やっとマシンが安定してくれています。ありがたい。 ところで、Outlookが死んだので、入れ替えました。 こうなると、次はどうくるか。 賢い皆さんはすでにお気づきでしょうが、そうです。 メール・アドレスが消えてしまったのです。 つい慣れてしまって、紙に書いておくのを怠ってしまいました。 もし、旧知の方でこの日記を見た方はメールください。 お願いします。 ところで、やっと「イスラームの心」(黒田壽郎)にとりかかれます。 この本が書かれたころは、まだバニサドル氏がイラン大統領だった。 どうやら、イラン革命の熱気がイスラム研究家をかきたてて、一冊の書物を生んだというころらしい。 こういうことを書くと何を偉そうにと言われそうだが、この本の大部分はあくまでも簡単なイスラーム入門でしかない。 たとえ、自薦弁護人の熱意はありあまるほどあるにせよ。 でも、ついでだから、ざっと簡単に紹介だけしてみよう。 ムハンマッド(黒田氏によれば、マホメットと呼んではいけないそうだ)が死んだ後の権力争いに乗じて、簒奪者ムアーウィヤがウマイヤ王朝を作る。 開祖ムハンマッドの理想主義は、ここに崩れて、あとのイスラム世界では世俗的なパワーポリティックスがはばを効かせることになる。 いまのイスラム原理主義というのは、実態は民族独立運動だが、建前としてはこのムハンマッドと、四大カリフとよばれるその正統的後継者の政治へ復古することを目的としている。 政治と宗教が分離していないイスラム社会では、<ウラマー>と呼ばれるイスラム宗教法学者(イランでは<モッラー>と言う)が裁判官・行政官・弁護士・カウンセラー・民生委員とでも言えるほど、日常生活のあらゆる場面にかかわってくる。 この人々が当初の新社会建設の情熱を忘れ、政治的支配者と妥協を重ねて、頑迷な保守主義と知的停滞に陥ってしまった。イスラム社会が科学・経済の面で停滞した最大の原因が、ウラマーたちだ。 ローマのカトリック教会が中世以来の権威と権力を握ったような社会であったわけだ。 ここまでは、よく知られていることで、ことさら書く必要などないのだが、現代のイスラムの復古運動の中心にいるのも、このウラマーたちだ。 一時は自分たちよりもはるかに遅れていた野蛮なヨーロッパに、18世紀以後イスラム諸国は次々と植民地化される。 ルネッサンスのころは、はっきりいえば、ヨーロッパなど野蛮人の棲む国だと馬鹿にしていただけに、ウラマーたちの衝撃は大きかった。 そこで、近代ヨーロッパ思想を学び、イスラム国家の手直しを目指すものが現れた。 イラン革命の思想的父といわれるアリー・シャリアーティ(1933-1944)もそのひとりだ。 フランスに留学してJ・P・サルトルに師事して、のちには植民地主義を糾弾する思想家フランツ・ファノンの著作を次々とペルシア語に翻訳した。 「友よ、胸のむかつくようなヨーロッパの猿真似はやめよう。人間性についてたえず、声高に語りながら、見つけしだい人間を破壊するヨーロッパに別れをつげよう」 と、宣言したシャリアーティはイスラムの理想の価値を再発見して、独自の近代化をかかげ、ついにはイスラム現象学ともいうべき思想を構築するが、亡命先のロンドンで当時のイラン秘密警察によって毒殺された。 しかし自分自身から居を遷そうと試みる者は、まず死から始める」 (アリー・シャリアーティ)
ここに現れている思想は、「公共善」のためには「卑小な自我を殺せ!」という強烈な理想主義だ。 イラン・イラク戦争での、革命戦士たちはこの理想主義に殉じた。 この本が出てから、20年後の現代では、イランでさえ様子ががらりと変わっている。 昨日行われたイラン総選挙ではハタミ大統領の漸進的な西欧民主派が主流となり、過激なイスラム革命派が保守派とされて議席数を減らしそうだ。 ホメイニ体制のいきすぎた革命主義に国民が幻滅したせいなのだが、ハタミ大統領もイラン革命で国外逃亡したパーレビ・シャーのような西欧化は考えていないだろう。 黒田氏は今後のイスラム国家のゆくえとして、三つのタイプをあげた。 ひとつは、オイルマネーをヨーロッパ・アメリカ資本にばらまくかたちで特権層のみの近代化。これはイランで失敗したやりかた。 ひとつは民族主義と社会主義を組み合わせたタイプ。サダム・フセインのイラクみたいな国だ。 もうひとつはイスラム色を強く押し出した王政や共和政。これにあたるのは、サウジアラビアだ。 みたところ、どれもうまくいっていない。 イラクはテロリスト国家になってしまったし、サウジアラビアはイスラム原理主義革命におびえている。 ハタミ政権は、こうした三分法とはまったく別の近代化を模索せざるをえない。 難しいところだ。 |
昨日は、日付を間違えていたよーです。すいません。 これがいまのところ、いちばん新しい日記です。 ところで、Windows が死んでしまったので、昨日はひどい目にあった。 Y2K対応モジュールをインストールしてから、調子が悪くなった。 うちのOSは、95だった。ハードを買ったときの環境で使い続けるのがベストだと思っているので、98は導入しなかった。 2000年になると、どういうわけかおかしな現象が出始めたので、MSからダウンロードして対応したのが運のつきであった。 結局、旧Winodowsにインストールしたソフトはほとんど入れ替えになった。 ついでから、WINDOWS 98 second edition に今ごろアップした。 たかがアップデート・モジュールで、これだ! Windows 2000 は絶対に買わないぞ! 6万4000のバグがあるOSなんて、誰が買うんだ、まったく!! おかげで、「イスラームの心」(黒田壽郎)を読了できた。 インストールに何度も失敗して、ついにはDOSと95を再導入したあげく、やっと成功した。 やった人はわかるけれど、こういう時って、やたら時間がかかる。 コンピュータ画面と活字ばかり見ていたので、目が痛い。 でも、なんとか98が動くようになったので、うれしい。 おもえば、Windows 2000 発売の前日に、わがマシーンが倒れるとは、MSの陰謀だろうか。 まだソフトのインストールが残っているので、「イスラームの心」についてはまた明日。 やっぱり、あつい本でした。 (物理的には、中公新書なんでたいしたことないですが) |
「イスラームの心」(黒田壽郎)を読む。 昨日は日本の古典を読んでいたというのに、今日はいきなり中東へ跳ぶ。 「メッカ」という言葉があった。 もちろん原義はサウジアラピアの宗教都市だから、地名としては今も健在だ。 ただし、「モードのメッカ」「映画のメッカ」という用法は、もう誰も使わない。 とっくの昔に、<死語の世界>云ってしまったとばかり思っていた。 いきなり、妙なことを言い出してしまった。なんのことか、たぶん読んでいる人にはわからないだろう。 なぜ、こんなことを書いたのかというと、「イスラームの心」という本のせいだ。 「学問のメッカとは言うが、メッカでどんな学問をしているのか、日本人は知っているのか!」 ――と、イスラム研究者の黒田氏が冒頭でタンカを切っていた。 昭和一桁の黒田氏の熱血に、ボケとやる気の無さで有名な昭和三十年代生まれのわたしがついていけなかっただけである。 しらけてしまったもので、つい余計なことを連想した。 イスラムという西欧近代とは異質な思想で動く生存圏が、現代社会においてはますます重要なポジションを占めている。 日本でも灯油・ガソリンというだけで関係があるわけでもなく、池袋の公園で断食月(ラマダーン)の集会に数百人のイスラム教徒が集まるわけである。 それでいて、イスラム世界への情報源は、いまだにニューズウィークやル・モンドだったりする。西欧の四大通信社の記事を組み合わせて、したり顔に時事解説する記者さんたちが大多数だ。 田中宇さんみたいに、アラブ語圏の英字新聞から情報をとる人もいるが、やはり少数派だろう。 「それでいいのか!」 と、熱血昭和一桁の黒田壽郎氏は怒る。 「松のことは松に問え!」 と俳聖芭蕉も云っているではないか。 というわけで、イスラームのことはワタシに任せてちょーだいっと、黒田氏は「イスラムの言い分」を代弁するべく、張り切りまくっているのが、この本である。 だから、細かい歴史的事実をごちゃごちゃ書くような頭の悪いことはしない。 剛刀で一刀両断にぶった切るように、熱い思いで「イスラム=イワシの頭」主義を叩きのめす。 「イワシの頭も信心」という諺は、五月の節句に邪気払いとして鰯(いわし)の頭を戸口に飾った故事から来ているが、もちろん黒田氏は慣用的に使われている反宗教的な意味で使っている。 イスラムはけっして鰯の頭ではない! 昭和一桁の熱気あふれるこの書物を、はたして昭和三十年代の「しらけ世代」が読み終えることができるだろうか。 じつは、そんな不安が湧いてきて仕方がないのです。 あちちちちちっちちちちっ! |
えらく寒い日だった。 道を歩いていても、寒くてたまらないので書店に入ってぬくまる。 ついでに、岩波文庫の「和泉式部日記」を買う。 ほとんど何も考えない衝動買いである。 古典&日本史おたくも、ついにここまで来たか! そういえば、去年の今ごろも古典にはまっていたような気がする。 わたしって、本能だけで生きているのね……(笑) 解説を一気に読んでしまった。 和泉式部というのは、紫式部と同じ時期に中宮彰子(しょうし)に仕えた有名な歌人である。 恋多き美女として有名で、夫がいながら、冷泉天皇の二人の息子、弾正の宮(為尊親王)と師(そち)の宮(敦道親王)と夫婦同然の愛人関係にあった。 夫橘道貞とは不仲というわけではなく、親王と同居する愛人生活を送りながら、夫を思慕する歌を詠んでいる。夫との間には、のちに女流歌人として名をなす小式部内侍ほか数人の子どもを生んでいる。 淫乱というか、多情多恨というか、すさまじい女性原理に生きた人である。 冷泉天皇の皇子たちはそろいもそろって、容姿端麗で教養があり、しかも軽薄な浮気男だった。 じつは二人とも藤原摂関家から正妻を迎えていたが、ものたりないので、他の女にもいろいろ手を出している。 もちろん、相手は和泉式部だけではない。 ふたりとも、若死にしている。兄の弾正の宮が死んで一年たった頃、師の宮が粉をかけると、和泉式部はあっけなく関係を結んでしまう。 師の宮は、愛人和泉式部を正妻が住む自宅へ引き入れてしまったので、正妻のほうは泣く泣く家を出た。 しかし、その一年後には宮は病死する。 「和泉式部日記」は、師の宮との恋愛から同居までの出来事を物語風に書いたものだ。 うかれきった恋愛中毒の女の物語だが、どういうものか、ばかに面白い。 自然をみては、恋の行方だけを心配する生活。 月をみても、朝焼けをみても、雲をみても、天気が晴れても、曇っても、雨が降っても、なにがどうあろうと、恋しい恋しいと袖を涙で濡らす。 …… (書いていて、笑い出してしまった。笑いがとまるまで、しばらく休む)。 …… はーっ、苦しかった。 こんなのが、究極の愛人生活とでもいうのであろうか。(爆笑) …… とはいえ、これが面白くて止められない。 男に言い寄られるたびに拒むことなく次々と関係を結ぶ淫乱な超美女――というのは、男という生き物にとっては、いっしゅ神聖な女神めいた存在に思える。 その根っこには、日本の男どもの最大の弱点、母性思慕(=甘ったれたマザコン)があるに決まっているが。 途中まで読んでいるうちに、チェーホフの「可愛い女」を連想した。 世の女のひとがどう考えようと、和泉式部とチョーホフの「可愛い女」は、男の理想像なんだ。 これがわからん男は、男じゃない。 隠れホモかもしれないから、注意するように。 伝説では、和泉式部は神と対話したと云われている。 いまに残る詞書では、京都の貴船神社に参詣して、夕暮れの御手洗川に蛍が飛び交うのをみて、和泉式部が歌を詠むと、貴船明神が感応して歌を詠んだとされる。 神の和歌は、はっきりと男の声で、和泉式部の耳に聞こえたとか。 やはり、この女性には、「原始おんなは太陽だった」時代の神懸かりの巫女の血が流れていたのかもしれない。 母権制だった上古には、巫女は神聖娼婦として、言い寄る男たちと情交する習わしだった。 のちの白拍子や遊女に、そういう神聖娼婦の面影が残っているように、和泉式部は太古的な体質をうけついだシャーマンだったのだろう。 「古代東国物語」(永岡治)については、また明日。 |
「古代東国物語 荒ぶる神々の系譜」(永岡治)を読む。 以前、この読書日記でも書いたが、日本列島には「東国」と「西国」という二つの文化圏がある。 交通が便利になった現代において、そんなことは関係ないだろうと思うと、さにあらず。 (すいません。「徳川三代」徳川光圀役の中村梅雀のファンなもので、つい口調が……) 現代日本においても、結婚カップルを調査すると、中部地方を境にして東と西に分けると、圧倒的多数は東同士、西同士ということになる。 網野善彦さんの「東と西の語る日本の歴史」のデータは、けっこう古かったが、同じことを示していた。 「東おとこに京女」というのは、現実にはウソで、京都の芸妓はんが東京のダンナを誑す<殺し文句>にすぎない……のではないか。 味噌も違えば、餅のかたちも違う。雑煮も違う。文化の違いは大きい。 雑煮に鮭とイクラを入れるのは納得できるけれど、アズキや味噌仕立てだとどうもネと思うのは、わたしが「東国」のさい果て、渡島(平安時代の北海道の旧名)出身だからである。ちなみに、雑煮に鮭とイクラを入れるのは、越の国(新潟の旧名)の習俗だ。 一緒に暮してみると、身にしみてわかるのが、育った文化の違い―― やっぱり京のおなごはんも、ほんとは京都の「おとこはん」がしっくりするようである。 このデータは、ごく最近の読売新聞の文化欄に載っていた。 (データが読売新聞というのも、「朝まで生テレビ」に出ていた共産党の国会議員みたいで恥ずかしいが……) いろんな国の人々と国際結婚するケースが増えている時代だが、大多数の男女は今でもそんなものなんだろう。 しかし、今回の話題は世相批判ではない。 大事なのは、「東国は偉い」と声を大にして叫ぶことである。 しかし、その前にひとつはっきりしておかなければならない。 「東国」とは、どこを云うのかという<境界線>である。 「東国」の境界線は時代に応じて変わっていった。 大和朝廷の東にあって、その勢力が及ばない地域が「東国」とされた。 上古では、伊勢(三重)・尾張(愛知)・美濃(岐阜)・越前(福井・石川)あたりも「東国」だった。 五世紀頃になると、上の領域は畿内となり、東国とは認識されなくなって、三河(愛知)、遠江・駿河・伊豆(静岡)、信濃(長野)・甲斐(山梨)・越中(富山)あたりから東国とされる。 さらにその先には、「あずま」(関東)、「みちのく」(東北)、「渡島(おしま)」(北海道)が控えている。 大和朝廷は、勢力圏に組み入れた「東国」を前進基地として、その先にいるまつろわぬ人々を支配する侵略を営々と続けることになる。 ところで、面白いことに、「東国」は大和朝廷の支配者の軍事力の担い手だった。 大和朝廷の一王家(仁徳天皇に始まる河内王朝)断絶後に、大和朝廷の支配者となったのは越前出身の豪族・継体朝(越前王朝)である。 さらに、大化の改新の黒幕のひとり、藤原鎌足は東国(茨城県)の鹿島神宮あたりの出身だった。このことは、「大鏡」にきちんと書いてあるから、ホントである。 古代最大の乱といえば、大海人皇子が甥・大友皇子を倒した壬申の乱だ。 この戦争において戦略上のポイントは、関ヶ原のあたりにあった関所<不破の関>の制圧だった。 ここを先に押さえた大海人皇子が、最終的に大友皇子を攻め滅ぼして、天武天皇として即位するのはご承知のとおり。 なぜ、<不破の関>が大事かといえば、ここを制したものが東国の兵力を掌握できたからだ。 美濃・伊勢の兵力を先鋒として、ぞくぞくと集結した東国兵力を傘下におさめたおかげで、大海人皇子は近江の豪族だけが頼りの大友皇子を圧倒することができた。 東国はこんな風に大和朝廷の権力闘争に利用され、朝鮮半島進出にあたっては朝廷の軍事力の主力となった。 唐・新羅の連合軍に朝鮮半島からたたき出されてからは、今度は東北侵略の前進基地として、大和朝廷に人・資材・資金を提供しつづけた。 「東国」が大和朝廷の「西国」に奉仕し続ける歴史に休止符を打つのが、北条氏の鎌倉幕府だ。源頼朝は、じつは「東国」生え抜きではなく、意識としては宮廷貴族に近い。 関東人として東国主権を考えたのは、北条氏一族だった。 「東国」が京都と縁切りして、自立を模索するのが、戦国時代のころから。江戸幕府でようやく東国王権が誕生した。 それまでは、東国は西国に利用されっぱなしだった。 その怒りが、「平将門の乱」を生んだ。 関東の民が平将門を、「関東の地霊」として崇めたのは、西国から自立したいという悲願の現われだった。 |
困ったもので、本日も昼間から酒を飲んでしまった。 ついでに、昼寝して時間をつぶした。 夜はNHK大河で久しぶりに面白いジェームズ三木脚本の「葵 徳川三代」を観る。 これでは、本など読む閑がない。 それにしても、 昨日のNHKスペシャルには驚いた。 人類に近い類人猿ボノボのドキュメンタリーだ。 ボノボって、なんだろう。聞いたことがない。新種の類人猿が発見されたのだろうか? という物好きが昂じて、観てしまいました。 類人猿ボノボの正体はあっけなくわかった。 番組では一言も言っていなかったけれど、これは日本の京大のサル学研究グループが研究していた<ピグミー・チンパンジー>という類人猿だ。 今では知っている人もいないだろうが、「人類より染色体が一個たりない謎の類人猿<オリバー君>」というのがいた。 そんな生き物かと期待していたので、ちょっとがっかりした。 それにしても、どういうことなんだろう。 <ピグミー・チンバンジー>については、すでに何度もドキュメンタリーを造ったことがあるNHKだ。 なぜ、その事に一言も触れないんだろう。 わたしがただ物知らずで、勘違いしているだけなのか? <ピグミー・チンパンジー>は、チンパンジーとよりもはるかに人類に近い。群れの構成が人類の一夫一妻制に近いせいか、社会生活も人類のそれを似ている。 群れ同士で戦争もやるし、サル類にはめずらしくケンカで殺し合いをしたりもする。 肉食を好み、ときどき仲間をいじめ殺すなど、サル類にあっては珍しく人類と趣味が似ている。 人類に似て、陰険で狂暴なサル類は、チンパンジーくらいのものだと思われていたが、<ピグミー・チンパンジー>ははるかに人類に似ている。 それもそのはず、類人猿でも高貴で精神的で平和主義的なゴリラの先祖と、チンパンジーや人類の先祖は遠い昔に進化のたもとをわかっている。さらに、わたしたちの共通の御先祖から、さきにチンパンジーが分化して、次に<ピグミー・チンパンジー>が、人類と分かれた。 だから、ピグミー・チンパンジーこと<ボノボ>は、地球上の生き物で、人類といちばん血縁が濃い。 ボノボの兄妹、カンジとバンバニーシャというのが、ドキュメンタリーの主人公だ。 石器を作ったり、タッチすると音声を発する特製キーボードで文字コミュニケーションをしたりと、兄妹は驚異的な知能を発揮していた。年齢は19歳だとか。 ここまでは、いい。 ところが、唖然としたのは、妹が子どもを生んだ。ちなみに、研究所にいるボノボは兄と妹だけである。 こんなことはいかんのではないか? それとも、近親結婚しないように、他の雄をつれてきたのか? こんな疑問をもったとたんに、番組全体があやしく思えてきた。 兄妹の育ての親の女性研究者、二匹を赤ん坊の頃から、親から引き離して、育ててきた。 類人猿社会に還そうという気はさらさらなく、餌の取り方も教えず、ただ知能実験のために二匹を育てた。 二匹は石器を作ったり、文字を覚えたりはしたが、野性ではもう暮せない。 「こういうことが出来る神経が凄いッ!」 と、学問がさっぱりわからないおバカなワタシは考える。 立派な研究室のゲージのなかで、捕獲された子どもサルを育てて知能実験をくりかえし、人類の言語発達や文化の進化を研究する学者はエラい。 きっとホメたたえなければならないのだろう。 本人がほしかったら、ノーベル賞でも国民栄誉賞でもTVチャンピオンでもあげるべきであろう。 でも、わたしとしては、おなじ類人猿研究者なら、ジャングルに座り込んで、ゴリラとお友だちになる修業をしている人が好きだ。 そっちのほうが人間らしくていい。 明日こそは、酒を断って、本を読もうとおもう。 |
いい加減年を食うと、他人に読んでいると知られるのが、恥ずかしい本というのがある。 もちろん、アダルト関係の雑誌なんかもそうだけど、そっちの方はかえって居直って読めないこともない。 朝、電車に乗っていると、風俗関係の記事や宣伝が人目をひくデカい活字で飛び込んでくるわけだし。 しかし、裸のお姉さん関係でないにもかかわらず、そうはいかない本もある。 たとえば、武者小路実篤の「人生論」。 「大人の特選街」や「ナイタイ」は電車に乗っているときや職場の休み時間に読んでもいいが、いい年して「人生論」を読んでいたりすると、社会人としての、大人のオトコとしての面子が吹っ飛んでしまう。 ところが、困ったことに、わたしは武者小路実篤の「人生論」を読んでいるのである。 とっくに、本厄も終り、後厄の年齢に突入しているというのに。 もっと困ったことに、けっこう感動しながら、読んでいる。 これを、ガキに読ませるのはもったいない。 武者小路さんがどれだけ良い事を云っているか、十代のガキにわかるか。 ――と、暴走気味に考えている。 いまの世の中、気の利いた「毒舌」を吐かないと、なかなか人気者になれないから、メディアや出版関係でも「毒舌」が花盛りだ。 でも、「毒舌」はやっぱり毒であって、精神をじょじょに消耗させて、感覚を麻痺させてゆく。 「毒舌」の陰にいかに愛情があふれていても、そこに篭められた毒素が消滅するわけではない。 「毒舌」の上手な「良い人」は、けっきょく不幸な人でもある。 仏教というのは、苦労人の哲学 兼 処世手引書みたいなところがある。 その仏教において、人に無償で施す善行として、「愛顔布施」「愛語布施」というのがある。 御布施という言葉の本来の意味は、死体処理関連サービス業者にふんだくられる墓地保守料金の一部では、もちろん無い。 他者に無償で施すべき、善行であった。 お金や食べ物がなければ、無料奉仕であってもいいし、知恵を貸すことであってもいい。もしも、諸般の事情から、それさえできなければ、「にっこり微笑む」「優しい言葉をかける」「感謝を言葉で表現する」だけでもよい。 それが、「愛顔布施」と「愛語布施」だ。 シャカという人は、そうした行為がどれほど人の救いになるかを知っていた。 だから、「毒舌」のような言葉は、たとえどれほど根底に愛情があると言い張っても、「邪言」として禁止した。 苦労人のシャカは、「毒舌」の有害さを知り抜いていた。 「毒舌」というのは、19世紀フランス芸術家が愛好したアブサン酒みたいなもので、効き目が強烈で、飲んでいるといっぱしカッコウがつくという美点もあるが、飲み手の精神と肉体を徐々に破壊してゆく困った点も似ている。 たまには、毒舌がまるでない言葉に触れてみることが、精神と肉体の健康には必要だ。 霊感が発達している人には、本棚の本を見るだけで、邪気を発散する本と、光を発する本の見分けがつくらしい。 たぶん、霊眼が開いた人には、この本の活字がピカピカ光って見えている。 ――わたしはそう想像している。 私は権威なきものだが、涙ぐんで祈りたい。五十四歳で、こんなことを書いていた武者小路さんはずいぶん素敵な人だと思う。 |
昨日は「風の谷のナウシカ」をみていたので、読書ができず。 これで何度観たことだろう。 考えてみたら、初回公開時に劇場で一日に3回観たときから、名画座(もう死語だ、ぐっすん)・TV・ビデオと半年に一遍のベースで観ている。 科白も、絵柄も、すっかり頭に焼き付いているのに、なんども観てしまう。 ところで、今回のTV放映はクリア・ビジョンだというだけで、ずいぶん画面が奇麗に感じた。 この調子でいくと、ハイ・ビジョン化やデジタル化したら、TV画面もばかにならない高品質となるだろう。 映像好きのわたしとしては、読書などせずに、TV画面にかじりつく恐れがある。 気をつけよう。 本日(12日)は久しぶりに図書館へゆく。 図書館が蔵書点検するので、しばらく休館することになった。だから、あわてて出かけた。 本は自腹を切って買う主義だけれど、専門書に近い本は高すぎて手がでない。 やむをえず、借りることにしている。 今回の目玉は「三宝絵」(源為憲)という平安時代の仏教入門書である。 がんばって読もう! それにしても、イタリア文学やロシア・東欧文学の棚が充実していた。 この当たりはぜんぜん詳しくないのだけれど、ぱらぱらめくってみると実に面白そうだ。 少々値が張るし、ハードカバーだから、わが陋屋にすべてを購入するのは不可能だと思い定めた。 主旨がえして、これからは図書館で文学書を借りまくることにしました! でも、わたしが読みたい本を読んでいるひとはほとんどいないことは、旧システムの図書カード(本についているやつ!)を見れば一目瞭然! はーっ、孤独だ…… |
「床屋医者パレ」(ジャンヌ・カルボニエ)を読む。 福武文庫の児童文学の一冊。 しかし、へたな西洋歴史小説などより、はるかに読みでがある。 主人公アンブロワーズ・パレは、近代外科医学を樹立した巨人だ。 フランス生まれで、時代でいえば、16世紀のユグノー戦争にほぼ生涯を過ごした。モンテーニュやパラケルスス、そしてノストラダムスの同時代人である。 16世紀は、ルターの宗教改革がはじまって、ヨーロッパ全体で宗教戦争をやっていた時代だ。 しかも、15世紀に小銃と大砲を戦場で使うようになってから、兵士たちは惨たらしい銃創に苦しむことになる。 もっと恐ろしいのは、銃創には火薬の毒が含まれるという医学的思想から、傷口に煮えたぎった油をそそぎかけたり、真っ赤に焼けた鉄棒を押し当てた。 当然ではあるが、この処置をうけたおかげで、かえって死期を早めた負傷者はおびただしい数にのぼる。だが、だれもこの「経験的知識」を疑わない。 負傷者だけが、悲鳴をあげて、身をよじって逃げようとするが、戦友たちの友情にしっかりと押さえつけられて「正しい処置」を受ける。結果は「熱い」友情に見守られながら、息をひきとったりする。 それでも、人間の生命力はしぶといもので生き続けられる場合もある。 殺しても死なない――というのは、こういうことか。すごい話だ。 ショック死する負傷者が続出する「正しい治療法」に疑問を抱いて、パレは膏薬をつくって傷の化膿を防ぐ方法を考案した。 おかげで、以後の治療は格段に進歩した。 大砲の砲弾や火縄銃の銃弾では、骨が砕け散るので、四肢の切断手術がさかんになった。 そこでも動脈からの大流血を防ぐために、切断した四肢の傷口を真っ赤に焼けた鉄棒を押し当てて血管を塞いだ。 負傷者にとっては、地獄の拷問よりも恐れられた「正しい治療法」はかえって死者の数を増やすだけだった。 パレは、動脈を糸で結ぶことで、負傷者の生存率をはねあげた。 こうした新しい治療法を考案したおかげで、パレは名医と謳われたが、同時に頑迷な大学人から執拗な攻撃をうける。 パレの一生は、医学の発展と、大学関係者との闘争に費やされた。 それというのも、当時、外科は床屋の仕事であった。 内科は、ギリシア・ローマの古典(ラテン語で翻訳・執筆されたもの)にもとづいて大学で学んだ教授しかおこなえない。 解剖も床屋の仕事である。 解剖の講義をするときは、大学の先生(すべて内科医)は床屋を助手にする。 ところが、そうした床屋にも二種類あって、「医者床屋」と「床屋医者」と区別される。 「医者床屋」は大学でラテン語の医学書籍を学んだもの。こっちは医者の組合(ギルド)に属していて、内科医よりは下だが、「床屋医者」を見下していた。 「床屋医者」といっても、大学ではないが、医者の専門学校みたいなところで学んでいるので、ただの理髪師ではない。(もちろん、ただの理髪師が外科作業をする場合もあり、きちんと勉強した医学技術者と、理髪業を主な仕事とする「髪結い職人」が併存していた) こちらが所属するのは、理髪師の組合(ギルド)だ。 ただし、「医者床屋」も「床屋医者」も理髪業を兼業する建前だ。 近世のヨーロッパでは、組合(ギルド)に入っていなければ、農民以外の仕事につくことはできない。 呆れた話だが、乞食にもギルドがあった。 パレは格下の「床屋医者」だった。 のちには、名医の評判があがり、歴代国王の侍医となった。医学書を世にあらわして、「医者床屋」として、大学で講義することにもなった。 外科医の社会的地位が向上したのは、パレの活躍のおかげだった。 ともかく、20世紀に生きているわたしが、盲腸の手術をうけても、真っ赤な鉄棒を傷口に押し当てて「治療」されなかったのは、床屋医者パレ先生のおかげであった! ほんとに、ありがたいことである。 |
昨日に続いて、また「『空気』の研究」(山本七平)である。 あんまり哲学的思考をしない、この読書日記の作者には珍しいことではあるが、事態はひどく核心的なところに入っているような気がするので、しぶとく続けます。 しかも、旧約聖書を読むうえで大切なことを、この本から教わりました。 先日の言葉を翻すようだが、「空気」というものは、日本人だけに発生するものではないらしい。 こうしたものは、ユダヤ人は「ルーア」と呼び、それがギリシア語で「プネウマ」、ラテン語で「アニマ」と訳された。 驚いたことに、それぞれの言語のもともとの原義は、「風」「空気」だという。 日本の「空気」と同じである。 さらに日本の「空気」と同じように、こうした「ルーア」「プネウマ」「アニマ」には、「非物質的霊魂」「精神」「言霊(ことだま)」という意味領域さえ含んでいる。 「プネウマ」という奇妙な存在が、人間を縛り付け、いっさいの自由を奪い取り、判断・行動・言論の自由が消失して、人間を完全に呪縛して、ときには破滅にいたることが分かりきっている決定さえ行なわせる。 ユダヤ社会や西洋社会は、その存在を認め、なんとかそれから逃れようとした。 なぜか。 「空気」の支配がなりたつのは、重要な決断を先延ばししても、集団が生き延びられる場合に限られる。 クリティカルな問題を決断して、集団の命運をその決断に委ねる。決断によっては、民族・集団は皆殺しにされかねない。 そんな中東型・西洋型の社会では、「空気」に流されたら、周辺の敵にたちまち殺されてしまう。 だからこそ、ぎゃくに神棚に祭り上げるかたちで、絶対的な正しさを唯一神にだけ認めて、それ以外のあらゆる事象を相対化して、問題解決をはかる方法が求められた。 必要は発明の母というわけである。 唯一神という絶対があるおかげで、身動きされないほど「プネウマ」(=空気の西洋的表現)に呪縛されずにすむわけである。 絶対的に正しいのは、唯一神だけだから、人間のやることはすべて相対的なものだ。 論理的でないこと、無理なことはやめよう――というリアリズムに満ち満ちた発想である。 じつは、キリスト教やユダヤ教のような一神教こそが、先日書いた 「対象を相対的に把握して、大極をみきわめ」 「対象を相対化して、対象から自分を自由にして、ものごとを解決する」 便法だったのである。 「空気」(=プネウマ)に支配される社会は、アニミズムを生活原理としている。 物質の背後に何かが存在すると感じる。そして知らず知らずにその何かの影響を受ける。 こういうのが、アニミズムで、ユダヤ教やキリスト教のような一神教とは相容れない。 なぜなら、アニミズムはすべての物質・霊的存在にパワーを感じるから、絶対的な存在を一つに絞ることができない。絶対的存在を基準軸にする一神教とは正反対である。 アニミズムでは神様がそのへんにいっぱいいるから、なんかの拍子で神様にぶち当たるたびに、その神様の云いなりにならなければならない。 絶対に正しいもの、絶対に従わなければならないものが無数にあるので、傍から見る限り、アニミズムに生きる人は「おっちょこちょい」にしか見えない。 昨日まで「経済成長優先」だったものが、いきなり「心の時代」になり、はたまた「経済再建・景気回復が最優先」というめまぐるしいことになる。 戦前の日本軍みたいに「短期決戦連続型」の発想だ。いきあたりばったりとも云うが。長期的展望や長期的戦略をたてることはまず不可能である。 戦後日本では、「空気」は「ムード」とカタカナで呼ばれるようになった。「ムード」が竜巻状になると「ブーム」になる。「空気」の猛威は少しもおさまらない。 ニッポンを象徴する天皇制は空気の支配のいい見本だ。 「空気」の支配を受け入れると、じつはエラい問題が起きる。 たとえば、次のようなパラドックスがかんたんに成り立つ。 正義は必ず勝つ。だから、負けたものはみな不正である。 正しい者は必ず報われる。だから、報われないものは、みな不正である。 でも、これはわたしたちニッポン人が陥りがちな発想でもある――よく考えてみれば。 このあいだ読んだ「旧約聖書 ヨブ記」の恐ろしいところはここにある。 誰から見ても、非難する余地のない善人ヨブ。しかし、財産を亡くし、息子・娘はすべて死にはて、自分も人から厭われる皮膚病にかかってしまう。 すると、ヨブの友人たちは、それはヨブが密かに悪をなして、それを隠しているせいだと考えて、悪事を白状せよと、ヨブを責める。 報われないものは、不正を働いているという発想である。 ヨブほどの善人でさえ、救われないなら、ただの人間などどうしたらいい? だが、山本七平氏によれば、こうしたパラドックスめいた物語が含まれていることこそ、聖書の知恵だという。 聖なる書で、矛盾したことを、矛盾したままで記載することによって、絶対神をのぞいたすべてを相対化する知恵をしめしている。 そうした発想は、旧約聖書のあらゆる記述、そして各章の構成にまで働いている。 たとえば、アダムとイブの創造神話は、「創世記」には二種類の矛盾するものが書かれている。 ひとつは、神があたかも進化論を先取りしたように、植物から魚類というように進化論的に順ぐりに生き物を創造して、最後に男と女を同時に造ったというもの。 もうひとつは、神が生物として最初に造ったのが男であり、その後で、樹木、魚や動物をつくったあとで、おまけとして、男のあばら骨から女をつくったというものだ。 あえていえば、この矛盾をそのまま認め、つじつまあわせをしないことによって、かえって物事をリアルにみてゆく眼を養ったと考えられる。 こうした山本七平氏の意見を聞くと、旧約聖書の論理的整合性のなさに、意味があるかもしれないという気がしてくるから、不思議だ。 以上をもちまして、ここ数日ながながとやってきた退屈な「空気の研究」の読書を終ります。 |
「空気」とは、日本人なら感覚的にわかるが、これを分析的に考えてみると、意外と深いものだ。 山本七平氏の「『空気』の研究」を読んでも、いまひとつ議論が了解できないところがある。 無謀ではあるが、あえて今まで読んだところから、山本流「空気の研究」を整理してみる。 この要約は、あくまでもわたしの考えであって、山本氏の本にそのまま書いてあるわけではない。わたしはかなり屈折した考え方をするので、山本七平ファンが聞いたら、怒るだろうが、それも仕方がない。 先日の日記で、古代人骨の撤去作業中に気分が悪くなった日本人研究者の霊を紹介した。 これは人骨には霊が残留しているという感じからはじまって、ついには人骨に触っているだけで、病的な状態になってしまうという感情移入と想像過多が原因している。 感情移入能力がそうとう発達していないと、こうしたことにはならない。 この能力は望ましいものではあるが、いきすぎるとエラいことになる。 山本氏が紹介する例としては、次のようなものがある。 ヒヨコを飼っていたひとが、冬になって、ヒヨコが寒かろうとお湯を飲ませて、飼っているヒヨコを皆殺しにしてしまった。 保育器に入っている自分の赤ん坊が寒そうだとおもって、若い母親がカイロを保育器にいれて赤ん坊を死亡させる。 こうしたことは、豊かな感情移入能力がなければできるものではない。 ヒヨコの飼い主は、善意に満ちたとても親切な人だったそうである。 ところで、まだ考えがまとまらないので、山本氏のいう空気の定義らしきものをあげてみて、ぼんやりとその「問題点」の傾向と対策を洗い出してみたい。
逆説的だが、「空気に支配されないひと」を定義すれば、「空気なるもの」の実体がもっとわかるかもしれない。 それは、 「対象を相対的に把握して、大極をみきわめる人間」 「ものごとを解決するには、対象を相対化して、対象から自分を自由にすることだと知っている人間」 ということになる。 そんなことができるか。 という素朴な反論は容易に想像できる。 なるほど、それだけを云えば、よほど完璧な人間でなければ、こんなことは出来そうにない。 しかし、あるトリックをつかえば、凡人でもこうした発想に大変なじみができると、山本氏は考えている。 それについては、また明日。 ところで、旧約聖書――である。 相変わらずわけがわからない展開だ。 <主>なる神は、モーゼにファラオに奇蹟をみせて、ユダヤ人をエジプト国外へ連れ出す許可をもらうように命じる。 ただし、そう云っているそばから、 「いくらファラオに奇蹟もみせても求めには応じないように、わたしはファラオの心を頑なにしておく」 と、意味不明な言葉をモーゼに語る。 それでは、モーゼがいくらがんばっても無駄だと、云っているに等しい。 事実、そのとおりになるわけだが、いったい、何を考えているのだろう。 杖を蛇に変えたり、ナイル川の水を飲めなくしたり、川からカエルを大量発生させて国土にあふれさせるという神通力がモーゼに与えられるが、エジプト人の魔術師もそんなことはできてしまう。 それも、<主なる神>が差し金なのだろうか。エジプト王はモーゼの云うことを聞こうとしない。 そこで、モーゼが神の力を借りて、ブヨを大発生させたり、エジプト国民に腫れ物を生じさせると、エジプトの魔術師はそこには対抗できず、自分も腫れ物に冒されて敗北宣言する。 しかし、<主なる神>はエジプト王の気持ちを変えようとせず、もっとひどい災厄をモーゼを通じて、エジプトに蔓延させようとする。 それが疫病であり、エジプト人の長子である男児たちは皆殺しになる。 こうなってくると、<主なる神>とは、「疫神」や「疫病神」とおんなじ悪霊ではないか。 神霊の霊威を喧伝するために、疫病や天災という災害を利用する――というのが、古代の神観念だという合理主義的に解釈すれば、頭では分かったような気にもなるが、現代人には納得しがたい事態であることに変わりない。 こうした神話を挿入して、人間という存在の<罪深さ>を例証しているとは思うのだが、なんとなくすっきりしない話ではある。 |
これから旧約聖書をぽつぽつと読んでいこうとおもう。 いま読んでいるのは「出エジプト記」である。 しかし、旧約聖書が「主」と呼ぶ神はわけがわからない。 モーゼにエジプトからユダヤ人を連れ出して、故郷のカナン地方へ連れ戻せと命令しておきながら、言いつけにしたがって、エジプトへ向かうモーゼを殺そうとする。 いったい、なにを考えているのやら? モーゼの妻がその息子の包皮を切って、モーゼの足に投げつけたおかげで、神はモーゼを殺すことを止めた。 わずか数行の文章だが、前後の文脈がまったくない。 おそらく、なんらかの宗教儀式の由来を説くための文書が中途半端な形で挿入されたせいで、わけがわからないことになっているのだろうが…… これだけ読むと、旧約聖書の神は狂気に満ちた横暴な神霊にしかおもえない。 ところで、「『空気』の研究」(山本七平)を読みはじめる。 この人は、山本書店という出版社をつくって、キリスト教関係の本を出していた。 旧約聖書読みとしては、苔の生えたごとく、プロフェッショナルである。 この人の本を読んでいれば、ただ嫌悪しか覚えない旧約聖書になにかの光が浮かんでくるのではあるまいか。 などと、曖昧模糊とした期待をいだきつつ、ページをめくっている。 山本七平氏が<イザヤ・ベンダサン>というふざけたペンネームで「日本人とユダヤ人」という日本人国際比較論の嚆矢となるベストセラーを書いたのは、周知の事実である。 この本は、いま角川文庫に入っているとおもう。 浅見定雄というユダヤ思想の研究者が「にせユダヤ人と日本人」という本を書いて、<イザヤ・ベンダサン>がにせユダヤ人であり、そこに書かれた内容がユダヤ思想を聞きかじった日本人作家の妄論であると、大真面目に論じていた。 浅見先生の学識には感服したが、一方ではユダヤ思想なんかをまじめにやりすぎると、こんなにも寛容でなくなるものかと、呆れたことを覚えている。 だが、こっちは本物のユダヤ教教師(ラビ)が書いた「ユダヤ5000年の知恵」(ラビ・M・トケイヤー)という本を読むと、ユーモアと柔軟性がユダヤ精神の根本だという実例がたくさん載っていた。 「黒か白か」 「服従か死か」 という二元論では、やっていけないのがユダヤ人の歴史だったから、 「灰色は大いにけっこう」 「服従するでもなく、死ぬでもなく」 という第三の方法を必ず見つけようとするところに、ユダヤ的知性があったという。 そうして考えると、真面目いっぽうの碩学よりも、山本七平氏のほうがユダヤ精神に馴染んでいるといえそうだ。 たとえ、重箱の隅をつつくような、学識はないにせよ。 大学で単位をとる必要に迫られていなければ、どっちがいいかは自ずと明らか――だろう。 ユダヤ思想と旧約聖書読みのプロフェッショナルである山本氏が、その対極にあるニッポン人的思考に注目して、とりかかったのが、「空気」の研究である。 もちろん、大気成分のことではない。 「会社の空気」 「その場の空気」 という語義の<空気>である。 その<空気>は、ひどく物質的な次元に根があると山本氏は云う。 あるとき、イスラエルで考古学調査をおこなったとき、大量の古代の人骨が発見されて、調査グループ全員で人骨の撤去作業をすることになった。 ユダヤ人たちは平気だったが、同行した日本人たちはすっかり体調が悪くなった。 ただし、人骨の撤去作業が終ると、ふたたび健康になった。 どうやら、日本人のこうしたところに、<空気のちから>が働いているのではないかと、 山本氏は睨んでいる。 |
久しぶりに旧約聖書の「創世記」をじっくり読む。 なんとか「創世記」は読み終えて、「出エジプト記」に入った。 聖書は昔から結構読んでいるが、今回は旧約聖書をあたまから通読してみるつもりである。 新約聖書は英語・日本語では数回通読したことがある。 だが、旧約聖書のほうは日本語でも通読したことはない。 なぜなら、旧約聖書に書かれたユダヤ人たちの行動があまりにも悪辣だから、うんざりしたせいだ。 ついでに、いえば、ここに書かれた神様もそうとうに横暴だ。 これを文字とおりに解釈して生きていくとしたら、かなり暗い人生観の持ち主になれるだろう。 たまには、いいことを書いてあるところもないわけではない。 「詩編」とか「箴言」のあたりは、人生が暗くなったら、ぜひ読んでおきたい。 キリスト教信者でなくても、「いいことを云っているなぁ!」という気になる。 アメリカによくいる人生論アドヴァイザーみたいな人々(「道は開ける」を書いた故デール・カーネギーみたいな人)は、行き詰まった人々に「詩編」を読むことを勧めている。 聖書に敵意を抱いていないかぎり、読んでみるのも悪くはない。 それにしても、あらためて「創世記」を読むと、アダムの子孫にはロクなやつがいない――と、呆れてしまった。 弟殺しのカイン。 近親相姦で子どもを作ったロト。 妾腹の息子イシュマエルとその母を、袋ひとつで家からたたき出したアブラハム。 父親を騙して、双子の兄のかわりに財産を奪い取ろうとしたヤコブとその実母レベッカ(新訳ではリベカになっている)。 兄弟殺しを図ったヨセフの兄たち。 飢饉を利用して、エジプト人すべてをファラオの奴隷にして、出世したヨセフ。 「義人はいない。ひとりもいない」 という言葉は、こういう意味なんだろうか? 現代の人類学の観点からいえば、カインの弟殺しには<農耕儀礼神話>の痕跡があり、ロトの近親相姦は古代中東民族の創世神話の反映であり、イシュマエルの追放とヤコブのお家乗っ取りには<古代母権制と末子相続>の残照であり、ヨセフの兄たちの企みは、ユダヤ12支族の起源説話であるということになって、合理的説明がつく。 しかし、これは19世紀末の聖書学の大発展のおかげであって、それ以前には、こんなことが大真面目に親から子へと吹き込まれていた。 ひるがえっていえば、ニッポン国のヤマトタケル神話みたいなもので、「古事記」や「日本書紀」をどうひいきめに読んでもヤマトタケルに騙されて殺される熊襲タケルや出雲タケルのほうが、人格的に立派だとおもえるのと同じことだろう。 古代人の頭の中は、現代人とはよほど違っているようにみえる。 こういう本を読んで鍛えられたら、未開のアジア、南米、アフリカで純朴な現地の人をいくら騙してもいいという気になってしまうだろう。 現にそのとおりのことが、こうした地域では行なわれたわけだが。 こんな話もある。 ヤコブの娘を異邦人の若者が見初めて、強引に関係を持った。 正式に嫁としてもらいたいと若者が交渉にいくと、ヤコブの側では割礼を受けて、アブラハム以来信仰している神を信じるなら良いと返事をした。 若者は喜んで、自分の父親が支配する街の人々を説得して、割礼をうけさせて、信者となった。 町中の男たちが割礼の傷でうんうんうなっているとき、ヤコブの息子たちが街を襲って、町中の男を殺し、女たちを奴隷にした。 ヤコブの息子たちは、現代のユダヤ民族の先祖である。 こんなことを得々と民族の聖なる書物に書いている人々を「和平のために信用しよう」というほうが無理ではないか。 こんな隣人がいるのではエジプトやヨルダン、シリアの人々も気の毒だ。 オルブライトの婆さんや、クリントンがいくら中東和平の旗を振っても、当事者たちに全然やる気がないのも当然だろう。 「いったん敵と思い定めたら、敵を殲滅せよ」というのは、古代中東民族の戦争のやり方であるが、こんな思想を中世以降まで聖なる文書のかたちで保存しているのは、東洋などでは例がない。 「眼には眼を、歯には歯を」 ヨーロッパ社会に浸透している不寛容の精神を育んだのは、旧約聖書だったのかもしれない。 ホロコーストは、中東における古代ユダヤ民族の発明品だったようだ。 天に唾を吐けば、己の頭にかかる。 そんな諺がありましたね。 |
昨日の反省をもう忘れて、WEB上でオーストリアの新聞を読んだ。 このHPのリンク集「ヨーロッパのオンライン・ジャーナル」に載せてある オーストリアの代表的新聞、<Die Presse >と<Wiener Zeitung >のWEB版(独文)である。 オーストリア大統領はTV会見を開いて、新政権にチャンスを与えて欲しいと国民に呼びかけ、ストライキは一応終息したらしい。 議会では、極右の人物が国会議長に就任した。 <ウィーナー・ツァイト>は伝統ある新聞だから、事態をひどく憂慮している。 EU諸国の不快感がオーストリア経済にダメージを与えることを恐れているからだ。 いまやオーストリアは観光でなりたつ国だから、他国の観光客が来なくなれば覿面に困ることになる。 こんなことは、日本の新聞を読んでいたってわかることで、わざわざドイツ語の辞書をひきながら、読むこともなかった。 渦中にある国の新聞だからといって、特別な情報を掲載しているものではないようだ。 国民投票か、総選挙によって、流れを変えようとしている一派がいることを知ったのは、救いではある。 ただ、うやむやのうちに、自由党のハイダー党首が支持を勝ちとるような気がしないでもない。 この勘はぜひはずれて欲しいのだが…… ところで、「それでも明日は来る」(三浦綾子)の続きである。 このごろ、三浦綾子さんの本と、旧約聖書は枕頭の書となっている。 旧約聖書は日本語の共同訳を読み、ついでにドイツ語版で読む。 こうすると、辞書を引かなくていいから、じつに楽だ。 「社会人になったら、外国語の本を読むときは、外国語の辞書をなるべく引かないようにすべし」 と、渡部昇一センセがおっしゃっていた。 名言だとおもう。 商売につかう外国語の他は、なるべく安直にすませなければ――それが鉄則だ。 辞書をめくる指先の神経が速くなっても、どうしようもない。 余談だけど、大学時代にはわれながら神速に近いスピードでドイツ語の辞書を引くことができた。 ただし、単語がさっぱり覚えられないので、文法構造はわかるが、何が書いてあるのかよくわからない。語義を切り張りして、理解したつもりになっていたが、あれは時間の無駄だった。 こういう愚はやめておきたい。 それで、(余談が長くて、もうしわけありません)話しはふたたび「それでも明日は来る」に戻るのだが、 これだけはどうしても書いておこうと思っていたことを書くことにする。 「想像力のない者は愛がない」 という言葉である。 コピーライトは、三浦さんではなく、作家の宮本百合子氏である。 人気作家になった三浦さんには、身の上相談の手紙がやたらと舞い込むようになった。 そうした相談者たちは、夜中に傍若無人に電話をかけ、手紙の返事をくれないことを恨み、いきなり訪問して面会したいといいだす。 三浦さんも、そのころには秘書を雇って、手紙の応対をしていたが、さすがに手がまわりかねて、返事を出せない場合もある。 すると、こうした身の上相談者は恨み言を吐き捨てるために、電話をかけてくる。 「無名のぼくなんかに、有名人のあなたが返事をくれるはずがないですね」などと…… 突然の面会希望者は玄関先でもと、いちおうの譲歩をみせるのだが、三浦さんが住んでいるのは北海道旭川という厳寒の地だ。 厳寒と玄関というのは、ダジャレではない――念のため。 そのころの北海道では、玄関先の寒さは半端なものではない。病気あがりの三浦さんは、長いあいだ文通していた人でもあるので、今は用事があるので数時間後に来てくださいと頼む。そうして、ゆっくりお話ししましょうと。 しかし、相手は怒って訪問せず、それ以来ハガキ一通よこさなくなった。 この頃、三浦さんは帯状疱疹という死にはしないが、人類にとってこれほど痛い病気はないという病気をわずらっていた。 身体が弱っている老人や、病弱な人にでる病気で、原因となるウイルスはどんな健康人の身体にも潜んでいるが、健康なときはじっと隠れていて、身体が弱るととつぜんに発病するという卑怯なやつである。 三浦さんには、踏んだり蹴ったりという想いがあったらしい。 誠実に対応しているのだが、相手にはどうしてもこちらの事情がわかってもらえない。 こちらには、こちらの事情があるのだけれど…… そんな無念さで、こんな公開の言い訳めいたエッセイになった。 ところが、いっぽうでは、<徳久明>(とくめい)というペンネームで、返事を送らなくてもいいように匿名の年賀状をくれたひともいた。 「忙しいでしょうから、匿名にしました」という一文をつけて。 「想像力」というものが、人間らしさや思いやりの基本だと、三浦さんはあらためて実感した。 |
読書日記には、関係ないけれど、オーストリアでは極右政党「自由党」が連立政権をつくった。 アドルフ・ヒトラーの出身国であるだけに、EU諸国の懸念はもっともだ。 ヒトラーのユダヤ人迫害の思想的師匠は、フロイトと同時代人のウィーン市長カール・イェーガーだ。 ナチスが本拠としたのは、オーストリアと山ひとつへだてたドイツ・バイエルン州。 第二次大戦前にドイツがオーストリアを無血併合する少し前には、バイエルン州のナチス党員とオーストリアのナチス・シンパが無許可で山越えしては双方の土地で、軍事教練をやったり、政治集会を開いた。 いわば、オーストリアはナチスがその勢力を涵養した土地でもある。 これまでは、産業力も影響力もほとんどない小国であるがゆえに、各国のナチス弾劾の矢面にたたずにすんだ。 しかし、日本人と違って、政治的記憶を容易に忘れないヨーロッパ人にしてみれば、極右勢力の台頭は、あの悪夢を思い出さずにはおかない。 世界的に、そろそろ第二次世界大戦の記憶は風化しようとしている。 オーストリアよ、おまえもか。 フロイトに凝って、その著作を系統的に読むついでに、19世紀からのオーストリアの歴史にも首を突っ込んでしまった。 おかげで、フロイトが生きていたころのオーストリアの雰囲気や、若いヒトラーが暮したウィーンの様子が、あたまに浮かぶ。 それを思えば、EU諸国や心あるオーストリア人の心配は痛いほどわかる。 歴史教育をうけたヨーロッパ人なら、だれもが知っている。 ヒトラーが善意と宥和の仮面をかぶって、登場したことを。 だから、笑顔を浮かべながら、ものわかりのいい発言を繰り返す自由党党首の言葉を信じてはならないと確信している。 その恐怖を理解できるニッポン人がいるとすれば、オウム真理教の被害者だけだろう。 ところで、「それでも明日は来る」(三浦綾子)を読んだ。 三浦さんは小説「氷点」でいちやく時の人になったのだが、しばらくして直腸ガンになり、手術する。 それで一安心したかとおもうと、今度はパーキンソン病になる。 これは手足の筋肉がこわばって身動きが不自由になる大病だ。 三浦さんは、自分を病気のデパートと自嘲する。 いったい、どれだけ苦しみに打ち勝つか。 どこかで、だれかが試しているような気がする。 旧約聖書に「ヨブ記」という物語がある。 幸福な男ヨブに、悪魔サタンが次々と不幸をしかけて、成人した息子・娘や財産を奪い、しまいには人から忌み嫌われる皮膚病にしてしまう。 これは神がサタンにヨブを殺さない限り、なにをやってもいいと許したからだ。 これには、ヨブもまいってしまい、ついには神を呪うようになる。 すると、三人の友人がやってきて、神を呪うなとヨブに説教する。 (この物語から、不幸のどん底にいるひとに、おためごかしをいって、さらに精神的に苦しめるやつのことを、<ヨブの友人>というようになった。) ヨブは友人たちの説教をいちいち論破して、神に恨み言をいう。 すると、神がいきなりヨブに話しかけて、しかりつける。 ヨブはたちまち神に従順になり、畏れ憚る。 すると、神はヨブを癒して、どういうわけか、三人の友人の云いかたが気に食わないと怒りだす。 「ヨブに賠償金をはらって、とりなしてもらうように頼めば許す」と神にいわれて、友人たちはヨブに家畜を譲って神にとりなしてもらう。 友人たちにとっては、踏んだり蹴ったりだが、きっと深い意味があるのだろう。 だが、どうにもわからん話しではあるが…… 何度も大病に苦しんだ三浦さん夫婦のことだから、きっと「ヨブ記」は繰り返し読んだに違いない。 わたし自身、旧約聖書でいちばん理解に苦しむのは、「ヨブ記」の神と悪魔の行動だ。 でも、キリスト教の信者のひとは、ぎゃくに「ヨブ記」の神を想って、つらさを乗り越えるのだろうという気がする。 三浦さんの生きる姿勢の根本には、 「義人はいない。ひとりもいない」 という聖書の言葉がある。 だからこそ、無名の療養時代から死刑囚とも手紙のやりとりをして、かれらを慰めていた。 夫になる光世さんのことも、最初は旭川刑務所に服役している死刑囚だと思っていたそうだ。 「義人はいない。ひとりもいない」 わたしも、まだ自分が少しはましな人間だとうぬぼれている。少なくとも、ナチスの大量虐殺者よりは。 でも、そんなのは、<ヨブの友人>のような思い上がりでしかない。 直接には利害関係のないオーストリア政局について、一席ぶってしまったのは、 それだけいい気になっている証拠ではないか。 ぱらぱらと「それでも明日は来る」のページをめくっていると、そんな気がした。 恥ずかしいことだとおもう。 |
どうやら、すっかり山本七平にはまったらしい。 本日も、「空気の研究」と「『常識』の非常識」を買う。 この調子でいくと、今月中に文庫にはいっている山本七平作品はすべて読破してしまう。 出版社が絶版にしていないかぎりは。 (金達寿さんのときみたいに……まだ、云っている) ただし、文春文庫だから、だいじょうぶだろう。 なぜ、山本が面白いのかといえば、ひどく個人的な動機があるようだ。 というのも、昨年末から遠藤周作、三浦綾子の両氏の作品を読み続け、暇をみては旧約聖書や新約聖書を眺めているうちに、わたしのノー細胞はかなり<聖書>づいてきた。 そのせいだろう。 ただし、正確に言えば、キリスト教に共鳴したというわけでは全然ない。 むしろ、聖書にくどいほど描かれる<悪なる人間>という視点が、感情的反発を覚えずに受け入れられるようになったということだ。 いいかえれば、<人間は善いこともするが、悪いこともしてしまう>という思想が、偽悪的なものでなく、ニュートンの万有引力の法則ほどに、情操的色彩をもたない平明な事実として腹におさまったというところだ。 高所恐怖症の気があるので、わたしは普通の人より、万有引力の法則を尊重しているから、その比喩はいきすぎかもしれない。 ただ、いまどきの青少年とちがって、 「超能力を持っていれば空中浮遊できるという<妄想>を抱けない」 というほどの意味だととっていただきたい。 古臭い言葉でいえば、<リアリズム>ということだ。 この読書日記で書いているように、わたしはかなり歴史が好きなのだが、その理由は歴史というものが本質的に<リアリズム>を追求するものだからだ。 たとえ、失敗に終った政治的事件であっても、そのなかに貫徹する<運動の論理>や<社会変化のダイナミズム>は決して空虚な妄想ではない。 かならず何らかの現実的要請が、一見して途方もない空虚なスローガンのなかにさえ、反映されている。 政治的失敗として終るからこそ、かえって現状打破に対する要求が切実だったことがわかる。 歴史を権力側から観るのではなく、敗北した側からみる面白さはそこにある。 敗者の視点に立ったほうが、歴史を遺した勝者がほんとうに何を狙っていたのか、何を恐れていたのかわかるということもある。 話がずれたが、三浦綾子さんと山本七平氏の本を読むのは、たぶんニッポンの文学者や評論家たちのもっている<妄想的抒情主義>が、このお二人にはないからだろう。 たぶん、「せつない……」と呟いてうっとりする人間を、この二人ほど嫌った人はいないかもしれない。 この国の文芸・論壇では、「せつないセンチメンタリズム」がほとんど主流だった。 わたしごとをいえば、こういう型の感傷主義は好きではない。 むしろ、それに <NO!> と云ってくれる作家が好きだ。 とにかく、山本七平氏と三浦綾子さんを読み終らない限り、 なかなかこの状態からはぬけだせないようだ。 ところで、「それでも明日は来る」(三浦綾子)を読んだのだけれど、こんなに長文になったので、続きはまた明日!(べつにシャレではありません……) |
このごろ、まとめて本を読む時間がとれないせいで、この読書日記もとりとめないものになってしまった。 現在、デジタル文書は別にして、三、四冊の本を並行して読むようなかたちになっている。 ひとつに集中すればいいようなものだが、性格的にむずかしい。 われながら、散漫であきっぽい性格だと笑うほかはない。 というわけで、「『あたりまえ』の研究」(山本七平)をまだ読んでいる。 しかも、三浦綾子さんの小説も並行して読んでいる。 その他、雑書も…… だれかーっ、なんとかしてくれ! ――(自分でなんとかしなくちゃ、駄目やん) ――(はい、そうです) ……(こんな不毛な会話を自分としてて、たのしいか!?) ――(たのしいわけがない) ――(そりゃそうだ) ……(もう、やめよう……) ところで、「話し合いの恐怖」という一章が、この本にある。 ここに書かれている内容がなかなか難しい問題なので、考え込んでしまった。 売春女子高生の言葉を引用して、山本氏は云う。 「相手も楽しいし、自分も楽しい。世の中にだれにも迷惑をかけていない。そのうえ、お金が入る、どうして、それがいけないのか」 これはよくある議論で、マスコミではこの種の主張を否定する論理は発見できない。 この売春女子高生の主張がどこか異常なことに、みんなが気づいているのに。 山本氏は一刀両断にこの論理のワナを切り捨てる。 この主張の背後にある論理はこうだ。 「前提条件なしの無条件の話し合いにもとづく合意は絶対」だ。 この合意を「外部から拘束する法的・倫理的規制は一切認めない」 さらにこれをもっと難しく云うと、 超法規的・超倫理的な「話し合いの合意」が絶対的な正義であり、これに干渉する権利は誰にもない。 ――ということになる。 なぜ、こんな理屈がまかりとおるかというと、 戦後世代がうけた教育に原因があるらしい。 戦後民主主義というのは、個人の能力・資質の不均衡を無視して、 <結果の平等>をめざすものだった。 そのためには、なによりも「『平等の立場に立つ無条件の話し合い』が必要であり、 「強者や優者を否定」し、 「弱者の権利の保証」をおこなわなければならない。 こうした教育のいきついた果てに、運動会に手をつないで徒競走する(?)という異常な平等主義があるのだろう。 社会のすべてが各人の無条件の話し合いで決着して、このやり方だけが絶対であり、それを外部的に規制してはならない。 もし、そんな社会があれば、法によって我が身を守ることは、だれにとっても不可能になる。 しかし、この国のマスコミでは、<話し合いによって超法規的処置をとれ>という主張が往々にしてまかりとおる。 つまり、この国においては立法の手続きをもって、国民的合意をつけることが、必ずしも必要ではないと考える人々がメディアの主流にいることになる。 民主主義とは、こんなものだろうか。 別の場所で、山本氏はこんなことも書いていた。 「あなたの生きる上での原理・原則はなんですか」と外人記者に聞かれて、 「民主主義です」と答える文化人がいる。 山本氏にいわせれば、これほどバカな答えもない。 民主主義とは本来は制度のことであり、個人の宗教または自分を支える原理や、それにもとづく規範ではありえない。 だとすれば、「新明解 国語辞典」に記載されている「民主主義」の定義はどうだろう。 「民主主義」: 人民が主権を持ち、人民の意思をもとにして政治を行なう主義。(中略)……(民主的なやりかたの意にも用いられる) 「民主的」: どんな事でも一人ひとりの意見を平等に尊重しながら、みんなで相談して決め、だれでも納得の行くようにする様子。 「新明解」さんの定義は、いつも鋭く、今回も思わず笑ってしまった。 だって、売春女子高生の意見を尊重して、みんなで相談して納得いくようにしたら、どんなことになるだろう。 エイズが流行るだけではないか? ところで、デジタル版「源氏物語」はタグを書き換えて、バックグラウンドとテキストの色を灰色と、黒に変更したら、ずいぶんと読みやすくなった。 いま使っているエディターの画面と同じだ。 やはり、慣れた環境にはよわいものです。 おかげで、どしどし読めるようになった。 ファイルも小さいし、画面処理もかんたん! これからのデジタル・テキストは、HTMLがベストだ。 もっと新しいのが出てくれば、わからないけれど…… |
かなりの分量のテキストをPC画面で読むのはしんどい。 デジタル版「源氏物語」(与謝野晶子訳)を読んでいると、眼がつかれる。 しかも、いやにすらすら読めるのが不思議だ。 「源氏物語」の最後の「夢の浮橋」から逆に読んでいるが、さっぱり情感がわかない。 なぜだろう? もしかしたら、最初から読まなければ駄目なのかもしれない。 ……あたりまえだ! デスクトップや、モノクロ・ノートしかないせいだろう。 デジタル読書はやたら疲れる。 白い紙で活字を読んだほうが、目にいいのだろう。 インターフェースとしては、モニターも液晶も紙に比べると、目にやさしくない。 PCで見て疲れるくらいなら、活字本を買ったほうがいいのではないか。 昨日・今日と考えてみて、どうもそっちのほうへ気持ちが動いている。 眼は大切なお友だちだ。 たいせつにしていこうとおもう。 昨日云っていたことと矛盾していますが…… インターフェースの画質がもっと向上してくれれば、いいんだけど。 ところで、つまらないことだが、アメリカ空軍のコンピュータにハッキングした大物ハッカー<kuji>のホームページを見つけた。 読売新聞にページの写真が掲載されたので、それをたよりにアクセスしたら、すぐつながった。 素朴な疑問だけど、こんなことでいいだろうか? Kujiというのは、1994年に21歳のとき、米空軍のコンピュータにハッキングした伝説のハッカーだ。 このあいだの日曜日に放映されたNHKの<世紀を越えて>で、詳しい紹介されていた。 ハッキングの共犯はイギリスに住む当時16歳の少年だ。 ふたりは現実には会ったことはないが、電話やチャットで知り合ったとか。 ハッカーというのは、だいたいそうやって知り合って、情報交換したり、ハッキングをいっしょにやったりするらしい。 記事にはホームページのアドレスは書いていないが、画面キャプチャーした写真から簡単にわかる。 わたし自身も、NHKのTVをみてから、<kuji>のホームページはそのうち検索しようと思っていた。 その気になれば、ハッカーのHPなんて簡単にわかるんだけれど。 ところで、省庁HPの書き変え事件は、どうやらID・パスワード管理の初歩的なずさんさが原因だとわかったようだ。 たぶん、日本の企業・官庁のレベルなら、そんなことだろうと思っていた。 どうせ root ユーザーでアクセスして、パスワード・ハッキングツールを使ったのだろう。 それとも、まさかとはおもうが、root ユーザーのパスワードがインストール時のデフォルト設定のままだとか…… HP書き換え被害にあった経済企画庁の<綜合研究開発機構>では、システムは初期設定のままで、システム管理者用のID・パスワードを新たにつくらなかった。 そこに入って、新しいシステム管理者用ID・パスワードを作るなんて、いくらでも簡単にできる。 <ポートスキャン>なんて、ハッキング技術は日本官庁には必要なかったのかもしれない。 <サイバーポリス>ということで、ネットワーク・セキュリティ会社が各県警の電子犯罪防衛担当の人々に講習している映像を、NHKの番組では紹介していたけれど、担当者というのがいい年齢で、PCには不慣れなおじさんたちばかりだった。 その様子をみていると、このひとたちに、日進月歩のハッキング対策はできないと直感した。 どうする日本、どうなる日本。 でも、これがいいビジネス・チャンスだと喜ぶ人たちもいるんですよねーっ。 |
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