夏休みが終ったとたんに、きついスケジュールの仕事が待っていました。 たくわえたエネルギーも四日の出勤で消し飛んだ。 あとは肥った身体だけ。 やれやれ−−楽はできないものだ。 旅行前、あれほど痛んだ親知らずも今は大人しくなっています。 この調子なら抜かなくてすむだろう。 ところで、夏休みのあいだに読んだ本は次のとおり。 ・『大本営参謀の情報戦記』(堀栄三) ・『ある異常体験者の偏見』(山本七平) ・『アルフレッド大王』(高橋博) ・『ベートーヴェンの生涯』(ロマン・ロラン) 堀栄三という人は、大本営参謀として戦争末期に神業のように米軍の作戦行動を予測した。あきれたことに、旧軍は情報分析よりも憑依体質のカリスマ軍人がはばをきかせていたため、新人の堀参謀の意見はほとんど省みられることがなかった。 戦後、自衛隊に入った堀氏はドイツ防衛駐在官、統合幕僚会議第二室(情報室)室長を務めた。しかし旧軍と同じ体質が蔓延しているのを知って除隊する。 己の眼を閉ざして、権力に屈する出世志向に絶望したためだった。 堀氏は優秀で良心的だったが、やはり偉い人だった。 そうでない徴兵された少尉からみた旧軍の実態を教えてくれるのが、山本七平氏だ。 現場にいたものの立場で、神話といったほうがよい旧日本軍の実態を語り、戦後の言語空間の偏向をあばく。 残念ながら、山本氏はもはやこの世の人ではなく、旧軍の実態を知るひとはどんどん少なくなり、戦時中も戦後も「偉かった」人(戦前のエリート)たちの言葉だけが残る。 戦後日本に絶望した堀元参謀は農業に従事して、いってみれば隠棲した。 現代日本を作ったのは、戦後に出現した若いエネルギーではなく、戦後に復権した戦時中のエリート軍人、政治家、新進官僚たちだ。 アメリカの政策に追従する国家方針のもとで、戦後日本の繁栄は可能になった。 今度の経済敗戦は、戦時中のエリートが作ったこのようなニッポン国の敗戦だ。 あたらしい戦後を生き抜くために、大日本帝国の破滅を検証することがますます大切になっている。 太平洋戦争について考えるたびに、暗澹とした気持ちになる。 きっと、同じことをやるぞと思うからだ。 この気分というか、絶望感が戦後を支配した国民感情の基底だ。 悲しいことに、私たちは同じ国の民を信じられなくなっている。 これがアメリカの占領政策の最大の成果だ。 同時に対米追従者、アメリカ文化心酔者という植民地根性もしっかり根をはっている。 なしくずしの海外派兵も小泉首相だけに問題があるのではなく、社会的にいいポジションにある人がアメリカに好意的な偏向をもっていることが根本的な理由だ。 こういう状態を「植民地」というのだろう。 『アルフレッド大王』は、イギリスのアングロ・サクソン七王国にひとつ、ウェセックス王国の国王だった。 当時(9世紀)のヨーロッパは、バイキングが各地を略奪した暗黒時代。 イギリスにもバイキングの一派(デーン人)が侵入して激しい戦いが行われた。 このような時代にあって、アルフレッド大王はデーン人と戦い、国を守った。 王位を追われ、一時は山賊(?)まで身を落としながら、粘り強く戦い、国を立て直す。 名君であったアルフレッドは法律(アルフレッド法典)を作り、官僚制度(三交代制)を整え、学芸を保護しただけでなく、みずから修道院を設計し、学究として多くの書物をあらわした。 こうした事績だけでも胸がすくが、なによりもアルフレッド大王の魅力は苦境において、忍耐力を発揮する器量の大きさ、腹の練れ方である。 こうした傑物がかつて存在したことを知るのは、人間という生き物に対する尊敬を取り戻す大きなちかたとなる。 己と他人の卑小さに甘えてはならない。 ベートーヴェンはかつてほど崇拝されていない。 苦悩する天才など、こっけいだという時代の病にわたしたちは侵されている。 ただ、ベートーヴェンのような苦悩がなければ「正しいこと」は行えない。 人間は本来「善きもの」ではあるが、現実にそうであるためには行動が必要であり、行動には必然的に苦しみがともなう。 キリスト教であれ、浄土仏教であれ、禅仏教であれ、修験道であれ、宗教というものはそのような真理を伝えている。 当然すぎるほど単純な事実だが、わたしはこのことをすぐ忘れてしまう。 人から笑われるほど熱くならなければ、「自分はだめだ」と思う。 そのくらいが、愚かな自分にはちょうどいい。 |
親知らずが痛むせいで、口をあけるのがつらい。 救急病院の歯科へ行きました。 痛み止めをもらって、落ち着きました。 月曜から旅行へ行くので不安だけど、先生は三日でなおるだろうとのこと。 本格的にみてもらうのは、帰ってきてからになります。 それまでは体力を温存することにします。 疲れがたまると、親知らずにくるんですよね。 本日は図書館に借りた本を返しに行きました。 以下に本の紹介を書きます。 ・『聖徳太子の寺を歩く』(林豊) ・『バルカンの歴史』(柴宣弘) ・『歴史家の読書案内』(石井進編) 『聖徳太子の寺を歩く』は太子ゆかりのお寺の紹介。 歴史散歩の気分で読み進められます。 『バルカンの歴史』はおもに中世以降のバルカン半島の歴史を概説したもの。 多くの民族で構成されたバルカン半島および東欧の歴史については、この本を読んでもまだ頭のなかが整理しきれない。 隣に中国という分かりやすい(?)古代からの専制国家があるせいか、神話であれ、民族主義であれ、柱みたいな概念がないと、どうもわかりにくいと感じました。 事実のみを並べただけでは、物事がわかったことにはならない。 イデオロギーであれ、視点であれ(同じものかもしれないけれど)、理解にはカギが要る。バルカン半島については、ヨーロッパの複雑さを認識しただけにとどめて、もう少しいろいろ調べてみたいと思いました。 『歴史家の読書案内』は、日本史研究者たちの愛読書の紹介。 さすがに、日本史の専門家だけあって、教養主義的な書物ではなく、論文をとりあげて熱く語るところがいい。 『日本中世の村落』(清水三男)や『中世的世界の形成』(石母田正)を挙げている方がいたが、やはりと納得してしまう。 小学館や中公文庫で出ている日本史の通史シリーズに含まれる石田理三、石井進、佐藤進一の著作がいまだに現役歴史研究者の「壁」として立ちはだかっている現状も面白く思えました。 網野善彦の得意な論文スタイルの秘密が垣間見えたのも興味深い。 この本は、日本史に興味がある人には必須です。 ところで、本日はその他に永平寺にいった時に買ってきた図版『永平寺』を眺めたり、中国語版の魯迅の本をぱらぱらとめくっていました。 ちゃんと勉強していないくせに、なんとなくわかったような気分で読んでいるので、困ったものです。 第二外国語として試験されたら、落第するに決まっている......(汗) 語学のプロは英語だけでいいと思い定めているので、他の外国語は英語ほどは一生懸命勉強しないつもりです。 娯楽としてわりきらないと、やってられません! 楽しみに旅行中は漢詩のCDでも聞いているつもりです。 |
江戸博物館の「発掘された日本列島2005」に行きました。 体力消耗しているのに無謀だったか。 つけは翌日あらわれました。 今回の目玉は、キトラ古墳の壁画剥ぎ取り作業と東北の陰陽道関連の遺物。 みばえのするキトラ古墳壁画はいざしらず、陰陽道の遺物を観るために出かけるなんて、いよいよきてますね。(笑) 今週、読んだ本は下記です。 ・『風雅集』(辻邦生) ・『ユーラシアの風景』(日野啓三) ・『書くことの秘儀』(日野啓三) 物故した日野啓三は大病後、トランスパーソナルというか、スピリチュアルな思索をつづった作品を書くようになりました。 『書くことの秘儀』は、そんな日野啓三の宇宙論的な思索のエッセンスです。 ここに書かれていることは、20世紀文学の到達点です。 日野はこの作品を遺作として、2002年10月14日に逝去。 出版されたのは、奥付をみると2003年1月でした。 日野は脳科学とDNA解析の成果を踏まえて、意識の発生と進化に存在論的な思考を深めようとしていたようだが、次第に民族学的なコスモロジーに足場を変えて、神話的思考に現代文明を止揚する方法論をみいだしたようだ。 スピリチュアルな交流を自然や氣と行えたらしい日野には、アミニズム的感性が欠損している解剖学的思考はなじまなかったようだ。 『ユーラシアの風景』は、世界各地をめぐる日野の思索と写真をまとめたもの。 この人がロシア=北欧の空虚であり、デモニッシュな風土に強くひかれていたことがわかります。 また人間くささをよさつけない砂漠にも魅せられていたことも。 「人間は人間になりきっていません。私は私になりきっていません。不完全であることは可能性に満ちています。」 日野が末尾のインタビューでそういったのが、2002年6月7日。 死の四か月前でした。 辻邦生の言葉には、静謐で肯定に満ちた清澄な意思があふれています。 折りに触れ、この人の随筆を手にするのは、そうした現代には稀有な魂に触れてみたいからに他ならない。 『風雅集』は、辻の小説『西行花伝』と『嵯峨野明月記』を書くよすがに浮かんだ思いを随筆にまとめたもの−−といってよい。 小説には収められなかった池大雅、青木木米の評伝も、辻のなかでは小説世界とつながっています。 また京都の高瀬川を開削した角倉了以の評伝は、『嵯峨野明月記』の主人公のひとり角倉素案(了以の息子で学者)の人生をえがく補遺です。 「小説とは絶対的な人生の肯定」という言葉を小説入門書で読んで、うんと大きくうなづいたことがある。 辻の作品が好きなのは、この人が絶対的に人生を肯定しているからです。 |
本日はめでたく会社がお休み。 疲れがたまっているので外出もせず、家で大人しくする予定です。 このところ通勤途中に読む本といえば、仕事関係の本を繰り返し読むのが多い。 ドナルド・キーンの『日本の文学』が例外かな。 おとといから読んでいる日野啓三の『書くことの秘儀』も面白い。 がんばりすぎると、おつむの毛が薄くなりそうだから、テキトーに読むことにしています。 前髪の後ろあたりまでそり上げたようになっているせいで、キューピー人形みたいに前髪をつかむと引き抜けそうな「人生の先輩」をみていると、危機感がつのります。 「やりたいことは多いんだが時間がなくて.....」というのは、そろそろやる気を失いつつあるチューネンの証拠です。 やってみたいことをもそもそするしか、手はないんですね。 仕事の関係で、C++を勉強したり、自動翻訳ツールやポータル作成ソフトウェアの使いこなしをやったり、エクセルVBAをどうにかしようとしたり、やたらに頭を使っています。 安らぎの日はこないものか−− 「はじめてのEXCEL VBA」(植田政美)とか「これならわかるC++」(小林健一郎)とかを開きながら、勉強している自分を褒めてあげたい。 さすがにこんなことばかりしていると、息がつまる。 今朝、自分が死んだ夢をみてびっくり! あれっ、死んじゃったんだと思ったら、目がさめた。 宇宙戦艦ヤマトのテーマが鳴り響く中、海底に沈んでゆく自分。 明るい光が輝く海面近くには、きれいなお魚が...... いや、あれはジュゴンか、白イルカかも。 生活を変えろという異界からのメッセージでしょうか? |
© 工藤龍大