久々の更新です。 会社の同僚のお葬式だの、研修が続いて、二週間ほどろくに休めなかった。 おかげで読書日記の更新もできませんでした。 今回、読んだのは『オルフェウス教』(レナル・ソレル)。 古代ギリシアの密義宗教オルフェウス教について調べた労作です。 プラトンの初期・中期対話編を読むと、終盤まで懐疑論めいたソクラテスの論法で発言者のメタフィジカルな意見がすべて粉砕される。 議論がにつまってみんなが頭をかかえるころ、ソクラテスがいきなり巫女から聞いたとかで神秘的な宗教論・霊魂論・宇宙論をふりまわして一同を煙に巻く−− 概ねこのような流れで、全体が構成されています。 いっけん理性的にみえるギリシア哲学は、プラトンに限らず、根底にあまり知られていない神秘主義的なアミニズム宗教を秘めている。 これがギリシア哲学の基層というか、通奏低音の役割を果たしています。 こうした宗教としてあげられるのが、エレウシスの秘儀、ディオニュソスの秘儀、そしてオルフェウス教です。 有名なピタゴラス学派は、これら密義宗教の新時代バージョンといえます。 エレウシスの秘儀についていえば、ソクラテスもその信徒で、『クリトーン』で親友クリトーンに神さまにニワトリを自分に代わって捧げてくれと遺言したのは、エレウシスの女神(デメテルとコレー)に信徒として義務をはたしたかったからでもあります。 オルフェウスといえば、妻エウリュディケーを冥界から連れ戻そうとして失敗した天才楽人として有名ですね。 この神話とも関係があるのか、オルフェウスが魂の浄化と死後の永遠の幸福をとく神秘宗教をはじめたことになっています。 その教義は「密義」とされて、信徒いがいには知らされないのでわかりません。 残念ながら、ソレルの労作もその例外ではありません。 ただぼんやりとわかっているのは、人類創世にまつわる神話により、人間には永遠に死なない部分があると信徒たちが信じていたことです。 この神話にはディオニュソス信仰も一部関係があると考えられています。 それについては、来週書くことにして、先走るようですが、自分なりに夢想したことを書くことにします。 じつはオルフェウス教の「教義」というふうに、西洋の学者の視点で話をしてきましたが、当時のギリシア人は現代西洋人というより、アニミズムと合理主義思想(=銭勘定的発想)が共存している蓁の前にあった戦国時代の中国人に近い。 さらにいえば、現代日本人にも似ている。 なにがいいたいかというと、体系的知識を求めるのは一部の変わり者だけで、大多数は実利的(=銭金の損得にうるさい)で、迷信深い(=アニミズムが生きている)人々でした。 それを考えると、日本の神道や道教みたいに整合性のとれたきっちりかっちりした教義なんてなかったのではないかと思えてならないのです。 日本の神道は、キリスト教神学やイスラム神学のような壮大な思想的建築をうちたてもせずに、しぶとく生きている。 地鎮祭や正月の初詣、七五三みたいな行事だけで存続していますが、ギリシアの場合も似たようなものです。ただし、戦前の靖国神社みたいに国家が宗教によって国民を統合しているところもありましたが。 アニミズムの世界に教義はいらんのです。 必要なのは、行事だけ。 それだけで、世界はまわっている。世はこともなし。 アニミズムというのは、行為や言葉が呪術的に世界を維持・発展させていると信じる思想です。 オルフェウス教の実態がそのようなものであるとしたら、キリスト教神学・西洋哲学の視点からいくら考えても答えはみえてこないのではないか。 そんな風に思えますね。 |
『おむすびの祈り「森のイスキア」』(佐藤初女)を読みました。 映画「地球交響曲第二番」でみた佐藤初女さんの姿に、感動したひとは多いはず。 おにぎりと漬け物で、こころを病む人たちを助ける奇蹟のような人です。 この本は、佐藤さんの生い立ちや「森のイスキア」の立ち上げをふくむ貴重なお話が収録されています。 ドキュメンタリー映画の内容から、キリスト教を信仰されている方だと思っていました。 予想に違わず厚い信仰のお持ちの方でした。 26歳も年の離れた人の後妻となり、妻として母として生きてこられた。 夫の死後、染色の教室のかたわら、自宅を開放して、こころを病む人たちを助ける「イスキア」の仕事を本格的に行う。 そして、岩木山の山麓に、「森のイスキア」を開設。 森のイスキアについては、いろんな方がネットで書いておられるので、検索すればおびただしい数のヒットがあります。 初女さん自身も、函館の女学校を結核で中退し、青森の青森明の星高校に再入学したことからはじまって父の仕事の失敗と死など様々な苦難をへてきた。 そのたびごとに、マイナスをプラスに変えた初女さんの姿には身がひきしまる思いです。 この本にはゆかりの人たちの寄稿があり、同窓生の方の文章から佐藤初女さんの旧姓を知りました。 「神(じん)初女」というのが、結婚前のお名前だったとか。 「名は体を表す」というか、あまりにも似合いすぎている名前だ。 ただし、神さんが「佐藤」というありふれた名前になったときに、人々を救うおおきな働きができた。 こうした運命の機微に、人知をこえた宇宙的な法則がひそんでいるように思えます。 地球交響曲第二番の紹介。 http://www.gaiasymphony.com/co_guide2.html 出演者紹介。 http://www.gaiasymphony.com/2_cast.html#sato |
カーラ教授の著作がAMAZONより届く。 『メイプル戦記(2)』(川原泉) 『甲子園の空に笑え』(川原泉) 『小人たちが騒ぐので』(川原泉) 『甲子園の〜』は、『メイプル戦記』のつながり。 広岡監督と高柳コーチの若き日を再読しました。 それにしても、豆の木高校にとどめをさした選手(名前は『甲子園』では不明だった!)が『メイプル戦記』の瑠璃子さんの恋人になるとは、当時教授も想像だにしていていなかったのでは。(笑) 『だれにでも春は来るんですね』とぽつりと言っていたのは、瑠璃子さん(当時18歳)だったか…… 『小人たちが騒ぐので』は、教授が休筆から回復した時期の作品。 東京を引き払って、鹿児島に戻っている。 『甲子園の空に笑え』に収録されている不朽の名作『銀色のロマンティック……わはは』に比べるとつらいものがある。 ジョン・ケージの「ジョン・ケージ4分33秒」(詳細はこちらのHPが詳しい--> http://www.classicajapan.com/wn/archives/000875.html )をネタにした回は、前衛というよりネタにつまったとしか思えない。 しかし、教授が創作の場に戻ってきてくれたことはうれしい。 『銀色の〜』はいつ読んでもかならず涙がでる。 『甲子園の〜」は催涙率80パーセントだが、今回は『メイプル戦記』と併読して、どっときた。 仁科夫婦の対決シーンは、カーラ節全開だった。 こころがつかれたときは、カーラ教授の哲学的せりふと涙全開のドラマにいやされます。 |
本を探す時間が惜しい。 最近、ほんとに本探しで苦労しています。 本を買うほうじゃなくて、自宅の本を探すことが悩みのたねなんです。 読みたい本がどこにあるのか、さっぱりわからない。 すでに壱万冊はかるく超えているうえに、本棚に入りきらないのは段ボールにしまってある。 連日の帰宅が12時近くのせいで、本のある自室にいることがほとんどない。 すでに本棚のどこになんの本があるか忘れてしまいました。 記憶力には自信があったのだけど、自室に入れないので覚えているのは無理ですな。 連休を利用して、本探しをしてみました。 すると意外な発見が−− 自分の部屋には、最近の古本屋なんかめじゃないほどおもしろい(もちろん、自分的に)古書がしこたまあったのです! PCのデータ(エクセル版蔵書録)にも入力していない本や、20年以上前からつけているペーパーの蔵書記録にも書いていない本がぽろぽろみつかって嬉しいやら、哀しいやら。 哀しいのは、所蔵していることさえ忘れている自分の境遇ですね−−本をよむ時間がほしい!! それにしても−−これだけ本があると、大きな地震がきたらすごいことになりそう。 地震のときは、まっさきに自室から飛び出すようにしなくては。 本で押しつぶされて死ぬ学者が主人公の小説を書いたのは、中島敦だったか、ボルヘスだったか。 |
『仮面ライダー Spirits』(村枝賢一)7巻を購入。 ショッカー・ライダーをゼクロスと本郷ライダーが撃破するシーンにじんときました。 村枝ライダーは泣かせるなあ。 ほんとに涙がでるんだから−− おっさん殺しです−−あんまり嬉しくないほめ方だろうけど。 この人は絵がものすごくうまい。立花藤兵衛の絵をみていると小林昭二の声が聞こえてくる。 実際、V3まではオンタイムで熱心にみていたから、マンガをみていると藤岡弘・佐々木剛・宮内洋の声を再現しながら呼んでいます。 ただ、滝和也と地獄大使はTV版とキャラクターと違うので、千葉治郎・潮健児の声がでてこない。 個人的には村枝版の滝や地獄大使(or暗闇大使)のほうが好きだけど。 古本屋で『フロイト1/2』(川原泉)と『メイプル戦記 1』(川原泉)を購入。 たのしく再読したけれど、『メイプル』を読むうちにセリフの多さに目がついていけなくなり、眼鏡をはずして読みました。 これが−−老眼というやつです。 川原泉が休筆せざるをえなくなった理由がわかりました。 ネームがこんなに多いんじゃ、マンガにはならん。 ネームが多くなるのは、漫画家にとって不吉な前兆です。 たいがい描けなくなるからです。 『ブレーメンII』で、マンガの世界にもどってきてくれたことで安心しました。 |
『物語 古代ギリシア人の歴史』(周藤芳幸)を再読しました。 考古学者が書いた古代ギリシア史です。 小説風のエピソードをつらねて、古代ギリシアの歴史を再構成する試みはあんまり成功しているようにはみえません。 小説のネタの解説が、ギリシア史の解説にかぶるという趣向は、アマチュア歴史作家のわたしからみると、うーんと首をひねらざるをえない。 よく勉強している(!)という雰囲気が好感をもてますが、しょせんは素人芸の域をでていない。 学者だからダメなのではなく、まじめすぎて遊びがないのがいけない。 周藤さんの考古学の本をよんだことがあるけれど、そちらのほうがおもしろかった。 (書名は忘れました……) ただ古代ギリシア愛好家としては、周藤さんの気持ちはいたいほどわかります。 どうしたら、古代ギリシアに興味をもってもらえるのか。 ギリシアは人気がないですからね。ローマやエジプトみたいな派手さがない。 アテネに一日いれば普通のひとは「おなかいっぱい」です。 あとは一刻も早くローマかカイロに生きたくなる。 雑草が生えている廃墟、大理石の神殿、美術教室の石膏像みたいな彫像。 そんなものの洪水に耐えられる物好きはそういない。 ちょろっと古代ギリシア語をかじっていると、廃墟がUSJよりおもしろいテーマパークに変わるんだけど、やっぱりそんな物好きは…… ギリシアの楽しさやおもしろさをどうしたら、他の人たちに「布教」できるか。 愛好家の悩みはつきません。 ギリシアにはまる人って、古代だけじゃなく、現代ギリシアも気に入ってしまう。 ウーゾをのみ、オリーブをかじり、オリーブ・オイルまじりの料理に舌鼓をうつ。 こうなってくると、病気はなおりません。 『カラー版 ギリシャを巡る』(萩野矢 慶記)の著者も書いていたが、ギリシアは観光地として軽く扱われていて、リピーターになる人はほとんどいないそうだ。 ディープにはまった人は、現地で暮らすか学者になる。 この暗くて、深い河をこえる方法はないものか。 |
今日(10月2日)までの「ルーブル美術館所蔵古代エジプト展」。 9月17日に行ってきました。あらためて、古代エジプトのすごさにひかれました。 エジプト文明には熱烈なファンがいて、ヒエログリフの学習書も何冊もでている。 わたしも一冊持っていますが、ときどき眺める程度です。 カルチャー教室で勉強している人たちの熱意には負けますね。 ルーブル美術館所蔵のうち、200点を厳選して展示しているだけなのに、みるだけでくたびれた。これを毎日眺めて研究する人がいるなんて、想像しただけでふらっと気が遠くなりました。 TVの新日曜美術館で、研究者ギーメット・アンドレさんが話していたところでは考古学は記憶力が勝負だそうです。 10年、20年前にみつけた布きれや陶器の断片をみて、ジグソー・パズルのように組み合わせる能力が必要だと、楽しそうに話していた。 一生涯をかけて神経衰弱(トランプ)をやっているようなものですね。 職人だなあ。 お金儲けの上手な人より、こういうひとをわたしは尊敬します。 エジプト関係の展示会には、かならず行っています。 古代ギリシア人でさえ観光旅行ででかけたエジプト。 まだまだ謎と魅力がいっぱいです。 会場で『図説エジプトの死者の書』(村治笙子・片岸直美)を買ってきて読みました。 以前から持っていた『エジプトの死者の書』(石上玄一郎)は会場へ行く前に読み返しておきました。 石上さんの本は、ウォーリス・バッジ(故人)やトーマス・アレン(故人)の原語訳を参考にしてかかれているので、内容的に古いのではないかと心配だったので、河出書房新社の図説シリーズを買ってみました。 なにせどちらもエジプト学の泰斗とはいえ、すでに故人。バッジの訳業にいたっては1909年出版。ちょっと心配。 さすがにヒエログリフが読める新しい世代の専門家はちがいますね。 翻訳をなかだちにした隔靴掻痒の感じはなく、古代エジプト人の息づかいがきこえるような気がします。 村治・片岸版の「死者の書」はとてもおもしろく読めました。 エジプト文明とは生と同じくらいに死を考えた文明です。 死者の死後の生存に熱中した文明といえば、四大文明では中国くらいです。 中国も地底のピラミッドというべき王陵が発達していますね。 古代殷周文明のなごりをとどめた儒教の祭祀は、死者の供養が最大の関心事です。 「死者の書」が死者自身の死後の行動規範書と護身用のまじないを思い出すハンドブックであるのと対照的に、四書五経のうち「礼記」「春秋」は死者に対する生者の礼拝について書いてあります。 死者が動き回る世界を想像したエジプト人と、死者は要完全介護の高齢者だと考えた(?)中国人の違いは大きい。 日本の死者観は、エジプトよりも中国に近い。 漢字文明圏はいまだに健在というところでしょうか。 死後の世界については、もうひとつチベット密教の「死者の書」が有名ですね。 いつかこちらとエジプトの「死者の書」を読み比べてみるつもりです。 ところで、雑学をひとつ。 エジプト人は「死者の書」をそのようには呼ばず、「日の下(もと)に現れ出るための書」と呼んでいたとのことです。 この種の葬礼呪文集は王だけが昇天するための秘伝として、古くはピラミッドの内部にこっそり描かれていました(古王国時代:紀元前2650年頃から2180年頃)。 これを「ピラミッド・テキスト」といいます。 (ピラミッド・テキストはノストラダムスよりもすごい預言の書だというヨタ話はこの際関係ありません。) 時代が少しくだると、政府高官が棺にこの種の文書を刻むことを許されるようになりました(中王国時代:紀元前2040年頃から1785年)。政府高官というのはほとんど王の親戚(つまり王子・王女)なので、だんだんタガがゆるんできたのでしょうね。これを棺柩文書「コフィン・テキスト」と呼びます。 さらに時代がくだって、庶民がミイラの包帯、パピルスの文書、陶器、調度品、墓の壁にもこの種の文書を描くようになりました(新王国時代:紀元前1565年頃から1070年頃)。この風潮はローマ時代のはじめまでつづいたそうです。 ローマ時代でもミイラ作りは行われていたのです。 4700年前にはじまった古代エジプトの死者祭礼は、ギリシア・ローマ文明に吸収され、キリスト教にとどめをさされました。 キリスト教はエジプトやアジア文化圏と異なり、死者祭礼にはそれほどちからを入れていません。そのあげくの現代文明が死を忘れ、しまいには生命を軽んじるようになったのは無理もないことでした。 エジプトの「死者の書」をみるとき、現代がないがしろにしているもう一つの世界の大切さをあらためて思い出します。 |
© 工藤龍大