お気楽読書日記: 8月

作成 工藤龍大

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 8月

8月25日

幸福な出会いも、やがて悲しい別れが待っている。
人間に死がある以上、避けられません。
その実例を、また知ることになりました。

『トペトロとの五十年』(水木しげる、中公文庫)で、あの愛すべきトペトロ少年(ただし、この時はもう老年)と水木さんが永遠の別れを告げるのです。

ラバウルに出征した水木しげるさんが現地の人と仲良くなった話については、水木ファンなら知らないはずがない。
その第一の仲良しだったのが、当時少年だったトペトロ。
片腕を亡くした水木さんに食べ物を運び、畑まで作ったくれた。

戦後、苦しい生活をへて妖怪マンガ家として成功した水木さんが、ラバウルに渡ってトペトロと再開したのも−−これまたお馴染みの話です。

そのトペトロが亡くなって、現地で水木さんが原住民(トライ族)式のお葬式をあげた顛末を語ったのが、この本です。

水木さんがトペトロの葬式に資金を提供し、主催者となったことはノン・フィクション作家足立倫行氏の記事かなにかで知っていました。
この本では、戦時中のトペトロとの出会いから、戦地から帰った水木さんの苦労話(当時書いた絵も含まれています)、そして再開したトペトロ一家との写真、再開後の物語などが収められています。

再開したトライ族は、商業資本の導入ですっかり貧乏になっていました。
バナナ畑でのんびり暮らすのんきな生活はなく、部族の長老となっていたトペトロでさえ食うのがやっとの生活。
トペトロの葬儀も、遺族には金がないので、二年後に水木さんが出してやらねばどうにもならなかった。

水木マンガに登場する日本式がむしゃら資本主義のアンチテーゼとしてのトライ族は、鬼太郎たち妖怪と同じように空想のなかにのみ存在していた。
水木さんはそういう彼らを愛すべき妖怪として、描いていたのです。

そのトペトロの墓は、じつはもうない。
実際にはあるのだが、火山灰に埋まっているという。

ラバウルの火山が噴火して、現地人の村はすべて火山灰に覆われ、トペトロの遺族を含めてトライ族はオーストラリアに移住しました。

わたしたち水木ファンは、それと知らずに、トライ族の人たちとマンガを通じて知り合ったいたことになります。
わたしたちの心の中には、トペトロというトライ族の少年が南の島にある楽園の住人として存在しています。
たぶん鬼太郎や子泣きじじいや砂かけばばあみたいに、愛すべき友人として。

現実ではその墓さえ火山灰に消えたとはいえ、水木マンガがこの世にある限り、トペトロという少年はいつまでも存在する−−わたしはそう信じています。
水木さんが信じた楽園もまた。

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8月24日(そのニ)

本日の読書日記の第二弾!
取り上げるのは、『まざあ・ぐうす』(北原白秋訳)です。

どういうわけか、わたしは北原白秋という詩人が好きです。
この人の作品には、長唄や三味線が似合う江戸趣味や、古色蒼然とした異国趣味(鎖国時代の長崎を連想する阿蘭陀・伴天連みたいな)があって、なんとなくかび臭いような気がします。
正直にいうと、わたしは江戸趣味がありません。
なんとなく、気持ち悪いような気がして……。
江戸論大流行の時代には、少々バツが悪かったけれど、物好きという本性をどうにも抑えがたく違和感を抱きつつ、その手を本を読み、歴史散歩に励んだものでした。

ただ白秋はなんとなく、そういう江戸趣味・長崎阿蘭陀伴天連を超越したものがあって、芥川竜之介の伴天連ものはもはや読めないけれど、白秋の『邪宗門』はいまだ愛読書だったりします。

英語翻訳を生業とすることもあって、「マザー・グース」は原文・翻訳を含めていろいろ読みました。
前の読書日記の繰り返しになりますが、厳密にアカデミックな流儀を押し通せば、白秋の訳業は問題ありといえなくもない。

ただし、文学の翻訳においては、「忠実な醜女(いわゆる原典に忠実な直訳)」は失格。「不実な美女(いわゆる意訳)」でないとだめ。

一流の詩人がその言語感覚を生かした訳を手にする幸福というのを、実感します。

ところで、今回書こうと思ったのは、白秋の訳業について−−ではありません。
この本の挿絵です。

鈴木康司の絵がなんともいえず良い。
この本を手にとったのも、「挿絵に引かれて」のことでした。
鈴木康司のイラストには、イギリスっぽい狂気があふれている。

イギリスなんてかなり嫌な国を面白がるについては、「憧れ」というよりは「奇人」を愛でるという部分が強い。
だから、実際に住んでみたイギリスの悪口を聞かされても、イギリス愛好者はあんまりたじろがない。
世界でもっともヘンな人間たちが住む魔境であることぐらいは承知しているからです。

そんな場所に住もうなんて思うなら、大変な目に会うのはしれたこと。
イギリス愛好者は、その「地獄」を見物したいのです。

だから、シャーロック・ホームズを好み、「不思議の国のアリス」を愛し、ディッケンズの悲惨な小説を楽しむことができる。
「ジャック・ザ・リッパー」の徘徊するヴィクトリア朝が好きなんてのも、理由は同じ。

そういうダークでクレージーなイギリス、いや英国愛好者の皆さんには、鈴木康司のイラストはおすすめです。

そもそもわたしたちが惹かれるのは、ビートルズやパンクロックのイギリスではなく、悪徳と狂気が香る「英国!」なのですから。

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8月24日

先週は忙しくて、サイトの更新がほとんどできませんでした。
ひさしぶりに読書日記を更新します。

今日取り上げるのは、『宮沢賢治万華鏡』(天沢退次郎編、新潮文庫)です。

ご存知の通り、宮沢賢治は詩、童話の他にジャンルでも、筆をふるっています。
筑摩書房から出ている決定版全集にはもちろん含まれているいますが、その全貌は持ち運びに便利な文庫版では触れることができません。

ちくま文庫版の全集にも、書簡は入っていないと聞いています。
ただし、賢治の手紙はかなり面白い読みものだとは、賢治専門家が等しく認めるところ。

この『宮沢賢治万華鏡』には、親友保坂嘉内に宛てたものを含めて、賢治の手紙が収められています。
手紙の中の賢治は、いろんな人が書いている賢治のイメージとは、ちょっと違うキャラクターです。
賢治はカルト作家の元祖といわれるように、読み手に「真の理解者は自分しかいない」と狂信させるタイプなので、読者のイメージが暴走して収拾がつかなくなるところがある。

書簡を読もうとすること自体、わたしもそういう暴走派である紛れもない証拠といえるでしょう。
ただ、これだけは誰もが認めるはずですが、実際の賢治はそうとうユーモア感覚にあふれたお茶目な人だった。

頑固な正義漢だけど、ユーモアに溢れてお茶目。これは、上質の東北人の美質です。
やっぱり、賢治も東北の人だったんだなと嬉しくなりますね。

賢治はローカルを超えた普遍性のある人ですが、それも「地域」という実体があるからこそ。ためにする人々が流行の言葉できれいにまとめた「宮沢賢治」ではどうしようもない。

さて、この本には、有名な「農民芸術概論綱要」が入っています。
賢治の唯一理論的な著述を手軽に読めるだけでも便利ですが、その他のおまけがすごい。

賢治の絵や習字。それに小学校六年のときの作文もある。
賢治の絵は、すでにいろんな本で紹介されていますね。
ただ、毛筆の字は珍しい。小学校の作文は例の決定版全集にしかないはず。
これだけでも、賢治ファンには「買い」です。

個人的にいえば、「散文」という形でまとめられたエッセイともフィクションともつかない作品が好きです。
「台川」、「イギリス海岸」という二編は、花巻農学校時代の教師賢治の実体験を書いたものです。
これを読むと、「賢治は良い先生だなあ」とほろりとします。
生徒ひとりひとりに向き合い、思いやる先生−−生徒たちが生涯賢治を慕ったのも当然です。なかには、詩に曲をつけてくれと賢治に頼まれて、いちどは農業を継いだにもかかわらず、学校に入りなおして音楽学校の教師になった生徒もいる。
もちろん、そういう賢治に出会っても、なんとも感じない生徒もいたことは事実ですが、人との出会いは化学反応に似ている。賢治が素敵な先生であったことには変わりはありません。

「修学旅行復命書」は、引率役の教師賢治が学校に出した報告書です。
そのときの行き先は小樽と札幌、苫小牧でした。
小樽の高等商業学校(いまの小樽商科大学)や、札幌の北大植物園、中島公園、札幌麦酒会社(もちろんサッポロ ビール!)を生徒を引率して見学しています。
学生時代を過ごした札幌が出てくると、なんとなく嬉しくなりました。
どうやら賢治先生のご一行は、北大植物園で昼寝をしたり、狸小路(たぬきこうじ)の夜店を見物したり楽しんだようです。
いまは繁華街となった狸小路は当時は夜店が並ぶ新開地だったんだと、あらためて札幌の歴史を思い起こしました。

ほんの八頁ほどの報告書ですが、賢治との距離がぐんと近づいた気がするから不思議です。

人のことはいえません。
わたし自身、現代医学では治療不可能な「賢治病」の重症患者なのです。

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8月18日

ようやく読書日記の更新ができました。

今日からまたぼちぼちと更新してゆきます。

引越し前後の梱包開梱作業で、7月と8月前半はあまり読書できませんでした。
やっと最近、落ち着いて本が読めるようになりました。

雑談日記で書きましたが、7月は『老子』、8月に入ってからは『荘子』を愛読しています。
どちらも東洋思想というアカデミックなものじゃありません。
図書館でちんまり収まっている−−なんて、たぐいの本にしてはいけませんね。

『老子』は政治と人間関係のバイブルです。
中国式の人間学のエッセンスがつまっています。
マネージメントをする立場になったら、参考になることがいっぱい書いてあります。

おそらく政治家の人には、思い当たることがもっとあるような気がします。

『荘子』のほうは、まだ「内編」しか読んでいないので、それほどはっきりしたことはいえません。ただ、『荘子』の世界観はどこか日本人には納得できます。

「日本的霊性」という言葉にぴったりの言葉が多い感じがします。

道教というと、キョンシーみたいな中国的なおどろおどろしさがありますが、文字からせめる『老子』や『荘子』の世界はとても清潔で、風流なニッポン的な風景です。

妖怪めいた『神仙伝』の中国仙人よりは、俗っぽいけれど悟った禅僧を連想する。
たしかに、『荘子』は良寛さんの愛読書でした。
少なくとも、江戸時代までの日本の禅僧は、『荘子』を好んでいたらしい。

そのうち『論語を読む』が『荘子を読む』に変わるかな。
いや、まだまだ『論語』の懐の深さにはまっているから、当分そんなことはありませんね。

ところで、このあいだ北原白秋の『まざあ・ぐうす』を読みました。
方言を使ったり、意訳したり、かなり自由に翻訳しているけれど、白秋版マザー・グースを読んでいると、英語国民はあの詩をこんな風にイメージ化しているんじゃないかと思えてくる。それほど、巧みに日本人のイメージを使って原文を変換しているのです。

でもいってみれば、それはフグの肝の味を説明するために、アラブの人に羊の脳味噌を食べさせるようなものです。
(『美味しんぼ』で、フグの肝と羊の脳味噌の味が似ているというエピソードがあったので、こんなことを書きましたが−−ほんとなんでしょうか?)

ただし、翻訳というのは、フグ肝と羊の脳味噌という異文化のご馳走をとっかえ、ひっかえする仕事なんで、わたしは白秋のやりかたがいちばん良いと思っています。

ヤマなし、オチなし、意味なしの雑文になってきたので、本日のところはこれまでとさせていただきます。

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