本日は短めです。 とにかく更新しようということで……。 「継続は力なり」って、ところです。 掲示板にも書きましたが、目下「谷崎潤一郎随筆集」(岩波文庫)に夢中です。 正直いって、大文豪・谷崎がこんなに面白いとは思わなかった。 つまらない文学史の知識を溜め込んでいるせいで、ずい分面白いものを見逃していたんだなと改めて思いました。 新潮文庫の三島由紀夫を読んでいれば、それほど魅力を覚えない。 でも、ちくま文庫の三島はめちゃんこ面白い。 いまどきの作家なんて、水で割ったミルクみたいなもんで比べるのがどだい無理。 谷崎もじつはそうで、この人より面白い現代作家なんて実はいなかったりします。 恥ずかしながら、わたしの過去を少しばらすと幻想文学研究家と名乗って、早川文庫の解説なんかを書いたことがあります。 でもねぇ、谷崎に匹敵する海外幻想文学者っているでしょうか? 谷崎もよう読まないで、幻想文学研究家もないもんだといまはひたすら恥じております。 わたしが若い頃、夢中になって読んだSFやファンタジーって、なんなのさ。(涙) 里見クの受け売りじゃないけれど、すぐれた書き手は必ず世界の秘密を明かしてくれる。 谷崎の本を読んでいるうちに、長年不思議に思っていたことが腑に落ちたこともたびたびです。 それについては、また明日書くことにします。 |
昨日の続きです。 六義園と古河庭園に行ったあと、久しぶりに神田神保町に回ってきました。 三、四年ぶりですね。 考えてみると、ずい分行っていない。 行かなかったのは理由があります。 四年ほど前でしたか、例によって歴史小説の資料探しで文献を探していたんです。 立花隆氏の「知のソフトウェア」の愛読者は、調べものとなるとまず神田神保町へ出かけるのが常識。 ところが、大手の書店と古書店を探し回ったのですが、新刊本であるはずの文献がどこにもない。 注文したら入ると大手書店のカウンターではいいますが、それも面倒だなと思いました。 取次ぎが入って注文するなら、わざわざ神田神保町へ来なくても地元ですむわけですから。 そこで探索を諦めて、池袋に寄って東武デパートと西武デパートの書店を覗いてみたのです。 調べる気などはさらさらなく、たんなる物好きでした。 ところが……あったんですよ。探していた文献が全部。この両書店を回っただけで。 そのとき思いましたね。もう新刊本を買いに神田神保町へ行く必要はないなと。 しばらくして、芳林堂が改装して大型書店になった。 池袋駅周辺には、なかなかできる大型書店が他にもかなりある。 こうなると、新刊本に限っていえば、池袋がベストですね、わたしにとっては。 とにかく、都心に出るには必ずここを通るわけだから、交通の便もいい。 だから新刊本を探すときは、ネットでなければ池袋となりました。 神保町へいっても無駄足ですから。 しかも古書は私鉄沿線の古書店もなかなかいい。 おまけにBookOFFが近所に出来たから、新古本はもっぱらここ。 洋書についていえば、神田神保町にはろくな新刊がない。ネット書店で買うほうが安いし、品揃えがいい。 よっぽど財布に余裕があって、北沢書店や田村書店の高い洋書古書籍を買うなら別だけど。 ただねぇ、うん万円もかけてレッシング全集なんて買うこたあないでしょう。大学の語学のセンセイじゃないんだから……。 いろいろ考えてみたら、わざわざ出かける理由はひとつもありませんね。 今回行ってみようと思いついたのは、ちょっとした好奇心です。 じつはレクラム文庫を都内で売っているところがないかと探しているのです。 さいきんちょっとドイツ語が読めるようになったので、昔日本語で読んだハイネの作品を原書で読んでやろうと思い立ちました。 「アッタ・トロール」「歌の本」「流刑の神々」「精霊物語」……。 書いているうちに、懐かしさがこみあげるなあ。 神保町交差点にある岩波ブックセンターならレクラム文庫があったはずと、思い出して久しぶりに出かけたのでした。 しかし地下鉄丸の内線御茶ノ水駅を出て、三省堂に向かって歩いているうちに、すぐに来たことを後悔しました。 ご存知でしょう。もうあの街が楽器屋通りになっていることは。 新刊書店も古書店もゲーセンか楽器屋になっていました。 文庫河村だけが孤軍奮闘という感じです。 買うつもりもなかったけれど、なんだかたまらず岩波文庫を二冊買ってしまいました。 閑散として寂しい感じがしたのは、わたしだけですかねぇ。 文庫専門の新刊書店にあるのはスキーの雑誌ばかりで、岩波文庫をみかけなかったとか、惨状はますます進んでいる。 じっくり見る気もしなかったので、まっしぐらに岩波ブックセンターに行きました。 途中眺めていると、特色のある有名古書店しか生き残っていない。 専門がない古書店のあった場所には、別の業種が入ってますね。 ただ岩波文庫の古本がいろんな店の店先に並んでいたので、二十冊くらい仕入れることができた。 これは嬉しかったけれど、なんだか寂しい気がしてならない。 で、肝腎の岩波ブックセンターですが、まったくの期待はずれでした。 レクラム文庫はもう置いていない。 年配の店員さんに聞いたら、「れくらむブンコってなんですか?」と聞き返された。 そりゃあ、ないだろう。 ほれっ、オタクの創業者が文庫の裏に「読書子に寄す」って、有名な文書を書いてあるでしょう。 「吾人は範をかのレクラム文庫にとり」って! 岩波文庫愛読者なら誰でも知っているジョーシキが、見たところ五十代後半のおっさんには通用しないんでしょうか。 それとも、こっちがからかわれただけ? ちょっと呆然として、帰ってきました。 洋書はこれからはすべてネット書店で買うつもりです。 「8時だよ、全員集合!」じゃないけれど、「だめだ、こりゃ」(笑) 司馬遼太郎さんによれば、神田神保町は働きながら大学の二部に通った若者たちの街だったそうです。 つまり、ここにあった中央大学(正確には、その前身の法律専門学校)の、夜間部に通う苦学生たちが教科書を安く買うために古書店が必要だった。 その需要を満たすために誕生したのが、神田神保町の古書店街でした。 中央大学の前身を核として、このあたりに他の私立大学が集まってきた。 ご存知の通り、中央大学はこの街を去り、他の私大も追従して去った。 もうこの街の役割は終わったのです。 街に楽器屋とゲーセンがあふれているのは、若者の街として誕生した名残りなんでしょう。 街は生き物なんですね。 いつも変化して留まることがない。 神保町へのノスタルジーはすっぱり忘れないと、本を読むのも大変だなあ。 思えば、ミョーに光る古書店は意外な場所にぽつぼつとあったりします。 店主とはろくに口をきかない客ではありますが、信用している店が何軒かあります。 向こうは名前も知らないでしょうが。 今後はそういうところをどしどし開拓するしかないでしょうね。 楽なことなんてない――それが、人生さ。 追記: 里見「とん」の字は変換できたんですねぇ。 「ク」という字がありました。 教えてくれてありがとう! 以前のテキストは直しておきました。 |
連休の初日ということで、六義園と古河庭園に出かけてきました。 六義園は、忠臣蔵(&水戸黄門!)の悪役、柳沢吉保が作った庭園です。 はじめて行ったけれど、綺麗な庭園でした。 それに結構広い。 両国の旧安田庭園くらいかと思っていたけれど、スケールが一回り大きいように感じました。 また行きたいなと思うくらい素敵な大名庭園でした。 いってみると、大きな心字池があって、ご丁寧にも仙人の島「蓬莱島」に見立てた岩の上にはみごとな亀の置物がある。 すごいなぁーと感心してしまいました。 抹茶とお菓子が出る茶屋があったので、そのことをいうと、着物姿の給仕の娘さんに笑われた。 「みなさん、そう仰います」 と、口元を押さえながら説明してくれたところでは、カメはみんな本物だそうです。 カラスが岩の上に止まると、石が転げ落ちるように、いっせいに水中に逃げ込むとか。 おじさん、恥かいちゃった! ――という一幕であります。 六義園には「六義園八十八景」という名所があって、なんとそれは柳沢吉保が古今・新古今の歌学から名づけたものだとか。 江戸時代の権力者は、えらく博学です。 例えば「ささがにの小道」というのがある。 「ささがに」とは古語で蜘蛛のこと。 林間の狭い小道をそう名づけたそうで、「なんだ!なんだ!」と歩いてみると、あっというまに道が終わってしまった。 これはしてやられた例ですが、漢籍の故事にのっとった渓流まである。 とにかく柳沢吉保がそうとうな文化人だったことはわかります。 柳沢吉保という人は五代将軍綱吉のご学友で同性の愛人だったことから出世したわけですが、綱吉は政治家としての資質はダメでも学識だけはあった。 その愛人を長いことやってゆくには、美貌とお尻だけでは駄目だったんですね、きっと。 冗談は抜きにして、六義園は大好きになりました。 後楽園、旧安田庭園、浜離宮恩賜庭園、旧芝浜離宮恩賜庭園、有栖川宮記念公園と、都内には大名庭園の名残がこれだけあります。 もっとあるかもしれないけれど、わたしが行ったのはこれだけ。(笑) そのなかでは、六義園はだんとつですね。 なんだか柳沢吉保という人を見直してしまいました。 やはり見ると聞くとは大違い。 百聞は一見にしかずというところでしょう。 もう一箇所、足を伸ばしたのが、古河庭園です。 同じJR駒込駅の線路をはさんで反対側にあります。 道すがら、妙義神社にお参りしてきました。 ここはヤマトタケル尊ゆかりの神社で、祭神は日本武尊と応神天皇と(それと神功皇后?)。 太田道灌にもゆかりがあって、「戦勝(かちいくさ)の宮」という別名があります。 由緒ある神社があるとつい寄りたくなるのが、わたしの弱点であります。 このあいだも、桃太郎(あの桃から生まれた人!)を祭る神社に行ってきました。 (その話は、また時間があったら書くことにします。) 古河庭園の方は、あんまり感銘を受けなかったですね。 六義園を見たあとだと、なんだかせせこましくて。 ただコンドルという鹿鳴館を建てた英国人建築家による洋館は素敵でした。 残念ながら、事前の予約がないと中は見学できません。 洋館の一部が喫茶店なので、もしかしたらそちらには入ることができるのかもしれませんが、六義園で抹茶と和菓子を食べたばかりなのでそうそうお茶ばかり飲むわけにもいかない。 英国式庭園と、日本庭園が合体したそれなりに風情のある庭園なのですが、どーもせまっくるしい感じがします。 北海道人だからかもしれませんが、狭い空間は苦手なんです。 このあと、久しぶりに足を伸ばして神田神保町へ行ってみました。 三年ぶりくらいですかね、あそこに行ったのは。 それについては、また明日。 |
前回の続きです。 文章がうまくなる極意。 それは、ある謎めいた言葉にあります。 「たいことをたいせよ」 これだけだと何のことか、さっぱりわかりませんね。 ノルウェーの劇作家イプセンの言葉だそうで、里見氏は英語で読んだらしく、こんな風に引用しています。 “You must will the thing you will.” これだと、「なんでもしたいことをしろ」という訳もあてはまるけれど、そうは読んでほしくないと里見氏は云うのです。 くだくだしく説明するわけにはいかないので、あっさりと要約します。 ほんとうに「したいこと」は、「感情」「知力」「意力」(=意志力)の三つが一致協力しないかぎり実現できない。 ある限りの知力を絞らないと、「したいこと」ができるわけがない。 純粋な思い(=感情)がないと、ものごとを続けていけるはずがない。 そして、やっぱり知・情にもとづいた意志力がないと、どんなことだって三日坊主で終わってしまう。 だだっ子のように、中途半端に「やりたい放題にやれっ」ということではないのです。 自分がほんとうに値打ちがあると信じるものを、断固としてやれということですね。 そういう生き方をしていると、おのずと文章の書き方も変わってくる。
達人が書く文章は、新聞雑誌の記事みたいな情報だけではありません。 そこにおのずと、人間性が現れる。それが尊いのだと里見氏は再三云っています。 しかし、そうなってくると、文章の上手・下手は書き手の人間性の根幹に関わってくる。 たかが文章だけで、人間がわかるのか。 当然、そういう疑問が起こるでしょう。 でも、金にも言葉にも踊らされない人間には、ホンモノがわかるんだ。 だから、キミたちもそういう人間になってね、と里見氏はいう。 この本は1935年に出たのですが、もともと子ども向きの「日本小国民文庫」という叢書の一冊でした。 だから、説教じみた言葉が出るけれど、これは断じて説教じゃない。 いい大人が子どもを対等の存在として真剣に本音を洩らしている。 若い者に媚びる昨今の書き手とは違います。 そうなってくると、いよいよ文章書きも恐ろしい。 「文章は誰にも書けるが、えらくならないかぎり、いい文章は書けない。」 さいごに、里見氏はずばりと結論を出しています。 なるほど、そういわざるをえない。 「文章の大事は、 現し方にあるのではなく、現れるものにある。」 だから、素晴らしい人間にならない限り、素晴らしい文章など書けるはずがない。 ――というのが、里見氏の根本的な立場です。 素晴らしい人間とはなにか。 里見氏は西郷隆盛の言葉を文中に引用しています。 岩波文庫にもある「西郷南洲遺訓」の有名な言葉です。 「命もいらず名もいらず官位も金もいらない人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは艱難を共にして国家の大業を成し得られぬものなり。」 金にも言葉にもたぶらかされない人間になってくれよ。 祈るような気持ちで、当時の子どもたちに向けて、里見氏はこの本を書いたのですねぇ。 これを説教と思うのは、了見がケチくさい。 大人の純情って、いいもんだなと、当時の子どもの子どもにあたるわたしなんかはじんと来てます。 |
いつも掲示板で日記じゃあ、かっちょ悪すぎる。 今夜は、ちょろっと読書日記です。 里見 クの「文章の話」を読みました。 この本は絶品です。 なにが凄いかというと、文章の達人になる方法をずばり教えてくれる。 それは――「えらい人になること」です。 別に権力者になるという意味ではなく、なにかをきわめて、この分野ならオレが日本一という人間になること。 里見氏に言わせれば、そのようなことです。 もし、そうなったら下手な文章を書こうと思っても、絶対に書けなくなる。 他の人がいえば、冗談にすぎないけれど、ご存知のように、里見は有島武郎の弟で、画家の有島生馬の兄です。 (生馬の弟だったかな。いや、兄だったと思ったけれど……) つまりは白樺派のひとり。 あのグループは、小説家の他に、思想家だの、画家だの、陶芸家だのがいた。 プロの文章書きではないけれど、著書のあるゲージュツ家が、里見氏の友人にはいっぱいいたわけです。 あの不気味な「麗子像」の岸田劉生なんかもそのひとり。 岸田はエッセイの名手ですからね。 里見の言うことには説得力がある。 それに、思想家だけど、柳宗悦。 この人の書くものは、智・情・意をかねそなえた名文です。 ああ、それから英国人陶芸家のバーナード・リーチ。 かれもまた屈指の名文を書くエッセイストでした。もちろん英語でだけど。 一流人とつきあいのあった里見の言葉には、千金の重みがある。 かるく「千金」と書いたけれど、実際には持ったことがないので、実感がないな。(笑) とにかく「すごいっ!」と感心しました。 じゃあ、ビンボったれの、一般ピープルには救いはないのか? いえいえ、里見氏はそんな了見のせまいヤな野郎じゃない。 それについては、また明日書くことにします。 ちょっと草臥れ気味なんで。(苦笑) |
久しぶりに本当の読書日記です。 島崎藤村の「新生」(後編)と、「文明論集」を読みました。 「新生」はまだ前編は読んでいません。 掲示板に書いたように、この本の前編はネットからダウンロードしたテキストです。 本のかたちで入手した後編は、寝転がって読めるので読了したのですが、まさかモニターを支えてごろ寝で読書するわけにはいかない。 後編だけを読んだ理由は、休日の読書体制にあるのです。 いっぽう「文明論集」は再読です。 さて、「新生」という作品と「文明論集」には深い関係があります。 島崎藤村という人は、兄の娘(実の姪)と肉体関係を結んで、子どもを作ったのです。 世間にはそのことを隠していましたが、苦悩に耐え切れず、パリに遊学と称して出かけました。 その後、姪は子どもを出産して里子に出しました。 呆れたことに、その兄の家に藤村は二人の幼い息子を預けていた。 詳しいことはわからないのですが、どうやら妻に先立たれた藤村がまだ十代の姪を犯したようです。 子どもたちも、姪もほったらかして海外逃亡しているあいだに書いたこと、考えたことを集めたのが「文明論集」のほぼ半分をしめる「フランスだより」です。 3年間パリにいた藤村は、帰国して二年後に近親姦の体験を小説のかたちで発表します。それが「新生」前編です。 良心の呵責に耐え切れずに、告白したのですが、世間はそれほど厳しく糾弾しなかったようです。 少なくとも、藤村が思っていたほどすごい反発はなかった。 そこで翌年に書き上げたのが、後編です。 どっちも「朝日新聞」に連載していました。 こうした状況をみると、藤村はただのエゴイストですね。女の人からみれば、腹が立つでしょう。こんなワルには。 四十歳すぎのおっさんが、十七、八歳の女の子をヤッてしまうわけですから。 しかも、後編では帰国した主人公・岸本捨吉(=藤村本人)は姪とふたたび肉体関係を結びながら、別の相手と再婚話を進めたり、二人の関係をアベラールとエロイーズになぞらえている。 いい気なもんです。 ところが、なぜか読めてしまった。 藤村の親友だった田山花袋もそうだけど、自然主義作家は人間の苦しみを血がしたたるようには描かないのです。 むしろ植物的に、静的に描く。 だから、苦悩が浄化されてしまっているようにみえる。 どろどろしているはずの現実が、すごく澄み切って見えるのですね。 この状態にくわえて、花袋もそうだけど藤村も自然や風景の描写がばつぐんにうまい。 紀行文を書かせたら、日本文学史上で花袋が最高じゃないかとわたしは思っているのですが、藤村もすごい。 絶好調のときの志賀直哉には少し負けるかもしれないけれど、平均してみると、花袋と藤村の情景描写力は志賀さえこえている。他の作家じゃあ、勝負になりません。 かれらの場合、ストーリーというより、描写にひかれてずるずると読んでしまいます。 しかし「新生」を読む限り、どこか救いみたいなものを感じないわけにはいかないのです。 けっきょく、姪とは別れてしまいますが、そのあたりになんとか悲劇をここらあたりで食い止めようという両者の強い意思が働いている。 藤村の父は発狂して座敷牢で死んだし、姉も精神病院でなくなっているそうです。 さらに父には異父妹との近親相姦があったと、藤村は自作で暴露している。 「夜明け前」の青山家(じつは藤村の実家、島崎家)はよほど業が深い。 だから、姪と男女関係になるくらいのことは起こっても仕方ない――とんでもない言い方かもしれないけれど、そう思いますね。 起こったことはそれとして、なんとかその泥沼から這い出て「生」を続ける。 エゴイストの藤村に救いがあるとすれば、その一点です。 でも、これって大事なことだと思います。 芥川龍之介は「『新生』の主人公ほど老獪な偽善者は見たことがない」と書いたそうですが、ごぞんじのとおり芥川は自殺している。 母が発狂した芥川には暗い運命を背負った悲哀があるけれど、条件だけをみれば父と姉が狂死している藤村だって、同じことがいえる。 生きるということは、どこかうさんくさい。冷たくみると、偽善としかいえないことばかり。 でも、そうやって生を紡いでいくしか、生きる方法はないのでしょう。 なんだか理由はわからないのですが、藤村という人にものすごく興味がわいています。 たまたま近所の本屋でのぞいてみたら、岸本捨吉というキャラクターは「桜の実の熟する頃」「春」「家」という藤村の自伝的三部作の主人公でした。 そのうちこの三部作も読むつもりです。 ところで、行きつけの池袋の大型書店を覗いてみても、藤村の本は「破戒」と「藤村詩集」くらいしか置いていない。 家の近所の小さな本屋だけでした。上記三作の新潮文庫があったのは。 再版制度制度を維持しても、日本の出版業の未来は限りなく暗いようです。 |
このところ、いろんな人が亡くなってますね。 お年だった三波春夫センセイはともかく、河島英五まで……。 河島英五は、まだ48歳だったとか。 ほとんどがガンとか成人病です。 西丸震哉という学者が昔、環境悪化で今後の寿命は四十歳になるという説を唱えたけれど、いよいよそうなってきた感じがします。 今日(21日)も、指揮者のシノポリ氏が演奏中に心臓発作で亡くなったというニュースがありました。 どうも地球環境というか、生活環境の悪化は、すごく身近なところまで迫っているようです。 ひさしぶりに新聞の切抜きをやったのですが、二酸化炭素削減をめざす京都議定書はアメリカの横紙破りであぶないことになっています。 「京都議定書は死んだ!」というアメリカの発言に、他の国が反発しているとか。 それに対して、この国はどうもアメリカに追従しているとしか見えない。 こういう事態は、旨くないと思います。 インターネットを中心にした情報革命のおかげで、おそらく世界はますます緊密に結びついている。 わたしの仕事でも、e コマースの電子オープンプレイスなんて分野にかかわることが多いのです。 おそかれ早かれ、民族国家・国民国家とは違う形態の政治単位が出現するのは間違いないでしょう。 ところで、政治単位が誕生するとき、どうしても必要なのが「仮想敵」なのです。 人間の集団が結束して、組織を作るとき、「仮想敵」という存在がないとどうしても上手くいかない。 この例外がない人間集団は、歴史的に存在したことがありません。 ウソみたいだけど、ほんとですよ。 例は、周りを見回してみるだけでいくらも転がっている。 あえて日本を例に取れば、古代大和朝廷では新羅、明治の大日本帝国は欧米、1946年に誕生した日本国はソ蓮ということでした。 わたしの勝手な直感ですが、おそらく新しい政治単位の「仮想敵」は決まっている。 もう地球上の国家ではないと思います。 月並みかもしれないけれど、「地球温暖化」と「環境破壊」が最大の悪役として登場してくる。 イスラム圏や貧しい発展途上国は民族憎悪の泥沼にはまり続けるだろうけれど、いっちゃあ悪いが、そういう国は先進国の援助を受けてほそぼそと生きるしかない。 その援助を使って、テロと相互殺戮に励むという気の毒な構図でしょうけれど。 たぶんそういう世の中になるはずなので、「地球温暖化」推進派(笑)のアメリカを味方していると、世界中から袋叩きにされる。 そういう事態に、国民を巻きこむ政党や官僚ばかりがいる日本国には先がないでしょうなあ。 わたしはいまこの国にいちばん必要なのは、日本国を終焉させる英傑だと思います。 幕府を終わらせた徳川慶喜みたいな。 いまとなってみると、慶喜の偉さがますます分ってきました。 あの人はさんざん改革をするのだけど、幕府の体質がそれを受け付けないのです。 そこで大政奉還の離れ業をやってのけた。 たぶん自民党あたりから、こういうことをする人が出てくるんじゃないかと期待しています。 いまの政治状況からいって、最終的に日本国の終焉を演出する人材が登場できる場所はあそこしかいない。 そこに、地方自治の実をあげた無党派層の知事がどのように関わるか。 このあたりに、明日の日本のあるべき姿が見えているように思います。 もちろん、これはかなりの僥倖の産物です。 外国に比べると、幸運続きにみえる日本史において、一度だけ体制の円滑な交代ができない時代がありました。 鎌倉幕府滅亡後の、室町幕府誕生の時期です。 あれは日本経済が飛躍的に発展した時期なので、武士階級だけの勢力では国をまとめることができなかったのです。 経済的発展がある段階をクリアして、大商人や富裕な農民層や農村共同体が出現した戦国時代を待って、はじめて国づくりができた。 いまも、ひょっとしたら、そういう大変革の時代かもしれない。 すると、慶喜のような仕事はできない可能性がありますね。 まあ、あと数百年は情報革命と遺伝子操作技術が社会を大変革しつづけるでしょう。 安定なんて、もうありえないのです。 少なくとも、わたしたちが生きているあいだは。 覚悟を決めて、嵐の時代を生きるしかありませんね。 |
日曜日になぜか名古屋に行きました。 おかげでメルマガの更新もお休み。 たまには仕方がないかなーっと思ったりもします。 名古屋に行ったついでに、名古屋城と熱田神宮を見てきました。 この街は初めてでしたが、どっちも地下鉄とJRや名鉄ですぐ行ける。 個人的には、名古屋城はあんまり感動しませんね。 石組みは凄いと思うけれど、中身はビルみたいだし……。 城壁の石をひっぱる体験コーナーで、うんしょうんしょと石を引っ張ったのが唯一面白かったかな。(笑) でも、お城の周りはとても綺麗でしたね。 まだ咲いている桜の下で花見をしている人たちがいたくらいです。 熱田神宮は楠の巨木がたくさんある趣きのある大社でした。 観光客がどっとくる本殿はどうも好かないけれど、楠の生い茂る境内を散策すると、風情があって良かった。 ここは古事記・日本書紀の時代にはすでにあった神社ですから、ふと古代を感じたりもします。 休憩場ではきしめんなんかを食べさせたりしますが……。(笑) ここはヤマトタケル尊と縁が深い神社なのだけど、きしめんとヤマトタケルじゃあ取り合わせがねぇー。 あんまりです。 熱田神宮については、いつか薀蓄をたれたくなったら書くことにします。 さて、本日のテーマはじつはそういう歴史の話じゃありません。 名古屋名物の味噌煮込みウドン!――についてであります。 尾張名古屋の名物といえば、きしめん・ういろう・味噌カツだけかと思っていたら、TV東京の低予算グルメ番組ではじめて存在を知ったのが「味噌煮込みうどん!」。 名古屋人が口をきわめて絶賛するこの食物は、はたしてどんな美味いウドンであろうかと、好奇心の塊になってしまいました。 正直いうと、ういろうはあんまり食いたくものじゃない。 でも、きしめんと味噌カツは確かに美味い。 だから、アリストテレス論理学の推論により、「味噌煮込みうどん!」はどれくらい美味いだろうとわたしが思ったとしても不思議はない。(笑) そこで「山本屋総本家」という名店中の名店(とガイドブックに書いてあった)へ行ったのです。 しかし――実際に食べてみると、あれを麺類と考えるのは誤りでした! だいいち麺の固さがハンパじゃない。 噛んでいると、ぼりぼりと音が出るような気がする。 「親子味噌煮込みうどん」というのを食べたのだけど、卵は黄身がオレンジ色でなかなか良い物でした。 鶏肉も上等だったけれど、ほんのちょっぴりなのが残念。 でも、問題はそういうところにはないのです。 生ビールを飲みながら汗だくで、食べていたのですが、いつまでたっても食べきれない。 八丁味噌の汁がどろりとして熱くて、啜りこむと口が大火傷しそう。 しかも、糸縄みたいな麺が噛み切れない。 こうやって書いていると、味噌煮込みうどんの悪口雑言のように聞こえますね。 ところが、そういうわけでもないのです。 少しがっかりしながら、まわりを見回してみると、どうもウドンだけを食べているのは、わたしのような部外者からみると、ナゴヤーの色彩が濃いお年よりか若者でも名古屋原住民系の人々ですね。 名古屋の街を歩くと、スポーツ新聞を持つ若い女の子がやたらといる。 東京じゃああんまり見ない風景でしょう。 そういう娘(こ)をみると、やはり名古屋だなあと思いました。 女の子とスポーツ新聞の取り合わせという現象は名古屋特有の風景として、かなり有名なんだそうです。 ををーっと、また話がずれた。 要するに大阪に大阪風の若者がいるように、名古屋には名古屋らしい若者がいるという話です。 それで本題に戻ると、どうも名古屋度が低いように見える一群の人々がいて、その人たちは奇妙なことをしている。 味噌汁にまみれたウドンをご飯茶碗にのせてご飯と一緒にウドンを口に放り込んでいる。 これを見た瞬間、わたしは「味噌煮込みうどん」の正しい食べ方を覚りました。 白い飯(銀シャリ)の上に、塩辛でも載せるようにして食う。 これが正式な食べ方だったんだ! 見た目には行儀が悪いけれど、そうすれば汁の熱さに悩むことがない。冷や飯でも美味く食える。 つまり「味噌煮込みうどん」とは、天ぷら蕎麦や山菜蕎麦が単独で自立しているのは違う食い物だった。 あれは――飯のおかずなんですね。(驚) しかし、それに気づいたときは手遅れだった。 3時間ほど前に、カレーライスを食べていたので、いまさら飯は入らない。 遅まきの発見を食いつつ、残りのうどんを食べたのでした。 「味噌煮込みうどん」を麺類だと勘違いしていた(?)つけは、その後もつづきました。 わたしは胃の消化力には自信があるのですが、どーもこなれませんね。あれは。 あれってのは、味噌煮込みうどんのこと。 おなかのなかでカレーと八丁味噌スープがいりまじって、とんだカレー南蛮ができてしまいました。 動くたびに、カレーを食べすぎたばかりのように胸焼けがする。 うどんを食べるまで、カレーは胃のなかでゆっくり消化されて眠りについていたのに、うどんのおかげで強力に自己を主張するようになった。 濃厚な八丁味噌に対抗して、カレーの自我が翻然と目覚めたというべきでしょう。 なんのことはない。味噌煮込みうどんとは、カレーライスのような「汁かけ飯」系食べ物だったんだ。 わたしは今そう確信しています。 |
土日も仕事していて、更新がままになりません。 そこで、目下読んでいる本の報告だけ。 「夜明け前」を読み始めています。 じつに読みにくいですね、これは。 わざとそう書いているとしか思えない。 重厚な文体でとつとつとすすむストーリーは、しかし読みでがあります。 もう少し読み進めてから、書くことにします。 金曜日に、うっかりビデオをニ本みてしまいました。 ひとつは「ブエノ・ビスタ・ソシアル・クラブ」 もうひとつは「人生は琴の弦のように」 どっちもすごかった。 時間がとれたら、触れてみたいと思います。 こんな調子なので、本日のメルマガはお休みでしょう。 手をつける余裕がない。 来週をお楽しみに。 |
日付が変わって、5日にアップする予定だった4日の日記をアップします。 意地ですね、ここまでくると。 さて本日は「藤村文明論集」と「尼僧の告白」などを読んでおりました。 島崎藤村という人はあんまり鋭い感じじゃないようです。 マジメに読んでいると、かったるくていけない。 読み飛ばすくらいで十分な中身ですね。 この「文明論集」に書いてあることは、世界を呑んで(あるいは嘗めて?)かかった80年代の日本人にすれば、あまりにも生ぬるい。 もう堀田善衛や塩野七生さんが出たご時世です。 いまさら、こんなことを言われてもなあ――と思わざるをえない。 別にわたしらがエラくなったわけではなく、世界が狭くなったのです。 フランスにいかなくても、フランス人はうようよしているし、電車に乗っていてもスペイン語が聞こえる。 このあいだ新宿御苑で花見をしていたら、ロシア語を話す一家までいた。(もちろんロシア人です!) 初級会話しかできないけれど、ロシア語を話しているかどうかはわかります。(苦笑) それにペルシャ語だって、うちの最寄りの私鉄駅で聞ける。なんの商売か知らないけれど、携帯片手にイラン人のにーちゃんたちが昼間からうろうろしている。 不思議なのは、朝の出勤時間にみんなとは逆に、駅から自宅へ向かうらしい黒人男と日本人女性のカップルです。 むしろ、この人たちは一仕事してきたのかなあ。(謎) ところで「尼僧の告白」は凄いですよ。 言い寄る男をかわすために、自分の目をえぐって差し出す尼僧とか……。 壮絶です。 何度結婚しても、男に逃げられて尼僧になった女。 母親の夫と夫婦関係を結んでいる女。それが実の父でないとは書いていない。母と二人して義父の情婦というのも凄いけれど、どうも近親相姦がらみの三角関係と思えてならないのです。 ぼかして書いてあるから、いよいよ怪しく思えてくる。 尼僧たちが告白するのは、性愛の泥沼です。 他にも、子どもを亡くした悲しみがある。しかも貧しさゆえに、火葬にできず、土葬にした死体が鳥獣に掘り返されて食べられているのを見た母親の絶望。これを表現することなどできるものでしょうか。 男の私には正直いっていまひとつ実感がわかない「女という生き物の業」が、これでもか、これでもかと出てくる。 ここまで来ると、辟易するより感心する他ありません。 無責任のようだけど。 人間というものを、いやというほど教えてくれます。原始仏教は。 人間観察の究極が、もしかしたら釈尊の覚りなのかもしれない。 それは、真理といいかえてもいいでしょう。 女の嘆きで切実なのは「老い」ですね。 正直に白状すると、40男のわたしは昔からの知り合いの美形の女性たちがどんどんババアになる無常の風にさらされています。 まだ20代・30代の人からみれば、40女のババアは「宇宙開闢以来」ババアだったと思いたいでしょうが、そうじゃない。 平均をぐんとこえた美形の人だっていたんだよ。 もしかしたら、今時の女の子よりも美人だったかもしれない。 えっ、なに、「今時の若い子はその人たちの娘」だって! そりゃあ、そうだ。(笑) そーなの。そんなキレイな子も、やがてはババアなんだよなあ。 浜崎あゆみであろうが、深田恭子であろうが……。 美しかった肢体が老いのために、みるかげもなく衰えるのを、尼僧たちは嘆き悲しむのです。 それが出家の動機となった人もいた。 ある詩句で、こんなことをいっている女性がいます。 「かつて、わたしの太ももは象の鼻のように太くて立派だった。だが、いまではその太腿も細い棒のようになってしまった」 女性ホルモンが減って、第二次性徴が衰えたことを嘆くのですね。 それにしても「象の鼻」とは! お国柄が出ていますね。 「貴女の脚は象の脚そっくりだ」と云いたい女性が増えている日本では、「貴女の太腿は象の……」と口走ったら一生恨まれるだろうなあ。(笑) 「ナイスバデイ」と象の鼻が観念連合しているなんて、とうてい思えない。 カモシカのような脚といっても、現実の日本カモシカをみていれば、ちっとも嬉しくない。 美女の形容は難しいものがあります。 ――というところで、落ちはありません。(汗) 明日も更新できるよう努力します。 追記: あれだけ藤村をけなしましたが、ついに「夜明け前」を買いました。 岩波文庫で全四巻。 風たちぬ、いざ生きめやも! |
「必殺シリーズ 完全殺し屋名鑑 月が笑ってらぁ編」(角川書店)という、とんでもなく長いタイトルの文庫を読んでしまいました。 あの必殺シリーズ後半に登場する全殺し屋を集めた凄い本です。 構成に難があって、誰がどの作品にどう活躍したかがよくわからない。 あのシリーズは例えば「必殺仕事人」は8シリーズもある。 その長いスパンで例えば中村主水のことを語られると、いったいどの話だと訳がわからなくなる。 そもそも中村主水は「仕置人」で、山崎務演じる「棺桶の鉄」といっしょに登場した古いキャラだから無理もない。 それに「仕事人」シリーズに初登場して、ついには独立し自分のシリーズを持った「三味線屋勇次」となると、もうさっぱり駄目です。 つらつら考えてみると、わたしは中村主水の殺しの場面が好きで、このシリーズをみていたらしい。 中村主水が出ていないシリーズは、全然憶えていない。(笑) それにしても「仕事人」はけっこう死んでいるのですね。(もちろん劇中で!) 京本政樹の「組紐屋の竜」も村上弘明の「花屋(次に鍛冶屋に転職!)の政」もお亡くなり。 しまいには「中村主水」まで名取裕子に殺されて……。 このシリーズは面白くもない80年代には出色の時代劇だったと思います。 今になってふりかえれば、80年代と90年代の日本はまったくあかんツマラナイ国だった。 70年代までのエネルギーを喪ったまま、国中が狂乱していました。 そのなかにあって「仕事人」シリーズは、どこか70年代のテイストがあった。 「仕事人」に夢中になった理由は、殺しの場面の洗練された映像美(このスタッフは、のちに吉右衛門の『鬼平犯科帳』を生み出した!)だけでなく、そんなところにもあった――と思います。 このごろふと思うのですが、いまわたしたちは「日本国」というほぼ半世紀前に、敗戦によって誕生した国家の滅亡を目の当たりにしているのではないでしょうか。 空前の繁栄のあと、アメリカの衛星国であった「日本国」は、静かに消え去ろうとしている。 某あほ首相の進退をみるにつけ、その思いを退けることができない。 ひるがえって考えてみれば、悪徳政治家・商人がはびこる「仕事人」の世界は、経済至上主義の「日本国」そのものの現実だった。 そうやって、この角川書店刊行の薄い文庫本をみていると、これがまるで醜悪でありエネルギッシュだった「日本国」への挽歌にみえないこともない。 日本国には再生の道などないのです。 「新生」するしか、生きる道はない。 奇しくも中村主水は維新を見ることなく、炎の中に消えた。 そんなことも、妙に暗示的に思えてしまう――めらんこりっくなノスタルジーだなあ。 |
珍しく(笑)ウィークデイに更新しました! (をいをい) 昨日、一気に二冊も読んだので、バテ気味です。 メルマガに書いたけれど、一冊は法然さんの「三部経釈」と「往生要集大意」に「三部経大意」。 もう一冊は故・土田直鎮氏による「古代の武蔵を読む」。 土田氏のおかげで、律令制度の国司や国衙の様子がだいぶ見えてきました。 国司が苛斂誅求する具体的な手口もわかった。(笑) これで万が一、平安時代にタイムスリップしても、国司の手先になって暮らしていける! 原資料の引用が多い厄介な本だけど、こういう詳しいのは本当にありがたいと思います。 こういうのをみると、本は決して高くない。 ひとりの碩学の一生の成果をわずか数千円で垣間見ることができるわけですから。 こういう人に会うには、情報社会がテイク・オフする前は、難しい試験をへて東大に入り、さらにそこの大学院に通わなければならなかった。東大というのは比喩としては時代遅れかもしれない。 いまのレベルでいえば、アメリカのアイビー・リーグの大学院といいかえたほうがいいでしょう。 そんな知識を図書館で読める。 本はぜんぜん高くありませんね。 この本もいずれ購入して手元に置くつもりです。 さて、昨日は図書館にゆく道すがら、本屋によって岩波文庫ばかり四冊も買ってしまった。 タイトルは「ブッダ 神々との対話」「ブッダ 悪魔との対話」。 そして「仏弟子の告白」「尼僧の告白」。 最後のは懐かしい日活ロマン・ボルノの匂いがするけれど……(冗談だよ!) この本はですねぇー、前者のグループは3年ぶり。後者のグループはほぼ10年ぶりの復刊なんですよ。 しぶとく待っていたのです。岩波が復刊する日を。 やっと出会えたので、つい買ってしまいました。 みんな原典はパーリー語で書かれた原始仏典です。訳者はかの中村元先生です。 立松和平じゃないけれど、見逃すわけにはいかない。 「うーん、心のタビなんだよねー」 (立松和平の真似だけど……そんなことあ、言わなかったな)(←自爆!) さっそく「尼僧の告白」から読み始めています。 べつに「うっふん」なんてのは無いですよ。期待させて悪いけど。(笑) |
© 工藤龍大