本日も短めにさらりと書きます。 体力をだいぶ使ったので……炎天下の京都を歩くのは楽じゃないです。 今回も浄土教関係のお寺をまわりました。 真宗よりも、もっと古い来歴のほうです。 皮聖(かわひじり)と呼ばれた行円上人の革堂(こうどう)。 空也上人が開いたとされる空也堂。 浄土宗四ヵ本山のうちで、ただひとつ行ったことがなかった清浄華院。 ――というあたりを歩いてきました。 ただし、空也堂は中に入れず、門前の立て札を眺めただけでした。 このあたりには、本能寺小学校というのがあって、通りに面して石碑がありました。 織田信長が明智光秀に討たれた本能寺のあった場所がここだというのです。 当時の本能寺はかなり広かったので、空也堂も寺域にはいっていたようで、物の本では空也堂こそが本能寺のあった場所だと説くものもあります。 道がわかりにくかったので、「極楽院はどこですか?」とその辺を歩いているおばちゃんたちに聞いたのですが、わからない。極楽院というのが正式な名前ですが、通じませんね。 「空也堂のことですけど」と聞いたら、にっかと笑って教えてくれた。 ところが、地元のタクシーの運転手さんでさえ、空也堂というのは知らないんだそうです。 観光地じゃないと、そういうこともあるとか。 ただ京都のタクシーの運転手さんには、ときどき凄い人がいる。 お寺の関係者らしい人に聞いても、ご本尊があやふやなことってあるんですよ。 頭を丸めているし京都弁だから、業界関係者(笑)だろうけれど、「ぼく、そんなもん、よう知らん」とよく言われる。 ところが、タクシーの運転手さんに聞くと、ご本尊どころか、お寺の偉い人のいろんな話まで教えてくれる。 詳しい人にはそれぞれ得意があって、仏像のことなら何でも知っている人がいるかと思えば、建築、茶道といろいろテリトリーがあるらしい。 お寺の坊さんをつかまえてものを聞くよりも、物知りなタクシーの運転手さんにあたったほうがいろいろ勉強になります。 これぞ、歴史散歩の極意であります。(笑) お寺のほかには、京都歴史資料館でビデオ資料を眺めたり、京都文化博物館で3万年前から現在にいたる京都の歴史をビジュアルで眺めることができました。 本や資料だけで知っていることが、模型・ホログラフィ・ビデオ映像で再現されると、あらためて感動しますね。 ただし、趣味の歴史が昂じると困ることがあります。 時代劇や歴史もののドラマがまず楽しめなくなりますね。 くだらない話で言えば、わたしは平安・鎌倉時代に武士が「拙者」と口走ったとたんにもうその世界に入り込めなくなる。 ご存知の方も多いでしょうが、「拙者」というのは室町時代に出来た言葉なのです。 この時代の武士が「拙者」というと、秀吉とねねが「ハニー」「ダーリン」と呼び合うのと同じように思えてくる。 ここまで来ると、立派な歴史バカといえましょう。(笑) 歴史を学ぶという行為は、教員でもないかぎりは金にもならない。 教育が職業といっても、それほど儲かりませんね。 それでも、歴史が面白いのは、おのれを知るということにつきるでしょう。 自分が何者であるかを知る――じつは、歴史の楽しさはここにある。 歴史は年号を暗記するから理科系に向いているということを書いている受験参考書があって、立ち読みして思いっきり笑わしてもらいました。 こりゃあ、教育現場で歴史離れが進むはずだ。 歴史というのは、つまるところは自分にどんな値打ちがあるだろうという自問自答。 環境汚染で人類が滅びても、あんまり気にしない理科系タイプの人間にはもっとも縁遠いしろもんなんですがね。 |
所用があって、京都へ行ってきました。 用事をすませた後で、いつもの歴史散歩をしました。 今度は、時間がなかったので、市内のお寺・博物館めぐりです。 新撰組で有名な壬生寺にも行きました。 歴史的遺物という点では、市内のお寺は何度も火災にあっているので、古代・中世の遺物はほとんどありません。 現在地に移ったのが、比較的新しい頃というのも多い。 豊臣秀吉が寺町を作って市中に寺を集めたときに、洛中の寺の多くが歴史的時間に存在した場所から移動している。 もっと前に応仁の乱というのもあるし、平安末期以降、人災・天災で一時廃絶したものを違う場所に復興させた例も多い。 それでも、いろいろなことがわかって面白かったです。(笑) 続きは、後日書きます。 本日は疲れたので、ここまで。 メルマガもお休みします。 |
昼休みに散歩して、よさげな本屋を発見しました。 けっこう硬い新書や文庫があるのが嬉しい。 あたまが硬化したせいか、こむずかしい本ばかり読みたくなっています。 なんといっても嬉しかったのは、大正時代の女流作家・長谷川時雨の「旧聞日本橋」を見つけたこと。 これ、長いこと探していたんですよね。 江戸時代の生活を色濃く残した日本橋界隈の、明治の家庭生活が描かれている。 岩波文庫解説目録で、こんなことを読んだら、手に入れないわけにはいかない。(笑) ついでに「天草版伊曽保物語」も買いました。 これは安土桃山時代の宣教師が翻訳したイソップ物語です。 どちらも岩波文庫で欲しかったもの。ほのぼのと嬉しい日でした。 さて、本日もたまりにたまった新聞の切抜きをしました。 この苦行にも似た作業が、やめられないのは何故か。 月並みだけど、いつも新しい発見があるからといわざるをえない。 読売新聞の文化欄で「ネット時代の本と出版」という記事がありました。 (わたしは中途半端に左がかっている某新聞(赤旗じゃないよ!)が嫌いなので、あそこと仲の悪い同紙をとっています。家庭欄はなかなかいいですよ。) そこでインタビューを受けている一人が、ジェイソン・エプシュタイン氏(72)。 この人は、ノーマン・メイラーやナバコフを世に送り出した大物編集者でした。 それだけじゃない。 良書や古典をペーバーバックで提供する1950年代の「ペーパーバック革命」の立役者。 それまでの簡易装丁本(ペーパーバック)は、読み捨ての書籍ともいえないしろもので、現代で言えば、マンガ雑誌や週刊誌と同じように読んだら即ゴミ箱行きでした。 貧乏な読書家が英文の古典を読めたのは、この人のおかげだったんですよね。 一冊が三、四千円もしたら、とっても買えない。 (岩波文庫が有り難いのは、古典体系だとかるく七、八千円はする本が、千円札一枚で買えるところです。) この人が最近力を入れているのが、オンデマンド出版。 発展途上国に安価なオンデマンド出版機械を設置する計画を、国連と世界銀行と始めている。 エプシュタイン氏によれば、いまはグーテンベルグの活版印刷に匹敵する出版革命が起こりつつある。 それがインターネットによる革命。 情報がデジタル送信できるようになったために、書き手と読み手が直結されることが可能になった。 世界で何が起きているかといえば、仲介業者が自動的に排除されること。 アマゾン・コムの不振は、CEOの商売下手が原因じゃなくて、構造的なものというわけです。 アメリカはとっくの昔に出版危機に陥っていて、中小書店は潰れるか大手チェーン書店に買い取られる。本屋にはベストセラー本しかない。 デジタル先進国アメリカでは、とっくに「カミは死んだ!」のです。 そういう状況ではあるけれど、オンデマンド出版で、シェアの少ない小部数出版物が生き延びられる可能性が出てきた。 もう少し噛み砕いて言えば、アホには難しすぎる硬い知的な本が絶滅せずに、それを必要とする人々の手に届くようになる。 たとえ、その人が地球のどこにいようと。 わたしもそういう世の中が来ればいいなと思ってはいたんですが、世界は広い。 夢みたいな計画を、国連と世界銀行に働きかけて、着々と実現しようとしている人がいるんですね。 読売の記者氏(石田汗太なる人)は、「人間の本質は最後に必ず良い物を選ぶ」というエプシュタイン氏の信念に感動している。 なるほど、こうした強い信念がなければ、エプシュタイン氏のように常に時代を切り開くのは無理だろうなあ。 この人は89年に、書籍のカタログ通信販売を始めたのですが、その仕組みはアマゾン・コムなどの大手オンライン書店が踏襲している。 つくづく凄い人ですね。 人間の可能性に対する絶対的な信頼がなければ、未来を切り開く能力(ちから)は生まれない。 そんな風に思えてなりません。 |
このあいだから世界の文字で遊んでいます。 その副産物で、アラビア文字とデーヴァナーガリ文字で自分の名前が書けるようになりました。 クレジット・カードで使うという利用法もあるけれど、日本語のサインよりも偽造が簡単でしょうね。(笑) わたしの場合、日本語の楷書で書いたほうが却って偽造が難しい。 こんな癖字を真似るのは大変だ。もし、この書き方をマスター(!)してしまったら、他の人の字が書けなくなる。 さてと、本日は珍しく読書日記です。 「文字の歴史」(ジョルジュ・ジャン)という本を読みました。 コンパクトながら、文字通り世界の文字の歴史を通観した名著です。 本屋で見つけたこの本をすかさず買ってしまったのは、中世ヨーロッパの写本のことが詳しく載っていたから。 前に書いたように「ルネサンス展」で中世写本に魅せられたので、どうしてもあの字体が読めるようになりたいと思うのです。 この本には写本を作るときの羽ペンの削り方まで書いてありました。 うーん、すごい。 それだけでなく、アルファベット活字の歴史まで書いてある。 今に伝わるイタリック活字は、なんとルネサンスの大詩人ペトラルカの筆跡をもとに作られたのだそうです。 もちろんペトラルカが使った書体は人文主義者書体。(この本ではユマニスト書体といっています。) 英語の本を読むことがおおいわたしは、ペトラルカの筆跡を毎日見ていたのか! なんだか妙に感動してしまった。 おおっ、ベアトリーチェ! (いや、これはダンテでした。失礼!) 復習になるけれど、写本のアルファベット書体は西ローマ帝国の末期までさかのぼる。 いまわたしたちが知っているローマ字は、石碑に使われた「大文字」「方形大文字」がもとになっています。 ところが、パピルスだの羊皮紙だのに書かれた文字は、(現代日本における)丸文字の変体少女文字(す、すごい名前)みたいな「アンシャル体」と「セミ・アンシャル体」。 これが写本に使われました。 だから、いまの日本人が石碑のローマ字は読めるのは当然で、まるで形の違う写本は読めなくても仕方ない。 混乱していた字体を、9世紀にフランク王国のカール大帝(=シャルルマーニュ)がカロリング・ルネサンスで統一して、以後はカロリング体が写本で使われる。 と、思いきや、13世紀になると、ドイツの亀の甲文字に名残をとどめるゴシック体が主流になる。 グーテンベルクの聖書も、ゴシック体なんで、普通の現代人には読めませんね。 ただ印刷機が発明されてから、文字の統一も長い時間をかけてなされたようです。 そのあたりが詳しく書いていないのが残念です。 当時の文化先進国だったイタリア・オランダ・フランスが頑張って、いろいろなデザインの活字を作った。 その名残が、MS製品の「書式」→「フォント」を開くと、ぞろぞろ出てくる英数字フォントです。 ありがたいことに、この本には中世ゴシック体のアルファベット表があるので、ゴシック体についてはこれで勉強できる。 あとは「カロリング体」だなあ。 「アンシャル体」と「セミ・アンシャル体」は9世紀以前の写本だから、ミニアチュール(挿絵)も少ないし、だいいちブツそのものが少ない。 「カロリング体」そのものは「セミ・アンシャル体」の改良型だし、ルネサンス以降の「人文主義者書体」は「カロリング体」の流れを汲んでいる。 「カロリング体」のアルファベットが読めれば、中世写本は読める! これに関しては暇をみつけて、ネットで検索してみるつもりです。 英語で探せばきっと良い情報源がみつかるはず。 ところで本棚の整理をしていたら、シネマスクエアとうきょうで発行した映画「薔薇の名前」のパンフレットを発掘しました。 この映画にはフランスのアナール学派の御大ジャック・ル・ゴフの指揮のもと、あらゆる小道具が綿密に再現されています。 写本室の再現も凄かった! 写本も自作したそうです。古い羊皮紙にギリシア語、ラテン語、アラビア語でテキストを書き付けた。映画でショーン・コネリーが広げて狂喜した写本は、すべて現代の手作りだったとか。 舞台になったのは、ホンモノのベネディクト修道院。 あの映画を見たときは、大学時代に中世西洋史をかじっておいてよかったと思いました。 「薔薇の名前」は本の魔力にとりつかれた人間の悲劇ですが、同時に中世写本の美に人を引き込む罠でもあった。 その毒が15年後に、わたしにも効いてきたのかも。 美しい本には、うかつに触ってはいけない! 手袋をしていてさえ、本の魔力は人を狂わせる。 ――などといったところで、燃え盛る炎の中から書物を救おうとして死にかけたショーン・コネリーの姿に教訓を学ぶには、とっくに手遅れの読書家でした♪ |
今回は当日日記です。 ずっと韓国の歴史教科書(高校生版:日本語訳)を読んでいます。 途中でエビスビールを飲んだり、K−1名古屋大会をみたりでやっと半分くらい。 ベルナルドが(下腹部を)負傷したり、シリル・アビディがノックアウトされたり波乱万丈でしたね。 ベラルーシのサソリ男くんはなかなかやるじゃありませんか。 さて、ここまで読んできた隣国の歴史教科書については、まだ途中経過しか報告できません。 でも、面白いことがわかりました。 この教科書の配分です。 近代・現代史にあたる部分が半分を占めている。 で、残りの半分を古代と、中世・近世が二分している。 それも日本でいえば平安時代の半ばころまで。 つまり、この教科書の四分の三は古代と、近現代史なのです。 古代といえば、紀元前2333年の神話的君主の檀君の即位から、新羅滅亡のころ。 日本史でいえば、平安時代の半ばころまで。 その後の高麗・李氏朝鮮の末期まではさらりと書き流してある。 時代的に言えば、十世紀半ばから18世紀の終わりまで。 高麗や李氏朝鮮の初めのあたりは読み物調です。 元に征服されたり、倭寇や秀吉にやられたあたりなので詳しく書きたくなかったのかもしれません。 さらにいえば、古代でも日本が積極的に朝鮮文化を導入した三国時代(高句麗・新羅・百済)にいやに枚数を費やしている。 後進国日本に文化を教えてやった古代と、悪辣非道な日帝に虐げられても民族の誇りを守り抜いた近現代には力が入っているのです。 これが民族教育というものですかあ? やっぱりね。(溜め息) 世の良識派からは怒られるだろうけれど、古代のあたりの記述を読んでいると、「『作る会』とどこが違うの?」という素朴な疑問を抱いてしまった。 韓国歴史学界の意向に沿って、任那日本府などという日本人が唱えるデタラメはない!(笑) だいたい高句麗と戦った倭が日本であるという記述は地図をみないと分らないんじゃないでしょうか? もっとも向こうの人は「倭」とは朝鮮半島にいた勢力だと思いたいのだから仕方がない。 それにしても、百済が日本の北九州を征服していたと初めて教わりました。 ありがとう、韓国の皆さん。 たいへん勉強になりました。 これだけ、いろいろ教わってばかりいると、今後わたしらは「愚昧な日帝のポンちゃん」と改名したほうがよさそうですね。(笑) この教科書を読んでいるうちに、ひどく感動したことがあります。 昔、ひょんなことから韓国人(あちらの国籍であちらで育った人です)と友達になったことがありました。 あの人は、いまわたしが読んでいる教科書よりも民族教育がきつい教科書で勉強した世代です。 その人が、日本人と友達になるなんてすごいことだったんだ!と改めて感動しています。 日本のアニメ、特撮に出てくる悪の秘密結社を全部掛け合わせたよりもワルーイ「日帝」と仲良くなろうなんて……。 いい人だったんだなあ――と、しんみりしてしまった。 政治なんて信じられないけれど、人間は信じられる。 というのが、わたしのささやかな経験から知った真実でした。 甘いといわれようが、わたしはそう確信しています。 |
このごろ読書よりも、お習字に夢中な読書家です。 別のところにも書いたけれど、ようやくアラビア文字とデーヴァナーガリー文字で名前が書けるようになりました。 これがなかなか面白い。 暇があれば、紙切れに書いて楽しんでいます。 まるで小学生です。 すこしハードに頑張りすぎたので、脳細胞がパンクしているのかもしれません。 お習字(笑)をしていないときは、英語版聖書を読んでいます。 もちろん仕事のあいまにですけど。 こっちはいつも読んでいた<King James version>ではなくて、<American Standard version>です。 <King James version>の改訂版<Revised Edition>のアメリカ版がこれ。 こちらは「創世記」から始まって、ようやく「民数記」までたどり着きました。 この調子だと、辞書を読み出すのも時間の問題です。 何度も書きましたけれど、辞書を読み出すともう疲れがピークに来ているのです。 ところで、しち面倒くさい本も読んでいるのですが、なかなか進まない。 「小林秀雄の方法」(山本七平)という本なのですが、小林秀雄の「本居宣長」を叩き台にして山本七平さんが小林に挑むという趣向。 こんな脳細胞が小学生化しているときに、そんな本を読むのは無謀かもしれない。 ぜんぜん進みませんね、これは。 しかし、一流の知性ががちんこ勝負しているのは、へろへろの脳味噌で読んでいても楽しい。 妥協しない男の勝負。 これぞ、「魂のゴング!」という他はない。 ご存知のように、小林秀雄はあの隆慶一郎さんの師匠。 隆さんの小説に出会ってから、小林秀雄を読むと、隆さんの登場人物が彷彿としますね。 わたしは「吉原赦免状」の幻斎や、「影武者徳川家康」の島左近が大好きなんです。 どうも小林秀雄を読んでいると、幻斎や島左近がだぶってみえる。 「かかれぇーっ」という雄叫びとともに夢に現れて、戦場往来の古強者たちを震え上がらせた島左近。 隆さんが書いている小林の思い出話は、戦国時代の荒武者を髣髴とさせる。 「影武者徳川家康」の影の主人公でもある甲斐の六郎と島左近の付き合いは、もしかしたら若き隆さんと小林秀雄のそれを映したものかもしれない。 小林は「男のおばさん」とは徹底的に相性が悪いけれど、骨のある男は惚れこまずにはいられない。 山本七平さんもそういう惚れこんだ一人です。 久しぶりに骨のある読書だけど、こういうのがいいんですよね。 「人生は粥やジャムで出来てはおらぬ」 (ヨーハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ) |
先週の土曜日に「発掘された日本列島2001年」展に行ってきました。 旧石器捏造事件でダメージをうけた考古学界だけど、けなげに頑張ってますね。 学芸員の実習しているらしい学生たちを仕切って、わたしと同い年くらいの学芸員らしいおっちゃんが頑張っている。 なかなか話しかけられずにいる学生たちの尻を叩き、ときには自分から訪問者に水を向けて、きっかけを作って学生たちに講釈させる。 髭剃り跡の濃いおっちゃんを見ていると、「やってるね!」と肩を叩きたくなりましたよ。 ただあんまり見ごたえがあるものがなかったのは事実。 去年の飛鳥の亀形石みたいな大きな発見はなかったですし。 何よりも、発掘調査に対する一時の熱が少し冷えているような感は否めない。 ただうーんと唸ってしまったこともあります。 漆工芸は今から7000年前に揚子江沿岸で始まったことになっていました。 日本には東北地方から入ってきて、次第に近畿へと伝播したというのが通説です。 ところが、今回北海道で今から9000年前の漆細工のあとが見つかった。 するってぇと、漆工芸のルーツは日本の、それも北海道となる。 どうでえ、てえしたもんじゃねぇか。 こんちくしょう! 開催場所が両国の江戸東京博物館のせいか、つい江戸っ子の真似がしたくなる。(笑) 今回の目玉は土偶ですねぇ。 いや、それだけじゃない。 旧石器時代のヴィーナスという線刻入りの石もあった。 ただ、どうもわたしにはよく分りませんでした。 土偶といえば、女性なんだけど、今回山梨県で出土した土偶には気の毒な愛称がついています。 「みさかっぱ」と「やっほー」。 「やっほー」は山の上で叫んでいるような格好がぴったり。 「みさかっぱ」は河童型土偶なんていわれています。 これでも女なんだから、気の毒な……。 怪獣好き少年だったわたしにいわせれば、この土偶は「ヴァンデル星人」ですな。 「バルタン」じゃないですよ、「ヴァンデル」。 小林捻侍がキケロ星人のジョーをやってたとゆー、かの「キャプテン・ウルトラ」の敵役。 懐かしいっと一人で喜んでしまいました。 土偶というのは、考古学者に教えられてみると、乳首とおへそと女性器が必ずあることに嫌でも気づかざるをえない。 それに体に纏いつくような紋様。 縄文といえばそのように思えるけれど、なぜか蛇のようにもみえる。 蛇紋とでもいうんでしょうか。 今年の土偶のメイン・イベンターはなかなかの逸物でした。 ほとんど球状の脚部をそなえた黒光りする土偶です。 しかも顔は逆三角形の仮面となっている。 この土偶をみて、思ったのは太古、女性と蛇は神だったという民俗学者の説です。 逆三角形というのは、マムシの頭部を模しているのは間違いない。 蛇と女性はけっこう縁が深いのです。 聖書のイブと蛇。クレタ島の蛇女神。中国神話のジョカ。 猛毒の霊威と、不老不死の生命力を持つ蛇が、古代人にとっては神だったというのはかなり信憑性がある。 しかも農耕の発生と共に、穀物を食う害獣を始末する強い味方でもあったわけですから。今でも水利の神として蛇が祭られるのは、農耕神だった名残だという歴史学者もいる。 これは日本ばかりではなく、ギリシアやエジプトでもそうでした。 つまり、縄文時代の昔から、女と蛇は切ってもきれない縁がある。 能の仮面で「般若」という女の鬼面があります。 あれは実は「蛇」をかたどったものだそうです。 安珍・清姫の道成寺伝説なども、蛇体と化す女の霊力を描いたものということになります。 思うに、美女というのは、大きくわけて二種類いるんじゃないでしょうか。 顔立ちの整った冷たい感じの美人。そして、美人というよりなんだかセクシーで、スタイルが良くて性的魅力にあふれるタイプ。 あえて分類すると、前者は「白ヘビ型」、後者は「類人猿型」といえる。 純日本風の美女が前者で、スーパーモデル・タイプが後者。 その中間タイプを、わたしは「カッパ型」と名づけている。爬虫類の特性と、おサルの特性と兼ね備えた生き物が、カッパだからです。 そっちの話を始めると、いつまでも終わらないから、話を戻しますと、人類の歴史は「白ヘビ型」が長いこと優勢だったんだなと土偶をみて改めて思いました。 優勢というよりは、希少価値といいかえてもいい。 「類人猿型」や「カッパ型」はけっこう多いので、経済学的な付帯価値がつきにくかったのではないか。 などとふらちなことを考えてしまう。 もっとSM的に考えると、「白ヘビ型」の美女の白い肌には刺青がよく似合うはず。(谷崎潤一郎だなあ……) 未開社会だからデブが魅力的だったのは間違いない。 いまだって貧困社会ではそう。あえてどっかの亜大陸を持ち出すのは……ちょっとまずいかなあ。(笑) それにヘビの紋様の刺青をほどこす。 現代から考えれば、とっても信じられないけれど、これで縄文の男どもはうっとりもっこりしてしまったのでは……。 実習中の可愛い女子学生が土偶発見の意義について一生懸命解説するのを聞きながら、不埒な妄想を逞しくてしまいました。 訶々大笑!! (ふぉふぉふぉふぉっ) |
NHKの「趣味悠々」という番組があります。 目下、そのテキストを買ってお勉強の毎日です。 何をしているかというと、江戸時代の寺子屋の「手習い」です。 もじとおり、四十の手習い。(笑) 「古文書を読んでみよう」という講座で、江戸時代の寺子屋の「かな」から古文書の世界に飛び込もうというのです。 わたしたちはひらがな・カタカナというと小学校で習ったものが当たり前ですけど、あれは明治期の「旧仮名使い」を経て、戦後の国語教育改革でお上から押し付けられた文字なんですね。 江戸時代くらいは、いまでは「蕎麦屋」や鰻屋の看板に残る「変体がな」の方が普通でした。 明治大正くらいだと、草書(いわゆる崩し字)は読めるけれど、活字は読めない人が結構いた。 今と逆ですね。 草書の変体仮名で書かれた「黄表紙」なんかは、庶民や女子供が読むもの。 現代から考えるとおかしいけれど、木版活字の漢籍(漢文)が読めないのですね。 あれは明朝体という現代でもっとも使われている字体だから、わたしたちには馴染みがある。 江戸時代のエリートが読んだ漢籍は読めるけれど、当時のマンガ(週刊誌)といっていい「黄表紙」がわからない。 草書と楷書は、それぞれ庶民と支配階層の文化をあらわしていたのです。 そういうと、お公家さんの王朝文化は草書ではないかと反論がきそうですね。 ほんとに、そこが日本の不思議なところで、一番上と下がメビウスの輪みたいにつながっている非ユークリッド幾何学の構造体が日本社会なんですね。 西洋の歴史なんかを長いこと追っかけてきた私には、ほんと分らんところがあります。 この国を「神国」というと、近隣の国々は激怒しますが、ファシストたちはいざしらず大昔の国学者たちの「神国」と外国のカミ観念はまるで違う。 この国は西洋論理学的な論理からするとわけのわからない秩序感覚で動いている。 いいかえれば、妖怪的秩序に騙されないと、一日たりとも暮らせない不思議な国です。 だから、「神国」ニッポンとはアニミズム的な神々、つまり妖怪たちが大手を振って人間と共棲する社会だといっているにすぎない。(笑) 変なことを口走ってしまったけれど、ほんとに草書と変体仮名の世界は妖怪っぽいなあ。 ――と、どうしても思ってしまう。 平仮名50文字に対して、変体仮名はそれぞれ平均10個くらい。片仮名52文字について変体仮名はそれぞれ平均5個以上ある。 これを全部覚えるのは骨だあ! しかも、これが一筆書きの要領でつながったら、もう個々の字というより、別の生き物として認識しない限り、読解は不可能。 わたしの目には、古文書の写真版に躍る崩し文字がなんだか妖怪というか、それ自身の生命をもった霊的生き物にみえてきました。 こいつらと仲良くならないかぎり、古文書の世界など到底はいることはできない。 古文書を読むということは、アニミズムにどっぷり浸ることではないか? なんて、「神国ニッポン」の落ちがついたところで今日はお終い! |
さて、昨日の続きです。 今東光氏は天台宗の大僧正。 この説法でも、やたらと天台宗は浄土教・真宗・日蓮宗の源だと力んでいる。 それは正にそのとおり。 仏法は深遠で、オレ様でさえ極め尽くせないと仰る。 それもそうでしょうなあ。 平安仏教は八宗兼学といって三論・法相・華厳・律・成実・舎宗に、天台・真言をマスターしなければならない。 子供の頃からそればかりやってきても、情報の少ない平安人でさえそんなことは事実上できなかった。できたのは、高僧・名僧と呼ばれる人だけ。 失礼ながら、いくら頭が良くても三十路を過ぎて出家したんじゃ無理です。 ただ、だから天台宗が偉いと自慢したりすると、まともな仏教者からは失笑を買ったのでは。 だって、そんなことをいくら勉強しても、人は救われないのだという絶望から鎌倉仏教は起った。 大僧正で瀬戸内寂聴の師匠だから、どれだけ偉いかわからないけれど、法然・親鸞・日蓮よりもこの人が上だとは思えない。 口先三寸で実業家から運転手つきでベンツを巻き上げたり、詐欺紛いの悪戯で銀座のフランス料理店から六万円の高級カサを騙りとるようなエラい宗教家の今大僧正みたいな真似は、この三方はしないでしょう。 いや、そういった意味では生真面目な親鸞よりもエラい奴かもしれない。言葉の意味はまるで違いますけど。 法然さんのお師匠だった皇円という人は八宗兼学の大学匠だったけれど、ついに妄執を起こして死後「大蛇」に化身して弥勒下生の時まで生き残ろうとしたという伝説があります。 浄土宗が誕生した時代は、天台宗系の高僧が妖怪になったという暗い話がやたらとある時代でした。 つまりは、不在地主でしかない平安仏教の坊さんたちに庶民だけでなく、貴族や武士さえ愛想を尽かしていたのです。 伝説はその証しともいえる。 今大僧正の説法を読んでいると、妙なものを連想してしまいました。 男の子のバイブル「北斗の拳」の名場面です。 主人公ケンシロウが宿敵カイオウと最後の決戦をする。 北斗宗家の血を引くカイオウは誰に習わずとも無敵の拳・北斗宗家の秘拳をマスターしている。 「むぉーっ、精妙断烈!」 と吼えて、カイオウは必殺の秘拳をケンシロウに叩き込む。 「秘孔を突かれたお前は微塵に砕け散る」と勝ち誇るカイオウ。 しかし、ケンシロウは何事もなかったように、平然とした顔で言うのでした。 「わからぬか。それが北斗宗家の拳の限界だ」 あまりにも精緻な技術を凝らした北斗宗家の拳は、受け技も極め尽くされ、実戦での戦闘力を無くしていた。 北斗宗家の秘拳を封じる受け技を伝授されていたケンシロウには、カイオウの技はなにひとつ効かなかったのです。 天台宗はやがて中世において、天台本覚論という高度な思想を生み出しますが、以前に紹介したとおり、この哲理が日本仏教から倫理性を奪い取ってしまった。 戦国末期のキリシタンの衝撃がなければ、日本的霊性は倫理面において、江戸時代に入る前に終わっていたかもしれないほど、天台本覚論の浸透は壊滅的でした。 いわゆる生悟りの、生臭坊主だの、日本的な偽善者だのの言い草に、天台本覚論は今も生きている。 そうした発展をとげた天台宗が復活するなんて、そりゃあ無理だわな。 北斗宗家の拳が自縄自縛でどうにもならなくなったとき、登場したのが、実戦の拳・北斗神拳だった! 千変万変の戦場に活路を見出した北斗神拳と同じように、浄土宗・真宗・日蓮宗は実戦の宗教として少なくとも戦国時代の半ばまでは、真摯な宗教活動を行っていた。 (現代については、どうか知りませんが。) それがあって今がある。 今大僧正の元気の良い説法も、なんだか酔っ払いがくだ巻いているように思えてしまった。 なぜ今東光という人が数ある宗教のなかで、縁もゆかりもない天台宗を選んだについては、なんとなく分るような気がします。 東大でニセ学生をやった今東光氏には知的体系に対する憧憬があったのでしょうね。 天台ほどの知的体系をもつ仏教宗派はないですから。 それと、この人は庶民派のようでありながら、ほんとはハイソな集団や人間が好きらしい。 歴代天皇が信者だったとかで、自分の宗派を自慢するから、そう勘ぐってしまったのです。(笑) なんだか毒舌になってしまった! ただね、仏教なんていっている割には、いまさら平安仏教みたいなことを持ち出してどうする気なのと、つい書きたくなりました。 今から700年も前に日本人がとっくに抜け出したところに戻るなんてね。 この国の人が「原点に返れ」という言葉がいくら好きだからって、限度をこえている。 故人にいけずなことを書いたワタシを哀れみたまえ。 アーメン! |
さて、本日は少し理屈っぽく語らせてもらいます。 お題がよくわからないかもしれない。 「毒舌和尚の哀しみ」って、毒舌和尚って誰のこと? いまどきの人じゃあ、わからんでしょうね。 大昔に週刊プレイボーイを(晩飯ではない)オカズにしていた四十代なら、よおく知っている作家の今東光氏です。 昨今では、瀬戸内寂聴さんのお師匠といったほうが通りがいいかもしれない。 今氏は直木賞作家で天台宗の大僧正で、中尊寺の貫主(いちばん偉い人)で、ついでに参議院議員でもあった。 最後の二つの肩書きは有名人だったおかげでゲットしたようなものだから、瀬戸内寂聴が讃美するほど大したこととは思えないけれど。 とにかく今東光とはそういう人で、一昨日読んだのは「毒舌・仏教入門」という著書でした。 週刊プレイボーイを出している集英社の文庫です。 今大僧正は、かなり頭の良い人でした。 以前に文春文庫の「毒舌日本史」という滅法面白い本を読んだけれど、ずいぶん目からウロコが落ちました。 そんなにウロコがあって、どうする――というか。(笑) 「毒舌・仏教入門」は、今氏が天台宗の大僧正だったから出来たようなものです。 というのも、これは今氏が戸津という場所で行った説法の聞き書きだからです。 ここは滋賀県大津市下坂本にある場所だそうで、この地名を聞けばははあんと分るように、伝教大師最澄の生まれたところ。 最澄が生まれ故郷で行った説法を記念して、天台宗の高僧が毎年順番で説法を行うのだそうです。 そんなことがあるとは露知らぬ蝦夷が島出身のわたしは、これだけで感心してしまった。 関西人は湯(ぶぶ)漬けで「いけず」するだけじゃないんだ! いや、それは京都人だけか。京都人と大津の人を一緒にしたら、可哀相だ。(どっちがそうかは書かないでおきます)。 しかし、毒舌というのは、わたしの主観では学生闘争が終わったあたりから、マスコミ芸者(TV芸者がほとんどだけど)の一ジャンルとなったようですね。 相手を馬鹿にしながら人気者になるなんて、社会的な ethics がきちんとしていれば、あまり評価されない。 しかし、この国がどんどん堕落するにつれて、脚光を浴びた芸風です。 ただ、この毒舌という芸風はよっぽど頭が良く、しかも本質的に熱血的な正義漢でない限り、我慢できない。 頭の悪いのが、「毒舌」みたいなことをやると、たとえ熱血的・正義漢であっても、なんか嫌なものです。先天的に、よほどのユーモア感覚に恵まれた人間じゃない限り、禁じ手というべきでしょう。 しかし、世の中にはさらに輪をかけてバカなやつがいるから、そういう気の毒な毒舌家もおのれの誤まった戦略に気がつかないことも往々にしてある。 恵まれないものはいよいよ恵まれない。 キリストが説いた真理は、ここでもあてはまるのです。 ビートたけしだの、今東光のような頭の良い人間でないと、毒舌家は難しい。 といっても、いまの日本人はサルにも劣るから、「毒舌」を気取るTV芸人くらいで丁度いいか。 いや、サルと比べたらお猿さんが気の毒だ。ごめんなさい、お猿さん。 黴くさいマスメディアがかつて「毒舌」と名づけたのは、偽善的な人権思想に包まれて「裸の王様」になっているネガティブな特権者を、「あんたは裸だ」と素直にいえる勇気ある人々でした。 弱者をいたぶるTV芸人は「毒舌」じゃなくて、ただの人間のクズです。 「毒舌」なんていわれると、そんなろくでなしどもとと同列に並べられかねない。 思えば、故・今東光大僧正も気の毒です。 前置きがずい分長くなってしまったので、続きはまた明日。 ほんとは、こんな話を書くつもりじゃなかったんだよなあ。(溜め息) |
本日はまともに本の話です。 このところ、ロラン・バルトの「零度のエクリチュール」をフランス語で読んでいます。 一昔前ならキザに聞こえたであろう、こんな科白も、フランス文化への憧憬が過去のものになり、読書人の人々の口からバルトやジャック・デリダの名前を聞かなくなってから久しい今日この頃では滑稽にさえ思える。 時のたつのは恐ろしいもんですね。 ジュリア・クリスティヴァなんていって、話が通じるかどうか。 たしか二十年前の、バルトやデリダに対する熱狂はいまや嘘のように消えてしまった。 この国がいままでそうであったように、そういう名前を知っていることさえ「恥」というのかもしれません。 ああ、文化後進国!(笑) 物事をきっちり整理整頓して使い込まないからなあ、この国のヒトは。 そのおかげで、原産国のペルシャ(今のイラン)にすらない古代の陶器・ガラス器が正倉院御物のなかにあるのだから、いちがいに悪いとはいえない。 でもね……なにも地球人類の倉庫番になるために、日本人として生まれてきたわけでもありますまい。 たまには西洋骨董品を愛でるのも、現代日本人としては美しい! バルトの面白さは、テキストそのものの悦楽というんでしょうか。とにかく、読んでいてうっとりしますね。 ものを考えているというより、巧みなレトリックに魂を奪われている。 バルトという人は、「テキストの悦楽」ということを教えてくれた私にとって大恩人です。 初めて読んだのは、もちろん翻訳だったけれど、大いに感化されてしまった。 思い返せば、ランボーといい、バルトといい、わたしの根っこにはどういうわけかフランスの文学者がでんといる。 おかげで、世の中からうとくなって、今でも苦労してるんだけど。(笑) 昔読んだときには、なんだかよくわからなくて、それでもコーフンばかりするという童貞喪失状態でしたが、今度読むとさすがに年の功で、落ちついて対処できるようになってましたね。 ぜんぜん難しいことはなくて、しごく真っ当なことを、とてつもなく面白く書いている。(笑) いつものくせだけど、この本を精神史として読んでしまいました。 どうしようもなく歴史好きなんだな、わたしは。 中身は単純そのもの。 「エクリチュール」(乱暴に言えば、文章・文体とも言い換えられる)は、社会・階級・政治権力その他もろもろの外部的拘束を受ける。 フランス古典主義から現代小説の文体を論じることが、そのままフランス精神史となるのはそのせいです。 ところが、それだけだと、ただの教条的な文学論におちいる。 そんなものには何の値打ちもない。 バルトが言うには、外部的拘束から自由になる言語のユートピアを夢想することは可能だというのですね。 それはなにか。 文体そのものの快楽を追求すること。 これが社会その他もろもろの桎梏を剥ぎ取ったゼロの文体。 あらゆる物質が動きを止める絶対零度をイメージして、「零度のエクリチュール」なんてことをいいだしたらしい。 その状態を作り出す爆弾みたいなものが、テキストの快楽の追求というわけ。 ははははっ、こりゃあ禅問答だ! こんなことばかり考えていると、吉本隆明や高橋源一郎みたいに顔が長くなるから気をつけなくちゃね。 バルトに騙されて読んでいるときはうんうん頷いていたけれど、他人様に口上しようと思ったら、なんだか気恥ずかしくなりますわね。 まあ、そういう意味も含めて、バルトは青春の書なんだよなあ。 気恥ずかしいってのは、素敵なことさ。 |
珍しく当日日記です。 今夜、NHKの「プロジェクトX」を観ました。 秋田と青森にまたがる白神山地を貫く林道計画を阻止した男たちの物語です。 写真館の鎌田さん、マタギの吉川さん。 そんな普通の人たちの、勇気とねばりがあの大自然を守った! 恥ずかしながら、初めて知りました。 伐採がはじまる三十日前に、3000人の反対署名を集めれば林道計画を阻止できる。 自然愛好家の県庁職員さんが教えてくれた作戦に、鎌田さんたちはすべてを賭けた。 川のアユ漁師の人たち。吉川さんの仲間のマタギたち。 川の民と山の民が手を携えて、「神の森」白神山地を守った。 そういう事件があった頃、わたしなどにはまったくのよそ事でしかなかった。 ただ開発が中止されたことだけは、現金に喜んだだけ。 どこかのヒマな自然保護グループのおかげなんだろうなとばかり思い込んでいた。 都会のプータローじゃなくて、反対運動のせいで首になったサラリーマンさんや、県庁職員なんて秋田県のエリートの職をなげうつ覚悟のおじさんたちが頑張っていたなんて夢にも思わなかった。 迫害される鎌田さんを支え続けた奥さんが亡くなって二ヶ月して、白神山地は世界遺産に指定されたそうです。 蒲田さんは、奥さんの遺影をもってブナ林に入って、自分たちが守った「神の森」を遺影に見せた。 蒲田さんの目に光る涙に、つい見惚れてしまいました。 人生は崇高だ! 普通の人がいちばん偉い――と、宮沢賢治の山猫みたいなことを考えてしまいました。 |
ちょっと感動した話がありました。 四谷の本屋で、「百万人の福音」というキリスト教雑誌を手にとって見たら、三浦綾子さんの特集記事が別冊でありました。 そこに三浦夫妻の最初の秘書だった方が寄稿していました。 三浦綾子さんと光世氏は身体が弱かったので、事務処理系の仕事を手伝ってもらうために人を頼んでいたのです。 初代の方が都合で(書いていないけれど、結婚して夫の転勤で辞めざるをえなかったのです)、別の人に代わった。 その二代目の人に三浦夫妻は云ったそうです。 「あなたのする小さな失敗は注意します。でも、とり返しのつかない失敗をした時は赦しますから、ずって手伝ってくれませんか?」と。 有名作家の秘書なんて自分には無理だと内心辞職を決意していた二代目さんは、その後いろんな病気に罹患して苦しむ綾子さんに献身的に仕えたそうです。 こんなことは言おうと思っていえるものじゃない。 よほどの覚悟を普段から抱きつづけている人だけが、ぽろりと吐ける。 どちらも大変な人なんだと、鼻の奥につーんときました。 この二代目秘書の女性はガンのために、若いうちに亡くなってしまいます。 もちろん三浦綾子さんがまだ生きている頃。 でも、その時には三浦綾子さんはパーキンソン病が進行して、顔面筋さえ力を失い、歩行はままならず、顔の表情さえ失われていた。 その身体をおして、二代目秘書さんのお葬式に出席された――と、光世さんが著書に書いてある。 他者(ひと)と付き合うとは、どういうことか。 この歳で改めて教わりました。 「とり返しのつかない失敗をした時は赦します」 勇気ある強い人間だけが、「友」を持つ資格があるのですね。 |
ハリー・ポッターを読み終わったせいか、少しこ難しい本が読みたくなりました。 このあいだ蔵書の整理をしていたら、友人から借りっ放しの二冊の本を発見しました。 一冊はミシェル・フーコーの "Histoire de la folie" 。 いわゆる「狂気の歴史」ですね。 もう一冊はロラン・バルトの "Le deré zéro de l'écriture" です。 こちらは日本語で愛読していた「零度のエクリチュール」。 いやー、懐かしい。 思わず手にとったら、やめられなくなりました。 もちろんフーコーの方ではなく、バルトの方です。 バルトは日本語訳で読んでもイメージがつかめない書き方だったけれど、ところどころ切れの良いタンカがあって、そこにじーんとする。 これを味わうと、しばらく五里霧中のまま読み進んで、また名タンカに痺れる。 ――という具合に、まるで迷路学習中の実験動物みたいに読んでしまう。 快感原則で学習するチンパンジーやハツカネズミと同じです。 「小説は死そのものだ。(ただの)生命から運命と記憶されるべき偉業を作り出し、継続(という物理的時間にすぎないもの)から意義ある大切な時間を作り出す」 拙い日本語訳だと、()内の補足をつけないと、なんだかよく分らないけれど、フランス語でぱちっと書いてあるとねーっ。 うまい! 座布団一枚! ――なんていいたくなる。(笑) 昨日、飲み会でペルノーの水割りなんか飲んで帰ったから、なおさらフランス的エスプリが面白かったのかもしれない。 フランス通の人はご存知でしょうが、ペルノーという酒にはいわくがある。 詩人ランボーやベルレーヌなんかが愛飲していたアブサンというのがあります。 これはリキュールで、当時は有毒成分が入っていたので、これを愛飲した労働階級や貧乏人ぞろいの詩人はみんな精神をやられてしまった。 西洋人は日本人と違って、アルコールを分解できない遺伝子をもっている人がほとんどいないので強烈な酒を好むのです。 だから、凄惨なアルコール中毒にもなるわけですが。 アブサンが政府によって発売禁止になったあとに、似たような味の酒が登場した。 それがペルノー。 水割りにすると、白濁します。ただ、少し黄色がかっているかな。 話が脱線しているようだけど、わたしの頭の中では「フランスの詩人」=「アブサン」=「ペルノー」という観念連合ができあがっているのです。 だから、バルトの本を原書で読んでいたせいで、ペルノーなんか飲んじゃった! ふーっ。 思えば、浅はかなやつです。(笑) まだアルコールが残っている頭で、バルトをひもといていると、目の前がぐるんぐるんしてきます。 ただし、どうやら、これはアルコールのせいではないような気もしますが……。 自分なりに噛み砕かないで、バルトの文章を読んでいると、ひたすら感心するけれど、なんのことかときどきわからなくなる。 このあたり、ランボーの詩集を読んでいるのとほぼ同じ。 いかんなあ。 少し理性を取り戻すために、当分酒を控えよう。(苦笑) もしも飲むなら、あくまでも現実的なアングロ・サクソンの「スコッチ」や「バーボン」系にしようっと。 追記: アブサンは後に有毒成分を取り除いて、また販売されるようになりました。 いま洋酒屋さんで売っているものを飲んでも、精神錯乱になる可能性はありません。 もちろん、浴びるほど飲めば保証の限りじゃありませんがね。 |
ハリー・ポッター三巻目を読了しました。 今回のハリポタは、父と子、友情がテーマですね。 相変わらずラストの展開には驚かされる。 ファンタジーというのは、これだ!――と、唸るばかりです。 それにしても、この作品は人物の造形がしっかりしている。 登場人物たちが実際の知り合いのような気がしてくるから不思議です。 子供向きというわけでもなく、どこかゆとりがあるのも良いですね。 近年の日本の創作世界から消えたものが、この「ゆとり」というやつ。 それは懐の深さともいえるかもしれない。 近所に二軒ある本屋さんが文庫部門を大縮小してしまって、日本作家のものしか置かなくなってしまいました。 明治大正の文豪と、いまどきの作家さんを合わせて占用する棚がひとつか、ふたつ。 そんななかで、司馬遼太郎さんと宮城谷昌光さんは別格で文庫各社をクロスオーバーしてごっそり並んでいる。 ハリポタとどういう繋がりかというと、「懐の深さ」ではこのお二方は別格なんですよね。 だから、読書人(!)とでもいう人には信頼がある。 いくら売り場が縮小しても、欠かせないというのはそういうことでしょう。 「知性」とは「ゆとりを持つ勇気」なのかもしれない。 この場合、「ゆとりを持つ」とは、文字とおり「ゆとり」を持つという状態でもあるし、あえていえば「勇気を出して、『ゆとり』を持とう」とする意志的行為でもある。 そういう人は、こんな時代でも信頼されるんだなあと思います。 けっきょく、物語なんて上手・下手というものでもないと、わたしは考えています。 作者の人間力を信用するか、しないか。 これに尽きる。 ハリー・ポッターは、そんな「勇気の出る」本です。 読書家がターゲットにするのは、こういう本だけです。 人生に残された時間は貴重なもの。 「人間讃歌」と「魂の高貴さ」。 これがない作品は、読む価値がない。 多読するためのコツの最たるものは、「くだらないものは読まない」ということに尽きる。 わたしの物差しは、「人間讃歌」と「魂の高貴さ」。 この二つの基準に合わないものは、読まないに限る。 小説であろうと、漫画であろうと、物差しは同じです。 |
くらあーい電脳関係の業界で働いているせいか、明るいお日さまがひたすら恋しい毎日です。 日差しのすごい昼日中、ふらふら散歩しています。 このあいだ新宿御苑を歩いていると、銀ヤンマが飛んでいました。 ほとんど人気のない御苑は、カラスとひま人の天国です。 俳句のひとつでもひねり出そう―と思ったけれど、すでに暑さで脳細胞は死んでいるのでした。 ところで、目下「ハリー・ポッター」に夢中。 いよいよ佳境ですねぇ。 あと90ページで、終わり。 遅くとも、明日の通勤電車で読みきれるかな。 わたしは西洋語ばかり外国語をそうとうお勉強してきたつもりですが、正体は田舎の田吾作。 または「ももんじじい」。 どうしようもなく旧型の日本人なんで、人情話が好きなんですよね。 たとえ、それがイギリスのものであっても。 今回(もう四巻目が出ているけれど)のハリポタは、友情がテーマなんだなあ。 ハリーのお父さんのジェームズ・ポッターの親友たちが登場するんだけれど、ほんと泣けるんだよねぇ。 子供の頃の友だちといつまでも付き合えるというのは、とんでもなく幸せなことなんだ。 ――と、改めて思いました。 ハリーと、ロンと、ヘルミオーネの仲良し三人組も、深刻な仲違いをしたりして、あらためて「友だちの大切さ」をしみじみと感じる。 ――これが、四十過ぎの中年の考えることかと思うと、おかしくもあるけれど、逆に中年だからこそお節介にも「わけー衆」にそんなことをぶちたくもなる。 やっぱ、どーしょうもなく中年なんですね、わたしって。 ハリポタ・シリーズを子供の眼で見るなんて、灰谷健次郎みたいなことは出来ませんね。 どうしても中年の眼で見てしまう。 だから、めがね坊やのハリーや、優等生のヘルミオーネ、冴えないロンたちを見ていると、つい微笑ましくなって、「そーだ、頑張れよ」と呟きながら読んでいる。 こういう「ジジイ的読書」も悪くないと思います。 |
やっと更新できた! ――と、喜んでいないで、本題の「アール・ヌーヴォー展」について書きます。 先週の土曜日に、国立西洋美術館で「ルネサンス展」を見てから、東京都美術館へまわったのだけれど、人出の多さには驚きました。 入場するまで30分以上もかかってしまった。 こちらを先に見ておけばよかったと悔やんでも遅い。 遅々として進まない行列に並んで、ラジオを聞きながらぼんやりしていました。 そのせいか、どうもいけません。 展示にはすごい人だかりで、もう見る前から食傷気味。 もともと工芸品が多いので、ガラス・ケースにへばりつく観客さんたちの肩越しに覗き込むと、これがくたびれる。 東京都美術館は、もう少し展示方法をなんとかしてもらいたいなあ。 あの地階をクリアすると、ほんとに精魂尽き果てるんだよね。 たぶん一回でも行ったことがある人なら、わかってもらえるでしょうけれど。 今回はフランスのものを集めて、世紀末パリの頽廃美を堪能したけれど――疲れました。 「アール・ヌーヴォー」といえば、東欧生まれのミュシャだけど、今回の展覧会をみて、ミュシャは同時代の連中に比べれば「ずい分、健康的だったんだ!」と改めて思いました。 他の作品を見たあとで、ミュシャのポスターに合うとほっとするもの。 二日酔いの喉に、よく冷えたミネラル・ウォーターを飲む感じ。 会場を見ていると、なんだか悪夢のなかに紛れ込んだような違和感を覚えて仕方がなかったのです。 「アール・ヌーヴォー」といえば、硝子ですねぇ。 ガラス工芸の工業化に成功したことと、ガス灯・電灯などの都市の照明技術の発展もあって、この時代にガラス工芸は大発展をとげた。 あのティファニーも、最初はガラス工芸家として出発したそうです。 「ティファニーで朝食を」どころじゃなくて、夜の明かりが飯のタネだった。 このガラス工芸の技術で、「アール・ヌーヴォー」の工芸作家さんたちは植物をイメージした電気スタンドや、花瓶なんかを作ったのでした。 ところが、こいつがなんとも不気味。 キノコやクラゲに似ているのは可愛げがあるけれど、腐乱した内臓や熱帯の密林に生える陰鬱な隠花植物を思わせるのはいただけない。 なかには、不謹慎な想像ではあるけれど、ガンに冒された子宮としか見えないのもあった。 すっかり気分が悪くなりました。 そういう目でみると、少なくともパリの「アール・ヌーヴォー」は地獄だったんだなあと改めて思いましたね。 いい例が、この展示会の目玉のエミール・ガレの「蜻蛉の精」。 宝玉製のセクシーな美女の胸像が、宝石と金細工で作られた蜻蛉の胴体と組み合わさっているあれです。 たしかに、本当に精緻で綺麗なものだけど、たぶんガレはわたしたち東洋人のような感覚でこんなものを作ってはいない。 ご存知のとおり、蜻蛉は西洋では長く悪魔の象徴だったのです。 虫愛ずる日本人には信じられないことだけど、甲虫もそう。 だから、少なくともガレの同時代人には、かれが作った「蜻蛉の精」も、金細工のカブトムシの胸飾りからは悪魔的な匂いを嗅いでいた。 悪魔が魅力的だったんですね、きっと。 だから、「アール・ヌーヴォー」の椅子やスタンドに蠱惑的な裸の女体があつらえられていることにはなんの不思議もない。 人間を「物化」(道具化)してしまう思想に満ち溢れているのだから。 ちなみに、あの裸体は娼婦のものであって、決して健康な女性美ではない。 消費される「もの」(売買される肉)としての女体。 それをこれでもか、これでもかと繰り出してくる。 こんなものをみていて気分が良いはずがない。 世紀末をへて、ヨーロッパが自己破壊的な第一次世界大戦へ歩み出すのも無理はないような気がしました。 こういう気分につつまれて生きていたら、殺しあって破滅するしか仕方がないじゃありませんか。 それに比べて、同じ会場で展示されていたイギリスのグラスゴーで起った「ゴシック・リバイバル」とか、ウィーンの「分離派」は清々しいような気がしました。 たしかにエゴン・シーレまで行くとどうしようもなくなるけれど、クリムトなんかはずっと生命力にあふれている。肯定的という意味で。 「アール・ヌーヴォー」という言葉でひとくくりにされるけれど、なんか違うじゃないかという気がしますね。 フランス世紀末の悪魔趣味は、蝙蝠の翼を持つ美女の像とか、蛇姫メデューサの顔なんかで遺憾なく発揮されている。 少女といっていい若い娘の裸体に、悪魔のような蝙蝠の翼をくっつける。 この禍々しい美は、けっして人を幸福な気分にはしてくれません。 西洋の悪魔主義の伝統にふさわしく、「アール・ヌーヴォー」が偏愛するのが蝙蝠、黒猫、昆虫、クラゲ。 昆虫と水棲の触手動物に美を見出したのは、このちょっと前の時代の博物学ブームに由来するので、弁護の余地がないわけじゃない。 ただし、一般ピープルの悪魔的なエキゾシズムに訴えかけようとした事実は変わりませんけれど。 とにかく、当分フランス的なものと、「アール・ヌーヴォー」には食傷気味になるでしょう。 話が脱線したけれど、みょうなことに気づいてしまいました。 「アール・ヌーヴォー」の世界を今だにひきずっている人がいた! もっとも、その人は「アール・ヌーヴォー」を継承した「アール・デコ」の時代に生まれて、まだカクシャクとして活躍しているから無理もない。 その人の生まれた(そして、現在も住んでいる)街はアメリカにあるのですが、そこは1930年代の大不況からいまだに立ち直れず、以後の何度も起きたアメリカ経済のバブルの恩恵はまったく受けていないのです。 気の毒に、その人と付き合ってくれるガールフレンドは黒猫だけだし、お友だちは異様な服装を好む変人ばかり。 ――といえば、お分かりでしょうか? アメリカのゴッサム市に住むブルース・ウェインさんですよ。(笑) もちろん、バットマンという方が通りがいいでしょうけれど。 ゴッサム・シティ日という街には「アール・ヌーヴォー」的な悪趣味が溢れている。 今回の展示会の目玉として、パリのメトロポリタン駅の鉄柵を持ってきてみせてくれているんですけど、あれはなんだなあ――。 ティム・バートンか、バットマンかという感じ。 前に紹介した(昼間の掲示板日記!)サイトで、1940年代に描かれたバットマンの絵を見たのですが、当時のバット・モービルはまさにアール・ヌーヴォーの悪趣味の極地でした。 |
© 工藤龍大