お気楽読書日記: 1月

作成 工藤龍大

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1月

1月24日(その二)

掟破りの「読書日記」からの更新です。
このごろ時間がとれなくて、更新時間が不規則になってます!
このあいだは48時間で睡眠時間が3時間半だった。(溜息)

日記才人経由の方は、マイ日記才人に登録しておくと更新がわかりやすいかも♪
ばればれの宣伝でした!(笑)

「お気に入り」か「ブックマーク」に入れておいてくれるともっと嬉しいです。
下手に出ているように見えて、われながら図々しいな、ほんと。(汗)

更新が遅れても、きっと一日一回は更新するつもりです。
どうぞ、今後ともよろしくお願いします。

さて、どーも仕事で頭脳を消耗した結果、難しい本はストップですね。
こういう状態になると、読書家はみょうなものに走ります。

ひとつは辞書。
国語辞典でも、古語辞典でも、漢和辞典でもいい。
英和、英々、独和、仏和、はては羅和、希英辞書までいきますね。

言葉について書かれた辞書なら、なんでもオッケーです。
赤ん坊がおしゃぶりを舐めるみたいに、疲労が頂点に達すると読書家は言葉をねぶりはじめるのです。

そうして、もうひとつやりたくなるのが、知らない言語の入門書を読むこと。
入門書だけなら、読書家はロシア語、中国語、朝鮮語、チェコ語、スペイン語、ルーマニア語まで読破しました。
ただし、現在このなかで少しでも記憶が残っているのは、中国語、スペイン語、ロシア語だけ。
ほかは全部忘れました!(大笑い)

まあ、こんなのは読んだうちには入らないといえば、まさにそう。

こう振ってくると、もうおわかりでしょうが、いままた不毛な外国語入門書にはまっています。
それは、なんといまどき誰も見向きもしないアラビア語であります。

むかしTVキャスターをやっていて、日本新党、新進党をへて、いまは自由党(だったかな?)の議員をやっている小池百合子という人をご存知ですか?
この人はカイロ大学文学部社会学科を主席で卒業したそうです。
まだ小池女史が有名になる前に、それを聞いた吉村作治さんが肝を潰したと自筆エッセーで書いていました。
日本でいえば、アラブ首長国連邦の人が日本へ留学して東大を主席で卒業するようなものだかららしい。
それも受験戦争全盛のころの。

その小池女史がまだTVキャスターだった時代に書いた本が、目下読んでいる「三日で覚えるアラビア語」です。
政治家になってからはどうかわかりませんが、キャスター時代の小池女史はとても頭が良さげな人でした。
この本も、いま読んでみると、じつによくまとまっています。

複雑なアラビア語をこれだけ単純化して教えられるとは、この人はそーとー頭がいい。
読書家はむかし日本語教師をしたことがあるので、外国語教育の難しさは骨身にしみて知っています。
わたしがもっと頭がよかったら、生徒さんたちも楽だったのになあ。
反省することしきり――です。

「わかりやすいアラビア語」「アラビア語入門」なんて、イラスト入りの入門書を読んだことがあるけれど、こっちはちっとも分かりやすくなかった。
へたウマなイラストばっかりで、ちっとも頭に入らない。
著者はあんまり頭がよくなかったようです。
これで、以前は挫折しました。

ただ今回の本はすらすら読めます。
ずっと買ったきりでツン読していたのが嘘みたいです。
記憶力が落ちているので、覚えられるかどうか自信はないけれど、最後まで読み進めることはできそうです。

しかし……この本の初版は昭和58年(1983年)です。
あのころはアラブ・マネーが世界を席巻していたっけ。
だから、アラビア語入門書もぞくぞく出て、中途挫折者を量産したのね。(泣)

わたしが買った版は、昭和62年(1987年)ころでした。
そろそろ昭和が終わる頃だよなあ。

あれから14年。
いちどは敗れた夢(アラビア語征服)に、男はふたたび挑むのであった!
成果は、こうご期待!

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1月24日

久しぶりに病院へいってきました。
血液をチェックしてもらう検査です。
肝臓の検査です。コンピュータ業界人は、みんなやられてますね、これ。
生活が不規則だから、高脂血症は当たり前。
わたしはただの脂肪肝だけど。(笑)

ただこの前糖尿にかかわる嫌な数字が出てきました。
空腹時でも糖尿病がわかるというアレ(hbAC)です。
まだ危険な数値じゃないんですが、これからはダイエットしなけりゃあ。

お医者さんが厳しいことを言ってました。
「これからは食べることに楽しみを見出すのは止めましょう」って。
「他に楽しみをみつけてください」
わたしの人生をよくよく振り返れば、ただの大食いデブでしかなかったのか!
あれから一念発起して、一ヶ月で5キロ痩せました。

どうやって、そんなことが可能だったのか。
答えはただひとつ!
食わないことにつきますね。

まあ結果は来週出るとして、病院の待ち時間の長いこと。
おかげで、駅前で買ってきたジャパン・タイムズを隅から隅まで読んでしまいました。
朝っぱらから、じーさん・ばーさんでごった返していて大変です。
歳をとっても朝から病院通いする生活は嫌だなと思いますね。
「気功とか、漢方とかをきわめて、ぜったいに病院通いはしないぞ!」
なんて、悪いけれどつい思ってしまう。
いまも自分が通っているのに、いい気なもんです。

ところで、面白い記事がありました。
国連(国連薬物コントロール・犯罪予防局)の発表によると、世界では麻薬の使用量が減ってきているらしい。
ただし、それはコカイン、ヘロインだけです。
しかも減っている地域はアメリカだけ。

アメリカ政府の熱心な予防・治療対策のおかげで同国内では流通量が減っているとのことです。
1985年から1999年までに不正ドラッグの使用は40パーセント減少して、コカイン使用は70パーセント減っている。

しかも米政府がかけているお金が半端じゃない。
85年には8億5500万ドルだったのが、99年には56億ドルにまで予算が膨れ上がっている。
その努力のたまものだというんですね。

コカインやヘロインの原料となるケシの産地でも、生産量が減ってきているそうです。
ボリビアが98年から78パーセント、ペルーが90年代を通じて50パーセント、ラオスがこの二年ほどで30パーセントほど生産を減らしています。
79年に800トンのケシを出荷したパキスタンは、いまやほとんど無視してかまわないくらい。ベトナムは過去10年間に90パーセントも減っている。

ただしアフガニスタンだけは増えているそうですが……。

コカインやヘロインのほうが素晴らしい成果を出していますが、逆の場合もあります。
アジアとヨーロッパで増えているのが、アンフェタミン。覚醒剤ですね。
世界的な規模で覚醒剤使用は伸びているそうです。
おもな供給者と使用者は発展途上国とのこと。

アジア諸国やヨーロッパ諸国が、アンフェタミンの蔓延を防ぐには、やっぱりアメリカなみにお金がかかるんでしょうね、きっと。
政変があいつぐこうした国々で、どうやってそんな大金を捻出するのか?
なんだか暗然として来ますね、ほんと。

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1月23日(その二)

しんどい仕事が終わって一安心です。
おかげでまた日記がアップできます。

モンゴルの検索やら、「連環記」やらこの間までのことは全部リセットですね。
とにかく、態勢を立て直してからです。(苦笑)

ところで、この日記の趣旨とは違うけれど、ちょっと怒ったことがあったので書かせて頂きます。

うちは貧乏なのでまだダイアルアップ接続をしています。

そろそろISDNにしようかとも思ったのですが、ADSLがここまで伸びてくる可能性が高いので、それまで待つことにしました。
ただし今日のお題は、そういうハイテク(!)なお話じゃありません。

ダイアルアップのままで少し電話代を浮かそうと思ったんです。
そのために各電話会社の割引サービスを調べてみました。

あー、ビンボくさい!
資金さえあれば、TAを買ってISDN回線にしてから、また工事費をかけて普通回線に戻してネットカードとADSLモデムを買えばいい話なんですけど。

とにかく無駄をする余裕はない。(泣)
仕方なく、マイライン・プラスを売りたいと焦る電話会社を利用して電話代を安く上げようとしたのです。

そこで調べてみると、NTT東日本のホームページにとってもいい話がありました。
月々二百円を払えば隣接地域20キロまで3分9円になるというのです。
また「けんたくんプラス」という無料サービスがあって、これだと隣接20キロまでの使用頻度が高い数件の電話番号については35パーセント割引になります。

わたしの日本語読解能力に問題がなければ、この二つのサービスは併用できるはずです。
少なくとも、ホームページからはそう読めました。

いくら年間300冊近く本をを読んでいるからといって、わたしの日本語読解能力が高いとは限らない。
しかも40数年間、この国で生まれ育ったからといって、日本語運用能力がまともだとも限らない。

そこで念のために、フリーダイアルでNTT東日本の営業所へ電話をかけて、両方の割引が並存できるのかと質問しました。
わたしの日本語聞き取り能力に問題がなければ、「両立は可能である」と担当者は答えたようです。
わたしの日本語能力が正常であるかどうか深い懸念があるので、こんな書き方をしています。厭味だと思っても、もうすこしつきあってください。

そこで、担当者に進められるままHPで商品申し込みをしました。
後日確認の電話が入ることになりました。

それから、後です。わたしの日本語運用能力に疑問が生じたのは。
電話がかかってきて、月200円の割引サービスはその場で了承しましたが、「けんたくんプラス」よりも有利なサービスがあるというのです。
「マイライン・プラス」に加入することを条件にすれば、県内の市外電話をすべて40パーセント引きにする「スーパーけんたくん」というサービスを無料で利用できるというのですね。
ただ、このときわかったのですが、わたしは県内市外電話を30パーセント引きにする「けんたくん」というサービスにはすでに加入していたことが判明しました。

ここでも、念のために「エリア・プラス」と「けんたくん」や「スーパーけんたくん」は併用できるかどうか確認しました。
わたしにはどうしても「できる」と聞こえたようにしか思えないのです。
ここに、わたしの日本語聴解能力の限界があったのかもしれません。
それを信じて、ほいほいとその話にのりました。

後日送られてきたマイライン・プラスに加入する旨の「契約書」に判を押し返信して、さらなる確認の電話を待ちました。

それからがどうもヘンなのです。
後日、確認の電話が来たときに訳がわからなくなった。
うちの奥さんがたまたま電話に出たのですが、向こうがよけいなことを言ったので、「テレチョイス」という遠距離電話割引サービスが使えなくなると誤解したのですね。
郷里の実家や友人たちと電話することが多い奥さんは、よけいなことをした大むくれです。

電話を代わってよく話を聞くと、向こうの担当者が余計なセールス・トークをしてサービスを変えさせようとしたのですね。
べつに「マイライン・プラス」と「スーパーけんたくん」を使っても、「テレチョイス」が使えなくなるということはない。

そのかわり、妙なことをいいだした。
定額200円の割引サービスと、「けんたくん」「けんたくんプラス」「スーパーけんたくん」は併用できないというのです。
定額サービスの3分9円だけで、その他の割引はなしだそうです。

最初の確認の電話のときから、この担当者はずっと同じ人です。
なんで最初と違うことを言い出したのか。

とにかく「スーパーけんたくん」に入れば、他の割引もダメ。そりゃあ、「けんたくん」シリーズみたいな類似した割引サービスが併用できるとまでは思っていません。
ただ定額200円の市外電話割引サービスとは料金体系が違うかもしれないと、虫のいいことを考えてHP・営業担当者で確認してみたのです。
それで可能だということだから申し込んだ。その後でも、同じこの担当者にはなんども念を押している。

それでいて、これはないなあ。(溜め息)
自分の日本語運用能力にすっかり自信をなくしました。

それで新しい申し込みは断りました。
マイライン・プラスもやめました。

日本語さえ理解できないわたしがバカなのかもしれないけれど、これはひどすぎる。

HPで読んで、フリーダイアルの営業担当者に確認して、さらに現場の人間もいちどは認めておきながら、数日後には前言を翻してダメという。
こういう会社を信用するのは無理でしょう。

「マイライン・プラス」は絶対この会社にはしないつもりです。
ADSLのサービスもここにだけはしないようにしようと思っています。

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1月23日

本日は雑談モードも、読書日記もお休みです。
貫徹です!
寝てないので、モーローとして頭がまわりません。

元気を取り戻してから、書くことにします。
それでは、また明日。

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1月21日(その二)

メルマガは今回も無事に発行できました♪
しかし気がついてみれば、打ち間違いがありましたねー。それもかなり。

あわただしく書いているので、ついこんなことになります。(汗)
大目にみてやってください。(笑)
――書き手が言うことじゃないんですけど。

ところで、昨日は「北条時宗」を観てしまいました。
渡辺謙はあいかわらずいい男だ。
それだけで、オッケーです。(笑)

北大路欣也演じる宋商人は実在の人物だそうです。ただ鎌倉時代に安っぽい飲み屋か喫茶店みたいな店を鎌倉で開業しているのは笑えますね。
そんなことを言っても仕方がないけれど。

ところで、今回はモンゴル・ロケが目玉のようで、わざわざモンゴルの俳優さんを使っている。
NHKの取材ヘリコプターが墜落事故を起こしたり、いろいろトラブル続きのようです。

ご存知でしょうが、今年のモンゴルは昨年に続いて雪害(ゾド)で大変な被害が出ているそうです。
昨年は約240万頭の家畜が死んだそうです。

これはモンゴルの歴史的雪害に数えられたのですが、今年も状況は厳しい。
昨年の夏は記録的な干ばつで牧草が生えず、家畜はやせ衰えた。そおへ昨年末から過去40年間でもっとも激しい吹雪がきたのだそうです。
目下、遊牧民8人と家畜20万5000頭ほどが凍死しています。
被災世帯は、5万5370。これは遊牧世帯数の約27パーセントに当たるそうです。

中国の内モンゴル自治区では遊牧民22人と家畜15万頭が凍死しているとか。
被災者は135万人にのぼるらしい。

NHK大河をみていても、蒙古帝国の脅威よりも、モンゴルの人たちはどうしているだろうと気になって仕方がありません。

もうどこかで義捐活動なんかを始めているんでしょうか?
あとでネットで検索してみるつもりです。

家族に死に別れるか、捨てられるかした子どもたちは、首都ウランバートルに集まってストリート・チルドレンになっているそうです。
昼は残飯をあさり物乞いをして、夜は零下数十度の戸外では暮らせず、下水道のマンホールのなかで身を寄せ合って生き延びているとか。

「北条時宗」でモンゴル語を話す俳優さんたちを観ているうちに、蒙古襲来とか神風なんて冒頭のCGがアホらしくなってきました。
マンホールで暮らす子どもたちを想像すると……やりきれません。

NHKのドラマのおかげで、モンゴルに対する支援の声が高まるといいですね。
奥田エイジ(漢字をど忘れしました!)の日蓮さんが「国難じゃ」なんて言っているけれど、ほんとはモンゴルのほうがもっと大変なんですよ。

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1月21日

これだけ掟破りの当日日記です。

「仮面ライダークウガ」の最終回を観ました。
仮面ライダーも怪人も一度も出てこない!
子どもに暴力の虚しさ、悪を伝えたいという作り手のメッセージが熱く伝わってきました。

最強のグロンギ族「零号」との戦いも、前回の殴り合いで決着がついていたんですね。
「零号」がいま流行り(!)のキレたおたく少年風だったのも、印象的でした。

この作品で作り手が何を言いたかったのか。
前回とこの最終回で、作り手のメッセージがほんとによく出ています。

新聞のTV欄に、前回のクウガに変身シーンが一度もないとブーたれる32歳のお父さんの投書がありました。
いったい、何をみてんだか!(笑)

最強の「四本角の戦士」(おもちゃ屋さんでは『あるてぃめっど・ふぉーむ』というらしい……)になって、零号と死闘を繰り広げたじゃないか。
しかも両方ともベルトの霊石にダメージを受けて変身機能が破壊され、さいごには人間の姿で殴りあっていた。
このお父さんは、5歳の息子と同じ鑑賞能力しかないようです。

こーいうアホにつける薬を早く開発してほしいもんです!(怒)

今回は平和な社会を、ふつうの人間のちからで作り上げるんだという、「クウガ」ホームページでぶちあげたメッセージを徹底的に前面に出してきた。
なんだか、嬉しい作品でした。

「他人なんか知ったこちゃない」若者として描かれた「ちょうの」くんも、どうやらマジメに生きているようだし……。
えかった。えかった。

こういうのを「安易な救済」といって、日本文学では忌み嫌うのですが、そんな文学なんぞ読むこたあありません。
日本文学を読むよりも「仮面ライダークウガ」を観ているほうがためになります。(笑)

五代雄介の父親は戦場カメラマンで、世界中の悲惨を見てきたと、文京区にある喫茶店ポレポレの「おやっさん」が言ってました。
こういう背景で「みんなの笑顔が見たい2000の技を持つ冒険家」五代雄介が誕生したらしい。

2000の技というから、クウガの技かと思ったらそうじゃないんですね。
五代雄介が独学で覚えたらしいビアノの曲もそのひとつ。
ポレポレのおやっさんによると、五代雄介のいちばんめの技は「笑顔」だそうです。

うーん、これには参った。
おぢさん、ほろりとしちゃった。(感涙)

おもちゃのCMで、「五代雄介と一条薫をいつまでも忘れないでね」というテロップがあったけれど、おっさんのワタシも五代雄介のキャラは永遠に忘れないでしょう。(泣)

ところで、一条薫刑事役の葛山信吾さんは「渡る世間はなんとやら」に出ているみたいです。
仮面ライダー・ブラック(RX)の南光太郎役の俳優さんといい、橋田寿賀子ドラマは仮面ライダー出身者がいちどはくぐらなければならない関門なんでしょうか?

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1月19日

昨日は忙しくて、ついに読書日記をアップできませんでした。
申し訳ない。(汗)

なんだか忙しくて寝ていません。
日記アップどころじゃなかった。
まあ、こんな日もあるさ♪(涙)

ところで嬉しいことに、長い間欲しかった本が手に入りました。
それも二冊も。
「老松堂日本行録」(宋希m)
「海東諸国紀」(甲叔舟)
という本がそれ。

どっちも室町時代に日本へ来た李氏朝鮮の大学者の本ですね。
岩波文庫で出ています。

「宋希m」は「そんひぎょん」と読み、「甲叔舟」は「しんすくちゅ」と呼びます。

しかし、なかなか覚えられませんね。(笑)

朝鮮語(こっちの方が正しいと思うので、ハングル語という用法は今後は使いません!)の読みで漢字入力したけれど、思い出せない!(大爆笑)
しかたがないので、「そうきけい」と「こうしゅくしゅう」とも入力しておきました。
あーあ、記憶力が落ちたなあ。

中世日本を、李氏朝鮮の大学者はどう観察したか。
読むのを楽しみにしています。

ところで、気を取り直して、読書日記――といきたいところですが、昨日の今日なのでいまいちパワーがない。

いつもなら夜にアップと書くところだけど、また約束破りになりそう。(笑)
読書日記は明日にします。
明日こそ……「連環記」の最終回!
――にしたいんだけど(気弱)

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1月18日

本日は珍しく忙しくなりそうです。
それでもって、本日の雑談モードはなし。

読書日記は午後にでもアップします。
とにかく、お仕事♪お仕事♪であります。(笑)

読書日記は、「連環記」の最終回を予定しています。
それでは、みなさま、また後で。

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1月17日

雑談モードです。
数日前の新聞でありますが、アメリカのベンチャー企業がクローン技術を使って、絶滅危惧種の野生ウシ(ガウル)をクローン再生したそうです。
しかも、これに使った細胞は死んだ動物の皮膚細胞だったとか。

この技術を使えば、絶滅したマンモスなんかも再生できるかもしれません。
ただ記事を読んだ限りでは、死んだのちに遺体を凍結保存しなければ無理のようです。
遺体が化石になっている恐竜なんかは、まだまだだろうけれど、シベリアが凍結死体がみつかるマンモスなら可能性はじゅうぶんにあるでしょうね。

手法としては、凍結保存した野生ウシ・ガウルの皮膚細胞から、核をとりだして家畜牛の卵子に注入したのち、家畜牛の子宮に戻したそうです。
誕生した雄の子ウシには、「ノア」という名前がつけられました。
きっと「ノアの箱舟」のイメージですね。

どうしてクローンと断定できるかというと、複数個作った胎児のうち別の個体を分析した結果、遺伝子が野生ウシ・ガウルのものだったので、「ノア」もそうだということらしい。
厳密な人ならぜひ「ノア」の遺伝子を分析しろと要求するでしょうね。
わたしもそうですけど……。(笑)

ただ残念なことに、「ノア」は細菌感染で誕生後48時間もしないうちに死んでしまったそうです。
クローン羊「ドリー」と違って、成功とは言いがたいようですね。

ただクローン技術によって、絶滅種や絶滅危惧種を救う道が開けたことは嬉しい。
新聞には「ガウル」がどれだけ生存しているか書いてありませんが、国際自然保護連合(IUCN)が絶滅危惧種に認定しているから、そうとう少ないんでしょうね。

このベンチャー企業「アドバンスト・セル・テクノロジー」は、ガウルのクローンを作る試みを今後も続けるそうです。
その後で、スペインの野生ヤギ・ブカルドのクローン作りを試みて、やがてパンダやチーターのクローンを作る計画だとか。

新聞記事からすると、いま「冷凍動物園」という組織があって、絶滅危惧種の動物の細胞を凍結保存しているようです。
将来のクローン技術の発達をみこしてやっていたのでしょうね。
日本でもマンモスのクローン複製を計画している近畿大の入谷明教授は、貴重な絶滅危惧種の動物が死んだときには凍結保存してくれれば、種の再生が可能だと断言しています。

前世紀に化石のようなSFファンが夢見た絶滅種の復活が、ようやく実現しようとしている。ほんとうに嬉しいですね。
この点についていえば、科学技術万歳といいたい。
節操のないやつです、わたしも。

ところで、中国では東北地方にいる「シベリアトラ」が絶滅しかけています。
これは世界最大のトラです。
ロシア人作家バイコフの「偉大なる王(ワン)」という動物文学の不朽の名作の主人公でもありました。
野生種はたしか80頭くらいしかいないはずです。
絶滅は時間の問題でしょう。

中国の藩陽の動物園で人間でいえば80歳のメストラが妊娠したのが、小さな記事で報じられていました。
このメストラは20歳ではありますが、人間の年齢に換算すると80歳だそうです。
昨年2頭のトラと一日10回以上交尾して妊娠したとか。

セックスレス・カップルが増えている日本人とは大違いですね。(笑)
まだ日本人は絶滅危惧種じゃないのかもしれない。

なんとか中国のシベリアトラもクローン技術のお世話にならないで欲しいと思います。
そのためには、やはり人間がなんとかしないといけないんでしょうけれど。

クローン技術があるから、実物は滅びてもいいんだというバカな考えだけは、広まらないように願っています。

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1月16日(その二)

読書日記です。
昨日の「連環記」の続きです。

それほど長くない中篇なのですが、内容にはすっかり考え込んでしまいました。

「仕事」とは何なのか?
ナマケモノの節句働きというわけでもないけれど、こんな閑人めいた疑問に囚われています。

主人公のひとり慶滋保胤という人は、有名な学者でした。この日記でも前に紹介した「池亭記」という歴史学者がよく引用する本を書いています。
「日本往生極楽記」というのもこの人の作品です。

ただ出家したあと、これだけの有名人でありながら、この人が「開基」となった寺はないそうです。

ここでちょっとわき道にずれます。
「開基」というのは、お寺を建立した人のことです。
ただし、宗教の開祖という意味もある。
どっちにせよ、普通はお坊さんです。

ところが鎌倉の禅寺へ行って気づいたのですが、建長寺にしろ円覚寺にしろ 「開山」が北条時頼で「開基」が蘭渓道隆とか、「開山」が北条時宗で「開基」が無学祖元ということになっています。

「開基」も「開山」も同じ意味だと思っていましたが、角川日本史辞典で調べると違うそうです。
少なくとも、禅宗では寺を作ろうと運動を始めた坊さんを「開山」といい、そのスポンサーを「開基」というそうです。
浄土真宗では、「開山」というのは親鸞ただひとり。あとの坊さんはいくらたくさん寺を作った偉い坊さんでも「開基」というのだそうです。

意味がはっきりしたところで(笑)、話を続けます。
寂心(=慶滋保胤)もいっぱしに寺の建立をしようと思い立ち、諸国をめぐって「勧進」という募金活動を続けました。

もともと根がまじめだし、人柄もいい。有名人でもある。お金はそれなりに集まったようです。

ところが、寂心さんの作った寺はひとつもない。
それは、なぜか?

「今昔物語」にも「宇治拾遺物語」にも載っている有名なエピソードがあります。
勧進の旅を続ける寂心さんが播磨国を通りかかると、法師陰陽師というものが紙でできた冠をかぶって神事を行っている。
それをみて、寂心さんは肝をつぶした。

この当時は坊さんも真面目で、神道の儀式に剃髪した坊さんは参加してはいけないことになっていました。仏さまのバチが当たって地獄に堕されると信じられていたのです。

この法師陰陽師というのは、陰陽師のくせに頭を剃り、墨染めの衣を着て、法師の格好をしている連中です。
陰陽師なんて、某冒険作家やマンガ家が描くようなかっちょええもんじゃなくて、平安の世でもただのあぶれものでした。
貧乏だから、妻子を養うために出家したくせに、陰陽道がらみの神道の儀式をやっていたのですね。

思わず紙の冠を叩き落した寂心さんに、法師陰陽師はそのようなことをいいました。妻子を養うためだから仕方がない。
出家して、妻子がいるのもどうかと思うけれど、自分だけ出家して妻子を苦しめた西行みたいな人に比べればまだ人格的に立派かもしれません。西行は出家したあとも、妻子を見捨てて、いろんな女と恋を語らったとんでもない人ですから。

すると、寂心さんは、ぽんと財物をすべてその貧乏な法師陰陽師にくれてやりました。
ひとりの人間の堕地獄を救うなら、安いものだといって。

けっきょく、こんな調子だから、寂心さんが立てたお寺はないのです。

ただ露伴は、世間からは「仕事師」とは絶対いわれないだろう寂心さんにエールを送っています。
そういう寂心さんに「ホンモノ」を感じたからでしょう。

だいいち寺なんて、いくら建てても時間がたてば滅びるに決まっている。
奥州藤原氏の財力を集めた毛越寺も、鎌倉幕府が財力を傾けて建立した永福寺(ようふくじ)も今では考古学の対象でしかない。
だいいち古代・中世において規模では最大の寺院だったこの寺の名前を今も知っているのは、歴史学者かわたしみたいな物好きだけでしょう。

露伴は世間の「仕事師」なんかみとめていなかったのです。
それよりも、傍からみればこんなアホなことをしている寂心さんの「魂の王国」に撃たれたのですね。

この法師陰陽師がどうなったかは歴史はなにも語りません。ただ、これだけの事件に遭遇して、のほほんと日常に戻れると思うのは人間的洞察がなさすぎる。
たぶんこの陰陽師くずれの法師には、劇的な変化があったのではないか。

露伴にとっては、そっちのほうが大寺院を建立する「仕事師」よりも大切だった。
だから、生涯最後の作品の主人公として寂心を選んだのです。

その寂心の魂と触れることで、もうひとり救われる人が出てきます。
それについては、また明日。

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1月16日

またまた雑談モードです。
創刊号の感想のメールと、日記に対するメールをもらいました。

ありがとお!

それと、空メールをくれた皆さん、ついでみたいですけど……



感謝、感謝であります。(泣)

ところで、遺伝子組み換えについてあれこれ考えたのは、生命の尊厳という問題をちょっと考えたかったからです。
これをなおざりにすると、「倫理的な」退嬰に陥ると思うんです。
倫理なんて過少評価されていますが、これが退嬰すると必ずツケがまわってきます。

倫理と聞いたとたんに、不信と疑いのポーズをとったり、嘲笑しないといけないようなムードがありました。いまでも保守的な言論界には強いのでしょう。
この国に、中国やヨーロッパに存在した「社会を考える学」としての<文学>がなかったための弊害でしょうね。

わたしは、この国の<文学>は<文芸>であって、「学」ではないのではないかと疑っています。
そのことについては、再三この日記でも書いてきました。

社会と人間を骨太く考える「学」という要素のある作家さんが好きですね、わたしは。
わたしが敬愛する隆慶一郎さんや司馬遼太郎さん、三浦綾子さんにはそれがあります。
もちろん、宮沢賢治はその最大の巨人でしょう。

もっか私が専門家(爆笑)と化しつつある院政時代や鎌倉時代において、進行した社会的不安定の原因は、古代社会から中世社会への転換期にあたって、「新しい社会」を作ろうとする蹉跌でした。
現象的に云えば、道義観や公徳心、隣人愛の払底ということですね。

鎌倉時代や院政時代の日本人の行動をみていると、これが同じ国民かとあぜんとしてしまいます。
「今昔物語」や「宇治拾遺物語」を読んでいると、すさまじい状況ばかりです。
「人間は人間にとって狼である」という西洋の哲学者ホッブスの言葉を思い出します。

この時代の問題は納税や警察権などの社会の根幹になる基幹業務(!)に、ルールがあってないようなものだったことです。
いくらでも抜け道があったから、まじめにやっている人がバカをみる社会でした。
むしろ乱世といわれる戦国時代のほうが、助け合いの精神はあったようにさえ思えます。

こういう社会の変動期には、哲学は無力です。
効率からいえばね、考えないほうがいいかもしれない。(笑)
なんかいっていることが矛盾するみたいですが……。

ただし、この大変動期じゃないと、「人間はどうやって生きたら幸せになれるだろう」「どんな社会がいい社会だろう」というアイデアはでないのです。

ギリシアのソクラテス、プラトン。中国の孔子。
近代ヨーロッパで言えば、モンテーニュ、デカルト、パスカル。
いまの地球文明のルーツをになったアイデアマン(クリエイター)は、みんな動乱期を生きた人々でした。

ひるがえって、日本をみれば、この国独自の宗教の根幹となるアイデアがでそろったのは、鎌倉時代ですね。
他の時代には、これと比べると革新的なアイデアはないです。
現代も含めて。

こういう動乱期に生きる人間にとって、後世への最大の遺産があるとすれば、「本当の幸せってなんだろう」と模索することだと思います。
内村鑑三が言っているとおり、「後世への最大遺物」とは「高尚なる人生」じゃないんでしょうか。
「高尚な」というと、笑えるかもしれないけれど。(苦笑)

内村のいう「高尚」という言葉の意味は、「ほんとの幸せを探す」ということなんですけどね。

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1月15日(その二)

さまざまな困難に直面しながら(笑)書いている読書日記です。
イシグロの本はまだ読み終わっていません。
そこで別の本をとりあげます。

本日のお題は「連環記」(幸田露伴)です。
この作品は、解説によると幸田露伴の最後の作品であり、最高傑作だとあります。
読み始めたときは「ほんとかな」と疑っていました。
本の解説なんて、信用しないのにこしたことはない。

露伴という人は、考証学者としては同時代の歴史学者・文学者など及びもつかなかった巨人です。書いてある内容は今でも通用すると思います。
今なら岩波などの古典文学大系なんかで読める本をじつによく調べてある。
わたしが云うと、あんまり偉そうだけど……。(笑)
この作品の種本は「今昔物語」「宇治拾遺物語」「日本往生極楽記」「続往生極楽伝」「閑居之友」あたりです。
他にもあるけれど、話の骨格になっているのはこれだけです。
最後の一冊を除いては、全部読んだことがあるので、エピソードの出典は見当がすぐにつきました。

「連環記」は長いこと読みたかったのですが、絶版状態で去年の11月にやっと復刊されました。
主人公は二人、慶滋保胤と大江定基です。 「慶滋保胤」はふつう「よししげの やすたね」と読むのですが、露伴先生は「かもの やすたね」とルビを振っていますね。
この人は陰陽道で有名な賀茂氏の出身で、そちらへいかずに儒学者になったので苗字を「慶滋」と換えました。ただし読みは「カモ」なのです。
これを「よししげ」と読んだのは、事情を知らない人です。それが通称になったのだけれど。
だから露伴先生のいうとおりで間違いはない。(笑)

のちに出家して「寂心」と名乗ります。大江広基は出家して「寂照」となり、寂心の弟子となります。
ふたりの出家については、それだけで面白いエピソードがありますが、今回はやめておきます。

個人的な興味があったのは、知っているエピソードをどうやって小説に昇華するのかというところ。
本が手に入る前から、あれこれと考えていました。
一読してみて、うーんと考え込んでしまいました。

これは名作です。
知性といい、洞察力といい、露伴が偉大な文豪だったことを改めて思い知りました。
ボキャブラリーは、漢語に強い明治の人でも難しかったんじゃないでしょうか。

漱石や鴎外と違って作品中に外国語をちょろりと出す癖はなかったので、露伴は純和風・漢文風にみえるけれど仏典の語彙まで自在に操っている。
たぶん「群書類従」とか「大蔵経」を漢文で読んでいたんでしょうね。
ほんとに溜め息が出ますは。

文芸という分類からすると、はるかな高みにいますね、露伴先生は。
これじゃあ、よっぽど知性と教養に富んだ読者でなければついてゆけない。

当時の有名な文芸評論家は露伴の作品を、「峠の下り口の茶店で極上の玉露を売るようなものだ」と表現しています。
峠のてっぺんなら、お客もいくらでもいるだろうけれど、もう降りてしまったら、そんなにお茶なんてほしくない。
しかも、そんなところで極上の玉露を飲んだからといって、旅人にはありがたみがわからない。

露伴の作品のレベルの高さと、読者のニーズの違いをあまりにもマーケティング的に喝破しているなあと、この言葉を読んで感心してしまいました。

でも、だからこそ60年後に、ひとりの物好きを感動させた!

これなんですよね、本のありがたいのは。
時間も空間もまるで関係ない。

偉大な作家の魂と交流したおかげで、脳みその配電がショートしっぱなしです。
落ち着いてから、もっと詳しく書いたほうがいいかもしれない。
そんなわけで、また明日。

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1月15日

昨日は景気の悪い話となりました。
気を取り直して、雑談モードです。

古い話ですが(といっても11日ですけど……)、遺伝子組み換えの技術を施したサルの赤ちゃんが誕生しました。
毒性を弱めたウイルスにクラゲの遺伝子を組み込んで、アカゲザルの試験管ベイビーを誕生させるという実験です。
このウイルスをサルの未受精卵に感染させたのち、人工受精させる。
被検体として20匹のメスザルの胎内に入れたところ、5匹が妊娠。出産できたのは3匹だったそうです。

するとこのサルの赤ちゃんは、クラゲとの合成生物(?)になるんでしょうか。(笑)
画期的な遺伝子治療の道が開かれたともいえますが、卵子に細工するわけだからすでに生まれた人間には使えるんですかね。
素人なんで、そのへんがよくわかりません。

たとえば、凶悪なウイルスに対抗するために、免疫をもつサルを遺伝子組み換えで誕生させてワクチンを作るという手は使えると思います。
動物愛護団体からは抗議がくるでしょうけれど。

もっと凄いアイデアが新聞に書いてありました。
人間の遺伝病の遺伝子を組み込んだサルを誕生させて、治療法の研究に使う。
人間さえよければ、それでいいのかと嫌な気分になります。
まあ病気の人が聞いたら怒るでしょうけれど。

とにかく、これで霊長類に遺伝子組み換え技術がつかえることがわかったわけです。
遺伝子組み換えサルの赤ちゃんは、昨年10月2日に誕生。名前はアンディ。
「挿入DNA」(Insert DNA)を逆さに読んで、<ANDI>と命名されたそうです。

オリンピックでチーターや馬の遺伝子を組み込んだ超人が驚異的記録をだすことはもう夢じゃないんですね。
こういうのを「仮面ライダー・ブラック」では「なんとか怪人」というんですけどね。(笑)

サメ怪人、ウマ怪人、カンガルー怪人、バッタ怪人が大活躍するオリンピックなんて……。
でも、ちかい将来そういうものを衛星ネットや光ケーブルで見ることになるんだろうなあ。
たぶん、それと知らないで。
ドーピングよりも凄い<遺伝子組み換え選手>を検知するには、遺伝子検査しかない。(笑)

「○×△□選手!馬の遺伝子検出。金メダル剥奪」
「わたしは馬じゃない。泣きじゃくる○×△□選手」

―なんて、見出しが電子スポーツ新聞で見られる日はもう遠くない。
それに頭の良くなる遺伝子、背が高くなる遺伝子、美形の遺伝子も発見されるだろうから、野心ある女の人はシングルマザーとなって望みのままの子どもをデザインできる。
男だって、物好きなやつは代理母を雇って、自分の子をデザインするでしょう。

そうなったら……どんな世の中になるのやら。
いまだって、精子バンクで精子を買ってシングルマザーになる人がいますからね。

どんな欲望でもお金次第で実現可能になる世の中になりつつあります。
欲望は制御したほうがいいと私は思います。

でも現実には倫理など無視した欲望過多の人のほうがお金を稼ぐ。その人たちの欲望をかきたてないかぎり、グローバル資本主義は立ち行かない。
社会はどんどん欲望過多症の人々によって変わってゆく。

行き着くところまでいけば、事態は変わるんでしょうけれど。
それを信じるだけですね。

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1月14日(その二)

残念ながら、昨日もイシグロは読みきれません。
それどころか、本を読むなんてとっても無理でした。(泣)

そんなこんなで、今日の読書日記はお休みとさせていただきます。
「○×届を突きつけられても俺はヤル〜」なんて、サイトがありますけれど、ほんとどこも同じなんですね。

やはりお金にならんことを熱心にやっていると……。

ちょっと傷心していて、元気がでませんは。(苦笑)

追記:
すこしトップページを変えました。
「お気に入りリンク集」を更新して、トップページのブルダウン・メニューの位置を変えたのです。
ほんのちょっと使いやすくなったかもしれませんね。(^^)

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1月14日

メールマガジンは無事発行されました!
本日メールにアクセスしたら、ちゃんと接続できました。
メルマガも届いていました。

ご心配をおかけしました皆さん、ありがとうございます。

そして、激励の空メールを送ってくれた皆さんありがとう。
とくにいつも送ってくれるMさん、ほんとうにありがとうございました!

日記才人をみてみたら、こんなのでも投票してくださった方がいたんですね。
お礼申し上げます。

ところで、本日はすこし呆れたお話です。
ただ元ネタは新聞の家庭欄だから、裏はとれていません。(苦笑)
ネット・ジャーナリストにはなれませんね、わたしは。

ある小学校の学級通信に、生徒たちのお年玉の金額がグラフ化されて発表されたそうです。
個人名はさすがになかったそうですが、それを見れば自分がどのくらいのランキングかは一目でわかる。

これを作った学級担任が何歳かは書いてありませんが、いろんな雑誌で子どものお年玉ランキングみたいなのがあるので、自分の学級でもやってみたくなったそうです。

その口ぶりからすると、悪気はないのでしょう。

もちろん、生徒の親からすぐに抗議がきました。
その生徒の家では、お年玉が1000円しかなかったそうです。

というのも、前年に祖父母のどっちかが亡くなり、親戚も年始にこなかった。その子は、親からしかお年玉をもらえなかったのです。

他の子が何万円ももらっていたり、自分が最下位であることを知って、その子がどう思ったか。親は怒って校長のところへその学級通信を持っていったそうです。

校長は肝を潰して、担任を呼びつけ、「これからは学級通信を出す前に自分か教頭に見せるように」と指示しました。

担任のほうはどこが悪いのかわからないふうで、雑誌の真似をしただけだと弁明しました。

「子どもの気持ちを考えないのが、教師にとって最悪の悪意だ」
と、校長にいわれてはじめて担任は青ざめたそうです。

すぐに、学級会を開いて子どもと親に謝罪すると約束しました。

これだけの話なんですが、考えさせられますね。
何歳かはわからないけれど、この担任には『子どもの目線で考えるちから』が完全に欠落している。
いや、もっといえば、お年玉の額を競う小学生と同じ頭の中身しかない。

大人が子どもをだしにして、楽しんでいるだけです。
基本的には、この担任は子どもが好きなのでしょう。ただし、遊び相手として。
大人向け週刊誌のくだらない発想を、自分が好き勝手に出来る子ども相手に楽しもうとしただけで、ほんとうに悪気はない。
ただし、教師失格だとは思いますが……。

校長にいわれて、担任はほんとうに反省したんでしょうか?
どうも、そうは思えないのです。
「しまった」と思っただけで、保身のために謝罪のポーズをとろうとしているだけではないか。

いちおう頭さえさげれば、話がすむと軽く考えているような気がしてなりません。
世間も人も、そして子どももなめきっているのでしょう。

教師には、そんな人がよくいるみたいです。
いまどきの教師ばかりじゃなく、昔の教師だってそんな人はいたでしょう。
ここまで極端ではないにしても。

子どもは序列付けには敏感ですからね、大人がいくらごまかそうとしても敏感に感じ取って「イジメ」や「仲間はずれ」という教師が無意識に望んでいる処罰を同級生に加えてくれる。
社会的動物である人類の原始的反応が、露骨に顕れているのだから仕方ありませんが。

しかし、そのままでは人間社会はなりたたない。
もう少し高度な「思いやり」「痛みへの想像力」がないと、近代以降の社会では暮らしていけない。

いったいそういうものは、どこで学べるのでしょうかね、この国では。
すくなくとも、学校ではなさそうですが。

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1月13日(その二)

メール復旧のめどがつかないまま、メールマガジンを予約発行しました。
今夜(14日)の9時半くらいにはお手元に届くはずです。

送信するとき、チェックしたけれどやはりレイアウトがおかしいところがありました。
不安だけど、仕方がない。

いちおうご報告ということで……。
読書日記は、また明日にします。
今晩、イシグロをどれだけ読めるかな。
明日の読書日記の内容は、それ次第ですね。
では、また明日。

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1月13日

困りました。
今日(14日)メールをチェックしようとしたら、メールサーバーにアクセスできない。

FTPとWEBは大丈夫なんですが。
この緊急事態だというのに、テクニカルサポートは混みあっていて通話できない。

きっとプロバイダのメールサーバーが倒れたのでしょう。
この分だと、本日のメルマガ発行は難しいかもしれません。

まあメルマガを出すのは、自分のメールソフトじゃないんでいいんですけれど、レイアウトやなんかを事前にチェックできないのがきついところ。
どうするかは様子見ですね。

本日中に出たら、めっけもの……なんて、発行者が言ってどうする!(怒)

さて、昨日は外出と所用がかさなって日記を更新しませんでした。
たまには、こういうこともある。
それでも訪問してくれた皆さん、ありがとうございます。





ところで昨日は、Geoのトップページと日記をいじっていました。
たいして見栄えしないページなんですが、こことは違うコンセプトのサイトにしようと思っています。
目下はまだ模索中というところで、ほんのご愛敬ページになっています。
日記自体も読んで面白いかといわれると「うーん」(!)というところ。
今後の発展を期待してください。(笑)
  • Geocitiesのトップページ
    Solonの読書室
    http://www.geocities.co.jp/solon21s/
  • Geocitiesの新日記
    Solon's Reading Records
    http://www.geocities.co.jp/solon21s/d1/dry01.htm
ところで、この「Solonの読書室」のSolonというのは、もちろんワタシです。
ほかに「弁護士川上詩朗」と「しゃちょー」という人物の日記もあります。
これはワタシのペンネームではありません。

そう疑っている友人がいるのですが、ほんとです。

ちゃんと本人がいて、職業も現職の弁護士さんと社長さん(笑)です。
社長さんは、青年会議所にも入っています。

タネをあかせば、高校の同級生なんですな。
飲み会で盛り上がって作ってしまったページです。(笑)

こういう調子で私事をだらだら書くのいかんなあ。
この(自称)「鉄人的読書日記」の趣旨に反しますね。
本日から気をとりなおして、また日記を書いてゆきます。

それにしても、メールはどうなるのか?
困ったものです。
メールがないと、生きていけない身体になってしまったようです。(泣)

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1月11日(その二)

嬉しいことに、株価は大反発してくれました!
わたしの怪しい「パソコンの祟り説」はみごと粉砕されました。
嬉しいかぎりであります。(笑)

さて、幸田露伴の「連環記」を読み始めました。
さっぱり調子が狂って、日本語が進みませんね。(笑)

イシグロの名文を読んでいるうちに、日本語を読むのが面倒になった?
そんなわけはない。(笑)

英語の本を読んでいるときは、日本の古典がちょうどいい……なんていうのもキザですか?
じつは、しばらく「平家物語」を再読していたのです。

このごろ鎌倉時代の武蔵武士たちのことを調べているので、以前読んだときとはずいぶん違った角度でみえてくるものがあります。
「平家物語」はいまや愛読書になってしまいました。

埼玉県や東京都の詳細地図を眺めていると、平家物語に登場する武士たちがどこに住んでいたのかわかって面白いですよ。
いい例が埼玉県熊谷市にいた熊谷直実。この人は「くまがい なおざね」と呼びます。
本屋の店員さんでも読めないんだから、困ったものです。

その近くに南河原村というのがあるのですが、ここには河原兄弟という武士がいた。
かれらは「平家物語」でも有名な武士です。
でも、今の人はしらんだろうなあ。

行政区でいうと「埼玉県大里郡」というあたりは、有名な武士たちの出身地です。
たとえば畠山重忠は大里郡川本町というところにいました。
ここに畠山という地名がありますが、重忠が生まれ育ったのはそこ。
あとで、埼玉県嵐山町にある埼玉県歴史博物館のあたりに領地をもらって引っ越しました。
「菅谷」というあたりです。

「吾妻鏡」は「平家物語」の後日談としても読めるので、源平の合戦で活躍した武士が後でどうなったかがわかって興味がつきません。

鎌倉時代がかなりわかってきたのは良いのですが、ちょっと困ったこともあります。
NHk大河が楽しめないのです!(笑)
「北条時宗」の第一回をみたら、時宗の父・時頼があまりにも善人に描かれているので呆然としてしまいました。

いくら渡辺謙が演じていても「ちょっと……それはないんじゃない」という他はない。
なまじ歴史を知っているとついていけないところがありますね、あれは。

ところで、地方自治体に国は合併を勧めているのでしょうか、埼玉県でも市がどんどん合併しています。 大宮・浦和・与野が合併しただけでなく、この近所でもいろいろ合併話が進んでいるらしい。
わたしの住む新座市もそうだし、隣の東京都の保谷市なんかも別の市とくっついて「西東京市」を名乗る予定のようです。

「新座」という名前は日本書紀にさえ記載されている由緒ある名前だけど、たぶん消えるんだろうなあ。
現代の埼玉都民には、歴史的名称に思いをいたすよりも、「西東京」なんて名前のほうがいいのかもしれない。

こうなったら、「さいたま世田谷」「さいたま田園調布」とか「白金台さいたま」と名乗ったほうがもっと潔いかもしれない。(苦笑)
「平家物語」から埼玉県の歴史的町名の保存を心配するなんて、わたしもおせっかいですね、ほんと。