
じぶんたちが高校生だったころの、父母の年齢に突入しているのだから、
これもまたいたし方ないかもしれない。

  しょぼくれる暇はありません。
  したたかに自分を鍛えるほかないですね。

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◆ エッセイ「夕あり朝あり」

  いつのまにか四十代となりました。
「青春」という季節はたしかに終わってしまったけれど、いまは「孟夏」
という時期にあたるような気がします。
「孟夏」とは、陰暦で四月をさします。
  夏は、いまでこそレジャー・シーズンですが、農業社会では収穫をえ
るために労苦に耐える時期です。
  四十代は、田植えや草取りの大切な時期なのです。

  そんなことを考えていると、中国の先哲やギリシアの哲人の言葉がな
つかしく、その種の本ばかり読んでいます。

  ちょっと話は違いますが、旧約聖書の創世記に創造主が世界を作る有
名なくだりがあります。

  世界を七日(正確には六日の作業日と休日一日)で作るのですが、
一日が終わるたびに「夕あり朝あり」というフレーズが繰り返される。

  創世記はなんども読んでいたけれど、この言葉に気づかされたのは、
三浦綾子さんの同名小説でした。いくら読んでも、記憶に残らなかった
のです。
  三浦さんの小説を読んで、「夕あり朝あり」という何気ない言葉に
深い含蓄を感じました。

  創造主(いわゆるGOD)は、夕と朝のあいだになにをしていたのだ
ろう。

  もちろん時間を超越した次元の話だから、「夕べ」と「朝」のあいだ
には断絶も持続もなく、夕べと朝は量子跳躍的に時間がワープしている
と考えるべきかもしれない。

 ただ時間と空間を超越した存在であるGODはいざしらず、時間と空
間の申し子である人間のこころは「夕べ」と「朝」のあいだに意味を感
じざるをえない。

「夕」と「朝」にはさまれた闇の時間こそ、人間の領分なのです。
かぼそい光のもとで、朝を迎える準備をし、やがて眠りにつく。
 夜は人間にとって休息というよりは、成長の時間といえます。

  絶対的な時間というものがあるとしたら、夜の闇の産物である人間の
「意識」にはとられられないまばゆい光が輝くGODの時間だけだと、
ヘブライ人は考えたようです。繰り返すけれど、その超越的な時間は
人間の「意識」では絶対に理解も認識もできない。

  生きているといろんなことがあるけれど、本当のことはわたしたちが
あくせくしているのとは別の次元で決定・作業されているような気がし
ます。
  苦しいとか、大変というのは、あくまでもわたしたちのわがままで、
ほんとのリアリティとは無関係ないんじゃないか。

  神の摂理とか、神さまの御計らいとか、天の意志とか、宗教が超越的
なものとして捉えるものは、ひとの意識にはわからない超時間の世界の
動きではないでしょうか。

  悟りというのもおこがましいのだけれど、なんとなく世界はそんな風
にできているような気がします。

  だとしたら、懐疑は幸福にはなにも寄与するところがなく、放下(ほ
うげ)して運命に身をゆだねる生き方がいちばん賢く、たしかなものと
いえるのではないか。

  いま住んでいる家の下を、川が流れています。
  まいにち川の流れを眺めて暮らしていると、水は偉いなと思います。

  なんの証拠もないのですが、「老子」を書いた人は川の側に住んでい
たような気がします。あれは、水の徳を称えた本ですから。
  「老子」の著者は水の徳と知恵をわがものにしようとしています。

  そういえば、創世記にも「神の霊が水の面を漂っていた」という文が
あります。二行目です。世界創造の前で、大地は形作られていないし、
闇が深淵を覆うだけ状態でした。しかし水はあったのです。

  神学的には秘められた意味があるのでしょうが、素人には「水」は世
界ができる以前からあった道(タオ)だといっているようにも受け止め
られる。

  川の流れのように生きる―というのが、ギリシアやインドの哲人の理
想です。

  飛躍をおそれずにいえば、創造者の昼の時間に住むことができない人
の意識でも、水の徳を見習うことはできる。

  人は夕べと朝のあいだに横たわる夜の時間を生きる。だから人にとっ
て、「水」は偉大な教師なのかもしれません。


                                                 (終)


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◆ 編集後記:

  メル・ギブソンが、ラテン語とアラム語の科白だけで構成された、字
幕なしのキリスト伝の映画化を計画しているとか。

  個人的な趣味ですが、ぜひ映画化してほしいと思います。

  イエスの時代、ヘブライ語は死語だからユダヤ人の祭司がお祈りのと
きに読む程度。仏教のお経よりもまだ縁遠い。陀羅尼や真言(マントラ)
みたいに、もとのサンスクリットとは似てもにつかない呪文めいたものと
一般から受け取られていた。

  だとすれば、ナザレ村の大工の若者がヘブライ語を話していたとは思
えない。またローマの総督ピラトやヘロデ王は、当然ラテン語で会話し
ていた。

  また白皙金髪で、瞳が碧く長身痩躯な北欧人種のイエスというのも、
あまりにも歴史的リアリティを無視している。

  ずんぐりとして体格がよく、肌が浅黒くて、黒髪・ちぢれ毛・髭面。
そして目が黒いイエスというのも見てみたい。

  そんなイエス像に限りなく近いを演じる俳優といえば、―プロデュー
サー兼監督のメル・ギブソンご本人でしょうか?


追記:
  今回はかなり宗教がかった内容です。
  知人の訃報に接したせいか、娑婆世界よりも精神世界(あちら)の方
にあたまが行っています。
  これも「孟夏」の証拠かもしれません。
  さよなら、青春!です。

                                          (終)

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