本日の読書は二冊。 『東京の遺跡散歩』(東京都教育庁生涯学習部文化課・編)と『淡水魚』(森文隆・内山りゅう・山崎浩二)。 疲れがたまって、まともな本を読めません。 淡水魚の図鑑と遺跡散歩のガイドブックで楽しむだけです。 東京都と埼玉県は、江戸時代をのぞくと史跡散歩の材料が少ない。 ところが、さかのぼって縄文・弥生・古墳時代の遺跡散歩というと、一気に訪問スポットが多くなります。 とはいうものの、もはや建造物の下敷きや、宅地造成でお亡くなりになっているので、現場がみられるわけではありません。 地方自治体のせめてもの意地が、郷土館や資料館での埋蔵物展示というかたちになっている。歴史ファンとしては、先人の苦闘のあとをしのびつつ、ガラス棚に並ぶ土器のかけらにロマンをふくらませるべきでしょう。 東京や埼玉の遺跡は、奈良や京都とちがって、素人うけは難しい。 たまに素人受けするのが出たかと思えば、ゴッドハンド氏の手品だと判明してしまう。 このあたりでは埼玉県の秩父原人だけかと思ったら、多摩ニュータウンでも遺跡登録を抹消された旧石器遺跡があるようです。 この本にはさみこまれた訂正紙に、「P.124の多摩ニュータウンNo.471-B遺跡は捏造工作されたものと判明しました」という記述がありました。 「神の手」氏の事件は傷跡なまなましく、地方自治体のかよわい文化行政に打撃をあたえつづけているようです。 すっかり気分が逃避モードにはいっているせいか、自然と野生生物の話にしか関心がいきません。 淡水魚の図鑑でも眺めて、こころをなごめようと計画して、山と渓谷社のポケットガイド『淡水魚』を購入しました。 どうも逆効果だったような気がします。 明治時代、太平洋戦争中に食料増産を目的として、日本にどれだけ外来種が導入されたかを、懇切ていねいに記述されているので、気分が暗澹としてくる。 ブラックバスについても、「強い魚食性と高い繁殖力で在来種への影響が懸念されている」という記述に続いて、「在来種の減少がすべて、本種のせいにされている部分も大きい」とあると、「あ〜あっ」という気分になります。 ブールギルの記述をみると、目下文句なしに「害魚」ナンバーワンのタイトル保持者となったこの魚をはじめてこの国に持ち込まれたのは、今上陛下(平成天皇=明仁親王さま)であらせられるようです。 1960年、アメリカから明仁親王さまが18尾を持ち帰られたのを、繁殖して静岡県一碧湖に放流、ここから全国に広がったとか。 一気に気がめいってしまいました。 それだけではなく、人気釣り魚でもない淡水の小魚たちがどんどん絶滅危惧種、準絶滅危惧種になっているのがわかってくるので、気分はどんどん重たくなる。 タナゴは準絶滅危惧種、メダカは絶滅危惧II種。 どうやら小型で、きれいな水でしか生きられない種類があぶないらしい。 埼玉県にしかいないムサシトミヨという小魚は、絶滅危惧IA種のランクがついている。これはいまや、熊谷市の荒川支流ぐらいにしかいないと、以前みたNHKのドキュメンタリーで説明していました。 サカナの世界もいろいろ大変です。 書店で『開高健がいた』という本をみて、こころ引かれたけれど、開高さんは日本の淡水魚の危機的状態を早くから警告していて、ブラックバスの放流をやめろ、キャッチ&リリースはやめろといい続けてきた。 開高さんがなくなってからも、状態はよくなっていないことを思うと、開高さんをヨイショする企画本にのる気にはなれません。 開高さんお得意のウツがなんだか移ったみたいです。 |
江戸博物館の「発掘された日本列島2003 新発見考古学速報展」にいってきました。 今年の出展品はあまりぱっとしない。 継体天皇の陵墓とされる大阪の高槻市にある今城塚古墳から出た家形埴輪や、人物埴輪がいちばん見映えがしました。 あとは玄人好みのものばかり。 個人的には、千葉県で発掘された占骨、奈良で発見された水晶製の仏舎利とミニチュア五輪塔が面白かった。 北海道の南茅部町で発見された縄文時代早期後半の遺跡からは、子どもの手形・足形つきの土板も感動的でした。 0歳から3歳の子どもの手形や足形を粘土におしつけたものです。 どうやら幼くして死んだ幼児の手や足を粘土板におしつけ、それを炉で焼き固めて親が肌身はなさず持っていたらしい。 なぜそういえるかといえば、土版がみつかったのは親の墓だったからです。 縄文時代は、幼児がなくなると甕に入れて、家の入り口に埋める風習だったとか。 遠くに埋葬するのが面倒だったわけではなく、弟妹として早く再生してほしいという願いをこめた風習とされています。 人がすくない時代だからこそ、「いのち」がかけがえのないものとして慈しまれた。 現代の残酷さは、人が多すぎて、いちばん大切なものがなにかわからなくなっているせいなんでしょうね。 |
20日から21日にかけて、『英国=湖水地方 四季物語』(辻丸純一)と『英国とアイルランドの田舎へ行こう』(池田あき子)を読みました。 無性にイギリスとアイルランドの田舎のはなしが読みたくなりました。 完全な現実逃避です。 ベアトリクス・ポッターやワーズワースの話がでてきて、湖水地帯のきれいな風景に触れる−−そういう本なので文句なしに楽しめますが、視線をかえるとこれは只事ではない。 古代においては湖水地帯を鬱蒼たる森林地帯でした。 それがみわたすかぎりの牧草地となったのは、中世の森林破壊と近代の幕開けとなる羊の放牧の普及のおかげ。いってみれば、イギリスの環境破壊のはしりともいえます。 ほっておけば、岩だらけの荒野にほんのわずかの野草がある場所にもなりかねなかった。 それを食い止めたのは、詩人ワーズワースや「ビーター・ラビット」の印税をはたいてナショナル・トラストのために土地を買いつづけたベアトリクス・ポッター、環境保護の闘士の先駆者でもなった思想家ジョン・ラスキンをはじめとする自然好きの英国人たちでした。 湖水地帯は破壊された自然を人間が再生した場所ともいえますが、ひるがえってみれば、破壊された森林そのものは再生していない。人間のちからによる自然の再生には限界があることをみせつけている土地でもあります。 ナショナル・トラスト運動の発祥の地であるこの土地は、人間の罪深さ、無力さのあらわれであります。 現代では、湖水地帯の農家は農業だけでは暮らしていけず、世界中から訪れる人々を迎える民宿も兼業してやっと息をつないでいるそうです。 現地の農家の努力と観光客のマネーが自然を守っているといえなくもない。 自然に手を加えた人類は、二度と責任から逃げることはできない。 湖水地帯の美は、「われら幼い人類にめざめてくれよ」と訴えているのかもしれません。 |
土日をかけて、『アイヌ語絵入り辞典』(知里高央、横山孝雄)を再読しました。 以前の読書日記で紹介したように、故・知里高央(ちりたかなか)氏は天才女流アイヌ詩人知里幸恵さんの実弟であり、天才アイヌ語学者知里真志保さんの実兄です。 今回改めて読み直したおかげで、記憶力減退気味のあたまにもアイヌ語がそこはかとなくたまってゆきました。 アイヌ語の発想がおもしろいので、意味を考えてゆくと単語をどしどし覚えてしまう。 受験英語の英単語でやろうとしてやれなかった記憶術が、かんたんにできるあたり、アイヌ語と日本語の親和性をつよく感じます。 クラゲはアイヌ語では「海の鼻汁」といいます。 いわれてみれば、ぴったり。 これで、「アトウィ・エトル」(=くらげ)という単語を覚えてしまいました。 イタチは「雪のキツネ」です。動物ドキュメンタリー番組で知る生態からいえば、これもぴったり。これで「ウパシチロンヌプ」(=いたち)をインプット完了しました。 意外なところでは、太陽と月がおなじ「チェプ」という言葉であること。 その代わり、「日」が「ト」というので、用法が区別しているのでしょうね。 この本を通読したあとで、実弟の故・知里真志保さんの『地名アイヌ語小辞典』と『アイヌ語入門』を再読しました。 不思議なことに、高央氏の本で基礎語彙が充実したせいか、難解に感じた『アイヌ語入門』がすらすら読める。 しかも、『地名アイヌ語小辞典』と『アイヌ語絵入り辞典』のボキャブラリーが重なっているので、簡単な単語集である『絵入り辞典』の語彙に対して、『地名アイヌ語〜』が詳細に説明するかたちになります。 北海道出身者としては、いろんな地名を連想して面白かった。 アイヌ語の面白さはそれだけではない。日本語とアイヌ語の相互交渉から、いろんな言葉が生まれたらしいことが素人にも推理できて楽しい。 たとえば、アイヌ語で「水」は「ワッカ」といいます。 正月に初めて汲む水を「若水」(わかみず)と呼ぶのは、なにか関係がありそう。 アイヌ語には日本語からの借用語も入っているので、こちらもおもしろい。 金属は「カネ」。くさりや鎧は「クサリ」、目の下のクマはまんまで「クマ」です。 ところで、ひとつ大きな謎というか、発見をしてしまいました。 アイヌ語で、男性性器(睾丸ではないほう)を「チ」といいます。 もしかして、日本語の「○ん○ん」はアイヌ語からきた? −−と思うのは、わたしだけでしょうか。 |
くたびれはてて、ソファーで寝たきり読書をしていました。 難しい本を読めないので、『古今和歌集』と『アイヌ語絵入り辞典』を耽読していました。 『アイヌ語絵入り辞典』については、翌日に回すとして、本日は『古今和歌集』を取り上げます。 古文の教科書でさんざん取り上げられた『古今和歌集』ですが、まともに読み通した人は少ないかもしれません。 恋愛の歌だらけという定説のおかげで、わたしも二の足を踏んでいたのですが、ついに読んでしまいました。 ところが意外にも歴史を探るという観点で読むと、なかなか面白いものがあります。 たとえば、「物名」という分類で集められた和歌を読むと、平安時代には薔薇(そうび)がすでに渡来したことがわかります。またこの時代、アサガオは「牽牛子」と書いて「けにごし」と呼んだとか、リンドウは「りうたん」、紫苑は「しをに」というなんて、植物好きでなければ、まったく関心がない知識が増えて、個人的にはとても嬉しい。 水木しげる巨匠を見習うわけではありませんが、「幸福学」の第一条は、他人の思惑を斟酌しない趣味への没頭です。 日本人なら誰でも知っている和歌集を、植物探偵、探鳥趣味(バードウォッチング)の道具にする! どんどん考えが後ろ向きになっています。(笑) とはいえ、『古今和歌集』には現代の国文学者でもわからない謎の鳥、植物、地名がたくさんあります。 これをたねにして、中世の貴族は「古今伝授」をやって生活の資としていたのです。 「いなおほせどり」という鳥もその一つで、「古今伝授三鳥」に数えられています。この鳥の正体を教えることで、お金をもらう。いまの家元制度の起源がここにあります。 和歌がゲームであったことも、『古今和歌集』を読むと納得します。 (もっとも、これが鎌倉時代中期くらいになると、頭痛がするほどルールが複雑化して素人にはわけがわからなくなります)。 たとえば、「物名」というジャンルは、与えられた題名を読み込んで和歌を作る。 「おみなえし」という花を句の先につけた紀貫之の歌に、こんなのがあります。 小倉山 みねたちならし なく鹿の へにけん秋を 知るひとぞなき 「お・み・な・へ・し」がみごと読み込まれているというわけです。 ただの言語ゲームなのに、れっきとした和歌になっている。こうでないと、人様から認められない厳しいジャンルです。 さらに付け加えれば、課題とされた「物」とは関係ない題材を詠むのがポイントです。 たまには、はっとする歌もあります。 人知れぬ思ひのみこそわびしけれ わが嘆きをば我のみぞ知る 紀貫之のこの歌は、「恋歌」に分類されているけれど、中間管理職の悲哀も感じますね。いや、だれにとっても、一度はつぶやきたくなる心情です。 脳裏に刻み込まれてしまいました。 命にもまさりて惜しくある物は 見はてぬ夢のさむるなりけり 壬生忠岑のこの歌は、上から抑えられ、下から突き上げられ、それでもプロジェクトに邁進する中年の「絶唱」としか思えません。 ほんとは「恋歌」らしいのですが。 ひるがえって考えてみれば、没落した大貴族家系の紀貫之や、官界の底辺に半ば埋もれた下級武官・壬生忠岑の「こころざし」とも読めないこともない。 この二人は『古今和歌集』の編者でもあり、藤原氏に疎外され、崩壊しつつある官僚世界で居場所を失った人間の、意地と反骨を和歌に託した人々です。 『古今集』の奥はまだまだ深い。 |
© 工藤龍大