お気楽読書日記:10月

作成 工藤龍大

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10月

10月31日

昨日出歩いたせいか、喉にくる風邪で寝込みました。
しかし−−やらねばならない仕事がある。

分厚いCの参考書と、プログラム辞典を読み直して翻訳チェック。
Cなんてすっかり忘れていたので、ミスを発見したときには冷や汗です。

とにかく、これで安心して眠れる。(ホッ)

ハードな週末でした。

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10月30日

風邪気味だったけれど、上野の芸大美術館の「興福寺国宝展」へ行ってきました。

興福寺は以前行ったことがあります。
ただそのときは法相宗そのものに興味がなかったので、彫像に感心しただけでした。

今回は、おなじみの彫像よりは、法相宗教学の経文を眺めることに興味がありました。

解脱上人貞慶の直筆をみられたのがよかった。ただし、草書なので読むことはできません。

それにしても−−年配の人は見るのが遅い。
混雑していても、音声解説を聞き、連れとおしゃべりしている。
ぜんぜん前に進まない。

おかげで、長時間たちっぱなしでへとへとです。
国立博物館の「中国国宝展」とはしごしようかと思いましたが、はやばやと諦めました。

じっくりみることはできたけれど、体力を使い果たしました。

家でキリタンボ鍋を食べて、うまい日本酒をいっぱいやると、たちまち眠気が......

「スターウォーズ特別編」をTVでみながら、いつしか大鼾をかいていました。
せっかく副音声で英語にして聞いていたのに。
「やっぱりSFは英語に限る!」なんてふきながら、なんとだらしない。
ぶざまな自分をほめてあげたい。(笑)

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10月17日

映画「キング・アーサー」を残念ながら見逃したから−−というわけでもありませんが、しばらくアーサー王伝説に熱中しています。

『ケルトの神話』(井村君江)
『アーサー王ロマンス』(井村君江)
『アーサー王の死』(ちくま文庫:中世文学集1)
『アーサー王伝説』(R・キャベンディッシュ)
『アーサー王伝説紀行』(加藤恭子)
『ケルト神話と中世騎士物語』(田中仁彦)
『トリスタンとイソルデ』(ぺディエ編)
ざっとこういう本を読んできました。

どうやらアーサー王伝説を史実と結びつけることはあまり意味がないようです。
もともろこの伝説はウェールズやコンウォールにいた吟遊詩人がフランスに渡り、その地で語り物として成長したものでした。
イギリスへは、12世紀のプランタジネット朝の頃に逆輸入されました。
一説によると、この逆輸入は当時のイギリス王家の政治的プロパガンダが目的だったそうです。

アンジュー伯アンリが母方の縁(母はノルマン朝二代目国王ヘンリー1世の娘)ヘンリー2世としてイギリス国王になったのが、プランタジネット朝です。
ノルマン朝の創始者ウィリアム1世がノルマンディー公として、フランス王の封臣だったように、アンジュー伯でもあり、ノルマンディー公でもあったアンリは領地をフランス国王から与えられる封臣となっていました。

アンリは小説『王妃の離婚』で有名になった元フランス国王妃エレオノーレ・ダキテーヌと結婚したこともあり、アキテーヌ公の娘で家産を受けついた妻の所領を合わせて、イギリスとフランスに広大な領地を持つことになります。
かえってそのために在地の旧勢力に反乱に苦しむことになりました。
アンリの一生は領地の反乱鎮圧に費やされます。

なかでも手を焼いたのが、フランスのブリターニュ地方とイングランド王国に住むケルト民族のブリトン人。
彼らはアングロ・サクソン人の侵略で追い詰められ、バイキングの子孫(ノルマン人)のノルマンディー公ウィリアムに征服され、いままたフランス人アンリ(ヘンリー2世)の支配を受ける身となったことに憤り、執拗に反乱を繰り返しました。

そのブリトン人が信じていたのは、負傷して妖精の国に行ったアーサー王が帰還して自分たちを指導して独立をとりもどすという伝説でした。
ヘンリー2世はグラストンべり修道院で発掘を行わせて、アーサー王とグウィネヴィア王妃の遺骨を発見させた。
これでブリトン人の希望を打ち砕いたはずでした。

ところが甥に裏切られ、戦死したはずのブリトン人の王アーサーは、フランスで理想的な騎士道の鑑となり、王妃と騎士ランスロットの宮廷風恋愛と不倫、騎士トリスタンと王妃イゾルデの悲恋が伝説サークルに加わって大人気となってしまった。

歴史の皮肉と思えるのは、アーサー王伝説を文学に昇華させた12世紀の大詩人クレティアン・ド・トロアにスポンサーとして作品を書かせたのが、エレオノーレ・ダキテーヌとフランス国王ルイ7世との間に生まれた娘シャンパーニュ伯夫人マリー・ド・シャンパーニュだったこと。
ランスロットと王妃グウィネヴィアの不倫は、シャンパーニュ伯夫人の強い要望で書かれたそうです。

母の例をみて、真実の愛は自分で相手を選ぶ不倫にしかないとシャンパーニュ伯夫人は信じていたらしい。

プランタジネット王家も次第にその人気を逆利用しようと考え、ヘンリー2世の曾孫エドワード1世は曽祖父が発見させた(!)遺骨を修道院の祭壇に祀り、アーサー王をまねて円卓を作ったそうです。

アーサー王の史跡を探るのは、これまでの記述からわかるように、現時点では桃太郎や浦島太郎の出生地を探るほどの意味しかないようです。逆に言えば、それくらいロマンに満ちたアドベンチャーともいえます。

(余談ですが、桃太郎が生まれた場所というのは日本に数箇所あり、岐阜にあるそのひとつにいったことがあります。また浦島太郎が「風土記」の水之江浦島が子なる人物を元にしたお伽噺であることはご承知のとおり。)

アーサー王関連の遺跡がイギリスじゅうにあるのは(ウェールズやコンウォールにだけあるわけではありません)、当然でしょう。
ロマンスだから、ご当地が続々と名乗りをあげるのは当たり前。

しかし、アーサー王伝説がイギリスだけでなくヨーロッパ各地の中世文学に影響を与え、近現代の芸術にもインスピレーションを供給し続けているのは事実です。

中世文学の世界では、アーサー王はヨーロッパをほとんど征服して、ローマでローマ皇帝として戴冠することになっています。
文化史的な意味で言えば、アーサー王伝説は文字通りヨーロッパを征服しています。

日本でも、夏目漱石にもアーサー王伝説に題材をえた作品があります。
この作品について、江藤淳と大岡昇平が論争したのも今では遠い思い出でありますが.....

五世紀ごろに生まれた伝説が12世紀に文字となり(ジョフリー・オブ・モンマスという歴史家)、やがてクレティアン・ド・トロアによって偉大な文学に生まれ代わり、以後多くの芸術家のインスピレーションの源泉になってゆく。
考えてみれば、現代まで続くその流れはヨーロッパのアートの歴史ともいえます。
いまだに多くの人をひきつけるこの伝説には、なにか大きな「魂の真実」というものが秘められているようです。

追記:
本日、アマゾンに注文したアーサー王本が到着。
『アーサー王伝説』(アンヌ・ベルトゥロ)
『アーサー王伝説』(ジェフリー・アッシュ)
『アーサー王百科』(クリストファー・スナイダー)

読んでみて、いよいよアーサー王が面白くなりました。
ヨーロッパの精神世界を知るには、アーサー王伝説は必須です。

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10月10日

京都に行ってきました。
日帰りで午後いっぱい使って、新京極界隈を歩いてきました。
落語の発祥地といわれる誓願寺。
ここの住職だった安楽庵策伝が編んだ笑い話集『醒酔笑』が落語のはじまりということになっています。
にぎやかな若者の町である新京極通りには、誓願寺の塔頭誠心院があり、ここは和泉式部が建立したお寺。墓地には和泉式部を祀る大きな卒塔婆があります。
自伝では清少納言も請願寺で極楽往生している由。
平安時代のスター女流文化人が最期をとげた場所として、心の琴線に触れるものがありました。

この通りには、蛸薬師があります。
住職の母が病気になってタコが食べたいと望んだので、住職がタコを買って重箱に入れて寺に戻った。途中で檀家に見咎められて、重箱を開けさせられるとタコが薬師経に変わっていて難を逃れたという伝説はあまりにも有名。

薬師如来を拝するわきには、木彫りのタコの像があって、お賽銭をいれると撫でることができます。病気快癒を祈る御まじないだそうです。

誓願寺といい、誠心院、蛸薬師といい、修学旅行の定番コースだから、あまり珍しいものではないかもしれませんね。
面白がるのは、わたしみたいな物好きだけかも。

しかし、そうともいいきれない。
どうみても業界人(つまりお坊さん)らしい二人組の観光客がいて、誓願寺・誠心院・蛸薬師を視察しているようでした。
この人たちと前後して同じ道を歩いていたのですが、聞くともなしに耳に入ってきたのはそれぞれのお寺の改築計画です。
二人は別の寺の住職らしく、檀家とお参り客の新規開拓をめざして企画を練るために京都に来たらしい。
宗教家でも顧客開拓や営業努力が必要なんだなと改めて納得しました。

そういえば、蛸薬師でも若い女の子たちが「京都に住んでいるのに、こんなところがあるとは知らなかった」なんていってました。
京都の奥深さは、京都の住民というだけではわからないと思います。

その後、河原町通りにある坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之碑をみて、高瀬川沿いの木屋町通りを歩いて、土佐藩邸跡、坂本龍馬寓居之跡(これは横丁に入る)、武市瑞山寓居之跡、大村益次郎・佐久間象山遭難之碑、佐久間象山寓居之跡という石碑ばかりをみて歩き、現在の本能寺に入りました。

木屋町通りは土佐藩邸があったせいか、土佐の浪人たちが多く住んでいたようです。
そして、大村益次郎や佐久間象山が斬られたのが同じ場所だったとは。
なんとなく「幕末の暗殺ロード」と呼びたくなります。
(龍馬が死んだのは、河原町通りの近江屋旅館。いまは交通公社の店先に碑があるだけ)

信長が死んだ元の本能寺は小学校になっていて、そこにも以前行ったことがあります。
今回は信長公廟と宝物館をみるのが目的です。

本能寺は種子島に布教した関係で、鉄砲の入手に独自のルートをもっていたそうです。
信長が京都にくるたびに本能寺を宿舎に使ったのは、鉄砲供給ルートを確保する狙いもあったとパンフレットに書いてありました。

ここには他とは一風変わった信長の肖像があります。
本物は別の展覧会に貸し出し中とのことで複製でしたが、肖像の面構えはのほほんとした教科書の信長像とはかなり違う。
癇の強い豪気な武将というイメージで、こういう人なら明智光秀が殺意を持っても不思議ではないような気がします。

それにしても、知らないうちにかなり歩いていました。
おかげで、翌日(11日)は足腰の筋肉に疲労がどんよりたまっていました。

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10月 3日

本日の読書活動は図書館に本を返しにいっただけ。
午後はクラシックのコンサートに行ってきました。

所沢のミューズで行われたモーツァルトのピアノ協奏曲20番とベートベンの第九です。

ピアノ協奏曲は盲目のピアニスト、梯剛之(かけはしつよし)さんと東京交響楽団で、指揮はユベール・スダーン。
これはすばらしかった。
オーケストラの演奏も熱が入っていたし、梯さんのピアノがはじめて鳴った瞬間、身体に震えがきました。

演奏終了後は割れんばかりの拍手でした。

帰りには、梯さんのファン・クラブに入会申し込みしてきました。
いまはウィーン在住の梯さんのファン・クラブを作ったのは、梯さんが通っていた保育所の園長先生です。
こんな話をきいて、ファン・クラブに入らない人がいたら「にんぴにん」じゃないか!
すばらしいアーチストはファンが支援してあげなければ。

ところで、ピアノ抜きの第九もすごかった。
これほど感動的な第九は初めてでした。
ユベール・スーダンの指揮には情熱があふれていたし、それに応えてオーケストラと東響コーラスもすばらしい演奏と歌を披露しました。
さらに、ゲストの佐藤しのぶをはじめとするソリストたちが加わると、思わず涙がにじんできました。
理屈ではない感動。こんな時間を味わえて幸せだった。

至福の時間を演奏者、聴衆が共有できた。
こちらもおざなりではない本気の拍手がコーラスの最後の一人が退場するまで続いていました。
とにかくすばらしい時間でした。これからどんなことがあっても「自分たちはだいじょうぶだ」という得体の知れない自信がわいてきました。
音楽って奇蹟なんだねと、夫婦二人で話し合いながら家に帰ってきました。

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10月 2日(パート2)

本日も読書ではなく、ビデオです。
観たのは「エリザベス」。

これもなかなかよかった。
しかし−−ちょっと気になるところがありました。
エリザベスの腹心ウォルシンガム卿がカトリックの陰謀事件を摘発したのは、1586年。この事件は、バビントン陰謀と呼ばれています。

ところが映画では、バビントン事件発覚の前にスコットランド女王メアリなる人物が暗殺されます。

このメアリという人物が分からなかった。
1587年に、亡命先のイギリスでエリザベスに処刑されたスコットランド女王メアリ・スチュアートとはどうも違う人物らしい。
これが気になって仕方ありません。

あとでいろいろ調べてみたら、このスコットランド女王メアリとはメアリ・スチュアートの母親で、フランス貴族の娘マリー・ド・ギースと分かりました。
映画ではよくわからなかったのですが、メアリ・スチュアートはフランス国王フランソワ一世の王妃であり、若死にした夫の没後にスコットランドに戻っている。そのときすでに母親は死んでいた。

だから、映画としてはつじつまがあっていたわけです。

ただし、詳しい人からみると、この映画は少々つじつまのあわないところがぽつぽつとあるらしい。
イギリスで製作されたはずなのに、イギリス人はそれで納得したのかなと余計な心配をしてしまいました。

それに映画のストーリーが即位(1558年)前後とバビントン陰謀(1586年)の間を省略しすぎているのも気になります。
よくできた映画とは思いますが、そのあたりがどうも気になって仕方ない。
娯楽映画で史実にこだわるのも野暮だとは思いますが......

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10月 2日

昨日は、ビデオで「ビューティフル・マインド」を観ました。
今日は劇場で「仮面ライダー剣 ミッシング・エース」を鑑賞。

どちらもよかった。
ラッセウ・クロウが観たかった「ビュウーティフル・マインド」は統合失調症の天才数学者ジョン・ナッシュの生涯を描いた名作。

近代経済学の土台を作った均衡理論をつくった天才は、早くから統合失調症の幻覚に悩まされていた。
本人は幻覚と現実の区別がつかずに、幻覚で生まれたキャラクターを実在の友人と思い込んでいた。

客観的にいえば悲しいことなのだろうけれど、なんとなく主人公に共感してしまいます。

多かれ少なかれ、人間には空想の仲間や親友が必要なんです。
宗教はその最たるもの。

精神医学をすこしかじると、統合失調症(むかし風にいえば、精神分裂病)は健康な人とそれほど違いはないように思えます。
患者と健常者の違いは、「うつ」と不安からくる破壊衝動を抑制できるかどうかという点につきるようです。

本編のジョンは、妻アリシアの愛情で幻覚と共生しながら、不安と破壊衝動を抑えることができた。

ただそれだけではなく、ジョン・ナッシュという人がアダム・スミス以来の利己主義の肯定に意義をとなえ、共同の利益を求める助け合いのほうがよい結果をもたらすという理論を考え出したことにも意味がありそうです。

こころの病を克服するには、「世界観」の構築が必要不可欠です。
ノイローゼの治療に独創的な貢献をした森田式療法の考案者、森田正馬博士によれば、神経症は人格向上して初めて治る病気だそうです。人格向上には、神経症になるのがいちばんなんていう考え方もあります。

監督のロン・ハワードは「愛」が世界を統合する鍵だと、ノーベル賞受賞のスピーチで主人公に言わせています。
心が健康な人とは心に「愛」がたくさんある人といえるかもしれません。

「仮面ライダー剣 ミッシング・エース」は、東映の方針で低年齢向きの「デカレンジャー」と併映。
しかし、内容は「愛」ある物語でした。
森本亮治演じる「始さん」の愛に感動しました。
(TV版を観ていない人にはなんのことだか分からないだろうけれど。)

去年の555(ファイズ)よりも、しっかり映画していました。
ライダー・スピリッツは着実に継承されているなあ。

いま石森プロは商社と組んで、故石ノ森作品の国際展開をめざしているそうです。
作者自身の作品ばかりでなく、石ノ森スピリッツをDNAに持つ実写作品も展開してほしい−−というのがファンの切なる願いです。

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© 工藤龍大