『万能感とは何か』(和田迪子)を読みました。 『「自由な自分」を取りもどす心理学』という副題にひかれて読んだのですが、はずれでした。 著者は交流分析(TA)という心理療法の専門家ということで期待したのですが、信長・光秀から、ダイエーの中内元会長まで、交流分析で著者が発見した理屈で、ばっさり斬り捨てるという爽快きわまりない語り口に閉口しました。 心理学系の研究者・大学教授は、人の世の森羅万象を自分が得意とする心理療法の理論で説明する欲求にかられるものらしい。 日本の不況も、官僚の腐敗も、世相の悪さも、すべて「万能感」のせいという説明に納得できる人じゃないと、面白い本とはいえません。 世間知らずで頭がいい「お子ちゃま」のための本です。 あえて著者のいう「万能感」なるものを批判する気もおきません。理屈っぽいわたしではありますが、今回はパスです。 どうやら著者の真意は、文庫版あとがきにあるようです。 本書を読んで、TA的な切り口が日常生活の新たな視点になり、TAを学ぶきっかけになって、いずれ奥義を極めていただければ、TAが日本に根づくと私は期待しています。
(文庫 P.314)
この本は、TAブームを作るマーケティングの一環だったようです。 この本の末尾には、交流分析の自己分析ワークをおこなって、みごとに自己を解放した女性の成功例があります。 ただそこに「本書を読んで・・・自己流にやらないでもらいたい」という断りを入れているのは、良心的なようでもあり、宣伝の薬が効きすぎない配慮ともみえます。 こんなことをいうと、心理療法士をめざす人が気を悪くするかもしれませんが、フロイトやユンクの精神分析・深層心理学の歴史について、少々調べてみるとある疑念がわかざるをえないのです。 それは−−心理療法は決して精神の病や心の悩みを解決できないのではないか、というものです。 直った人や、悩みが解決する人は、じつは本人のココロが(当人が意識するとしないとにかかわらず)勝手に問題を解決してしまう。 ココロと身体の自己治癒能力が、勝手に発動するので事態が良くなるので、べつに心理療法のワークが呼び水になったわけでもないらしい。 心理療法で良くなったと思う人は、風邪の直る直前に病院にいったようなもので、直らない人はいくらワークをやっても無駄のようです。 フロイトの患者でカウンセリング直後に診察室を出て、飛び降り自殺した人がいます。 ユンクの患者でも自殺者は多いらしい。 そんなことを知っているせいで、この本には点数がからいかもしれません。 また、信長・光秀の性格分析なんて、子どもの歴史ずきにもインプットされているような陳腐きわまりないもの。大学の先生がとくとくと並べているのは寒すぎます。 この本と平行して、『フロイト先生のウソ』(ロルフ・デーゲン)という本を読んでいますが、この本には心理療法の有効性について上の意見と同じ趣旨のことがずっと詳しく書いてあります。 デーゲンの本は、心理学の常識がいかにいかがわしいかを詳細に批判しているので、心理学ファンには不愉快でしょうね。 でも、おめでたい心理学万能主義者の本を読んでいるよりは、はるかに面白く有意義だと思います。 心理学のあるものは、商業主義(金儲け)のビジネス・トークに他ならないことを、あきらめとともに、受け入れなければならない時期が来たのかもしれません。 |
『三人寄れば虫の知恵』(養老孟彦・奥本大三郎・池田清彦)を読みました。 虫屋という言葉があります。 子どものときから昆虫採集が好きで、標本作りに熱中し、プロが作った標本を購入し、分類学なら専門学者がはだしで逃げ出す造詣があるひと−−ということらしい。 職業は、非常に希な例外をのぞけば、「昆虫学者」ではない。むしろ大学、研究機関で昆虫学を専攻している学者の大部分は、「虫屋」たちに言わせると「虫屋」ではない。 虫屋には、理科系の学者もいるが、文科系の学者もいる。 学校の先生、サラリーマン、公務員もいるけれど、職業不定でなんだかよくわからない人も多いらしい。 そして、現在どんな職業に従事していても、プロの昆虫採集者として飯を食うことが究極の夢−−らしい。 わたしの知る限り、「虫屋」さんたちの本は面白い。 ただし、会話が面白いかどうかは保証の限りではありません。 アウトクラトールウスバとか、キプリスモルファなどと口走りながら、「(笑)」というわけにはいきませんから。 意味を解するには、文字というワンクッションが必要のようです。 それにしても、昆虫のネーミングは面白い。 クビアカモモブトホソカミキリとかたかなで読むと、なんのこっちゃといいたくなりますが、声に出して読むと「首・赤・腿太・細・カミキリ」と納得できる。 エラフスホソアカクワガタも、「エラフス・細・赤・クワガタ」となり、メタリフェールホソアカクワガタも「メタリフェール・細・赤・クワガタ」とわかる。 エラフスとか、メタリフェールがなんなのかは不明ですが、少なくとも外国のにおいがするから、外国産のクワガタ虫であることは確実にわかる。 わけのわからない外国語と、あまりにもわかりやすい日本語の羅列の組み合わせ。 このネーミング・センスは特撮怪獣ものと、変身ヒーローものの怪獣、怪人のそれとおんなじような気がします。 きっと特撮系・変身系が好きなひとは「虫屋」のサポーターぐらいにはなれる素質があるに違いない。(笑) 文科系虫屋の王者として登場した奥本先生(!)は、虫屋をこう定義する。 1)虫屋はアナーキーである。他人の作った秩序なんてどうでもいいと思っている。 2)虫屋は不自然な自然を見抜くちからを持つ。外来植物で構成された公園をみただけで、その不自然さを本能的に察知できる。 3)虫屋はリゾート開発地、ゴルフ場、スキー場、巨大団地、並木・花壇・芝生をみると、世をはかなむ。 4)虫屋は人類の文明の発展、反映を心のそこで呪っている。 この定義をみると、「虫屋」とは自然と交流できる子どもの魂をもった大人だとわかる。 自然の諸霊と交流できない「大人」がはびこる世の中は、「虫屋」やその亜流には生きにくい。 だから「虫屋」になれない虫屋もどきたちは、大先達である「虫屋」さんたちのお話にこころなぐさめられる。 修験道の「山入り」みたいなもので、普段は町で生活している修験者に先導してもらって、長屋の熊さん、与太郎どもがぞろぞろ山の中に入って俗世を忘れるバカンス、もとい「修行」にでかけるわけだ...... 「虫屋の魂、百まで」とは、冒頭のカラーベージのキャブションですが、虫屋もどきにはよくわかる。 いまの中高年の姿からは想像もできない可愛らしいご幼少の奥本先生、養老先生を、カラー口絵の写真でみるにつけ、「虫屋の魂」というのは、自然が人間に贈ってくれた宝物のような気がするのは、わたしだけでしょうか。 ところで、奥本・養老先生は国王暗殺事件が起きる前に、平和なブータンに昆虫採集旅行に出かけたそうです。 私事ですが、なぜかブータンという国にひかれますね。 インド人とも、ネパール人とも違う顔で、明治時代の着物と洋装がいりまじったファッション。 少なくとも、TVのドキュメンタリーで見る限り、あまり文明に毒されてもいないようだし、せちがらくもなさそう。 アナーキーで文明嫌いの本音が人間好きだからこそ、虫屋さんたちはこういう国が好きなのです。 |
東京都美術館で『ヴェルサイユ展』を見てきました。 数日前に始まった科学博物館の『マヤ文明展』の方が注目されていて、こっちはすいていると思ったのは誤算でした。 上野駅についたら、待ち時間四十分のアナウンス。実際にいってみたら、たっぷり一時間は行列でした。 おフランス人気はまだまだ捨てたものではないようです。 ところで、今回のヴェルサイユ展の美術・工芸品には目玉はない。 残念ながら、眼からウロコという体験はありません。 ただ妙なことに気がついてしまった。 この会場を歩き回っているうちに、どこかでこんなところを見たような既視観をおぼえた。 それも美術館、博物館ではない。 もっと俗っぽい別の場所。 ルイ14世愛用のベッドをみたとき、はたりと思い当たりました。 高級家具売り場! 分譲マンションのショールーム! 東京都美術館にだまし絵で擬似的に再現されたヴェルサイユ宮殿は、デパートやデベロッパーのショールームにそっくりに思えたのです。 ブルボン王家が演じる幸せで、ハイソなファミリー・ライフ。 リッチな生活の証であるハイソなインテリア家具。 不思議なことに、ブルボン王家のハイソな家具とインテリアが、現代デパートそっくりに見えた。 しかし−−その謎は解説目録をみればすぐに解けた! ルイ十四世からはじまるヴェルサイユ宮殿の王室ライフは、実はフランス王家のショールームに他ならなかったのです。 太陽王ルイ十四世の政治的デモンストレーションにはついては何もいいますまい。 もっと注目すべきは、国王が開く新年会です。 セーヴル磁器製作所(磁器)・ゴブラン製作所(ゴブラン織りの語源)を初めとする王宮内の工房群が開発した新製品が、数日間続く国王の新年会で披露される。 そして、王の覚えめでたい貴族たちは新年会の宴のあと、王室付き工房のショールームに招かれ、そこで新製品を注文できる! つまり王宮そのものが王室工房のショールームを兼ねていたのです。 ヨーロッパの覇者となったルイ十四世にとって、政治的威信の場としてのヴェルサイユは王室財政を支えるショールームになってしまった。 政治的威信を誇示する必要がなくなったので、文化の発信者であり消費文化の指導者であることに重心が移ったのです。 (これが「おフランス文化」が世界ファッションの覇者になった時代でもある)。 そのブルボン王家の戦略は、時代の流れを読めないオーストリア出身のマリー・アントワネットにまで受け継がれ、ついには国家財政破綻の主犯という無実の罪を着せられ断頭台に送られることになる。 しかし、フランスにおいてはこの流行発信の場としての宮廷は、デパートに取って代わられるまで、総裁政府、ナポレオン帝政、王政復古、第二帝政とその役目を受け継いでゆく。 デパートの高級家具売り場こそが、ヴェルサイユ宮殿の直系の子孫といえます。 そう考えてみると、1時間以上も並んでこの展覧会を見に来ていたのが、家具売り場にいそうな年配の御婦人たちだった理由が納得できたような気がします。 消費文化がある限り、宝塚があろうとなかろうと、ヴェルサイユは不滅なのだと実感した一日でした。 |
読みだめしておいた本をとりあげる、うそんこの読書日記です。 今回、とりあげるのは『インド三国志』(陳舜臣)。 わたしはインドにあまり興味がありません。 もっとも、密教だのヨガだの、印度哲学には興味はあります。 ただし政治、歴史にはほとんど興味はない。 紀元前2000年にアーリア人が侵入してから、いまだにカースト制度を止められない国なんて−− ところで作家陳舜臣さんは、周知のように司馬遼太郎さんの先輩で大阪外国語学校インド語部を卒業。インドの言語とペルシア語を学んだ秀才だったとか(司馬さんがどこかで書いていた)。 そういえば、陳さんの作品にはインドとかペルシアに関係する話がいっぱいある。 ご本人の弁によると、「インドは我が青春の一部」だそうです。 ところで、『インド三国志』はムガール帝国皇帝アウラングゼーブとマラーター同盟の指導者シヴァージを軸にして、時に英仏東インド会社、ラージュプート族が少しずつからむ展開となる。 「三国志というには、駒が足りない」と誰もが思うでしょうね。 ムガール帝国とマラーター同盟だけでは、三国にはなりませんから。 陳氏にいわせると、これを三国志になぞらえると「長安で董卓が部下の呂布に殺されたあたり」で、「劉備などはまだ居候時代で諸葛孔明が十一歳の少年」のころ。 なるほど序盤の、それもはじまりで、三国志の主役が全然出ていない。 どうやら陳さんの構想では、アウラングゼーブの死後に衰えるムガール帝国に変わって、マラーター同盟が主軸となり、英国東インド会社とフランス東インド会社が「三国」として対決する予定だったそうです。 もちろん、最後の勝者は英国東インド会社。 途中までのインド版三国志ではありますが、このあたりに無知なわたしとしては「おおっ」と眼からウロコが何度も落ちました。 アフガニスタンという国が、フーシュル・ハーン(ハッタク族)という政治家・詩人の民族主義的な「歌」で胎動し、アクマル・ハーンという軍事指導者によって、独立への道を歩みだした−−などということは、これを読むまで知らなかった。 しかし、ハイバル諸族という部族連合体に名を連ねた諸族にはユースフザーイー族とかアフリディー族とか、ハッタク族とか去年あたりちらほらと見かけた名前がある。 あそこも、17世紀からあんまり変わっていない「お国柄」のようです...... インドの歴史では、カースト制度打倒を目指して新しい宗教ができるたびに騒動が起きる。 仏教もジャイナ教もシーク教も、全部失敗して、ついには宗教そのものがカーストにされてしまう。 その点でいえば、イスラム教だけは成功例かもしれない。長い時間をかけて、部分的にではあるけれど。(つまり、パキスタンやバングラデシュという非カースト社会が誕生した)。 アウラングゼーブ皇帝は、カースト制打倒を17世紀後半にごく短期間でなしとげようとした。 ムガール帝国衰亡の原因は、このアウラングゼーブの「イスラムによる社会革命」にあるわけだが、カースト制度はいまだに存在している。 文明の「慣性」とでもいうべきものは、人為ではどうにもならないのかもしれない−−たとえ、それが人間の作ったものだとしても。 インド社会にとって、カースト制度は社会の根幹そのものなのかもしれないという気がします。 ところで「三国志」の勝者、英国東インド会社も、イスラム教徒・シーク教徒・ヒンドゥー教(マラーター同盟)の対立を利用したにすぎない。 西洋科学技術文明の勝利というものでもなさそうです。 アジア諸国が欧米に植民地化されたのは、決して西洋文明の優位というわけではなく、歴史の転換点で統一帝国が分裂し、地域ごとに新規巻きなおしを図る時期に、外部勢力につけこまれたためだと思える。 政治的な「地域分裂」は、成長のためのステップだったのに、まさにそれを逆手にとられて「仲間殺し」のあげく奴隷状態におちいった。 そのつけを清算するのが、どうやら21世紀の役割のようです。 |
『一杯の珈琲から』(エーリヒ・ケストナー)を読みました。 まだヒトラーがオーストリア併合をはたしていない時期。 高等遊民のドイツ青年がオーストリアのザルツブルクで音楽祭を見物しようとする。 当時、為替管理法のせいでドイツ国内から外国へは10マルク(!)しか持ち出せない。 そこで、ドイツ国内のバートラインヘルに泊まって、ザルツブルクに日参することにした。 平和なころのヨーロッパならではアイデアだと、大陸国家の便利さに感心してしまいます。 たった10マルクなんて、すぐに使い果たしたので、青年はオーストリアでは無一文になる。ところがこの青年、実は大金持ち。ドイツ国内では金に不自由しないけれど、オーストリアでは一杯の珈琲すら友人におごってもらうほかない。 待ち合わせた友人が、たまたま来なかったために、青年は見ず知らずの美人に珈琲代を寸借する。 その美人が実は伯爵令嬢で、父の伯爵はディレッタントの作家。自分の所有する宮殿で、使用人になりすまして、アメリカの富豪一家にバカンスの宿として宮殿を貸し、戯曲のネタにしようともくろんでいる。 お決まりのように、美人と恋仲になった青年は、美人とその兄と組んで、伯爵をからかう計画をたてる...... なんのことはないコメディですが、書かれた時代がすごい。 ケストナーがスイスに亡命していた1938年に出版されたそうです。 もっとすごいのは、発禁処分をくらったこの作品が第二次世界大戦まっさかりの1942年にドイツ国内で映画化されたこと。 解説の小松太郎氏によると、作者は匿名とされたそうです。 なんのことはないコメディーではありますが、この登場人物たちの戦中戦後を想像しながら、「大変だなあ」とため息をつきながら読みました。 ドイツの実業家のドラ息子と、オーストリアの豊かな伯爵一家。 考えただけで、ため息が出る。 戦中、戦後のドイツとオーストリアの人々も、「昔はよかった」とため息をつきながら映画・小説を味わったような気がします。 ところで、訳者の小松太郎さんはカレル・チャペックの『園芸家12ヶ月』の名訳者。 いまでは読む人が少ない北杜夫氏の「どくとるマンボウ」シリーズの文体は、小松太郎氏の訳業が土台だと北氏がどこかで書いていた記憶があります。 現代ではめったにお目にかかれない上質のユーモアが、小松太郎氏訳の特徴です。 世間に疲れたときには、その香りがなつかしい。 |
本日のお題は二つ。 『骨董屋ピンクス』(デニー・ピンクス)『中東入門書』(ミスター・パートナー海外取材班)。 『ピンクス』はイスラエルの骨董屋さんのエッセイ集。 この人はイスラエルの中島誠之助さん(開運なんでも鑑定団)みたいな人らしい。 テル・アビブの骨董街オールド・ヤフォで開業していて、イスラエルでは有名人だとか。 表紙カバーの写真からみると、歯のかけた庶民的な笑顔が可愛いお爺さんです。 帽子と小さい丸眼鏡がいかにもユダヤ人っぽい。 人のよさそうな笑顔と対照的に、本の中身は騙し騙されの骨董業界の内幕ものが多い。 相手がユダヤ人やアラブ人だから、無理もない。 骨董商にとって、仲間を騙すのも商売の楽しみなんでしょうね。 だから書物や人から必死で知識を学ぼうとする。騙すほうも知恵をしぼる。 こんなことを、他の商売でもやっているとしたら、ユダヤ商人やアラブ商人にかなわないのも当然です。なにせこちらが縄文時代だったころから、簿記を使ってゼニ勘定していたのだから。 中東の骨董屋さんは、同業者だけでなく、盗掘者や泥棒とも商売しなければならない。へたなミステリー作家では、彼らの体験談よりも面白いストーリーなんて書けません。 あまりにも面白い骨董屋同士のコン・ゲーム(頭脳戦)ではありますが、ピンクス氏のエッセイにはほろりとする人情話もいっぱいある。 ドイツ生まれでナチスの迫害を逃れてボリビアへ行き、アメリカをへてイスラエルに定住した経歴の持ち主である著者ゆえに、ユダヤ人強制収容所や亡命ユダヤ人にまつわる話が多い。 古代イスラエル王朝の遺物の正確な年代を知っているエルサレムの道路清掃人。彼には筆舌に尽くし難い壮絶な過去があった。 ごみを拾い集めることを生業をしている、頭のおかしな老夫婦。その腕には、強制収容所で刻まれた識別用の刺青がある。 焼き討ちされたゲットーから脱出して生き別れになった兄妹の奇跡的な再会。 ユダヤ人迫害の歴史は、ナチスだけではありません。 東欧系・ロシア系のユダヤ人は、歴史的には中世末期にスペインから追い払われたユダヤ人の子孫とされています。 その中には、キリスト教に改宗してスペインにとどまったものもいる。 改宗者たちのある者は、キリスト教のイエス像や十字架のなかにユダヤ教の祭具を隠した。 子孫はやがてそれを忘れ、生粋のキリスト教徒になるけれど、理由は知らずに先祖伝来の像や十字架をだいじに守り、次の世代に伝えてゆく。 そのような遺物をもたない人々も、なぜかは知らずにユダヤ教の儀式の一部を家族のしきたりとして伝えてゆく。 ピンクス氏は、友人のキリスト教徒たちの遺物や習慣から悲しいユダヤの歴史をみてとるのです。 ただし、そのことを決して口にしない優しさが、ピンクス氏の懐かしいところです。 先祖伝来の鍵をもった幼馴染がついにその鍵を使って、スペインにある先祖の遺産にたどりつくストーリは感動的でした。 「そういえば」 −−『骨董屋ピンクス』を読んでから、本棚を探して取り出したのが『中東入門書』。 イスラム好きのわたしにとって、イスラエル観光案内みたいなこの本は失望のタネでしかなかったのですが、ピンクス氏の話を読んでからみると、また別の感慨があります。 同書には、イスラエル人の恋人や夫をもつ日本女性たちのインタビューがある。彼女たちは、最初はパレスチナ人に同情していたものの、いつしかイスラエル人の肩をもつようになる。 イスラエルはトップレスとハイレグ水着の発祥地だそうです。 モノクロ写真でみるイスラエルの若い女性は、発達した美しい肢体を水着で包んで、自由でのびやかに笑っている。 くすんだ印象のイスラム女性よりもそちらにシンパシーを抱く人がいても、不思議はない。 生活とともにする一員となってしまえば、建前だけのパレスチナ同情論なんて影が薄くなってしまう。 歴史の悲劇は、健康な生活者である一般人が「国家」という自分たちが運営しているはずの統治機関によって、「殺人」を行う義務を押し付けられることにある。 ピンクス氏も、中東戦争で戦った兵士でした。 ひとは、いつこの業(カルマ)から逃れられるのでしょうか。 |
『御馳走帖』(内田百閨jを読みました。 読書好きは小説にはじまって、随筆に終わるのではないか。 どうもそのような気がします。 小説よりも、作家の実人生のほうが面白くなってくる。 フィクションよりも、ファクトの方が意外であり、発見がある。 そうなるのは、フィクションがもっともらしさを追求するという課題を課せられているからで、実人生にはそんな面倒くさい決まり事はない。 潰れた造り酒屋のお坊ちゃんで、夏目漱石の弟子でもあり、大学の先生でありながら借金魔だったり、作家の口利きで船会社の嘱託になったりする。しかも本人も人気作家−−なんて人物を創作するのは、かなり勇気がいる。 しかし、百閨i百鬼園先生)はそういう人でした。 日記みたいなものでも、面白くないわけがない。 宮城道雄と友達で、本人もお琴をひく趣味の広さと、戦前の大学でドイツ語教師を務めた知性が、瓢げたユーモアに包まれて、ふらりふらりと生活破綻すれすれのところを歩いてゆく危うさが、百鬼園先生の魅力です。 丹波の山にいる知人から鹿肉をプレゼントしてもらったら、たちまち馬肉と合わせて、馬鍋・鹿鍋を弟子どもに御馳走しようと考えるあたり、この先生が食っているのは馬・鹿どころではなく、人だとわかります。 食いしん坊で、麦酒と清酒と三鞭酒(シャンペン)を愛する先生の、大好物は人間だったらしい。 食い物の話ばかりを集めた『御馳走帖』の、本当の御馳走は人間なのです。 博多から東京へ向かう特急夜行列車にのった百關謳カは、集団就職で上京する中学卒業生と引率の先生たちに、食堂車で行き合わせて、紅茶とケーキをおごる。 百關謳カとしては、酒が入っていたのと、稲光が走る嵐の夜に、仲良く団欒している生徒と先生の姿にぐっとくるものがあったらしい。 この好意には、押し付けがましいところがない。 百關謳カは何度もためらったあげく、勇気を振り絞って、彼らのテーブルに菓子と飲み物を運ぶように、ボーイに命じた。 翌朝、生徒たちから郷里の名物らしい饅頭が返礼として届けられる。 東京で就職先や世話になる人々に配るはずのものをくれたのだと思いいたって、百關謳カはすまないことをしたと心から思う。 こういう教師に出会った人は幸せですね。 先生の還暦祝いから「摩阿陀会」という集まりを毎年開いたかつての教え子たちは、ほんとうに先生が好きだったのです。 「摩阿陀会」とかいて、「まあだかい」と読む。 これはつまり、「まあだだよ」という先生の答えを寿ぐわけで...... まだお迎えが来ない−−という洒落ですね。 まだこの国が長寿国じゃなかった時代の還暦過ぎの人には、かなりきつい洒落ですが、先生が先生だけに、薫陶よろしく生徒もなかなか食人趣味です。 百關謳カの随筆には、「人を愛する」こころが横溢している。 すばらしい随筆には、必ずこの「こころ」があふれている。 池波正太郎さんの随筆もそうです。 だから、百鬼園先生や池波さんの随筆は、何百回と読み直しても少しも飽きがこない。 何百回というのは決して誇張ではありません。 わたしは寝酒代わりに池波さんの随筆を読むのを、少なくとも十五年以上は習慣としています。 すぐれた随筆家は、人を愛する「こころ」を教えてくれるのです。 |
ふたたび昔のマンガを再入手しました。 今度は横山作品ではなく、『惑星ロボ ダンガードA』(松本零士時)。 松本巨匠が企画に参加したアニメと同時進行のマンガ化だったせいか、内容はちょっと消化不良気味。 『宇宙戦艦ヤマト』のマンガ版と同じケースです。 ハーケン特別攻撃隊はないし、突撃隊のルガー隊長も出てこない。 しかも宇宙重攻撃機サテライザーはロボット形態のダンガードAに変形しない。その雄姿はやっと最後のページに登場する。惑星ロボになるのは、ラストの見開きで一度きりというのは、どうも...... 原作者の松本巨匠が宇宙戦艦や戦闘機ににょきにょき手足がはえて、ロボットになるのが嫌だったせいでしょうね。 『宇宙海賊キャプテン・ハーロック』で、宇宙船から手足が出るなんていやだなんて科白があったように思います。 なにせ某マクロスを初め、合体変形ロボットが大流行の時代でしたからね。 「わが青春のアルカディア号」が機動ロボ アルカディアXになったら......トチローが泣くぞ、きっと。(笑) 放映されたアニメよりも、キャプテン・ダン(一文字断鉄)が活躍するのはうれしい。 ドップラーに超合金マスクをつけられたキャプテン・ダンはアニメでも、マイ・アイドルでした。 松本零士巨匠描く「男」ですからね、この人は。 アニメでは、柴田秀勝さんが演っていました。あの渋い声がぴったりだった。 当て推量だけど、「断鉄」という名前は岩窟王エドモン・ダンテスから来ているのでしょうか。 デュマの作品「鉄火面」と、牢獄の壁をスプーンで掘りぬいた根性の人ダンテスをハイブリッドさせたような人ですから−−あのキャプテン・ダンという人は。 孤高でがんばる「男」を描くのは、もはや松本巨匠しかいない。 そういう男になりつつある少年が主人公だった『男おいどん』はもちろん、『銀河鉄道999』でもそういう男たちがいっぱい登場している。 巨匠のマンガが好きなのは、時代遅れの素敵な男に会えるから。 たとえ、そんな男たちがこの国からいなくなっても、巨匠のマンガがある限り、なんとかなるような−− これは願望というより、わたしの確信です。 |
最近、むかしのマンガを復刊するのが流行りらしい。 横山光輝巨匠の『その名は101』が文庫になってから、横山作品の復刊は眼が離せない。 長いこと入手できなかった『地球ナンバーV7』も文庫で手に入った。勢いで、『マーズ』まで買い込みました。 正確にいうと、どちらも再入手です。 前に買ったのは、もう二十年以上も前になるか...... 二十年という歳月をさかのぼっても、もう大人になっている。年ですねぇ。(笑) ところで、横山巨匠のSFは、アメリカSF作家エリック・フランク・ラッセルのアイデアをいかしたものが多い。『地球ナンバーV7』には、ラッセルの超能力SF『宇宙の監視』のアイデアが生きている。飛行機から飛び降りても無事に着地できる「フライング能力」とか、電撃能力とか、火炎発火能力とか。 『V7』で登場した各種超能力は、『バビル2世』でも大活躍する。 超能力ものには、巨匠の得意な忍者ものとオーバーラップしますが、どこか昔懐かしい五十年代SFの匂いもします−−『伊賀の影丸』『鉄人28号』の時代から、巨匠は現代アメリカ文明のメタリックでハードボイルドな魅力と、歴史もののエキゾチシズムをかねそなえていた。 今月は、『その名は101』の完結編が出る。 ごぞんじのとおり、この主人公は山野浩一−−つまり、ヨミとの死闘をへたかのバビル2世です。 うろ覚えですが、『101』にはまたヨミが出てきたはず。 バビル2世のライバル、ヨミは「宇宙ビールス編」での敗北以後、登場するたびに弱体化している。 『101』でのヨミは、相当情けない最期だったように思います。 死体を灰にでもしないかぎり、ヨミはドラキュラみたいに蘇るらしい。 そういえば、『伊賀の影丸』には再生能力を持つ不死身の甲賀忍者・阿魔野邪鬼が影丸のライバルとして何度も登場していた。 非情にキャラクターを殺しまくる横山巨匠にとって、巨悪は不死身でないと具合が悪いと拝察しました。 だいいち他の敵が影丸やバビル2世に比べて弱すぎる。かといって、憎んでもあまりある悪党でもない。少年ジャンプで流行ったかつての格闘マンガみたいに、相手を病理学的に悪逆非道に描くには、巨匠はあまりにも大人だった。 粗暴犯罪者や、精神医学的な変質者は、幼稚な精神の持ち主にしかかけないものです。 だからこそ、邪鬼やヨミのような魅力ある強敵は不死身にする必要がある。 大人として許せるぎりぎりの一線だったといえます。 少年ものをかいていても、巨匠は大人だった。 だから、こちらが中年になっても横山作品は楽しんで読めるんだよなあ。 |
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