お気楽読書日記: 3月

作成 工藤龍大

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3月

3月31日(その2)

第二弾も裁判問題です。(笑)
こっちも「うーん」と考え込まされてしまいました。
暇があったらお付き合いください。
すこしごちゃごちゃしてますよ。

で、取り上げるのは「エイズ薬害事件」です。
あの安倍 英・元帝京大学副学長(80)が無罪になった判決。
英というのは「たけし」というんですね。はじめて知りました。

判決が出たのは、28日。
その前の26日の読売新聞をみると、東京都立大学法学部の前田雅英教授が判決の行方を分析しています。
それによると、裁判の争点は次の三つだったそうです。

  1. 「業務上の注意義務」
  2. 「結果予見可能性」
  3. 「結果回避可能性」
1)は「直接患者を担当しない安倍元副学長にエイズ発症・死亡を防止する業務上の義務はあるか」ということ。
2)は「非加熱製剤を投与した八五年に患者死亡の予見可能性が認められるか」ということ。
3)は「当時の医療水準から非加熱製剤の投与が過失責任に問われるほど不当なことか」」という意味だそうです。

前田教授は大学の医局では教授の権限が強いことから、2)と3)が実質的な争点になると分析していました。
じじつその通りでした。

2)では安倍元副学長は、米国の検査結果から患者の半数の感染を知っていたと前田教授は言っています。
3)についていえば、有罪となる条件があるとのことでした。
安全なクリオ製剤が患者に事件当時、必要なだけ十分に供給されることが証明できないかぎり、有罪とはならないのだそうです。
ものがない以上、危険な非加熱製剤を使っても仕方がないという判断になるとか。

そして判決では3)の争点が明確に否定されました。
つまり当時、必要な分だけのクリオ製剤はなかった。だから、非加熱製剤の使用も止む無しという結論ですね。

なるほど、法律家のやることはあの人たちなりのルールで成り立っているんだなと改めて思いました。
一般人の思考回路とは違う法律用の思考回路を作らないと、司法試験には通らないようです。

そんな思いを抱きつつ、永井敏男裁判長の「判決要旨」を読んでみました。

一読しておもわず目を疑った。
再三読み直して、ますますヘンな気がしてきました。

どうも――この判決要旨はそうとう奇怪な文書に思えます。
法律の文章とは論理的なものだとばかり思っていましたが、法律家の論理的とはいわゆる「論理」とは違うようです。

わたしたちは自然科学に慣れすぎていて、こういう論理には弱いのかもしれません。

退屈でしょうが、なかなか興味深い文書なので、ところどころ引用しつつ見てゆきます。

「判決文」は(1 検討に当たっての基本的視点)というところから始まっています。
ここで裁判官はこんな宣言をしている。
「本件当時、血友病につき非加熱製剤によって高い治療効果をあげることと、エイズの予防に万全を期すことは、容易に両立し難い関係にあった」

「事実認定に当たっては、当時公表されていた論文など確度の高い客観的な資料を重視するべきである。
事後になされた供述等については、その信用性を慎重に吟味する必要がある。」

これだけ読めば、結論はもう出ていますね。
案の定、「7 被告の刑事責任」というところでは安倍元副学長の部下たちの供述をまるっきり否定しています。
この人たちは加熱製剤の早期導入とクリオ製剤への転換を提言したり、進言したと供述したのです。
裁判官の判断ではそれは部下の医師の「思いつき」であったり、「切羽詰った「進言」という見方をするには余りにも遠い」と一刀両断しています。

なんだか前提条件からして、わたしには理解できません。
どうして、こういう前提を立てたのか。前提が間違っているとしか思えない。
これを「論理」というなら、「天使がピンの上で何人踊れるか」と議論を戦わせた中世神学なみですね。法律学というものは。

だから安倍元副学長が自己責任を認めた供述も、「供述者自身に対する責任追及を緩和するため検察官に迎合したのではないかとの疑いを払しょくし難いなどの問題があり、信用性に欠ける点がある」ということになる。

とにかく裁判官の先入観ありきで、「非加熱製剤の投与によって血友病患者をHIVに感染させる危険性は予見しえたと言えるが、それが高い確率であったとは認め難い」ということになる。

しかし、わからんのは次の言い方ですね。
「しかし、他方において、こうした「高い」、「多く」といったことを別にすれば、
本件当時においても、
外国由来の非加熱製剤の投与によって、血友病患者を「HIVに感染させた上、エイズを発症させてこれを死亡させうる」ことは予見し得たといえるし、
被告自身が現実にそのような危険性の認識は有していたと認められる。」

じゃあ、有罪じゃないのと思うのは素人の浅はかさ。
いよいよもって、法律家の論法はキッカイです。

「換言すれば、本件において、被告は結果発生の危険がないと判断したわけではなく、
結果発生の危険性はあるが、その可能性は低いものと判断したと認められる。」

なにを換言したのか。どうして「可能性は低いものと判断したと認められるのか」と裁判官は認めるのか?
そこのところがよくわからない。
表面的な理由は、当時はエイズのことがよく分っていなかったからという一点張り。
こういうのを、循環論法というんじゃないでしょうか?

しかし、いよいよもってヘンなことを裁判官は書いています。
「6 結果回避可能性及び結果回避義務に関する事実関係」というところでは、「血友病治療医として我が国の権威者」である安倍元副学長が非加熱製剤の使用をやめてクリオ製剤に切り換えたとしたら、他の大病院や患者が真似してクリオ製剤が需要にみあうだけ供給できなくなる。
だから、安倍元副学長がクリオ製剤に切り換えなかったのは正しい。

この論法はわからない……。
ともかく「7 被告の刑事責任」では
「以上、検討してきたところによれば、通常の血友病医が本件当時の被告人の立場に置かれていた場合に非加熱製剤の投与を控えたであろうと認めることには、合理的な疑いが残る」

そうなんでしょうか?(謎)
「血友病治療医として我が国の権威者」としておきながら、最後に一転して「通常の血友病医」として扱うのはおかしいんじゃありません?

我慢して最後まで読んでいくと、裁判官の判断基準がやっとわかりました。
ああ、そういうことかと今までの疑問が一気に晴れました。

裁判官はこう書いています。
「同罪(注:安倍副学長の罪状である業務上過失致死罪のこと)についても、長年にわたって積み重ねられた判例学説があり、犯罪の成立範囲を画する外延はおのずから存在する。」

つまり過去の判例とそれにまつわる学説以外はなにも認めないよということですね。
ふーん、そういうこと……なのか。

「生じた結果が悲惨で重大であることや、
被告に特徴的な言動があることなどから、
注:「自らの権威を誇示していたのではないか、その権威を守るため策を巡らせていたのではないかなどとはた目には映る側面があることも否定できない」という判決文の一文を受けています。
処罰の要請を考慮するのあまり、
この外延を便宜的に動かすようなことがあってはならないだろう。」

つまり「ド素人は法律に口をだすんじゃねぇ」と宣言されておるんですな。
「わしら、エラい法律専門家はおのれらみたいなバカどもの言うことなんか相手にしないもんね」と仰っておられる。

そっか。
よーーーっく、わかりましたよ。

これが、法律的論理というやつですか。
過去の判例学説を調べて、あてはまるものがなければ、それで終わり!

楽というか、変わった判断ですね。
情報時代の現代よりも、狩猟採集経済の<群れ社会>にふさわしい思考方法だなあ、これは。

極論すれば、こんな法律専門家はもういらんのじゃないでしょうか?
こんな思考回路では、情報社会(=知価社会)じゃ通用しないでしょう。

原人時代のロマンを体現する東京地裁104号法廷の素敵な面々(永井敏男裁判長と陪席裁判官二人)は、厚生省の松村・元課長の裁判も担当しているそうです。
松村元課長の判決は、今年の九月。
きっと今度も原始時代の熱いロマンを味わわせてくれることでしょう。(怒)

いいかげん陪審制度を取り入れないと、いかんなあと思います。
なんだか裁判官が気の毒になってきた。
これじゃあ法律家以外の仕事はつとまらんでしょう。

いや、もちろん法律をフルに使うダークなお仕事なら立派にご活躍できることは疑っていません。
裁判官の名誉のために、書き添えておきます。

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3月31日

趣味の新聞切抜きをやっています。
このごろ裁判官という人々は、すばらしく人情味豊かなタイプが多いようですね。
例えば、福岡高裁に古川竜一判事(48)という人がいて、その奥さんが不倫した。
それだけなら、どうということもない週刊誌ネタですが、この奥さんはご存知の通りの犯罪をやってしまった。

それで福岡地検の次席検事(当時)が警察の捜査情報を、古川判事に伝えた。
うるわしい仲間意識と誉めるべきでしょう。(笑)

そして古川判事はこの情報を使って、捜査状況を分析したんだそうです。さらに文書化して妻と弁護士に渡した。
おかげで両者は証拠となるパソコンのハードディスクの隠滅をはかった。

妻の不倫を認め、警察から妻を護る!
三文国産ミステリの主人公か、この人は。
えらく安易なヒューマン・ドキュメントですな。

この件について、最高裁大法廷(裁判長・山口繁長官)は「妻の無実を晴らしたいという心情を考慮しても、古川判事の行為は許された限度を越えている」として懲戒処分の戒告とすることを決定した。

これは法廷を構成する15人の裁判官のうち12人の意見だったそうです。
常識からみれば、そうなるでしょうね。

ところが、金谷利広・福田博・奥田昌道という裁判官は反対だったそうです。

金谷利広裁判官によれば、
「古川判事が作成した文書は……(中略)……刑事裁判官として有する特別の法律知識を活用しなければ書けないと認めら得るものではない」そうです。

また「裁判官の地位を利用して外部の者に対して妻をかばうのに使用する目的で作成されたものでもない」そうです。

だから「その作成、交付を、「実質的な弁護のための活動をした」などと評するのは、やや不適切な表現」といわざるをえない」のだとか。

だからこんな文書を作ったくらいで「懲戒事由」に該当するのはおかしい。
「多数意見は、懲戒事由としての「品位を辱める行状」について許される限度を越えた拡大解釈をするものであると評するほかない」のだそうです。

金谷裁判官をのぞく他の二人の裁判官の意見は新聞紙上(読売新聞)で公開されていないので、わかりません。

ふーん。
唸ってしまいました。

そーか、法律って、こんなに人情味のあるものだったのね。
古川判事のやったことは、法律的にいえばオッケーなんだ。
わたしは世間知らずなんだなあ。

しかし、そもそも金谷裁判官のいっているような問題なんだろうか、これって。
裁判官が職権を利用して、警察の捜査情報を教えた。
それが悪いって話じゃないの?

しかも新聞(くどいけれど読売新聞)によると、
金谷利広裁判官はこんなこともいっているらしい。

妻に何の手助けもしない方が人間味に欠けるという見方も国民の中にあるのだそうです。

わたしは国民ですが、そんな話は聞いたことがありません。
金谷裁判官にそういう声を伝えたのは、誰だろう?
もしかして、これを読んでいるあなたですか。(笑)

裁判官も国民だから(←論理的帰結)、もしかすると金谷裁判官ご本人かも?(爆笑)

だったら、宇宙に独りしかいなくても「という見方も国民の中にある」ということは論理的に間違っていない。

龍谷大学の村井敏邦・教授という人は刑事法の専門家だそうですが、談話でこんなことを言っています。

「古川判事が情報をもとに妻のために文書を作成したことは違法ではなく、戒告処分の対象とはなりえない」

おもわずのけぞりました!
さらに村井敏邦教授はこんなことも言っています。

「裁判官に対し、私人としての生活に『公正・中立』を過度に強調しすぎると、市民としての私的で自由な行動まで制約を加えることになりかねず、多数意見には賛成できない」

ををっと、そう来たか!(笑)
どうやら法律の専門家の思考回路は、一般ピープルとはよほど違うみたいですね。

元東京高裁判事の高木新二郎弁護士は、
「古川判事は刑事裁判官でなければ、捜査情報を入手できなかったはずであり、裁判官としての地位を利用したとみられても仕方がない」
という談話を発表しています。

そして「裁判官には一般人以上の倫理性を求められており、処分は妥当だと思う」とも。

やっぱり、こういう常識的な意見を聞くとほっとします。
仕方ないなあ。こういう発想しかできない常識人なんだから。

ブンガクするんなら、まずこういう考え方は駄目ですね。(笑)
古川判事を思い入れたっぷりに支援しなくてはいけない。
さらにいえば、世間の尻馬に乗ってこんな駄文を書くバカ(わたしのこと!)をおちょくらないとマットウな(日本)ブンガク者ではないのです。

わかっていても、それができない。
ショウセツ家への道は遠いなあ。

追記:
この読書日記は読売新聞3月31日にもとづいています。
データ・ソースが読売新聞だから、朝日新聞系メディアの愛読者は信用しないほうがいいかもしれません。(笑)

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