お気楽読書日記: 5月

作成 工藤龍大

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 5月

5月31日

いろいろあって、更新できないままにもう土曜日。
本日は、岩波文庫の『曽根崎心中・冥途の飛脚』(近松門左衛門)について書き残したことを書きます。

意外な発見でしたが、近松の作品は、最初から最後まで悲しいだけのドラマというわけではありませんでした。
むしろ、「笑い」の仕掛けが随所に光っている。

酒癖の悪い人妻が、酔っ払って不倫する。
それが世間に知れて、夫は妻を殺さなければ武士として生きていけない。不倫相手の鼓(つづみ)の師匠を殺さないと、武士として生きていけない。

「堀川波鼓」(ほりかわ なみのつづみ)という浄瑠璃は、あらすじだけを書けば「封建社会の残酷」「女性の権利を踏みにじる非道」をうたいあげた大変ヒューマン・ドキュメンタリーです。

たしかに、深刻な社会ドラマとして、これをみて笑うことなぞ想像もできない。

しかし――笑えるのです、これが。

高校時代、学校行事の演劇鑑賞会でこの作品の芝居を見に行ったことがあります。
世間に知れれば死刑をまぬがれない姦通(この時代、不倫は姦通といって、夫は不倫妻を斬り殺さないといけなかったのです)を、酔っ払った人妻が、自分から相手に迫る場面。
ここで、高校生どもは大笑い。
全校生徒が、引率の教師から後でさんざん説教されました。

でも、原作を読んでみて、あの無作法なガキどもは、まんまと近松センセイに乗せられていたんじゃないかと思うようになりました。

だいたい状況からしておかしい。
夫が参勤交代で江戸へ行って長期の留守。
留守番をしているのが、妻とその弟。子どものいない夫婦は、妻の実弟の少年を養子にしている。
その家へ、養子(=実弟)の鼓の師匠が挨拶にくる。もてなしで、酒を勧めた。

女所帯の家で、酒なぞと断る師匠に酒を無理強いするあたりがすでに可笑しい。
酒を勧める人妻のへ理屈そのものが笑える。これが伏線です。

弟はよせばいいのに、友だちの家へ出かけ、師匠は離れで鼓の稽古を始める。
ひとり人妻が舞台に残っているところへ、人妻に不倫しようと男がのこのこ現れる。
その場しのぎでのがれようと、人妻は自分にも気があるようなことを言って、相手を追い返そうとする。このあたりも緊張しているけれど、笑えるんだなあ。

このピンチを救うのが、師匠の鼓の音。
「人に見られた」と思った男が逃げ出し、ほっと一安心。

と思ったら、今度は人妻が男に言った言葉を聞かれたと知って逆上。
いっそ師匠と不倫して、相手を同罪に引きずり込んで口封じしようと考えた。
腰が引け気味の師匠に、人妻は無理やり迫って自分の帯を解かせ、関係するのです。

このあたりで、かつての高校生どもは大爆笑しました。
だってねぇ、このストーリーは、高校生どもがひそかに愛好していた当時の日活ロマンポルノそのもの。
笑いをとるのが、近松の狙いだったと思いますね。

この笑いがあるから、凄惨な妻の手討ちや逃げまわる町人の師匠を斬殺するシーンが救われる。

自宅の仏間で妻を斬り殺したり、師匠を斬殺する場面は写実的にすれば、グロテスクの極みですから。
それにしても、町人の師匠を斬り殺す場面では、夫と妻の実妹、養子(=弟)、さらに兄嫁の不倫がもとで離縁された夫の妹が、総がかりでひとりの町人を殺すのだから、なんとも残酷。

それでいて、コッケイでもある。
わたしはサルカニ合戦を連想しました。
みんなで、よってたかってサルをいじめるというアレです。

ストーリーそのものが陰惨だからこその工夫なのですが、いま考えても笑える。
現実がどうしようもないとき、最後の武器は笑いしかないのかもしれません。

近松門左衛門の笑いには、つらい現実を生き抜く生活者の知恵があるのです。
この件について、またあとで書くことにします。

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5月26日

『和漢朗詠集』の再読中です。
『中国名詩選』は一休みして、日本の和歌と中国・日本の漢詩集に戻ってきました。

このアンソロジーを作った藤原公任(きんとう)は平安時代の文人貴族として有名です。
でも、それだけではない。
日本の文学には、『和漢朗詠集』に集められたフレーズがいろんなところで使われている。
あの道元禅師や鴨長明もこれを愛読していたらしい。

勝地(しょうち)はもとより定まれる主なし
おほむね山は山を愛する人に属(しょく)す

これは白居易(=白楽天)の詩です。
「勝地」というのは、景色が良いところという意味です。

山は山を愛する人のもの。
なんとなく雄大な感じがしますね。

土地登記しなければ自然も守れない。国も国有林を破壊しようとする。
現代だからこそ、かえって哲理までも感じるのかもしれません。

しかし、こんなのもある。

世の中はとてもかくても同じこと 宮も藁屋(わらや)もはてしなければ

こうこられては、何もいうことはありません。(笑)

また、こういうロマンチックなものもある。

春を送るに舟車(しゅうしゃ)を用ゐず
ただ残鶯(ざんろう)と落花(らくくわ)とに別(わか)る

言葉遊びみたいですが、春を送るのには舟も車も必要ない。
ただ鶯が去り、桜が散るだけでいい。
――味もそっけもなく、いえばこういう意味です。
とはいえ、声に出すと、なかなか気分がいい。

これは漢詩で作者は菅原道真。
道真の本領が陰陽師と戦う怨霊などではなく、一流の詩人だったことを、忘れていけません。

漢字まじりだと、『和漢朗詠集』の魅力はよくわからない。
これは、声に出して読まなければ値打ちがわからない本なのです。

最後にどうでもいいことをひとつ。
『和漢朗詠集』に、こんな歌があります。

わが君は千代に八千代に さざれ石のいはほとなりて こけのむすまで

これは近年法制化されたわが国歌ではありません。
関係はありますが、厳密には違う。

この歌は、関ヶ原合戦があった頃に、遊郭の遊女が尺八と三味線の伴奏入りで、情人のために謳った恋歌として使われたそうです。
恋人の長寿を願うわけだから、なじみのお得意さんでしょうか。

このように『和漢朗詠集』の和歌は、いろんなところで使われたらしい。
浮世絵のポルノにまで使われたそうです。
公任さんが選んだアンソロジーは、日本人のDNAにこびりついているんでしょうね、きっと。

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5月25日

今さらですが、ビデオで「ハリー・ポッターと賢者の石」を見ました。
原作を読んでいると、どうも劇場に行く気にはなれません。
あれを映像化できるとは、とても思えなかったからです。

CGはよく出来ているし、映像はキレイ。
ケチをつけるところはありませんが、正直な感想をいえば、ここをどう映像化するのかなと楽しみにしていたところはあまり大したことはなかった。
絵にしやすいところで、きちんと映像にしている。
そんなもんだろうなと、少しがっかりしました。

やはり劇場へ行ってみるまでもなかった――というのが本音でした。

活字のイメージ喚起能力は、CGなどはるかに及ばない。
かえって、よけいな心配をしてしまいました。
物語がシンプルでいちばん映像向きの「賢者の石」でこれくらいだとすると、ストーリー展開がより複雑な「秘密の部屋」や「アズカバーンの囚人」はどうなるのか。
スピルバーグはどう料理するんだろうと。

映画としては、たしかによく出来ていたけれど、わたしはかえって文字の「魔力」を再認識しました。
文字は「賢者の石」に出てくる「未有の鏡」であもあるけれど、真実と智恵も教えてくれる。

心の中の望みだけを映像化して、人を滅ぼす魔法の「未有の鏡」は、いわゆる「文学」がおちいりやすい罠ですが、文字は「生命の水」を作る賢者の石にもなる。

二十六日の新聞に、盲目のテノール歌手・新垣勉さんのインタビューが載っていました。
新垣さんは赤ん坊のときに助産婦のミスで眼に劇薬を入れられて失明。
米兵の父は妻子を捨てて帰国して行方知れず。母は物心つく前に新垣さんを捨てて再婚。

小学生のとき、自分の不幸をすべて知った新垣さんは父母と助産婦を殺したいと思ったそうです。

その新垣さんが不思議な縁で三浦綾子さんの『道ありき―青春編』を読んだ。

本の内容は以前の読書日記(2000年1月30日)に描いたので繰り返さないけれど、戦中・戦後の価値観の断絶に絶望して人生を捨てていた三浦さんの魂を救う存在として、前川正という人が登場する。

前川さんと三浦さんの出会いの物語に、新垣さんは生きる勇気を貰ったそうです。
してみると、『道ありき』という本は、新垣さんにとって「生命の水」となった。

文字のちからは、映像がいくら盛んになっても衰えることはないと改めて思いました。

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5月23日

岩波文庫の『中国名詩選』(上)を読んでいます。

これは『詩経』から魏晋時代までの中国古代の詩を集めたものです。
漢詩と一口にくくればよさそうなものですが、ちょっとそうしたくない事情がある。
この本に集められたのは、唐詩の代表的な詩形であり、漢文の授業でもお馴染みの五言詩が成立する前にできたものがほとんど。
唐詩が頭の片隅に残っている程度の人間には、まるで違ったものに見えて新しい驚きがある。

ことに「詩経」から採られた作品は、万葉集よりもわかりやすい。
漢字をそのまま漢音で読むと、ますます気分がいい。

漢詩の本で以前教わったのですが、古代中国の詩は現代中国語よりも日本語の漢音の方が原音に近いとか。

有女懐春
吉士誘之

この意味は、
「恋を知りそめた乙女がいれば
いい男がさっそく言い寄ってくる」
ということだそうです。

これなんか、簡単に漢音で読めますね。

漢和辞典を引くのが面倒なら、当てずっぽうでもいいと思います。
まあ、そんな外れてはいないでしょう。
かりに間違ったところで、だれにも迷惑はかかりませんしね。

目下、「詩経」が終わって屈原の「楚辞」に入ったところです。
あと三国時代の曹操・曹不・曹植や、晋代の竹林七賢のふたり阮籍とケイ康を先に読みました。
曹操はさすがに英雄らしい詩を書く。
元気がなくなったときには、再読したいような詩ばかり。

人生、幾何(いくばく)ぞ
譬(たと)えば朝露のごとし
去る日ははなはだ多し
慨してまさに以って慷すべし
幽思(ゆうし) 忘れがたし
何を以ってか、憂いを解かん

訳文なんていらないでしょう?
ときどき見慣れない言葉が入っていますが、なんとなく分る気がしますね。

月 明(あき)らかにして星 まれに
烏鵲(うじゃく) 南へ飛ぶ
……(中略)……
山は高きを厭(いと)わず
海は深きを厭わず
周公は哺を吐きて、
天下は心を帰したり

これも雄大な感じがする。
「周公は哺を吐きて」というのが分りませんが、これは孔子が尊敬した周公旦の故事によるもの。
周公旦は、人材集めに熱心で就職活動に来た人がいると、食事中でも面会したそうです。
その際に、口の食べ物を吐き出し、口を注いだ。
これはいまの日本では訳がわかないでしょうが、大切な客人に対する礼儀です。
鎌倉時代の一遍上人の伝記や、他の高僧伝なんかにも、食事中の武士や貴族が高僧が訪れると、このようにしたとあります。
中国文化圏では、これが最上のマナーだったようです。

周公旦はよほど忙しかったらしく、一度の食事中に三度までもこんなことをしたとか。
それだけ、人間を大事にしたので、周の全国民が周公旦に心を寄せ、尊敬した。
曹操にしてみれば、そういう人間でありたいということなのですが、この結論にいたるまでのレトリックが「おとこのプライド」をくすぐるところがすごい。

曹操は政界の黒幕みたいな宦官の孫ではありますが、はじめは一介の中隊長くらいのポジションだった。
そこから事実上の皇帝にまでのぼりつめた。
その秘密が、なんとなくわかります。
曹操も希代の「人たらし」だったのです。

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5月19日

家人が妙なビデオを借りてきました。
「初恋の来た道」もそうですが、このところ家人はビデオに凝っているみたいです。

なんでも観光用ビデオとして作ったのが評判が良いので、映画として公開されたものだとか。

「キシュ島の物語」というビデオです。

イランの映画でした。
中身は、「エレンディラ」を思わせる魔術的リアリズム。
短編三つで、構成されています。

観光用ビデオとはいうものの、こんな妙な物語をみて、この島へ観光旅行する人なんているんでしょうか?
ふたりして、首をかしげながら観ていました。

海にうかぶギリシアの難破船。船体に侵入した海水に無数の段ボールが浮いている。
その段ボールを拾いあげて持ち帰った男が、それを家の修繕に使う。
すると、男の妻が霊につかれる……。

入学金が払えずに大学に入れなかった青年が、海辺で魚を釣ったり、貝細工を作ったりしながら暮らしている。とても現実とは思えない幻想的な仕事……。
青年がなぜこんな暮らしをしているのか。
なにかの寓意だとは思いますが、イランの事情がわからないので事態が把握できないまま、物語は結末を迎えます。

最後は、いちばん気に入ったけれど、もっとも超現実的。
ドアが砂漠を歩いている……。
これがほんとなのです。
しまいには、エメラルド色の海を背景にして、ドアが立っている。

ダリの絵か、どらえもんの「どこでもドア」。
イランの人は何を考えているのだろう。

イスラムの複雑怪奇な法律や哲学を考え出したのも、唐草模様を考え出したのも、じつはアラブ人ではなく、イラン人だったなあと、ぼんやり考えてしまいました。
そのころは、ペルシア人と言いましたね。いったい、いつからペルシアの人は、イラン人になったんだろう。
ペルシア猫というのはいるけれど、イラン猫というのはいないから、案外新しいかもしれません。

今日はイランづいているのか、NHK特集「アジアの古都」はイランのイスパハンが舞台。
イランでは、今も男どもには仕事がないらしい。
シーア派の聖者廟で泣くお母さんたちが気の毒でした。
かぼそい女手だけで、夫と子どもを食べさせなければならない。自分が病気になったら、神様(アッラー)に頼るしかない。
シーア派では、死んだ聖者がアッラーに口利きしてくれるという信仰があるので、遺体を収めた聖者廟で祈るのです。

アフガン難民となると、事態はもっと深刻です。
農民のお父さんに働き口はない。小学生や十代の息子たちの靴磨きや日雇いで、一家はかろうじて生きている。

小学生の息子が靴磨きでかせぐ一日160円のお金がなければ一家はやっていけない。息子は小学校へもいけない。
かれは昼まで学校へ行って、午後から夜遅くまで靴磨きを続ける。

そんな男の子の夢は、モスクのタイル職人になること。

イランの王宮モスクを修理している国一番の名人の仕事に憧れて、弟子入りを願っている。名人も眼をかけてくれるのですが、小学生の稼ぎに頼りきっている一家は猛反対している。
なんという世界だろう。
親が自分の都合で子どもの将来をつぶそうとするとは。

お父さんも、お母さんもイスパハンではなんにもできないからです。
この人が出来る暮らしは、捨ててきたアフガニスタンの農村にしかない。

これほど過酷な現実をちまちましたリアリズムで描くのは、かえって難しいかもしれない。
観客ひとりひとりの背中にのしかかる人生そのものが、作家の想像を越えた苛烈なものだから。

あまりにも過酷すぎる現実は、「夢」とともになければ耐えられない。
リアリズムをドラマにできる国は、ほんとうに平和で幸せなんだと思いました。

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5月18日

浅草の三社祭に行ってきました。
夫婦同士で友人と出かけて、仲見世と浅草寺をぶらつきました。

生きのいい町内の青年部の神輿が仲見世に繰り込んできたので、押しのけられ、足を踏まれて祭り気分を堪能しました。
荒っぽくないと、神輿とはいえない。
「これでいいのだ」と、バカボンのパパみたいなことを独りごちてしまった。

缶ビールを飲みながら、お神楽を見物できたので、祭り気分は絶好調です。

夕方になって、ドジョウ鍋の老舗「駒形どぜう」を目指しましたが、いってみると店の前には順番待ちのお客さんがぎっしり。
あきらめて、別の老舗へ行きました。
こちらは座れただけでなく、二階の窓際の席だったので、日が暮れてからの神輿を上から見物できました。

そのうえ、「どぜう鍋」と「柳川鍋」が絶品。
どぜうってのは、山椒をかけると、こんなに美味いものだったのか!

もちろん、割り下が美味いからなんでしょうけれど。
また浅草へどぜうを食べに行こうと、決意しましたね、わたしは。

鍋を終えてからも、河岸をかえずに、同じ店で日本酒をかなり飲みました。
久しぶりに会った友人夫婦と会話がはずんで、楽しかったのです。

ラスト・オーダーで店を出てから、神谷バーの電気ブランでしめ。
ついでに、ウォッカのスミルノフを意地汚く、ダブルのストレートで飲んでしまった。

なんだか酒ばかり飲んでいた一日でした。

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5月17日

ビデオで、中国映画「初恋の来た道」を見ました。
主演は「グリーン・ディスティニィ」のチェン・ツイィー。

ワインを飲みながら、ビデオ鑑賞したのですが、いい話でした。

貧しく小さな村に、都会から青年教師がやってくる。
青年に恋した村の少女がたまらなく可愛らしい。

これが、「グリーン〜」で剣を振り回していた娘と同一人物とは信じ難い。

ラストシーンは、「思い出ぽろぽろ」と仕掛けが似ている。
でも感動は数倍。
気がついたら、なぜか涙が出ている。
泣いていることさえ気がつかないほど、主人公の笑顔に引き込まれていました。

こういう映画について、表現するのは難しい。
ひとことも難しい理屈はいわないで、「人間の尊厳」と「愛の深さ」を描ききっている。映画のストーリーでさえ、抑制と省略の美学に貫かれて、まったくの無駄がない。

監督の才能が足りなければ、もっとどろどろしたストーリーになったはず。小さな奇蹟が、運命の成就を暗示する手法は、作り手の器が大きくなければ出来るものじゃない。

この監督さんには、昨今のクリエイターにはまれな勇気を感じました。

それにしても――田舎道を中国北方の民族服を着て、駆けていったツイィーの後姿がいまも眼に焼き付いている。

この映画を作った人たちみんなに、心からお礼がいいます。
「ありがとう」

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5月12日

岩波文庫の『曽根崎心中・冥途の飛脚』(近松門左衛門)を読んでいます。
「曽根崎心中」「冥途の飛脚」「丹波与作待夜の小室節」を読みました。

織田作之助を読んでいなかったら、おそらくは読めなかったでしょう。
日本一のばか男、あほ男、ダメ男の列伝です。

こんな男にひっかったら、身の破滅とお節介に説教したくなる。

最後を除いて、肩入れした女たちは心中で殺され、窃盗補助犯として逮捕される。
私的財産である女郎だから司法の裁きは免れるとしても、もっと悲惨な最期が約束されている。打ち首獄門の男と、運命は大して変わらない。

主人公たちは男の友情もわからないうえに、男の立て方かもわからないアホぞろい。

これに感動して泣くのは、かなり難しい。

「丹波与作待夜の小室節」の主人公・丹波与作の、だらしのなさは天下一品です。
「冥途の飛脚」の主人公・亀屋忠兵衛の、馬鹿さ加減は宇宙論的な神聖ささえ感じる。

この人たちには、何をいっても無駄でしょう。亀屋忠兵衛は、親友ハ右衛門の心配りさえ、意地を張って無にしてしまう。

せっかくの忠告・骨折りも無に帰するアホさ加減は、宇宙論的なスケールさえ感じる。

この人たちの「愚かさ」のスケールは、織田作之助の「六白金星」の主人公・楢雄の愚昧さに通じて、禅味に近い風格まで備えている。
この人々には何をいっても無駄。
サハラ砂漠のど満中で雨乞いの祈祷をすることにも似た無力感を感じないわけにはいかない。

わたしのような平凡な人間でも、破滅の道を一歩一歩狂いなく歩いて行くだろうと、たしかに予感させる人に出会ったことがないわけではない。
近松も、同じ現実をみたに違いない。

救いは、相手に殺されても一緒に行こうという女たちの存在です。
神聖を帯びた「女たち」の母性愛が、ダメ男たちの救いとなっている。

夫として、父としては、まことにダメな男たちを、生命を捨ててまで甘やかす「おんな」の道を謳いあげる。

この屈折した感情生活が、母性社会・日本の原点です。

しかし、ヤマトタケルの時代から、男はそれに飲み込まれたら死ぬほかはない。
その上、愛する女まで道連れにする。

近松門左衛門の浄瑠璃は、人間の真実を描いているゆえに、現代でも生命を失わない。

つまらない自分の見栄のために、手をつけてはいけない公金を女郎屋でばらまいて意気がる亀屋忠兵衛の姿に、肌が粟だたない男はいない。
やりたいだろうけれど、やってはいけないその一線を越えれば、司法の世話になり、新聞ダネになる。

「冥途の飛脚」を笑えるやつは、大人じゃない。
これを戦慄をもって見る男の顔には、うそ寒いうすら笑いが浮かんでいる。
そのうそ寒い男の顔を、疑心をもって見ざるをえないのが、大人の女というものです。

哀しい話ではありますが……。

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5月11日

上野で「プラド美術館展」と「雪舟没後500年展」に行ってきました。

以前、「ルネサンス展」と「アールヌーヴォ展」に行ってから、西洋美術には食傷気味になっていました。

今回も人に誘われなければ、「プラド美術館展」も躊躇したでしょう。

行ってみたら、エル・グレコやベルスケスを始めとする名画そろいに堪能しました。

わたしには、自我のインフレーションで舞い上がっているイタリア美術よりも、「恐れ」を内包したスペイン美術の方がしっくりきます。

神無きイタリアの理性よりも、神秘に人間の尊厳を謳いあげるスペインの重苦しさが本当に思えるのです。

エル・グレコの「聖家族」「聖フランチェスコ」。ムリーリョや、ヤン・ブリューゲルの佳品に心打たれました。
たしかに、サンクタス=聖なるものは実在すると思います。
キリスト教世界にだけにあるとは思いませんが……。

「雪舟展」は大変な人出でした。
なぜ、こんな人が集まるのだろうと、思わざるをえない。
普段、美術展なんぞに来るようには見えない人が多かった。
なぜ雪舟なんだろうと考えてしまいました。

日本美術は、ギャラリーで公開される習慣を20世紀到来まで持たなかったので、展示すると実に見ることが難しい。
雪舟が得意とする山水長巻というジャンルは、10メートルを越える巻物です。
これを美術館での鑑賞になれていない年配の人々が見ている。
国会の牛歩戦術に似た苦闘をご想像ください。

雪舟の名画はほとんど人の肩越しにしか見ることができない。
しまいには、図版を買って眺めていた方が効率が良いと思い定める他ありません。

現実はそうではありますが、なんとなく満足したことも事実です。
なぜなのか。
雪舟という名前に惹かれたわけではない。

なんとなく誇らしい気持ちになったのです。
展覧会の解説書には、21世紀には雪舟の評価が下がるのではないかという懸念が書いてありました。
グローバルな美術史が再構築されたら、雪舟の絵など同時代でさえ時代遅れの中国絵画の一様式の亜流にすぎないのではないかというのです。

たしかに技術的にみれば、そのとおりかもしれませんが、美術において技術などあまり大した値打ちはない。
問題は、「美であるか、ないか」という一点につきる。

技術は中国絵画の応用であれ、描かれた中身は世界でこの国にしかないオリジナルである。

証明をするすべはないけれど、見ればわかります。

そうである以上、何を心配する必要があるのか。
理由不明な満足感は、このあたりを根としている。

雪舟を見たいと思うことは、ゆるぎない自分を確かめたいということではないか。
わたしは、延々とナメクジよりも遅い列に従いながら、模写にすぎない雪舟の絵画を見ている人々をみてそう確信しました。

(雪舟は、名前に比べて今に残る真作が少ない芸術家なのです。)

人間にとって、プライドは、何よりも大切なものです。

追記:
織田作之助のおかげで、世界がすこし広がったような気がします。
近松門左衛門の『曽根崎心中・冥途の飛脚』(岩波文庫)を買いました。
これについては、また明日。

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5月10日

織田作之助は、ホラー作家なのか?
ばかな科白が思わず口から飛び出そうになる。

新潮文庫の『夫婦善哉』には、「おださく」の傑作がそろっています。

この手の作家はあまり知らないのですが、マンガでいうと、水木しげるとつげ義春から妖怪と化け物をさっぴいた感じです。

水木とつげは、妖怪や化け物を描きはしますが、現実と運命そのものをダーク・ファンタジーにしてしまうところに天才がある。
織田作之助もそうです。
織田の凄みは、一片の空想もない現実そのものを描いているようでいて、虚構のちからによってこの現実世界そのものが「はかない夢」であると思い知らせる。

この逆説が面白い。

「六白金星」は気学の「星」のことですが、これをタイトルにした短編はすごい。
精神を病んでいるのかと思うくらい異様な行動をとる男が主人公ですが、これが「つげ式」。
「アドバルーン」「競馬」という短編の主人公たちの、破滅志向のようでいて、どこか生にすがりつく感覚も「つげ式」です。

わたしのような常識人には、この手の人間がいまひとつ理解できないし、共感もできない。
でも、世間話をしていると、このタイプほど面白い連中もいない。

どうして、こんなに不幸を背負い込むのだろうと感心するぐらい、次々と事件に巻き込まれる。

フロイトは、このタイプの人間を「運命神経症」と名づけましたが、なるほど上手いことをいう。
原義とはずれるだろうけれど、運命が病んでいるのか、性格が病んでいるのか、とにかく何かが壊れていて、すんなり平坦には生きられないのです。

先に書いたこととは矛盾しますが、わたしも気学でいう「六白金星」なので、なんとなく織田作之助の登場人物たちの気分がわからないわけではない。
しかし、そんなことをしたら、アブナいとどうしてもブレーキがかかる。
「おださく」の登場人物にいえるのは、「生きるとは決してブレーキをかけないこと」という信念です。たとえ、時速120キロで急カーブにさしかかっても。

こういう現実を生きられる人間は、強いのでしょうか?
愚かなのでしょうか?

織田作之助が引用した気学の本には、「六白金星」の性格にはこうあります。

「この年生まれの人は、表面は気長のように見えて、その実至って短気にて些細なことに腹立ち易く、何かと口小言多い故、交際上円満を欠くことがある」

「また因循の質にてテキパキと物事の捗らぬ所がある」

なんだか自分のことをいわれているみたいです。
かなりアブナい運勢だなあ。

でも、こうも書いてあります。
「生来忍耐力に富み、辛抱強く、一旦こうと思い込んだことはどこまでもやり通し、大器晩成するものなり」と。

そうか、晩成かあ。
ちなみに、池波正太郎さんも、この星の持ち主です。

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5月 9日

織田作之助の『夫婦善哉』を読みました。
大阪出身の作家には絶大な人気を誇る「おださく(織田作)」には、これが初見参です。

女房持ちのダメ男に惚れた芸者の苦労話と一口でいってしまうのは、ひどすぎるかもしれない。
しかし、結局はそれだけの話。

なのに、徹底的に根性ナシでダメな男と、その男を亭主にして尽くしぬく芸者崩れの女房が読ませる。
これが不思議なところです。

女房の努力を悪魔的に破壊するダメ亭主の凄さは、「おださく」一流の話術によって、人情話になっています。
しかし、これは立場を変えたら、明治の自然主義だの、平成の家族小説では到底描ききれない悪夢的状況です。

なにをやっても、この亭主がいる限り、どうにもならない。
それでいて、籍も入れてくれない亭主を男にして、亭主の父親に自分を嫁として認めさせたい。生活力があって気は強いけれど、かなりおっちょこちょいで、お人よしの女房の努力は、いっそ超人的といえる。

この亭主ときたら、女房の母が危篤になっても、入院中のわが身が可愛くて、女房を引き止める。さらに、亭主の父親に認められたい一心でがんばってきた女房がどんなにせがんでも、自分の父親の葬式には連れて行かない。

ここまで、弱くて、ずるくて身勝手な男と、それに尽くしぬく女を書けるのは、そうとうなものだと思います。

「大阪的な夫婦」と一言で片付けるのは、無神経がすぎる。
なんだか、運命の支配者のような崇高な視点さえ、織田の筆には感じる。
ラブクラフトの言い方を真似れば、「運命論的なホラー」とさえいいたくなる。

これを書いたとき、織田作之助は27歳。
普通なら、まだまだ青臭い理想主義か、ニヒリズムを気取っている時代に、淡々と現実を綴っている。

織田が崇拝した西鶴でさえ、この若さでそんな芸当はできなかった。
むしろ病的な老成を感じます。
こんなことができる人間が長生きできるはずがない。

織田作之助が三十四歳で早世したのも、無理からぬことだと思います。
滅びを運命付けられた異能の人。
月並みではありますが、そんな凄みを感じました。

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5月 6日

ビデオで「グラジエター」を観ました。
舞台は、マルクス・アウレリウス帝の時代だったんですね。

五賢帝最後のひとり、マルクス・アウレリウス帝のばか息子・コンモドゥスが敵役だったとは初めて知りました。

CGを多用した映像については、感心するのみです。
しかし、中身はどうも……。

コンモドゥス帝亡き後の、暗黒時代を知っていると、あの結末がなんだかメロドラマっぽくていけない。

ハリウッド式の歴史ドラマなんて、これが限界なんでしょうか?

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