隠れた名著というものはあるものです。 『英語名言集』(加島祥造)も、その一つ。岩波ジュニア新書に入っているので、中高生しか読まないだろうけれど、中身はハートフルな中年にこそぴったり。 ”Float like a butterfly, sting like a bee.” (蝶のように舞い、蜂のように刺す) モハメッド・アリ(というより、この言葉はカシアス・クレイの名のほうがふさわしい)の言葉を紹介するあたり、ただの名言集でないことは一目でわかる。 いわゆる偉人の言葉というよりは、著者の心を打った言葉、著者がヘンだと思った言葉を引用しているのが値打ちですね。 ”Give Peace a Chance”(レノン&マッカートニー) "Make love not war"(1960年代の若者のスローガン) 上記だけだと、ただの時代遅れのシックスティーズ礼賛になるけれど、カルロス・カスタネダとシャーリー・マクレーンを持ってくると、著者がどういう考えの人かみえてくる。 なかなかステキな本です。 わたしに十代の子がいたら、ぜひ読ませたい。 「Make love」とはもろに「性交する」という意味だと教えてくれる親切なおじいさんなのです、加島さんは。 ところで、個人的に感動した言葉を最後に引用します。 明治10年(1877)に、札幌農学校を去るとき、見送りに来た学生たちにクラーク博士が言った言葉は、「青年よ、大志を抱け」としてつとに有名です。 この言葉は、立身出世主義の明治青年にふさわしい言葉として誤解されていますが、加島氏によるとそうではないとのこと。 わたしはすっかり誤解していました。 そういえば、昔そんな話を聞いたことがあったのを、いまやっと思い出したくらい。 クラーク博士の銅像の前を毎日とおり、あまつさえ銅像の後ろの芝生でジンギスカン鍋を楽しんでいたわたしとしては、恥じ入るばかり。 "Boys be ambitious!" Be ambitious not for money or for selfish aggrandisement, for that evanescent thing which men call fame… Be ambitious for the attainment of all a man ought to be.
青年よ、大志をもて。 |
日本近代文学館で「知里幸恵 生誕一〇〇年記念巡回展」をみてきました。 最終日ということで、作家の津島佑子氏・アイヌ語学者中川裕氏の講演があり、いろいろ興味深い話が聞けてよかった。 もっか取り組んでいる『エクスプレス アイヌ語』の著者、中川さんご本人にアイヌ語学習について直接質問できたのはとても嬉しかった。 これをあげたら、次へどの本を読めばいいと教えてもらえたので、進むべき方向がみえてきました。 専門のアイヌ語学者になるのは無理でも、必ずユーカラは読めるようになりたいと思っています。 展示の目玉はなんといっても、知里幸恵と金田一京助の手紙。 しっかりメモをとってきました。 北海道人のわたしにはアイヌの衣類や道具は、実生活はさておき、いろんな博物館や観光施設で見慣れているので、今回の展示品にはそれほど関心しない。 アイヌの造形は染色、彫刻の分野で職人の仕事として現在も生きている。 状況は厳しいかもしれませんが、アイヌ文化は衰退・死滅する方向ではなく、熱意ある人の手で新しい命を育んでいると、わたしは思います。 中川裕さんは、なぜ和人がアイヌ語を知る必要があるのかと問いかけ、それは「アイヌ語が日本にある文化だからだ」と自問自答するのにはまったく同感です。 アイヌ文化を同化するのではなく、異質なまま尊重する。 これが21世紀の流れでしょうね。 会場で販売されていた『大自然に抱擁されて...〜知里幸恵『アイヌ神謡集』の世界へ〜』(財団法人北海道文学館編)『知里幸恵「アイヌ神謡集』への道』((財団法人北海道文学館編)を購入。こちらは帰りの電車で読破しました。 一気に情報があふれて、まだ整理がつきません。 まさに「シェガ・ジ・サウダージ」(思いあふれて)な一日となりました。 |
『人生は五十一から』(小林信彦)について。 (また今週も忙しくて、やっと週末に更新です。) 小林信彦氏は、初老性うつ病だったらしい。 このあいだ本を詰めた段ボールから『唐獅子源氏物語』を発掘、再読して面白かったので図書館でこの本を借りました。 故・景山民夫の不幸そうな青年ぶりと、早すぎる晩年を書く筆は鬱々としている。 そういえば、近年のこの人の書くエッセイには往年のきれがない。 自宅の隣にマンションが建ったおかげで、業者と法廷にて争うことがうつ病から脱け出すきっかけになったのはめでたいのですが−−。 それにしても、自分が死んだらコレクションの蔵書やビデオを譲れるような友人がみんなあちらへ行ってしまったとぼやくあたり、韜晦とみるべきかうつ病のいわせた言葉とみるべきか。 この本が出たときにはまだ六十になったばかりだから、そんなにふけこまないでもいいのでは−−と余計な心配をしてしまいました。 宮城谷昌光さんの小説では、八十代、九十代で人生が開ける人が大活躍する。それは『春秋』に書かれた事実に基づいているので、ただの空想や願望ではありません。 このタイトルに期待すると、あてがはずれます。 五十一歳からしみじみ、しぶとく生きてゆく姿を描く−−いまそうした本が読みたいですね。 キューバの歌手ボンバイ・セグンドは、90歳で人生の花はいつになっても開くと歌っていた。 60歳で老け込むなんて−−恥ずかしい! |
昨日は、友人Kさん一家に来てもらって楽しく一日を過しました。 kさんは、車を買ったとのこと。遅まきながら、我が家でも車を買うことを検討中です。 マンションの駐車場が空いているかどうかがちょっと心配。 車はコンパクト・カーというのになりそう。いま人気の日産を狙っています。 ところで、読書日記を書こうとしたが、時間がとれなかった。 先週、読んだ本をざっと紹介します。 『散歩が楽しくなる樹の薀蓄』(船越亮二)。 NHK「趣味の園芸」講師による樹木の雑学事典−−といっても、聖書と植物、万葉集の植物といった文学作品がらみのうんちくではなく、街路樹・公園樹の見分け方から、雑木林の木の紹介、鉢植え、庭植えでたのしむ果樹の育て方、庭木、学校・寺社でよく植えられる木の紹介と、「植物探偵派散歩好き」には有益この上なしの知識がいっぱいでした。 こういう本には目がないです。 『戦国街道を歩く』(泉秀樹)。 著者の写真と文でつづった戦国群雄の足跡。 文章だけでは読めないけれど、写真で値打ちがついたという感じです。 ガイドブック代わりに、眺めて時間が潰せました。 『この国のかたち 一』(司馬遼太郎)。 司馬さんの本の語りの優しさは、どうしたことでしょう。 こころが疲れていると、むしょうに読みたくなる。 この国は、ひどく殺伐としていて、司馬さんの言葉が無性になつかしい。 統帥権などというでたらめを言い出したうえに、現実無視を至上義務とする奇怪な集団、大本営参謀本部に対する司馬さんの怒りは、この本でもなまなましい。 しかし、彼らと同じ精神構造の持ち主はいまも永田町と霞ヶ関にはおびただしく生息する。 参謀本部は、日本の歴史上ただの畸形的存在とした司馬さんの考えは間違いなのではないか。あの種の人間は、「いじめ」と同じで、日本人の遺伝子病なのではないかとさえ思えます。 司馬さんの言葉が甘やかで心地よいとはいえ、その気分にひたっていい時期ではないなというのが実感です。 −−以上、とりとめのないところで、本日の読書日記は終わり。 目下、小林信彦の『人生は五十一から』を読んでいます。 それについては、また後日。 |
本日のお題は二つ。 『7泊9日イギリス一人旅』(牧義人)。 イギリスが面白そうというわけで、旅行にでられない無聊をなんとかしようと旅行記を読み漁っています。 ただし、残念ながらこれははずれ。 バス・ツアー旅行で、七泊九日のイギリスを体験した著者のエッセーですが、旅行記の面白さが感じられない。 海外情報が氾濫する今日、「イギリスに行ってきました」だけでは、毒にも薬にもならないと改めて思い知らされました。 『日本仏教宗派のすべて』(大法輪編集部編)。 こちらは文句なしに面白かった。 各宗派のご本尊だけでなく、守護神の尊像の解説まであるのが嬉しい。 真言宗や天台宗までの宗教は、高校の日本史・美術史の範囲でまかなえるけれど、禅宗や浄土真宗、時宗ときたら、知ってるつもりだけのことが多い。 実際に古いお寺にいくと、なぜこんな像があるのか首をひねることがある。お坊さんもよほどしっかりした人でないと質問してもはぐらかされるだけ。 そういう謎の一端がわかるだけでも、この本を有り難い。 しかも−−各宗派の坊さんたちの服装まで紹介してあるとはなんと楽しい! 報道写真や紀行写真をみると、坊さんたちが宗派ごとにさりげなく変った服装をしていることに気づく人は多いはず。 しかし、宗派の服装の細かいところまでわかるのは、やはり本業でないと無理。 その点、お坊さんの業界誌「大法輪」は、まさにプロのためのものだから、知識が本物です!(当たり前、だけど。) 宗派ごとの数珠の違いがわかったり、焼香の仕方の違いがわかるのも、人さまのお葬式にいく機会の多い(!)中年にとっては、大事なこと−−といえます。 禅宗や日蓮宗の葬式にいくと、勝手が違ってとまどうことがあります。 浄土真宗もよくわからない。 余談ですが、キリスト教は事情がわからない人が大多数なのでかえって楽です。 坊さんの服装なんて、プロ宗教人ではない人間に実用性があるとはおもえませんが、だから面白い。 個人的にこういう知識が大好きなのです。 試みに、主な宗派のお寺の数と信者数を引用します。
日蓮宗不受不施派は、『妖星伝』(半村良)でおなじみ。まだこれだけの信者がいたのか−−と信者の方には申し訳ないけれど、驚きでした。 日蓮宗系統は、寺の数が少ないのみ信者が多いお得な構成です。 さらにもっと大別したデータを。
寺の数が多いわりに、信者が少ないのが禅系。奈良仏教もお寺ごとの信者数を単純に割り出すと率がいい。堅実な経営とお見受けしました。 |
『大江戸アウトドア』(なぎら健壱)を読みました。 千社札、富士塚、富士見坂という江戸文化の名残を紹介し、東京都内の名水を訪ね、神田川をカヌーでくだり、自転車で隅田川をまわり、はとバスで東京めぐりして、池上本門寺で「鬼平」を気取り、正月に深川七福神を参拝する。 「下町評論家」でタレント、なぎら健壱らしい今に残る江戸のガイド本。 この本をみてゆくと、東京は江戸じゃないということがよくわかる。 富士山を見物するために江戸のいろいろな町内につくられた富士見坂も、いまやビルに遮られて富士山どころではない。 千社札はシールとなったために、都内の神社仏閣では建物を傷めることが嫌われて禁止されているところがほとんどだとか。 愛宕山、道灌山、飛鳥山という江戸時代の雪月花の名所も、風景を愛でる場所ではなくなっています。 わたしの経験からいっても、都心や昔の下町いまのウォーターフロントで歴史散歩しても気分が暗澹としてくるだけで、あまり気分のいいものじゃない。 街そのものを「文化」とする視点が、行政にも住民にも感じられない場所が多いからです。古くからの住民が地上げで追われたところは特にそう。 むしろ江戸を探すなら、埼玉県を探した方が良いという気さえします。 なぎら氏の奮闘も、江戸が遠く忘却の彼方へむかいつつあることの晩鐘にみえてくる。 江戸は住民の記憶にしかなくなり、記憶を所有する住民がいなくなることで消滅する。 江戸が「トキ」になるのは、時間の問題という気がします。 「東京」は、江戸との血縁を断ち切ったTokyoという無国籍都市に生まれ変わった−− このことを受け止めつつ、江戸という「文化」を再発見する旅を始めることになるんでしょうね。 |
ひさしぶりに本の整理をしました。 その前に、いつものように、「仮面ライダー555(ファイズ)」をみてから、読書をしようと古代ギリシア語の文法書を開いてみたけれど、あっという間に目が疲れてしまった。 小さい活字がつらい年齢に突入しました。 文法書はあきらめて、ロエブ叢書の ”Anabasis”を眺めていました。 それにしても、日本語ならすぐ読めるものをなぜ希英対訳でたどたどしく読んでいるのか−− ギリシア語は、もはや趣味の域をこえて、「妄執」と化しています。 この分では死後には幽霊になって、ギリシア語の原書を読んでいそうです。 ホグワーツみたいに、幽霊の住み心地がよさそうな学校を生前に探しておいた方が良いかなと、埒もない妄想にひたりました。 引っ越してから、一年以上が過ぎているのに、蔵書の半分は段ボールで梱包されたまま。 使いにくくて困るけれど、仕方ない。 楽しみにとっておいた本がみつからないのが困るし、久しぶりに眺めたいと思った本も気軽にとりだせない。 スペースに苦しむ都市住民の悲哀です。 紙ベースの読書がしたかったら、田舎に住むほか手がないのでしょうか。 |
『大乗仏教の思想』(副島正光 )を読みました。 大乗仏教とはいうものの、著者がいう「第一の大乗仏教」に該当する「般若経」系統の理論の解説がほとんどで、中観派や唯識派はおざなり。法華経、華厳経、浄土経にはほとんど触れていなません。 華厳経はインドの複数のお経(十地経など)を中国でひとつにして体系化したという立場なので、対象としなかった由。 法華経や浄土経は、霊魂みたいな死後の存在を認めるので著者は「第二の大乗仏教」として、ゴータマ・ブッダの教えとは一線を画して考えている。 部派仏教から原点回帰した般若経(金剛般若経や般若心経を含む経典グループ)が、著者のような「原理主義者」にはなじみやすいもののようです。 わたしなどには、著者の「第二の大乗仏教」のほうが親しみがふかいので、少し期待はずれでした。 目下、唯識思想(日本では法相宗にあたる)を調べているので、別の本を探してみようと思います。 唯識思想は、ユングやトランスパーソナル心理学よりも精緻な体系で人間の精神世界と物質世界の相互貫入を追求しているところがすごい。 ところが、それでさえ、天台思想や華厳思想、密教の思想では浅いものとされる。 仏教は奥が深い。 |
このごろまとまった読書ができないので、寝る前に『万葉集』や『古今集』『新古今集』をひもといています。 とみに記憶が衰えた脳細胞のおかげで、いつも新鮮に読めるのがありがたい。 コルサコフ症候群(健忘症が特徴)になって、自作を一読者として楽しみたいとSF作家筒井康隆氏が書いていますが、筒井氏ほどIQが高くないとただの中年ぼけでいつも新鮮な読書ができます。 ところで、万葉の時代はまだ都が一定せずに、何かあれば移動していました。 だから、こんな歌がある。 「馴著(なつ)きにし 奈良の都の荒れゆけば、 出で立つごとに嘆きし益(ま)さる」 これは「寧良(=奈良)の故郷を悲しみて作れる歌」と題された歌のひとつ。 そして作られた新都が「久邇(くに)京」。 この都をことほぐのが、 「今つくる久邇の王都(みやこ)は 山河のさやけき見ればうべ知らすらし」 ところが、久邇京もすぐに遷都されます。 「三香(みか)の原 久邇の京(みやこ)は荒れにけり 大宮人の遷ろひぬれば」 今度は難波京になって、この歌の直後に「難波宮にして作れる歌」を収録してある。 「〜(省略) 視る人の語りにすれば 聞く人の見まくり欲(ほ)りする 御食向(みけむ)かふ 味原(あじふ)の宮は見れど飽かぬかも」 仕事とはいえ、宮廷歌人もせわしないなと思わず笑いが浮かんでしまいました。 この時代は聖武天皇の時代で、741年に奈良京(=平城京)から久邇京(恭仁京と書くのが普通)に遷都。744年には難波京に、そして745年には平城京に戻ります。 血塗られた政争の挙句に、即位した聖武天皇の治世は貴族の粛清(長屋王)、反乱(藤原広嗣)が相次ぎ、不安的きわまりない政情にくわえて、飢饉が頻発したひどい時代でした。 中国伝来の「天子」という観念からすると、すべては皇帝の不徳となるのですが、まさか一介の宮廷歌人がそんなことをいえるはずもない。 ひたすら天皇をよいしょする姿勢がなんとなく哀れですが、わずか四年間に四回も遷都の工事をやらされた人民の苦労を思えば同情どころではない。 大仏さんを作ったこの天皇は「帝徳」という言葉をしらなかったようです。 |
必要があって、Java を勉強中です。 『最新 Java がわかる』(藤田一郎)を再読して、おさらいしたのち、『Java クラスがわかれば見えてくる』(日向俊二)を読んでいます。 おかげで、プログラミングの書式はおぼえました。 関数を使ったり、マクロを使うC言語よりは分かりやすい言語です。 アセンブラ言語やC言語をぱらぱらと勉強してきましたが、Java はずっととっつきやすい感じです。 おそらくプログラミング言語も、ある意味自然言語に似た方法へ進化しているのかもしれません。 これからくるユビキタス・コンピューティング(日本語では、「どこでもコンピュータ」という)社会では、TRON や Java がマイクロコンピュータに組み込まれて、どこにでも入ることになるでしょうね。 PC の時代はもう終わるんだろうなあ。 |
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