先週は連休を利用して、京都に行ってきました。 一泊して、一日目は円山公園奥の長楽寺へいき、ライトアップされた夜の円山公園から三年坂を歩きました。 二日目は、坂本からロープウェーで比叡山へ行き、東塔と西塔のあたりを歩いてきました。 比叡山の山内シャトル・バスは3月19日まで西塔行きがなかったことがわかったので、運がよかったと大喜び。西塔では、弁慶のにない堂と釈迦堂をみてくることができました。 さらに歩くと、黒谷の青龍寺にいけますが、時間がないので今回は断念。それにしても、叡山は広い。トレッキングする覚悟ではないと、歴史散歩もままならないのがよくわかりました。 前回、訪れたときには見る暇がなかった東塔ですが、今回もまだ見ていない場所があります。法然堂までいったので時間切れでした。 でも、法然上人が落飾して天台宗の根本経典を読破した場所にいけたのは収穫です。 西塔の釈迦堂の売店で、「天台宗日常勤行式」というお教と『比叡山 その歴史と文化を訪ねて』(比叡山延暦寺・発行)を買って、帰りの新幹線で読みました。 このお経の裏には、東塔の大講堂の壁面に掲げられている画像と同じものがあって、解説がついています。馬堀法眼喜孝画伯揮毫とあるので、延暦寺関係者の「お坊さん画家」の方でしょうか。 ロープウェーの売店でも、『比叡山を歩く』(峰純一・文、辻村耕司・写真、山と渓谷社)を購入しました。そういうものを買う人は珍しいのか、おまけに金属製のしおりをもらいました。 今回気づいたのですが、坂本のロープウェーにはそれぞれ「縁」と「福」という名前がついています。 参詣する方に「ご縁」がつき、「福」があるようにと命名されたと車内アナウンスで流れていました。 前回の訪問から、比叡山にご縁がついたかなと、一人でうなづいていました。(笑) 京都の歴史散歩も、街中のエリアはだいたい制覇したような気がします。 あとは、山の中を歩くことになりそうです。 となると、体力勝負です。 足腰を鍛えなければ。 追記: 一日目で4、5時間も夕方から夜の京都を歩いたせいか、少々くたびれ気味です。 その後ずっと忙しかったこともあり、読んだ本をまとめる余裕は−−ありません。(恥) メルマガも今週はお休みです。 インプットするのが精一杯って感じですね。 まあ、これがワタシの生きる道ってやつです。(^^) |
辻邦生は端正な作家です。 容姿もそうだけれど、文章のたたずまいが端正そのもの。 この人の作品を読んでいると、上品なティー・ルームで紅茶を飲んでいる気分にひたれる。 ふりかえってみると、『背教者ユリアヌス』『廻廊にて』『夏の砦』は大理石の彫刻に似た静謐さにあふれていました。 そのバックボーンにあったのが、教養主義です。 松本の旧制高校で青春をすごした辻には、いまや失われた「教養」がほんものの骨肉となっています。 『永遠の書架に立ちて』は、辻の創作の秘密をかいまみせてくれます。 さりげなく引用されるプロティノス。 こんな芸当をいまさらやるとかえってカッコ悪いと勘違いしている人(もしかして、わたしか?)は、はっとしてしまいます。 そうだ、教養はすてきなんだと改めて思いますね。 辻があげる「岩波文庫 私の三冊」。『ヘンリ・ライクロフトの私記』『トニオ・クレエゲル』『仰臥漫録』。このセレクションがいいですね。 「恋愛小説 私の三冊」では、『武器よさらば』『アドルフ』『それから』。 そうだよなあ。そうなんだ。 思わず膝を打ってしまう。 もっと他にあるという意見もあるだろうけれど、『ヘンリ・ライクロフトの私記』『トニオ・クレエゲル』と動かせない。わたしの愛読書でもあります。 『武器よさらば』と『それから』ほど、深い印象が自分のなかに刻まれた作品もない。 ひさしぶりに辻邦生の本を手にとって至福の時を味わいました。 同じ感性の人と出会うのは快感!です。 『エフェソス白恋(はくれん)』(高樹のぶ子)は、一味変わった恋愛小説です。 霊の結婚とでもいうほかない幻想的な恋愛を、ひどく肉感的に描く。霊と肉との交渉というか、干渉というか。 舞台となっているのが、トルコのエフェソス。もちろんエフェソスとは古代ギリシアの呼び名で現代トルコではエフェスであり、近代都市としてはセルチュクというのが正確です。 ここと日本を舞台に人妻と考古学者の不思議な恋愛を描くわけだから、古代ギリシア好き、幻想文学好きとしては申し分ない。ごちそうさま!という他ありません。 それにしても、成熟した性欲をもつ人妻と不能のインテリの組み合わせは、西洋恋愛小説の必殺技です。それが高樹のぶ子という作家がものにしたのだから、ちょっと嬉しい。 しょせん、わたしは時代遅れな男です。(笑) |
いわゆる大人の男をターゲットにした雑誌の小ブームですね。 ごま塩頭のおじさんたちが熱心に読んでいる「週刊なんとか」というムックとも、雑誌ともいえない系統が元気よい。 創刊号を安くする戦略にうまうまとはまって、わたしも時々買っています。 団塊やら、その後の世代(昭和33年前後生まれのわたしたちは「くびれの世代」というそうです)をターゲットにしているので、特撮ヒーロー、アニメもある。 もちろん、「仮面ライダー」(講談社オフィシャル ファイル マガジン)を全巻そろえたことはいうまでもありません。 先週は「週刊 日本の伝説を旅する」(世界文化社)の創刊号〜3号までを買って眺めておりました。 この雑誌が他と違うのは、メインの執筆者のほとんどが鬼籍に入っているか、すでに執筆されていない方々であること。 試みに名前をあげると、夏堀正元、安藤美紀夫、武田清澄、衣田義賢。 それほどメジャーではないけれど、良心的な作品を書いてきた方々です。 ヲタクのいやらしさが鼻につく昨今の歴史ライターさんたちと一味違うところに魅かれています。 このシリーズはぼちぼちと集めてゆこうと思います。 閃輝暗点をみたせいか、先週は眼を使うのが怖くてろくに本を読んでいません。 失明(大げさと笑うなかれ、本人は悲愴でした)する前にと、『エフェソス白恋(はくれん)』(高樹のぶ子)と『永遠の書架に立ちて』(辻邦生)をざっと流し読みしました。 一言じゃいえないけれど、幸せでした……(涙)。 わたしはつくづく古代ギリシアと、ヨーロッパ教養主義が好きなんだと思いましたね。 死ぬほど好きって、この際だから(?)正直に白状しちゃいます。 どうせ時代遅れの男です。 |
『今から目指せる歴史小説家』(加来耕三)を読んでみました。 「50歳過ぎてもチャンスはある」という副題がすごいなと思い、手に取ってさらに驚いた。 この著者はバイタリティの塊みたいな人でした。 文学賞を受賞せずに、売り込みだけで作家になった稀有な存在。 その秘密は、大学卒業後に仲間と出版社を経営したことにあったというのです。 どんないい本でも売れないものはだめ。逆にいえば、出版界では売れなければ消えるしかない。 小説を書いていると称する人間がわかっていて、半ば諦めながら受け入れている現実を、著者がどうやって打破したか。 二十代から次々と行動してきた著者の先見の明が実を結んだ結果、この人はいま名前の知られた歴史小説家となった−−。 このストーリーは実体験に裏打ちされているので、非常に説得力がある。 ただ、どうもしっくりこない。 それは、著者が書いている作品に、どうにも「ブンガク」が感じられないからです。 この人の考えは「小説家」というより、「歴史ライター」「歴史読み物編集者」と定義すべきでしょう。 著者にとっていわゆる歴史小説は司馬遼太郎を含めて「伝奇小説」に思えるらしく、評伝やビジネス啓蒙書のほうがまっとうな「歴史小説」と位置づけられているようです。 しかし−−高度経済成長時代の『徳川家康』(山岡壮八)や『竜馬がゆく』(司馬遼太郎)の読まれ方が今も通用するかどうか、わたし自身は疑っています。 過去の成功例を見習ったり、失敗例を分析するだけで現代を乗り切れるだろうか。 加来氏本人は従来とちがう歴史の見方をさぐる立場なので、その点は賛成です。 小説というからには、さらに一歩踏み込んだ何かが必要だとも思うのです。 この本の最後にある「司馬遼太郎論」には、加来氏と司馬遼太郎の資質の違いがさらけ出されているので興味深い。 「こんな途方もない人物がいます、日本史上にまたといません、といって読者の歓心を買い、そうした人物を歴史の史実のなかに泳がせる−−もし、そうした作法が司馬氏のオリジナリティであるとすれば」(「司馬遼太郎論」より) たしかに加来氏が言うような司馬遼太郎流・歴史文学にとらわれている作家は多いだろう。 でも。。。。。。 表現こそ違え、「こんな人物がいます、とっても素敵な人です。みんな、この人の話を聞いてください」というところで、ブンガクはなりたっている。 加来氏にとって、司馬遼太郎は躓きの石のようだ。 |
来週からの仕事にそなえて、ネットワークとデータベースの復習。午前中に概説書や雑誌を再読しました。 『ゼロからはじめるWindows ネットワーク再入門』(アスキームック、Ascii)と DB マガジンのバックナンバーです。 目の使いすぎか、午後から調子が悪くなって読書はお休み。書斎の片付けもままならない。 せっかく隣町の図書館で駆りた本にも目を通せなかった。 歳はとりたくないもんだ(まだ四十代なんですけど。。。。。)。 しかし、歴史年表なんか眺めていると、四十五歳未満で死んだ人なんてざらですね。 非業の死、戦死、病死いろいろあります。 それだけ活躍したから、リスクも大きかった。ハイリスク、ハイリターンは常識ですな。 凡人は長生きするしかありませんね。 |
© 工藤龍大