お気楽読書日記:6月

作成 工藤龍大


6月

6月25日

今週は多忙ながら、いろいろ読みました。
『原典ユダの福音書』(カッセル他)
『マグダラのマリアと聖杯』(M・スタバード)
『プリンシパルのない日本』(白州次郎)
『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン)上中下

『ダ・ヴィンチ・コード』のタネ本という『マグダラのマリアと聖杯』を読んでから、小説を読みました。
謎としてはたわいもない(こけおどかし?)ものだが、おもしろさは抜群だった。
たっぷり楽しめました。

『原典ユダの福音書』はグノーシス主義の福音書のひとつ。
『マグダラのマリアと聖杯』とあわせて読むと、カトリシズム成立の苦闘がうかがえて興味深い。

『プリンシパルのない日本』は、「漢」白州次郎の魅力が横溢。
かれの政治論がいまだにすがすがしく読めるのは、真実は時間を超越していることの証明といえる。

本日は、東京都美術館の「プラド美術館展」に行ってきました。
ここの展示技術は最悪です。展示の配列が人の流れを考慮していない。
人だかりで肝心の絵がよく見えないのはいつもとおり。
進歩のない美術館だといつもながら腹がたつ。

いろいろあった一週間。
来週も死なない程度に仕事をこなそうと思います。

いろいろ計画はあるけれど、なかなか進みませんね。
新しい小説の構想も遅々としてすすまず。
だんだんみえてきたような気もするので、もうひとがんばりかな−−と思っています。

先頭に戻る | 目次に戻る

6月18日

いろいろ不安な日記となっているため、心配して連絡してくれた皆さん、ありがとう。
いちおう元気に暮らしています。

ご安心ください。

金曜日には家人の師匠のお琴ライブに行ってきました。
その後、ライブに来てくれたKさんと飲みにゆき、話をきいてもらいました。
ありがとう、Kさんと奥さんのMさん!
わたしども、夫婦ともども感謝感激です。

翌土曜日は、暗い雰囲気を吹き飛ばすため、山梨県勝沼までドライブにいってきました。

勝沼町営ぶどうの丘で、ワインのティスティングを愉しんだのち、付近を散歩して食事してきました。

蒸し暑かったけれど、きれいな風景を堪能しました。

もうブドウには袋をつけているんですね。
最初はあの白いものはなんだろうと不思議でしたが、近くでみて正体がわかりました。

このところ、忙しくろくに読書もできません。
通勤中に聞いているラジオ中国語講座だけが楽しみです。

今週は病院で定期検診があります。
数値が悪化していないかどうか心配です。
くよくよ考えたところで、数値が良くなるものでもなし。

なるべきポジティブなことだけを考えるつもりです。

今日は好きなギリシア関係の本を読み、ひさしぶりにギリシア語をやってみます。
「人生を愉しむ」って大事ですね。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

6月11日

連休明けから、ひどいことになっています。

過労からメンタルヘルスのトラブルに見舞われた人が引き起こしたトラブルで休み間がありません。

気をつけないとこちらまでおかしくなりそう。

じんましんが出て医者へ行きました。
こちらは完治したようです。
忙しくて医者に行けないままですが、たぶん大丈夫だと思います。

それでも、仕事のための読書はかかせず続けたのは自分をほめてあげたい(涙)ですね。
ナルちゃんでもいい。たくましく生きていたい......

大きく予定が狂ったので、Perl本はまだ完読できず。
プログラムどころじゃない。

ただしウィークデイは毎日ラジオ中国語放送を聞いています。
最近おぼえたお気に入りのフレーズは......

「メイウェンティ」
「没問題」

大丈夫という意味です。
職場の同僚である中国人に聞いたので、発音もばっちり。
人生なにがあっても「メイウェンティ」!

昨日は、午後いっぱい寝てから、猛然と本を読みました。(以下は常体に変更)

『何があっても大丈夫』(櫻井 よしこ )
『言語の夢想者』(マリナ・ヤゲェーロ)
『メンタルヘルス・マネジメント検定試験公式テキストIII種セルフケアコース』(大阪商工会議所)
『フリーメーソンとモーツァルト』(茅田俊一)
『ウィーン 都市の詩学』(池内紀)

『フリーメーソンと〜』はまだ読みかけだが、他は読了。
午後7時くらいから12時で一気読みだ。
よほど知的刺激にうえていたのか、かるく読めてしまった。

『メンタルヘルス・マネジメント検定試験公式テキスト〜」は日経新聞の宣伝をみて買った。
例の事件があってから「メンタルヘルス」という言葉が頭から離れない。
これが新手の風俗ジャンルであってくれたら.....(涙)

この本を読むと、いくつか思い当たる兆候がある。
出勤時間が異常になり、休日出勤を毎週始めたら、なにか問題が発生したとすぐに疑うべきだとわかった。

また作業効率が普段よりも激しく落ちていたら危険信号だ。

『ウィーン 都市の詩学』は再読。
ものの三十分もかからず読めた。
結局、ハプスブルク帝国には二十世紀の栄光と退廃のすべてがある。
乱暴な言い方をすれば、二十一世紀の現状は崩壊しつつあるハプスブルク帝国をなぞっているようにさえみえる。
これが無知な歴史マニアの戯言ではないことは、ハプスブルク帝国の歴史を知ればすぐわかる。
歴史が繰り返すことはないが、崩壊のプロセスには法則性がある!

『言語の夢想者』は、崩壊過程にある近代(バロック的世界秩序)システムに蹂躙された地域出身者が編んだ夢=普遍言語の不可能性を論破した快著。

人工言語、普遍言語の創造者たちの多くが、神聖ローマ帝国の断末魔に巻き込まれた中欧東欧出身者だった。

その代表が帝政ロシアに支配されたポーランド生まれのユダヤ人ザメンホフ。
エスペラントの創始者は、疎外の三重苦を背負っている(啓蒙主義から取り残された帝政ロシア、政治的自由をもたないたポーランド、そしてユダヤ人)。

そのエスペラントですら、地域主義的変質(各国語による「方言化」)は避けられなかった。もっとも、だからこそ数ある人工言語のなかでエスペラントだけが生き残っているわけだが。

「辺境」にすむ人々もまた人工言語に取り憑かれる。
グルジア人ニコライ・マール(ロシア人が差別するグルジア人であり、同性愛者だった)が同じグルジア人スターリンと手を組んだ「ヤペテ言語学」とアカデミー統制。
フランス人言語学者ヴィクトール・アンリによる「火星語」(実は霊媒エレーヌ・スミスの創作)の研究。

キリスト教のペンテコステ派の異言現象や、霊媒が創作する「外国語かかり」(火星語などの宇宙語や、霊媒がかつて聞いたこともない外国語を話すこと。ヘブライ語、サンスクリット語などが多い)。

こうした現象を含めて、ヤゲェーロは人工言語の不可能性を論じる。
その最大の標的としてあげられるのは、ドイツが生んだ最高の知性、ライプニッツだ。
ライプニッツは二十世紀に登場したさまざまな新しい知に影響力をおよぼしている人でもある。

こうしてみると、昨夜の読書は神聖ローマ帝国つながりだった。
「メンタルヘルス」も黄昏のハプスブルク帝国で誕生した心理療法の流れをくむものだから、同じ世界のDNAを持っている。

違う本を次々と広げながら、同じ夢をみていたことになる!

『何があっても大丈夫』は家人が図書館から借りてきた本を強奪して読んだ。
「今日の出来事」で登場したキャスターが、女にだらしない九州男の父に翻弄されながら、あまりにも立派な母の薫陶で自立した女性として生きる物語(自伝)である。

この本に登場する男はあまり颯爽としていない。
職業をもつ女性がかっこよすぎる。
この視点は男社会で苦労して作成したキャリア女性に共通のものだ。

矮小化して読むのはいけないと思うが、すこし割り引いて読む必要もある。

それにしても−−九州男児というのは、豪快とかバイタリティがあるとされるが、目の前にいる相手にだけ良い格好をするのでそこが浅い。
櫻井よしこの父の言動は「男」じゃない。
ずるいガキンチョのまま、世間をのしあるく。
だから、多くの女を泣かせて夜叉に変え、子どもを苦しみのどん底につきおとし、仕事も破綻する。

女の最悪の部分に、男性器をつけただけの生き物である。
この種の男を表現するのに動物の名前をあげるのは、ブタさんにもイヌさんにも失礼だ。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記




© 工藤龍大