(キリシタンではありませんが…) メリークリスマス♪ 休日とはいえ、せわしない。 年賀状印刷で一日が暮れそうです。 昨日はワインでたのしくホームパーティー。 おとといの忘年会といい、連日飲みが続いています。 このところ、データの集計と分析をこころみています。 統計を仕事でつかったことがないので、どうしようかと思いました。 『Excelで学ぶ統計学』(田久浩志)という本を読みながら、Excelで標準偏差や正規分布などを学んでいます。 ただ、集めたデータの件数がすくないので「偏差や分布は考える必要がなかったかな」と苦笑い。 「なんでもやってみよう」というのが、モットーなので、いいんです、それでも。 おかげで、学生時代大嫌いだった数学にアレルギーがなくなりつつあるのだから。 世の中はオカルトへ傾斜しつつありますが、こんなときだから、科学が面白い。 ローテクとハイテクは紙一重です。 ハイテクの基盤に、日本の町工場の手作業があることは常識ですから。 そういえば、昨日はロボコンの中継があったのに、ワインにうかれてみそこなってしまった。 残念っ!みておけばよかった。 高専や中高生がロボットをつくる時代なんて−−鉄腕アトムがお茶の水を歩いているより素敵だ! やっとドイツ史の新書がみつかりました。 あとは『キリスト教の歴史』ともう一冊の新書をみつけるだけ。 本を読むよりも、本を探す方に時間をとられるなんて本末転倒だよなあ。 |
4日に予告した件について書こうとしたら、肝心の本がどこかへいってしまって発見できません。 本が見つかるまで、こちらはおあずけ。 そこで、先々週に読んだ本を紹介します。 『ちんぷんかんぷん it's Greek』(橋本滋男)。 同志社大学神学部教授による新約聖書のギリシア語を題材にした軽い読み物です。 ただギリシア語の文法からみて、いろいろな推理ができることを楽しく解説しているのでギリシア語学習者には面白く読めます。 たとえば、群衆に囲まれたイエスを見ようとして、木に登った男がいます。 そのことを描写した文に、「彼の背が低かったので群衆に隠れて姿がみえなかった」と読める分詞構文がある。 この場合、「彼」とは誰なのか。 代名詞の直前にある固有名詞はイエスなので、素直に解釈すればイエスは背が低かったということになる。 しかし、イエスが小柄だと図像的に具合が悪いので(神の子だから!)、訳はあいまいにぼかしているそうです。 遠藤周作の小説では、イエスは小男とされているから読書人には珍しくもない話ですね。 ただし、ギリシア語の一文がその証拠となっているのが面白い−−というのは、語学バカの言い草かな。(笑) それと著者の指摘であらためて思い出したのが、古代ギリシア語には平叙文と疑問文の区別がないことです。 疑問代名詞があれば当然わかりますが、単純疑問文と平叙文はわからない。 その点、ギリシア語は日本語と似ています。語順も自由なので、文の最後まで読まないと疑問文の可能性があることすらわからない。 著者の橋本さんがあげるのは、イエスの処刑後に「かれは神の子だった」といったローマの百人隊長の言葉。 これだって、「かれは神の子だったのか?」という自問自答と解釈していっこうにかまわない。 古代ギリシア語写本には、カンマ、ピリオドもなければ、疑問文の文末をあらわす記号「;」もない。 どこで文を区切るかは、ルネサンス以来のギリシア語研究によらなければわかりません。 ロエブやオックスフォードの対訳本のギリシア語本文のピリオドはそうした注釈学者たちの蓄積があってのこと。 この事情は、日本の古典にもいえますね。 あれも写本の段階では句読点はない。そのうえ、変体かなで書かれているから素人が写本を読むのは無理です。 こうしたギリシア語の特性から、さまざまな神学論争が起こったのは仕方ありませんね。 新約聖書の福音書、使徒行伝、書簡集は、ご存じの通り個々別々の時期に伝承がまとめられました。 新約聖書というかたちでまとまるのが、紀元後100年くらい。 それが正典としてテキストの統一をみるのが、紀元後180年頃。 五賢帝の最後のひとり、マルクス・アウレリウスとそのバカ息子コンモドゥスの治世ぐらいにあたります。 ネロ皇帝が弾圧をしたころには、新約聖書のテキストはまだ固まっていなかったのです。 そしてキリスト教内部で深刻な神学論争が行われるのが、四世紀。 アリウス派の始祖、アリウスは毒を盛られて死にました。 これほど激しい論争の原因に、カンマもピリオドもなく、平叙文と疑問文の区別がつかないギリシア語の特性が関係しているとしたら、橋本教授のたのしい本もあまり笑えませんね。 |
ドイツ史関係の新書二冊と、講談社学術文庫『キリスト教の歴史』(小田垣雅也)を読みました。 新書は『ドイツ史10講』(坂井栄八郎)と『魔女とカルトのドイツ史』(浜本隆志)。 ヨーロッパという世界が真に誕生したのは、もちろん中世です。 そしてこの世界の根には、ゲルマン・ケルトの基層文化とヨーロッパ独自のキリスト教がある。これは現代でも変わらない。 中世ヨーロッパのキリスト教を考えるポイントは、ドイツにあります。 シャルルマーニュ(カール大帝)のキリスト教=帝国理念を唯一受け継いだために、ドイツは近代に乗り損ねたといっても過言ではありません。 シャルルマーニュの理念を継承することに失敗したフランスと、もともとシャルルマーニュとは無関係なイギリスが百年戦争によって地方領主を弱体化させたことがヨーロッパ近代のはじまりです。 いっぽうで、ドイツで近代戦争の幕開けとなる凄惨な三十年戦争が行われたことも、偶然ではなく歴史の必然でした。 現代の戦争法や国際法は、三十年戦争によって誕生したというのが、わたしの持論です。 それぞれ薄い本ではあるけれど、いろいろ書きたいことがあるので、詳細は来週の宿題とさせてください。 来週をお楽しみに。 |
© 工藤龍大