やっと「日本初 水車の作り方の本」(吉田燿子)を読みました。 すんごい本……ですねぇーっ! イラスト入りでしっかり水車の作り方を説明してあります。 ただ、これを見て水車を作る気になるかというと……どうも無理ですね。 というより、水車作りの奥の深さにめげて、わたしはほとんど絶望してしまいました。 日曜大工でもセミプロ級のヒトじゃないと、はっきり言って無理。 椅子を作っても、人が座ったら潰れた。犬小屋を作ったけど、どうも歪んでいるような気がする……そんなレベルの人では歯が立ちますまい。 日曜大工の得意なイラストレーター氏が、水車作りの専門家の指導を受けて作成した「ミニチュア水車の作り方 初級編」をみても、これは大変そうだ。 よっぽど、電動ノコや電動ドリルの使い方に慣れていないときつい。柱に釘を打つたびに、指を叩いているような人には無縁の世界ですね。 「ロッキング・チャアからログ・ハウスまで作ったこのオレだ。 なんだ、これぐらい軽いじゃん。 30分ですいすいイッチョ上がりだぜっ!」 なんて人にはお勧めかもしれませんが。 わたしの知り合いには不思議と大工仕事が得意なのがいないので、はっきり言ってびびりました。 しかし、吉田さんはさすがに手抜かりなし。 つけいる隙がありません。 長野県で手作りの「組み立て式水車キット」を製造・販売している大工さんを紹介してくれます。 しかし、値段はびっくり。 17万円だそうです。 水車を作ることに、初心者がいきなりそれだけの金額をかけられるか? といわれれば、へこたれちゃいますね。(笑) 小心者のわたしとしては、「もう少しまかりませんか?」と呟いて、一喝されるのが落ちです。 ただ価格を除けば、難しい木の板の処理も加工済みだから問題なし。水車の中心につける鉄製心棒や両端の軸受け部分も入っています。 これだと、木ネジを締めて、ボルトとナットをつければ、はい、できあがり。 ただね、もうひとつ問題があるのです。 水車の輪の部分の直径です。 1メートルだそうです。イチめーとる(1m)。 これを買って組み立てたとして、どこに置いたらいいのか? この根本的な問題があります。 庭付きのお家にお住まいの方でもなければ、画期的な「組み立て式水車セット」も活用できないようです。 ぎゃくにいえば、そういう方ならお庭のインテリアとしてはお薦めですね。 本の写真を見る限り、なかなかレトロな風情が美しい水車です。 全国のお庭に一台、必ず水車キットがある……なんて、ことになれば楽しいですね。 いろいろありますが(笑)、この本(「日本初 水車の作り方」)の水車へのこだわりはとにかくハンパではない。 明日もまた読んでみることにします。 ところで、昨日の読書日記の反エイズ治療活動ですが、一日考えてみて、思いついたことがあります。 クリスティンさんの意見も百パーセント間違いとは言い切れない部分もあるように思うのです。 ただし、あくまでも理論上ではありますが。 「生物の進化を媒介したのはウイルスだ」という学説があります。 これは「ウイルス進化説」と云います。 詳しく書くと手に余るので、かいつまんで説明します。 ウイルスはご存知のように核酸だけで出来ている生物と化合物の中間です。 生物の遺伝子も核酸で出来ていますね。ウイルスは核酸を使って遺伝子を再生する生物の仕組みを利用して増えるのです。 ただし、時として遺伝子再生産システムに手違いが生じることがあります。いわゆる突然変異というものです。ただ個体の細胞の場合では、損傷した異常細胞の増殖つまり、ガンという形になることが多いので、あまり歓迎されません。 その手違いにウイルスが一役買う場合もあるのです。他の個体や異種の生物の身体から感染する際に、元の宿主の遺伝子をウイルスが誤まって自分の内部に複製(コピー)してしまう。次に、新しい宿主の遺伝子にその遺伝情報を誤まって複製する。こんな形で、遺伝子改変をやってしまうのですな。 生物の歴史において、異種間で遺伝子媒介をするウイルスがなければ進化はありえない。それが「ウイルス進化説」の骨子です。 ただし、ウイルスとの共存はすぐに出来るものではなく、異種の生物との共存に成功したウイルスが他の種類の生物とうまく共存できないことのほうが多い。 たとえば、数年前にインドネシアで、豚から人間に感染して数日で死亡する恐ろしい新伝染病が発生しました。 後の研究で、この病気の原因がウイルスであることわかりました。このウイルスは、もともとは疫病が発生した地方の密林の奥深くにある洞窟にだけ棲むコウモリと共生していたものです。 ところがインドネシアで養豚が盛んになって密林が切り開かれて、その跡に養豚場が立った。空気感染でコウモリから豚にウイルスが感染したのです。 コウモリには無害なウイルスも、人間と豚には致命的な効果を及ぼしました。 これは、森林開発によって、新しい伝染病が生まれた例です。 ウイルスと人間とのつきあいは、デオキシ・リボ核酸を使った遺伝子システムが出来たときからのものです。 だから、ほとんどのウイルスは、何万年にも及ぶ付き合いのなかで、進化の過程を通じて人類と共存するようになっています。 インフルエンザみたいに、時として致命的な症状を引き起こすウイルスは、出現した年代が生物学的にみて比較的新しいからだそうです。 そう考えると、HIVウイルスもいつかは人類と共存できないわけはありません。 インドネシアのコウモリが毒性の強いウイルスと共生できたように。 ただし、そのためにはHIVウイルスが徹底的に広まって、それに対応できない個体がほとんど死に絶えるくらいの被害が出る必要があります。 密林のコウモリだって、最初はそういうひどい目にあったのは間違いない。 それに生き延びた個体だけが子孫を作って、ウイルスと共生できたわけですから。 昨日の反エイズ治療活動家の意見も、こういう意味においては正しいと言えます。 しかし……ウイルスとの共存には数世代か、時には数万年かかるかもしれません。 そういうことであれば、勇気ある女性活動家の意見に賛成するのは、やはり問題ありってことになるでしょうね。 ロック・バンド<フー・ファイターズ>のサイトと、問題の女性 Christine Maggiore さん主宰の団体のサイトを紹介しておきます。 興味がある方はアクセスしてみてはいかが? Foo Fighters のホームページ Foo Fighters - There is Nothing Left to Lose URL (http://www.foofighters.com/main.html) Christine Maggiore さん主宰団体「Alive & Well」のホームページ Alive & Well - Aids Alternative URL (http://www.aliveandwell.org/) どちらも、2000/08/31 現在 |
オンライン書店「bk1」に注文していた「水車の本」( 8月23日の日記参照)が届きました。 注文してから一週間足らずで届きました。 街の書店では二週間くらいかかりますよね。 しかも、バイト店員さんたちの対応は悪いし……。 この調子だと、そのへんの街の書店で本を買う人なんていなくなるかもしれませんね。 送料がかかるといっても、電車代くらいですしね。 これから本を注文するときは、オンライン書店にすることにします。 じつは一月ほど前、ある本を近所の本屋さんで注文したのですが、三週間経っても連絡がない。立ち寄ったついでに、様子を聞いてみると、すでに本は届いていました。 なんでも留守電に連絡を入れておいたそうですが、うちの留守電話にはメッセージが入っていません。 電話の調子が悪かったということもあるのでしょうが、信頼性にはちょっと問題あり……という気がします。 やっぱり、これからは eコマース ! IBMの回し者じゃないですけどね。 ところで、「水車の本」は届いたばかりなので、まだ読んでいません。明日くらいに読書日記にアップしようと思います。 余談になりますが、著者の吉田燿子さんは、たしかIBMの元社員でした(笑)。 ところで、またまた英語版NewsWeekがツン読状態になっています。 油断をすると、これだから。(笑) 英語名人の方々に言わせれば、英語週刊誌はまじめに読むものじゃない。ツン読しておくくらいで丁度いい――らしいのですが、わたしは天下御免の小心者。 やっぱり気になるので、この三週間分くらいは通読しておこうと思います。 このところ大統領選挙のニュースが多いですね。 先々週はリーバーマン副大統領関係のニュースで特集が組まれました。 FENでも、ときどき「アル・ゴアの歌」なんてのがかかります。 正確な題はわからないのですが。 あれって、ゴアを誉めてるんでしょうか、けなしているんでしょうか。 どうも英語の歌は、よくわかりません。 歌詞カードがないと、何を言っているのかわからない活字型英語学習者の悲哀を感じています。 NHKの「青春のポップス」で字幕で英語歌詞が出るのが嬉しいタイプです。 「へぇーっ、この歌って、こんな中身だったの」と、改めて感心する……なんて、ことがよくあります。 ところが、ロシア原潜「クルスク」の特集記事が載った先週号に気になる記事がありました。 日本語版を読んだ人もたぶん見たでしょうね。 「HIV感染で死ぬ人間なんていないんだ」と主張する女性活動家の記事です。 この女性も、HIV感染者なのですが、その主張が凄い。 「HIV感染者が死ぬのは、エイズ用治療薬のせいである」 「HIV検査は信用できない」 「HIV感染しても死ぬことはない」 「コンドームなんか使うな」 なんていう主張を繰り広げて、エイズ患者のあいだで急速に支持を広げているのだそうです。 HIVとはいわゆるエイズ・ウイルスですけど、この女性のアタマの中では、後天性免疫不全症候群(AIDS)と、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)はきっぱりと分かれているのです。 もちろん医療関係者は、彼女の主張には大反対です。 セーフ・セックスを否定したら、HIVキャリア(感染しているけれど発症しない患者)がどんどん感染を広げる――そんな事態を恐れているからです。 困ったことに、この女性(クリスティン・マギョール)を指示する人々の中には、有名人が大勢います。 歌手のニナ・ヘーゲンは彼女に捧げる歌を作り、人気ロック・バンド<フー・ファイター>は自分たちのホームページでクリスティンさんの主張を公開しています。 大物政治家も例外ではありません。 エイズに悩む南米のムベキ大統領は、個人的にクリスティンさんと接触。その主張に大いに心を動かされ、世界の科学者にHIVウイルスとエイズの関係を見直すように調査を要請しました。 ただし、それに回答をよせた5000人の科学者たちは、「ぜったいに、ゼッタイに、絶対に」間違いないと答えたとか。 とにかく、この女性がエイズ患者とエイズ問題活動家たちに波紋を投げかけていることは間違いありません。 この女性の夫もHIV感染者で、夫婦のHIV感染が判明した後に、男児を出産しました。 妊娠中も出産後もHIV治療薬を拒否して、母乳を与えて育てました。 常識的にいえば、これではHIVに感染しないで生まれても、母乳で育てられたら100パーセント感染してしまいます。 でも、両親はそんなことは信じてはいません。 三歳になる坊やに、HIV検査を受けさせるつもりもないのです。 「自分たちは健康なんだから、問題がない」 その一点張りです。 彼女の支持者たちは、この信念に感動して、サポートしているのです。 エイズ治療薬を飲まなくなった患者たちは、信念の力で癒されていると信じています。 これが「癒し」といえるのかどうかはよくわかりません。 どちらかというと、狂気に近いような気がしますが。 あなたは、この「狂気にも似た癒しの力」を信じますか? |
いろいろありましたが(笑)、立ち直って読書日記を再開します。 今回読んだ本は、「北条政子」(渡辺保)です。 吉川弘文館の人物叢書という定評ある歴史評伝の一冊です。 北条政子という人について、わたしたちは何を知っていたのかと、この本を読んで思いました。 北条政子といえば、女流歴史作家永井路子氏の縄張りだと思って、敬遠しておりました。 もちろん永井氏の鎌倉歴史小説やそのものずばり「北条政子」という作品も読んだことはあります。 ただ正直いって、感心はしなかったのです。 太平洋戦争後の、女性解放の波にのって現れた女性作家としては、「おんなだって偉いのよ」ということを言いたいのでしょうが、いまいち感情移入できません。 世代が違いすぎるせいか、この方の論点はどうもよくわからないのです。 個人的にいえば、塩野七生さんのような歴史を文明として捉える視点がないところもいただけません。 同時代に現れた司馬遼太郎さんと比べても、どうにも食い足りないのです。 もっとも司馬さんと比べるほうが悪いかもしれませんが。 昔の作家さんの悪口を言ってもしかたがない。 とにかく、この本を読むまで、わたしの知っている北条政子という人は、オンナの妖しい情念に突き動かされた、嫉妬深い「ふつうの主婦」という感じでした。 良くいっても、「おんな太閤記」なんかの橋田寿賀子のノリですね。 それよりも、「渡る世間は鬼ばかり」の出来の悪い嫁に悩まされる(これまた)意地悪な姑といったほうがいいかも。 NHK大河ドラマでいえば、「花の乱」の日野富子よりもマシだけれど、「葵 徳川三代」の北の政所よりは下くらい……といえば、なんとか分かりますか? 大河ドラマを観ていない人には、そもそも分かりませんやね。失礼しました。(苦笑) 平安時代末期や鎌倉時代だって、この国にとって大変な構造改革だったわけですが、そのあたりがこれまでの歴史小説ではいまいち伝わってこないところがあるように思います。 深刻な宗教が好きでもないし、小難しい理屈はもっと嫌いな日本人が、世界に誇る鎌倉仏教を生み出したのはなぜか。 勝手に言わせて貰えば、あの時代が日本人にとって、とてつもない社会の変動期だったからでしょう。 古代文明と中世文明の衝突といってもいい。 前振りが長くなりましたが、この本(「北条政子」渡辺保)を読むと、政子という人が日本史上まれな政治的天才であったことがよくわかります。 この人がいたからこそ、初期の鎌倉幕府はなんとか存続できたのです。 頼朝という人は、武門の棟梁とか言われますが、しょせんは都の中流貴族なのです。 その晩年には自分の娘を天皇の后にしようとして、とりかえしのつかない失敗をやらかします。 幕府に協力的な公家(九条兼実一家)を失脚させて、朝廷の反・幕府勢力を大成長させてしまったのです。 おかげで、その後の二十数年間、幕府は朝廷の巻き返しに傷めつけられます。 失敗の張本人の頼朝は、このあと数年して死んでしまいます。暗殺されたという説もあるくらいの、不審な死に方でした。 頼朝亡き後の苦難の時代をささえた大政治家が、北条政子という人なのです。 もしも鎌倉幕府が潰れたら、この国はどうなったでしょうか。 たぶん院政時代や、南北朝時代のような無政府状態がまた起きたでしょうね。 農業が発達して、生産力を発展させるチャンスもなければ、庶民が社会の表舞台で活動できる機会もありません。 おそらくは社会が停滞したまま、貧しい国として中世が長く続き、大航海時代にヨーロッパ人がやってきたときには植民地になっていたかも。 いや、それよりも早くモンゴルの植民地になっていたかもしれません。 そんなことを考えると、北条政子という人の比重は、どんどん私の内部で大きくなっていくのです。 鎌倉幕府をささえる北条政子の敵は、亭主・頼朝の親戚たちや、息子の嫁の実家・比企一族。しかも、実父・北条時政と継母の陰謀で二人の実子と孫たちも殺される羽目になる。 だいたい若い継母におぼれた父・時政は、継母の子供たちばかりネコ可愛がりして、先妻の優秀な子供たちを苦しめるのです。 意地悪するって意味じゃないですよ。 文字通り、北条氏の内孫たちでさえ殺しにかかるのですから、あきれたオニ親父であります。 そんなとんでもない親族・縁者たちと戦う政子の味方は、弟・義時とその子泰時。そして、ばつぐんの切れ者・大江広元だけ。 これだけの個人プレーをやった日本史上の英雄といえば、秀吉くらいしか他にはありますまい。 こう書いてくると、「それって『渡る世間は鬼ばかり』のまんま」みたいですね。 でも、この国の歴史を調べていると、「しょせんは橋田寿賀子ドラマかな」と思うときがよくあります。 いっちゃなんですが、この国の歴史は、オンナの人と、オ○ナの腐ったのが作っているんじゃありませんかね。 「オ○ナの腐ったの」という代物を、この国では○トコというらしいですが。 |
一昨日から、ドイツ語のオンライン雑誌をいろいろ読みまくっています。 故アンディ・フグの関連記事を探すつもりで検索を始めたのですが、いつのまにかただの雑誌読みになってしまいました。 ドイツというと、お堅いイメージが強いですね。 わたしも、そうだと思っていましたが、海外旅行で知り合ったドイツ人たちはどうも「普通の健康な」おっさんやニーちゃんです。 日本でドイツ語を教えている生真面目な人たちとは、人種が違うのかもしれません。 今回サーチしたおかげで、ずいぶん健康的なページがあることもわかりました。 ただし女の人が見ても、つまらないでしょうが……(笑) お堅い経済雑誌のはずなのに、なぜかヌードのページがある! しかも、問題に答えていくと、美女が一枚ずつ服を脱いでいくというようにインタラクティブな作りになっています。 もしかして、ドイツ人って、そうとうな好き者なんじゃないでしょうか。 そのセンスは、日本の週刊誌と同じだなと、妙なところで感心してしまいました。 人生は――金儲けとエロ! さすがは東西のエコノミック・アニマル。どこか似たところがあるのかもしれません。 そういうわけで、日本語の本には触っていないのです。 われながら、哀しい中年であります。 綺麗なおねぇさんは好きですか? ……はい、もちろん!(笑) ソフトな映像で、綺麗なおねぇさんがにっこりしているのは良いですねぇ。 なんだかほんわかしてしまいます。 とにかく早いところ、綺麗なおねぇさんのユーワクから立ち直らなければ。 「目標一日一冊の読書日記」なんて、タイトルが泣きますわネ。これじゃあ。 追記: きれいで、インタラクティブなお姉さんたちに会うには、<News Networld>へどうぞ。 ドイツ語で書かれていますが、なに見ればすぐわかります。 ただインタラクティブな質問がドイツ語だったりするのですが…… |
昨日(27日)は、アンディ・フグの告別式でした。 アンディ関連の記事検索はまだ続けています。 ただフグという姓は、スイスではそれほど珍しいものではないらしく、家族向けのサイトが引っかかるので困っています。 自分の家族や、子供を紹介するしょーもないページです。 もっと検索を絞りこまなければならないようです。 さて、気を取り直して、普通の読書日記を再開することにします。 扱う本は、アンディ・フグ訃報の前に書いていた山川菊栄さんの「武家の女性たち」です。 これは戦前・戦後に活躍した社会主義運動家・山川女史が、水戸藩の儒者の娘だった自分の母から聞き書きにしたもの。 幕末当時、幼女だった母の眼でみた祖母たち一族の女たちの生活が、みごとに描かれています。 「最後の将軍」徳川慶喜が出た幕末の水戸家は、慶喜の父・烈公の政治改革に根を発する激しい政治闘争に明け暮れました。 中立という穏健な立場は許されず、家臣は烈公派か反・烈公派のどちらかに属さなければ生きられません。烈公派は反・烈公派を弾圧し、幕府の介入で反・烈公派が勢力を盛り返すと、今度は報復人事と政治的弾圧で烈公派を痛めつける。 シーソーゲームのような、復讐劇がいつ果てるとも無く続いていました。 そして、最後には烈公派の系譜を引く改革派が<天狗党>という反乱軍を組織して、水戸藩や幕府と戦闘状態に入ったのはご存知のとおり。 山川女史の母の実家・青山家は、烈公の知遇を得た儒学者で一族はほとんど烈公派です。 したがって、反烈公派が藩の政権を握ると、家禄を減らされ、住み慣れた屋敷を追い出されて、狭い長屋に蟄居させられます。 山川女史の母の叔父が中立を説いて、両派の和解を模索するのですが、この人は暗殺されてしまいます。 狂気にも似た政治動乱のなかで、男たちは殺し合い、あるいは滅びの道を歩んでいくのです。 そのなかにあって、家の生計を支えているのが、おんなたちです。 大名家のなかでも貧乏で有名な水戸藩ですから、家禄だけで生活することなどけっこう偉い武士でも無理だったそうです。 しかも、夫たちは好むと好まざるとにかかわらず政争に巻き込まれて、よくて家禄半減、悪くすれば家禄没収です。 どっちにしろ、藩のお手当てでは暮らせない。そこで、おんなたちは機織をしたり、糸を紡いだりして、家族が食べていけるように闘うのです。 しかも、男たちは戦場に借り出されて、死傷することもあります。 天狗党の騒ぎに巻き込まれて、行方不明になる例も。 政争に敗れて藩から追放にされたものも含めて、その母や妻たちは住み慣れた藩の屋敷を追い出されて、町屋や農村へ移り住んで、自分のちからで生活してゆく手段をみつけねばならなかったのです。 そんななかにあっても、山川女史の母たちの誇りは、水戸藩の女たちはどんなに貧乏であっても、芸者や遊女に身を落としたことはない。町人になっても、誰にも頼らず自立して暮らしたということです。 そのために、彼女たちはがんばって生きていたのです。 ただ、それだけだと、潤いも何も無い生活ですが、そんななかにあっても、ささやかな娘らしい娯楽を楽しみました。 父親に手作りで、和歌のカルタを作ってもらったり、裁縫の先生(もちろん武家の女性)の旦那さんの、みゅーに可笑しい芸事を見物したりと、娯楽が素朴な分だけ泣けてきますね。 この裁縫の先生の旦那というのが、元は江戸勤番の武士で、お堅い水戸藩士には珍しく大の芝居好き。江戸詰めの頃に見よう見真似で覚えた芸を披露して、根のつまる裁縫をしている娘たちを慰めようとしてくれる心優しい人でした。 しかも、習い子の娘たちの仕事ぶりが悪いと文句を垂れるお客には、逆ねじを食らわしにいく。お客のほうがすっかり参って、弟子の家へ謝りにいくことになる。 なんだか、池波正太郎さんや山本周五郎さんの時代小説みたいなお侍さんです。 リストラで中高年が難儀する現代ですけれど、幕末の水戸藩に比べればまだまだ甘いものです。 あちらは暗がりを歩いていたら、ばっさりですからね。親父狩りどころじゃありません。 そんな時代を生き抜いた素敵なサムライの娘たちのお話が、この本にはいっぱい詰まっています。 へたな時代小説なんか、読んでいる場合じゃありません。 山本周五郎、藤沢周平、池波正太郎といった大御所のファンなら、ぜひ読んでいただきたい一冊です。 めったに人に本を薦めないわたしですが、これだけは別。 日本人なら、ぜったい読もうと声を大にしていいたいです。 ちなみに、この本は岩波文庫なので、簡単に手に入りますよ。 |
昨日から、スイスのアンディ・フグ関連サイトを検索しています。 やっぱりフグはスイスのスーパー・スターだったんですね。 かなりの数があります。多すぎて、まだ読みきれません。 それに、ドイツ語なんで、英語ほどは簡単に読めないのです。 あと一週間くらいはサーチして読んでみようと思います。 昨日から読んでいるスイスの新聞「ターゲス・アンツァイグナー」の記事で知ったのですが、フグの父親は外人部隊の兵士だったそうです。 そういえば、そんなことを聞いたことがあります。 両親は10歳で離婚。父親はその後タイに渡りました。 母親はアンディ兄弟(姉と兄?)を田舎の祖母に預けて、ひとり都会に出て生活費を稼いでいたそうです。 アンディの育ったアールガウ州(スイス)は、比較的豊かな家庭の多いところで、経済的に豊かでないアンディ少年はつらい思いをいっぱいしたようです。 欧州の少年らしく、サッカー選手になって見返してやろうとサッカーに熱中したのですが、運動能力は高いものの、貧乏なアンディ少年には活躍の場はなかったようです。 父親の離婚後、しょげていた少年に、空手を習わせてくれたのが、祖母でした。 別のインタビュー記事で、スイスにおけるアンディのビジネス・パートナーが「苦労しらずの人間は良きファイターになれない」と云っていましたね。 15歳でスイスのフルコンタクト系空手大会の成人部門にいつも出場するようになり、17歳では空手道場の師範になります。 21歳にアムステルダムで開かれた第一回ヨーロッパ選手権王座を獲得。23歳で、極真空手の世界大会で準優勝。 でも、この頃のフグは自分では食っていけなくて、のちに結婚するイローナや友人たちの援助で生活していたそうです。 後の活躍は、ファンならみんな知っていますね。 昨日はうっかりと日テレの追悼番組を観てしまいました。 こちらはフジとは違ってよかったです。 そのなかで、アンディのスパーリング・パートナーだったグレート草津が涙を流しながら云っていました。 「アンディはよっぽどつらいこと、悲しいことを沢山経験して来たのじゃないか。 さもなければ、あんなに優しい人間になれるはずがない」と。 極真キラーのレ・バンナも、K−1を辞めようかと思って悩んだとき、フグに親身になって相談に載ってもらったとフジTVの電話インタビューで話していましたね。 アンディが子供たちに優しかったのは、自分自身の子供時代がつらすぎたからだと思います。 ちょっと意外だったのは、スイスと日本ではアンディ人気の性質が違うという記事でした。 すいません、云い忘れましたが、これは「ターゲス・アンツァイグナー」紙ではなく、 「スイス・ファミーリエ」という雑誌の特集記事です。 「青い眼のサムライ」というイメージが強い日本に比べて、スイスでのフグは貧しい母子家庭から這い上がった「ロッキー」というイメージだそうです。 フグ自身、日本のファンのほうがもっと純粋に自分を愛しているように感じると、インタビューで答えています。 スイスの若者たちの熱い視線には、もっとハングリーでせっぱつまったものがあるのです。 そういえば、スイスの新聞の記事にも、K−1の成功でいちやく大金持ちになったフグへの複雑な感情をのぞかせる記述があります。この雑誌にも、どこかそんな感じがしないでもありません。 外国で有名になり、プール付きの豪邸を建てるまでになったフグを、快く思わないスイス人もいるのでしょうか。 この記事は、昨年5月のものですが、この頃すでにフグはあと二年でK−1の現役から引退して、アクション俳優やK−1のマネージメント部門をやりたいと云っています。 日米共同出資のプロダクションを作って、映画スターになる計画を持っていたのです。 日テレの番組で「神様はフグを武道家として全うさせたかったんじゃないか」と誰かが云っていました。 わたしも、なんだか、そんな気がしてきました。 ところで、最後に補足しておきますが、スイスではアンディは「スイス人の失われた理想像」と考えられているそうです。 「強靭な肉体に、強靭な精神を持った戦士」。 意外なようですが、スイス人はそうした国民的理想像を抱いています。 スイス人は、中世から近世にかけてヨーロッパ最強の傭兵部隊として、全ヨーロッパをまたにかけて活躍しました。 「第三の男」でオーソン・ウェルズが云うように、別に鳩時計ばかり作っていたわけではないのです。 あのイタリア・ルネサンスの頃が、スイス人傭兵部隊が大活躍した時代でした。 全ヨーロッパが武人としてスイス人傭兵を恐れていたのです。 この国に、フグのような人が現れたのは偶然ではないでしょうね。 「日本武道」に、スイス人の戦士の血が共鳴したからこそ、「青い眼のサムライ」アンディ・フグが誕生した――。 そんな風に、思えてならないのです。 |
さすがに、昨日は読書日記を書く気にもなれません。 フジTVで午後八時からアンディ・フグ追悼番組がありました。 観たけれど、観たのを後悔しています。ビデオ屋にでもいって、昔の格闘ビデオを借りて来たほうがよかった。 フグの追悼で、なんで藤原紀香の顔を大アップにしなければならないのか? 素朴な疑問がふつふつと湧きました。 ノリカの科白が無限に長く感じましたね。 フジワラ好感度が、いっきに急降下で冷え込んだ夜でした。 もう日本のTVが流すフグ追悼番組はいっさい観ないことにします。 ほとんど紀香が号泣、カズシゲが絶句!なんて、ことばかり。 取材能力と企画力の貧困は救いがたい……。 もう、やめろと云いたいですわ。 日本のマスコミに見切りをつけて、もしやと思ってスイスの代表的な新聞「ターゲス・アンツァイグナー」のサイトを覗いてみました。 すると、アンディ・フグの死がトップで報じられていましたね。 「アンディ・フグ、日本で埋葬予定」 スイス人キックボクサー、アンディ・フグが中央ヨーロッパ時間の木曜日11時21分に白血病で亡くなった。 <わが人生最大の敵>と自ら名づけた病には、勝てなかった。 この記事に詳細記事がリンクしてあって、「病気の発症と闘病生活」「フグのサクセス・ストーリ」「フグを悼むインタビュー記事」「ファンへの最後のメッセージ」といった内容の特集記事があります。 「最後のメッセージ」は、再三TVで伝えられたのと同じ内容をドイツ語にしたものです。ただし、翻訳したせいでしょうか、「押忍」という言葉はありません。 ちょっと問題があるかもしれませんが、ドイツ語版の「最後のメッセージ」は このページに引用してあります。 壁紙に使うなり、いろいろ加工して、アンディの思い出のよすがにしていただくと幸いです……って、やっぱりまずいかなぁーっ。 「死に至る血液のガン」という記事には、10万人に数人しか発病しない「急性前骨髄球性白血病」というアンディの病気のことが詳しく書かれていました。 すでにご存知の人も多いでしょうが、この病気は中年男性がいきなり発症して数日で死に至るという凄い病気です。 原因も不明で、決定的な治療法もありません。 鉄人アンディの最期は、やはり天命という他はありません。 ところで、長文の三つの記事はまだざっと眼を通しただけです。 辞書でもう少し確認したいと思います。 何か面白いことがあったら、明日にでもこの日記で紹介します。 追記: ところで、懸念の「水車の本」( 8月23日の日記参照)でありますが、本日注文しました。 どこかというと、 オンライン書店「bk1」です。 今まで、日本の書籍をオンラインで買ったことはないのですが、ここは使い勝手がずいぶん良いですね。 9月30日までは、送料無料で配送してくれます。 出不精で、本好きの人にはお勧めです。(笑) |
24日、午後6時21分、東京の日本医科大学付属病院にて、アンディ・フグが亡くなった。 享年は35歳。 スイス生まれのアンディ少年に、東アジアの武道に興味を抱かせたのは、ブルース・リーだったそうだ。 11歳で空手に出会ったスイス人少年は、日本人よりも日本人らしい武道家になった。 その不思議をすこし考えてみたい……と思います。 では、また明日。 |
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