本日も更新が遅れましたね。 まあ、忙しいから仕方がない。 それでも毎日更新しますので、見てやってください。 ところで、アラビア語のほうはもうすぐ終わります。 少しでも記憶にあるかというと……ははははっと笑ってごまかすしかない。 でも、便利な言葉を覚えました。 「わたしはアラビア語が少しわかる」という言葉です。 アラブ圏以外のひとは、ほとんどアラビア語なんて知らない。 だから、「アラビア語はわかりません」なんて言葉は覚える必要がない。(笑) あんまりもったいぶってもなんだから、書いてしまいましょう、それを。 「あふはむ あらびー しゅわいや」 と言うんです。 これで、記憶に残ったアラビア語は三つになりました。 「貴女は月のように美しい」(前出) 「ビールある?」(前出) あと「食べ物がほしい」「水がほしい」(砂漠では必須!)を覚えれば、アラブでも生きていける? 「水が欲しい」は: 「あーうぃず まいや」 あれっ、この本には食い物は肉(らはま)とトマト(うーた)しか書いてない!(驚) いくら砂漠だからって、肉とトマトだけじゃ生きていけんぞ! どうも小池女史は食い物には興味がない人みたいですね。 遊牧民の基本は、チーズとパンのはずだけど……。 それもない。 やっぱり、この本だけでは砂漠を乗り切るのは難しいかも。(大笑) 江戸の園芸については、運がよければまた明日。(号泣) 追記: 「貴女は月のように美しい」 (えんてぃ がみーら ざいい あまる) 「ビールある?」 (ふぃー びーら)< 「肉が欲しい」(欲しくないぞ、贅肉なんてといいたい読書家……(ToT) (あーうぃず らはま)< 「トマトがほしい」 (あーうぃず うーた)< |
今日も忙しかった読書家です。 もう一日一冊なんて読書日記はかけないかもしれない。(泣) まあ、たぶん二月、三月が山でしょうけれど。 この時期は駆け込みで仕事が多くなる。 ありがたいことですけど……。 ところで、江戸のガーディニングの件ですね。 アラビア語のほうは三日どころじゃない時間のかかり方です。 やっぱり「三日で覚える」のは『無理むりむりむりむりむり無理』という、カルトな漫画を思い出す結果となりました。 時間をとめなければ無理だなあ。(笑) しかし荒木比呂彦氏のあれは続くなあ♪(ため息) ところで、江戸時代の園芸はツバキからはじまって、元禄のツツジ。享保のモミジ・カエデ。それがもう少しあとになると、『金の成る木』というのが登場する。 たねをあかすと、めちゃくちゃな投機対象になったいくつかの観葉植物がそれなんです。 いまも「金の成る木」という多肉質の植物がありますけれど、あれとはぜんぜん関係ない。 うちにもあるんですけど。(笑) でも金が入ってくると、ふしぎと勢いが強くなる。 ほんとに「金の成る木」だなと、わたしは感心しております。(笑) さて、江戸の「金の成る木」はタチバナ、万年青(おもと)、マツバラン、セッコク、ソテツ、イトナンテン。 植物の愛好家ならかろうじて知っているけれど、みんな地味な観葉植物です。 なんで、こんなのが金に成ったかというと、どうやらミューテーション(突然変異)が起こりやすかったようです。 だから、ちょっとした差異化がすぐできた。 毎年新品が出きるわけだから、コレクターと栽培者にとってこれほど面白いものはない。 江戸というのは、沈滞した社会なので、数十年サイクルで爆発的なブームが起きてはバランスをとっていたらしい。 その代表例が「お伊勢参り」。そのほかにも「流行神」(はやりがみ)とか投機ブームがある。 沈滞した社会のうっぷんばらしですね。 ただし、戦国時代の日本人のような肝っ玉の太さはないので、枝振りがどうの、斑点が入っているかどうの、ひねこびて小さいのがいいだの……まるで江戸時代そのままのせこい趣味でありました。 それがバブル化するのだから、おそろしい。 あまりの過熱振りに幕府が禁止令を出すと、しゅんとする。 ブームは一気に終わりです。 あとは愛好家がほそぼそと栽培するだけ。 あんまり変わりませんね、いまどきの日本人と。(笑) しかし投機のときはすごかった。 ただの鉢植えのタチバナが現在の値打ちで一億ですから。 これに似たのに、ビラカンサという木があります。 いまごと住宅街を歩けば、真っ赤に小さな実をたわわにつけています。 これよりも、もっと小さな矮性種のタチバナが一億円。 みんな飛びつくよなあ、こんな美味い話には。(苦笑) 江戸でバブルを起こした植物には、他にもアサガオ、菊があります。 それについては、また明日。 |
納期にまにあって、ほっと一息。 今日はいつもと違う時間帯にアップしてます。 観てる人いるかな。 けっこう心配です。(汗) いつもより早くアップするだけで、読者数がどーんと減る日記なんだから、ここは。(爆笑) ところで、江戸のガーディニング文化は凄かった。 八坂書房という奇特な本屋さんから出ている「絵本山野草」とか「江戸名所花暦」なんて江戸時代の植物書の復刻版を持っています。 ここは伊藤伊兵衛という園芸家の本も復刻しています。 物好きなことに、そっちも持っています。 ツン読じゃなくて、ちゃんと読んでますよ。 まあ、これは「希書自慢、紙の極楽」というお話じゃなくて、そういうものが好きだというだけのことです。気を悪くしないでね。 さて、今回「歴史と旅」ではカラーページまで使って植物図譜なんかを紹介している。 このへんがにくい。(笑) わたしの持ってる本は白黒版画ですから……。 そーいや、むかしは荒俣宏氏の講演会を聞きにいったり、国立国会図書館で開いた江戸博物図譜の展覧会なんていってもんなあ。 ああ、あのころが懐かしい――というほど昔じゃない。(笑) しかも不況のせいか、とんと展覧会もありませんね。 寂しいことです。 ところで、江戸の園芸には三つのブームがありました。 寛永の「ツバキ」、元禄の「ツツジ」そして最後がちょっとわからない。(苦笑) その他にもちろん「菊」だの、「朝顔」だのもあった。 いまと変わっているのは、「金の成る木」という投機対象の植物もありました。 これは「万年青(おもと)」なんかが代表です。 どういうことになっていたのかということは、また後で!(笑) |
あわわわわっと焦りながら、仕事しています。 手違いで納期に間に合いそうにない。 「それで、こんなことを書いていていいのか!」という疑問はありますが。(笑) わたしの本業は、産業翻訳なんですが、今回はなかなか大変です。(汗) 読書日記は書けるかどうか、わからなくなりました。 ところで、本屋さんで「歴史と旅 三月号」を買ってきました。 (なんで、こんなときにトボけたこと書くかな、このおやぢは!)<(怒り) 今回の特集は「江戸のガーディニング」。 園芸と「しょくぶつ」は、読書家の弱点です。(#^_^#) それについては、また明日。 ――って、そんなばあいじゃねぇだろう!(焦り) |
あー、またやった! 昨日の日記は日付が間違ってました。 二日続けて26日になっていた! こうなると、笑うっきゃないですわ、ほんと……。(涙) ところで昨日も無事にメルマガを出しました。 ひと安心です。 でも、ちょっと字間がずれたところもありました。まだまだ研究の余地あり――ですね。(溜息) それよりも、ここのところ連載していたエッセーで気がつかないでバカな誤字を続けていた。 心優しい読者の皆さんは、見てみぬふりしていたくれていたんですね。 ありがとう。(涙) 今度から気をつけるからね。 (きっと、またなんかやるかもなあ……。そのときは大目に見てください) そのエッセーがいちおう完結したので、まとめを日記に書きます。 昨日読んでもらった方には申し訳ないけれど。(汗) そのエッセーというのが<21世紀に読み継ぎたい作家>というもの。 感動間違いなしの作家をリストアップして、本を読まない坊ちゃん嬢ちゃんに推薦しようという大変おせっかいな企画です。 たぶん昔読んだという人もおおぜいいるだろうけれど、そーいう人は若いもんに推薦してあげるといいかもしれない。 おせっかいの押し売りですけどね。(苦笑) まずはその選定条件です。 <21世紀に読み継ぎたい作家の条件>
さて、そこでエントリーしたのが下記の作家さんたちです。 選定の経緯はメルマガに書いたので、省きます。 メルマガのバックナンバーは発行元の専用登録ページへ行けば閲覧できます。さて無条件でエントリーしたのは、次の六人です。
絶対にお薦めです。 次のグループは即座に思い浮かばなかったので、次点とします。 わたしの記憶力が悪いせいで、本来なら第一のグループに入る人ばかりです。(笑)
こうやってみるとなくなった方や文豪ばかり……。(汗) しかも、海外作家はドイツ語圏に偏っている。 わたしの読書傾向だから仕方ないですけど。(苦笑) 原則としてまだ現役の作家には、「前世紀の遺物」というイメージは失礼かなと思いはずしました。 しかし、この人々は特別枠としてぜひ入れたい。
来週のメルマガでは、選にもれた(笑)作家について書く予定です。 もしかしたら、そっちの方が中身が濃いかもしれない……。 というところで、また読書日記でお会いしましょう。 |
いよいよ恒例の日曜日! メルマガ発行の日が来た! ――と、ひとりで焦っています。 連載中の「21世紀に読み継ぎたい作家」も選定もまだ終わっていないし……。 けっきょく選んだのは、どれもこれも超一流ばっかり。 われながら、アタマ悪いんじゃないでしょうか?(笑) でも、世間が認めていてもわたしが認めていない人は入れません。 節操のない読書家のせめてもの意地であります。 さて昨日は日本列島じゅうで大雪でした。 外出せずにすんだおかげで、助かったけれど、昨日出勤した人は大変だったでしょうね。 ところが今朝の新聞では西武池袋線は1、2分の遅れだったととんでもないことを書いていました。 外出した家人の話では、30分に一本くらいでしかも超徐行運転。 急行で5分くらいのところを、かなりの時間をかけて帰ってきたそうです。 やっぱり、マスコミは信用できない!(笑) ところで、年賀状のページを差し替えました。 いくらなんでも、もう「迎春」はないですね。(笑) 今度は文字と表組みでデザインしてみました。 マウスで絵を描くのは面倒だし、アスキー文字で描くほど暇じゃない。 これでも時間だけはかかってます。 暇があったら、みてやってください。大したものじゃないけれど。 ここをクリックすると飛びます。 ところで、目下読んでいる「三日でわかるアラビア語」なんですが、これはやっぱり三日じゃ無理だ!(笑) 一日目が全体の二分の一です。二日目が動詞変化で残り四分の三。三日目が応用会話で残り四分の一。 一日目でけっこうくたびれますね。 一昨日思い出したけれど、この本は何年も前に読みかけて挫折したんですよ。 そのとき挫折したのが、一日目だった。 ここで気を抜いたおかげで、二度と手にとることはなかったのでした。 今回は、二日目を半分まできているから……約66パーセントは来たなあ。 本というのは、全体の五分の一を読み通せば最後までいけるんですよ。 心理学の法則だそうです。 前回もほんとは読み通せたんだろうけれど……ナマケ心にまけた。(^^) 今度は大丈夫でしょう、きっと。 それにしても、アラビア語はややこやしい。 難しいとはいいません。 カイロ大学主席卒業・小池百合子女史の頭脳が冴え渡って、説明はこれ以上のぞめないほど明晰かつシンプル。 これを難しいといったら、バチがあたる。 でも、そもそもアラビア語そのものが面倒くさいこともわかりました。 なにせ、名詞の複数形と単数形が全然違う。まったく別の単語にみえますね、これじゃあ。 本を「キターブ」というんですが、複数形になると「クトウブ」。 これでは連想するのさえ難しい。 ギリシア語と同じで、ペア(二つのもの)をさす「双数形」というかたちは簡単に出来ますが、複数形はほとんどの名詞が不規則変化です。 単語をひとつ覚えるたびに、複数形を覚えないと使えない。 なんなんだ、これは。 思うに、砂漠の民は陰険で奸佞邪智だったゆえに、しかも商売の民だからものの数をごまかすのが当たり前だったのではないか。 だから、大切なものや売り買いできるものは、わざわざ面倒くさい複数形を作った! ――なんて、陰険なことを考えてしまいました。(笑) でも、面白いこともたくさんあります。 スペルを書くと、英語や日本語を間違えてしまう単語がけっこうあります。 たとえば;
andやandiというのもあります。 これはもちろん英単語や人名ではありません。 それぞれ「持つ」という意味の動詞の原型と変化形(一人称単数)です。 ただし読みはほぼ同じ。 アラビーヤという単語は面白い。 これには「アラビア」という意味と「自動車」という意味がある。 なんで、こんなことになるんでしょうかね。 朝鮮語では昆布のことを「たしま」といいます。ハングル文字でそう書くのです。 これなんかは、日本の「但馬」か「対馬」から昆布を輸入した名残じゃないでしょうか。 しかし……アラビアから自動車を輸入しますかね? 最後にちょっとしたアラビア語講座。 コーヒーは「アホワ」といいます。 「コーヒーが欲しい」というのは、男なら「アーウィズ アホワ」 面倒なことに女性の場合は動詞が変化する。「アウザ アホワ」となります。 そして大阪名物「ぼちぼちでんな」(笑)という挨拶。 これとそっくりなのが、あるんですよ。 「ぬっす ぬっす」というんですね。 感じが似てますね。(非大阪人の偏見?) では、機会があったら、また後で。 とにかくメルマガを書かなくちゃ。 |
読書日記です。 いままでは一回目は雑談モード。二回目は読書日記という具合にアップしていましたが、固定すると苦しい。 とくに順番を固定しないで、アップすることにします。 昨日をふりかえってみても、読書日記はアップしていない。 時間をやりくりしていくと、こうなるしかないなあ。(苦笑) ――ということで、よろしく! ようやくカズオ・イシグロの<When we were orphans>を読み終わりました。 こういう作品をミステリーと呼ぶんでしょうか? 個人的には、ミステリーというジャンルそのものの評価が低いので、なんともいえません。 しかし事件とその解決(謎解き)というのは、小説のストーリとしては基本中の基本だから、それがある小説をミステリーと分類してしまえば、「ミステリー」じゃない作品は存在できないでしょう。 イシグロの本を読んだのは、これがはじめてです。 よく言われることだけど、イシグロの魅力は「語り」の力ですね。 この雰囲気に一秒でも長くひたっていたい。 温泉じゃないけれど(笑)、そんな気分です。 上質のワインの繊細な酔い加減――わたしのボキャブラリでは、そうと表現するしかない。 これは確実に中毒しますね。 暇もお金もないわたしでさえ、次は「日の名残り」を絶対原書で読むぞと決心してしまいました。 といっても、まだまだ先にはなるでしょうけれど。(笑) だいたい「ハリー・ポッター」の三巻目はどうなった! ――と、反省することしきりです。 ところで<When we were orphans>はただの事件の謎解きというよりは、人生そのものが「秘密」に満ちていることを教えてくれる小説です。 わたしの貧弱なボキャブラリーでは「名作」と表現するほかはない。 けっきょく人間なんて、自分の人生そのものを「解き明かせない謎」として追求する探偵みたいなもんです。 そして生きていくうちに、自分の人生が誰かの思いによって支えられ、つき動かされていたことを悟る。 それは愛かもしれないし、その裏返しの憎しみの場合もある。 人生の真実とはそういうものであって、最上の文学はそのことを教えてくれる。 カズオ・イシグロは最上の部類に属する文学者なんですね。 人間に対する洞察力のない文学など読むに値しません。 イシグロには、それが溢れている。そして……語りのちから。 世界には凄い人がいるなあと、遅まきながら脱帽しました。完敗です。 とにかく今は素晴らしい作家と出会ったことを、心から喜んでいます。 これぞ、本を読む究極の至福! ありがたや、ありがたや。(笑) |
お節介な読書家です。(笑) 本日、郵便局でモンゴル雪害義援金を振り込んできました。 募金した団体は、Peace Winds Japan というところです。 ホームページはこちらです。 アドレスは(1月26日現在); http://www.peace-winds.org/ かなり用心深くて、ぐずな読書家は募金活動そのものには疑問をもっているので、前回の日記で紹介した各ホームページの団体に電話して実態を探ろうとした(笑止!)のです。 しかし、どこも電話がつながりません。 きっと新聞などの読者が問い合わせを電話をかけまくっているんだろうと思います。 とろい読書家ですら、こんな真似をしているくらい!(笑) そこで以前モンゴル出身の旭鷲山関が募金活動していた団体であるということで「ピース・ウィンズ・ジャパン」に募金することにしました。 ほんとに微々たるお金なので、あんまり自慢できる話じゃないですけど。(苦笑) ところで、義援金には手数料がかからないですね。 はじめて知りました。 僅かなお金がそのまま届くので、少しほっとしています。 ところで、「ピース・ウィンズ・ジャパン」のサイトから<クリック募金>をやっているサイトへ行けます。 「女性のための総合情報サイト Cafeglobe 」というところです。 「ピース・ウィンズ・ジャパン」はここのサイトで、モンゴルのストリート・チルドレンのために1クリック募金というのをやっています。 「あなたの1クリックでスポンサー企業が100円(ひとりのストリートチルドレンが2日間食事できます)寄付するプログラム」なんだそうです。 もしお暇があったら、覗いてみてはいかが? 読書家は女性でもないし、ネカマでもないのですが(大笑)、いちおうでかけてみました。 ただまだスポンサー企業はいないみたいです? <クリック募金活動>というのは厳しいかもしれませんね。 Cafeglobe のホームページはこちらです。 アドレスは(1月26日現在); http://www.cafeglobe.com/donation/index.html 柄にもなく、社会的な(!)ことをした後は、ふたたびアラビア語の世界に沈潜することにします。 それでは、また明日。 |
いきなり衝動的にアラビア語にはまってしまった読書家です。(笑) ……いや、そんなレベルじゃないな。ポリポリっ。 小池さんの本はほんとすらすら読めます。 この調子だと、今日中に読めるかもしれない。(笑) まあ、記憶力が落ちているから、あんまりおぼえてないですけどね。 でも、この日記を読んでくれる美しい貴女には、この言葉を送りたい。 「えんてぃ がまーる ざいい あまる」 「貴女は月のように美しい」という意味で、アラビア語ではいちばんの誉め言葉だとか。 砂漠地帯では、すべてを灼き尽くす太陽は不気味な死の象徴。 だから、「太陽のように明るい」という誉め言葉はないらしいのです。 それと、これも覚えました。 「ビール、ありますか?」 こっちは、かんたん。 「ふぃー びーら」。 これで、イスラム圏にいってもビールは大丈夫だ!(笑) ――観光客がイスラム圏で酒を飲む場所なんて……もしかして英語が通じるホテルだけなのでは? という素朴な疑問もありますけど。 ところで雑談モードです。 モンゴルの雪害はいよいよひどくなっているようです。 もう「北条時宗」どころじゃない。 隣国がなんとかしないとどうにもならんでしょう。 読書家はあんまりそういうことに熱心な人ではないのですが、大河でモンゴル語を聞くたびに、マンホールで身を寄せ合って生き延びているというウランバートルのストリート・チルドレンを連想してしまう。 たぶん大河が放送中止にでもならない限り、毎週暗澹とした思いで見ることになりそうです。 パラノイアじみているけれど、もうドラマなんてどうでもいい。 だいいち、わたしがとっくに知っていることしか出てこない♪<ゴーマニズム! インフォシークで<モンゴル・雪害・義援金>のキーワード検索してみたら、かなりのページがありますが、新しいページはさほどないようです。 めぼしいところでは、こんなのがありました。
URLが変更になっていたら、インフォシークに文句をいってね。(大恥) でも、インターネットの時間はラットイヤー(笑)、早いに越したことはないと思って書いておきます。 閑があったら、検索してみてください。 ISDNもひけないビンボーな読書家ですが、雀の涙ていどの義援金は出せるかもしれません。 |
時間がとれたので、読書日記の更新をしておきます。 もう、ドッグイヤーならぬラットイヤーですね、HP作者の生活は。 昨日のことなんか覚えちゃいないよ――どころじゃない。 半日前のことだって怪しい。 みんな、そんなめまぐるしい時間をやりくりして書いてるんだろうなあ。(溜息) さて、ようやく「連環記」の最終回を書きます。 (いままで、なんで書けなかったんだろう?) と、自問してみました。 時間がないせいだとばかり考えていたけれど、どうやら違いますね。 「連環記」後半の主人公・大江定基の人生そのものがわかっていなかったようです。 大江定基が出家するにあたっては、陰惨といっていい愛欲絵巻があります。 このひとは、学者貴族大江家の駿才で、従兄の大江匡衡・赤染衛門夫婦なんかよりも官界での受けはよかった。 ちなみに、毛利元就は天才女流歌人赤染衛門とその夫大江匡衡の遠い子孫にあたります。 それほど順調に出世していた男がなぜ出家などをしたのか。 異例の出世で三十歳前に国司(三河守)として三河へ赴任したのです。 そこで、遊女の長の娘に出会った。 三河の赤坂の駅の長者の娘と伝えられています。 「駅」とか「長者」とかいうから、古代律令制の駅伝制度が平安中期にも生き残っていて、それを管理するのが在地の富豪だと、思うでしょう。(笑) いや、他でもない。院政・鎌倉時代にはまるまで、わたしがそう思っていました。 だって、「長者」といえばお金持ちのことですからね。 でも、意味は全然違ってます。(笑) 「駅の長者」というのは、遊女をかかえた置屋の女主人で同時に旅館のオーナー女将のことなんですね。 駅というのは、素人目には江戸時代の「本陣」みたいなものに思えます。 いちおう官営のはずなのですが、やってることは遊女屋兼旅館。 なんだか、凄いなあ。 長者の娘というと、とにかく美人の母親に、美形の貴族の落しだねだから、ルックスはいい。 平安時代は安定した女性傾向の強い時代の通弊で、不細工な男は出世できんのです。 たとえ貴族であっても。 後世のように、バックまで提供して出世するタイプが登場するのはやっと院政時代になってのことですが。 平安時代中ごろまでは、そっちはお坊さんの専門でした。 そんなことは、どうでもいい。 (勝手に余談していながら、いきなり『ほかす』……笑ってやってください。) とにかく美女に出会って、定基の人生が狂った。妻を捨てて、その女と暮らし始めた。 べつに一夫一妻制じゃないから、経済的に面倒をみれば妻など何人いても誰も文句はいわないはず。 身分の高い家からもらった妻なら、そっちを正妻にして、他の美女を第二夫人にしても全然よかったんです。 ところが、定基は妻と別れて最愛の女と一緒になった。 現代だって、女の人はこういう話が嫌いだ。 聡明さという点では、清少納言や紫式部など足元にも及ばない平安朝きっての才女・赤染衛門も怒った。 赤染衛門も複雑な境遇の持ち主だったから、なおさらです。 定基に強談判です。 でも、愛に溺れた定基はてんで気にしない。 さじをなげた赤染衛門は夫に従弟と絶好するように命じたのですね。 ところが、この美女が病気であっけなく死んでしまう。 定基は恋人の遺体をかき抱いたまま、泣き暮らしたのです。 すると、恐ろしいことが起こる。 遺体が腐敗しはじめたのです。 死んでもなお、ディープキスをしていた定基はもろに内臓からの腐敗臭を嗅いでしまった。 どうやら、これが遠因となって、定基は世を捨てる気になったらしい。 とまあ、ここまでのことはわかっていました。 しかし、それからの定基の人生がよくわからない。 ストーリーの連関がわからなかったのです。(シャレじゃないのよ、洒落じゃ) 定基は寂心(もとの慶滋保胤)のもとへ行って、出家します。 以後は寂照と名乗ります。 そのあとで修行に励み、佛教教学の師として恵心僧都源信について高弟になりました。 やがて中国へ渡り、ついに帰国しないまま、現地の人々に敬われる高僧として一生を終える。 それだけの話になにがあるのか? このあいだから、ずっと考えつづけていました。答えはなかなかわからない。 なにが、露伴に寂心はともかく寂照(大江定基)の一生まで書こうとしたのか? 中篇小説の末尾十ページたらずの読解が、どうしてもできなかったのです。 ただなんとなく何かが掴みかけたような気がしています。 そのことを、書いてみようと思います。 どうやら、この物語は一人の人間の魂が救済されるところからはじまって、その救われた魂と触れ合った悩める人たちが次々と魂の救済にあずかるという連環を描いていたのです。 救われた魂たちの<輪>(リング)とでも申しましょうか。 弱肉強食の世界を否定して、内なる精神の王国を打ち立てた慶滋保胤。 かれのもとへ、絶望して混乱しきったひとりの若者が救いを求めてくる。 おそらくは、若者は師の魂に触れて、我執と欲望のみの世界とは違うもうひとつの世界に参入したのでしょう。 この若者は、自分に捨てられて恨みと憎悪から鬼となりかけてたかつての妻の魂さえ救っているからです。 それはなかなか感動的な話なので、わたしのつまらない筆で書くことははばかられます。 気になったら、本屋か図書館でみてください。(笑) しかも、それは日本だけではなかった。 若者は宋という大国にいって、多くの人々の魂を救ったらしい。 もしかしたら、世の人が「大きな仕事をした」と誉めるなら、こちらの若者(大江定基)のほうでしょう。 でも、露伴はそうじゃないといいたかったんじゃないでしょうか。 おのれの名前を冠した寺を建立することもなく、僧界で出世することもなく、世間からは決して「仕事師」と誉められもしない。 ただ貧しく清らかに暮らしたひとりの人物がいた。 しかし、そのひとがいなければ、おおくの人々の魂は救われなかった。 派手な仕事はしなかったけれど、本当のちからを持っていたのは、冴えない貧乏なひとりの法師だった。 ――という日常生活の世界からは不条理なパラドックスでありながら、魂の世界においては普遍の真理であるリアリティを描く。 およそ日本文学において、数人の天才だけが成功した困難なテーマが、この物語の骨格だったのです。 慶滋保胤・大江定基・その妻・定基の母・大江匡衡(赤染衛門)夫婦・宋の役人(丁謂)・宋の民衆という救われた魂のリングを描いているけれど、寂照(大江定基)の活躍はぜんたいの十分の一に満たない。 それよりも、慶滋保胤の生き方と、大江定基の苦悩が十分の九をしめている。 このことの意味が、わからなかったのですね、わたしには。 ふつうの歴史小説は、ご存知のようにまったく逆です。 さえない寂心のような人のことは書かないで、大活躍した寂照のことを中心に語る。 昨今も親鸞が常陸に住んでいて、あの革命的な思想を練っていた雌伏時代を、あたかも超人伝のように書いている超有名歴史作家もいる。 根を張る時間の大切さを、むかしはこの大歴史作家も知っていたのになあ。 いまじゃあ、成熟するための歳月を書ききれるのは、宮城谷昌光さんだけかもしれない。 とにかく長い時間がかかりましたが、なぜ自分が「連環記」にひっかり考えつづけたのかわかったような気がします。 静かな時間と忍耐こそが、まさに魂の力の源泉だという露伴のメッセージを、どこかで受け取りながら消化していなかった。 真に英雄というべき魂のありかたを押し出してきた露伴に、圧倒されていたんですね。 わずか100ぺージの中篇だけど、こんな凄い作品もない。 漱石や鴎外には、これほどの精神性はありません。 たしかに、「連環記」は明治文豪の遺作にふさわしい雄渾な内容をもった大傑作でした。 |