ここ数日、親鸞のことばかり考えていたのはいいのですが、どうもお疲れ気味です。 「歎異抄」を一日で読んだのは、ヘビーだったようです。 古文にも慣れてきて、王朝ものでなければ、すんなり読めるのですが、「歎異抄」は中身が濃いので前頭葉が消化不良というか、筋肉痛を起こしたようです。 自分の脳のキャパシティを考えないといけませんね。(笑) というわけで、いきなり脳の筋肉(!)がつったらしくて、「絶望と歓喜――親鸞」の増谷文雄さんの解説が読めなくなりました。 頭が疲れて、もうダメっという感じです。 なぜ読めないかと書いていくと、蟻地獄に落ちたような堂堂巡りになるので、このへんで止めておきます。 ところでつまらない話ですが、ちょっと気になったことがわかったので書いておきます。 それは「歎異抄」という本の題名です。 岩波文庫版「歎異抄」の解説によると、この本は昔から「歎異鈔」または「歎異抄」と呼ばれてきました。 西本願寺が伝える蓮如が筆写した写本では「歎異鈔」となり、大谷大学(東本願寺)の所蔵する写本では「歎異抄」となっているそうです。 岩波文庫版の校訂者・金子大栄氏は大谷大学所蔵版をベースにしたので、「歎異抄」となっています。 MS−IMEでは、最初に変換すると「歎異鈔」と出てくるので、いままでうっかり「歎異鈔」と書いていました。 金子大栄氏が言うように、「抄」も「鈔」もまったく同じ意味の言葉だそうなので、ご勘弁のほどを。 日本語では、同意の異字を使うことは明治維新後の日本語改革まで別に悪いことだとされてこなかったので、こんなことがわりとあります。 でも、自分の不注意の弁解にはなりませんね。 ぼんやりと「歎異抄」を眺めていると、はっとしました。 なにか凄いことが書いてあると、どきりとしたのです。 それは、こういう一節でした。 「聖人(=親鸞のこと)のつねの仰せには、 弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、 ひとへに親鸞一人がためなり」 べつに現代語訳する必要もないとは思いますが、ちょっと「学」のあるところをひれかして、解説してみます。 亡くなった渥美清さんは含羞のある人で、ツバメをツバクロという具合に、世間の人さまと話をするときにやたらと雅語を使う癖があったそうです。 そんな稚気と笑って許してください。 「親鸞聖人がいつも仰っておられたことだが、 阿弥陀仏さまがとてつもない長い修行をへて考え抜き、実現されたホトケの目標は、 ただひとえにこの親鸞を救おうとするためのものだった」 とてもこれだけでは何をいっているかは、わからないと思うので、おせっかいながら解説してみます。 ホトケというのは、凡人が修行して成るものなのですが、その修行期間が半端ではありません。 阿弥陀仏は「五劫」というとてつもない時間を修行に費やしました。 「五劫」といえば、「劫」が五つ。(当たり前か!) では、「一劫」とはどれくらいか。 ためしに国語辞典で調べてみてください。 手間がかかって面倒くさい? そうでしょうね。(笑) ハードディスクに国語辞書を入れている人でも、マウスをクリックしたり、単語をドラッグ&ドロップしなければならない。面倒ですね。 でも、「劫」という時間概念は面倒臭いという感覚を極限にまで高めた概念なので、べつに国語辞書を引かなくてもいいです。 面倒だという感覚を百倍、千倍にしたのを想像して、さらにその感じを超える感覚をおぼろげに想像したら、たぶんそれが「劫」という概念にいちばん近いんじゃないでしょうか? とにかく、とんでもなく長い宇宙的な時間というわけです。 阿弥陀仏はその「劫」を五倍した期間のあいだ、ずっとホトケになる修行をして、やっとホトケになりました。 ただし神霊として不死のまま修行したというわけではなく、人間・動物・天使・魔というインド的輪廻思想の世界のなかで、生まれ変わり死に変わりして、苦労して修行してきたのです。 それだけでも大変ですが、まだ続きがあります。 ホトケには、約束事があって、自分が将来ホトケになったら、こんな理想世界(仏国土または浄土)を作りますと、達成目標を自分で決めて掲げなければなりません。 この「達成目標」を「願」または「本願」というのです。 その理想世界へ、苦しむ人々を招くのが、ホトケのお仕事です。 阿弥陀仏は「本願」として、すべての人に差別がない平等な理想世界を提唱しました。 そこでは、他のホトケの理想世界からいいところをすべて真似て、どの理想世界よりも素晴らしい理想世界にすると約束したのです。 自分の名前を唱える人はどんな人であれ、一人残らず、自分がつくった究極の理想世界に招待するということも、阿弥陀仏の「本願」です。 親鸞の言葉は、これほど阿弥陀仏が苦労してホトケになり、理想世界を築き、迷える人を救おうとしたのは、ほかならぬ自分のためだという意味です。 これだけ聞けば、何を云っているということになります。刑務所に入っているカルト教祖と同じです。 しかし、よく考えてみると、親鸞の云うことはカルト教祖とはまったく反対です。 阿弥陀仏の「本願」を主体的に受け入れようということなのです。 だから、この一節は 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、 ひとへに(*)一人がためなり」 親鸞という名前を出したのは、「阿弥陀仏は信じる者を一人残らず救う」という他人事のように考えるなということでしょう。 「阿弥陀仏は自分を救うために、出来ぬ苦労をしてくれたのだ」と念仏を唱える人は考えなさいといいたいわけです。 これをひどく勝手に解釈すると、「宇宙にはいつも自分を見守ってくれる存在がいる」「その存在はいつも自分を助けてくれようとしている」という確信だと思います。 親鸞にとっては、それは揺ぎ無い真理であったがゆえに、信念というよりは物理法則ほどにもしっかりした事実だったのです。 あまりにも古臭いうえに線香の臭いまでしてきそうですが、こういう感覚は日本人ならよほどすれた人でないかぎり、胸のどこかで素朴に抱いているような気がします。 日本人が人間性を回復するときは、そんな感覚が自然と沸いてくるのではないでしょうか。 わしには、そんな感覚はないぞという人がいれば、よっぽどヘンクツな頑固屋で理屈屋かも。 気をつけないと、老人性うつ病になるかもしれないので、ご注意のほどを。 でも、ひるがえって考えると、こういう感覚は決して日本人の専売特許というわけでもなく、精神的に平衡のとれた健康な生活を送る上では、人間にとって不可欠なものだという気もしています。 さきほどの言葉はまんざら冗談でもなく、理屈づけをしようとすると難しいくせに、どんな悪人でも漠然と抱いているこうした安心感があるおかげで、人間は精神病や神経症を発症せずにすんでいるのです。 逆にいえば、この宇宙論的かつ神秘論的な(さらにいってしまえば、科学的には根も葉もない)安心感が損なわれると、精神病・神経症的な素因が発動してしまうようです。 これは、専門の精神科医でもない素人の考えにすぎないのですが、そう思えてなりません。 大勢の偉い人たちが語った「歎異抄」について、いまさら何を云うことがあるかという気はしているのですけれど、わたしごとき者でも何か考えさせられてしまう不思議なパワーが、この本にはあるような気がします。 すいません。 前日の言葉は取り消します。 やっぱり、「歎異抄」はすばらしいです。 |
このごろ50代・60代の自殺が多いそうです。 戦後日本の主役だった団塊の世代ですね。 元気いっぱいの個人主義者・競争大好き人間の皆さんですが、心身の老いと展望のない将来に死を選ぶ人が増えているとか。 戦後日本の高度成長をささえた世代が、そのエネルギーを失って失速している――ということでしょう。 ご存知のように、GS出身者で作曲家井上大輔さんが自殺なさいました。 当年59歳。網膜はく離で手術して治らなかったことに悩んでいたというから、重症の糖尿病だったのかもしれません。 たぶん「うつ状態」になって、決行してしまったのでしょう。 「他人にさえ迷惑をかけなければ、何をやってもいい」というのが、この世代の哲学です。 それは、翻って云えば、「何が起きても人助けはしないし、人の助けは求めない」ということ。 「情けは人のためならず」という諺を、「へたに情けをかけると、本人のためにならないから、困っている人は見殺しにするように」と誤解した世代でもあります。 もちろん、諺の本当の意味はまったく反対で、「世の中、何が起こるかわからない。困っている人をみたら、明日は我が身と思って、助け合おう」という謙虚なものです。 聞けば、井上大輔さんは20数年前から自律神経失調症の奥さんの介護をしつつ、作曲の仕事をこなしていたそうです。 数年前までは、奥さんのお母さんが同居して手伝っていてくれたそうです。しかし、その義母も亡くなった。それからは、独りで介護と仕事を続けていた。 しかも、失明すると思い込んでしまった。 精神的に追い詰められていたと思います。 亡くなった故人のことをあげつらうのは、ぶしつけでよくないとは思いますが、こんなことを書いたのは、自分自身のライフ・スタイルを元気なうちにしっかり考えておかなければと思ったからです。 いくら医学が進んでも、老いの問題は避けられない。 しかも、人間は必ず死ぬ存在だ。 このことを踏まえて、いかに老い、いかに死ぬかを若いうちから考えておくべきでしょう。 でも、安易に覚悟を決めることだけはやめようと思います。 西洋の個人主義を真似た孤独な「団塊世代のライフ・スタイル」では、昨今の人気ミステリ作家さんたちが描くように、美しく自殺することしか解決はない。 それも観念的に(言い換えれば他人事の虚構と)考えているうちは善いのですが、実践してしまうのは知恵がなさすぎます。 わからないなりに、「いっしょうけんめい」考えて、試してみるしかありませんね。 「いっしょうけんめい」というのは、絶望した人にとってはとても不快なものですから、「いっしょうけんめい」生きていると、そうした絶望者さんたちにいろいろ意地悪されるでしょうが、それでも無心に「いっしょうけんめい」するのはいいもんです。 だいいち、可愛い!(笑) わたしは小動物(人間の子供も含めて!!)がものを食べている姿を見るのが好きです。 あれこそ、「いっしょうけんめい」という感じがします。 オタマジャクシやカルガモのヒナが泳いでいたりするのも、そうですね。 生きるということは、ひ弱でブザマで――可愛いことのような気がします。 肉食獣が獲物を殺して食っている姿は現実にみれば、かなりおぞましいものですが、たとえばブラウン管でのほほんと見ていると、血塗れのライオンの顔もなんだかあどけなくみえます。 たぶん、アフリカのサバンナで見れば、絶対にそうは思えないでしょうが……。 さて、話題を変えて、昨日の続きです。 「絶望と歓喜 <親鸞>」(増谷文雄・梅原猛)の対談を読むと、よくある作家の「群盲象を撫でる」式の<体当たり人生論>から解放されて、ほっとします。 意地悪な言い方をすれば、「性欲に苦しんだ」「貴族でありながら民衆と生きた」「貧乏暮らしをした」「家庭的に不幸だった」「伝統的な道徳を破壊した」という親鸞のイメージにたいして、「そうだ、俺もそうだった」=「親鸞はわたしだ」という感情移入がはじまって、ついには 森鴎外の「寒山拾得」ではないですが、「じつはパパァは親鸞なんだが、まだ誰も知らないのだよ」と読者に間接的に宣言してしまう。 これが、ほとんどほぼ99パーセントの自称・親鸞信者のたどる道です。 しまいには、「これだけ悪いことをしてきた俺でなければ、親鸞はわからん」ということになり、この手の親鸞信者を畏れいらせるにはアドルフ・ヒトラーやポルポトくらいにならなければ駄目ということにもなります。 ちょっと悪ふざけがすぎましたが、こうした問題は親鸞の生きていた頃からあったようで、「本願ほこり」と呼ばれています。 いわく、「女を抱いていい」のなら、「女は何人抱いてもいい、人妻と不倫してもいい、それどころか強姦してもいい」となります。 「鳥獣や魚介類を食べる殺生をしても極楽往生できる」という教えが、「人間なんぞ、何百人叩き殺してもかまわない」になってしまいます。 こうやっていくと、念仏は倫理規範の無制限な破壊となってしまい、しまいには「悪の限りをつくさないと、念仏のありがたみはわからないぞ」という悪の勧めにさえなりはてる。 冗談みたいな話ですが、これが親鸞の直面した現実でした。 昨日、「歎異抄」を読み返してみたのですが、なるほどこんな風に誤解して読めば、文字面ではそう理解することもできそうです。 しかし、親鸞は絶対にそんな理解は認めていません。 増谷さんはそうした意味から、親鸞が晩年におびただしく書いた仏教式聖歌ともいうべき「和賛」を踏まえて宗教人・親鸞をとらえなおしたほうが良いと考えました。 その成果を第一部にあげてあるのですが、まだそちらは読み終わっていないのです。さんざん偉そうにいって申し訳ないんですけど。(笑) ところで、いままで気がつかなかったことをひとつ知りました。 親鸞の教えにおいては、死んで極楽往生するだけで、すべてが終わりじゃないんですね。 念仏を唱えて極楽往生したら、今度は念仏の行者となって、この現世に戻ってきて、迷える人々を救う。これを、「往相」(極楽へ生まれること)と「還相」(極楽から現世に生まれ代わって、人々を救いへ導くこと)といいます。 こうしてみると、親鸞の念仏は、生きるための念仏だったのですね。 梅原猛の言葉を借りれば、「死をみつめながら、生を肯定してゆく」という生き方です。 手垢のついた「悪人正機説」の親鸞には、正直なところ、あまり興味がもてません。 「悪人であればこそ成仏できる」どころか、「悪人でないと親鸞はわからん」になってくると、もうどうにでもしてちょーだい。あんたの露悪趣味につきあう気はない。 ――と短気なわたしは思ってしまいます。 その見方で「歎異抄」を読んで、救われた気分になる人は、まともな神経の持ち主とは思えません。よっぽど露悪趣味、自虐趣味の強いダダっ子みたいなパーソナリティの人だと思います。 そんなわけで、いまは増谷さんの親鸞が面白く思えるのです。 |
本日は、お礼から。 皆様、有難うございます! 突然の書き出しで、わけがわからないでしょうが……(笑) この日記は、「日記猿人」というリンク集に登録しているのですが、なんと昨日(5月29日)ついに月間投票数が100票を超えました! 「日記猿人」に登録して以来、月間100票獲得するのが目標でした。 まだ五月も終わっていないというのに、もう100票を獲れたとは! 一日に100件や200件もアクセスがあるサイトと違って、ここのような弱小サイトはほんとに人様が読んでくれるかどうか不安です。 カウンターとか、猿人の投票システムみたいなもので反応があると、ほんとうに元気が出ます。 このごろでは、たまにメールを頂戴することもあるので、ほのぼのと嬉しいです。 これは、WEB作者の快感ですね。(笑) 得票して下さった皆さん、本当にありがとうございます。 それと、日記猿人非関係者(すいません、他の呼び方が思いつかないので)の読者の皆さん、ありがとうございます。 このごろでは、カウンターが回ると、何よりも「ときめき」ます。 読まなくてもいいから、カウンターを回していただけるだけで、嬉しいです。 ……というのは、冗談ですけど、これからもよろしくお願いします。m(_ _)m さて、では本日の読書とまいりましょうか。 本日のお題は「仏教の思想(10) 絶望と歓喜 <親鸞>」(増谷文雄・梅原猛)と「親鸞」(童門冬二)です。 童門冬二さんの「親鸞」ですが、読んだ限りでは親鸞の史跡を尋ねるガイドブックですね。 親鸞の住居跡や寺なんかへの交通手段が書いてあって便利です。 でも地図がないから、この本をたよりにするのは無理でしょう。 親鸞という人は、現代では知らない人はいないでしょうが、生きている頃はちっとも知られていなかったので、その生涯はわからないことだらけです。 それを、参考書を手際よくまとめて整理しようとするのは難しいことだと思いました。 巻末にあげてある仏教学者さんたちの名前を見ると、著者がなにを参考書にしたかは見当がつきました。でも、ひょっとしたら<グランドサンズ・ドローイング OF グランドサンズ・ドローイング>(*)かもしれません。 * もちろん、こんな英語はありません。わかる人だけ笑ってください。 こちらの「親鸞」には何も期待していなかったのですが、増谷文雄と梅原猛という大学者の角川文庫版「仏教の思想」の第十巻目「絶望と歓喜 <親鸞>」は凄いです。 増谷文雄は昭和62年に亡くなっていますが、キリスト教と仏教に通じた比較宗教学の巨人でした。 あのころ、少しでも宗教に関心を持つほどの人なら、増谷さんの本をなんらかの形で読んでいたように思います。アカデミックな著書ばかりでなく、仏教のこころをなんとか現代人に伝えようとあれこれ本を書いたりしておられましたから。 けっこう本屋にも著書が並んでいました。 キリスト教と大乗仏教についての学識だけでなく、まじめに人生を考える姿勢が感動的でしたね。 そういう人が、アカデミズムの掟破り・過激な浪漫主義者の梅原猛と親鸞を考えるのですから、二人の対談は中身が濃い。 梅原の掟破りの攻撃にもびくともせず、それどころか横綱相撲で押し返しているところが凄い。 角川文庫版「仏教の思想」はどれも三部構成で、第一部が斯界の権威者の教義要約、第二部が第一部担当者と哲学者梅原猛か上山春平との対談、第三部が梅原猛か上山春平による教義の歴史的・現代的意義の考察となっています。 素人は、第二部と第三部がいちばんわかり良い。 第一部はえらく苦労します。 わたしごとを云えば、華厳経を扱った第六巻「無限の世界観」には苦労しました。 もうちょっと自分の脳のシナプスが発達していて欲しかったです、ほんとのはなし。 仏教教学では「唯識三年倶舎八年」といって、「唯識」「倶舎」という宗派の教学を学ぶには、それぞれ三年や八年かかると云われています。 現代人のボキャブラリーには、仏教教学の術語はもはや存在しませんから、今ではそんなものじゃすまないかもしれません。 だから、対談と哲学者の論考がいちばん理解できるのですが、素人目には碩学の説明よりもどうも梅原猛の言っていることのほうがわかりやすい。 場合によっては、梅原優勢のようにもみえます。 たぶん、プロからみれば、梅原が掟破りの変則攻撃をかけているんでしょうが。 たとえば、ボクシングでローキックを撃っているとか……(笑) ところが、増谷さんは負けずにトリプル・クロスカウンターで逆襲したりします。 なんか変な比喩ですけど……。 <パトスの人>を自認する梅原猛ですが、増谷さんもじつはめちゃんこ<パトスの人>です。 「わが生涯に一片の悔いなし」の人です。 ケンシロウとラオウの勝負みたいですね。(笑) どうも余談が長くなったので、続きはまた明日。 |
昨日(28日)は、眼が疲れたので、読書はしませんでした。 近視と乱視がひどいので、眼がしんどくて開けていられなくなることがあります。 ここ数日はいい気になって、ハイペースで英語版ニューズウィークを二冊片付けたり、大作「親鸞」を一気読みしたうえに、他の本まで併読したのですから。 やっぱり、眼を酷使すると、あとが大変です。 わかっていたはずなのに、つい調子に乗りすぎてしまいました。 しばらくペースを落として、読書することにします。 ところで、眼を休めるというわりには、TVを二時間も観てしまいました。 もちろん、「葵 徳川三代」とNHKスペシャル「世紀を超えて」です! ジェームス三木と名優コンビ・津川+西田の「葵」には何も云うことはありません。 毎回堪能してみています。 これだけ作品の出来が良いと、若手でも勢いのある人や、かなりの実力をそなえた役者さんでないと、存在感が異様に気迫になりますね。みんな、我こそはと、一シーンごとに気合を入れてやっているのが、素人にさえわかります。 これが、ジェームス三木作品のいちばん良いパターンです。 今年も、「吉宗」の中村梅雀みたいに大化けする人がでるかも――と密かに楽しみにしています。 「世紀を越えて」は、今回はトラウマがテーマ。 多重人格症や、いま話題のPTSD(外傷後ストレス障害)の原因を、最新の大脳生理学の成果をふまえて紹介していました。 この二つの症状は、脳から分泌されるTRCとかいう不安ホルモンによって、脳の「海馬」という部分がダメージを受けることから発症するという仮説が有力になってきたようです。 以前、この日記でも紹介したSSRIという薬物は、セロトニンという神経伝達物質をブロックする効果によって、不安ホルモンの作用を一時的に鎮静化してくれます。 不安ホルモンには脳内の「海馬」の細胞を破壊する作用があるのです。 そこで、SSRIを投与することで、不安ホルモンを効かなくすると、やがて「海馬」の細胞が増殖して症状がなくなるという仮説も紹介されています。 このSSRIは、現代の精神科医にとって、魔法の薬で、これを使うことによって、どんな精神病も治ると精神科医は豪語しています。 ただし、頭痛、吐き気、神経痛、ときには自殺発作という副作用があるので、患者のほうでは服用をいやがるという弱点があるのです。 精神病で通院していた人が服用を嫌がり、もう治癒したと思い込んで、服用をやめてしまうケースが後をたたず、その結果事件が起きたりします。 長期間にわたって、服用することは、患者にとってはそれほどつらいのです。 科学が生んだ魔法なんて……結局ないと思うべきでしょう。 意外だったのは、フロイトが始めた「談話療法」がPTSDにも有効だという実証が現れたことです。 人間が不安を覚えると、大脳辺縁部から不安物質が放出されます。 それに対して、脳の前頭葉ではデータを分析して、理性的に危険の有無を判断して、現実の危険がないとわかると、不安物質を放出する大脳辺縁部に活動を中止するように指示します。 PTSDでは、この「不安解消システム」が作用しなくなっています。 その理由は、人間が強い恐怖を覚えると記憶が分散されてしまい、データがあまりにも散漫に断片的に貯蔵されるので、前頭葉がデータとして使用できなくなるのだそうです。 そのため、感覚的刺激(音・光・臭いなど)を与えられると、恐怖体験がそのまま臨場的に再現してしまい、自分がふたたびその現場にいるのだと考えてしまう。だから、前頭葉も「心配はない」と警報解除することができないのです。 そこで考えられたのが、恐怖体験の断片化された記憶を再統合することです。 断片化された恐怖のイメージを統一的な記憶にすることで、前頭葉にとって処理可能な情報に変えるというもの。 患者はカウンセラーの助力で、恐怖体験を言語化して、整理する作業にとりかかります。 この過程を通じて、患者の癒しがおこなわれるのです。 これは、フロイトが発見した「精神分析」に非常に近いものといえます。 フロイトはなぜ患者がつらい体験を語ることで、癒されるのか原因を探ろうとしましたが、当時の科学ではその答えを出せませんでした。 その後継者たちの原因解明の努力も、素人からみると、えらくブンガク的、テツガク的なものでして、ギリシアの古代哲学者たちが唱えた「生気説」「元素説」「バンタ・レイ」みたいに、実効性はあんまり感じられません。ただし、治療技法としては経験則からどんどん進歩していったのが現状です。 「理由ははっきりとはわからんが、なんだか良くなっている気がする」 酷な言い方をすれば、それがSSRI登場以前の精神療法だったのです。 ただカウンセラーの談話療法には、素人でもわかる弱点があります。 これは、たぶん「強い自我」というものを持つ人だけにしか有効ではないでしょう。 「自我」「自己」を強烈に持つヨーロッパ文化圏(およびその共感者)には有効でありえても、それのないエスニック・グループにはまず駄目なんじゃないかと思います。 というのも、じつは「精神分析」の弱点がそれでして、ぶっ壊れるに足るだけの「自我」「自己」をもたない人には、「精神分析」療法は効かないのです。 ご存知のように、日本人にはヨーロッパ文化圏の人間が持っている自己概念は希薄です。 この療法を適用しても、ただつらいだけじゃないでしょうか。 ただSSRIを投与して、PTSDを治療することを提唱している研究者も、薬物だけが治療ではないと考えています。 おもちゃのいっぱいある部屋で暮らすことでも、子供ではPTSDの不安作用が次第に弱くなって治癒することがわかったとか。 古臭いうえに、言い古されたことのように聞こえるかもしれませんが、「言葉」「態度」「環境」「意志」というひどくアナログなものこそ、傷ついた精神を癒せる唯一つの道具だと思います。 SSRIも「海馬」の細胞そのものを修復するわけではなく、破壊するのを一時的に阻止するだけです。 破壊された「海馬」を修復できるのは、患者本人の生命力だけです。 人様が制作したドキュメンタリー番組をみて、こんなことを言うのもなんですが、薬物や科学技術よりも、「言葉」というもののほうに、もっといえば「コミュニケーション」というもののほうに、人間を癒す根源的な秘密があるのだなと、改めて思いました。 人間とはなんと不思議な存在なのだろうと、わたしは改めて感じいっています。 |
本日(28日)は目の休養日ということで、読書も日記書きもお休みします。 先週からの読書で、目がちょっと「お疲れ状態」です。 眼は読書家の命。 今日はFENとか、英語のテープを聞いてすごしています。 皆さんも、活字中毒(WEB中毒?)には、お気をつけて。 お互いに、眼は大事にしましょう。 では、ご機嫌よろしゅう。(^^)/~~ |
先日、ついに吉川英治「親鸞」を読了しました! しかし、いきなりそちらに入るのではなく、まったく別のお話から始めたいと思います。 昨日、ヒクソン・グレイシーと船木誠勝の試合をTVで観ました。 わずか1時間の番組なのに、異様にCMの時間が長いので、もしやと思っていましたが、15分ラウンド無制限にもかかわらず、試合開始から10分くらいで勝負がついてしまいました。 このごろは格闘技にもあまり燃えていないので、最近の格闘技界の動静はまるでわかりません。 ただ読売新聞のインタビューや、ブラウン管を通してみる限り、船木よりもヒクソンのほうに宮本武蔵的な美しさを感じました。 ハンサムな船木よりも、ヒクソンのほうに男としての美しさを感じたのです。 吉川英治を読んでいるので陳腐な連想をしましたが、巌流島の戦いであるとすれば、文句なく船木は佐々木小次郎であり、ヒクソンは宮本武蔵でしょう。 ヒクソンは、吉川英治が描いた最も美しい日本人そっくりです。 こちらの偏見でしょうが、心なしか、ヒクソンのほうが日本人におもえて、船木は中国かどっかの人のようにみえました。 大山倍達に敗れる李青鵬とでも申しましょうか。(© 梶原一騎/つのだじろう・影丸譲二「空手バカ一代」) 美形でカッコいい、でも負けることが決まっている華麗な仇役――と云うところです。 ある程度、年齢のいった人なら、たぶん皆そう思ったんじゃないでしょうか。 船木よりは、ヒクソンのたたずまいのほうに、吉川英治・山本周五郎・池波正太郎・藤沢周平・隆慶一郎の描く「日本の男」を感じてしまう。 理由は一目瞭然なので、あえて書きません。 その考えが好きか、嫌いかは別として、これを読んでくれる人が考えていることと同じですから。 エジプトの柔道選手ラシュワン(某山下選手が金メダルと取ったときの対戦相手)のときも思ったのですが、日本のもっとも優れた精神文化はすでに海外に流出しているのではないかという気がします。 それも仕方がありませんね。 第二次世界大戦は日本文化の敗北だと、当時の大人も子供も考えました。 だからこそ、日本文化を全否定して、アメリカ文化の模倣に走った。その結果、自分のよさを失ってしまった。 たしかに、アメリカ文化の模倣と、捨てきれない日本文化とのあつれきが80年代までの日本を成長させましたが、すでに日本文化は生活の上から崩壊しています。 ヒクソンが日本へ異種格闘技戦をするためにやってくるのは、廃れた「武道」を現代日本によみがえらせるためだとリングで云っていたのは、印象的でした。 ヒクソンはいっしゅの宣教師のような使命感を抱いて、戦っているのです。 それは、グレイシー柔術の名誉を守るだけでなく、むしろ前田光世(コンデ・コマ)に教わった「日本精神」を日本へ返すための戦いだともいえます。 船木のパンチで、目の下を痛々しく腫れあがらせたヒクソンの顔をみるにつけ、この人はむしろ日本人の荒廃した魂を救うために戦ってくれているのではないかという妄想が湧き上がってきて、仕方がありませんでした。 もちろん、これは昨今の格闘技界の事情を知らぬものの妄想です。 ただ10歳年下で円熟した鋼鉄の肉体をもつ船木に、滝のような汗を流しながら40歳の身体で組みついているヒクソンの姿に、不動明王や地蔵菩薩の姿を連想したことだけは、最後につけ加えておきたいと思います。 (親鸞だの、日蓮だのを読み過ぎて、そんな感じがしているとお思いの方は、笑ってやってください。) ところで、「親鸞」です。 さわやかに感動して、読み終わりました。 吉川英治の作品は、「日本人の心」そのものですね。 日本人の良いところ、悪いところが、吉川英治ワールドのなかに全部入っています。 それを、ドラマにして盛り上げながら、最後で「日本的霊性」というところでまとめあげてしまう――この力量は、他の作家には模倣することさえできない。 凄いものだと、あらためて唸ってしまいました。 もちろん、年代的につじつまが会わないことや、歴史的事実関係が間違っているところは、いくらもあります。 親鸞については、没後にその曾孫・覚如が本願寺創建をめぐる醜い骨肉の争いの過程で、天皇家や摂関家との関係や神秘的な伝説で、祖父の生涯を飾り立てたいんちきな伝記「親鸞伝絵」をでっち上げました。 親鸞のささやかな教団は、多くの弟子たちがばらばらに東国各地で活動していたので、親鸞の墓を守る子孫たちもそのなかの一分子にすぎず、リーダー・シップを取っているわけではなかった。そんな事情があるので、子孫たちは始祖・親鸞をいやがうえにも超人化して、自分たちの血統を誇り、教団を牛耳ろうとしていたわけです。 吉川英治が下敷きにしたのも、そういった歪められた伝記のひとつだったので、無理からぬことかもしれません。 現実の親鸞は吉川・親鸞とは違って、京都における法然教団にあっては、それほど目立つ存在ではなかったようです。 むしろ知るひとぞ知るという感じだったように思います。 それと、親鸞の宗教的境地は、吉川・親鸞が筆を置く五十代後半から、さらに成長を遂げるのです。 関東の門徒衆の離反と、我が子・善鸞との確執という大事件が待っているのですから。 山岡・日蓮もそうでしたが、いよいよ面白くなるというところで、プツンときれたのが残念です。 ところで、角川文庫の「仏教の思想」というシリーズがあります。 これは大昔ハードカバーだったころに欲しかったのですが、いまは安価な文庫本なので気楽に買えました。 いま10巻目の「絶望と歓喜――親鸞」を読んでいます。 そんなわけで、文豪にイチャモンをつけてるのです。(笑) |
このところ、わが日記もつまらん「うがち」に堕しておりました。 どうやら、退屈な「王朝物語秀歌選」に自家中毒していたみたいです。 読書の喜びとでも申しましょうか、それがないと、どうも元気になれないところがあります。 「読書は感動だ!」 この原点を忘れると、ろくなことがありません。 さて「親鸞」(吉川英治)も第二巻目を読了。いよいよ最終巻の第三巻目に突入しました。 二巻目の半分くらいから、文豪・吉川英治の本領発揮です。 それまでの講談みたいな古臭いストーリーが、ぐんぐん人間のドラマに膨らんできます。 「親鸞」を執筆していた時期に、吉川英治は「宮本武蔵」も書いていたそうですが、そう云われてみると、この二作にはどこか似たところがあります。 「宮本武蔵」に通じる「求道者とその周囲の迷える人々」という構図は、吉川文学の骨法です。 ただ「親鸞」の前半生は、ドラマ性に乏しい分、この骨法がうまく機能していなかった。それが、法然と出会い、親鸞が主体的に行動するようになると、いきいきと動きだしたのです。文豪の「嵌め手」ですね。これにかかったら、日本的情緒をもつ人間は一網打尽です。 目下のところ、逃れようもない巧みな文豪の技を、しかけられて、なすすべもなく術中に落ちています。こりゃあ、一刀両断ですね。(笑) 前半生の親鸞については、宣伝的要素の強い真宗教団の伝説をかなり交えているので、出来の悪い福音書の奇跡物語を読んでいるような感じだったことは否定できません。 一宗を興した天才宗教家を描きだす難しさと云ってしまえば、それまでですが。 それもあってか、吉川・親鸞は「宮本武蔵」や「新・平家物語」ほどには人気はないようです。 とはいえ、残り一巻となった「親鸞」を、感動しつつ読むことにします。 「親鸞」を読みながら、京都の歴史地図や日本史事典をひっくり返しているうちに、あらためて気がつきました。 浄土宗と浄土真宗について、これまであまりにも無関心だったと。 いちおうの歴史は知っていますが、浄土宗がどれほど皇室や公家社会に入り込んでいたのかということは無知でした。 それをいえば、日蓮宗や浄土真宗の、上流社会への浸透ぶりもよくわかっていませんでした。 清新な理想に燃えて出発した鎌倉仏教の末裔は、皇室・武家・公家に深く根をおろして、封建時代の旧権力とどうしようもないほど癒着していたのです。 興味がなかったということもありますが、鎌倉仏教についても教科書的な理解にとどまっていて、室町・江戸時代以降の宗教界と政界のおそろしいまでの癒着は一般論のレベルでしかわかっていませんでした。 つまり、室町時代以後はどんどん「堕落していった」のだと。 ただ、事実関係を個々につきつめていかないと、わかったことにはなりません。 そのことは翻って云えば、現代の仏教界の病根の深さに思い至っていないということでもあります。 ほんのちょっと調べただけですが、それだけでも「いまこそ蓮如の思想を振り返れ」「親鸞の理想に立ち返れ」という言葉はおそろしく空虚に思えます。 没後に子孫たちの飯の種となった「親鸞」も「蓮如」も、庶民よりは、ずっと皇室とお公家さんたちに近しい存在だったのです。 江戸時代において、親鸞は当時の知識人からは「愚民の教祖」と馬鹿にされるいっぽうで、お公家さんや皇室にとっては大事な飯の種でもあった。 この状況からは、何も生まれません。 宗祖としての「親鸞」や「蓮如」は、教団組織の事務局の金庫であり、観光寺の看板というべき存在で、わたしたちのようなド素人には手が触れられません。 だいいち、「親鸞」を読んだからといって、浄土真宗に入信したり、実家の墓を宗旨変えする読者はいないでしょう。 たとえ、どんなに吉川・親鸞に感動したとしても。 暗い話になりましたが、要は「親鸞」に感動していても、なんにもならないぞという自戒です。 親鸞に感動したなら、既成宗教に頼らず、それをどう自分の人生に反映させるか。 既成宗教については、まったく信用していないので、修行なんてする気はありませんから。 その前に、できるものなら、どこでどうなって、あんな風になったのかということだけは、押さえておきたいと思います。 英語で「だから、どうしたの」という意味で、”So What?”というのがあります。 じつは、先日ドイツ語にも似た云いまわしたあることを知りました。 こちらは ”Na Und”というのです。 歴史を調べたり、過去の人の人生を学ぼうとしていると、よくこう云われます。 「だから、どうしたの」と。 でも、物知りになるためにせっせと励むことを、わたしは否定しません。 無知が知に勝つのは、ただの僥倖にすぎませんから、知識は大切です。 ただ、つまらない知識だけ蓄えて、「シニカル」になるのは馬鹿げているとは思いますが…… 「だから、どうしたの」といわれる前に、とりあえず相手に言うだけの意見はいつも用意しておきたいと思います。 たとえ、それが陳腐であって、相手から失笑されるようなことがあったとしても、とにかく自分の頭でひねりだすことが大切だと思います。 例えば、こんな風に。 ↑(笑) |
いよいよ暑くなってきましたね。 まだエアコンはいれないつもりですが、扇風機は出しました。 これぐらいでエアコンなんかを使っていると、身体がもたないと思うので、梅雨明けくらいまでは我慢しようと思います。 このごろの人間は、エアコンの発達のせいで体温の調節機構が機能しなくなっているそうです。 冷房の入っている電車では暑いような、寒いような変な気分です。 ヒートしすぎて、電車のなかでキレても困るから、冷房しているんでしょうけれど、風邪引きそうです。暑いのと、肌寒いのが交互にくると。 そんなのは、わたしだけなんでしょうか。 ところで、「親鸞」(吉川英治)を読んでいます。 やっと法然のもとへ、親鸞は弟子入りしました。 吉川・親鸞の出世ぶりは凄まじく、29歳で比叡山の大幹部といってもいい地位に上りつめています。 天台座主・慈円と、その兄・前関白九条兼実の引きがあれば、そんなこともあったといえるかもしれません。 それにしても、九条兼実の娘・玉日姫との恋に悩んで、比叡山を降りるなんて、どうも作りすぎのような…… 後の本願寺の人々が創作した教祖伝説を取り入れて、吉川・親鸞は執筆されているので、用心して読んだほうがよさそうです。 しかも、歴史の片隅に名前が残っているひとの、オールスター出演みたいなところがあるので、いよいよ用心が必要です。 名前と、その人の登場の仕方が、まあよくあるお約束というやつで、いまいち興ざめですね。出来の悪いNHK大河ドラマを観るような、手垢にまみれた感じです。 小説のロマンというのは、難しいものだと痛感しました。 こちらもすれているので、素直に感動できない。悲しいことです。 ところで、昨日新しいニューズ・ウィークが届いたので、先週のをあわてて読みました。 こうしないとどんどん溜まっていって、ついには収拾がつかなくなるのです。 シェア・レオネの陰惨な動乱や、新総統が就任した台湾、イナゴが大発生したオーストラリアなどというニュースに続いて、ドイツでインターネット株のバブルが起きていることが報じられています。 パームトップPDAでドット・コム企業に投資するのが、いまの流行だとか。 昔の富豪といまどきの億万長者の比較がちょっとおもしろかったです。 昔の富豪 ------------------今の億万長者 ボディーガード --------------パームトップ 税金対策 ------------------ドット・コム企業に投資 運転手つきメルセデス--------ポルシェ (またはジャガー) ----------(またはハーレー・ダビッドソン) ヨットで地中海周遊 ----------レンタルしたヨットとクルーで船上パーティ ハンブルグの邸宅 ----------ミュンヘン・ベルリン・ハンブルグの超高級マンション 豪華な頭取室のある銀行 ----オンライン・サービスの充実した銀行 (上等なコーヒーのおもてなし) 笑えるのは、古いヨーロッパがみごとにアメリカのネット長者風のライフ・スタイルに取って代わられていることです。 ヨーロッパの伝統なんていったって、もうだめですね。 芸術の分野だけはまだしもなんでしょうが、もうそちらの血も澱んで、「アッシャー家の悲劇」じゃないけれど、退廃と衰退を感じさせます。 いっぽうで、若々しいヨーロッパはますますアメリカに近くなっている。 アメリカナイゼーションの進行とはいい古されたことなのですが、たぶんこれはそんな文化論なのではなく、どれほど伝統文化の積み重ねのある保守的な場所であっても、グローバル経済が画一的なライフスタイルを強いてゆくことになるという証拠なのですね。 そんなことは聞き飽きたと、うんざりした人もいると思います。いや、申し訳ない。 「日本の文化的伝統を守ろうよ」などと絶叫するつもりはないのです。(笑) わたしの言いたいのは、いまや世界は行き場を求めてさまよう<マネー>というウイルスによって、どんどん遺伝子操作されている――という妄想です。 「ウイルス進化論」という学説があります。 ウイルスが異種(生物)間のDNAを媒介して、進化を行わせたという仮説なのですが、いまの地球文化をみると、<マネー>というウイルスが国家・社会という異種の生物体にある種の強制的な変容をそれと意識することなく行っている――という気はしませんか。 いまのところ、<マネー>にとって、いちばんすみやすい「生き物」(=社会)は、アメリカのネット社会らしい。 <マネー>は、地球上のあらゆる社会を「アメリカ・ネット社会」に変容させようと試みながら、この惑星をさまよっている。 遺伝子操作が永遠にできそうもないロシア連邦やアフリカは、マネーのウイルス毒で死亡しかけている。 だが、アジア諸国はいったん死にかけたが、遺伝子変容を起こして、ウイルスと共存関係に入りつつある。 なんて、つまらない空想を、ニューズウィークを読みながら考えてしまいました。 それにしても、この<マネー>というウイルスをコントロールする方法を考え出してくれる頭のいい人が出てきて欲しいものです。 金融工学なんて、ウイルスを太らせるだけの仕掛けを作るのではなく、ウイルスとの平和な共存ができる方法が待たれます。 |
また訂正とお詫びです。(泣) 5月21日の日記で、「新平家物語」を山岡荘八さんの作品と書いてしまいました。 もちろん、吉川英治さんの間違いです。 どっちも大昔に読んだというのに、なぜ小学生でもわかる間違いをしたのか。 われながら、恥です。ボケております。 あんまりものを知らない人でも、楽につっこめるのが、わたしのボケであります。 つっこみに弱い――困ったもんです。(号泣) 限りあるメモリー・バンクがオバー・フローするのだと強がっていますが……さびしーいっ。 *30数年以上も前のギャグ。わかる人はいないでしょうね。(ToT) ところで、「親鸞」(吉川英治)を読み始めました。 400ページで文庫本三冊です。まる一日読書に使うのは、無理だから、まあ一日一冊の割合でしょうね。 一巻目を読み終わりました。 ここは、親鸞の誕生から、出家して比叡山で勉学に勤しむ時代を描いています。 じつはこの時代、親鸞が何をしていたのか、資料はないのです。 それでかえって、吉川英治氏は自由に想像の翼を伸ばして書いています。 ただ戦後に日本史学がものすごく進歩したうえに、網野善彦氏のような歴史研究者が現れた現在からみると、なんとなく違和感があります。 そのことについては、また後で書くことになると思います。 しつこいと呆れる人もいるでしょうが、まだ「王朝物語秀歌選」の「風葉和歌集」を読んでいます。 もう、これは持久戦に突入しました。 一日数ページときめて、こつこつと読んでいきます。 それもあってか、意地悪な読み方になってしまいました。 何度も書きましたが、この和歌集に入っているのは平安末期から鎌倉時代に作られた物語に挿入されている和歌です。 すっかり、清新な生産性を喪失しているので、言葉遊びと「本歌取り」の歌ばかりです。 つまり、元になる有名な歌があって、それをひねって歌を作るというアレです。 肝腎の物語のほうも、平安時代の名歌をひねってつけたものが多いのです。 例えば、今読んでいるところには「緒絶えの沼」「言はで忍ぶ」という二つの散逸した物語から和歌が選ばれています。 それぞれの元になった古歌は次のとおり。 「色に出でば 人知りぬべきを をだえぬの沼よりも げにうへぞつれなき」(曽祢好忠) 「思へども言はで しのぶすり衣 心のうちに乱れぬるかな」(源頼政) 「まんまやんか!」というなかれ。平安時代・鎌倉時代を通じて、和歌の技は精妙を極め、その技巧は完成されきっていた。そのために受け技も研究つくされていて、実戦での戦闘力を失っていたのだ! あれっ、どっかで聞いた台詞だな…… そうです。これは某劇画で、ケンシロウがカイオウに言った台詞です。(笑) こんな具合に自己パロディしてしまいましたが、当時の女房たちの文学が、おたく的マニアだけに通用する閉鎖的で貧弱な世界になっていたのですな。 それと、本歌取りで作った歌はたいていオリジナルより下です。 特撮ヒーローや、ロボット・アニメで主人公をコピーして作られた悪のヒーローやロボットがどうしてもオリジナルに勝てないようなものです。 (もしかして、わたしは自分が元おたくだと自己暴露してませんか?) たとえば、古今集と伊勢物語に入っている歌仙・在原業平の名歌にこんなのがあります。 「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身一つはもとの身にして」 これを元にした歌はこうなります。 「月やあらぬ 春や見し世のそれながら 眺めしのみや 忘れ果つらむ」 「おっそろしく、つまんないなぁー」 素人のわたしは、学会にもプロ歌人にも遠慮がないので、はっきりそう言ってしまいます。 じつは、こんな風に注釈に載っているオリジナルの歌を読み、収録されている和歌と比較しながら、その「つまらなさ」加減を楽しんでいるのです。 しかし、こういう楽しみ方は、おたくが何かにはまる第一歩そのものですね。 「つまらなさ」と「くだらなさ」を楽しむ。 これが、<おたく>というもので、「素晴らしさをもっと世の人に知ってもらいたい」「同好の仲間を増やしたい」という健全な<ファン>という人種とは、この一点できっぱり一線を画しています。 どうも、このままでは<和歌おたく>という救われないものになってしまいそうです。 一日も早く「風葉和歌集」から足を洗いたいものです。(大汗) |
今日(23日)の東京は暑いです。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。 このごろ凶悪な少年犯罪が続いていますね。 少年の教育的刑罰を主旨にして制定された「少年法」ですが、いまやそれを逆手にとった凶悪犯罪が続発しています。 ハイ・ティーンの頃には、どうしても反社会的な言動をやりたくなるものです。 この時代の行動が大きな事件にならないのは、むしろ僥倖なのかもしれません。 しかし、昨今の事件は若い世代のあいだに、倫理コードと暴力に対する自己コントロールが不在となっている現実を暴露しています。 これは少年たちが腐っているのではなく、その親の世代が腐っているのです。倫理ゼロ、暴力抑制機能ゼロの親世代が生み出したポケット・モンスターが、犯罪少年/精神病理的問題行動です。 これから、しばらくはもっと凄い事件が頻発するでしょうから、お年よりの方も、お若い方も充分に気をつけないと大変です。 ただし、受動的なりゆき社会の日本のことですから、この傾向がいよいよ進むと、いままでの方向性を修正して、被害者・遺族の感情を考慮した法律ができるのではないかと、わたしは予想しています。 社会全体で、ヒステリックに息せきって問題解決に乗り出すようになるでしょう。 日本人は空気が変わると、いきなり180度変換しますから、問題がこじれると、かえってなんとかなるような気がします。 水が氷になるように、物質がある境界を越えて別の性質をもつ状態になることを、物理学では<相転移>というのですが、日本人は人為的に<相転移>をやってしまう。 無責任なようですが、この辺が日本人の最大の長所です。(ときには、短所にもなりますが……) 意図的な情報遮断と孤立化をしないかぎり、日本という国はなかなか侮れないと思いますので、いまの事態もあまり心配していません。 ただ、そうなるまでには、事態がもっとひどくなる必要もあるので、それまでは皆さん、くれぐれもご自愛ください。 などということをぶつぶつと云っているのは、相変わらず読書が進まないからです。(笑) 噺をド忘れして、枕を延々と引き伸ばしている落語家の気分です。 はて、どうしたものか。 「王朝物語秀歌選」の「風葉和歌集」には参っています。 つまるところ、発想が陳腐すぎるので、つまらんのですね。 あとは、中年おやじの果てしないダジャレに付き合わされているつらさです。 たぶん、あまり興味のある方はいないでしょうが(泣)、ちょっと例をあげてみます。 発想の公式(1) 「恋はつらい」→「泣く」=「袖が濡れる」 発想の公式(2) 「涙」→「雨」「五月雨」「しづく」「つゆ」 これを組み合わせると、 1)「雨」その他の気象現象で衣服(とくに袖)が濡れる 2)悲しい恋に泣いているので、袖が濡れる という陳腐きわまりない定式ができあがって、この定式にもとづく和歌が延々と続く。 これじゃあ、眠くなりますよね。 あとは、言葉遊び。ちょっとわかりやすい歌を紹介します。 「数ならぬ身には 雲居の藤の花 心のまつもいかが知るべき」 「心のまつ」というのが曲者で、これは松の木に藤の花にからみついているところを見て、女性が愛人(この場合は天皇)に、「あなた(=愛人)がわたしを待っていてくれるなんて、信じられませんわ」といっている歌なのです。 わたしは解説を読んでわかりましたが、多分この歌だけを読んで、そこまで理解できる人はいないと思います。 この強引ともいえる言葉遊びに、ヘキエキしているのです。 心中お察しください。 鎌倉時代になると、宮廷の(王朝回顧風)古典文学は、ひどく退屈なしろものになるようですね。 同時代の「方丈記」や「宇治拾遺物語」の読みやすさ、発想の親近感に比べると、まったく別世界です。 ところで、本日は小渕前首相の二女・小渕優子さんが立候補を表明したとのこと。 長男氏は、出馬辞退をしたようです。 当選確実とわかっているので、マスコミ関連の人々の発言の慎重なこと。ほとほと感心してしまいます。 自民党は、すでに三分の一が二世・三世議員だとか。 有権者がまともな人を送り出さない。まともな人が選挙に出ない。まともだと思った人が期待を裏切る。棄権者が増えたおかげで、強い組織を持つ人だけが当選する。この悪循環が生んだ現象なので、何も申しますまい。 ただ変革の時代に、国政を無視し続けていることは、とても不幸な状態を招きかねないということだけは自覚しておいたほうが良いと思います。 わたしは、無駄とは知りながら、選挙では棄権したことがありません。 無駄もいいもんです。とくに、それが何がしかの感情的カタルシスを与えてくれる場合には。 「何にもしないくらいなら、バクチや囲碁将棋でもやってろ」とは、 意外なようですが、孔子の言葉です。原文は忘れましたけれど。 |
いきなり、情けないお断りです。 読み始めたんですよ、「風葉和歌集」。 ばりばり読んだです。でも…… つまらんのです、これが。 寝転がって読んでいたら、たちまち爆睡モードに突入してしまいました。 気がついたら、もう「日本人の質問」「葵 徳川三代」という必勝リレーが始まっていました。おかげで、大相撲の千秋楽も見逃した!(泣) とにかく、これで「王朝物語秀歌選」攻略にふたたび失敗したわけです。 和歌オンチなのですかね? どうも調子が狂っているので、以前読んだ「王朝秀歌選」(樋口芳麻呂・編)をひっぱりだしてみました。 これは平安中期の文人貴族・藤原公任が編んだ「前十五番歌合」から、鎌倉初期の歌人・藤原定家・為家父子が編んだとされる「百人一首」まで、王朝和歌のベスト・オブ・ベストというべき和歌アンソロジーを九つ集めたものです。 こっちは、楽しく読めました。 そういえば、「源氏物語」から歌を集めた「物語二百番歌合」と「源氏物語歌合」のほうは、ときどき読ませるのがあって、読めたのです。 もしかして、「風葉和歌集」は出来が悪い? 国文学ファンが聞いたら、怒りそうですね。(笑) でも、物語作者たちのなかには、紫式部より歌才のある人がいなかったんじゃないでしょうか。 「物語二百番歌合」のほうを振り返ってみると、これは「百番歌合」と「後百番歌合」に分かれていて、前者は「源氏物語VS狭衣物語」、後者は「源氏物語VS弱小物語群10組(!)」の和歌対決です。 どうみても、源氏物語の圧勝ですよ。これは。 源氏のほうがよほどの駄作を出してこないかぎり、勝てませんもの。 「源氏」が物語の王者と言われるのは、ストーリー・構成の妙だけでなく、作者・紫式部の抜群の歌才によるところが大きいのじゃないでしょうか。 あらためて、「源氏」の強さの秘密を発見しました。 どうも、格闘路線が好きなので、話がそっちへいきますね。(笑) ところで、夜中に「日蓮」(山岡荘八)を読みました。 このごろ、院政時代から鎌倉時代が面白いので、日蓮を大御所・山岡荘八がどう描いているか好奇心で読んだのです。 いがいなことに、かなり面白い作品でした。 山岡荘八とは過去の人だとばかり思っていたのですが、どうしてきっちりと歴史的考証ができています。 今どきではよほどしっかりした人でないと、こんな調べものはしないようなので、ほんとうに頭がさがります。 ただ、残念なことに、この長編は日蓮が「立正安国論」を執権に提出して、怒った念仏信者に庵を焼き討ちにされるところで終わっています。 わたしとしては、それから日蓮が没するまで20年間のほうが面白いと思っているので、ちょっと残念でした。 海音寺潮五郎さんは別格として、古い歴史作家さんたちはどんな時代を描いていても、江戸時代(歌舞伎・芝居の)というところがあります。 山岡荘八さんはそうではなかったと知って、少し驚きました。 大昔に (泣き笑い)またポカをしました。こちらは吉川英治ですな。 それにしても、進化論などをぽろっと持ち出すところがやはり時代ですね。 鎌倉時代の人間に現代科学の視点で意見を吐かせるということは、さすがに現代作家にはできません。 やるとしたら、よほどの○カでしょう…… ところで、日蓮は漢訳仏典全集ともいうべき「一切経」(大蔵経ともいう)を生涯五度も読破しました。 勉学時代だけでなく、一宗を開くとき、「立正安国論」を執筆するときというように、人生の局面にたつとき、仏教の経典すべてに眼を通したのです。 同時代の僧侶たちは、一生かけて一回通読できたら、チョモランマに登ったくらいもてはやされるのですから、レベルが違います。 法然も、生涯で「一切経」を五度読みました。 この人に論争をしかけても、たちまち経典から具体的な出典をあげて、反論してくるので、碩学と呼ばれる比叡山や奈良・京都の高僧たちも手も足もでなかったようです。 こうした偉業をなしとげたのは、もちろん法然や日蓮が歴史上まれなほど使命感に燃えていたということもあります。 でも、それ以上に、体力がけたはずれだったのではないでしょうか。 日蓮が人並みはずれた大男で、筋肉モリモリのマッチョ・タイプだったことはよく知られています。 いっぽう、法然も当時としては大柄で、しかもどちらかといえば、横にがっちりしたタイプです。 ふたりの出身をみてみると、法然は播磨国の地方豪族の子。日蓮の父は安房国の漁師といっても、ほんとうは没落武士でした。ともに、地方の逞しい新興武士階級の出です。 他の僧たちとは体力が違ったのではないかという気がしてなりません。 それをいえば、内大臣を父にもつ貴族・道元は若くして死にますし、同じ貴族出身(ただし、こちらは下級貴族)の親鸞はものすごく長生きして、子供はつくっても、学問的に激しく研究したとは聞きません。 「知は力なり」 とはよく言いますが、この言葉の意味はひょっとすると「知力は体力と不可分である」ということかも――半分は冗談ですが、半分は本気です。 中年太りに悩むこのごろ、いかに体力を鍛えるか。 いきなり、そっちのほうへ頭がいっています。 あんまりハードな運動をやって、アキレス腱をきっても大変だし…… ダンベル体操と、ウォーキングがいいところですかね。 いち、にっ、いち、にっ。 今度、新しいリズム体操をビデオにとって、練習してみようかなと思っています。 みなさんも、健康にはお気をつけて。(笑) |
うるし塗りの職人さんは、まずうるしにかぶれるのが修行の第一歩だとか。 王朝和歌アレルギーも、わたしにとって克服すべき関門なのでしょう。 ここ数日頑張ったおかげで、なんとか読めるようになりました。 以前書いたように、「王朝物語秀歌選」は、「物語二百番歌合」「風葉和歌集」「源氏物語歌合」という鎌倉時代の和歌集を集めたものです。 そのうち、「源氏物語」と「狭衣物語」から和歌を集めた「物語二百番歌合」と、「源氏物語」の和歌アンソロジー「源氏物語歌合」を読了しました。 しかし、油断はできません。 岩波文庫の上下二巻本において、三分の二を占めるのは「風葉和歌集」なのです。 あんなに大騒ぎして、まだ三分の一しか読んでいないです。 道は遠いですね。 この「風葉和歌集」は、後嵯峨天皇の皇后・大宮院というひとがスポンサーとなって、「続古今和歌集」の撰者・藤原為家を撰者としたとあります。 しかし、おびただしい物語のなかから、和歌の選定作業をしたのは、為家の孫娘で大宮院の女房・京極為子をリーダーとした院の女房でした。 つまりこの和歌のアンソロジーは、大宮院に使える<おばさん官僚>が総力を結集した「京おんなの力みせたるド!」という空恐ろしいプロジェクトなのです。 いまどきの若いOLやヤンママが21世紀半ばに苔のはえた「大昔のお嬢さん」になって、懐かしい連ドラに執念を燃やして、同人誌をつくったら、どうなるか。 あんまり想像したくはないんですが、「風葉和歌集」はそんな怪しい情熱の産物です。 わたしは間違っておりました。 「風葉和歌集」をつくっていたのは、王朝文化に生きる優雅な女官ではなく、えたいの知れぬ情熱(パッション)とありあまるパワーに憑き(!)動かされたえらくパワフルなおばはんなのです。 既成概念に幻惑されて、こっちは大相撲を観ているつもりだったのに、相手はルチャ・リブレ、いやそれどころか「金網/電流/地雷/流血デスマッチ」をやっていたのですね。 既成概念は怖い。 相手の正体がわかったので、幻惑されずに、こっちも実力勝負です。 ばりばり読んでやります。 鎌倉時代のおばはんなんかに負けてたまるか! という見当違いな闘志を燃やしているいっぽうで、「ハリー・ポッター」の二巻目を読み出しました。 こんどは、”Harry Potter and the Chamber of Secrets”(J.K.Rowling)。 あいかわらず、叔父さん一家の意地悪はアップするいっぽう。魔法学園の一年を終えて、帰省休暇で叔父さんの家にいるハリーは、ものすごい苛めにあっています。 この苦境から、どうやって抜け出すのか、ページをめくるのも待ち遠しい。 ということで、なんのまとめもありませんが、「風葉和歌集」と「ハリー・ポッター」が待っていますので、本日はここまでとさせていただきます。 |
「王朝物語秀歌選」には、苦戦しています。 これに比べたら、ヘーゲルの「精神現象学」のほうが楽です、ほんと。 この本を読むつらさは、極端にいえば、三十歳をこえた社会生活を送る男がいまどきの若い女の子向きのTVドラマをみるつらさに近いような気がします。 はっきりいって、社会でもまれた男があれに共感するのは不可能です。 三十歳をこえてあれに共感するようなやつは、もまれ方がたりないと思います。 間違いなく、もっとしんどい思いをすることでしょう。 わたしは野球にほとんど興味はないのですが、ドラマを観るくらいなら野球放送を観ます。 グランドで球を拾ったり、懸命にボールを投げ、バットを振る若い衆のほうが、男として共感しますね、やっぱり。 (いまや現役はみんな自分よりも年下!! 苦苦苦くくくっ) ドラマに描かれる女の子よりも、どんぶり飯をかっこみながら頑張る女子プロレスのレスラーたちのほうがずっと好きです。 まわりくどいですけど、云いたいことがなんとなくわかってもらえたでしょうか。 愚痴をいうくらいなら、読むのを止めればいいんでしょうが、そこは諦めずにしぶとく読んでいます。 修行するドーっ! 修行するドーっ! と、自分に言い聞かせながら。 なんか、ここをクリアしないと、自分は日本人のメンタリティを究極に理解できないのではないかという気がするのです。 いっていることが矛盾していますが、そこがわたしの特徴でして、「絶対矛盾の自己同一」です。 ただ、この頃おもうのですが、和歌は日本人にとって、生活感情をあらわす唯一つの手段だったのです。 「日本語の文学には、長いこと生活感情を論理的にあらわす形式がなかった」 そのように考えています。 兼好法師の「徒然草」のような随筆はありました。 しかし、江戸期の随筆を含めて、モンテーニュやパスカルいや、もっと小物のフランス・モラリストのような透徹した人間分析はありません。 日本人で論理的にものを考える人はどうしていたかというと、ご存知のように漢文を使用していたのです。 たしかに、道元や親鸞はその優れた思索を日本語で書いたのですが、一般ピープルがそれを読んだのは明治以降なのです。 日本語で書かれたもっともハイ・レベルな思想は、明治以降に再発見されたのです。 仮名で書かれた「法語」という仏教者の説教もありますが、あれはどちらかというと、高度な抒情詩に近いものがあります。 理詰めではなく、宗教感情を喚起させる力にあふれた説得だったのです。 だから、近世以前の日本人の生活感情を知るには、散文はあまり役立たない。 となると、和歌しかないのです。 貴族の日記も、一部の限られた人々のものですから。 江戸になると、もう少し幅が広くなりますが。 とまあ、こんな具合に、自分を納得させなければ、本も読めないのです。 しょうがないなと笑ってしまいます。 ところで、森首相の「神の国」発言ですが、日本のマスコミは外国のメディアで大々的にとりあげているように伝えていますが、アメリカでは「ワシントン・ポスト」と「ロサンジェルス・タイムズ」くらいしか書いていないようですね。 「ニューヨーク・タイムズ」は興味がないようです。 短命な暫定内閣と見切っているのかもしれません。 それにしても、リップ・サービスで、誤解を招くようなことを口走るのでは軽薄と云われても仕方がないでしょう。 政治からみで面白かったニュースを、もうひとつ。 小渕前首相の後継者が、有望視されていた二女から長男へ変わるらしいですね。 前首相夫人の希望であり、葬儀での弔辞が支持者たちに好感を与えたとか。 二女の後継では、あまりにも露骨な世襲制だと反発が高まったのを見越した反応でしょうな。 「政治への資質をみせろ」 「資質をみせたことがない人に、世襲させるな」 最近の世論は、こんな風になっていました。 だから弔辞が上手で、リクルート事件の追及で父を苦しめた鳩山・民主党代表を葬儀の場で睨みつけていた長男氏を「政治家としての資質」ありとして後援会は押したのでしょう。 情けなくて、泣きたくなりました。 これじゃ、ただの「子どもの仇うち」です。 サルカニ合戦よりも、幼稚です。 もしかして、ヒラリー米大統領夫人なみの「たくましさ」も、この国の政治家にはないんでしょうか。 小渕前首相の後援会の精神年齢は何歳なんでしょう。 それとも、幼君を推戴する忠義の老臣を気取っているのでしょうか。 国会議事堂にはまだ太平洋戦争を生きている人がいるようですが、群馬県には江戸時代を生きている人がいるようです。 |
本日はお詫びをひとつ。 TBSで「おすぎとピーコ」さん兄弟の目の悪いお兄さんの方が、街角の女の子や、ヤングマダムのファッション・チェックしている番組があります。 映画評論家が珍しいことをやっているなと、頭の片隅で覚えていました。 それで、5月4日の日記にとんでもない間違いを書いてしまいました。 ファッション・チェックをやっている目の悪いほうが、お兄さんでピーコさんだったんですね! それを「おすぎ」さんと間違えていました。 われながら、ボケております。 人間、知らないことはあんまり書かないほうが良いですね。(泣) お詫びして訂正させていただきます。 ところで、平安時代に目覚めたせいで、とんでもないものを読んでいます。 「栄華物語」を読んで、のぼせたとしか思えません。 その本の題名は岩波文庫「王朝物語秀歌選 上下」(樋口芳麻呂・校注)です。 これは、「物語二百番歌合」(藤原定家・撰)「風葉和歌集」(藤原為家・撰)「源氏物語歌合」という鎌倉時代の三冊の和歌集を合本したものです。 歌の作者は光源氏をはじめとする「源氏物語」その他の平安時代の物語の登場人物たち。 つまり物語に出てくる歌をあつめたアンソロジーなのです。 現代では散逸した「物語」から取られた和歌もたくさんあるので、王朝文学を学ぶ人には「使える」本です。 しかし…… わたしには、つらい。つらすぎる……という感じです。 性格があまりにも理屈っぽくて、散文的なせいでしょうか。いいかげん「こひ(恋)」の歌ばかり続くと頭痛がしてきます。 もう、勝手にしてくれといいたくなります。 しめっぽい和歌ばかりなので、袂も袖も濡れっぱなしです。下ネタではありません。涙です。女も、男も泣いてばかりいるコネコちゃんです。 犬のオマワリさんが来て、どうにかしてほしいものです。 わんっ! 失礼しました。追い詰められているようです。 鉄人読書家の最大の弱点は、「おんなのナミダ」。 あの人はいっていってしまった。もう帰らない。 ――あっそ。じゃあ後は、どうでも好きにして……なんてネ。 ということで、今回は見事轟沈してしまいそうです。疲れました。 読書して疲れてドーすると、いふのでせふか? ツン読しておいた「ドイツとドイツ人」(トーマス・マン)を開いてみました。 マンはねちっこくて、理屈っぽいです。 でも……それが気持ちいい。 ついでにちょっとした発見もありました。 なぜ自分が世界に冠たる田舎者ドイツに興味があるのか。 現天皇が皇太子だった頃、第二外国語を何にするか侍従たちが協議したときに、ドイツ語という提案もありました。 すると「あんな『馬の言葉』を殿下にお勉強していただくわけにはいかん」と一言のもとに却下されたそうです。 マンによれば、ドイツ人には「内面性」(インナーリヒカイト)という、他の外国語には翻訳しがたい性格があるのだそうです。 それをあえて説明すると、 「繊細さ、心の深遠さ、非世俗的なものへの没入、自然への敬虔さ、思想と良心のこの上なく純粋な真剣さ」ということになります。 生真面目な日本人がふらふらと迷いこみそうな言葉が並んでいますね。 たしかに、田舎くさいドイツの魅力には、そうした部分もあります。 しかし、こういうドイツ精神は必ずしも隣人としてはありがたくない。 マンも云っております。ドイツ精神の権化みたいなマルティン・ルターと飯を食うのはご免こうむる。それよりは、堕落したローマ教皇として悪名高いレオ10世のほうが付き合いやすいだろうと。 その気持ちはよくわかります。 マンの言葉の裏を返せば、自己閉鎖的で人嫌いの変人、独善的で協調性ゼロのアウトドア好きというどうしようもない人間になっちゃいますよね。 もしかしたら、自分自身にもそういう傾向があるのかもしれません。ここは、用心しておかないと。 ときどきパスカルや、モンテーニュを読むと、ドイツの作家には冷静な自己客観視という視点がないことがよくわかります。 人間の多様性を、容れるだけの広い心を持ちたいと、あらためて思います。 すると、やはり…… 「王朝物語秀歌選」を読むのも、修行のうちか。ゲーテにも「ウィルヘルム・マイスターの修行時代」なんて名作がある…… 「修行」という言葉は自虐的な人間にはひどく魅力的です。 そうだ。 修行するぞー。修行するぞーっ! えっ、どっかで聞いたことがある? ご心配なく。信者じゃないですよ。 |
唐突ですが、ジャンボ鶴田は肝臓移植手術中に亡くなったとか。 あれほど体格と運動能力に恵まれたレスラーが、肝炎になったうえに、肝臓ガンで余命一年と宣告されていたとは。 現役時代にロクに練習しなくて強いという伝説があった人なのに、最期はこんな運命が待っていた。人間とは、なんとはかないものか。そんな思いでいっぱいです。 全盛期にはレスラーとしてあまりにも恵まれすぎていたので、いまいち応援する気になれなかったのですが…… まだ49歳でしたね。 しかも、移植してもよくなる見込みがないのに、移植手術を敢行して死んでしまった。 フィリピンの臓器移植というのは、どうも陰惨な印象がぬぐえないのですが、今回も提供者の死因その他を含めて、ひどく暗い感じがします。 前後の事情を知るにつけ、なんだかとても悲しいのです。 この気分は、一時期プロレスに熱中した人ならわかってもらえるでしょうが。 やりきれなくて、「ジャンボの魂よ、安らかに眠れ」とは今は冗談にも言えません。 全日本のリングを生で観たのは二、三回くらいでしたが、鶴田は本当にでかくて、元気いっぱいでした。 スポーツが得意な学校時代の人気者が、交通事故で死んだ―― いまの気持ちを整理すると、こんなところかもしれません。 そういえば、俳優の三浦洋一さんもガンでなくなりましたね。45歳とか。 もう誰も覚えていないかもしれないけれど、「池中玄太」シリーズや、2時間ドラマの「三毛猫ホームズ」が懐かしい。 TV俳優だとばかり思っていたら、つかこうへいの芝居出身だったんですね。 年が近くて、なんとなく親しみがもてる芸能人が死ぬと、なぜか寂しくなりますね。 御老人が同世代でがんばってる俳優・女優に入れ揚げる気分がすこしわかります。 数日前ですけど、声優の塩沢兼人さんも亡くなりました。階段から落ちて、脳挫傷だったとか。こちらも45歳(?)。 古すぎてなんなんですが、ファースト・ガンダムの「マ・クベ大佐」が懐かしい。 あの声と、マニアックなジオン公国地球侵攻軍司令官がよく似合っていました。 「究極超人あーる」とか、「がるでぃーん」とか、ヘンなロポットも似合っていたような。 塩沢さんは、富山敬さんや山田康雄さんみたいに思い入れのあるキャラクターの声というわけではないけれど、もう新作ではあの声が聞けないのかと思うと寂しい限りです。 古手のアニメファンとしては、もう黙ることにします。月並みなお悔やみの言葉など、冗談でも書けません。 さて、本日は「栄華物語」の続きです。 本を読むことの面白さは、「そこに書かれていないこと」を読むことでもある。 「栄華物語」を読んで、そのことを再確認した。 前にも書いたが、この物語は上下二巻に分かれていて、作者は別だ。 上巻は醍醐天皇の頃から書き始めて、万寿五年(1028年)の藤原道長の一周忌で終わる。下巻はその直後から、寛治六年二月六日(1092年)に藤原忠実(道長の孫の孫)が藤原氏の氏神・春日明神の祭礼を上卿(じょうけい)として差配するところで終わる。 下巻の時代には、平忠常の乱(1028年)・前九年の役(1051年)・後三年の役(1083年)といった武士の時代の先触れになる重大事件が起きた。しかし、「栄華物語」では一言も触れていない。 しかも、1073年に、後三条上皇が「院の蔵人」という院政政治の手足となる役職を定めたことにも触れていない。 じつは、これは藤原摂関政治が終わって、天皇を退位した上皇たちが院政をふるうターニング・ポイントとなる事件なのだが、そういう政治認識は栄華物語の作者たちには無縁だ。 その一方で、寺院や邸宅の新築や修復、資金不足からくる儀式の不如意から、摂関政治の衰退がわかるのが面白い。書いていないけれど、本文の記述から、後世の人間には事態の推移がはっきり見てとれる。 こういうところが、歴史の面白いところで、将棋で相手が負ける手を打ってくるのを、うきうきしながら待っている気分に似ている。 それにしても、道長の頃からやたらに火事の記事がめだつ。 「栄華物語」ではそうだが、じつは不審火による火災は菅原道真が流罪になって藤原氏の独裁体制がスタートした頃(10世紀初め)から頻発している。 最初は寺社の火災が多かったが、やがて内裏にある建物も火災に会うようになる。これは政治的テロと考えたほうがよいそうだ。 藤原氏の主流が政権を独占したので、不満分子は放火に走ったらしい。火災を人災と認めないで、天災と言い張って、天子・大臣の不徳のせいだと詭弁を弄し退位や辞任をせまる。 いまから見れば、ばかばかしいが、火事と政治にはこんな関係があった。 汚職のすっぱぬきや失言のリークで、現代の反主流派が退任を要求するようなものだ。 道長もこの手で仲の悪い三条天皇を退位させた。 しかし、恒常化した不満分子のテロ活動で、藤原氏の主流派の大邸宅はいつも放火された。 道長の時代も激しかったが、「栄華物語」下巻ではほとんど毎年といってもいいくらい内裏や藤原摂関家の大邸宅が火災にあっている。 「栄華物語」の作者たちは放火とはぜったいに書かずに、不思議なこととだといいながら、打ち続く火災を記録している。 これを読んでいると、内裏や大邸宅が焼けるたびに、一国の富がどれほど蕩尽されたのかと考えて暗澹とした気分になる。 この資金はもちろん摂関家が自分のふところを痛めたものではなく、地方行政官(国司)が悪辣な手段で地方農民・豪族からしぼりとってきたものだ。地方行政官たちは再任を願って、地方から強奪してきた富を、摂関家に惜しげもなく献上した。 内裏や大邸宅の再建に使われたのが、そうした富である。 火をつけたくなった連中の気分もわかるような気がする。 国家が壊れるというのは、こういう状態なのだろう。 昨日、ちょっと触れたが、平安貴族の「物忌み」や「悪霊払い」は、恐怖よりも「穢れ」(それは病気だけでなく、不運ももたらす)を潔癖に排除する精神態度から出ている。 「陰陽道」がこの頃大流行したのは、平安貴族の行き過ぎた消毒志向・清潔志向を満足させるためだった。いまの「いじめ」にも似た排除の論理の暴走なのである。 このことを云うと長くなるので、やめておくが、平安末期の頃の人のこころのありようは、貴族だけでなく、庶民であっても現代人とひどく似通っているところがある。 この土壌から、平安時代では法然や親鸞の浄土系宗教が生まれた。これは単純に一宗教と考えるべきものではなく、日本人がどういおうと、その心底に染み付いている発想だ。 山本七平氏のいう「ニッポン教」の核心なのである。 こういうことを考えてみると、平安末期から鎌倉初期の時代の病巣がとても現代的な問題に見えてくるので面白い。 古臭いようだが、このごろ平安時代にはまっているのは、そんなわけだ。 歴史学者小和田哲男さんがいうように、戦国時代は大変な成長時代だった。 だが、いまは大低成長時代だ。しかも、社会体制の動乱期でもある。 逆説的だが、新しい社会体制が底辺から固まりつつあった戦国時代よりも、上も下も新しい社会体制がわからなくなって、おたおたしていた平安末期から鎌倉時代のほうが、今のわたしたちにはもっと近しいと思うわけである。 |
昨日は病院へいったりして、時間がとれなくなってお休みしました。 病院にいったのは、風邪ではなく、定例の検査です。脂肪肝だといわれてからもう三年になります。ときどき、採血したり超音波診断で検査してもらっています。 検査の結果は――。 ふぉふぉふぉふぉっふぉっ!(バルタン星人笑い) この感動はちょっとわかってもらえそうにありませんね。(笑) 数値が前回の半分以下でした。 こんなドラスティック(drastic)に数値が良くなるなんて。(泣) 肝機能はほとんど正常値に戻りました。 アルコールは月一回、食事は減らす、運動はする。 こんなに、身体を動かしたのはもしかしたら、生涯はじめてかも。とにかく、体脂肪を減らすために、こまめに体操をしたり、ウォーキングをしたのでした。 これからも、用心して、アルコールと食い物は減らすようにします。 知り合いに、脂肪肝で悩んでいた人がいて、徹底的に減量してみごと治療に成功しました。 ところが、その人は幸福な結婚をして、みごとにまた脂肪肝になってしまったそうです。いまどきの男は三十過ぎたら、どんなに痩せている人でも、脂肪肝や中性脂肪に気をつけたほうが良いと、本日診てもらったお医者さんが云っておりました。 これは、わたしの私見ですが、女性の好む食物は、30過ぎの男にはヘビーなのです。 奥さんや恋人が好む嗜好は、成長期を終えた男にとって、脂肪分や炭水化物が多すぎます。 これをみて、笑っている二十代の貴兄も、明日はわが身ですぞ! 25歳を過ぎたら、成長期じゃなくて、「デブ成長期」が始まるのです。 気をつけましょう。(^^) ところで、やっと「栄華物語」を読み終えました。 岩波文庫で、上中下の三巻本です。いやはやヘビーな読書でした。連休はこれでふっとび、ついでについ先日まで読んでいたのです。 「栄華物語」については、読書の戦略が間違っていたようです。 この本を女性から見た政治事件の裏面史なんて視点で読もうなんて、身のほど知らずでした。素人にははっきり云って無理です。 「大鏡」をかなり読み込んだので、自信はあったのですが、まだまだ力不足でした。 しかし、わたしもしぶとい。たちまち立ち直りました。自画自賛します。 そんだけ「大鏡」を読んだからこそ、最後まで通読できたんだってね。 そう考えて、元気を取り戻しました。(笑) とにかく、こんな退屈なしろものを最後まで読んだのだから、もうどんな退屈な本も怖くありません。 いざとなれば、六法全書だって、まるまる全部読めるんじゃないでしょうか。(笑) おっと、こんなことを書くと、「栄華物語」の作者に怒られますね。 「言葉がすぎた、すいません」と謝っておきます。 それにしても、全編がほとんど恋愛・結婚・出産・お祝い・葬式といった広い意味の冠婚葬祭でした。 おかげで、平安時代の冠婚葬祭はいちおう頭に入った気がします。(笑) たぶん、タイムスリップしても道長の葬儀委員長の補佐くらいはつとまるでしょう。(冗談ですよ、冗談) それにしても、やたら「物の怪」が出てくるので、どうもヘンな気がしていたのですが、理由がやっとわかりました。 お産のとき、オンナの人が大騒ぎするでしょう。男のわたしにはよくわからないけど。 あれを悪霊の仕業だというんです。そりゃあ、お産があるたびに悪霊がおおぜい出現するわけですわ。 熱が出れば、悪霊の仕業。この時代、京都は水はけが悪くて湿地が多いので、蚊がいつも大発生していました。おかげで、蚊が媒介するマラリアも大流行していました。 あれは、三日おきぐらいに定期的に発熱するのです。 しかも、高熱が出て錯乱状態になる。うわごとを言い出したり、さもなけばただ熱を出しただけでも、悪霊の仕業です。 しかも、当時の人も経験的知識から、何日あたりに発熱するはずと見越して、祈祷僧や陰陽師をあらかじめ予約するのです。 ここから、合理的な疾病観に進むのは、あと一歩だという気もしますね。 「栄華物語」を読んで感じたのですが、当時の人がホラー小説みたいに悪霊を怖がっていたと考えるのは、間違いじゃないでしょうか。 現代人の意識に照らしてみると、バイキンやなんらかの汚染源を忌み嫌う意識に近いと思います。 現代人が院内感染やエイズを恐れたり、バイキンを嫌ってやたら消毒したがるのとおなじように、平安時代のひとは「悪霊」を考えていたのでしょう。 現代人と平安時代のひとがやけに似ているように思えてならないのです。 明日も「栄華物語」について書きます。 |
© 工藤龍大