ご無沙汰しました。 昨日はお休みしました。 この日記は、一日遅れで書いています。日曜日(14日)は風邪でダウンしてしまいました。 それというのも、土曜日に柄にもなく、雨の中ジョギングに出かけたのです。体力には自信があったのですけど…… 昨日は、本を読むどころか、TVも観ないで横になっていました。 運動は大切だけど、体力を考えてやらねばと痛感しました。 そんなわけで、「鉄人読書家」を自称しているくせに、昨日の戦績はゼロ。 すでに近視と乱視が強いので、横になったときは本は読まないようにしています。 読書家にとって、眼は生命。「長持ちさせなければ」と思います。 「身体が休むときは、眼も休む」 それが、わたしのモットーです。 ところで、昨日、小渕前首相が亡くなりましたね。 病院の説明は相変わらず要領をえません。入院前後の状況にも、「政治的判断」が働いていたようなので、国民には事情がわからず、政権交代もすっきりしませんでしたしね。 そんなこともあるので、先に書いたような無責任な疑いが浮かんできました。 じつは小渕首相は脳死状態だった。諸般の事情から、そのことは伏せられていた(例えば、臓器提供の問題、衆院選の時期調整など)。 いよいよ衆院選の日取りの調整もついたから、前首相の後継候補と、自民党の選挙戦略のために「亡くなってもらった」ほうが都合がよくなった。 生命維持装置が…… あんまり、人が悪すぎますね。こんなことを考えるのも。 でもね。もしかして、他の人だって、こんなことを考えているんじゃないんですか。 わたしたちは、もう政治も政治家もぜんぜん信用できなくなっているのですから。 とにかく、小渕さんの「全方位的気配り戦術」と「電話コミュニケーション」は、平和時の手法であって、難局に対処する危機管理型リーダー(IT革命時代のリーダーといいかえてもいいんでしょうが……)には無理だということだけは貴重な教訓として学んだ気がします。 必要な情報はどれほど痛みをともなうものでも、オープンにする開かれた意識がなければ、IT革命時代のリーダーはつとまらないということを教えてくれた功績は大きいでしょう。 政治家でも、評論家でもないわたしが、こんなことを言うのはヘンですか?(笑) IT革命は、やがて政治にも大きな変革をもたらすとおもいます。 皆さんのなかには、偉くて立派な肩書きがある方もいらっしゃるかもしれませんが、そうでなくても――つまり、別に偉くもないし、肩書きもなくても、社会に住む人たち独り独りが、IT革命時代は小なりといえども「リーダー」の自覚を持たなければ、自分の身を守ることさえできないのです。 ネタにつまって、つまらんことを書きましたね。(汗っ!) 明日は、なんとか立ち直りたいものです。 |
「すべての人は無知・無能であるべきだ」 兼好法師がそんなことを云っております。「徒然草」の第二百三十二段です。 たとえプロ並みだと自慢する知識・技量があっても、差し出がましいことはいわずに、黙っておれということらしい。本職には、本職しかしらないことがあるから、差し出がましいのは見苦しい。 だからといって、そらとぼけるのはよくない。知っていることを問われたら、はっきり答えるべきだ。 ――というようなことを、後の第二百三十四段では云っています。わざとらしくなく、素直に振舞うのがいいと、兼好法師は考えています。 真心こめて、人を分け隔てすることなく、うやうやしく、言葉少なに。 面白がらせようとするよりも、さりげなく、ごく自然のように振舞うほうがよいとも。こちらは、第二百三十一段です。 いちおう目立つパフォーマンスをしなければ現代では駄目じゃないかとも、考えてはみましたが、胸に手をあてて考えると、心臓の鼓動がわかる……じゃなくて、兼好法師の云っていることが少なくとも気持ちよく生活するコツだと思えてきました。 「心地よい」というのは、感覚的で刹那的なようですが、<good>か<bad>かを判別する総合的識別装置としては最高ですね。 ゲーテいわく、感覚は欺かない。判断があやまつ……とか。 さて、昨日の宿題に戻りましょうか。三浦綾子さんの「母」を読んで、母性社会日本を考えることにします。 日本の社会が太古の昔から、母性社会であったことは間違いない。 たしかに、父親が娘を女郎に売ったり、強引に嫁にくれたりした男尊女卑な封建社会はあった。 ただし、「母性社会」というのは、その社会の行動原理が親切な(?)母性原理である社会だ。 欧米のように、「父性社会」の行動原理は冷酷だ。 例えば、日本では人身売買しても、性の提供者としての売買だ。人権は認められないが、家畜のように屠殺してよいということにはならない。 ところが、父性社会では金を払って買った娼婦(あるいはお嫁さん)は、購入者の娼家の主人や、財産家の夫が殺したって仕方がないというものだった。 妻を次々と殺す封建領主が主人公のお伽話「青ひげ」は、父性社会に生きる女の人の悪夢である。使用人をなぶり殺しにする主人や、妻を殴り殺す夫というのは、19世紀以前の西洋の文芸にはよく出てくるが、文学的誇張ではない。社会がそれを肯定していた。それがあんまりひどすぎたので、やっと19世紀末にウーマン・リブが生まれたのである。 話がずれたので元に戻す。「母性社会」では母子関係が濃厚で、その社会の男はいつも母性を求める。「母なるもの」に弱いのである。「お袋さん」というと、じんとする。 永遠にマザコンなのである。 福永法源という人も、そうした人だ。 おそらく、この国の男でそうでない人はいるのだろうか。わたしはいないと思う。女であっても、男がそうであることを嫌悪しているようでいながら、実はそうあることを期待している。夫が姑の召使であっても、息子は自分の召使になるからだ。だから、永久に母性社会はなくならない。 父性社会の罪が、「冷酷」であるとすれば、母性社会の罪は「腐敗」だろうか。 母性社会には、自浄能力があまりない。 いったん、悪の道を転がりだしたらとまらない。日本社会に社会的モラルがあったようにみえたのは、地域社会の相互チェックが強かったせいで、決して主体的なものではなかった。老人がいくら昔の教育はちゃんとしていたからと自慢しても、若い無作法な子がやっていることも、老人がやっていることも実質は同じだ。 他人といても、人の話を聞かないで携帯で電話ばかりをしていると老人は怒るが、老人だって他人の話を聞いていても、対話はしないで、死んだフリをしたまま仮死状態になっているだけだ。言挙げを嫌って対話したくないのは同じなのである。 だから、踏み込んだ対話や手持ち無沙汰な沈黙がはじまりそうになると、タヌキのように仮死状態になるか、携帯をかけるかだけの違いだ。 世間の愚痴ばかり云っているようだが、このことは最近気がついた、わりと自信のある考えである。 老人が云うように、時代が悪くてモラルが崩れたのではない。やってることは老人も若者と同じだと云いたいのである。ただ、表に出ている行動が違うだけだ。 簡単に想像がつくように、こうした生き方は破局に出会うとたちまち行き詰まる。 「母性社会」の行動原理では、破局には立ち向かえないのである。なぜなら、「母=神」というとんでもない空想の上に成り立つ幻想だからだ。これは、精神分析的にいえば、乳幼児期の母子一体感にもとづく全能感だ。(某野球監督の奥さんも、こうした全能感の持ち主のようだ)。 それが、現実の壁にぶちあたって崩壊したとき、幻想の神であることを止めたくない母は暴走する。そのいい例が、福永法源の母だ。息子の事業の失敗から、それまで信仰していた新興宗教を脱退して、その教義を真似たエセ宗教ビジネスを始めた。 いっぽう、そうでない母はどうなるか? 誰にも自慢できるすばらしい息子・多喜二を失った小林セキさんはどうだったか? そんなことを考えていると、「母」という作品は何よりもセキさんの成長物語であることがわかる。 母性社会の「母・神」として、すばらしい人間性の持ち主の天才作家・小林多喜二の母という聖母にも似た立場に自分をなぞらえたセキさんは、権力の手で最愛の息子を虐殺された。 セキさんの「母性社会の母−神」としての自己認識は、完全に崩壊してしまったのである。 三浦綾子さんの関心は、崩壊した「母性社会の母−神」がいかに再生できるのかという問いにあったような気がする。 戦時中に熱烈な軍国教育者だった三浦さんも、未婚の女性教師ではあるが、じつは「母性社会の母−神」だったという想いがあったに違いない。 セキさんが、キリスト教に「母性社会の神」を超える生きる原理を見出したという事実は、三浦さんの生き方と大いにシンクロする部分があった。 キリスト教が唯一の真理とは、クリスチャンならぬ私には思えないが、このことはいえる。 「母性社会」の呪縛を逃れるには、母と子という関係をこえる第三項が必要なのではないか。 弁証法という流行らぬ概念を借りると、「正」「反」という対立概念を止揚する「合」という立場をもってこないと、そのことは不可能なような気がする。 多喜二が死んだあとに、セキさんがキリスト教に入信しただけでなく、共産党に入党したことは、セキさんが第三項をそこに求めたからだとおもう。 共産党の性格について論議をするのは、主旨ではないので避けたい。 共産党とは、セキさんの目から見れば、多喜二が求めた社会正義そのものにみえたのであろう。 いいかえれば、幻想の母神信仰から、多喜二が抜け出して、発見した第三項(新しいカミ)だ。「愛し子」多喜二を失った聖母は、息子の霊の導きで「神」を発見したのである。 このことは、別に宗教的なことや、スピリチュアルな意味でいっているわけではない。 他にわかりやすいメタファーがないので、通俗すぎて誤解されることを承知で書いている。 破局に直面すると、母性社会はなすすべがない。 せいぜい子供と心中するだけだ。 だから、危機の時代には、母性社会の呪縛を逃れないことには、みんな共倒れになってしまう。 いま、わたしが考えているのは、母性社会の呪縛を逃れるプロセスだ。 子供(これは息子でも娘でもいいけれど)が、いままで親が知らなかった第三のすばらしい理想を発見する。 親はその理想に反発する。 しかし、なんらかの理由で、子供の発見が良いものだと信じて、親がそれを己の理想とするようになる――。 こう書くと、日蓮の父母みたいだが……(笑) やっぱり、わたしもあたまが堅いんですかね。 せっかく、三浦さんの作品を読んでいろいろ考えたんですけれど、けっきょくこんなありきたりの考えに到達してしまいました。 |
時事ネタを書く柄でもないんですが、「法の華」の福永法源というひとが逮捕されましたね。 逮捕されて連行されるところをニュースで観たのですが、大柄な人が背を丸めてベソをかいて車に乗り込んでいました。悪人なら、もっと堂々としていてほしいものです。 「法の華」が詐欺まがいの活動をしている報道はずいぶん前からされていましたが、TVニュースを観るたびに奇妙な気分がしていました。 福永法源という人の顔つきや、風采、体格がとてもリッチな政治家や実業家にしか見えなかったからです。 たぶん、こういう人がレストランや一流店にいくと、下にもおかない扱いを受けるだろうと思います。 堂々とした押し出しで、自信ありげに大声を出せば、たいていの接客業の人は揉み手をしてへいこらするんだろうなと思ってしまいました。 「そういうことはいかん」と、金も地位もないわたしはつい思います。でも接客業の人だって、好き好んでそういうことをしているのではない。子供がいたり、奥さんがいたり、愛人がいたり、隠し子がいたり、いろいろありすぎて、一概にはいえないけれど、大事におもう存在がいるわけで、その人々を喜ばせたいと思う情愛が卑屈ともいえる態度をとることに耐えさせるわけです。 可愛い大事な子供や孫のためなら、なんでもできる。たぶんよほどの愛妻家でもないかぎり、奥さん(または愛人)では駄目でしょうね……世の女の人には悪いけれど。 でも、女の人だって、亭主よりは子供や孫が大事でしょうから、お相子ですな。(笑) とにかく、子供が可愛いからこそ、なんだってできる。 いぜん、父が長いこと病院に入院したことがあります。そのとき、同室に長期入院していた洋品店のご主人がいました。その人は腎臓透析をうけていて、車椅子で動く身でありながら、パジャマ姿で病院じゅうを営業していました。 嫁入り直前の娘がいたので、少しでもお金を稼ぎたかったのですね。 体格、声、態度をふくめた「男の風采」というのは、そうして懸命に働く人にとっては、利用価値があるかどうかを判別する大事な指標というべきもの。あだや、おろそかにしてはいけない。それは、ビジネスの世界で生きる人の武器なのです。 ただし、その武器を逆手に取られると、立派な風采に騙されてしまう。ジャングルに生きる生物には、巧みに敵から逃れる習性がありますが、それを逆手にとる生物も必ずいるものです。知恵あるものは、知恵あるものに騙される――ということでしょう。 生活という現場では、男の風采はこんな具合にして、知恵の足りない人々にはなかなか有効な武器だといえます。そればっかりに気がとられているから、かえって裏をかきやすい。ジャングルの動物と同じですね。 そんなことをつらつら思うのも、福永法源や破綻した某銀行役員たちをみるにつけて、カルト宗教やいかがわしいビジネスでは、「風采」が武器になるのだなと痛感したからです。世間の常識を逆利用するのですね。 ところが、今回の逮捕で驚いたのは、福永には80歳近い母がいて、母が福永を操っていたという事実です。 大企業のトップといっても通用する福永が、その母の隣にいると、まるで頼りない子供のようにみえてしまう。 なんなんだ、これは――と、絶句してしまいました。 その母というのが、強欲そうなおばあさんで、よくみると「地獄の鬼」のように見えなくもない顔つきです。 長身の福永の横に、その半分の身長もなさそうな母がいる映像を観たのですが、なんでしょうね、あれは。小鬼に操られるデク人形という構図ですね。 この構図をみて、わたしは唖然として、情けなくて涙が出そうになりました。 宗教まがいの詐欺事件をやった男に対する怒りよりも、はてしなくマザコンな日本の男に身も世もない恥ずかしさを感じたのです。 ひとを顎でこきつかって、命令して、横柄にふるまい、傍若無人な言動をしていた大男が、子供ほどの背丈の母にすがって生きている。これが、現代日本の男なんですね。 母というものに、日本の男はデク人形みたいに絡み取られているのです。 マクラがえらく長くなってしまいましたが、本日の御題は「母」(三浦綾子)です。 三浦さんのファンには、周知のことでしょうが、これは「蟹工船」を書いた小林多喜二の母を主人公にした作品です。 秋田弁の独り語りの体裁になっているので、多喜二の母・小林セキさんの聞き書きみたいに思えてしまいます。 この小説を、小林多喜二の話だと思って読むひとはまずいないでしょうが、そう思って読んだら、ちょっとがっかりするでしょう。 多喜二がどれほど心優しく、強い男であったかということはわかりますが、小説家として何をしていたのか、当時非合法とされた共産党でどんな活動をしていたかということは、あんまり書いてありません。 三浦さんはキリスト教徒なので、共産党の思想そのものにはシンパシーがないのです。ただし、人身売買・差別が平然とまかりとおっていた戦前の社会を改革しようとする熱意には共感しておられますが。 だから、あくまでも視点となるのは、母のセキさんでした。セキさんはのちにキリスト教徒として受洗します。 とんでもない比較ですが、小林多喜二の母と、福永法源の母を並べてみると、なんともいえない感じがします。 セキさんは貧乏な家に生まれ、没落した豪農の家に13歳で嫁ぎました。 いっぽう、福永・母は裕福な家に嫁ぎ、夫を早くなくして、東京へ洋裁を勉強しにゆくために、二歳から九歳まで息子を実家に置いておきました。 同じようでありながら、多喜二は特高に殺され、福永は人を食い物にしました。 このことは、明日もう少し考えてみたいと思います。 それにしても……「栄華物語」はうんざりです。 じつは「方丈記」と「徒然草」を10年ぶりに読み返したのですが、こっちはすらすら読める。 「方丈記」なんて原文が短いせいもありますが、30分かからないで通読しました。 解説も含めてです。 どうやら、共感がわくとずんずん読めるようですね。 「栄華物語」は、自分の生活と親子のことしか眼中にない権力者一家の物語です。 なんだか、アホくさくなってきました。ホント。 オンナの人って、「華麗なる一族」とでも申しましょうか、こんな権力者一族のゴシップが大昔から好きだったんですね。 キミシマ・ファミリーの骨肉の争いを面白がるように…… このごろ、「栄華物語」を開くと、「よくぞ、ここまで読んできた」と自分を褒めてあげたくなります。(笑) 「人間しんぼうだ!」 と、初代・若乃花(現・藤島親方の叔父さん)の言葉を思い出して、がんばることにします。(笑) |
いまさらの話題ですが…… 人類にいちばん近い親戚・「ボノボ」の現地名がやっとわかりました。 読売新聞夕刊に特集記事が掲載されたおかげです。 「ビーリア」というのだそうです。なかなか美しい響きですね。「ボノボ」よりも、いいんじゃないでしょうか。 記事によると、「ボノボ」という名前の由来はわからないそうです。 いちばん有力な説では、アフリカから貨物船でヨーロッパに送られたときに、その名がついたそうです。 「ボロボ」という港で船積みされたのですが、かわいそうに木の箱に閉じこめられていました。その木箱に出港地「ボロボ」と書かれてあったのを、「ボノボ」と誤読されたとか。なんだか、ひと(?サル)を馬鹿にした話ですね。「ボノボ」が聞いたら、きっと怒るんじゃないでしょうか。 ところで、ボノボを絶滅においやっているのは、地域開発だけではなかったのです。 国際情報にうといわたしは、すっかり忘れていましたが、ボノボがいるコンゴ共和国は98年から内戦状態に突入しています。 そこで、食糧不足におちいった現地の兵士と住民が、ボノボを食べているのです。 嫌ったらしいチンパンジーや高貴なゴリラを食べるなんて、ちょっと想像したくないですが、アフリカはそれほど深刻なんですね。 アフリカの闇は深刻です。 <アフリカの角>というエティオピアでは、飢餓が深刻化しています。とにかく、内戦をやめない限り、援助してもどうにもならない。援助物資を使って、戦争をするのだから、もう手のつけようがありません。 こういうドツボにはまった国がいつか立ち直ることがあるのか。 アフリカは古代部族社会という社会の体質をそのままに、現代のグローバル・エコノミーに参加しています。悲惨です。21世紀も終わる頃になって、ようやく暁光がほのかに見えるだけのような気がします。 ところで、「地獄は一定棲みかぞかし ―小説 暁烏敏 ―」(石和 鷹)という本を読みました。 本日はそれについて書きます。 暁烏敏(あけがらす はや)という人は、明治に浄土真宗大谷派の改革運動をしたお坊さんだ。 非常にカリスマ性のある人だった。 現代のちょっと利口な人は親鸞の「歎異鈔」を読んでいたりするが、これを世に広めたのが、暁烏敏とその師匠・清沢満之(きよざわ まんし)だ。 それまで、親鸞の「歎異鈔」は真宗内部で封印されていた。一般信者でも読むことははばかられていた。 大正・昭和の作家たちが、おびただしい親鸞一代記を書いたのは、もとはといえば、清沢満之たちの真宗改革運動が発端だった。 もっとも、この改革運動は実質的には実を結ばずに、浄土真宗はいまだに権力闘争が盛んな宗派だ。 お坊さんたちの権力闘争を「宗政」という。 お寺の後継ぎに、ほんのすこしだけ元気があると、「宗政」というものはとてつもなく面白くて止められないらしい。 お坊さんの家に生まれた人で、頭がいいか、あるいは元気が良いと、まず寺は継がないそうだ。頭が悪くて、消極的な性格の人のほうが寺を継いでくれるからありがたいとか。 そのなかでも、ごくわずかにエネルギーがあると、「宗政」に走る。なかなか面白いものだ。 ところで、清沢満之や暁烏敏は、元気の良さは人に配って歩けるほど、頭の切れ味も同時代の超一級品という人々だった。 おりしも、仏教が人々から見捨てられはじめた時代の始りだったから、お寺の後継ぎの彼らは大いに張り切った。 暁烏敏が大活躍したのは、そんな時代である。 著者の石和 鷹という字は「いそわ たか」と読む。 これはペンネームで本名は石城顕という。文芸誌「すばる」の編集長を10年務めて、その間に小説も書いた。二度も、芥川賞候補になったとか。 この作品は、石和氏の遺作である。 喉頭ガンになって、声を失った身でありながら、この作品を書き、やがて発病して亡くなった。 死の前年に文芸誌「新潮」に連載して、なくなる年に本としてまとめた。 すでに、ガンの末期で、必死に校正して、本をまとめあげた。 石和氏にとっては、「白鳥の歌」(瀕死の白鳥が最後に渾身の力をこめて歌うという伝説がある……)なのである。 だが、内容については論評は避けよう。 この作品について、一読者の立場から、文句をいえばただの「人非人」になる。 うちでも、それで家人とケンカした。 よくやったねとエールを送らないと、やっぱりただの「悪人」ですね。 余計なことを言いたい自分を必死で押さえて、一言いえば、三浦綾子さんの作品を読んだ人には寂しい…… 石和さんは、ほんとうによく調べている。文章その他には文句はつけられない。 そのことは、はっきり書いておく。 「さらばわが無頼の友よ花吹雪けこの晩春のあかるい地獄」(福島泰樹) これは、解説で石和氏の友人・立松和平が紹介した共通の友人で歌人の福島泰樹氏の作品だ。 石和氏には「最後の無頼派」の異名があるそうだ。 「最後のなんたらかんたら」は、80・90年代に死んだブンガク関係者の戒名みたいなものだろうと思っているので、ふだんは聞き流している。 だが、この人は「無頼派」をきどって、そのように生きたのだろうということはわかる。 「無頼の魂が美しく紡いだ魂の慟哭」とでも、ブンガク関係者なら、言わざるをえない作品ではある。 このことを改めて考えてみると、旧来の「ぶんがく」は文芸という遊芸の一種であって、中国文学やヨーロッパ文学が持っている「学(ヴィッセンシャフト)」としての「知」の側面を持っていないのではないかという疑いがわきおこって、どうにも抑えきれずにいる。 「知」の側面といっても、アカデミズムではなくて、現実と死に物狂いで格闘する知性の働きだが、それは「ぶんがく」(明治以来の古い日本文学)にはないのではないか。 現代では、古い人しか知らないが、中上健次とか村上龍とか村上春樹という人たちの仕事が「学(ヴィッセンシャフト)」に相当する部分を持っているようにおもう。 よくよく考えてみると、三浦綾子さんや、司馬遼太郎さん、隆慶一郎さんも、そうだとおもう。 どうも、あんまり重いことなので、「学」というものについて、すんなり表現できない…… ただ、わたし自身が好む作家は、社会・現実と遊芸的・演芸的でなく、切り結ぶ姿勢のある人だということはわかる。 好みや趣味の問題のように聞こえるだろうが、もっと根源的なものをかかえた事柄のようにおもう。 これは、当分宿題として、考えてみよう。 |
しばらく「栄華物語」は休んでいます。 どうも、厳しい読書なんで、髪の生え際が心配です。厄年はすぎましたが、まだ髪は大丈夫。でも、よくお手入れしておかないと西村雅彦みたいになってしまうのではないかと心配です。 頭髪が薄くても、あれだけ可愛いげがあれば、なんとかなるでしょうが、タイプが違うので無理。でも、カツラなんてことになると、デヴィ夫人にカツラを取られたインドネシア記者みたいで、かっこ悪すぎですね。 アタマの髪は大事にしたいと思います。 まるで、関係のないフリでしたが、本日は三浦綾子さんの「光あるうちに」を読みます。 「光あるうちに」という本の副題は、すごい。「道ありき第三部 信仰入門編」だ。 キリスト教徒でなければ、この副題をみたとたんに、1メートルくらい飛び退るかもしれない。 「信仰」という言葉は、現代日本では、「核廃棄物」や「ダイオキシン」くらいに物騒な印象を呼び起こすのではないか。 これは、クリスチャンの三浦綾子さんが、世間から反発を食らうことを怖れずに、自分の信仰を率直に吐露してくれた貴重な本だ。 ブンガクを好む人や、ブンガクを飯の種にしている人々が、忌み嫌うテーマをよくぞ書いてくれたとおもう。 新聞で知ったが、トラベル・ミステリーの大家が恋人の人妻作家と自分の生活を描いた「女流作家」という本が業界では話題を呼んでいるらしい。 もったいぶっているとわからないかもしれないので、はっきり書くと、西村京太郎が山村美沙のことを書いたのである。 本を読んだわけでないので、どうこう云うのもいかんとは思うけれど、少し腹が立った。 西村と山村は、編集者の「本が売れなければ、どうにもならない。出版社は慈善事業ではない」という言葉に刺激されて、道を誤ったのだという。 山村は権謀実数で「ミステリーの女王」になりあがり(どうやったら、そうなれるのか興味はあるが……)、西村は硬派の社会推理を捨てて、読み捨てのトラベル・ミステリー作者になった。 わたしは編集者に怒っているわけではない。西村の言い草に腹が立てている。 金が欲しくて、自分で売れ筋の作品を書いたのである。他人のせいにするな。 ――と、思うのである。 三浦さんのようにパーキンソン病や、大腸ガンや、帯状疱疹などの病気をかかえて、夫婦二人して筆一本で生活しながら、いわゆるブンガク好きが忌み嫌うキリスト教文学を書いた作家もいる。 「男のくせに、女々しいぞ」と思うのである。 それを思うと、同じクリスチャン作家遠藤周作氏の作風も「女々しい」感じがする。この人の作品に登場する人物は、よくぞここまで卑屈に生きられるものだと、感心するほかはない。 何冊か読んだら、キャラクターのパターンが見えたので、飽きてしまった。 なんだか読んでいるうちに、頭が剥げて痩せた中年男が赤いふんどし一本で裸踊りしている姿がイメージされて、気分が滅入ってくるのである。 (我ながら、すごい連想だ……大丈夫かな、わたしの脳ミソは?) それが現代日本の男が好む風景かもしれない。 気にくわんなぁー。 そこへゆくと、三浦綾子さんは断固として自分の信念を吐く。決して、上から見下すわけでなく、しっかりと断固として述べる。こういうのはいい。 しかし、また話題が変わるけれど、某有名女性脚本家の最近のエッセーは、有名人とお付合いができるようになったせいか、すっかりと庶民の立場を忘れて、大所高所から世の中を見ている。 経営危機が伝えられて、リストラ王と化した感じがある某プロ球団オーナー(本業はスーパーの経営者)の「冷酷さ」が好きだとぬかすまでに、ご立派になっておられる。 本質的にアホは、やっぱりどうしようもない。女だから、男だから、という考えは、我ながらあさはかであるな――と反省する。 ぜんぜん、話があさっての方へ行っているので、軌道修正しよう。 キリスト教でいちばん抵抗があるものは何か。 三浦さんは「原罪」という言葉だという。同感だ。 人間のどこに、「罪」なんてものがあるんだ。生まれてきた赤ん坊は、無垢そのものじゃないか。人間が「原罪」をもっていて、それはイエス・キリストでしか癒すことができないなんて、あまりにも勝手な言い草だ。 キリスト教に、カルト宗教めいたうさんくささを感じるのは、そんなところだろう。 神が人間をそんなに悪く創ったはずがない。 これが平均的日本人のカミ観念だ。 しかし、三浦さんの原罪に対する定義は見事だ。 どんな宗教学者の御説も、哲学者の卓見も、これに勝るものはないようにおもう。(わたしの知っている範囲ですけれど) それは、「原罪」とは「自分さえよければいい」という「自己中心」だというのである。 生物学の比ゆを借りれば、生物体がそなえている自己保存の本能そのものに、必然的に組み込まれたプログラムのバグともいえる。これは、わたしの勝手な翻訳だけど。 そういわれてみれば、思い当たることはいっぱいある。 他人がやっている悪はささいなものでも許せないけれど、自分がやっている分には大目に見る傾向。これがない人はまずいない。わたしもそう。自分に甘くて、他人に厳しい。 それは当たり前じゃないかという声もある。 しかし、それで本当にいいのかという疑問が湧いてくるのも人間だ。 ただ読み進めていくと、わかったことが一つある。 三浦さんの「原罪」とは、はっきりいえば、どこにでもあるこんな抽象的な話ではなかった。17歳で教師となり、戦時下で子供たちに軍事教育をしたことが、三浦さんが生涯抱えた「罪」だった。 その「罪」をわが身に許すには、三浦さんには13年間の療養生活だけでなく、生涯続くさまざまな病が必要だった。 それでも、三浦さんは自分を許しきることはできなかった。 三浦さんにとって、キリストとは、「原罪」を罰する存在ではなく、己を罰したくてどうしようもない三浦さん自身を解放するために、なくてはならない生命綱だった。 こんなに、自分をつきつめる人だからこそ、泣き言はいわない。 信念を堂々と文章にして、発表する。雄々しいのである。 マザコン日本の情けない男にならぬように、三浦さんの本で、男を磨かずばなるまい。もっと読まねばなりますまい。 読まずば、二度死ね……である! |
「栄華物語」はくたびれます。 やっと、後冷泉天皇となる皇子を産んで、道長の娘・嬉子が産後の肥立ちが悪くて死ぬあたりでストップしています。 あと少しで、道長が亡くなる「栄華物語」前半三十帖が終わるのですが…… 時間的にいうと、この時点で万寿二年(1025年)です。 道長は万寿四年の十二月に死ぬので、あと二年ですね。早く死んでほしいものです……(ヲイヲイ) 前半のハイライトは、道長の二人の娘・皇太后彰子(一条天皇中宮)の出家、と皇太后妍子(三条天皇中宮)の若すぎる死(三十四歳)ですね。 そして、もちろん道長の死と、その葬儀です。平安生活アドヴァイザーをめざす身としては(冗談です!)、御堂殿道長公の葬儀が何よりも楽しみです。 さて、さすがにくたびれたので、本日は話題を中国古典にします。 日曜日に外出した折に、「論語」の本をいくつか買う。 講談社文庫版の「論語」と和辻哲郎の「孔子」(岩波文庫)、白川静氏の「孔子伝」、金谷治氏の「孔子」である。みんな文庫だが、この頃は良質の本が文庫で出ているのでありがたい。 とくに、和辻や白川静氏の本は本格的な論考だから、文庫だからといって馬鹿にはできない。内容がないけれど装丁が立派な本を愛するタイプの読書家ではないので、手に入りやすいし、持ち運びに便利な文庫はありがたい。 本を読む習慣のない人は、どうやら逆らしくて、文庫があるのに、わざわざハードカバーを買う人がいるのを知って驚いた。 そちらのほうが、読んだという感じがするという。まあ、読書家としては大喰らいの部類に属する人間には、よくわからない世界ではある。 金がかかって仕方がないと思うのは、もちろん余計なお世話で、一生に数冊しか読まない人であれば、それで充分におつりが来るのだろう。 とにかく、これだけ「論語」関係の本が集まったのは嬉しい。 一冊の古典をこれだけ集めるのはバカみたいだが、岩波文庫だけを読むと、孔子が嫌な老人にしか思えない。 手軽に入手できるものとしては、中公文庫の「論語」が貝塚茂樹先生の注釈を含めて、いちばん優れているとおもう。だが、結構斬新な解釈があると、貝塚先生もかかれているので、バランスをとるつもりで岩波文庫を見たが、これは気に食わない。アカデミズムの垢にまみれていて、嫌みったらしく思える。 訳をした人は偉い学者だと思うが、この翻訳で「論語」を読む限り、べつに時間を割いて読まなくてもいいような気がする。 注釈が少なくすぎて、歴史的理解が及ばず、孔子の言葉がとても愚かしく聞こえるのである。 たとえば、雍也編二十四章に古代の礼法で定められた杯のサイズが、孔子の時代にはわからなくなっているという記述がある。 岩波文庫版では明らかに説明が不足しているように思う。中公文庫版と講談社文庫版(木村栄一・訳注)では、わからないとはしながらも、注釈で丁寧に説明してくれている。 ただ細かい違いだから、世の利口な人は、よく読めばわかるとたしなめてくれるだろう。 だが、よく読んでしばらく考えてわかるというのは、翻訳ではない。 大事なのは、一読して意味がわかって、なおかつそれについて考えるということである。 第一段階でこんなにエネルギーを浪費して、いったいどうせいというのだろう。 いくら鉄人読書家でも、そんなに暇ではない。 というわけで、「論語」をいくつも読み比べてみると、内容がいよいよはっきりしてくる。 翻訳としていちばん優れているのは、中公文庫(貝塚茂樹先生)だが、説明の丁寧さでは講談社文庫(木村栄一氏)も捨てがたい。 岩波文庫(金谷治氏)のは、通説はどんなものか読むだけで、なんだかいっぱしわかったような気分になるけれど、よく考えれば納得できないという最悪のパターンだ。 厚さも他の二冊の半分だから、結局どうしようもないのかもしれないけれど。 「孫子」といえば、武田信玄や毛利元就も愛読していた兵法の聖典だ。 これも岩波文庫で、金谷治氏が訳注を担当している。 NHK大河ドラマで中村橋之助主演で「毛利元就」を放映したとき、遅まきながらも「孫子」を読んでみようかと思った。 毛利氏は平安時代に「孫子」の研究を集大成したとされる一大の碩学・大江匡房の子孫である。鎌倉時代の先祖には、楠木正成の兵法の師匠・大江時親という人物もいる。 「算多きは勝ち、少なきは敗れる」という「孫子」の言葉は、謀略好きの元就の座右の銘だった。 読もうと思ったのはいいけれど、……岩波文庫のあまりにもアカデミックな雰囲気は「孫子」という書物にはふさわしくなかった。 そこで、学者ではない人の「孫子」を読むことにした。 大橋武夫という会社社長さんで、もと日本陸軍の東部軍参謀だった人の書いた「兵法 孫子」という書物である。 この人は「兵法経営シリーズ」として、古今の軍事学をビジネスの局面に応用した経営指南書をたくさん書いている。 たぶん書店のビジネス書の棚にはいくらもころがっているのではないか。それほどの隠れたベストセラー作家である。 この人の「兵法 孫子」はけっして、ふざけた実用一点張りの思いつきではなく、きちんとした考証をする学者の方々の論を参考にしつつも、自分の体験に裏打ちしているので、とてもわかりやすい。 ほとほと感心してしまった。 肩書きで本を読むのは、昔から嫌いだったが、いよいよ確信した。 アタマのいい人は学者にはならない!(笑) ところで、ソフトバンクの孫正義さんは孫子の子孫だそうである。 「竜馬がゆく」と「孫子」をバイブルにして、天下をとった……とはマスコミのキャッチ・フレーズだ。 孫さんのビジネスが失墜することがあれば、きっと袋叩きにしようとてぐすねを引いているのに、なかなかヨイショがうまいなと感心する。 肩書きも、マスコミのレッテルも、当てにはならない。 情報社会なんて言葉に騙されずに、自分の目を信じて、アタマの良い人の本を見つけて読むようにしようと思う。 とくに古典はアカデミズムの硬直した読み方では、心情の面でも、実生活上でも納得できないことがある。 前に書いたこととは逆だが、いじましく右顧左眄して通説を総合した解釈では曖昧でよくわからないことも、勇気ある学者さんの言葉で、ぽんとわかる。 結局、これなんですよね。本を読む楽しさは。 耳学問して、聞きかじりをペラペラ喋る物知りオジさんには、わからない世界だと思います。 そういう人はよくいるけれど、なんだか疲れるんですよ。 しかも、話の枕に、「友達の精神科医が……」「有名政治家の秘書はわたしの友人で……」「……の本の出版社の社長と友達で……」なんて、ネーム・ドロッピングばかりやられると「アホか、この人は」と思ってしまいます。 世の中の偉い人とすべて、コネがあるような口ぶりで、うんざりすると同時に、なんだかとてもうさんくさく思えてしまって。(笑) そんな人は、もしかして、皆さんの周りにいませんか? |
本日(5月8日)も、<I love you>ウイルスは猛威を振るっているみたいですね。 皆さんはいかがですか。 わたしは、海外のニュース・メールをいろいろ購読していたりするので、メール・ウイルスが流行ると嫌ですね。 英文の怪しいダイレクト(電子)メールも送りつけられてきますしね。 とにかく、添付ファイルのあるメールは問答無用で削除することにしています。 知人は別ですが、メール・ウイルスはアドレス帳に登録されているユーザーに、勝手に送信しますから、送り先が知人でも安心できません。 不安な場合は、電話をかけて確認します。(笑) 神経質なようですが……なぜ、神経質なのかは知っている人は知っている。(わかる人だけ、笑ってください)(謎) ところで、村上龍が90年代の日本を分析した番組がNHKで放映されました。 わたしも購読しているメール・マガジン<Japan Mail Media>(編集長は村上龍)の寄稿者へのインタビューを骨子とした番組でした。 基本的には、村上龍がずっと昔から言ってきた「高度経済成長時代が日本のターニング・ポイント」というところでまとめられていましたね。 「日本型の組織は、70年代ですでに機能不全に陥っていた」というのが、村上龍の持論だから、まあ語るに落ちたというところでしょうか。 パワー・ブックを開いて、ホテルからサイバー・シティ・TOKYOの夜景を眺めつつ執筆していても、20年前に村上青年が原稿用紙に万年筆で字を埋めていたころと考えていることは同じなわけです。 「作家は、処女作にそのすべてが現れる」というのは、ほんとうなんだと実感しました。 しかし、このことは決して村上龍への評価を下げるものではなく、かれは作家としてはしごく誠実で真摯な部類に属すると改めて思うのです。 5年くらいごとに言う事がころころ変わる作家を、信用するのは考えものです。 生涯一テーマというのは、読み手からすれば「バカの一つ覚え」にしか見えないでしょうが、その人しかいえない問題を語りつづけることだけが、作家の宿業であって、読者を楽しませるというのはじつはニ次的な要素なのです。 作家が売れるかということは、作家の抱える問題と<時代の流れの歪み>がたまたまリンクした場合に限ります。 「売れることを目指せば、作家としてよって立つ基盤が失われる恐れがあるし、売れなければどうしようもない」 とは、よく言いますが、そんなきわどいところで戦うのが、本物なのです。 だから、村上龍は偉い!――と思います。 さて、休み中に完読するはずだった「栄華物語」でしたが、下巻の「楚王のゆめ」にたどりついたところです。 これは斜め読みできるものじゃありませんね。 目次と年表を机の上に置きながら、読まなければ、いま何の話をしているのか、ついわからなくなります。 政治的な事件のことはものすごく簡素に書いてあるくせに、衣装や調度は異常に詳しく書いているので、数日前に書いたように王朝版ファッション評論家になるつもりでもなければ、いいかげんうんざりします。 しかし、第八巻「はつ花」あたりからは作者とされる赤染衛門の見聞が入っているので、平安時代の貴族や女官の服装がいやになるほどよくわかります。 政治上の大事件よりも、女御、女宮、女官や貴族たちの服飾の色(カラー)のほうが重要なのだから、すごいものです。 当時は、公式の服装は裁断(カッティング)と仕立て(ソーイング)の部分は有職故実で決まっている(というか、有職故実が出来たのはまさにこの時代ですけれど)ので、勝負できるのは布の文様と染色だけなのです。 だから、しつこいほど服飾の色について記述しなければならないのです。 だから、公式行事には誰がどんな色の着物を着ていたかは、じつによくわかります。 <大饗>(だいきょう)という天皇とその妻(皇后・中宮などなどいろいろいるので、ひとまとめにこう書いてしまいます)や政府大官がおこなう公式パーティーのやり方や、藤原道長が次々と建立した大寺院の落成式のやり方もじつに詳しく書いてあって、さすがに第一級資料は凄いと思いましたね。 庶民の生活はさっぱりわからないけれど、貴族の公式行事だけはよくわかる。 「栄華物語」はそういう書物なのです。 しかし、いかに繁栄を誇っていても、当時の結婚制度から来る不安はいつも漂っています。 この頃の結婚は、<招聘婚制度>といって、子供は女親の実家が養育することになっています。しかも、男子は17歳くらいで、婿になって、婿になった家のバックアップで政界に乗り出します。実の父の政治力が問題なのではなく、舅の実力のほうが大切なのです。 だから、しかるべき婿をもたない娘や、婿入りしていない息子を残して死ぬ父親は、子の行く末を案じて不安と悲嘆のうちにみまかることになります。 藤原道長の甥で、権力闘争に敗れた藤原伊周は幼い娘を残して夭折するのですが、娘の行く末を案じていきます。 後ろ盾のない娘は尼にするしかないのですが、尼になればいかに貴人の娘とはいえ名もない坊主たちの慰み者にされかねない身の上なのです。 とんでもない話ですが、これが平安仏教の現実です。 伊周は悲嘆のうちに亡くなります。 こうした事情は天皇家でもまったく同じで、天皇のひ孫くらいでも遊女になる人もいます。 先に道長の兄・道兼に騙されて退位して出家した花山院は、出家してしばらくは山にこもって厳しい修行をして名だたる密教の行者となったのですが、その後は都に戻って愛人を次々とつくって暮らしました。 当然、子供もたくさん生まれます。 花山院が41歳で死ぬときにも、まだ幼い姫たちがいたほどです。 死の床にあった花山院は幼い姫たちに心を痛めて、死んだ後には必ず姫たちを迎えにくると言い残しました。 その言葉とおり、花山院の死後、幼い姫たちは次々と死んでゆきました。 人々は花山院の執念をしって、怖れるとともに哀れさに涙したといいます。 こうしてみると、「栄華物語」は悲惨と紙一重の虚飾の繁栄物語になってしまいますね。 貴族の豪奢な繁栄を描けば描くほど、かえってその裏の不安が覗けるようです。 たぶん、作者はこれをじゅうぶん狙っているんでしょうけれど。 |
5日の日記を書こうと思っていたら、書くべき内容が思い出せないので、いっきに昨日の日記(6日)にしてしまいます。 一日遅れの日記を書いていると、時間の感覚がずれてきますね。タイミングを逸すると、日記にはなりません。 ところで、世間では<I love You>ウイルス(別名:<Love Letter>ウイルス)が騒がれています。 犯人はフィリピン在住のドイツ人留学生だとして、捜索中だとか。 ドイツから、フィリピンに留学していったい何を学ぼうとしてたのでしょうか、この男は? そっちのほうが面白そうです。 しばらく、Yahoo!USA と ZDNet米国版はきびしくチェックせずばなりますまい。 しかし、Windows 98 のVBS(Visual Basic Script)は困り者ですね。 こんなものは、別に使わないので、機能offしてしまうに限ります。 マイクロソフトがこんな機能をつけてくれたおかげで、コンピュータ・ウイルスが悪さをしてしまうのです。 VBSとアウトルックは、コンピュータ・ウイルス作者を喜ばせるために、マイクロソフトが作ったのではないかと云うPC評論家もいますが、同感です。 Word・ExcelとアウトルックとVBSの組み合わせがあれば、どんな破壊的な行動でもウイルスはできるのですから。 ウイルス会社を儲けさせたいという善意のユーザー以外の方は、さっさとVBSを切ってしまいましょう! やり方は簡単です。 1)Windows 98の「設定」から「コントロール・パネル」を開く。 2)「アプリケーションの追加と削除」をクリックする。 3)「Windows ファイル」のタブをクリックする。 *)しばらく時間がかかるが、じきにインストール済みのコンポーネントが表示されます。 4)その中から「アクセサリ」にカーソルを合わせる。 5)すると「詳細」ボタンが表示されるので、クリックする。 6)表示された中から「Windows スクリプティング ホスト」のチェックボックスを観る。 7)チェックが入っていたら、そこをクリックしてチェックを消す。 8)「適用」ボタンを押す。念のために、「OK」ボタンも押しておく。 以上で、作業は終了。 今後はこの手のウイルスに悩まされることはないでしょう。 なおも心配であれば、各ウイルス対策会社の製品を導入することをお勧めします。 Windows 98では、「Windows スクリプティング ホスト」は初期設定ではオンになっていますから、ぜひチェックすることをお勧めします。 Windows 95で「Windows スクリプティング ホスト」を導入している方は、ご自分でマイクロソフトからダウンロードして設定したはずですから、機能をオフする方法もご存知でしょう。 本日はこれから、外出するので、ここまでとさせていただきます。 |
5月5日は、日記をアップしませんでした…… 本を読んでいたら、どうしようもなく疲れたので、ビデオを観て、寝てしまいました。 東京12チャンネルで流した「第三の男」をビデオに取ったのです。民放にしては珍しく字幕だったので、雰囲気がとてもよかったです。 なんど観ても、オーソン・ウェルズはいいですね。今日もビデオにとった「市民ケーン」を観るつもりです。「ローズ・バット……」なんてね。(観た人だけがわかる台詞でした!) ところで、やっぱり平安時代の女流文学はきついです。脳みそがくたくたです…… 男が書いたものなら、漢文でも古典でもそんなに疲れないんですけど。 わたしは現代ものでも女流作家が苦手なのですが、まさか古典でもそうだとは……気がつきませんでした。(泣) いよいよ「栄華物語」も中巻に突入しました。 このあたりから、やっと面白くなります。 ここまでは政治的な大事件がいっぱいあるのにもかかわらず、曖昧模糊とした書き方なので、「大鏡」のように「歴史実録もの」として読むことはできない。 藤原道長の実兄・道兼(のちの関白粟田殿)が、若い花山天皇を騙して退位させたのは、まぎれもない事実だが、そんなこともまるで書いていない。 臣籍降下した醍醐天皇の皇子・源高明を、道長の父・師輔が謀略で失脚させた「安和の変」のことでさえ、根も葉もない噂で事件に巻き込まれて気の毒というしらじらしい書きぶりだ。 「栄華物語」の作者は通説ではふたりいることになっている。 作品は40巻で構成されていて、30巻まで書いたのが、女流歌人・赤染衛門。残りは「出羽の弁」という人物の作とされる。 赤染衛門は道長の妻・倫子(宇多天皇の孫・源雅信の娘)と、その娘・上東門院彰子(一条天皇中宮・後一条天皇母)に仕えた人だから、道長本人やその祖父(師輔)・父(兼家)の謀略に倒された人々のことを詳しく書かないのも仕方がない。 とにかく、道長の家系にとって政敵になる天皇、貴族たちは降って沸いたような不運にあって次々と没落してゆくのである。 だから、かなり退屈である。 しかし、天皇や宮たち、そして上級貴族の恋愛については、いやに詳しい。だれの顔がきれいだ、子供が愛くるしくて利発だとか、という世間の評判にも目配りを忘れない。 これは、「おんな」ならではの視点というしかない。いっそ「恋愛ホームドラマ史観」とでもいうべきであろうか。 そう考えると、「栄華物語」とは、ファッションやインテリア(家具・調度)、ガーデニング(庭の造作と維持)の情報を満載しただけでなく、ゴシップもたっぷりある平安版総合「女性誌」ともいえる。 男と女の視点は、こんなにも違うものだろうかと、「大鏡」と比較してみると、ほとほと感じ入るほかはない。 わたしのような読者は、目眩がしてきて当然だ。 とはいえ、岩波文庫(三巻本)の中巻にある「はつ花」に入ると、いっきに面白くなった。 それまでは、物語の中心は道長一家の政敵たちなので、話題もその人々のゴシップ中心だった。 少ない情報でゴシップを流されても、後世の読者のほうが事情に通じているので、あほくさいというのが正直な感想だ。 ところが、このあたりになると、天皇を含めて道長一家の縁者ばかりが登場するので、描写がいっきに具体性をおびてくる。 「はつ花」の巻を読んでいると、後一条天皇の出産に出くわした。(天皇が出産したのではなく、誕生したのです。わかりにくい表現ですね、我ながら) 出産前後の行事がおそろしく詳しく書いてあるので、平安時代の出産についてはいきなりオーソリティーになってしまったような気がする。 前に「江次第」「江談抄」(大江匡房)や「中外抄」(藤原忠実)を読んで、牛車の正しい乗り方を知った。もし宇宙人の陰謀で、タイムスリップして平安時代に飛ばされるようなことがあったら、牛車の乗り方がわからなくて困っていた好漢・木曾義仲に指南してあげることができると思う。(笑) 「栄華物語」を最後まで読み進むと、平安時代のファッション、インテリア、ガーデニングにやたら詳しくなるはずだ。 めざせ、「おすぎのファッション・チェック:王朝版」(笑)。
訂正します! 申し訳ない。
あともう少しで、「栄華物語」も征服だ。TBSでやっていたのは「ピーコのファッションチェック」でした。 ここは「ピーコのファッション・チェック」ですね。 たまにしか見てないので間違いました。大ボケです。 鉄人読書家は、岩波文庫の日本古典と中国古典の完全制覇をめざして、日夜戦い続けるのです。(爆笑)
はははっ、爆笑ですわ。ほんと!(T T)
このボケをなんとかしなくちゃと思う鉄人読書家(笑止!)です。(号泣) |
昨日は読み残していた「選択本願念仏集」と「日本的霊性」(鈴木大拙)を読了しました。 「日本的霊性」について、岩波文庫の解説目録はこんなことを書いている。 「日本人の真の宗教意識、日本的霊性は、鎌倉時代に禅と浄土系思想によって初めて明白に顕現し……(以下、略)」 こう書いてあるし、鈴木大拙という人は禅宗(臨済宗)の禅僧でもあるから、きっと鎌倉時代の道元や栄西のことか書いてあるだろう。もしかしたら、日蓮や一遍のことも書いてあるかもしれないと思っていた。 しかし、実際に読んでみると、禅宗のことは具体的には書いていない。 むしろ、法然や親鸞の浄土系思想こそが、日本人の宗教感情であると宣言しているのである。 さらにいえば、禅宗の悟りの境地も「南無阿弥陀仏」の念仏者のそれと同じだと断言する。 江戸時代はじめの禅僧・鈴木正三のことがよく引き合いに出されるが、徳川旗本の出身で荒っぽい禅風で知られる鈴木正三の思想が念仏者の境地と同じであることを例証している。 意外だったのは、大拙は禅僧なのにもかかわらず、釈迦のインド的な臭みは日本においては不要なものだと考えている。 インドの仏教の原点に戻る必要はさらさらなくて、日本や中国のようにその地に根を生やして生きている「教え」が大切なのであって、原産地のブランドは有害無益だと喝破しているのである。 こういうきっぱりしたところは良いなと思う。 あれもいい、これもいいという中途半端はいちばんいけない。これがいいと思う。それで十分だ。 TVメディアの総花式仲良し主義は、精神と肉体にとって有害だ。 あれがいい。これがいい。それは嫌いだ。 そんな生き方が良い。 大拙は云う。法然や親鸞の教えは、仏教ではないという学者がいるが、それはそれでいい。「教え」が大切なのであって、仏教であるかないかは意味がない。 しびれますね、こういうきっぱりした人は。背筋が伸びて、気迫が横溢しています。 ところが法然や親鸞の理想は、すぐには実現されずに、この国の国民の気風に融けこむには江戸時代を待たなければならなかった。 蓮如はいま見直されているけれど、宗派が権力集団化してしまい、封建貴族化してしまったことは否定できない。 鈴木大拙は、ひとりの仏教詩人を紹介している。 明治維新の7年前に生まれて、昭和8年になくなった島根県の下駄職人さんである。 その人の名前は、浅原才市という。 「妙好人」(みょうこうにん)という、浄土真宗独特の宗教人格のひとりである。 下駄を作りながら、「南無阿弥陀仏」と唱えながら、特異な詩を作った。その詩は最初のうちはカンナ屑に書かれたが、老境になってノートに浄書された。 「わしが阿弥陀になるじゃない 阿弥陀の方からわしになる なむあみだぶつ」 才市の詩はこんな具合に単純きわまりない語彙で、阿弥陀仏に没我悟入する境地をうたいあげている。 鈴木大拙によって、才市の詩行は戦後ひろく紹介された。民芸運動を起こした柳宗悦は才市たち「妙好人」を日本的な倫理と美意識の最高峰と考えた。 鈴木大拙や柳宗悦の云うところが、このごろ少しわかりかけているように思う。 「ほんとのこと」(宮沢賢治風だけど)には、正当な仏教であることなど何の意味もない。 法然のはじめた「浄土の教え」がいまとても気にかかっている。 ところで、「妙好人」とは法然の「選択本願念仏集」や、法然がその浄土思想のアイデアを発見した唐の僧・善導の「観無量寿経疏」にある言葉だ。 「念仏の者は、……、人中の妙好人なり、人中の上々人なり、人中の稀有人なり」とある。 日本のいろいろな言葉や文化には、中国古典や漢文経典が入っています。 やはり中国古典、漢文を読まなければ、日本文化はわからないのでしょう。 そのうち、「浄土三部経」や「往生要集」(源信)も読むことにします。 でも、今のところは…… それというのも、いよいよ「栄華物語」(岩波文庫)を読み始めたからです。 正直なところ、かなりてこずっています。ひとつには、天皇の退位や病死という大事件を描いているのに、「もののあわれの文学」とでもいうか、あまり緊迫感がないのです。 政治や事件のダイナミズムが、文面からはあまり伝わってきませんね。 よくよく腰をすえて読まないと、大事件をうかうかと読みすごすことになります。 昨年は同時代の歴史を描いた「大鏡」を講談社学術文庫と岩波文庫を何度も併読して、かなり読み込みました。 おかげで、この時代の宮廷人たちの血縁関係や、政治事件については、講釈師ほどにはわかったような気がします。 その余禄でしょうが、「栄華物語」を読んでいても、人間関係や事件はよくわかります。 しかし……それでも「疲れるーっ!」 のです。 親王の名前がぼろぼろ出てくると、わけがわからなくなります。(笑) 三省堂の「世界年表」の天皇系図を横におきながら、これは後でなんという天皇になるんじゃろうと確かめながら読まないと、どうにもなりません。 岩波文庫はリクエスト復刊なので、注釈は不親切そのもの。注釈番号(103)の「宮」は「為平」というだけなので、素人にはどうせいと云うのでしょうか。とにかく、「宮」「摂政殿」「左大将」「右大将」「式部卿の宮」というのがやたらと出てくるのですが、これはほとんどが同名異人です。 藤原兼通・兼家の兄弟や、従兄弟の藤原頼忠が同じ章で「摂政殿」「関白殿」と呼ばれたりするわけですから、気がぬけません。 よく読んでいけば、兼通・頼忠・兼家の順番で就任するわけですから、わからないわけではありませんが、先の「摂政殿」の息女と書かれたら、兼通や頼忠のどちらの娘かはまずわかりません。 そんなわけで、注釈をみて、さらにそこに例えば「安子」と書いてあると、それは兼通や頼忠のどちらでもなく、頼忠の父・藤原実頼だったりするようなこともあるわけです。 とにかく、本文を注意して読んだうえに、味もそっけもない不親切のかたまりみたいな注釈をぱらぱらあちこち飛びながら読むわけで、ものすごくエネルギーを消耗します。 はたして、連休中に読みきることができるのか。 物好きなわたしも、不安にかられています。 「源氏物語」を読んでしまおうという一大プロジェクトは、さすがに諦めました。 「栄華物語」を読んでしまわないうちに、他の古典に手を出すのは無理です。しかし、こんなしんどいものは、今でなければ読めない気がします。 もうドツボにはまっています。やれやれ……です。 いまどき流行らない「根性の人」になるしかありませんね。 孫子曰く、「死地には即ち戦え」です。 まったり、まったりした平安文学そのものと、死闘するなんて…… われながら、ピントがずれてますね。 どうせ半音ずれたラテン人生です。ラ・クンバルシータです。(意味不明な言葉を口走って申し訳ない!) ところで、他のメールに埋もれて気づかなかったのですが、この読書日記を読んでくださる方からメールを頂戴していました。 更新ばかりに気をとられて、メールを読まないので気がつきませんでした。 仕事から帰ったら、必ず読んで頂いているなんて……(泣) ありがとうございます! メールをいただくと、ほんとうに励みになります。これからも、よろしくお願いします。(平伏)2 |
こんにちは、皆さん、いかがお過ごしですか。 本日は昼間からお酒を飲んじゃいました。 金沢へ行ったときに買ってきた「日栄」の「純米吟醸」です。 このあいだの旅行では、「日栄」と「福正宗」はさんざん飲んできました。 加賀といえば、「菊姫」と「天狗舞」しか知らなかったのですが、認識を改めました。 加賀文化の懐の深さを思い知らされた気分です。 良い酒とは文化そのものですね。 関東でも、「澤乃井」(東京都)や、「神亀」(埼玉県)なんて、良い地酒があります。 このごろ、習慣性成人病を避けるために、アルコールは控えるようにしているのですが、たまに飲みたくなるのは仕方がない。というわけで、近所にある品ぞろえに力を入れている酒屋にいそいそ行ってしまいます。 ここのご主人は、日本の地酒だけでなく、フランスやイタリアなんかに上質なワインを仕入れにいくなかなかの勉強家なので、どんなのが入るのかいつも楽しみにしています。 しかし……この調子で書き始めると収拾がつかなくなるので、心を鬼にして、強引に話を書物の方へ戻します。 本日の御題は「わたしはクラゲになりたい」(チチ松村)。 たぶん、「ゴンチチ」という二人組みの音楽集団は皆さんもよくご存知でしょう。 世間では「癒し系」の音楽とレッテルを貼ったりしていますが、アコースティック・ギターで素敵なサウンドを作ってくれる人たちです。 つい最近まで、わたしは「ゴンチチ」という名前の由来を知らなかったのですが、ゴンザレス三上とチチ松村というお二人の名前をとって、「ゴンチチ」だったんですね。 しかし、芸名にゴンザレスとかチチとか、ヒスパニック風につけるのは風流だなぁーと感心してしまいます。 いぜん、ちょっと通った英会話教室で自分に英語名をつけろというふざけたことを要求されたことがありますが、わたしはゴメスとか、エステバンとか名乗ってやろうと思いました。 だって、日本国内で金払って英語を習いにいくのに、アメリカ人の奴隷みたいに、イングリッシュ・ネームをつけるなんて腹が立つじゃありませんか。ジョンとか、トムとか、いえば満足したんでしょうか。あのアメリカ人英語教師は。 アンクル・トムとか、マルコム・エックスとか、モハメッド・アリとか名乗ってやろうかとも思いましたが、結局英会話教師の顔を見るのも嫌になって、通うのはやめました。 欧米人のスレーブやサーバントになりきれないところが、わたしの英語上達を妨げる最大の障害です。(笑) わたしはこのようにあちこちで衝突するのですが、チチ松村さんはクラゲのように絶対に衝突はしない「風流の人」です。 とにかく「流されるままに生きる」ということを信条としているところが凄い。 「ゴンチチ」の音楽などくだらないと、酔っ払いに面と言われても殴りかかりもせずに、受け流す大人です。 なかなかできることでありません。 この本は、クラゲの生き方に見せられたチチ松村さんが、クラゲを自宅の水槽で飼うという難事業に挑戦した記録です。 助っ人がまた凄い。 須磨水族館のクラゲ飼育係・武田さんや、クラゲの飼育一筋二十年の江ノ島水族館の志水和子女史という凄腕の人々だけでなく、クラゲの美麗図版画集というジャンルを日本読書界に切り開いた(ほんとかいな?)博物学者・荒俣宏氏まで巻き込んで、松村さんは日々をクラゲにささげて生きていたのです。 しかし、クラゲは本当に飼育が難しいらしくて、長くて一年、ほとんどは一ヶ月くらいで、文字とおり消えてなくなるのだそうです。死体もないのです。 クラゲは自分では泳ぐことができません。 ポンプの水流がなければ、水槽の底にへばりついているだけです。そして、水流がわずかでも強すぎると、水の循環パイプの取り付け口にひっかかって、たちまち身体や手足がちぎれる。再生力が強いので、失った部分や手足はすぐに再生します。しかし、それは身体の細胞を流用しているらしく、千切れた部分を再生するたびに身体が縮んでついには消滅してしまうのです。 クラゲたちとの出会いと別れを繰り返すうちに、チチ松村さんは南洋のパラオ諸島の山中にある「ジェリーフィッシュ・レーク」という湖にでかけて、クラゲの大群に身を埋めることにします。 そのために、パラオでスキューバの免許をとるためにレッスンを受けます。ゲリって、海中に垂れ流すほどがんばります。その甲斐あって、みごとダイバーの資格をとって、パラオの山の中にある「クラゲの湖」(ジェリーフィッシュ・レーク)に出かけるのでした。 しかし、チチさんはクラゲの大群の中に身を埋めながら、自分はクラゲになりきれていないことを激しく悟ります。 「クラゲを見たいがゆえに、パラオまでやってきて、なおかつダイバーの免許をとり、しかもはるばる車で数十分、そこから歩いて数時間の山の中まで来るとは、なんたるエゴであろうか」 松村さんは、クラゲの生き方にはほど遠い自分に涙するのでした。 チチ松村さんは、クラゲは生き物というより、キノコに近いのではないかと考えています。 キノコと同じように、いつのまにか消えてなくなるあり方そのものが、似ていると思うわけです。 いつか自分もそのように、風か水に溶けてなくなりたいと、チチ松村さんは思っているようです。 ドイツ・ロマン派のノーヴァリスの「サイスの弟子たち」という作品に、空気に溶けてなくなる少年錬金術師の譚がありましたね。 中島敦も「沙悟浄出世」でそんな妖精を描いています。 ロマンチストはよくこんな夢想をします。ユング派心理学では、宇宙の始源的大霊に同化・一体化して個我が消滅する幻想と分析していますね。 しかし、たよりなく儚げに聞こえる「ゴンチチ」のサウンドが、チチ松村さんとゴンザレス三上さんの強い意志の産物であるように、クラゲもそうそう儚げなしろものではないようです。 人間にたやすく飼われるような、やわな根性を持っていないがゆえに、じつは消滅しているのかも。 チチ松村さんは、戦国時代の頃の茶人にあこがれて、茶道をやっておられます。やっぱり、この人もクラゲのふりをした「傾き者」なんでしょうね。 「風流せい、風流せい」 隆慶一郎氏の「一無庵風流記」やそのマンガ版「華の慶次」の愛読者なら、お馴染みのフレースですけど、チチ松村さんもこんな「風流の人」なんでしょう。 ちなみに、松村さんはクラゲの水槽で奇妙なものを飼っているそうです。 厳密にいえば、飼っているとはいえないかもしれません。 それは、栄養剤「ポポンS」のビニル製詰め物です。 なんでも、それがクラゲそっくりだそうです。 やっぱり、この人は言葉の本当の意味で「茶人」ですね。 千利休が朝鮮庶民の飯茶碗を「井戸茶碗」という宝物に仕立てあげたり、フィリピンの水甕や痰壺を「呂宋壺」という名器に仕立てあげて、天下を手玉にとったのは、ご存知の方も多いでしょう。 「ポポンS」の詰め物も、大宗匠・チチ松村さんの手によって、みごと生き物になりかわったということで、本日はお開きにいたしまする。 |
いよいよ明日から大型連休ですね。 皆さんは休み中はどうして過ごす御予定ですか。 うちは、外出も面倒だし、遠出はとっくにしたから家で読書三昧しようと思っています。 こんな休みでないと、読めない古典とか英語の本とかを読破するつもりです。 ハリー・ポッターの二巻目・三巻目はもちろん、古典では途中まで読んで挫折したきりの「万葉集」(岩波文庫版)や「栄華物語」(同・三巻)に挑戦してみようとおもいます。 あらゆる文学は歴史文学であるというのが、わたしの読書のコンセプト。 貧弱な注釈しかない岩波文庫版でどこまで遊べるか、いまから楽しみにしています。(笑) ところで、本日のお題は「不思議な石のはなし」(種村季弘)です。 かの澁澤龍彦さんが亡くなったいま、<バロック趣味>の文学者がほんとにいなくなりましたね。 澁澤さんの親友だった種村さんくらいでしょうか。 英文学者の高山宏さんや仏文学者の鹿島茂さんのような博識で、語学力ばつぐんの方々はいらっしゃいますが、文学的想像力の異空間を構築して読者を遊ばせてくれるタイプではありません。 仏文学者では奥本大三郎さんや、独文学者の池内紀さんは大ファンなのですが、やっぱり<バロック趣味>とはちょっと違いますね。 ただ洋学(仏文学・独文学)と博物学(自然誌)と日本の古典に強いというところは、高山さんや鹿島さんとは違う。 高山さんと鹿島さんはポップなロック世代みたいなのりがあって、わたしはあまり楽しめない。 わたしの生活のリズムは和音階か、ラテンみたいです。 どうやら西洋音楽よりは半音ずれているらしいのです。そういう音楽だけが楽しいという感性の持ち主なので、ポップスやロックも含めて西洋音楽は駄目ですね。 東欧やフランスなんかのクラシック音楽はいけるのは、平均律でまとめられた西洋音階からわざとずらしているからでしょう。 得意でもない音楽のことを持ち出したのは、余談でした。 とにかく、<バロック>というのはヨーロッパ的なるものの本質に間違いなく根ざしているのですが、近代・現代ヨーロッパはいやにすがれて貧血気味です。 そんなのとは異質な豊穣な美が<バロック>にはあるといいたいわけです。 澁澤さんの異端趣味というもの、つづめてしまえば、近現代ヨーロッパの肺結核末期の死病美とは別の、健康なる野蛮への憧憬でしょうね。 サドは病的であるよりも、過剰に生命的なのです。 「過剰」というのが、バロックの本質で、「美は過剰にあり」ともしバロック好きな純文学作家が現れたら、のたまってくれたでしょうが、もちろんバロックはよほど変わり者の日本人にしかアピールしないので、いままでそういう人は出現しておりません。 話を戻すと、今回の「不思議な石のはなし」はずいぶん薄い本です。種村さんのエッセイと、画家瀬戸照さんの挿絵でわずか80ページくらい。 イラストはぽんと石を一個ずつ描いているだけ。なんだか変な感じがしませんか? でも、この石がなかなかいい。単純なスケッチではなく、瀬戸さんのイリュージョンがはいっている幻想絵画といってもいい。こんな石は現実にはありません。 ほとんど90パーセントほどは鉱物図鑑そのものからとったような精密なスーパーリアリズムの石・鉱石なのですが、あとわずが10パーセントはイリュージョンです。 でもあえていえば、これは石好きな人間が石をみるときもそうなんですよ。 石好きな人間は、石そのものを余人には見当がとれないくらい精密に観察するのですが、そのいっぽうで石という物体になにものかを幻視してしまうのです。石にはそういう不思議な作用があります。 瀬戸さんのイラストは、そうした意味で石好きの人の頭の中をモニタリングしているようなシュールな感覚があります。 本文を読んだあとでも、しばらくイラストばかり眺めていました。 しかし、石というのは面白い。 種村さんによると、ヨーロッパの学者たちは隕石が宇宙から落ちてくることをなかなか認めなかったそうです。やっと19世紀末になって、隕石が宇宙から来たことが公に認められたとか。それまでは、雷が落ちて地面から掘り出したのだとされていました。 国立科学博物館の再現ビデオでみたのですが、隕石は凄い爆音をたてて、空中を横切って大地に激突します。 知らない人がみたら、奇妙な雷が落ちてきたと思っても無理はないと思います。 中世くらいまでは石や岩石は成長したり、子供を産んだりすると考えられていました。 国歌「君が世」で「さざれ石の巌となりて」というのは、そうした思想のあらわれです。小石がだんだん成長して、巨岩になると思っていたのです。 そう云われると、石を愛する人間は、なんだか信じてしまいそうな気がします。 大昔、石川県では石を食べていたそうです。 石川県鶴来という町がありますが、ここでは飢饉のとき「石そうめん」という奇妙な石が天から降ってきて、飢えに苦しむ人々を救ったとか。 「甘味にして乳のごとし」というのですから、いちど食べてみたいような。 しかし、温泉好きの種村さんは温泉地でもある鶴来が加賀の銘酒「菊姫」の産地であることから、「石そうめん」は太古にこのあたりにいた仙女「菊姫」の薬草だったのではないかという身も蓋もない考証をしております。 ところで、「石が雲の根である」ということを教えてもらったのは、もちろん澁澤さんや種村さんから。 江戸時代一の奇石のコレクターであり、研究家だった木内石亭は、歴史上はじめての石の図鑑をつくりましたが、その著書に「雲根志」という名前をつけました。 「雲根」すなわち「石・岩石」のことです。 石好き読書人間としては、いつか木内石亭の「雲根志」をみてみたいものだと思います。 ところで、木内石亭には「天狗爪石奇談」という考証があります。 「天狗の爪」と呼ばれる奇妙な石を研究した本です。その石は三角形で尖っていて、米粒くらいから10数センチくらいまである。 浜辺の砂や、古い船板の隙間からみつかることもあるらしい。 いまでは、もちろん正体がわかっています。 古代サメの歯の化石です。化石や鉱物標本を売っているお店なら、ごくごく安い値段で買うことができます。 ところで、木内石亭は、「天狗爪石」は天狗が乱入した屋敷でみつかると書いているそうですが、そんな屋敷があるんですかね。(爆笑) こんな妖しげなところが、和洋の博物学の楽しいところで、わたしは大好きです。 |
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