隠れキリシタンの続きです。 まずは余談をすこしばかり。 ザビエルが日本に渡航したのは、1549年。 反宗教改革をへて、近代カトリックの教義がかたまったトリエント公会議は1563年に終了。 日本の切支丹禁教令は、秀吉の切支丹布教禁止令が1587年をはじめとして、徳川秀忠の切支丹禁教令が1612年。 年表からみるかぎり、バリヤーニ、オルガンティノ、ルイス・フロイスといった宣教師たちは近代カトリックの教義に基づいて日本での布教を行ったと考えられます。 ところが、かれらとその同僚・部下の宣教師たちから教えをうけたはずの隠れキリシタンには反宗教改革の匂いのかけらも感じられません。 むしろ中世に逆戻りしたような殉教者信仰や、聖水(湧水)信仰が骨子となっている。 ワインとイースト抜きの聖餅が手に入らないために、聖餐式に相当する儀式では魚の刺身を食べるというぐらいがキリスト教との類似を思わせるだけです。 世間話をしながら、あいまに人目をはばかって祈り(オラショ)をとなえるというから、念仏講とどこが違うのか、素人にはよくわからない。 殉教者が殺された海岸が一種の聖地となるのですが、そこで非キリシタンが海水につかるとたたりにあうことになっています。 平安時代の怨霊信仰がキリスト教のもとで復活しているのです。 また殉教者ゆかりの土地にはなぜか湧水があり、その水をつかって「洗礼」や「浄め」の儀式を行います。 これはローマン・カトリックの教義というより、聖なる泉の水で悪霊退治をするアニミズムへの反対進化です。 神父という職務はなくなり、信者が潔斎をおこない(不浄のものに触れない、日常の労働をしない、夫婦生活を絶つ)洗礼や葬儀、悪霊払いをするという、かえってプロテスタント的な信者の互助組織が発達してゆきます。 これをみて連想するのは、戦国時代末期の浄土真宗や日蓮宗における信徒同士の相互扶助システムです。 カトリックの教義というより、戦国時代末期の村落共同体の成長と重ね合うかたちで布教と入信が行われている。 ここに日本における思想の受容の本質がみえているように思えます。 隠れキリシタンが奇蹟的にキリスト教を受容したのではなく、まったくべつの信仰−−あえていえば、キリスト教を神道に変質させたというのが実状です。 宣教師も存在せず、教義をとくひともいない。 そのなかで隠れキリシタンが先祖伝来の信仰をつづけてきたのはなぜか。 理由は意外なことに「信仰を捨てるとたたりがある」という恐れでした。 人類の救い主キリストという概念は失われ、たたる神として「納戸神」が恐れられました。「納戸神」とは納戸に隠されたマリア観音や聖母子像、ちょんまげ・かみしも姿のキリスト像です。 罪のあがない主ではなく、信仰をすてればたたる神としてイエスが恐れられていた。 一見ばかばかしくみえますが、「たたり」「祭祀者の当番制」「物神化」というあたりにひどく日本的な意匠がかいまみえますね。 いったい、日本人にとって宗教とはなんだったのか。 隠れキリシタンの信仰は、こんな重い問いをつきつけています。 |
『カクレキリシタン オラショ−魂の通奏低音』(宮崎賢太郎)を読みました。 いわゆる隠れキリシタンの実態を調査した労作です。 意外だったのは、隠れキリシタンには教義がないという事実です。 少なくとも、戦国時代に伝わったカトリックの教義は跡形もない。 聖書の内容も当然知らない。 ラテン語の祈祷を口伝えにしているうちに、意味不明の日本語が「オラショ(本来はラテン語の祈り=オラツィオ)」という呪文として使われるようになりました。 「出臼、ぱーてろ、我れ我れん給い」 というオラショは本来は次のような意味だそうです。 「デウス(もちろんラテン語の「神よ」)、パーテル(父よ)、憐れみ給え」 キリスト教学者ではないと、本来の意味を解読するのは不可能だそうです。 信者の人々も、本来の意味はわからず、マントラと同じ呪文だと考えている。 宮崎さんの著作を読むと、隠れキリシタンとは「日本化したカトリック」と考えるべきではなく、聖水信仰に基づいたアニミズムと定義すべきものらしい。 キリスト教というひどく理屈ずきな宗教は、現代に至ってもこの国では不人気です。 その理由は、仏教徒であれ神道信者であれ(さらにいえば無神論であれ)、日本人の宗教観の根深いところは昔もいまもアニミズムそのものだから、アニミズムを許容しない宗教にアレルギーがあるためです。 この本を読むまでは、隠れキリシタンがアニミズムを捨てて、反宗教改革時代のカトリックの教義を化石のように現代に伝えていると思いこんでいました。 これは、大変な誤解でした。 隠れキリシタンの問題は、じつに興味深いので来週続きを書くことにします。 |
『オルフェウス教』(レナル・ソレル)の続きです。 しばらく忙しくて、読書日記の更新にあいだがあいてしまいました。 オルフェウス教は、古代ギリシアにおいて死後の世界での救済を説いた宗教です。 古代ギリシアの宗教はご存じのように、教義をもたず、国家や共同体の成員が集団を統合するために祭祀を行うものでした。 日本でいえば、大化の改新以前の氏族社会に相当します。 ポリスという氏族共同体を構成する氏族に市民(ボリテース)それぞれが所属するという構図です。 ローマ帝国がギリシアを征服したあとも、この構図は続いていて、ローマ帝国が変質をとげ皇帝崇拝を採用してはじめてそちらに移行することになるのです。 そんなわけで、古代宗教にとって問題になるのは、生きている人だけ。死者を祀るのは生者がたたりを恐れて供養するためです。 死んだ人間は、影のような存在になって、供儀で屠殺される家畜の血でほそぼそとエネルギーをもらう情けない霊物になります。 地面の穴に注ぎ込まれた家畜の血が大地を流れて、冥界にそそぐとその血にむらがってむさぼる餓鬼というか吸血鬼みたいな存在です。 時代がすすむとさすがにこんな死後の世界には我慢できなくなってきます。 やがてエジプトやオリエントの冥界観を受け入れて、エリュシオンや「幸福の島」(どちらもギリシアの天国)の観念が生まれます。 さらに宗教的情操を求める人たちは、オルフェウス教の霊魂不滅を信じるようになったのです。 この教えの創始者は歴史的にはわかりません。こちらもエジプトやオリエントの再生儀礼に通暁した人々がギリシアに導いたのでしょう。 ただし冥界に住む吸血コウモリのような霊魂のあり方を、オルフェウス教徒も否定しているわけではありません。 オルフェウス教の教えに参入しない人の魂は、冥界で吸血コウモリのような情けない生き方をする信じています。 オルフェウス教徒がなぜそのように考えたのか。 理由のひとつは、独特な人類創世神話にあります。 一般的なギリシアの神話は、この際わきにおいておいてオルフェウス教の教義に限ると、人類は次のようになります。 ゼウスは自分の妹デーメーテールと交わり、娘ペルセフォネーを生ませた。 次にゼウスは娘ペルセフォネーと交わり、ディオニューソスを生ませた。 ゼウスは二重の近親結婚で生まれたディオニューソスに神々の王権を継がせるつもりだったが、古き神々ティーターン族のねたみを買ったディオニューソスは彼らに八つ裂きにされてむさぼり食われた。 ゼウスは怒って雷撃でティーターン族を焼き殺す。 人類は、燃え上がるティーターン族の遺体からたちのぼる煙から発生した−− これがオルフェウス教の創世神話です。 人類は近親相姦という罪と、ティーターン族の殺人(?殺神)と食人(?食神)の罪を背負うがゆえにあらかじめ不幸を背負っている。 生きているときの労苦と、死後の惨めなあり方はその罪のあかしというわけです。 ただし、二重の近親結婚により、最高神のゼウスの神性をどの神よりも色濃く受け継いだディオニューソスの肉と、ゼウスよりも古く天地創造のときに生まれたティーターン神族の肉を通じて、神々の神性も受け継いでいる。 だから、人間には神々と同じ不滅の因子があると、オルフェウス教徒は考えた。 宗教は死後の霊魂のあつかいを必ず問題にします。 デカルトやカントが倫理を考えたときに、死後の霊魂が存続することを仮定としてでも考慮にいれないかぎり、倫理をなりたたせる基盤がみつけられない事実を再確認しました。 死後の生の扱いは、倫理を考える前提として避けてとおれないのです。 そこを問題にしない現代仏教やキリスト教が、カルト宗教をはじめとする時代の難問に対応できないのは必然といえます。 交易に才能を発揮した鉄器時代のギリシア人が、宇宙のありようや人のあり方にまで思考をひろげたときに、当然のことながら倫理(人はどう生きるべきか)が問題となりました。 オルフェウス教がギリシア哲学の隠し設定になったのは、当然だといえます。 前にも書いたように、オルフェウス教はかちっとした教義をもとにつくられたのではなく、混沌とした創世神話をもとに儀礼としてなりたつアニミズム宗教だと思います。 古代ギリシア宗教は神道とも共通するアニミズム信仰であるだけに、日本人のわたしたちにはなんとなくわかりやすいですね。 |
© 工藤龍大