なぜか昨日、日付を間違えていました。 ぼけてます。もうしわけない……です。(笑) ところで、ボノボの件については強力なページをみつけました。 かの有名な「京都大学霊長類研究所」のホームページです。 もしやと思って、「京都大学」「霊長類」で検索したら、ヒットしました。 アドレスは(http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/index-j.html)です。 リンクを張るのには許可がいるとのことなので、メールを出しましたが、まだ返信をいただいていません。 こうした事情なので、ここのサイトにリンクを張るのは自粛します。 掟破りかもしれないけれど、アドレスだけお知らせします。 とりあえずボノボの生態については日本一くわしいHPです。(当たり前か……) まえに洋書で検索した「スー・サベージ・ランボー」女史の『カンジ』は、古市剛史監修、加地永都子訳で1993年に日本放送出版協会から翻訳が出ていたのですね。 わたしはトロいですね。とても情報通とはいえません。 おバカな鉄人読書家です。(吾ながら、なにを云ってんでしょうね) ところで、ボノボは月経周期があって、その半分にあたる20日間は、「性皮」が<まりのように腫れあがる>そうです。この時期にボノボは性交を行うけれど、実際に排卵して妊娠するのは「性皮」が腫れる期間の最後だけだとか。 ボノボの性行動は、妊娠の心配がない時期に集中しているんだそうです。 いままでボノボをTVのドキュメンタリー番組でみると、オスもメスも性器のあたりが野球のグロープやミットみたいに膨れ上がっていました。 それは、こういうことだったのかと初めてわかりました。 しかし、発情していると、性器がミットみたいになるなんて、かなりカッチョ悪いですね。「恋愛中毒」の人なんか、こうなるとわかり易くていいかもしれませんが…… ボノボは妊娠中にも性交するなんて、もう動物というより、その色好みはもはや現生人類そのものです。 どうも最近きれいな女の人をみても、ボノボを連想してしまいます。(笑) なにせ、99パーセントの遺伝子は人類と同じなんですからね。 異種交配だって、できるんじゃないかなどと、とんでもないことを空想しています。 以前紹介したように、ボノボは生殖目的いがいで性行動をおこなって、平和に暮らしています。 京大霊長類研究所のHPでは、「ホカホカ (GG Rubbing)」、「尻つけ (Rump-rump rubbing)」というのが紹介されています。 「ホカホカ」は成人のメスが互いの膨れた性皮をすりあわせるもの。 「尻つけ」は成人のオス同士が尻をこすりあわせるという行動です。 こどものうちからする性行動もあるそうです。 知れば知るほど、人類に似てくるボノボ。 こういう親戚がいまにも絶滅しようというのは、気の毒です。 興味がある方は、17日に紹介したTBSの大型類人猿絶滅阻止キャンペーンのページをみてあげてください。 ところで、ボノボが性をコミュニケーション手段にして、母系社会をつくることになったのは、食物によるところが大きいとか。 ご存知のように、ゴリラは草食で移動生活をしているので、オスが強い父系社会を作りました。 チンパンジーは肉食で群れをつくって、狩をするので、これもオスが強い父系社会です。オスがメスをレイプしたりもします。フェミニスト憎悪の的の「人類の親戚」です。 とにかく移動生活をしていると、父親やオスのちからが強い父系社会になるみたいです。 チンパンジーはボノボとはまったく別の種だそうです。人間がチンパンジーを性対象と認めないように、チンパンジーはボノボを同じ種の仲間として、欲情の対象にすることはないとのことです。 人間には動物に欲情するひともいますから、チンパンジーはなかなか立派です。 話はそれましたが、ボノボが母系社会をつくったのは、定住生活が原因です。虫やトカゲ、鳥や小型の哺乳類なんか食べるだけでなく、植物も食べるおかげで、一箇所で落ち着いて暮らすことができた。だから、メスたちが自立して自分たちだけで生きていけるので、メスのネットワークにからみとられて、オスは生きることになりました。 まさにフェミニストの夢見る楽園ですね。 ただし、この定住生活ゆえに、ボノボは人類の熱帯雨林開発によって棲みかを失いつつあるわけです。 ところで、雑食といえば、人類はそのおかげで、進歩してきました。 しかし、第二次世界大戦後に、人類の肉食偏向を強力に推し進めようという陰謀が誕生したそうです。 その陰謀は、すでに日本において大成功しました。 陰謀をおこなった集団は、フリーメーソンでも、ユダヤ賢人会議でも、ギャラクターでもショッカーでもありません。 全米穀物飼料協会といいます。 この世界征服を狙う集団の陰謀については、(運がよければ)明日お知らせできるでしょう。 (こう書いておいて、このページを今日で閉鎖したら、きっと面白いでしょうが…… まだ、そこまで遊べる余裕はありません。気弱なネット初心者です。) 追記: 「平家物語の虚構と真実」については、また今度。 |
ありませんね。やっぱりボノボのHPは。 ピグミー・チンパンジーでも駄目でした。 あとで、アメリカのサイトを検索してみます。 やっぱり日本ではインターネットで調べ物をして書くなんて、まだ無理のようです。 ジャーナリストの田中宇さんも参照しているのは、英語のページばかり。インターネットで知的活動をするひとにとっては、役立つ言語葉は英語だけなのでしょうか。 ところで、「平家物語の虚構と真実」(上横手雅敬)上下巻のうち、下巻を読了した。 この本は「平家物語」の有名人物12人をピックアップしているので、どこから読んでもいい体裁になっている。 それで、面白そうな人物が多い下巻から読んだ。 面白いのは、坂東の武士・熊谷直実と源義経だ。 熊谷直実はいまの熊谷市を領有していた。本来は坂東平氏で、もちろん地名からその名がある。当時は熊谷市のあたりは熊谷郷と云った。 直実の一生は、武装開拓農民から武士が誕生する動乱の時代だ。 10世紀の平将門の乱の頃には、まだ「伴類」として扱われていた武装農民層が、11世紀には武士階層として社会的上昇を経て、12世紀の源平動乱に際して大地から湧き上がるように小開拓民があらわれて地主として開拓地を己が家産にしようとした。 いってみれば、高度経済成長時代である。 平氏政権の誕生と崩壊、鎌倉政権の誕生は、かれらの成長の力学の結果だ。 ところが、動乱の時代が終わって平和が来ると、小地主たちは幕府からリストラされて貧窮化してゆく。しかも政争に巻き込まれて、滅ぼされたり、没落する。念仏宗の爆発的な普及は、新興武士階層の没落と深いかかわりがある。 熊谷直実はこのようにして、社会的上昇をはたし、リストラの憂き目にあって、武士を捨てて「念仏ひじり」となった。 のちに京都へ出かけて、法然の弟子となる。 武士であった頃は、所領の保有を認可してもらうために、生命を的に死に物狂いで働いたが、いったん出家すると、必死になって修行した。 とにかく、「一生懸命」に生きた。 ご存知のとおり、「一生懸命」とは鎌倉時代の用語「一所懸命」が本来の用法だ。武装小農民が必死になって開拓地を守ろうとする努力を意味して、転じて必死になって何事かを為すことを指す。 熊谷直実は、まさに「一所懸命」のひとだった。そして、仏教の極楽往生をねがって必死に修行した。「一生懸命」のひとである。 このごろ、この無骨な人物が懐かしい。 荒々しいが心やさしく、純情で、まっすぐな男である。単純ではあるが、こういうエネルギーにあふれた生き方は、いまの日本にはなんといっても魅力的だ。 義経については、上横手雅敬氏は面白いことを云っている。 義経が若い頃、奥州に下ったというのは史実ではないというのである。 伊勢や洛外の無頼のものたちのなかにあって、民衆のなかで暮らしていたのではないか。義経の戦いかたは、当時盗賊とよばれた反体制的武士層のそれである。 弁慶という伝説的な力持ちは「平家物語」ではまるで活躍していない。 かわりに大活躍するのは、伊勢三郎という「義経記」では小者の伊勢あたりの盗賊武士だ。 上横手雅敬氏は通説を否定するわけではないが、木下藤吉郎が蜂須賀小六に拾われたように、貴種・義経は磊落して伊勢三郎たちのような後世でいえば野武士集団と生活をともにしていたと考えるのも面白いという。 じっさいに、義経の前半生で確実に云える事は、源義朝が女院の召使女だった常磐という美女に生ませたということぐらいだ。 小説風ではあるが、少年義経の奥州くだりが事実ではなかったとすると、兄頼朝から追われて奥州に逃げ込み彼地で死んだことについて、あれこれを想像が広がっておもしろい。 ところで、もうひとり忘れていた。 「平家物語」では奈良を焼き払って悪名のみ高い平重衡という武将がいる。 このひとが平家軍団にあって、ほとんど唯一といっていい常勝将軍であることに、指摘されるまで、うっかりと気づかなかった。 只一度の敗戦で、虜囚になってから、敵方だけでなく、出会う女人たちから次々を惚れられる。一夜の契りだけで、重衡の刑死後に出家した女性たちもいる。そのことは、どうやら事実らしい。 よほど男として、また人間として魅力があったのだろう。 古典の読み方を、あらためて教えてもらった。 故人である歴史上の人物に、生きた魅力を感じることが、古典と歴史書を読む目的だ。 勇気と元気をもらうと申しましょうか。 勇気も元気もわが身から、ひねりだす性質のものではあるけれど、素敵な人間に出会うことは元気や勇気の原料だ。 |
本日も更新が遅れてしまいました。 もう午後9時です。ちょっと手順が狂うと、こうなってしまうんですね。 大目にみてやってくださいまし。(笑) 昨日、予告していたのは「平家物語」関連本でしたが、ちょっとそれを離れて別の話を。 本日のお題は「ボノボ」(ビグミー・チンパンジー)である。 数日前の読売新聞の記事で、気になるのがあったので、見直そうとしたら、とっくに新聞は資源回収ゴミとして出されていた。 読売新聞のサイトをみていたら、内容が変わっていて過去記事は読めないようだ。以前は文化欄も見ることができたが、いまは社会・経済・国際などのトップ記事だけを読むことができるらしい。 スクラップ代わりに読むのは無理だった。 「ニューヨーク・タイムズ」なんかはできるから、当然できるものと決めていた方が悪いと言えば悪い。 日本のマスコミには何も期待するな!ということだろう。 その記事というのは、以前にも触れたアフリカの類人猿<ボノボ>(別名・ピグミー・チンパンジー)が絶滅に瀕しているというものだ。 現地語で、また別の名前があるというので、それをチェックしたかったのだが……残念である。 「ボノボ」であれこれ、検索してみたけれど、日本のサイトもアメリカのサイトも検索結果はよくない。 明日、またチャレンジしてみよう。 ひとつ見つけたのは、TBSラジオのホームページで<野生の類人猿を助けるTBSの21世紀プロジェクト「セイブザグレイトエイプス」(Save the Great Apes)>というものがあった。 京都大学の類人猿学者、西田利貞・加納隆至・山極寿一ら各氏の協力を仰いで、「日本グレイトエイプス基金」というのを設立して、募金と、野生の類人猿の保護をめざしている。 募金などの詳細については、同サイトに説明がある。 興味のある方は、ここをクリックすると飛びます。 このサイトには、野生のボノボの写真も掲載されている。 こういうときはアマゾン・コムである。 なんか本でもないかなと探してみると結構ある。 ボノボと直接関係はなかったけれど、シガニー・ウィーバーが主演した「愛は霧の彼方に」の主人公、ダイアン・フォッシーは、あの有名な人類学者リーキー教授の教え子で、同門にジェーン・グッドールもいる。よくは知らないが、これに<Birute Galdikas>という女性学者を加えて、リーキー教授の修道女団(シスターフッド)というらしい。 グッドールといえば、「森の隣人」「森の旅人」という著者が邦訳されている。 フォッシーとはそういう縁があったのかと、あらためて世界は狭いと実感する。 ボノボで知能実験をする一徹な女流学者スー・サヴェッジ・ランボー女史には、「カンジ――人間並みの知能を持つ猿」という著書があることも知った。 これは女史の長年にわたるカンジとバンバニーシャ兄妹に対する観察と実験をまとめたもの。 この人のあまりといえばあまりにも西洋白人らしいものの考え方には反発を覚えるが、ノンフィクション「絶対音感」の著者は、女史のドキュメンタリーをみて、早期幼児教育の必要を改めて感じたのだそうだ――「類は友を呼ぶ」ってやつでしょうか。 「ボノボ――忘れられた類人猿」という本もあった。これは人類学者フランツ・デ・ワールの著書。ボノボが遺伝子的には99パーセント、人間と同じだという。ちなみにチンパンジーは98パーセント。 スーパーモデルも、田中麗奈も、遺伝子的にはほとんど毛むくじゃらのボノボとおんなじわけである。 美ははかない。 チンパンジーは狩をしたり、戦争をしたり、闘争的な勢力争いをしたりとなかなか好戦的だが、ボノボは平和的だ。 SEXをコミュニケーションの手段にする珍しい種族で、その家族は母権制的である。しかも両性愛行動もおこなう。 なんか日本人の男みたいだ。ニッポン男児よ、喜べ、世界にはぼくら仲間がいたぞ! 以上のように、いろいろわかったけれど、ボノボの現地名はわからない。 この探求はいつ終わるのだろうか。 ところで、話題はまったく別ですが、NHKアニメ「おじゃる丸」が映画になるそうで、女子高生が浮かれています。 世間も浮かれています。 わたしはエンディング・テーマが「愛しのプリン}(だったけかな?)を覚えるひまもなく、「コオニ・トリオのマーチ」(だったけ?)に変更されたので泣いています。 アニメ好きでは人後に落ちないわたしも、いまのアニメで楽しめるのは「おじゃる」だけ。 あとはキャラ・デザインが気に食わないので、ビデオにとって見たりはしません。 そういえば、アニメーターの小松原一男さんが亡くなってしまいましたね。 考えてみれば、わたしのアニメ人生は作画監督小松原さんの傑作で埋め尽くされています。 まだお若かったのに。悲しいです。合掌です。 では「平家物語」については、また明日トライします。 |
良い本を買った。いま、それを読んでいます。 著者は、中世史家の上横手雅敬氏である。著書は「源平の盛衰」(講談社学術文庫)である。もう一冊ある。正確にいえば二冊ともいえる。同じ著者が塙書房から出した「平家物語の虚構と真実」(上下)である。 この塙書房というのは、新書版で思想や日本史・日本宗教史の面白い本を出している。むかしはわからなかったが、今見ると斯界のビッグネームが並んでいる。 それもまだこの人々が少壮学者だった頃に出版しているようだ。 良心的な出版社なのだろう。 いまは新刊はないようだ。 これと似たのが、神田神保町にある冨山房だ。 いぜんは店舗で書籍を販売していたのだが、いまは雑居ビルになっていて、喫茶店になっている。 ビルのなかをうろうろしていたら、出版社風のオフィスがあった。しかし、どこにも本はなさそうだ。 ここの「冨山房百科文庫」というのが、なかなか良い本をそろえている。ただし、一昔も二昔も前のラインナップだ。 石川淳の「夷斎筆談」、佐藤春夫の「退屈読本」、木村荘八の「東京の風俗」そして薄田泣菫の「茶話」というあまりにも通好みの本であった。 このあいだ16日に池袋の大きい書店をのぞいたら、まだ「冨山房百科文庫」は健在だったが、どういうわけか、上にあげた本だけがない。 わたしがよほど売れない本しか面白がれない哀しい読み手であることを、あらためて認識した。(泣) 余談が長くなったけれど、つまりは良心的な本屋さんは絶滅に瀕していると思うわけである。 たしかに86万部も出た「永遠の仔」の売り上げ増加に協力することは、読書人としては良いことだろう。 でも、活字文化の孤塁を守る出版社の本にも気配りしようとおもう。 (個人的な意見だが、「リング」の三部作の売上貢献に協力したのは、わが読書人生最大の恥じであった。怒れ、鈴木光司ファン。だが、あんなものは読まなければよかったという信念は変わらない。貞子よ、鈴木に祟れ!) というわけで、どんどん話は本題からずれてゆくので、必死で元に戻す。 上横手氏の本には、ちょっと解説がいる。 じつはこの二冊を比べると、「源平の盛衰」のほうが新しい。 しかし、この本は新版で、旧版は1969年に出た。 初版の頃は、わたしは小学生だった。 その後に、「平家物語の虚構と真実」が1973年に出る。 じつは「源平の盛衰」は75年に加筆して出版されたのだという。 今回刊行されたのは、75年版を復刻したものだ。 そんなわけで、ずいぶんと古い内容かもしれないが、古典的業績であることは間違いない。 論文を書いて、なんぼという(建前のある)大学教員には無意味かもしれないが、日本史ど素人にはありがたい。 なんといっても、「平家物語」は注と日本史辞典をたよりにしてはじめて気合を入れて読み込んだ日本古典である。 ど素人ながら、「平家物語」には思い入れだけはたっぷりある。上横手氏の本をきっちり読んでみることにしようとおもう。 内容については、また明日ということで。 |
どうも気合が抜けてる「読書日記」です。 どんどんカウンタが減っています。 書いている当人しか、面白くないのかもしれませんね、やっぱり。 しかし、ふてぶてしく居直って云えば、わたしはこういうものしか書けないんだから、ひとりでも読んでくれる人がいるかぎりこの「半随筆日記」を書きつづけるつもりです。 あんまり読んでくれる人がいないから、日記をやめるという泣き言だけはいいません。 そんなことを云っていたら、わたしみたいなヘンな文書を書く人間はどうしようもない……です。 さて、時間をつくって、上野公園の国立博物館へいってきた。 気合をいれないと、ついおっくうになって、博物館へもいけない。 めあては、もちろん「日本国宝展」。連休明けの5月7日までだから、なんとしても、早くいかないと見られなくなる。連休の混雑は間違いないんだから。 とにかく人はいた。展示品に絵巻物や書跡があったので、そういうところは列が進まない。じっくり見ていたら、ほぼ半日かかった。腰がくだけて、地面に寝転がりたいほどだった。 しかし、混雑の原因が、見巧者ではない人々であることはすぐわかった。 この「日本国宝展」の目玉、ボストン美術館から貸し出された「吉備大臣入唐絵巻」のあたりは人があまりいないので、嘗めるように見ることができた。 「国宝」という言葉は、ブルーノ・タウトが<National Treasure>という造語をしたのを訳したもの。これを法律で制定したのは、「吉備大臣入唐絵巻」が岡倉天心の尽力でボストン美術館に購入されて、海外流出したせいだ。 絵巻物や仏像なんかを、明治維新や廃仏毀釈運動のどさくさに、坊主や大名が海外へ二束三文で売り飛ばしていた。 これではいかんというわけで、「国宝」というものを国家が定めて、海外流出をふせいだわけである。 日本という国は、自分の国にある宝物のような人や物を卑しむ悪癖がある。 外国人に値打ちを教えてもらわなければ、わからない。 だから、安土桃山時代や幕末に膨大な金銀が海外へ流出したわけでもある。大きい目でみれば、日本人の仲間いじめが地球文明全体のために大いに役立っているとおもうべきだろう。 話はまったくそれたが、さすがに疲れたせいかもしれない。 「吉備大臣入唐絵巻」で展示されていたのは、阿倍仲麻呂の亡霊と吉備真備が悪辣な中国人官僚に「謎」をかけられて、奇書「やまたい」を読む場面だった。 ここは、安倍晴明に詳しい人なら、たぶんみんな知っている有名な場面だ。 この「やまたい」という書物には、日本の未来がすべて記されているということで、日本中世においては「ノストラダムスの預言書」みたいなものだった。 そんな題材が登場するのも、吉備真備という大秀才の律令官僚が「陰陽道」の実質的な祖とされているからだ。 とにかくいいものをみえた。これを眼福という。← なんかお爺さんみたいですな。(笑) 絵巻物では、「鳥獣戯画」や「法然上人絵伝」もあった。最近、この時代がやたらに面白いので、嬉しい。 ところで、字なんかには興味はないのだが、大きなホールまるまる一つを使っているので、見ないわけにはいかない。思わぬ拾い物があった。 ひとつは道元の書。 さらには織田信長が所蔵した元時代の中国禅僧の印可状。 もうひとつは、後醍醐天皇46歳の書。 道元の書はいい。力強い。雄渾である。 気迫がこちらに飛んでくるようだ。 信長が所蔵していた禅僧の書にも、不思議な迫力がある。信長はこれを愛蔵するだけではなく、茶席で眺めていたに違いない。 これを持っているひとは、勇気を尊ぶ人間だったことは間違いない。信長については、梟雄的な印象をこのごろ持つようになっているので、あらためてその人間像を考え直す必要がありそうだと感じた。 後醍醐天皇46歳といえば、鎌倉幕府滅亡の年である。 この超人的天皇の生涯絶頂の時代だった。 その書は、まさに英雄のものだった。英雄という特別な存在でなければ、こんな字は書けない。 書がわからない私も、しばらくこの字の前で立ち尽くしていた。 というわけで、本日もちっとも読書できない一日でした。 題名を変えたほうがいいかなと……と反省します。 |
本日は洋書のある本屋に久しぶりに行きました。 嬉しいことに、「ハリー・ポッター」の第二作<Harry Potter and the Chanber of Secret>、第三作<Harry Potter and the Prisoner of Azkaban>がありました。 もちろん、すかさず買ってきました。 いまのを読み終わったら、さっそく読みます。 このシリーズでは、ハリー・ポッターは魔法使いの名門校「Hogwarts」の生徒として事件に遭遇していく。 第一作が一年生、第二作・第三作がニ年生・三年生というぐあい。 いま読んでいるのは、学校に入学して、友達になる連中と敵役になった連中がでそろったところなので、いよいよ後が楽しみ…… 当日はあまり本も読んではいないのだが、気になるところがあるので「たとえばの楽しみ」(出久根達郎)をひっくり返していた。 たしか、口語短歌というのがあって、どうしても読みたかったのだが、そのページが出てこない。 こういう現象は、ほとんどないので、不思議だった。 わたしは、1,000ページくらいの本でも、読みかえしたい箇所はぴたりと開く特技がある。 ところが、今回に限ってはだめだ。いくら探しても、出てこない。 あきらめて、最初から一ページ、一ページ、しらみつぶしに観ていったが、それでもだめ。 なにげなく、本を指でパラパラめくっていたら、しおりがはさんでいるところがあった。 そこも何度となく観たはずなのだが、あらためて見た。 ありました。 なんで、こんなことになるのか。 おそらくその頁は何度も網膜に光像として映っていたのに、意識がそれを無視していたに違いない。 ここには、西村陽吉という書店主の口語和歌が載っていた。 それが読みたかったのに、なぜか下層意識が邪魔をしていた。 この西村陽吉は日本橋にあった東雲堂書店の丁稚となり、やがて見込まれて女婿となった。 のちに出版も手がけて、若山牧水の歌集や石川啄木の「一握の砂」、斎藤茂吉の「赤光」、北原白秋の「思ひ出」なども世に出した。 すごい人物だなと、この歌人たちの名前をみて改めておもう。 もし、この人がいなければ、啄木も茂吉も白秋も後世に知られるのがかなり遅れただろう。啄木のように早世が運命づけられているタイプは、へたをすると一生埋もれて終わったかもしれない。 芸術家にとって、生前に世に出るかどうかはひたすら天命にかかっている。努力したうえで、なおかつ「運」が必要だ。それを端的にいえば、人との出会いであり、時代の機運だ。 西村は若山牧水の歌の弟子で、牧水一派の同人雑誌も出した。 牧水が世に出たのは、西村が出版した第三歌集「別離」からだったとか。 さて、肝腎の西村陽吉の口語短歌を書き写す。 「机の上に本が一冊載っている それを読み返す時間が欲しい」 「本を読む時間の足りぬさびしさに 用のない雑誌の隅まで読んだ」 明治25年生まれの人の感覚とは思えませんね。これは。 「金儲けだと毎日人は騒いでいる 神様よこれが ほんとの暮らしでしょうか」 「金を儲けて いい生活をする いい着物をきる それでその人は何をするのでせうか」 あんたは、相田みつをかい! いま、こんな詩を書く人がいたら、思わず口走ってしまうだろうが、これは大正八年の作だそうである。 と頁を移しているうちに、なぜこの頁を開きたくなかったかがわかった。 同じ頁に、「あきらめの旅」という題名のエッセイがある。 本屋の丁稚から出版業者となった鳴海要吉という人のことを書いている。 この人は島崎藤村が「破戒」を自費出版するのを手伝った。 この人も、くしくも西村と同じ「ようきち」という名前だ。そして、同じような口語短歌を読んだ。わたしは不勉強だから知らないが、きっと大正期に口語短歌のような運動があったのだろうとおもう。 このひとの歌は哀しい。 「あきらめの旅ではあつた 磯の端末(さき)の 白い灯台に日が映(さ)して居た」 こういう切ない諦念は、好きではない。 わたしは自分の人生はさておき、人物としては厚い岩盤を素手でぶち割るような熱い生き方をした人を好む。 わたしの潜在意識は、鳴海の歌をみたくなかったに違いない。おそらくは自分を信じきれず、不遇な一生を終えたに違いない(調べたわけでもなく、勝手に思い込んでいるだけど)男のあきらめの歌を。 不思議なもので、その裏にある頁はいやというほど開いていた。 そこには別な歌人の作品が載っている。 どういうわけか、その作品ばかりがうんざりするほど目についた。理由はわかる。鳴海とはまったく反対の心境を歌いあげた歌だからである。 しんみりしたので、爽快なその歌を書き写す。 「あさみどり 澄みわたりたる大空の広きをおのがこころともがな」 気宇壮大で、気分のいい歌だ。 男はかくありたい。 作者は、明治天皇である。 |
昨日は予告しておきながら、ついにアップしませんでした。 (……これを書いているのは、15日です……) 予定はあくまでも未定でした! 反省しています。(泣) 13日はいったい何を読んだのかと思い出そうとしたのだが、どうも思い出せない。 「ハリー・ポッター」を読んでいたことだけは間違いないのだが…… 他にもいろいろ読んでいたはずなのに、思い出せないのは拾い読みをしていたからだ。 ほとんどつまみ食いみたいにして読んでいただけなので、さっぱり記憶に残っていない。 そうそう、やっと思い出した。 英語版NewsWeekを今週を含めて三冊、流し読みしていたのだった。 わたしの<NewsWeek>読みは、情報収集というよりは、英語を楽しむ快楽読書だ。電車で日本語版を眺めているサラリーマンなんかを観ていると、あの記事を読んでいるな、自分も読まなければと思ったりする。 いちおうざっと目を通して記事のタイトルをおぼえ、最初と最後のパラグラフだけは速読している。だから、どこにどんな記事があるかはわかっている。 こんなわけだから、かえってもういいやと云う気がして読まないのかもしれない。 記事のタイトルに目を通す理由はかんたん。記事のタイトルは、ほとんどダジャレだ。 本やことわざ、映画のもじりだ。 よく使われるのが、<Apocalypse Then>。もう三度か、四度以上は見たような気がする。もちろん、邦題「地獄の黙示録」の原題<Apocalpyse Now>のもじりだ。 日本では「日本は女たちが変える」と翻訳されていたのは、<Rising Daughters>。 <Rising Sun>というのは、もちろん日本のことだが、それは大ベストセラー<Rising Sun>によって一般的になる。その書名のもとは、聖徳太子の国書にある「日出づる処の天子」という自称であり、それやこれやを考えてみると、日本版の翻訳も期せずして、名訳となっているように思う。 こんな読み方をしているわけだから、日本版を眺めている人々のほうが効率よく情報収集しているはずだ。 しかし、英語という言語を楽しむという観点にたつと、こういう道草読書の快感は捨てられない。 FENのつまらないジョークにも、リアルタイムで反応できる。英語は筋トレだという人が多くなったから、こんなことを云っても一笑にふされることはないだろう。 話は変わるが、いつもはROMしているMLにうっかり洋書のことを書いたら、ケン・フォレットを全部英語で読んでいる人がレスを書いてくれた。 この人は「ローマ帝国衰亡史」も原書で通読しているらしい。 強敵出現! ――である。 わたしと同世代で、ちょっと利口な読書人は英語くらいどしどし読んでいる。 ジョン・アービングを全て英語読破している人、アガサ・クリスティーの原書を全部英語で読んだ人などはざらにいる。 自称、鉄人読書家としてはうかうかしていられない。 精進あるのみ! だぁーっ!(……超古いプロレス・ファンにしかわからない呪文です) |
本日の日記アップは、午後6時以降になりそうです。 ちょっと外回りがありますので……(笑) また読んでやってください。 |
「ハリー・ポッター」も半分まで読み進みました。 でも、やはり睡魔には勝てなかった。 また明日もがんばります。 ところで、この著者は現代イギリスの子供の生活を心にくいまでに詳細に描いています。 子供の目線で、ものが考えられるのでしょうね。 児童文学者としても稀有な資質ですね。 いじめっ子とのやりとり、新しい友達の作り方。 自分の子供時代を思い出して、どきどきします。もう四十代なんですけど。 「青春を取り戻すよりも、子供時代のエネルギーと感性が欲しい」 などと、のぼせてしまします。 まあ、ここ数日、我にもあらず、暴走気味の日記を書いているのも、そのせいかもしれません。 自分で笑ってやります。v(^^)v 追記1: いよいよ韓国の総選挙も投票が終わりました。 開票が楽しみです。 それにしても、総選挙の時期にあわせて、南北首脳会談をぶちあげたキム・ジョンイル氏。なかなかただのネズミではありません。 これで、太陽政策のキム・デジュン氏の与党・民主党に最大の応援をしたわけです。 離散家族が半数以上もいる野党ハンナラ党の支持者たちの票もとりこめたので、民主党が当初予想された惨敗を免れた――北朝鮮の冷徹なパワーポリティクスをみせつけられたとでも申しましょうか。 追記2: 石原都知事の「三国人」発言で、良識派のひとたちはとても怒っているようです。 わたしは、みんなうまうまと石原都知事の術策にのせられたなと思っています。 「自衛隊は軍隊だ」 「不法滞在の外国人は追い出せ」 というのが、石原都知事の本音です。 むしろ韓国や台湾の反発はのぞむところだったとおもいます。 石原氏は韓国や台湾のシンパだから、こちらを怒らせて議論の場にひきずりこんで、じつは本当の狙いが北朝鮮と中華人民共和国からの不法滞在者で、韓国・台湾の在日の人々に共闘して彼らを一緒に叩こうという具合にもっていきたいのかなと、わたしは思っています。 真綿でくるんで事態をあいまいにするかわり、排除する相手を名指しして、在日外国人の人々を政治的に分断化することを狙う――策士ですねぇーっ! 「お主もワルじゃのう」というところです。 石原氏が支持基盤として狙っているのは、良識派や人権派ではなく「物言わぬ不満な中高年層」なのだから、かえって騒動になるのは好都合。 批判者はもともと石原氏が大嫌いだから、しょせん味方にできるはずがない。ならば、「不満な中高年層」のハートをキャッチしようというのでしょう。 北朝鮮への賠償金とかで、いらついた日本国民の心情をうまくとらえた作戦かなと思います。 石原氏はハイダーやヒトラーの手法をもう少し洗練して使おうとしているようです。 自衛隊問題をむしかえしたり、不法滞在問題をこじらせたりするのも、石原氏が国政に大いに色気があるからでしょう。 このひともただのネズミじゃないなと、わたしは感心しています。 こんな生意気なことを云うと、良識のある人から怒られるでしょうな。 てへてへっ……。(^^; |
追記: 本日こそは……「ハリー・ポッター」を読んでやろうと思っています。 でわでわ。 4月12日の日記は、午後にアップしますので、読んでやってください。 |
なんだか風邪気味で眼精疲労もあって、読書が進みませんね。 皆さんはいかがですか? いま「ハリー・ポッター」と平行して、「日本的霊性」(鈴木大拙)を読んでいます。 この本は、いまどきの識者と違って、だめなものはだめとはっきり云っているところが気持ちいいですね。 こういう立場もあるだろう。またこういう考えの人もあるだろう。みんな、いいことですね―― なんて、もののわかった書き方する<おとこのオバさん>ばかりが増えていますね。このごろ。 威勢のいいタンカを切るのが、「適齢期以上オバはん未満」の年齢の女の人だったりします。このぐらいの年齢になると、もう男にコビを売っても無駄と気がつくので、頭のいい女のひとは逆襲に出るのですな。捨て身で、思いっきり戦うわけだから、技の切れ味がばつぐんです。主婦や、母親でないほうがいよいよ迫力がある。 たまに目に付くエッセイなんかで、するどい人はたいがいこういう女性ですね。それにひきかえ、この頃の男は愛嬌と媚びで生きている。 明治三年生まれの鈴木大拙さんのように、気迫ある男は絶滅したのでしょうな。トキみたいに、この国から。 そんな繰言はよしにしましょう。 とにかく、「日本的霊性」を読んでいると、ふつふつと闘志のようなものが沸いてきます。 「春風や 闘志いだきて丘に立つ」(高浜虚子) という気分です。 いままで読んできたところでは、平安文化をへて、鎌倉時代に大拙が云うところの「日本的霊性」が鬱然として誕生するあたりまでです。 この三年ほど、平安時代をやたらと調べています。 わたしの歴史眼(たよりないやつですが)からすると、平安朝というのは日本歴史において、すごいターニング・ポイントだったわけです。 そんなことを云うと、明治維新だ、信長だ、室町時代だと歴史に詳しい人々から反論がくるのは百も承知です。 しかし、東アジア世界の大激動がその後1000年間の歴史のゆくえを決定した時代なのですよ、平安時代は。 しかも、室町時代にようやく日本において可能になった生産力の増大は、平安・鎌倉をつうじての技術開発と大開墾時代をへなければ不可能だったわけです。 あえて、極論してしまうと、平安時代に一部の超エリートが夢想したことを、ようやく実現できたのが、つい最近だったとおもいます。 法然・親鸞・道元・日蓮といった鎌倉祖師が出現するまで、日本の宗教界・思想界は外来思想の消化と同時に、日本社会独自の「生き方」を模索していました。 空海だけが世界的天才なのでなく、「山川草木悉皆成仏」(=この世のありとあらゆるものに仏性があって、すべては本来救われているという思想)なんてことを言い出した最澄の影響をうけていないジャパニーズがこの世にいるのかと、わたしは言いたいです。 この最澄の思想を、じつは真言宗もふくめて、平安時代の宗教界・思想界は現実化するために模索しつづけたわけです。その問いは、鎌倉時代でいちおう出たのではありますが、それを貫徹するには江戸時代の白隠や妙好人という宗教的天才を待たねばならなかった。 さらにいえば、明治期の偉大な宗教人は、江戸期の内的発展の残滓にすぎない――なんて、いえば言い過ぎかもしれませんが。 そう考えると、大正・昭和という時代は、日本人がそうした厳しい内的省察を喪失してゆく過程だったようにも思えます。 しかし、平成の御代になって、空海や最澄、それに親鸞なんかが本当になにを言いたかったのか、学者や宗門のレベルをこえて、解き明かしてくれる人々が現れるようになりました。五木寛之氏や河合隼雄氏などですね。 これは大きなことだと思います。 いままでの歴史で、こんなことはあったでしょうか。 あったとすれば、法然が専修念仏を言い出した平安末期ですね。 話は変わるけれど、現代日本って、ほんとうに平安時代に似ています。 安楽に暮らせる人たちは恋愛中毒というか、SEX狂というか。 風俗に通うことがごくふつうの日常生活に入りこんでいるとか。 そして、男の女性化。化粧したり、両性愛的になったり、闘争心を失ってなあなあになったりとか。 いまの都市部に住む若者の生態は、滅びる寸前の公家階層のそれに酷似しています。 おかげで、「枕草子」を読んでも、「更級日記」「和泉式部日記」もわかるわかる。 いいかげんなラブ・ロマンスがあふれた連ドラみたいな感覚で読めばいいわけですから。 こんなことを書いていると、するどい人はお気づきでしょうが、わたしはいまの日本人は滅びると確信しています。 平安都市貴族を滅ぼしたのは、武士という周縁人でした。 おそらく、次世代の日本をになうのは、海外から流入する人々。 (だからといって、いまの日本人が絶滅するというわけではありません。 もっと大きな枠組みで行動できる人々が、いまの日本人のなかの志ある人々と海外からの流入者の混血というかたちで誕生する。そして、その人々が社会の主軸になるとおもうわけです。 ごらんのとおり、だれもが考えていることを、ちょっと気取っていってみただけです。) 平安時代という時代は、縄文期からいた日本原住民(その直系がアイヌ人と沖縄人)と、縄文後期から渡来してきた大陸系倭人、さらにその後に朝鮮半島からやってきた任那・百済・高句麗・新羅の遺民たちをごちゃごちゃにミキサーにかけて出自をわからなくさせた時代でした。 そして、その後の一千年を通じて、「日本人」というアイデンティティを創造したのです。 これからの千年紀をつうじて、ふたたび同じことが行われると、わたしは思っています。 だから、いまの時代は、その嚆矢となる大変な時代です。 景気回復とか、組織改革ぐらいのことで、この大変動は乗り切れません。 新しい日本の千年紀がはじまるわけですから、皆さんもどうぞご自愛ください。 |
やっぱりハード・スケジュールで3月に作業したせいか、目が疲れていますね。 TVも見ていないし、本を読むスピードも落ちました。 とにかく、目を休めたいこの頃です。 そのせいで、「ハリー・ポッター」もぜんぜん進みません。 どうやら私はフィクションよりも、ノン・フィクションのほうにロマンを感じるらしいので、本が読めないときはエッセイを開きます。 もっとスランブになると、国語辞書や外国語辞書を読みます。 このごろでは、中国古典や日本古典を読むようになったので、古語辞典や漢和辞典なんかも面白く読んでいます。 しかし、今回はさいわいにして、そこまではひどくないので、お気に入りの作者のエッセイを読む。 古書店主で、直木賞作家の出久根達郎「たとえばの楽しみ」である。 とにかく今は本が売れないそうである。 大ベストセラーでも図書館で順番を待って借りて読む世の中だ。無理もない。 読書系のメーリング・リストでも、国産ミステリを図書館で借りて読み捨てにする「読書好き」ばかりが増えている。 これはひどい例だろうけれど、つまらない雑誌の書評欄で、ライターが図書館の順番がまわってこないので書評対象となった作家の別の話題作を読んでいないと堂々と書いているのを見たことがある。 職業意識のかけらもないのには、あきれた。 そんななかで、古書店主として日々苦闘する出久根さんの本は不謹慎ではあるけれど面白い。 「書を友とすべし、書に金を惜しむべからず」という牧野富太郎博士の言葉を教えてもらった。 これですよ、これ。 立花隆や渡部昇一じゃないけれど、身銭を切って本を買わないと、なかなか本は友達になってくれないのです。困ったときに、力を貸してくれません。 なにをオカルトがかったことをと思われるかもしれませんが、本とお友達になった人だけは意味がわかるはずです。 とはいっても、書店員ですら、そら恐ろしいのがいる今日であるらしい。 出久根さんによると、ある大手書店が新聞に発表している週間ベストセラーで、司馬遼太郎さんの「この国のかたち」をフィクションの部門にいれていた。 別の書店では、女流作家コーナーと銘打った場所に、伊集院静氏と池澤夏樹氏が並んでいたとか。 どうやら、これからの本屋は商品知識のない店員のいる店舗ではなく、きちんとした人が管理するショッピング・サイトでオンライン販売する形態にかわるしかないだろう。 さびしいことではあるが…… |
やっと一日遅れの日記を書くパターンに戻れました。 ほっとします、やはり。 その日に読んだ本について読書日記を書くのは、やはりきついですね。 ところで、4月9日は日記を書いたあとで、布団にもぐりこんで「ハリー・ポッター」を読み出したのですが、すぐに寝てしまいました。 だから、ぜんぜん進んでいません。 われながら、笑ってしまいます。 本日も、ワシントン・ポストとニューヨーク・タイムズと、ロサンゼルス・タイムズのWebを覗いたくらい。 さすがにちょっとだれています。 ところで、最近ネット上で日本文学のテキストがメール配信されているのは、ご存知のひとも多いと思います。 わたしが愛読しているのは、このあいだの日本ホームページ大賞2000でグランプリをとった「まぐまぐ」で配信している「日本文学(e-text)全集」です。 このあいだまで、夏目漱石の「坊ちゃん」を配信していましたが、今回は太宰治の短編「玩具」でした。 これが本日読んだいちばんまともな読書でした。 それにしても、小説にいちどでも色気を出した人間は、太宰の文体に簡単にはまってしまいます。伝染力がありますからね。 とくに、隠れた自己顕示欲が強い人は。 ちょっと物を書くひとが集まると、かならずこういう書き方をするのがいます。 書き手も、ルックスとかに自信がある人が多いから、けっこう人気者だったりして。 あんまり知的ではないタイプの書き手には、使いやすい文体のひとつです。 ただし、これで本当のオリジナリティを出せるのは、よほどの文才に恵まれた人だけですが。 上手な贋ダザイは素人レベルでごろごろいます。 一時期、ライターという職種の人々がほとんど椎名誠の「昭和軽薄体」に染まったようなものですね。 これと対極的なのが、後期の三島由紀夫や澁澤龍彦氏のような文体。おそろしく、硬質でこういう緩さを徹底的に排除した結晶体めいたやつです。 わたしはこっちの硬いほうが好きなのですが、「津軽」を読んで意見を少し変えました。 高貴な精神性をそなえた作家に限っては、太宰のような文体をつうじて「魂の聖性」を表現できると。 ガラス玉と、ダイアモンドがちょっと目には区別つかないように、小児性の嘘と悪意でこりかたまったエセ太宰はこれからも増えつづけるんでしょうね。 とにかく、三十代後半になったら、エセ太宰は恥ずかしくてやっていられません。 たいていは、そこで書くのをやめるか、もっと堅い書き方に転向します。 ところで、「玩具」は未完なので、内容についてどうこう云えるものではありません。 きらめくような言語感覚が、魅力でしょうね。 といっても、それはなにか危うさを感じさせます。 その危うさ、はかなさが若さというものかもしれません。 しかし、そんな「ひりついた感性」はいつまでも持っているわけにはいきませんね。 だんだん心の皮膚を厚くしていかないと、乗り切れないことが多くなるわけですし。 現実を丸呑みする逞しさのほうが、はかなげな感覚を楽しむよりも大切だって、気がつくのが成熟だとおもいます。 いまどきだと、十代の青少年にもそういう意味で、成熟を強いられた子がいますね。 わたしの知り合いにも。 昔と違って、十代でも繊細ではいられないな時代なんですね、今は。 追記: 「日本文学(e-text)全集」を購読するは、下記のアドレスで登録できます。 (http://www.mag2.com/m/0000010863.htm) |
今日こそは「ハリー・ポッター」を完読しようと思っていたが、家人が風邪で寝込んでいるので食事の支度や食器洗いをしているうちに11時になってしまいました。 そのうえ、某NHKで、在宅介護する老紳士たちのドキュメンタリーをみて、二人でしんみりした。 パーキンソン病や、半身不随の奥さんたちを、年配の夫たちが介護している。もう17年間もそんな暮らしをしている夫婦がいる。その息子は、36歳でまだ独身。嫁取りは親子ともどもあきらめている。 うちはただの風邪だから、一日寝ればもう治ったようなものだ。でも、四六時中はりついていなければならない介護となると、大変だ。 げんに17年介護しつづけたお父さんは疲れて緊急入院してしまった。 いつまで元気でいられるか、わかったものじゃない。 それに、うちの場合、まだまだ親が若いから、何かあるとしても、これからだ。 もう、三十代ほどには安閑としてはいられない。 「大変だーっ、大変だぁーっ!」 と言いながら、赤いチョッキのウサギが目の前を走っているような…… 「不思議の国のアリス」じゃないって!(笑) しかし、「三月ウサギが集団で」(© 萩尾望都)跳ね回っているような、ユーモアとゆとりがないとやってけませんな、これからは。 これから寝床で、「ハリー・ポッター」を読むことにします。 |
土曜日は西武池袋線沿線の稲荷山公園に花見に行きました。 天気もよく、花も満開で、楽しく過ごしました。 イタリア・ワインと、ビールを飲みながら、寿司なんかをつまんでのんびりと桜を眺めました。 稲荷山公園はもと米軍の住宅用地だったが、光ヶ丘と同じように返還後に整備して公園にしたとか。 広い敷地に廃屋みたいな家があるので変だと思ったが、これは保存として米軍住宅を残しているからだ。ただ、どうみてもただの廃屋にしか見えない。 良い気持ちになったところで、園内を散歩してみた。 公園内には、狭山市立博物館がある。 数年前にも、この公園に花見をしたときに覗いてみた。今回は、初めてここに来る人たちもいたので、もう一回入ってみることにした。 ここのマスコットは、入り口にある「アケボノ象」だ。ボタンを押すと、古代象が鼻と耳を振りながら、可愛い声で挨拶してくれる。 二階に上がると、このあたりに流れる入間川周辺にいた古代象「アケボノゾウ」の骨格標本がある。 ところで、ここの体験コーナーは面白い。 縄文人の貫頭衣があって、自由に着てよい。木の皮からつくった繊維はごわごわで、素肌にはきついが、羽織ってみると、なかなか悪くないような気もする。 少なくとも、近所にお使いにいくぐらいなら、今でも使えそう…… まあ、作務衣くらいにはなるか。 このあいだ、秩父市郊外の山頂でみつかった50万年前の「小鹿坂遺跡」(おがさか いせき)を紹介するパネルもあった。 あれはもう保存のために埋め戻されたので、写真パネルを見たことだけでもよしとしよう。 遺跡の保存のためには、埋め戻すのがいちばん善い。 展示保存は難しいし、どんなにがんばったところで風化や劣化を免れることはできない。 原人の遺跡さん、安らかに眠っていてください。 狭山市立博物館は規模は小さいが、縄文のコレクションは意外に豊富だ。 埼玉県のこのあたりは、縄文時代から古墳時代にかけて人々が数多く住んでいた場所だった。 だから、他所から借りて来なくても、この近辺の出土品で縄文コレクションはまかなえる。 1万2000年前の縄文草創期から早期・前期・中期・後期・晩期がすべてまかなえるところがすごい。 ちなみに「草創期・早期・前期・中期・後期・晩期」とは、縄文時代の区分する用語だ。1万2000年前から、紀元前300年まで、世界に誇るニッポン文化が花開いたわけである。 環境破壊を必ずともなうメソポタミア・中国・インドの「乾燥地帯・大河タイプ」古代文明とは違って、自然と共生する「森林の文化」である。 日本人の良い所は、この「森林の文化」に由来する。縄文は日本人の原点だ。 その他にも、中世の武蔵国の武士たちの「板碑」とか、江戸時代の養蚕・製茶(さすがに狭山茶の本場!これを忘れるわけには……)などもあって、小ぶりながら、なかなか良くできた博物館だ。 博物館おたくのわたしも大いにお勧めできます。 6月18日(日)まで、「SAYAMAの埋蔵文化財展」もやっていて、地味だけれどなかなか楽しい展示をしています。 ところで、5月7日まで上野の国立博物館で「日本国宝展」をやっていますね。 忘れないで、時間をみつけてぜひ見にいこうと思っています。 |
いやはや、風邪が流行っているらしい。 うちでは家人がダウンしてしまった。 せめて食器洗いぐらいは手伝おうとおもう。 さて、本日のお題は「忍者の謎 戦国影の軍団の真実」(戸部新十郎)である。 忍者といえば、伊賀・甲賀、根来、風魔、ラッパ、スッパ、軒猿、黒脛巾組、偸組、鉢屋衆、真田忍軍、裏柳生というところが有名だ。 時代小説に詳しい人なら、ラッパ、スッパが忍者の別名で、風魔を使ったのが北条氏だと知っているはず。 以下、軒猿(のきざる)といえば上杉謙信、黒脛巾組は伊達政宗、盗組は前田利家、鉢屋衆は尼子経久と、それぞれ有名な戦国大名が使った忍者部隊だ。 実在は疑わしい真田忍軍は、もちろん真田幸村の部下であり、裏柳生は柳生但馬守宗矩・柳生十兵衛の手のものである。 作家戸部新十郎氏は、「忍者」に興味をもって、書きつづけている奇特な作家だ。 「服部半蔵」という大長編もある。 いまでは、時代作家のなかでは、忍者ものの権威といってもいい。 この本は、そうした戸部氏がダイジェストしてくれた忍者の入門書である。 さきに、「忍者と盗賊の謎」という本も上梓しているので、こちらを先に読んでいると、かなり重複するところがある。 ところで、日本における忍者は聖徳太子の頃までさかのぼる。 太子は大伴細人という「志能備」(しのび)を使っていた。大伴細人は伊賀の国の人である。 伊賀は平安時代の村上天皇の頃に、反乱を起こした藤原千方(ちかた)という武将がいる。いまどきの平安ホラーでは、安倍晴明が大活躍したことになっている時代である。 藤原千方の話は、謡曲「田村」にも登場する。しかし、安倍晴明は残念ながら登場しない。 この読書日記でも何回か紹介したように、安倍晴明伝説は江戸時代に賤民とされた人々のあいだで生まれたものだから、室町時代の謡曲に登場しないのは当然だ。 それはともかく伊賀・甲賀という隣接した地域は、上古から渡来人たちのうちでも音曲や技芸に長じた人々が住んでいた。 音楽・技芸をなりわいとする非定住者と、忍者のような異能は近縁にあった。 ゲリラ戦術を得意とする楠木正成は、能の大成者・観阿弥の叔父にあたる。 観阿弥はもちろん世阿弥の父だ。 いっぽうで、柳生の里も、伊賀のすぐそばにある。柳生流剣術と、能のあいだには意外なほど深い関係があるという。 伊賀・甲賀で忍術が発生、成長したのは、地侍たちが互いに小競り合いを繰り返しながらも、共通の敵に対しては一致協力して戦う「惣」(そう)あるいは「一揆」というコミュニティをつくっていたからだ。 そういう集団は、自己防衛のために、「芸」をみがく必要がある。 根来寺の僧兵たちが鉄砲技術を磨いて「根来衆」となったり、和歌山の鈴木一族が鉄砲集団「雑賀衆」になったのはそのためだ。 伊賀では、情報収集・撹乱技術が発達した。 だから、実際の忍術とはごく地味なもので、派手な体術など本来は不必要だった。 忍術とはあくまでもフィクションである。 昔も今も忍者が活躍できるのは、大衆文芸のなかだけしかない。 そんなことは、もう誰でも知っていることだが、これで満足しているようでは、歴史作家はつとまらないとおもう。 隆慶一郎さんは、あの膨大な「徳川実記」を読み込んだうえで、華麗なフィクションを花開かせたではないか。 物知りになって、それで終わりでは人生がつまらなすぎる。 ところで、明日は読書日記はお休みすると思います。 また読んでやって、ください。 追記: 橋本真也が小川に負けた。 勝った小川は、憎々しいほど格闘家の顔をしている。 全盛期の猪木を思い出した。 |
どうも草臥れているせいか読書がはかどらない。 「ハリー・ポッター」もお休みです。 体力がないと、やはり日本語の本に走る。それについては、また後日書くことにします。 ところで、昨日は「論語を読む」まで読んでもらって、ありがとうございます。 あんなことをやったら、読んでくれる人がいないんじゃないかと思って、びくびくしていました。 心から、ご尊敬申し上げ、御礼を申し上げます。(と言うと、皇后陛下みたいですね……) とにかく、ありがとうございます。 さて、以上のようなわけで本日は昨日やった新聞スクラップのお話です。 読書日記なのに、本が出てこないのです。申し訳ない。 といっても、マスメディアに登場するニュースはあまり関係ありません。 <わたし的に大事なニュース>とでも申しましょうか。そんな話ばかりです。 まずはつまらないことから 4月5日読売新聞夕刊に載っていた有珠山で「火山雷観測」のニュース。 森内閣発足、「エイベックス」所得隠しというフツーの方が興味をもつネタでないのが、<わたし的>です。笑ってやってください。 何より注目したのは、掲載されていた写真でした。 空から垂直に、下の火口に向けて伸びる稲妻の写真。 これは、かの「ゴジラ」映画で三原山からゴジラが登場するときに、必ず描写されたカミナリですね。 火山が噴火しているのに、なぜカミナリが鳴るのか映画をみていて不思議でしょうがありませんでした。 大きな地震が起きるときには、その前後に不思議な発光現象が空に現れるのは、知っていましたが、こっちのカミナリはただの演出だとばかり思っていました。 ところが、火山灰が静電気をおびていると、実際に放電現象が起きるのですね.はじめて知りました。「ゴジラ」とか「ゴジラVSビオランテ」のスタッフは、そこまで調査していたのか。いやはや感心しました。 ただし、今回は雷鳴はなかったそうです。 二つ目は、アメリカの大手ヘッジファンド・タイガーの破綻。こちらは3月30日にファンド清算の報道があったのをうけて、その解説記事です。 30日は小さな記事だったので、詳細をしっかりリポートしてくれないかなと思っていました。 30・31日は死ぬほど忙しかったので、新聞・ネットで記事を見る暇もなかったので、31日のこの記事も、昨日読んだのでした。 あのLTCMと並んで、アジア通貨危機を引き起こした張本人なので、経済ど素人のわたしでも興味があったわけです。 この連中はLTCMのノーベル賞学者たちが築いた金融工学なる、素人からみると限りなくインチキにみえる「手法」で株価や通貨の理論値をはじきだして、それにもとづいて、株や通貨を売買している。 相場に大変動があるのは、当たり前だから、この手法は怪しいなと思っていると、まずLTCMがおかしくなり、今年の初めにはジョーズ・ソロスのクオンタム・ファンドがハイテク株の乱高下で大痛手を食った。 そして、今度はタイガーの破綻である。 理由は、ハイテク株バブルを嫌って、リーダーのジュリアン・ロバートソンが大手企業の株を買い集めたのが原因だとか。 自分自身の武器であったはずの金融理論が裏目にでて、潰れてしまったわけである。 報道では、いまのアメリカ・ハイテク株バブルはパソコン経由のデイ・トレーダーが主導しているから、理論武装をしているプロ投資家でも何が起こるか予想できないとか。素人のデイ・トレーダーは利益さえ考えないで、ゲーム感覚で運用している。こんなお子様相手では、やってられんでしょうな。やはり。 でも、それももとはといえば、素人の資産を吸い取ろうとした金融業界全体のせいだから、同情はしない。 最後はほんとうに<わたし的な大ニュース>。 講談社の「小説現代」でやっていた「時代小説大賞」が10回で打ち切りとなったこと。 いつかは応募しようと思っていたので、がっかり。 打ち切りの理由は、受賞作をTVドラマ化するのが売りだったのに、スポンサーがつかなくなったことだという。 10回までやったことで、作家は発掘できた。それに、時代小説ではこれ以上、読者数が望めないという出版社側の意向もあった。 審査員のひとり、半村良氏は「司馬遼太郎さんのせいで考証がうるさくなったせいで、歴史・時代小説に魅力がなくなった」という見当違いとしかおもえないコメントを出しているので、がっかりした。 そういう問題ではないとおもう。 げんに隆慶一郎さんはとてつもなく厳密な考証を踏まえたうえで、自由奔放な作品世界を創造している。宮城谷昌光さんもしかり。 なにをいっているんだ、しっかりしてくれと、云いたくなる。休筆してから、半村良氏はにわかに精彩がなくなった。発想がこんなネガティブなのでは、どうしようもないだろう。 とにかく、若い世代の「歴史嫌い」「歴史離れ」があることは、わたしも認める。 でも、それは素敵な作品に出会っていないからでもある。 「竜馬がゆく」を読まないで、十代を過ごすなんて、不幸なことだとおもうけれど、そんな人も多いのだろう。 なまじ受験で「歴史」などというから、「データをあつめる」「年号を記憶すること」「小論文のまとめ方を覚えること」を、ほんとうの歴史と間違えてしまって、いやになるのかもしれない。 歴史とは、「すてきな人と出会うこと」だ。 重症のうつ病患者でもないかぎり、「すてきな人と出会うこと」が嫌いな人はいないだろう。 いつかそんな歴史小説を書いて、このことを証明するつもりだ。 いまにみていろと思う次第である。 追記: これは、ぜんぜんフツーの人にはどうでもいいことなんですけれど、もうひとつ。 小説家・評論家の中村真一郎氏が新著を出した。 「木村蒹葭堂のサロン」という本である。 木村蒹葭堂というのは、江戸時代の大坂(大阪ではなく、大坂です)にいた豪商。 江戸博物学の大物である。 しかし、これまでコレクターとしての側面ばかりが取り上げられて、その著述・活動については現代でもほとんど資料が公刊されていない。 きっちり調べて書く知性派、中村真一郎さんだけに期待できる。 これが、ほんとに<わたし的ビッグ・ニュース>です。 |
本日は、「論語を読む」にかかりきりになってしまいました。 かなり、こむずかしい議論になっております。 論語とか、生き方、哲学とかに興味がある方に読んでいただけたら、嬉しいです。 ここをクリックしたら、飛びます。 お時間があれば、読んでやってください。かなり長いですけど。 ところで、本日は衆参議院で森善朗総理が誕生しましたね。 「しんきろう」とは、またいいネーミングだなと感心しました。 この国の危機管理体制が、いかになっていないか、またまた全世界に知らしめた今回の事件。わたしたち国民も、もっと大人にならないと、いかんのでしょうね。 すくなくとも、塩野七生さんが描くところの凡人の大国ヴェネツィアみたいにはなりたいものです。 |
まだ<Harry Potter and the Philosopher's Stone>(J.K.Rowling)を読んでいます。 まだ四分の一もいっていないので、あんまり書くこともないのです。 でも、ハリーが魔法の学校へ入学する準備をするあたりは、なかなか笑えた。 入学準備のための本とか、マントとか杖なんかをロンドンへ買いにゆくのだけど、入学前の準備のこまごまとしているのには感心してしまった。 子供がいるお母さんでなければ、思いつかないでしょうな。こんなこと。 入学準備のために、お金が要ることまでハリー少年が心配するなんて、ものすごい生活感がある。 地面に足がめり込むような重たい現実感があればこそ、突拍子もないストーリーが生きてくる――英語圏のファンタジーの王道ですね。 それにしても、有珠山が噴火したり、首相が危篤になったり、大変なことになったものだ。 20世紀最後の年だけに、いろいろ思いがけないことが起きる。 昭和天皇崩御のときの官房長官が、いまは総理として集中治療室にいる。 運命というのは、こういうことだろうか。 もしかしたら、小渕首相の不幸も、もっと大きな大変動の前触れかもしれない。 有珠山のことも、そんな予兆のような気がする。 これから、何がおきても、驚かず、たじろがず立ち向かえるように、心をひきしめなければならないと思うばかりだ。 |
やっと元気になって、<Harry Potter and the Philosopher's Stone>(J.K.Rowling)を読み出す。 まだやっと五分の一読んだだけど、これが面白い!! 以前、ミヒャエル・エンデの「モモ」を英語で読んだことがあるけれど、ストーリー・テリングはそれに匹敵する。 しょっぱなから魔法使いや、巨人が出てくるけれど、それからやたら現実的になって、意地悪なキャラクターが主人公の男の子をいじめまくるあたりの筆力は、並みのファンタジー作家ではない。 謎の敵に、両親を殺された赤ん坊のハリーが、叔母の家へ預けられる。 赤ん坊を送り届けるのが、魔法使いと魔女と巨人。この会話の味がエンデ風でいい。エンデ・ファンなら、それだけではまりますね。これは。 叔母の家では、叔母夫婦や意地悪ないとこにいじめられ放題にいじめられるハリー。 でも、中学校へあがる頃に、謎の手紙が次々とやってくると、叔母夫婦は震え上がる。 そして、手紙が届かないように、逃げるように旅行に出るのだが、そこへひとりの巨人が現れて…… さあ、どうなるんだろう。 続きをさっさと読んでしまおう。 でも、ご安心ください。 ネタばらしはしません。 追記: ひたすらROMしているMLで、「ハリー・ポッター」が英国で禁書になったという話を聞いたが、本日の読売新聞にも出ていましたね。 聖書に魔法使いや魔女は邪悪な存在だと書いてあるからというのが理由だそうです。 たしかに「申命記」にも「レビ記」にもそんなことは書いてあるし、「エンダーの魔女」なんて女予言者も出てくるが、だからといって魔法使いと魔女が大好きなイギリス人がこんなことを問題にするのも変な話だ。 世界でいちばん幽霊話が多くて、しかも怪談がうまいのは、他でもないイギリスではないか。 偏狭なキリスト教ファンダメンタリズムが、イギリスまで広まっているとは。 あの国は奇人・変人の宝庫でもあるけれど、ユーモアと良識の国でもあったはずなのだが……。 フーリガンがあちこちで暴れるくらいだから、もうそんな古き良きイギリスはないのかもしれない。 ちょっと、寂しいことではある。 |
本日は、更新が遅れました。 疲労がたまったらしく、一日寝ていました。 それで、本日はまるでネタなしです。 休みを利用して、「ハリー・ポッターと賢者の石」を読んでやろうと張り切っていたのですが。 そういうわけで、本日はごめんなさいまし。(笑) |
本日の日記、第二弾です。 あんまり遅れたので、エイプリル・フールとか思われたんじゃないかなと心配です。(笑) さて、本日のお題は「開幕ベルは華やかに」(有吉佐和子)。 大ベストセラー作家だった有吉佐和子氏が亡くなってから、もう十六年。 タモリの「笑っていいとも」で電波ジャック同然に暴れまわる勇姿をみせてくれてから、訃報を聞いたのはまもなくだった。 「複合汚染」とか、「恍惚の人」とか、世の中の不正に斬りこむようにして戦った人でしたね。 この国の「男ども」には、きわめてまれな勇気と信念の人でした。 この作品は書き下ろしとしては、有吉氏の最後の作品だと解説に書いてあった。 何度もTVドラマになっていたので、ずいぶん前の作品だと思っていたので意外な感じだ。 この小説は、ミステリー仕立ての娯楽小説だけど、そのへんはミステリーの良い読者ではないので、省略してしまおう。 わたしは、犯人がだれかというより、「舞台設定が新鮮か・背景知識をしっかり押さえてあるか・食い物と酒と美女をきちんと描いてあるか」ということにしか興味がない。 この条件だけクリアしてあれば、犯人当てとか犯行の動機はどうでもいい。 犯人が日本国民全部であっても、犯行の動機が太陽が黄色いからでも、いっこうにかまわない。 余談が長すぎた。先へ進もう。 この小説には、あきらかにモデルがいる。 天才的な老女優・八重垣光子。 これまた天才的な歌舞伎界の名優・中村勘十郎。 これは、水谷八重子(初代)と勘九郎のお父さんの昭和の名優・中村勘三郎です。 ふたりの台詞回しを思い出しながら、小説を読んだので、ドラマをみているようで楽しかった。 勘三郎という人は、わたしが小学生のころにNHK大河ドラマで「新平家物語」に出ていた。 どういうわけか、小学生のくせにファンになってしまった。 勘十郎の台詞を読んでいると、ブラウン管で見た勘三郎丈が髣髴とされて、じーんとしました。勘十郎というのが、複雑かつ繊細で、名女優に嫉妬もすれば男気も出すという良い役どころ。こういう魅力は、まだ勘九郎には無理ですね。 まあ勘九郎にはお父さんのような色気はないから、息子ふたりに期待します。 ところで、この名女優・八重垣光子は「ガラスの仮面」まっさおの共演者を食いまくる天才だ。演出は無視するし、共演者の迷惑もかえりみず受けねらいの勝手な芝居をしては大拍手をもらう。共演者みんなから、ぶち殺してやりたいと憎まれる。 実際には、そういうのが名女優・大女優なんだと、演劇界と関係の深い有吉氏は教えてくれているのである。 「ガラスの仮面」を愛読していたわたしなど、甘いなぁー。大甘である。 北島マヤがあんないい性格だったら、演劇界では一日も生きていけないだろう。名優とは人非人の別名であった。 ほんとうの芸能人は、そら恐ろしいほどのエゴイストである。ゆめゆめ忘れないようにしよう。 それにしても、哀れなのは、名女優につぶされた若手俳優たちだ。 勉強になるからといって、台詞をまったく覚えない名女優に舞台のかげで台詞をつける<プロンプター>という役目をさせられたり、<付け人>になって奉仕する。 本人や同世代の若者たちは、それを修行や勉強だとおもって一生懸命だ。 だが、その道から一人前に成長することは絶対ないと、古手の演劇人たちはみんな知っている。 名女優の<プロンプター>になることが出世だと勘違いする若手と、その行く手には演劇人としての死しかないと知りぬいているベテランたち。 こういう構図は、似たような徒弟制度の世界にいちじ身をおいたので、よくわかる。 腕一本で競争社会を生きるベテランたちの中には、どこの世界でも自分が生き延びるために、世間知らずの才能ある若者を食い物にしようとする連中がいる。 世間的に認められている人ほど、そういう傾向がある。 ただし、この冷徹な事実は、当の本人にプライドと自信があるほどわからない。 八重垣のプロンプターを務める若手俳優にも、そのことを指摘する親切な人があらわれて、アドバイスしてくれた。 だが、若手俳優は老女優が死ぬまで奉仕して、老女優のすべてを吸収するんだと言い張って、耳を貸そうともしない。 アドバイスした方には、そうしているうちに、演技者としての能力が腐ってしまうことが、はっきり見えているのである。 悲劇とは、身近なところに転がっているものだ。 おぼつかなくても、人頼りしないで、自分の足で歩くにこしたことはない。 たとえ、それがどんなに遠回りにみえても、結局はいちばん近いのである。 |
読書日記は、3月30日と3月31日はお休みしてしまいました。 忙しくて、サイトを見る余裕がなかったからです。 仕事も一段落して、昨夜は本も読めました。 今日はそこで、2回にわけてアップする予定です。 これがお知らせの第一回目。 あとは書きあがり次第、アップします。 それでは。 |
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