本日のお題は「人情話 松太郎」(高峰秀子)。 女優高峰秀子は名エッセイストでもあります。 本書は高峰夫妻と交流のあった作家・川口松太郎の思い出を筆にしたもの。 八十五歳の川口と、六十歳をこえた高峰夫妻は一緒に裸で温泉に入ったこともあるほど仲が良かった。 一時は本宅のほかに三軒の愛人宅をもっていた川口ですが、高峰には女性的魅力をこえた愛情をいだいていたらしい。 高峰秀子は、きっぷの良さから梅原龍三郎にも気に入れられていました。 この人は一流の男の親友になれる稀有な女性なのです。 一流の男がめったにいないのは当たり前ですが、彼らの「友」になれる女性はもっと少ない。 昭和も遠くなり、川口も亡くなり、高峰がかわいがっていたその子どもたちも亡くなっている。 松太郎の長男・俳優川口浩の「探検隊」を知らない大人も増えた。 ましてや松太郎の妻・女優三益愛子を知らない人が多いのもむべなるかな。 ところが意外な人物がエッセイに登場する。 骨董好きが昂じて、高峰秀子は骨董屋を開いたことがありました。 そのときの年下の骨董屋仲間に、青山で「からくさ」という店をやっている「誠ちゃん」なる青年がいる。 昭和六十年頃の話で、当時「誠ちゃん」はまだ四十前。 もちろんこの青年が誰かは「なんでも鑑定団」をみている人はわかりますよね。(笑) そう、「仕事が逃げていない!」の誠之助さんです。 こう書くと、懐古趣味だけの本にも思えるけれど、それは違う。 「江戸っ子」の意気と張りがひしひしと感じられる。 さわやかな風が吹いていますね、この本には。 気持ちの良い風を感じるのは近頃めずらしい。 すがすがしい風に吹かれて、気品ある美女の言葉に聞きほれてしまいました。 |
読書日記と銘打って、植物と鳥の話ばかりというのもどうかと思われるのでざっと今週読んだ本を振り返ります。 まずは雑誌ですが、「日経ソフトウェア二月号」。 今回の特集は「なぜウイルスはうつるのか」。 HTMLメールを知人に送るのがどれほど恐ろしい事か、あるいは他人に迷惑をかけかねない行為なのか。HTMLメールが重大なセキュリティ上の脅威であると知らないことが、犯罪的な無知だということがよくわかります。 わたしは某セキュリティ・ソフトウェア会社にいたおかげで、MS-DOS ウイルスやマクロ(VBA)ウイルスの作り方を知っています。 しかしOSのセキュリティ・ホールを利用した現在の流行ウイルスの悪知恵には感心しました。 そして、ウイルス対策ソフトウェアの対策が10年前からさほど進歩していない事実にも暗澹しました。 もし知り合いで何も知らずにHTMLメールを出している人がいたら、ぜひやめるように説得しましょう。 いまやHTMLメールをプレビューしたり、Webページを見るだけでウイルス感染は可能なのです。 しらないのは罪です。 『ビジネス戦略の技術』(野口吉昭) 『MBA 速習ハンドブック』(内田学) やたら数字を振り回す頭でっかちな自称「びじねすまん」にうんざりして、ついこんな本を読んでしまいました。 MBAのビジネス過程は、いまどきのゲームのルールとして、アメリカ世界帝国が地球に蔓延させようとしている疫病だということがよくわかりました。 それぞれ昨年と今年の出版なのに、書かれていることは経済史学(死学?)の領域になっているように思えます。 すくなくとも、昨今のビジネス雑誌(日本語ではない!)や最新ビジネス書を読んでいる限り、ここに書かれていることは通用しないようなイメージがあります。 わたしがゲームの参加者でないために分かっていないだけかもしれなけれど。 こんな本を読んでいるようだと、すでにゲームの達人になっている人たちにいいようにもてあそばれるだけのような気がします。 『死体は語る』(上野正彦)。 法律と犯罪の話ほど下世話に面白いものはない−−ということがよくわかる本。 解剖が死者の権利だけでなく、遺族の権利を守り、その生活を守るものだと教えられました。 それにしても−−人間って哀しいものですね。(涙) 『支那通史』(那何通世)。 オーストラリア在住の「美味しんぽ」の原作者によると、支那という言葉は使ってはいけない言葉です。 「美味しんぽ」原作者によると、支那そばという名称もいけないもので、支那そば店店主は大日本帝国の非道と現代日本人の罪業を全アジア同胞に謝罪し、すみやかに「支那そば」なる汚らわしい名称を捨て、「ラーメン」としなければなりません。 全アジア人にかわって過去と現在の日本人の悪行を糾弾するコスモポリタンでもある「美味しんぽ」原作者の卓説にはなじまないかもしれませんが、差別用語「支那」を冠した明治代のこの本は名著です。 (明治期にはあの国を呼ぶ名称としては、「支那」しかなかったことはご理解いただけるものと思います。清国の滅亡は時間の問題で、有史以前からのあの国を呼ぶ名称が他になかったのです。「中国」はどうかといえば、漢文や中華文明の教養が現代の知識人とは比較にならないほど豊かだった明治期の人間にとって、「中国」とは世界を意味する言葉に他ならず、西洋文明に漬かって東洋的常識を失った後の世代とは語感が違っていたということがあります。) ところで、『支那通史』は漢文で書かれていましたが、わたしが読んでいるのは岩波文庫の読み下し文です。本書が漢文だという事実は著者・那何通世(なかみちよ)にとって「支那」文明が敬意の対象であることを証明しています。 どこの世界に軽蔑する劣等民族の言葉で、畢生の業績を書き残す学者がいるでしょう。 本書とはまるで関係ない話ではありますが、最近の「美味しんぼ」は読んでいていたたまれない。 話が別の方向に向かってしまったので、詳しいことは今度書くことにします。 |
本日より「仮面ライダー剣(ブレード)」が放映開始。 デザイン的には、いまいちのライダーです。ヘラクレスカブトムシをモチーフにしたらしいけれど、先輩ライダーのギャレンと並んでワーストデザイン賞を進呈したい。 ただし話の展開が謎また謎という具合で期待できそう。 定番の欠損家庭(今回は母子家庭)も復活し、平成ライダーの王道はいってくれそうな期待をしています。 しかしカブトムシをもってくるあたり、このへんで東映も打ち止めする気なのでしょうか。 初期七人ライダー・シリーズは、カブトムシ・ライダーのストロンガーで打ち止めだったのはファンの常識だから、今回も律儀にお約束を考えているのかなと思えてなりません。 |
自宅の前を流れる黒目川に沿って自転車で1時間半も走ると、荒川に着きます。 このコースの楽しみは緑多い景観にくわえて、水鳥の豊富なところ。 セグロセキレイ、カルガモ、ダイサギ、コサギという常連(つまり留鳥)に加えて、冬になるとオナガカモ、マガモも登場する。 ヒドリガモ、コガモ、シマアジも見かけます。 コガモというのは、カモの子どもではなく、面妖なマスキングをした顔の小型カモ。一度みたら忘れられません。 シマアジというのは、食用魚みたいですが、カモの名前です。 濃い茶色の顔に白いマスカラを塗りたくった感じで、これも一度みたら忘れられない。 えさ不足のせいか、ふだんは姿をみせないカワウが現れたりもします。 オオサギ、コサギや、セキレイ、カルガモ、ヒドリガモ、シマアジが餌をとっているのが間近に見えるスポットがあるので、鳥見人(トリミニスト)にはとっても嬉しい。 昼間の時間は荒川水系からユリカモメが飛来してきて、上記の水鳥たちといっしょに人間から餌をもらっている。 川の先には海があるのだという自明の事実をこれほど鮮やかに認識させてくれる風景はありません。 話は変わりますが、新宿御苑も水鳥ウォッチングには絶好のポイントです。 海ガモのくせに、池が好きなホシハジロがいたり、オシドリの群れがいたりします。 緑の少ない冬の水辺は、わたしのようなとろい鳥見人(トリミニスト)には天国です。 |
新宿御苑には、「グリーンアドベンチャー」という樹木の名前をあてるクイズがあります。 入り口で記入用紙を受け取り、園内の番号のついた植物の名前をあてるというもの。 回答は掲示板に書いてあるので、あとで答えあわせをして楽しみます。 成人病になったおかげで、新宿御苑をほぼ毎日散策するうちに、「グリーンアドベンチャー」の数字と植物名がほぼ100%わかるようになりました。 おもわぬ副産物として、街路樹や公園樹をみただけで名前がわかるようになりました。 モッコク、モチノキ、サンゴジュというのが今まで不明だった特徴のない常緑樹系の街路樹の代表格です。 これらの木々の特徴を覚えられたのは「グリーンアドベンチャー」のおかげです。 街路樹というのは種類が多いように見えて、手入れの手間がかからず、植えた場所の小気象に耐え、枯死せずに成長できるものは限られている。 東京のこのあたりと埼玉県に関する限り、街路樹の種類判別にはかなり自信がついたような気がします。 もう少し植物ネタを集めたら、久しぶりに「植物探偵」(注)を復活させようかな。 注: 「植物探偵の冒険」は、2000年以来消息不明の Dragonia のエッセーです。 愛すべき植物探偵の復活を願っているのは、わたしだけかもしれませんが......(苦笑) |
「仮面ライダー555(ファイズ)」が終了。 「555」はグノーシス思想を展開した人類進化論の「アギト」の世界観を、力におぼれる人間の弱さを描いた「龍騎」の世界観でネガティブに反転させていました。 今回は悲しすぎるストーリーなので、出来はよかったけれどビデオに撮る気になれなかった。 一抹の寂しさが残るラストではあるけれど、個人的には「クウガ」のような人間賛歌になっているところが嬉しい。 青空をみあげて「夢」を語る乾巧と啓太郎、真理の姿は、南米の空の下を闊歩する五代雄介とオーバーラップしたり...... 仮面ライダーとは、宇宙人や神話的な光の超人と違って、はぐれもものボランティア。 「仮面ライダーSpirits」で作者村枝慎一が喝破したように、仮面ライダーは世界を救ったところで、社会的な地位はオートバイ屋のおやじや整備工でしかない庶民です。 無償で人助けをする彼らの世界は、高倉健演じるはぐれヤクザの任侠道の世界でもある。 それだからこそ、わたしは昭和の7人ライダー(スカイとスーパー1は見ていないので)や、平成ライダーが好きなのです。 来週からはじまる「仮面ライダー剣(ブレイド)」で、連続シリーズとしては初代から「ストロンガー」までの本数と並ぶ。 これで終わりか、さらに進化するのか。 また一年つきあうことにします。 追記: このあいだ、村枝慎一の「仮面ライダーSpirits」を読んでいて、立花藤兵衛と城茂(もちろんストロンガー)がバイクの修理工場をやっているシーンがありました。 ふと思い出したので、「アギト」で葦原涼(ギルス)がバイトしているオートバイヤ屋さん。 その経営者を演じているのが中屋敷鉄也(現在は中屋敷哲也)さん。 この人は、新1号、V3、X、アマゾン、ストロンガー、スカイライダー、スーパー1を演じたスーツアクター。 つまり本物(!)のライダーなのです。 村枝氏はこのシーンを見たのじゃないかと、わたしは勝手に想像しています。 |
更新しないまま、読んだ本だけが増えてゆく。 仕方がないので、メモ代わりに読んだ本を列記します。 『この国のかたち』(司馬遼太郎)全六巻。 司馬ファンからみると、「試験直前・司馬遼太郎・特別攻略、これであなたも司馬遼太郎突破間違いなし!」という具合にどこかで読んだような話がいっぱい。 「司馬さんはそれは違うんじゃないの」と突っ込みたくなるものもある。 時代は動いているのです。 それもやむをえませんね。 とはいえ、司馬エッセーが大いなる謎を提出し続けるのは間違いない。 だからこそ、これからも読み続けることができる。 古典とはそういうものです。 『知られざる傑作』(バルザック)。 バルザックは天国と地獄を描ける希少種の作家です。 映画「美しき諍い女」の原作となった有名作品「知られざる傑作」よりも、わたしは「ざくろ屋敷」に心打たれました。 大人であるとはどういうことか。けなげな少年の決意に胸が熱くなります。 「恐怖時代の一挿話」、「ことづけ」の二作品も素晴らしい。 フランス人にもこんな作品を書けた時代があったのですね。 『仮面ライダーSpirits』(村枝慎一)一巻から五巻。 なぜわたしはウルトラマンにそれほどのめりこまず、仮面ライダーが大好きなのか。 その理由をはっきりわからせてくれた本。 村枝版ライダーをみて泣けないのは男じゃない。 『大学・中庸』。 道徳や修身の本と片付けるには惜しい古典です。 人が生きるとはどういうことか。 その問いを投げかけるこの本を、これから何度も読み返すことになるでしょう。 『われ弱ければ 矢島楫子伝』(三浦綾子) 三浦さんにはなんだけれど、マッコウクジラに刺身包丁でいどんだような、材料をもてあました感じはいなめない。 徳富蘇峰、蘆花兄弟の叔母であり、著名なクリスチャン・教育家であるというだけでは、わりきれない「大物」ぶりが「矢島楫子」(やじまかじこ)という人にはあるように思えます。 この人には隆慶一郎描く「いくさ人」や「傾き者」の豪快さがある。その不適な魂をうち砕いて聖なるものへ向かわせた内面の戦いを、キリスト教信仰で便利にくくるのはおしい。 その魂のドラマこそを知りたかった。 『猫楠 南方熊楠の生涯』(水木しげる) 『およどん盛衰記 南方家の女たち』(神坂次郎) 水木しげる描く南方熊楠は和歌山在住の神坂の著作によるところが大きい。 とはいえ、こんな可愛い熊楠を他のだれが書けるだろうか。 南方ファン、水木ファン必読の書です。 『富嶽百景・走れメロス』(太宰治) 太宰が聖なるものを求めた作家だという司馬遼太郎さんの言葉の意味がやっとわかりました。 『攘夷の韓国 開国の日本』(呉善花) 眼からウロコの古代日韓史。 ニッポンが嫌いな知識人は必読です。 金達寿氏や司馬遼太郎さんの本で朝鮮文化受容以前の日本人がばかにように思えてきたら、要注意。この本を読んで毒抜きしましょう。 『スターウォーズ解体新書』(マサチューセッツ”スターウォーズ”ラボラトリー) 第三部が待ち遠しくて、つい。 それにしても、新シリーズ公開以前に執筆されたにもかかわらず、「クローンの逆襲」までの予測がある程度的中していることに驚きました。 |
新年明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。 今年はどんな本と出会えるだろう。 素敵な本との出会いをこのページで報告したい。 今年はパワフルな読書家をめざします。 |
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