お気楽読書日記: 5月

作成 工藤龍大

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5月

5月30日

ウィークデイと週末に、時間がとれない日が続きました。
気がついたら、もう二週間も日記を休んでいた。

掲示板を日記代わりにしていたら、容量がいっぱいになって、前の方が削除されている。しまった。保存しておくんだったと後悔しても、もう遅い。
この週末は、残ったデータで、掲示板の過去ログを作ることにします。

ところで、仕事とプライベートでやたら忙しかったのですが、新しい趣味をみつけました。
といっても、たいしたことじゃない。

前回の日記で書いたとおり、古文書を読解するために「くずし字」の習得に励んでいるのです。
これがなかなか難しい。
「くずし字」にすると、漢字というのはやたらに似てしまいますね。
手書き文字を誤読するのを「魯魚(ろぎょ)の誤り」というのですが、なるほどこの二つの字はよく似ている。

しかし「くずし字」では「魯」と「魚」よりも似た字がいっぱいある。
ふと思うのだけれど、ひらがな文化(=王朝文化)が難しいことを表現するのが苦手なのは、草書体のせいじゃないでしょうか。
変体がなを取り混ぜて、綺麗な文字を書き連ねるのはいいけれど、どうもそうなると見た目が第一で、中身はどうでもよくなる。

木製の活版活字を使う漢字文化じゃないと、左脳の発想はほとんど無理です。

たとえば、「鬼平犯科帳」と草書で書くと、まず読めません。
もしも池波正太郎さんの作品が「くずし字」で書かれていたら、読むのは拷問以外の何ものでもない。

でも、かっこいいことは間違いない。
手前味噌でなんなんですけど、「くずし字」で書いた『鬼平犯科帳』という文字に感動してしまいました。
書いたのは、このわたし。どこぞの大先生ではありません。

しかも、素材は小学生用のジャポニカ学習帳(こくご用)でして、筆記具はシャープペンです。
あきれるくらい粗末な道具だけど、これがなかなか面白い。

「陰茎」とか「乳房」と書いてみると、なんだか中学生の気分に戻ったみたいです。
あのころは、英語辞書や国語辞書で、その手の単語をむやみに引いては嬉しがるものです。とくに、男の子は。

いくら書いてみても、読める人はまわりにいないから、あんまりどきどきはしない。
――われながら、隠微な楽しみだと思います。

しかし、四十過ぎの男が、そんなことをやっていると、元気な単語よりも「陰萎」とか「閉経」「更年期障害」という単語ばかりが頭に浮かんでくる。
ああ、さみしいなあ。

とはいいつつも、なかなか面白いんですよね。
わたしは「鉛筆書道」と名づけて、せっせとジャポニカ学習帳を草書体で埋めています。

いつか、これで古今集でも筆写してやろうと思っています。
もちろん、道具はシャープペンシルとジャポニカ学習帳で。

いい老後の楽しみが出来た!
それまでは気力をふりしぼって、「○の戸渡り」とか「○臼」とか「○背×」という単語で腕を磨くことにします。(謎)

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5月21日

中年の哀しみは、疲れが翌日に出ないこと。
思ったとおり、土曜日の疲れが月曜日に出てしまった。
さすがにウォーキングで鍛えているので、足には疲労はないけれど、眠くてたまらん。

もーっ、どーにでもなれっ!
という感じです。

日曜日も、こつこつコンテンツを作ってしまったしなあ。
疲れがでないと、どうも不毛なことをする嫌いがある。
新コンテンツは、「日中韓三国歴代誌」と名前はものものしいけれど、簡易版の王朝表にすぎない。

「中国と日本と朝鮮半島の国々の王朝表なんか作って何になるの」
という至極もっともな疑問はあるでしょうが、なにただの復習です。

もともと西洋史をやっていたので、古代ギリシア・ローマや、ルネサンス、近代の英独仏なら王朝とその時代の人の事績は頭に入っているのですが、東洋史はそうもいかない。
中国は唐代まで。朝鮮となるとさっぱりというお寒い状況です。

そこで、ただの数字の羅列にすぎない表を睨みながら、記憶を呼び覚ましているのです。
つまり、この王朝にいたのは誰で、何をしたのか。そんなことを、数字の羅列から想起している。
我ながら、ご苦労なヤツです。(笑)

ところで、最近は歴史の方はインプットに忙しくて、歴史エッセイだの歴史小説だのはかけませんね。
このあいだの博物館はしごの影響から、いま新しいことにチャレンジしています。
それは、古文書解読!

資料なんて活字本でいいやと思って敬遠していたのですが、北条実時が自ら筆写した「源氏物語」の稿本をみて、うーんと唸ってしまいました。
日本の文化は毛筆文化だった。
この当たり前の事実をなおざりにして、どうして歴史作家を名乗れるのか。
発展途上とはいえ、日本史を描く歴史作家がそれではおかしいではないか。

目下、わたしは文字だけならギリシア文字・ロシア文字・ハングル文字は読める。
ものにならないけれど、ヒエログリフとアラビア文字にも挑戦した。

いくら「くずし文字」が難しいといっても、アラビア文字に比べればましであろう。
なにせ、もとは日本語ですから。(当たり前だ。)

遅ればせながら「くずし文字」について、たった一人の徒弟修業(© 沢木耕太郎)を開始したところです。

もうひとつ理由があるとすれば、谷崎潤一郎の「陰影礼賛」ですね。
以前この本を読んで目を開かれたと書いたことがあります。
正確にいうと、いくつもあるのですが、話がややこやしくなるから、今回はその一つだけ書きます。

それはなにかといえば、なぜ絵巻ものや、和歌の短冊に金箔が貼ってあるのかという理由です。
さすがは大谷崎。一刀のもとに喝破している。
あれは闇の産物だと。

つまり、蝋燭や油脂の灯りだけのほの暗い室内で、絵巻物や短冊を眺めているとき、黄金はその真価を発揮する。
わずかな燈明の明かりに、紙面の奥からぴかりぴかりと神秘な光が反射する。
ここに神秘を感じ取ったに違いない。

しかも金箔つきの絵巻物は、本質的にはオーダー・メイドのカスタム製品であり、日本の聖界・俗界の王侯貴族だけに許された超高級品です。
いってしまえば、日本の黄金文化は紙の上に出現していた。

「くずし文字」とは、その黄金を彩るアラベスクだった。

ご存知のとおり、アラベスクの語源は、アルハンブラ宮殿などに残るイスラム文明の装飾模様です。
専門家にいわせれば、違うといわれそうだけど、コーランの聖句をカリグラフ化したアラビア文字も、イスラム建築の大切な装飾です。

日本の王侯貴族は、タージマハールやイマームのモスクを建築するかわりに、金箔の紙に墨文字を描くことで夢幻境に遊んでいたのです。

ということを、大谷崎に教わった以上、「くずし文字」をほっておく手はない。
ど素人の身で「くずし文字」にチャレンジしているのには、そんな理由(わけ)もあるのです。

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5月19日

土曜日に、三社祭りの宵宮に行ってきました。
今回はちょっと不思議な体験をしたので、そのことを書こうと思います。

浅草には夕方に着いたのですが、とたんに土砂降りでした。

見物人がいっせいにアーケードのある商店街に入ってきたので大混雑です。
喫茶店に入ってコーヒーを飲んでいると、いつのまにか雨はやんでいました。

遠くから拍子木のような音がして、神輿がやってくる。
喫茶店が二階なのと席が窓辺だったおかげで、ちょうど真上から神輿を見下ろすことができました。

ラッキーだったのは、それだけじゃありません。
夕立があがった直後だったので仲見世を通って浅草寺にゆくのもすいすい歩けた。
こんなことって、三社祭りの期間は珍しい。
普通なら山手線のラッシュ並みの混雑をじりじりと蝸牛のように進むしかない。
なんかついているなあ。

もっとツキがあったのが、浅草寺にお参りしたとき。
お賽銭を入れてお参りをしたとき、後ろを振り返ると神輿が左手の参道から浅草寺の正面に向かってくるじゃありませんか。

おっ、これは。
と、思ってみているとアナウンスがあり、最後の神輿がやってくるとのこと。

そのまま賽銭箱前の階段に立って、三つの神輿がやってくるのを見物することになりました。

夕闇が迫ってくるなかで、ライトアップされた神輿がやってくる。
黒と金を基調にした神輿は、闇によく映える。
見とれていました。

神に黄金を奉納した古代人たちの気分が少しわかったような気がします。
おそらく黄金製の神器は昼間見るものではなかった。
闇のなかで、篝火に照らし出されて、きらめく黄金の輝きに古代人は神の顕現を感じたに違いない。

緑青をふく前の青銅器も、金のように輝いています。
青銅器が古代文明で祭式に使われたのも、同じ理由かもしれません。

なにせ目の位置が神様(浅草寺のご本尊は阿弥陀如来ですけど)と同じなので、そんな風に思ってしまったのかも。
あんまり畏れ多いことに、ふと気がついて、一段だけ階段を下りました。
いや、とにかく絶好のロケーションでした。

神輿は浅草寺の御本尊の前で大いに揺り動かして、高く持ち上げらければ成りません。
これを神道的な用語でいえば、「魂振り」(たまふり)となります。

文字とおり、担ぎ手の人間たちが魂(スピリット)を振り絞って、神様に活力を捧げるための儀式です。
じつはそれをするために、浅草寺の裏にある三社神社から神輿をかついで、浅草じゅうを練り歩き、ものすごい遠回りをして浅草寺の門から本殿の前までやってくる。
三社神社から浅草寺は、歩いて五分の距離にあります。
こんな壮大な無駄をするのは、人間どもがおのれの住む街に神様の霊威を撒き散らし、病魔を退散させて、繁栄を願うからなのです。

その御礼として、魂振りをして神様を楽しませねばならないお約束なんです。

すっかり神様気取りで、見物していたのですが、妙なことがありました。
最後の神輿が浅草寺の正門から入ろうとするときのことです。

境内にはすでに二台の神輿が入っていて、中は人で埋め尽くされている。
どうしたものか、急に人の動きがとまって、物音が途絶えた。
神輿は人ごみで動くこともできず、担ぎ手も疲れきっている。
それだけじゃなく、後でわかったのですが、最後の神輿が境内に入ったところでいろいろすることがあったので、関係者一同はエネルギーをたくわえていたのです。

このときです。
光線の加減か、境内を埋め尽くした人々の顔がちょっと違って見えました。

なんといったらいいか。
あんまり平凡な連想だけど、法被姿の担ぎ手の人たちや境内を埋め尽くした見物人たちの顔がまるで浅草名物「人形焼き」のように見えた。

美形とか、偉そうとか、金がありそうとか、そういう人間社会の約束事とはまったく無関係な、人形焼きの可愛いお菓子そっくりに。

人間って、可愛いなあと、本当に思ってしまいました。
余計なお世話だと、浅草ッ子には怒鳴られそうですが。

でも、勝手に納得してしまった。
金があるとか、ハンサムだ、美人だ、社会的に偉い・偉くない。
そんな人間社会の浮沈は、所詮は人形焼きの鋳型の問題で、たいしたことじゃない。

ボケモンとか、ドラエモンとかの人形焼もあれば、七福神の人形焼もある。
人形焼き同士では格付けなんてものを勝手にしているかもしれないけれど、消費者から見れば所詮は可愛い人形焼き。
芝居の上での役だから、本質はたいして違いはない。
同じ人形焼き。

ものすごく思い上がった言い草だろうけれど、こう思うのです。
もしかして、これって神様(いや正確には、阿弥陀如来)の観ている世界なんじゃないだろうかって。

そう気づいたとたんに、ぶわーっと気のようなものが正面から吹きつけたように感じました。
連れもいたのですが、同じような気の流れを感じたと言ってましたね。

なんだか、とてつもなく幸せな気分でした。
涙が出そうなくらい。
どう説明をしていいのか、わからないけれど。

もちろん、静寂は最後の神輿が境内にむりむりっと侵入してくると、歓声のうちにかき消されてしまいました。

その後、同じ光景を見物した同行の人たちと楽しく語り合いながら、酒を酌み交わしました。
なぜかみんな、元気いっぱいでした。

これが、わたしのささやかな不思議体験です。
期待はずれだったら、ごめんなさい。

しかし、まんざら勘違いでもないようです。

というのも、パソコンやインターネットに興味のなかった家人がいきなりパソコンスクールに通いたいと言い出して、今朝(20日)からネットでPCスクールを検索させられました。
一緒に祭り見物をした方々からネットについて教わって、感じ入ったことも一因ではあるでしょう。

でも、それ以上に三社神社の神様たちと浅草寺の仏様に、大きな元気を頂いたのではないか。
――なんて、わたしは考えているのです。

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5月16日

しばらく日記更新を休んで、読書に専念していました。
昨日(16日)は「スペイン断章」(堀田善衛)を読みました。

堀田氏の「衛」という字は旧漢字です。
面倒なので、新漢字にしてしまっています。
ほんとはいかんのでしょうが‥‥‥。

それにしても、一時のスペイン・ブームはどこに行ってしまったのでしょう?
イタリア・ブームもいつのまにか下火みたいだし。
でも、だいたいラテンはディープなもの。
ブームなんて、軽いノリには本来なじまないのかもしれない。

ディープな世界には、ディープな人が良く似合おう。
いまどきスペインだの、イタリアだのに、こだわる女の人は、一味違うぞ。
それに、美人だしね。

知り合いから統計値をとると、そのようになるだけの話で、以上の結論には客観性はありません。

堀田善衛はスペインやフランスに住んで、藤原定家の本を書いた素敵な人です。
わたしにとって、憬れの人です。

スペイン語でゴヤの文献を読み、鎌倉時代の「明月記」を読む。
しかもアルハンブラ宮殿で、アラビア語が読めないことに打ちのめされる。
「ゲーテは80歳でペルシア語を学ぼうとしたんだ」とつぶやきながら。

当時、堀田さんは御年61歳。
こういう人を本物の「知識人」というんだよなあ。

堀田さんの本を読んだだけで、長年の疑問が一気に解決しました。
、 スペイン人が大航海時代になぜあれほど急激に発展し、その後歴史の表舞台からまったく消えうせたのか。

西洋史をやっていて、それなりに本も読んだけれど、いまひとつわからない謎でした。
でも、いまははっきりとその理由がイメージできた。

スペインという国の成立そのものに、スペイン世界帝国の発展と衰退の設計図が遺伝情報のように組み込まれていたのです。

こういうことを直感させてくれるのは、すぐれた歴史感覚をもった歴史家にしかできない。
堀田善衛という作家は、ほんらいは歴史家なんですね。言葉の本当の意味で。

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5月13日

本日も当日日記です。
昼間から、近所の目黒川の遊歩道を散歩してきました。
川に沿って遡行すると、南沢緑地保全地というのがあって、ここは目黒川の水源にひとつです。

台地が平野部につきあたって、湧水するという関東地方にはよくある地形です。
これまた関東地方に特有の現象かもしれないけれど、こういう地形にはほぼ間違いなく氷川神社がある。
氷川神社というのは、はるか上代に出雲国司の一族がいまや「さいたま市」となった旧・大宮市に斐川の水神を祭った神社が元祖です。

関東では水利と農業の神として、いたるところにあります。
本家本元は旧大宮市の「氷川神社」ですけど。

だから祭神はスサノオ命です。
南沢緑地保全地に散歩にいったときは、必ずお参りすることにしています。

ご利益のある神様の見分け方というのがあるそうです。
簡単な方法は、森や林に囲まれた清浄な感じがあるかどうか。
神職が駐車場なんかを経営しているところは、駄目だそうです。

こういう観点からみると、ここはなかなか霊験がありそうです。
とにかくいってみると、気持ちがいい神社であることは間違いない。

神社巡りが趣味の「神社ウォッチャー」(そんなものがあるとして)のわたしが、イチオシの神社です。

ところで、昨日の話を蒸し返して、申し訳ないけれど、「北条時宗とその時代展」で面白い事実がわかりました。
あの大河ドラマには、北大路欣也演ずる博多の宋商人・謝国明という人物が重要な役割をはたしています。
この人物に関する史料が、展示されていました。

その内容に、驚きました。
謝国明は執権北条長時(カイヤの旦那が演じた人)が生きていた頃には、とっくに故人だったのです!
大河ドラマでは執権長時は時宗の命令で暗殺されますね。
実際に手を下すのが、のちに平頼綱になる浮浪人であろうと、時宗が殺させたことには変わりはない。
史実ではこんなことは証明できませんから、たかがフィクションと腹をくくれば何を書いてもいいでしょう。

ただ、事実と明らかに違うと大失敗となる。
厳しいけれど、これが歴史物の宿命です。
ミステリの犯人が宇宙人や妖怪であってはいけないのと同じ最低限のお約束です。

逆にいえば、史料がなければ、想像を膨らませることは作家の裁量、いやむしろ器量の問題です。ここをちまちまやると、とんでもなくつまらない作品しか出来ない。

とまあ、これだけ予防線を張れば、NHK大河を一方的に断罪することにはならないでしょう。
歴史作家をめざす身としては、新史料の出現で長年の構想がパーになる恐ろしさはよく知っているつもりです。
ただし、これは新史料だったのかという疑問は残ります。

とにかく文書によれば、建長5年(1253年)の時点で、謝国明はすでに故人であり、尼になった未亡人が宗像神社の大宮司と謝国明の遺産をめぐって訴訟をしている。
文書では北条長時はまだ六波羅探題で執権にもなっていない。

ちなみに、建長五年とは、日蓮が開宗した歳であり、ときの執権は北条時頼。
すると大河ドラマでやっていた執権を引退した時頼(=渡辺謙)が謝国明と博多で酒を酌み交わすなんてのは……無理ですな。

しかし昨日会場で買った「北条時宗の時代」(NHK出版)を眺めていると、歴史作家・白石一郎が謝国明は弘安3年(1280年)10月7日に八十八歳で死んだと書いている。
白石氏は史料をねじまげるタイプではないから、きっとなんらかの根拠があるんでしょうね。

ただし、白石氏によると、その人物は謝太郎(たろう)国明(くにあき)という名前だと断言している。
あれっ、それは確か北大路欣也の息子役のはず。
かつて「毛利元就」で吉川元春を演じたあの俳優さん(名前は失念!)の役じゃありませんか。

どうなっているんだろう。
つじつま合わせをすれば、謝国明を名乗った人物は二人いて、それが父子だったとすれば、父は建長5年にすでに故人で、時宗と交流したのは息子のほうといえないこともない。

ただし、白石氏も展示された文書と同じものに言及しているから、ヘンではあります。
現物を読む限り、謝国明が故人であるとしか読めないわけですから。

たぶん白石氏は戦国が専門だから、鎌倉については二次資料・三次資料を使ったと解釈するべきでしょう。つまり、孫引きの孫引き。

ここで歴史作家をめざす身としては、歴史の恐ろしさを肝に銘じたわけです。

日記のタイトルからすると、大河ドラマに怒りをぶちまけているようですが、そんなことは全然きにしていません。(笑)

NHK大河ドラマにあわせて、書き上げた原作については、まったく信用を置いていないので、死んだはずの人間がありえないことをやっても、どってことないのです。
作家の内的必然から生まれたのでない限り、ろくなものができないのは当たり前。
そこを責めたら、作家が気の毒です。

わたし、もしかして物凄いこと云ってるかもしれませんね。(笑)

ただ、白石一郎氏のような優れた書き手でさえ、孫引きの孫引きをやると間違いを避けられない。
こっちのほうが、わたしにとっては大事な教訓です。

追記:
しつこいけれど、この文書を見る限り、NHK大河の謝国明と、この謝国明はかなりイメージが違いますね。
現実の謝国明は、玄界灘に浮かぶ小島の地頭だったのです。

追記2:
ちょっと言葉が足りなかったかなと反省しました。
謝国明はもちろん博多在住の宋商人でして、この小島を押えたのは交易基地として利用するためでした。なかなかしたたかな人物だったようです。

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5月12日

本日は、当日日記です。
上野の国立博物館の「醍醐寺展」と、両国の江戸東京博物館の「北条時宗とその時代展」にいってきました。

「醍醐寺展」は明日まで、両国の時宗展は五月二七日まで。
気ぜわしいけれど、仕方がない。
死力をふりしぼって行って来ました。

どっちも大正解でした!
歴史好きの本能をじゅうぶんに堪能してきました。

どういうわけか、今回は文書や「お経」のたぐいが多かったですね。
いやあ、読んだ。読んだ。

もちろん草書・行書はだめです。
活字に落としてくれないと――。

活字になれば、わりと読めてしまった。
漢文の参考書なんていらないくらい、簡単な文書が多かった――なんていえば、怒られるかな。
鎌倉時代の文書は、独特の用語・用法さえ覚えていれば、わたしみたいな独学のど素人でも読めないことはない。

史料というと、恐れをなさなければいけないみたいだけれど、そんなに難しいもんじゃないですよ。
むかし大学より一段階上の「病イン」で、西洋史の史料読解てえのをやったことがあります。

その経験から言うと、歴史史料にはドイツ観念論みたいな(はたまたエイズ裁判の判決文のような)わけのわからない寝言はありません。
ひどく具体的で、わかりやすいものです。

だから、「時宗展」の文章はほんとによく分った。
でも、目と肩がくたくたです。

「醍醐寺展」には、足利尊氏筆の「般若心経」とか菅原道真筆の「般若波羅蜜多経」がありました。
楷書で書かれているので、しげしげと眺めて、見事さにうなってしまった。
売店で絵葉書になっていたので、喜んで買ったのはいいけれど、家に帰って分厚いガイドブックを眺めていたら、どっちも真筆ではないと書いてあるじゃありませんか。
ちょっとがっかりです。

でも、まあ綺麗だから――いいか。

同じ展覧会では、空海のこちらは真筆がたくさんありました。
草書や行書だったら、手も足もでないけれど、楷書なのでこれまたとっくりと読んでしまった。

立派な仏画や仏像もたくさんあったけれど、わたしは一日中漢文(&経文)を読んでいました。
ああ、草臥れた。
くたくたになって、両国名物の地ビールのあるビアホールへ、転がり込みました。
とりあえず、プラハ・ディウンケルなる黒ビールをごくり。
これが、ばか美味(うま)。

以前、これだけ売り切れていたので、飲むのは今回がはじめてだけれど、予想に違わず美味いビールでした。
あと、お薦めはピルスナーですね。
こっちも美味しくいただきました。(料理研究家みたい……ですけど。)
のってる読書家は恐ろしい。(笑)
ビール二杯とおまけの水割り一杯を飲んでいるあいだに、時宗展と醍醐寺のガイドブック二冊に、それぞれの会場で購入してきた参考書を三冊読み上げてしまった。
酒飲みの本好きの困ったところで、こういう調子で本を読むと、酒代と本代が嵩んでしようがない。
身に覚えのあるヒトは注意しましょう。

――そういうわけで、いまはご機嫌であります。
へたな薀蓄をたらして、シッポを出してはまずいのでは、本日はここまでにいたしとう存じます。

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5月 9日

読書日記だか、なんだかわかんない日記です。(笑)
本日は読書の話題ではなく、新宿御苑のカラスのはなし。

昼休み、仕事にくたびれはてて、いつものように新宿御苑を散策しました。
「入場料200円なり」を高いという人もいるが、缶ジュース一本よりちょっと高め。
発泡酒は買えても、本生は買えない。
それで自然が満喫できるから、けっして高くはない。

曇り空だけど、昨日の雨のおかげで、新宿御苑の林道はちょっとした深山幽谷の気分が味わえます。
人気がない場所だと特に。
ときおりスクーターの爆音が聞こえるのはなんだかなあと思いますけど。

ヒマラヤ杉やレバノン杉がそびえる林道を歩くのはいい気分です。
樹間から外の建物が見えたりもするけれど、気にしない。気にしない。

ところが、外周の道から中へ入るコースへ行くと、なんだか本当に山の中にいるような気がします。
キノコは生えているし、湧水が浸みでた湿地もある。
他に人間の姿は見えないし、最高ですね。

ところが、ここはどうやらカラスの天国らしい。
道の真中で、そっくり返って歩いています。

これが一羽だとなかなか愛敬があるのですが、道を進むうちになんだか雰囲気がおかしくなった。
カラスの鳴き声がやたらするようになったかと思うと、林のなかにカラスの姿がちらほらと。
いや、そんなもんじゃない。
枯れ葉のあいだじゅうをカラスがうようよしているんです。
まるでヒッチコックの「鳥」です。
(トリですよ。いわゆるひとつの「バード」です!。カラスじゃありません。念のため。)

いま、こいつらに襲われたら、たぶん白骨死体だなと、ぞっとしました。
新宿御苑で消息を絶った中年男・第1号の名誉はわたしのもの?

さらに進むと、開けた広場がありました。かなり広いそこには、いつもなら人がいっぱいいるけれど、曇天のせいか誰もいない。
そのかわり、カラスの大群がよたっていた!

――これは事実ですが、わたしは無事に家に帰ってきて、このように日記をつけております。
カラスはそれほど恐ろしい生き物じゃないのかもしれません。

新聞読みが趣味の家人に話をすると、いまはカラスの営巣時期だそうで、カラスたちは発情しているらしいんですね。
そう云われてみれば、くちばしをすりあわして、取っ組み会っているのがよくいました。
あれは喧嘩じゃなくて、いちゃついていたのか。
ウブなわたしには、わからなかった。(ポッ)
そんなに怖がることはなかったのかもしれません。

それにしても、新宿御苑の看板を見ると、あそこには常時300羽から400羽のカラスがいるそうです。
池のなかのカメの子を食べたり、他の動物たちがどんどん犠牲になっているとか。
「カラスに餌を与えるな!」というのもむべなるかな。

しかし、いまどきのシルバー世代はそんなことを気にするもんじゃない。
カラスに餌をやっている孤独な老人がけっこういますね。

これを親切というべきか。
老人たちに腹をたてるわたしが、世間の常識に汚染されたアホウなのか。

だが、アホといわれてもいい。
わたしは云いたい!
ほんとに問題なのは、カラスじゃなくて、類人猿仲間の恥さらし、ハダカ猿なんだって。

カラスが都会でやたらに増えたそもそもの原因は、人間が生ゴミをきちんと捨てないからです。

ときどき、この生物の一員であることがいやになります。

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5月 8日

このところ「書物」(森銑三・柴田宵曲)という本を読んでいます。
どちらも大好きな著述家です。
もうとっくに故人ですけど。

日本の書誌学の先駆者というだけでなく、人間を観る目が確かなのが魅力です。
「文は人なり」というけれど、その名文どおりのお人柄だったそうです。もちろん二人とも。

この本は、二人の書物に関する随筆を集めた岩波文庫です。
ぽつりぽつりと読んでいるけれど、なかなか味わいがありますね。

今日読んだ森銑三さんのエッセイには、こんなことが書いてあった。
自分に合った本を簡単に選ぶ方法――があるというのです。

タネをあかせば、自分が気になる著者がラジオに出たとき聞いてみることだそうです。
森銑三さんの時代だから、ラジオだけれど、いまならテレビでもいいかもしれない。

出演した著者の言葉の選び方、話し方――それに注意していると、人となりや作家としての技量はほぼわかる。
そして、ものの見方の深浅も。

取るに足らないと思えば、いかに評判が高くても読む必要はなし。
読み手の実力には、ふさわしい相手というものがある。

このエッセイを読んでいて、ふと思い出したのが里見クの例の言葉です。
「文章はだれにでも書けるけれど、良い文書はえらい人間にしか書けない」って、あれです。

数行でも文章を読めば、その人がどんな人間かは余所行きの場所で何百回会うよりもはるかに確実にわかる。
砕けた文章で、気さくな様子を気取っていても、内面の卑小さは隠せない。

森銑三さんなら、一文を読めば筆者の力量は一目瞭然だったはず。でも、そのためには、実物を手に入れなければならない。
自分に興味のある本がたくさんあって、読むのが忙しく、その上欲しい本を探し回っている人には、なかなか難しい。
だから、そういう人には、すぐ手に入らない本や気にかかるけれど購入するまでに至っていない本がいっぱいある。

そういう場合には、「本によらずに人を見る」方法があるよってことです。

森銑三さんの意見には、大賛成です。
だいたい言葉を選ぶセンスは、世界を見る洞察力そのものといっていい。
そのセンスは、日常会話に如実にあらわれる。

世の愛書家は意識するしないにかかわらず、森銑三さんと同じ方法を使っているんじゃないでしょうか。
気まぐれで、でたらめのように見えるけれど、そういう直感のほうが、理屈よりも確かです。
目が騙すのではない。心が騙されるのだというようなことを、ゲーテが書いていたような記憶があります。

森銑三さんの本は、本と対話できる人にはなにかと共感するところがあります。
こういう人の本に出会うことは、ほんとうに稀です。
「百年の知己を得た」なんて、昔の人なら云ったことでしょうね。

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5月 7日

休みがあったのはいいけれど、たまりにたまった仕事で、息が抜けません。
読書はさすがに無理でした……。

息抜きに、ホームページ読みをやっていました。
気まぐれに「仮面ライダークウガ」とIEの「アドレス」欄に入力して、検索してみました。
テレビ朝日のサイトは消されたんじゃないかなと思ったからです。

意外なことに、「仮面ライダークウガ公式サイト」は健在でした。
全話のストーリー紹介もまだあるので通読しました。

おかげで、観そびれた回や断片的に観ていた回のストーリーがやっとつながりました。

やっぱりええ話だわ、これ。
悪の(グロンギ)怪人をただぶちのめすストーリーなんてのはない。
むしろ、人間関係に悩む周囲の若者(子ども)たちを勇気づけるドラマの方がメインだったりする。

原作者・石森章太郎(石ノ森になる前の)の漫画版「仮面ライダー」もどちらかといえば、人間のドラマのほうに重点がありました。
「クウガ」は原点回帰の名作だったんだなと改めて思います。

それにしても「仮面ライダー」という特撮ヒーローは孤独ですね。
本質的には、全員無職かプータローですから。
喫茶店やスポーツ品店の親父さんが面倒をみてくれないと、食っていけなかったのではないでしょうか?

二号ライダー・一文字隼人も本職のはずのカメラマンをやっている形跡はない。
大学生でのちに民間航空会社のパイロットになった南光太郎が唯一の例外かもしれない。(笑)

しかも、ライダーたちの正体は、敵となる怪人と同類です。
「改造人間」だった本郷猛や一文字隼人は「ショッカーの化け物め」と口走ったりしますが、それは自分のことだったりします。
前作クウガでさえ実態は敵のグロンギ怪人と同じことが明かされました。
おそらく、いまのアギトも「伝統」にしたがえば、敵と同じ存在だとなるはず。

唯一の例外は、異次元人・クライシス帝国と戦った「ブラックRX」。あれは仮面ライダーのくせに「宇宙刑事」していたとんでもないしろものだから、例外が多いのも無理からぬことかもしれません。

社会のドロップアウター(脱落者)にして、人類のドロップアウター(=改造人間、遺伝子工学の産物、古代呪術の妖怪)でもある存在が、縁もゆかりもない世間の皆さんのために命を賭して戦う。
なんだか泣ける話ですが、かれら異形のヒーローに頼りっぱなしの人々もだらしがない。

よく考えたら、無茶苦茶な話ですね。
割りがあわないったらない。

そう考えると、「仮面ライダー」には義賊(鼠小僧次郎吉)や股旅物(国定忠治)の匂いさえしてくる。

道理で昔の仮面ライダー・シリーズには、東映時代劇の生き残り俳優さんがよく出てきたはずだ。
なんとなく、納得してしまいました。

「仮面ライダー」はニッポン人の心の故郷だったんだ!

赤城の山も今宵かぎり、
リボルケイン、
俺には生涯てめぇという強ええ味方があったのだぁ〜♪

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5月 5日

休肝日は成功でした!
ウォーキングで汗もかいたし、快調です。
今日(6日)ぐらいは、いけるかも。
ウィークデイに入れば、飲む暇もないだろうし……なんて。

ところで、昨日は妙な本を読んでしまいました。
「初歩の漢文」(中西進著 昇竜堂出版株式会社)
「基礎からわかる漢文」(馬場武次郎著 日栄社)

なつかしいーぃと思う人はいませんか?
ご存知かもしれないけれど、わたしたちが高校生だった頃は定番の漢文参考書でした。

ただし、高校時代にはどっちも使ったことはありません。
小難しそうな「漢文研究法」なんて参考書を愛用していました。

この二冊の本はわざわざ新刊書店で買ってきたものです。
なぜ、こんなものをといわれれば、頭を掻くしかない。

日本古典も平安鎌倉時代まではだいたい制覇したので、そろそろ漢文にとりかかろうと思っています。
日本史を探求するには、漢文は必須ですからね。

直江兼続のような武人は、梁の昭明太子の「文選」を愛読していた。それどころか、木版活字で印刷・出版までしている。
古代・中世日本の歴史を学ぶには、漢文はとーぜん必要不可欠。
いいかげんな読みなら、できないこともないけれど、ちっとは真面目に復習しようと思い立ちました。
時間があるときじゃないと、こんなことはなかなかやれませんしね。

読んでみたら、あっという間に読めた。
いや、なつかしい。
どこか覚えている文章や漢詩ばかりだったから、すらすら読める。
そーいや、高校時代は漢文は得意科目だったなあ。

記憶力減退がいちじるしいので、頭に入ったかどうかは定かではありません。
意外に訓読ができるので、ちょっと得意です。

そのうち図書館へ行って、漢文でも借りてくるつもりです。
いや、待て待て、それどころじゃない。
買ったまま手をつけていない岩波文庫がいっぱいある。
「孟子」「荀子」「大学・中庸」……。
まずはそっちから攻めよう。
――取らぬタヌキのなんとやら……です。

昨日はついでにもう一冊読んでしまいました。
「豊臣秀吉」(小和田哲男)。
歴史小説や通説で知っている「太閤記」がいかに嘘だらけか、教えられました。

例えば、こんなことがある。
名古屋市には中村公園というのがあって、そこは「秀吉生誕の地」ということで、子供時代の日吉丸とその友だちたちの銅像がある。
このあいだ、名古屋に行ったとき、ついでに寄ろうかとも思ったのですが、面倒なのでやめておきました。

小和田氏の本によると、秀吉生誕の地はそこではないらしい。
その場所を選定したのは、地元の有志が当時の知事(正確には『県令』)に強引に訴えたからだそうです。
なあーんだ、そうだったのか。
自分のナマケ心を棚に上げて、胸をなでおろしています。

ほんとの生誕の場所は、中村公園の南にある「中村中町・本町」のどこかだそうです。
「弥助屋敷」と言われるあたりだという説もあるけれど、確証はない。
ただ、中村公園じゃなかったのは確かだとか。

秀吉は謎の多い人で、愛知県の生まれではなく、滋賀県浅井郡浅井町の出身だという説もあるそうです。

吉川英治、海音寺潮五郎、司馬遼太郎といった大御所の歴史小説で、秀吉のイメージができあがっている人には、この本はお薦めです。
とくに、明るいキャラクターが人を惹き付けた人気者だと思っている人には。
ほんとうの秀吉は、劉慶一郎氏が描いた恐ろしい<いくさ人>だったからです。
いや、「いくさ人」とは表現が優雅すぎる。
<戦鬼>とでもいったほうがいい。

戦国武将に、企業社会の見果てぬ夢を投影するのは、もういい加減に止めたいもんです。
秀吉の治世は、庶民にとって地獄のようなものでした。
かれの人気は、社会の底辺であえぐ徳川時代の百姓と、明治国家の下層社会で育まれたものだということを、小和田氏は詳しく追っています。
そのことだけはきっちり押さえておかないと、「バカみるぞ!」というのが小和田氏の主張です。良い歴史学者ってのは、お節介な人でもあります。

それでも、騙されるのが好きって人は……どうしようもない。
だめだ、こりゃ。

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5月 4日

休みに入ってあいかわらずの脳死状態です。
昨日は、銀河高原ビールを飲んで、またのびてしまった。

酵母入りで、身体に良いらしいけれど、どこが良いのか忘れてしまった。
われながら、ボケております。

このビールの工場は飛騨高山にあります。
このあいだ、飛騨高山へ行って来ました。
ところが、勘違いでここのビール工場へは行きそびれてしまいました。

飛騨高山から30分くらいのところにあるらしいのですが、道路脇の看板をみて勘違いしたあげく、逆方向にあると思い込んでしまった。
ビール工場を見つけられないままに、宿泊先の下呂温泉についてしまいました。

下呂温泉というのは、ご存知かもしれないが、飛騨高山から自動車で1時間半〜2時間ほど。もう引き返すのも面倒なので、そのまま諦めて東京に帰ってから飲むことにしました。

缶ビールなら、近所のすぐれものの酒屋さんで買えるのです。

そういえば、ひとつ不思議だったのは、下呂温泉の酒屋には銀河高原ビールがありませんでした。
かわりに、どこの酒屋にもあるのが「古里古里の里」とかいう地ビール。
製造元はJR高山駅から車で20分くらいにある飛騨民俗村の近くにあるようです。

この地ビールの直営店みたいなビアレストランがありましたが、外から見た限りではビールの直販はしていないようでした。

近くに工場があるようだけれど、様子がわからないので探索は止めておきました。

「古里古里の里」は、下呂温泉で買って飲みました。
味はこういったらヘンですが、銀河高原ビールにどこか似ているような気がします。
製法が似ているので、同じような味がするのかもしれません。

昨日、銀河高原ビールを飲みながら、「古里古里の里」の味を思い出しました。
ただアサヒやキリンやサッポロだって、ドライや一番しぼりや発泡酒じゃない限り、味はそんなに変わらない。
ふつうの酒飲みには、飛騨高山の地ビールの違いは分らなくても仕方がない。
同時にのみ比べれば、分るとは思いますけれど。
――当たり前だ!(笑)

本を読むのもかったるい、この頃なので、蔵書の整理をしています。
なんだか、ずい分本が増えて、そら恐ろしい気がしますね。

本の山から、前に読んだ本を発掘して、「こんなのがあったんだ!」と読みふけったり……。
整理とは名ばかりで、ひたすら暇を潰しています。

大昔に読んだ「ヴィーナス以前」(木村重信)という中公新書を懐かしく読んでしまいました。
これを読んだころ、エーゲ海文明の女神たちについて、まじめに勉強していたんだよなあ。

オリュンポスの女神たち(アテネ、ヘラ、アルテミス、デメテル、アフロディテ)が、新石器時代からエーゲ海文明圏に存在していたという趣旨の卒論を書いていました。
もちろん、元ネタはしっかりした外国の学者さんのもの。
卒論だから、そんなものです。(笑)

なかでも、アテネ、ヘラ、アルテミス、デメテルはミケーネで発見された線文字Βにもその名がみえる。
偉く古い神格なんです。

などとしょーもないことを思い出しつつ、ビールを飲んでしまった。
まずいぞ。
このままでは、酒精中毒じゃないか。

今日(5日)は休肝日にするつもりです。
皆さんも、お大事に。

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5月 3日

どーも休みに入ってから、めっきり草臥れて更新がままなりません。
ばてばてって感じです。

そのせいか、お酒が進む。(笑)
昨日は、季節限定の岡山の地酒を堪能してしまった!

ネーミングがすごい!
「酒一筋 しぼりたて」

利守酒造株式会社の純米大吟醸。しかも、赤磐雄街米100パーセントとある。
なんだかわからないけれど、きっと良いもんなんだろうと酒屋さんを信用して買いました!

これが大当たり!
いかんなぁと思いつつ、飲み潰れちまったい!
読書日記なんてかけるはずないです。

さて、休みに突入して、またアイヌ語の復習をやっています。
文法はえらく簡単なような気がします。
知里真志保氏の本には名詞の変化と、動詞の変化が載っているだけなので、他の品詞はいまいちわからない。
それじゃあ、カンタンだわなと改めて思い直しました。

名詞の変化と動詞の変化は、ギリシア・ラテン語からはじめてドイツ語なんかもやってるので、わりとお手のものだったりします。
うろおぼえだけど、フランス語も辞書を引ける程度には、動詞変化は知っている。

インド・ヨーロッパ語族の屈折型文法に慣れると、こりゃカンタンでええわと思ってしまう。

おそらく、どっかに落とし穴があるのだろうけれど、まあ第一段階はこんなもん。
なんでも「はじめの一歩」が大切なんだね、ダイチくん。

「きむ・じょんいる氏の長男と思しき男」といわれる密入国者が現れた世相の中でも、アイヌ語に触れていると時のたつのをわすれてしまったり……はしないですね。
でも、北海道の自然のなかに戻ったような気分がして、道産子(ドサンコ)の私にはカイカンです。

ところで、北朝鮮研究者、伊豆見元・静岡県立大教授によると、金正男なる人物はじょんいる氏の後継者でもなんでもないそうです。

いちばん最初の奥さんの長男であることは間違いないけれど、後継者として確定したわけではないとか。
正男氏の母親はとっくに死亡して、その姉は亡命。姉の子は、韓国に亡命して銃撃戦で射殺されている。

そう聞かされると、正男氏を後継者と考えるのは無理でしょう。
独裁者が興味をなくした女の息子に、政権を渡す例は皆無だからです。

マスコミがいうような、ただの観光目的の不正入国なんでしょうか?
もっと大変なことを、揉み消しただけじゃないか。
なんだか心配でなりません。

やっぱり、わたしはこの国(=日本国)の政府をてんで信用していない!(笑)

追記:
「言葉の宝石箱」という新しいコンテンツを作りました。
アイヌ語のさわりを紹介しています。
ぜひ一読してみて!
リンクはトップ・ページにあります。

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