今日も本の整理で一日が暮れた。 かなりある雑誌・本も今となってはただの紙ゴミ。 古本屋でさえ用がないと思い知りました。 仕方がないので、新古書店BookOFF に自宅まで来て査定してもらうことにしました。 ここは値がつかない本は引き取ってくれません。 持ち込めば別だけど、量が多いので無理だと諦めました。 寂しいことです、ほんと。 |
「ウルトラマン コスモス」の最終回でした。 ムサシ隊員役の俳優が逮捕されたので、主人公がいない特別総集編で物語は感動のフィナーレ。 俳優の名前を書かないのは、マスコミみたいなお茶の間迎合的正義のためではなく、この番組をあまり観ていなかったので、名前を覚えていなかっただけです。 しかし、逮捕報道が出る前の週の「コスモス」は、秀逸でした。 変態の過程で凶暴な怪獣となったり、放射性廃棄物を食べる美しい宇宙生命体になる「怪獣」が登場しました。 人間の観点で、ある生き物が「善」とされたり、「悪」として攻撃される不条理に立ち向かう隊員たちの勇気と知恵がテーマ。 テーマの深さにうーんと唸り、これから毎週観ようと思った矢先に、主演俳優の逮捕で放送中止が決定しました。 被害者とされた少年が「あれはウソだった」と陳述書を出したり、俳優の事務所がアリバイを主張するなど、事態はまだ不透明だけれど、少なくともウルトラマンの物語は完結していますね。 諸悪の根源カオスヘッダも、善意の怪獣たち(!)とコスモスの思いをぶつけられて、すっかり改心して良いひと(?)になりました。 コスモスが、最後にムサシを「真の勇者ムサシ」と褒め上げて宇宙へ帰るラストは、円谷プロの苦労がにじみでていて泣けますね。物語の本筋と関係ないところで、泣いてどうするっという気もしますが……。 この場面、主人公をだれだかわからないほど小さく映しています。 もちろん、巨人コスモスと対比しているおかげです。ただ、会話はコスモスの一方的な独り芝居なので、主人公は必要ない。 円谷プロの演出の冴え−−ですね。 それにしても、主人公をまるで映さなくても物語がうまく進行するのには驚いた。 考えてみれば、ウルトラマン・シリーズは大事な状況説明は、他の隊員たちがやっているし、メインの怪獣との格闘シーンはスーツアクター(着ぐるみを着ている人)がやっている。 ウルトラマンには主演俳優が出ていなくても、ぜんぜん問題がなかったんだと改めて感心してしまいました。 初代ウルトラマンが仏像のアルカイック・スマイルを模して創造されたのは、有名な話です。 ウルトラマン・シリーズには、日本人のDNAに反応する民族的無意識があるような気がします。 なかでも「コスモス」には、「和をもって貴しとなす」と「三千草木悉皆成仏」という日本的霊性が脈打っている。 こういう素晴らしい番組が、不運によって潰されたのが、いまの日本を表しているのかなと、暗澹として気持ちになりました。 でも、番組のラストにかかげていたメッセージはいけてる。 「いつかまたあえる。ウルトラマン コスモスにも。隊員たちにも」 これを夏に配給予定している劇場版の宣伝と思いたい人は思えばいい。 ただ、わたしは作り手の誰かさんの魂のメッセージだと確信しています。 もしかしたら−−この言葉で、主演俳優に励ましを送ったのかもしれない。 コスモスは、そんなことまで想像させる素晴らしい番組でした。 |
コンビニで売っている廉価版のマンガで、水木しげるの『コケカ・キイキイ』を読みました。 コケカ・キイキイとは、一種の妖怪ですね。 第二次世界大戦で息子を二人戦死させられた老婆が、廃鉱の穴に住んでいた。 死にかけた老婆が、せめて最後に医者にかかろうとはいずっていった先にあるあばら家。そこで老婆は力尽き死ぬ。 その場所には、薬物中毒の母から生まれた畸形の赤ん坊が捨てられて死にかけている。 そして、飼い主から捨てられた老ネコと、そのネコにたかるシラミの夫婦も、死に瀕している。 惨め極まりない死を迎えつつある四種類の生き物の意思が、融合して誕生したのが、妖怪コケカ・キイキイです。 この妖怪が、都会に出て世直しをするという話です。 水木しげるは本人が戦争で片手を失ったせいもあって、社会性のつよい作品を書いています。 妖怪が出てくるので、なんとなく間が抜けて見えるけれど、本当のファンタジストは辛らつなものです。 コケカ・キイキイに襲われたり、食べられた有名人には、もう死んでしまった人が多いですが、昭和生まれの人には笑えますね。 ただ昭和50年以降に生まれた人にはもう歴史でしょうけれど。 そういれば、あのゲゲゲの鬼太郎が「墓場の鬼太郎」として誕生したときは、死んで墓に埋められた母親の胎内から出てきましたね。 つまり、土のなかからモグラのように出てきたと記憶しています。 水木しげるのヒーローは、ネガティブの頂点が反転して誕生する。アンチヒーローの王道だったんだなと、「コケカ・キイキイ」から改めて思い知りました。 ところで、このネーミング。 ひっくり返して読むと、「いきいき・かけこ」となる。 「かけ」というのは、「いきいきとマンガを描け」と自分を叱咤激励しているのでしょうか。 ただ、「コケカ・キイキイ」外伝で妖怪コケカ・キイキイが戦う敵は、独身青年たちが自慰で放出した無数の「精子の幽霊」だの、性的欲求不満の魔女たちだの、えっちな連中ばかり。 すると「かけ」というのは、なんか別の意味じゃないかと思えてならない。 水木しげるという人は、本格的ファンタジストの例にもれず、えっちな人ですから。(笑) |
村枝慎一の「仮面ライダー Sprits」総集編2を読んでいます。 以前から、雑誌で立ち読みはしているので、事実上再読になります。 歴代ライダーのその後を描くシリーズで、今回登場するのはライダーマン、X(エックス)、アマゾン。 村枝という人は絵がうまい。 歴代ライダーの顔は村枝キャラなのですが、どこか演じた俳優さんたちの面影がある。 今回のライダーマン編では、主人公結城丈二の顔は演じた俳優・山口暁さんそっくり。 そのことに改めて気づいて、ほろりとしました。 往年の少年なら誰でも知っている「忍者部隊月光」にも出演していた山口さんは、すでに亡くなっている。 噂では晩年は俳優をやめて、大学の学食で働いていたとか。 役者としては、それほど恵まれた人生ではなかったのです。 演技者・山口暁さんの思い出は、頭が薄くなった大昔の少年たちの記憶にしかないと思っていたのですが、村枝氏の絵で山口さんは生き返った。 「Sprits」を読む10代の少年たちには、なんの関係もないことですが、そういう思いを汲み取って創作している村枝氏の姿勢が嬉しい。 第一作の本郷猛、滝和也も熱かったが、今回も過剰に熱いライダーばかり。 ただライダーマンとアマゾンがいちばん「らしかった」。 そういえば、雑誌連載ではこのあいだ「スーパー1」が終わりましたね。 あとは、幻の「ZX=ゼグロス」で、第一期は終了かな。 追記: 「仮面ライダー Sprits」総集編2に山口さんの娘さんのインタビューが載っていました。父と同じ役者の道を歩んでいるとか。 なんだか……良い話ですねぇ。 |
今日も蔵書整理で日が暮れた。 息抜きに、『虫屋の落とし文』(奥本大三郎)を読んでいます。 日本のファーブル・奥本先生の本業は、フランス文学者です。 この本は、虫の話よりもフランスがらみのほうが面白かった。 たとえば、ランボーやヴェルレーヌが愛飲した「アブサン」。 どうやら、これはアブサントというのが正しいようです。 奥本先生も、アブサントの大ファンだとか。 この酒は以前にも書いたけれど、ランボーたちが飲んだオリジナルは製造・販売が禁止されています。 いま酒屋で売っているのは、名前は「アブサント」だけれど、別のものです。 ただ奥本先生は、それでも手先がしびれるとか。 いよいよ剣呑な酒ですね。 それともうひとつ面白い話がありました。 料理研究家平野レミのお父さんは、仏文学者の平野威馬雄氏。 この人は英日ハーフで、お父さんはスコットランド人でした。 威馬雄氏のお父さんはファーブルの友だちだったそうです。 仏文学者としての威馬雄氏は、ファーブルの伝記を書いたり、博物学者南方熊楠の伝記を書いたりと、博物学にも興味があった。 あとUFOと「お化け」(威馬雄氏は妖怪ではなく、お化けと呼んだ!)にも造詣が深かった。 意外なひとのつながりにちょっと驚きました。 これだから−−本を読むのって止められない。 |
蔵書の整理で一日が暮れました。 かなりある本を処分しなければならなくなったのです。 おかげで終末も読書どころじゃない。 きびしいものです。 ところで、このごろ「老子」ばかりを読んでいます。 仕事が忙しくなったのと、管理職めいたことをすることになったので、なんとなく焦っています。 こういうとき、「老子」は頼りになります。 すでに持っていたのが、山積みの本のなかで行方不明になっていました。 中公文庫版を買ってきて愛読しています。 岩波文庫もと思ったのですが、こちらは大昔に品切れ・重版予定なし。 そんなもんですか、岩波文庫さん? 「老子」のことばは、解説などなくても、そのままわかったように気になります。 「天地に情無し」「聖人に情なし」 だからこそ、聖人は道を行うことができる。 −−ということを、老子はよく言います。 この逆説が、とってもよくわかる気がするのです。 |
京王線初台駅にあるオペラ・シティで、尺八の演奏会に行ってきました。 「近江能楽堂」というらしいのですが、聖母像がある小さな礼拝堂みたいな場所です。 そこで、「五七五」というおじさんトリオの尺八を聞きました。 「五七五」というのは、「いなご」と読むそうです。 たねをあかせば、家人の習っているお琴の先生のご亭主たちです。 三人とも名のとおった演奏家です。 ただ、わたしはつい寝てしまった。オフィスから直行したので、つかれていた−−のです。 帰りに、53階にあるバーでカクテルなどを飲んでから、洒落た居酒屋で一杯飲んできました。北海道料理のお店で、特大のニシンの塩焼きが美味かった。 どうも、無粋な話しになってしまいましたね。 |
久しぶりに本棚の整理をしています。 近々また本を処分しなければならないので、仕方ないのです。 思わぬ収穫がありました。 『鑑草』(中江藤樹)、『好色五人女』(井原西鶴)の二冊です。 どちらも、岩波文庫の絶版本。 持っていることは記憶していたのですが、どこにあるのか分らなくなっていたのです。 わが家は、本棚と床に本があふれています。 本探しは、いっしゅの宝捜しゲームと化していますね。 持ち主のわたしでさえ、どこに何があるのか、もうわからないのです。 |
優雅な古典ばかり読んできた日々は、とおい昔に思えます。 もっか、ロータス ノーツとドミノというグループウェアの参考書にかかりきり。 これがくせもので、以前ノーツという製品は独特の用語・世界で自己完結していました。 ところが、現在バージョン5(正確には、R5 といいます)になって、Web ウェアに変身してしまった。 その結果、ノーツとドミノというクローズドな世界と、オープンな TCP/IP (インターネットで主に使われるプロトコル)の世界が、ごった煮的に共存している。 もう、何がなんだかよくわからない。(笑) 技術翻訳の宿命とはいえ、くたびえる話です。ほんと。 「ロータスノーツ R5 入門」とか、「ロータス ドミノ R5 管理者ガイド」なんて本を、それこそ紙に穴が空きそうなくらい繰り返し読んでいます。 追記: ウィークデイ(月曜日から金曜日)は、CGiとperlプログラムの学習で、他の余裕は無し−−でした。 きびしいもんだなぁ。 |
近所の古本屋で、探していた本を発見しました。 岩波文庫の品切れ・再刊未定のものばかり。 おもに日本の古典で、『芭蕉書簡集』『基督抹殺論』(幸徳秋水)『盤珪禅師語録』『夢中問答』『去来抄・三冊子・旅寝論』『見聞談叢』『吉田松陰』(徳富蘇峰)など、名著がずらり。 どれも絶版だから、しかるべき店だと、一冊数千円はしますが、ここでは百円玉一枚から四枚で買えた。 需要がない――というもっともな理由ではありますが、嬉しいことには違いない。 ほしい人には「お宝」でも、趣味がない人にはゴミというのが、コレクションという世界です。 出版業界の未来を案じるよりも、ここは素直に喜ぼうと思います。 総じていえば、古書店では背表紙の立派な本で、古いものがかなりの安値で出ている。 個人が硬い本を買う時代ではなくなったからでしょう。 おかげで、わたしでも岩波書店の日本思想体系をバラでどしどし買えるようになった。 幕末に日本画・浮世絵なんかを買って故国へ持ち去った外国人の気分が少しわかるような気がします。 世の中がこの調子だと、コレクターにとっては嬉しい日が続きそうです。 公共図書館でさえも、一年もたてば誰も読まないベストセラー本を何十冊と収納するために、硬い本を倉庫へ入れたり、捨てたりしています。 コレクターというのは、こういうことを心配したりしません。 しめしめと腹の中で笑っている魔につかれた人種でもあるのです。 |
『萬斎でござる』で思わずワイドショーの解説を書いてしまったことを反省しつつ、続きを書きます。 中身が濃いので、芸能ゴシップの解説みたいな読み方をするのは間違いだ! 自分で書いておいてなんなんですが、いちおう声を大にして書いておきます。 なぜ能役者は役者で、狂言師は「師」なのか? 『萬斎でござる』を読んでから、こんな疑問を持っています。 広辞苑をのぞくと、役者は「俳優」であり、「師」は特殊な技能を持つ人、例として「医師」をあげています。 考えてみれば、芸能で「師」がつくのは他には「手品師」「漫才師」がある。 ちょっと違うけれど、「俳諧師」というのも昔はいた。 狂言師には悪いけれど、舞台に立つ芸能の世界では役者がいちばんランクが高くて、その下に雑芸として「なんとか師」という特殊技能を必要とする人々がいたのではないか。 明治・大正・昭和初期では、こんな風なピラミッド構造があったように思います。 能役者−−歌舞伎役者−−なんとか師(狂言師、手品師、漫才師) 新劇の役者は、これには入りません。映画俳優も。アングラ系は当時存在しないから、これも関係なし。 このことは、翻ってみると、「師」がつく職業には長期にわたる非常に特殊な訓練が必要だという証明でもある。 「能」や「歌舞伎」は江戸時代の素人が楽しむものであったけれど、狂言はそうではなかった。 だから、歌舞伎が高知や佐渡など日本各地の素人芝居として郷土芸能化したようなことは、狂言には起こらなかったのです。 例外として、鷺派という大正時代に途絶した狂言の一流儀は、素人(職業的狂言師ではない有志の方々)が保存していることはあります。 萬斎の芸談で紹介された「釣狐」(つりきつね)は、狂言が幼児から特殊な訓練を受けた人々でなければできないものであることをまざまざと教えてくれます。 歌舞伎役者も、能役者もそういうことをいいますが、青年時代から訓練所に入ってもなんとかなるという一面もある。 幼児から訓練していないと、一流になれないというのは、大名跡を継ぐ一部の俳優家系の傲慢といえなくもない。 それに比べると、狂言師は特殊化のていどがいちじるしい。 はっきりいって、萬斎みたいなルックスのいい人でテレビで人気者になれる人じゃないと、応用範囲がないのです。 「つぶしがきかない」 ひとことでいえば、そうなる。 その世界は、この国の宗教であるアミニズムの世界でもある。 すぐれた芸能者は必然的に霊媒体質ですが、狂言師もそう。 「釣狐」を演じるとき、狂言師はネイティブ・アメリカンの呪術師(シャーマン)のように狐の精霊と交感しなければならない。 そのために、肉体に「獣」を宿す。 儀礼にもにた所作を可能にするのは、ばつぐんの運動神経が要る。 狂言師とは、そのような要請にこたえるココロと、肉体を持つ存在だ。 ――萬斎のプライドは、そのような職能的な誇りに裏打ちされている。 こうした芸の噺(はなし)は、なんど読んでも気持ちがいい。 すっと風がとおっていうような感じがします。 |
野村萬斎の『萬斎でござる』を読みました。 狂言師の野村萬斎が、自分を語る。芸談ではありますが、現在の萬斎の立場からすると、タレント本と見られかねない。 ただし、野村万作という天才を父に持った青年の独白だから、そういう類いの本でないことは確かです。 能・狂言を実際に見たのは数回ほどなので、萬斎の言葉がどれほど分ったかは心もとないけれど、もともとこの本はそういう人を相手に書いてあるので国立能楽堂の常連でなくとも安心して読めます。 最近、和泉元彌と和泉流職分会との対立がワイドショーをにぎわしています。 和泉流といっても、目下五十人程度の狂言師がいるだけで、狂言だけで生活できているのは二十人ほど。 ほんとうに狭い世界です。 しかも、共演できるのは親・兄弟だけ。家同士の関係がよければ、伯父・従兄弟がやっと。 歌舞伎などに比べても、ものすごく閉ざされた社会です。 狂言には、和泉流のほかに大蔵流というのがあって、こちらには人間国宝・茂山千作という名人がいる。 萬斎の父で、狂言を国際社会に知らせた野村万作でさえ、大蔵流・茂山千作と共演することだけで大イベントなのです。 大蔵流をはずして、和泉流だけに限っても、三宅藤九郎家、野村又三郎家という集団がある。 狂言師は江戸時代に大名のお抱えとして家業がなりたっていたことを、今でもひきずっている。 野村又三郎家は尾張徳川家のお抱え、三宅藤九郎家は加賀前田家のお抱え。 そして和泉元彌の家は、尾張徳川家のお抱えで山脇家。 和泉流は山脇家、三宅藤九郎家、野村又三郎家という本来別個の狂言師集団が便宜上集まってできた小流派でした。 本来、大蔵流の方が盛んだったようです。 山脇家が「宗家」ということで、ずっと来たのですが、こちらは一九一六年に家系が途絶えてしまった。 またその前に三宅藤九郎家も家系が断絶してしまった。 いまと違って、一流の狂言師でさえ芸では生活できなかった時代背景があったのです。 そこで、危機に瀕した和泉流では、三宅藤九郎家に属する野村萬斎(いまの萬斎の曽祖父)の次男(野村万介:1901-1990)を養子に出して三宅藤九郎家を継がせた。 さらに、万介の子ども(保之:1837-1995)を、宗家・山脇家の養子とした。 保之が生まれたのが、一九三七年なので、二十年くらい宗家不在の時代があったわけです。 保之が和泉元秀と改名して、元彌はその子。 宗家とはいうものの、遺伝子的正当性があるわけではなく、流儀の合意で出来上がっている。 歌舞伎でいう大名跡にあたる三宅藤九郎は、元彌の姉(二人いる妹のほう)が名乗っています。 流儀の共通財産と和泉流狂言師たちが考えている大名跡を、和泉元秀という人が私物化して、自分の息子と娘に継がせた――騒動の根源はここにあるらしい。 これをさらに掘り進めると、「狂言」という伝統芸能がひどく狭い血縁集団にのみ保持されていたために生まれた弊害といえる。 明治・大正・昭和初期にいったん廃絶しかけた伝統社会が、ようやく陽の目をみたばかりに生じた悲喜劇です。 |
長い間、読みたいと思っていた本を手に入れました。 中国文学者・青木正児(あおきまさる 1887-1964)の『華国風味』と『酒の肴・抱樽酒話』がそれ。 タイトルを聞いただけで、わくわくしますね。 青木先生は、19世紀生まれだから民国時代の中国へ出かけて実際に本場の名品を食べている。 共産党が天下をとったり、紅衛兵が活躍したおかげで、古きよき文化がぶち壊される前の中国を知っているわけです。 このことだけでも、大変なロマンを感じますね。 とくに、お酒については。(笑) しかも、青木正児氏は博学な考証家でもある。 この本を読んでいて、はじめて奈良時代の人がどうやってお茶を飲んだか知りました。 あの時代はお湯を鍋に沸かして、お茶を煮る。そのお茶もわたしたちの知っている葉っぱじゃなくて、カチカチの箱板状に固めたのを臼で砕いたものなんだそうです。 青木正児氏は、その煮方まで詳しく説明してくれる。 とにかく、知識の豊富ははんぱじゃない。 こういう人を博覧強記というんですね。 わが国にウドンが伝わる前の中国におけるウドンの展開(笑)について講釈あり、紹興酒の名品を飲んだ体験談ありで、食いしん坊で酒好きな人間には、漢字の多い文面が天国の情景にみえてくるから不思議です。 ただ、漢字が多いので、一杯やりながら読むのはおすすめできませんね。 あまりの情報量に欲望中枢が昂奮して、くらくらしているところへ、アルコールなんぞ入ったらたまりません。 こういう本は、だれもいない静かな部屋で、悦楽の薄ら笑いを浮かべながら読むのがいい。とにかく、他人にこの本を読んでいる姿を見られたら、外聞が悪い。 翻っていえば、この活字の羅列を眺めながら、そのような忘我の喜悦にひたれる人じゃないと、この本の値打ちはわかりません。 西洋の美食家といえば、ブリア・サヴァランの『美味礼賛』が元祖です。 ただあちらはハンガリー産のカモとか、貧乏ったれの日本人には生涯無関係な珍味が入っているのでいまひとつ面白くない。 それに比べると、『華国風味』は王侯貴族でもない日本人が書いたので親しみがもてます。 青木正児氏は、西のブリア・サヴァランと並ぶ美食家・袁枚の名著『随園食卓』を翻訳したことで有名な方です。 こちらの方も、読んでみたいと思います。 |
昨日の続きです。 岩波文庫の『曽根崎心中・冥途の飛脚』に、「心中重井筒」(しんじゅう かさねいずつ)という作品が入っています。 これを読んでいるうちに、あれっと思いました。 「心中重井筒」には、三太というアホな丁稚が登場する。 丁稚の行動が、松竹新喜劇で藤山寛美のやっていた役そっくりなんですね。 こんな時代から、大阪の笑いはできあがっていたのか! −−新しい発見でした。 ところで、「アホ」という言葉は、愛知県を境にして東西で、ニュアンスが違う言葉だそうです。 以前にも書いたけれど、日本という国は「東国」と「西国」の二つの文化から出来ている。 ヤマト朝廷なんていう古代の話ではなく、現代でも「東国」と「西国」は分かれている。 早い話が、雑煮に入れる餅でさえ、東国ではだいたい四角。西国は丸い。 西国の文化は、いまも元気で、吉本興業を尖兵として東国進出を続けいます。 「アホ」という西国生まれのひょうきんなキャラクターは、東京の落語に登場する若旦那などと違って、少し無気味なところがあります。 知能が足りないようにみえて、状況を激変させるトリックスターにもなる。 無邪気な狡知が、見方を変えると悪魔めいた影にさえ思える。 考えてみれば、「気配り」でがんじがらめになりがちの西国文化は、「アホ」というトリックスターが存在しないとダイナミズムを失って動きがとれなくなる。 それが、カッとなってすぐ刀を振り回す東国文化と一線を画すところです。 東国文化は荒っぽくて、腕づくな反面、ダイナミズムに富んでいるから、「アホ」はいらない。喧嘩して、勝ったものが好き勝手をする――そういう文化だったのです。 あんまり喧嘩をしないですむ上に、社会や人間関係のよどみを吹き払う生活の知恵として、「アホ」というキャラクターは西国文化で必要とされ、育まれてきた。 いつのころから生まれたかは、「アホ」が愛すべきトリックスターになったのは、少なくとも戦国時代や徳川時代の始めではないように思います。 『醒酔笑』という織豊時代・江戸初期にいた京都のお坊さんが書いた笑い話集には、まだ上方喜劇的な「アホ」は登場していない。 たぶん、元禄くらいまでに確立されて、それが近松作品に登場したのではないか。 ――と、わたしは勝手に思っています。 「アホ」の偉大なところは、煮詰まった状況の突破力――でしょうか。 それが必ずしも幸福な解決には結びつかないけれど、固まったまま石になることだけはできない。 「引きこもり」という状況への固着を、許さないんですね。 だから、問題を大きくして、大勢の人をトラブルに引き込み、「臭いものにフタ」式の解決を拒否する。 たとえ、その結果が悲劇的であっても、それを打開する方向へ流れを変える。 それが「アホ」の存在価値です。 もっとも、本人にも周囲の人々にもえらくしんどい話ですが。 こういう偉大な知恵は、今後世界にも広めるべきだ! ――なんていうことを、考えてしまいました。 少なくとも、自爆テロのような不毛な自己犠牲よりも、「アホ」のぼやきのほうが世の中のためになると、わたしは思います。 |
© 工藤龍大