昨日は、金大中大統領が平壌入りして、キム・ジョンイル総書記と歴史的会見をしました。 TV映像では、せいいっぱい着飾った”市民たち”が沿道に並んで、飾りみたいなものを振っている光景が流されていたけれど、やはり社会民主主義の国の伝統を感じました。 以前、北朝鮮の内幕もののドキュメンタリー映画を観たことがあります。 北朝鮮に日本から訪問団がゆくと、訪問団は仕立ての悪い水色の上下スーツをお仕着せで着せられて、スタジアムで、北朝鮮の”市民”とフォークダンスを踊ることになっていました。 北の”市民”は、オーダーメイドっぽいスーツに、女性はドレスというリッチそうなお姿。 それだけ観ると、「貧しい日本」から来た哀れな同胞と、豊かな自分たちという、北の国民向けの宣伝になるのでしょうが、こちらも眼が肥えて来たのか、北側のスーツやドレス姿がなんとなく似合っていないように見えてきて…… 日本からみれば、少し時代遅れな感じでした。もっとも、映画を観たのは四、五年も前でしたけれど。 今回も、沿道に出てきた北側の”市民”たちの服装を見るにつけ、報道映像で観なれている韓国からみてさえ随分見劣りしました。 わたしは韓国へは行ったことはないのですが、韓国から来た人を何人か知っています。 服装センスは、現代日本人と同じですね。 そんなことは、別に私が書かなくても、皆さんのほうがご存知でしょうな。(笑) このごろは、道を歩いていて、ハングル語が聞こえてくるのは、新宿、渋谷では当たり前。池袋どころか、石神井公園を歩いていても、ハングル語の会話が聞こえることがあります。 あの言葉は、どういうものか、わたしは好きですね。 なんか、関西弁と東北弁が入り混じっているようで、どこか親しみがあります。 これは余談ですけど…… 本日(14日)は朝から金大統領と、北朝鮮ナンバー2の金永南(キムヨンナム)氏が会談をしているそうでして、その後でキム・ジョンイル総書記と会見するとか。 なんらかの声明が出るので、注目したいところです。 キム・ジョンイルという人も、けっこうヘンな人みたいですね。 朝鮮初の怪獣映画「ブルスガリ」(だったけかな?)というのをご存知ですか? あれを作ったのが、若き日のキム・ジョンイル氏だそうで…… 昨日のニュースでそれを知って、しばし目眩がしました。 独裁者と怪獣映画製作というのが、ちょっと結びつかなくて。(笑) そういえば、ニュース映像で、父親の故キム・イルソン氏の金ピカの巨像が平壌の街のあちこちのビルのてっぺんに飾ってあるのをみたことがあります。 なんだか街じゅうでウルトラマン・ショーの営業をやっているみたいだなと思いましたが、やっぱりその直感は間違ってはいなかった。 大怪獣ブルスガリ(本当にこれでよかったかな?)に変身して、南へ攻め込みたかったのかもしれませんね。 この大怪獣はなんとなく、沖縄のシーサーにも似ていますが、もっとはっきり云うと牛の化け物ですな、あれは。 貧困な発想で申し訳ないけれど、朝鮮半島といえば焼肉を連想します。 虐げられたウシの怨念が、こりかたまってブルスガリになって……というのは、悪ふざけがすぎますね。(冷汗) 朝鮮半島ネタで遊んでしまいましたが、まだまだ興味はつきません。 本日はひさしぶりに韓国語の入門書でも引っ張り出して、ハングル文字の復習をしようかとも思っています。 近所のビデオ屋で「ブルスガリ」のビデオがあれば、借りてみたいとも思います。 朝鮮民族の悲願に対して、あまりにも不真面目な気がしないでもないですが、こういう深刻すぎる問題については、一呼吸はずして対処したいというのが、わたしのスタンスなのです。 気分を悪くされたら、ごめんなさい。――先に謝っておきます。 ところで、昨日はツン読してある小説本でも読もうとして、本棚を漁ってみました。 いやになるくらい海外SFがあるのですが、さっぱり読む気がしません。 ひとつには、翻訳が凄すぎるからで、冒頭の数行を読んだだけで放り出したくなります。 ただ、大昔の翻訳は良いですね。 「つかみ」を考えて翻訳している。 いまどきのは、英語を文法通りにそのまま訳しているので、正確であるのでしょうが、これじゃあ娯楽として読むのは苦しい。 たぶん原文では読者の意識の流れを考えて、構文や単語が選ばれているはずなのに、そのへんが無神経な翻訳が多すぎる気がします。 娯楽ものに限って云えば、原文で読んだほうが、小説としてちゃんとなっているという感じがします。 ただし、純文学作家みたいのは、読者を煙に巻くのが目的だから、原文で読んで面白いとは言い切れません。 日本でもそうですけれど、冒頭で読者を引っ張れなければ、読んでくれるはずもありませんから、海外作家といえども冒頭はいちばん気合が入っているところです。 日本のエンターティメント系作家さんの本が読みやすいのは、それだけ考えられているからです。 日本語の本が読みやすいのは、意識の流れがすんなりと理解できるように書かれているからです。 その逆が翻訳小説で、このごろでは原文の意識の流れにさえ無関心な、学校秀才風の翻訳が多いようです。 翻訳小説がつまらないのは、そんなところにあるんじゃないという気がします。 これでは、ツン読が減らないはずだ。 本の整理を、そのうちしなけりゃと思いましたね、ほんと。 |
本日、ぼんやりネットサーフィンしていたら、こんな訃報が目に飛び込みました。 南方文枝さんが亡くなった! この人は、かの大博物学者・南方熊楠の長女です。 今月10日に亡くなったそうで、享年は88歳。 告別式は13日に和歌山県田辺市で行われるとか。葬儀委員長は、田辺市長の脇中孝氏。 察するに、町の名士の葬儀ということなのでしょう。 喪主は親族の方というから、お子さんはいなかったのでしょうか? 晩年の熊楠は失明状態になって、このお嬢さんに資料の整理などを手伝ってもらっていたのです。 いまだ整理されていない熊楠の膨大な研究資料を管理して、世に出すお仕事をされていた文枝さんがもう88歳になっていたとは。 天才を父に持ったおかげで、大変なご苦労があったと思います。 もちろん直接に面識があるわけではありませんが、わたしはこういう人が好きなんです。 もし文枝さんのような奇特な娘さんがいなかったら、熊楠の業績はどうなっていたことか。 それよりも、晩年の熊楠の境遇はどうであったか。 あれこれ、空想してみると、やはり文枝さんはエラかった…… スタンドプレイヤーよりも、サポート役のほうに人間的な興味を感じる傾向が、わたしにはあります。 というのも、縁の下の力持ちに徹した人のほうが、人格的香気と滋味が豊かだと思うからです。 もちろん、スターとしてその時代に輝いた人も魅力的ですけれど。 ところで、昨日はえらく不毛な読書をしてしまいました。 ジェイムズ.ブランチ.キャベルなんて、作家はご存知ないでしょうね。 えっ、知ってる。英文科の学生さんですか……? いえいえ、英文科の学生さんがこんな人を読むはずがない。 きっと荒俣宏さんでしょう、知識の出所は。(笑) 知る人ぞ知るどころか、よほど物好きな幻想文学フリークじゃなければ、関係ない作家です。 荒俣ファンなら、血迷って名前だけは知っている人もいるでしょうが…… キャベルの凄いのは、「マニュエル伝」という「大菩薩峠」にも匹敵するような(ちょっと喩えが悪かったかな?)膨大な作品世界を作ったことです。 主人公が22代にわたって転生を続けた900年に及ぶ物語でして、全18巻からなりますが、その一巻ごとが「マニュエル伝」の一章に相当します。 1904年から1927年にかけて執筆されて、その後三年間の加筆を加えて、1930年に初めて出版されました。 部数は、1590部限定だそうです。(爆笑) すいません、つい、笑ってしまいました。アホだっ……こいつ。 こんな本を持っているほうが、異常だという気もします。 話そのものも、そうとうなしろものでして、ドム・マニュエルという主人公はやたら子供を作ったことになっていて、その子孫にはイギリス王家の人間(マニュエルが王女と不倫したせいです!)や、文豪ウィリアム・シェークスピアもいます。 もちろん、全部フィクションです。 「マニュエル伝」はファンタジーとリアリズム小説のハイブリッドです。今なら、こういうタイプの作品は、ありふれていますから、ファンタジー好きには珍しくもないでしょう。 ホフマンの「黄金の蛇」や、ルイスの「ナルニア国物語」みたいに、架空の世界と(小説内の)現実世界が融合している物語でして、いちいちそれを書いているとくたびれるくらい執拗にファンタジー世界が現実の反映であり、またその逆もなりたつという世界です。 現実世界の悪妻が、じつはファンタジー世界の理想の女性の投影であって、主人公は理想世界の女性に恋するのだけど、結局は悪妻を選ぶ――というモチーフが繰り返し長編で使われるとか。 今なら、ハーレクイン・ロマンスで人気作家になれたかもしれません。 「悪妻、ばんざい!」を生涯のテーマにするとは、凄い作家だなとつくづく思いました。 いろんな意味で……(笑) 今回読んだのは、「夢想の秘密」(杉山洋子訳)という作品です。 「マニュエル伝」の結末ということですが、実際に書かれたのは、いちばん古いそうで、キャベルという作家は徹底的に人をおちょくるのが好きなようです。 ところで、中身はといいますと、はっきり云って「退屈!」そのものです。 ページをめくるのももどかしいくらい退屈なので、後ろから読み、真中から読み、前から読むというめまぐるしい攻め(『三所責め』とも云ふ……謎)を展開して、なんとか読み終えました。 ご想像のとおり、小説の仕掛けはわかったけれど、全然面白くなかったです。 もっと楽しい読書がしたかった昨晩でした。(泣) |
東北も梅雨入りしたせいか、雨が続きますね。 といっても、この時期に雨が降ってくれないと、水不足が起こるから、やっぱり雨は大切。傘があれば、なんとかしのげるから、雨にはがんばって降ってもらいたいものです。 ところで、シリアではアサド大統領がなくなりました。 イスラム・ウォッチャー(笑!)としては、今後の推移が愉しみです。 シリアといえば、中東のなかでもアメリカに親近感を持っていた数少ない国。 大筋では特に変わったことはできないでしょうが、カリスマ性のある指導者がいなくなると、とたんにいろんな問題が吹き出るのがアジアの政治です。 今後が気になります。 ところで、昨日は「小説と古史への旅」(松本清張)を読みました。 講演と対談をまとめた本です。 わたしは松本清張氏のファンとは云いがたく、氏の推理小説を読むのはかなりつらいものがあります。 むしろ古代史推理や、昭和史の暗部を暴くエッセイのほうが好きです。 この講演集でも、岡倉天心や画家青木繁なんかの裏話が出ているのが、面白かったです。 それと、「点と線」「砂の器」や「ゼロの焦点」の裏話も。 松本清張氏は小説の舞台を取材するのは、一度と決めていたようです。 小説に使えるのは、第一印象だけ――というのが、松本氏の持論でした。 だから、「砂の器」や「ゼロの焦点」などの名作の舞台となった場所にもいったのは、一度かぎりだったそうです。 なるほど小説はイマジネーションが勝負なんだ! いまさらながら、この当たり前のことを痛感しました。 それにしても、古代史学者、考古学者を集めた座談会を除くと、すべての講演に汚職とそれにまつわるノン・キャリア官僚の不審死の話がありますね。 組織に押しつぶされる個人の悲哀というか、力弱いものを踏みつぶす権力機構への怒りみたいなものをふつふつと感じます。 キャリア官僚に因果を含められて自殺する中間管理職たちの話は、取材中に松本氏が集めたもので、松本氏には根も葉もない噂話とは思えなかったのです。 いい例が東京地検の元検事・河合信太郎という人でして、この人は鬼検事として昭和電工事件、造船疑獄事件を担当しました。 最後の事件は後に首相になる佐藤栄作を逮捕しかけるところまでいったのですが、時の首相・吉田茂が法相に命じて指揮権発動させて捜査を止めさせたのです。 そうした大物政治家たちに睨まれていたせいか、河合さんは電車に乗るときは決してホームの白線のそばには立たなかったそうです。 ホームに電車が入ってくるときに、後ろから突き飛ばされたら、どうなるかと真剣に怖れていたからです。 まちがいなく事故死ということになって、警察も捜査はしないはず。そうした不審な事故死や自殺が、政治家のからんだ汚職事件ではやたらと発生するものです。 いまでこそ、小渕さんや森さんみたいな人の良さそうなオジさんを自民党はカツいでいますが、10数年前までは汚職事件が起きるたびに、ノン・キャリア官僚や自民党の政治家秘書なんかが空中散歩や身長矯正運動や(電車との)異種格闘技で活躍して新聞紙上を賑わせてくれたものです。 この河合信太郎さんは、帳簿を調べることで、汚職の金の流れを把握するという現在の東京地検の捜査方法を確立した人でもあります。 ただ出身大学が東京大学ではなく、中央大学であったために、あんまり官界では出世できませんでした。 今でこそ、中央大学の夜間部や法科は、法曹関係者が輩出することで有名ですが、それも河合信太郎さんたちの活躍に刺激されてのことだとか。 実力派の河合さんと松本氏が出会ったのは、河合さんが司法研修所という弁護士や検事の学校みたいなところで校長をしているときでした。 吉田首相の鶴の一声で疑獄事件の捜査中止を命ぜられてから、河合さんは東京地検からはずされて、そこの校長になっていたのです。実質的には左遷といったほうが良いでしょう。 松本氏はそこで講演に招かれてから、河合さんと意気投合して、親しくお付合いしていたそうです。 戦う実力派同士の友情といいますか…… 「反骨」という今では死語になった言葉が、松本氏の本質なんですね。 河合さんの話を枕にした講演で、松本氏は岡倉天心のことを話していました。 この人もずいぶんエラい人なのですが、松本さんからみると東京帝国大学出身のエリートの強さと弱点をさらけだしている面白さがあります。 岡倉天心は本質的には高級官僚タイプの人間なので、官界からドロップアウトすると、どうも順調な道を歩めない。 けっこうな年齢まで恋愛騒動を起こしたり、そういうタイプの男の常として、かかわりあった女性たちを不幸にしたり、事業はひとつとして成功しない。天心にかかわった男たちも、まじめな方は食い詰めて、貧乏のどん底に落ちる。悪いやつは、天心の事業を食い物にする。天心には愛人たちの始末を、世間ズレした取り巻きに押し付けるところがあったので、そいつらが悪事をしても強いことがいえなかった――と松本氏は考えています。 今でこそ、キャリア・システムのようなやり方は、組織の腐敗につながると社会的に糾弾されていますが、つい最近までは立派に通用していました。 現代でも、戦前のようなエリート教育を復活させて、産業面での国際競争力を復活させたいと思うインサイダーたちはいっぱいいるわけで、「エリート主義」は日本社会の遺伝子的疾患なのかもしれません。 国際競争力を高めるには、規制を緩和したほうがどれだけ良いかと思うのですが…… そんなことを考えると、松本氏の反骨は、「日本」という日本人を幸せにしないシステムのなかで苦しむ人々の心の支えだったと改めて思うわけです。 ところで、巻末の松本氏と歴史学者たちとの討論はかなり面白かったです。 考古学の森浩一氏も参加されていました。 発言をざっとみると、大胆かつ大いにしゃべっている松本氏と森浩一氏。受けにまわっている他の二人の学者という構図がみてとれます。 いちばん発言しているのは松本氏ですが、森氏を除くほかの方は発言は多いにもかかわらず、当り障りのないところで矛を収めている感じがします。 こんなのも、大きな意味で言えば、「日本的な内輪でかたまる体質」なのかもしれません。 わたしは古い書物が好きなへそ曲がりなので、このごろ書かれた本はあまり面白くありません。 ひとつには、反骨精神に富んだひとがあまりいないからでもあります。 松本清張さんみたいな人は、もう出ないんでしょうか? |
昨日の日記で書き忘れておりました。 じつは図書館では、もう一冊「貞永式目」も読んだのです。 これは、「御成敗式目」ともいって、鎌倉幕府の成文法です。 どれだけ長いかと思って、恐る恐るページを開いてみたら、そんなに長くはなかったのでほっとしました。 以前、「延喜式」などの朝廷の律令を覗いたことがありますが、分量は比べ物になりません。 中身はというと……もしかしたら、律令よりも合理性において、逆行しているような印象さえ受けます。 というのも、じつに妙な規定があるからです。 証文を取り交わしたとします。 その日から、7日以内にこんなことが起きたら、その証文は無効となるのです。 例えば……
これは、神判裁判という古代的伝統がまだ東国社会には生きていたせいですが、高度な法律体系を練り上げた唐の律令国家からパクった朝廷の「律令」に比べると、ひどく見劣りします。 「延喜式」にも、ずいぶんおかしなことは書いてあるのですが、それにしても…… ただ悪口を禁止したり、喧嘩を禁止する条項があるところをみると、東国の武士たちが自分たちの稚ない共同体をなんとか守ろうとする懸命な努力が伺えますね。 そういえば、中身は土地をめぐる遺産相続に関するものがやたらに多かったように思います。 元来、法とはそういう社会の要求に即したもので、天から降ってわいたり、お上からうやうやしく頂戴するものではありません。 ところが……ですね。 日本はじつは明治維新まで「律令国家」だったのです! 徳川幕府が「公家諸法度」を出して、公家を取り締まったではないか。 という反論がすぐにも飛んできそうですが、あれは実は単なる公家の行動規定でして、「公家はこんなことをしてはいかん」と服務規程/職掌の明示にすぎんのです。 では、公家たちが服した法律はというと、根本法典の「律」と「令」、施行細目の「格」と「式」というものです。 平安時代とおんなじです。 武家の政権は、公家以外の武士・農民等に対する実質的支配をめざすもので、長い間この国は人民のしたがう武家の法律と、公家がしたがう律令の二元的法体系のもとにありました。 それが解消されたのは、明治時代だったというわけです。 この一貫性の無さが、じつは明治以降の日本の発展を基礎づけたのだから、歴史はわからない。 首尾一貫した法体系をつくったおかげで、中国と朝鮮は社会が固定化して、どうにもならなくなったからです。 デタラメも案外悪いものではないのかもしれません。 ところで、昨日(10日)、アンディ・フグのスイス引退試合をTVで観ました。 スイスで引退とは、どういう意味なのか、途中からみたので、よくわかりません。(泣) 試合はじつに素晴らしいもので、3分間ラウンドの攻防が緊張に満ちたものであったうえに、フグが随所で見せるスーパー・テクニックに魅惑されて、あっという間に終わってしまいました。 結果は、フグの判定勝ちだったけれど、へたなノック・アウトよりも見ごたえがありました。 つまらないことですが、試合後にアンディ・フグがインタビューを受けていました。 あれっ、ドイツ語を話している! 考えてみれば、スイス人なんだから、当たり前だけど、今までフグのインタビューは片言の日本語か、あるいは完全に吹き替えされた声優の声でしか聞いていないので、びっくりしました。 そういえば、ヒクソン・グレイシーも試合直後はインタビュアーに断って英語では話さず、自分の通訳を使って母国語ポルトガル語でスピーチしていましたね。 死力を尽くした戦いの後では、猛者といえども、外国語はきついのだなと、改めて母国語のありがたさを感じた次第です。 |
本日(10日)は一週間ぶりに図書館へ行ってきました。 予約していた本が確保できたというので、借りに行ったのです。 ついでに、参考図書室で遊んできました。 わたしが住んでいる町の図書館はなかなか優れもので、「群書類従」が「正」「続」「続々」と揃っています。 ご存知の方も多いと思いますが、これは江戸時代までにこの国で書かれたあらゆる書物・文書のたぐいをすべて全集にしてしまおうというプロジェクトの産物です。 だから、歴史の教科書や歴史書に引用されている有名な書物や文書のほとんどが入っているという自称歴史作家には涙が出るほど嬉しいものです。 本日は、平安時代の貴族・大江匡房の書いた「狐媚記」「遊女記」「傀儡子記」を読んできました。 朝廷の学者貴族・大江氏は、中国の戦国大名・毛利元就の先祖でもあります。 あんまり関係ないですけど……(笑) 簡単に内容を紹介すると、 「狐媚記」は平安朝に起きた狐の妖怪話です。 「遊女記」と「傀儡子記」は、平安時代の遊女と漂泊民・傀儡子の実態を描いたもの。 いずれも、いろいろな本に引用されている有名なものですが、原文はといえば、漢文で2ページくらいの短いものでした。 「池亭記」という文献を前に紹介したことがありますが、それよりもずっと短い文書でした。 歴史関係の本に引用されているのは、ほぼ丸ごと全文だと改めて知りました。 こうやってみると、資料はたしかにたくさんあるけれど、有名な原典を全部を読むことは不可能――なんてことはないと思います。少しずつ読んでゆけば、なんとかなるという気がします。めくら蛇に怖じずという思い上がりかもしれませんが…… 嬉しいことに、「群書類従」の他にも「史料大成」というシリーズがあって、朝廷貴族たちの日記なんかもありました。 藤原実資、藤原忠実、藤原頼長といった当時の一流知識人の日記も収録されていました。 ぜひ読みたいと思っていたのですが、近所の図書館で読めるとは嬉しい。 そのうち、時間を作って読破してやろうと決意しました。 ただ全て漢文で書かれているので、ちょっとひるんでしまいますが、さっき挙げた大江匡房の文書は返り点だけがついている漢文でした。 まあ、なんとか読めるんじゃないでしょうか。 司馬遼太郎さんは、新しい作品を書くたびにトラック一台分の資料を購入したという伝説があります。 しかし、室町時代くらいまでなら、原典はそんなにはないはず。 「群書類従」全巻や「史料大成」全巻を集めても、小型トラック一台分はありません。 いったい司馬さんはどんな資料を集めたのか、気になりました。 戦国時代末期や幕末、明治には、「群書類従」には収められていない文書がたくさんあるのかもしれません。 それと、郷土史家やあまり売れない著述業の人たちの本を集めた可能性もあります。 神田の古書店主の方がお手伝いしたそうですが、どんな風にピックアップしたのか、興味津々です。 司馬さんの書庫の内容を、司馬遼太郎財団でリストアップしてくれたらいいな――なんて、虫のいいことを考えています。 ところで、本日(10日)の朝刊で、司馬遼太郎さんが一年間、大学浪人したことがわかったという記事が出ていました。 司馬さんは弘前大学を不合格になったあと、大阪外語大学に入ったのですが、その間に一年のタイムラグがあり、学校の記録を調べた結果、浪人していたことが判明したとのことです。 ご苦労なことだと思いますが、文学研究者というのは、そんなことを突き止めるのがお仕事――素人にとっては、どうでもいいようなことなんですが…… でも人間なんて、死んでからのほうがいろいろわかることが多いものです。 いろんな公的記録をつきあわせると、案外その人の歩いてきた道がはっきりしてくる。血縁者や友人さえ知らなかった貌が現れる。 歴史研究でも、そうしたことはよくあります。 司馬さんはそんな人間の不思議さを生涯、追及した人でしたが、自分が他人にあれこれ詮索されると思っていたかどうか――司馬さんはあちらで苦笑いしているような気がします。 |
本日(9日)は、関東地方では大風が吹きました。 午前中は台風かとおもうくらいでした。 昨日も、風雨が強かった。このところ、天候が悪いです。 新聞なんかを眺めていると、ふと心配になることがあります。 余計なお世話ですが、隣の中国のことです。 今年は中国は旱魃だそうで、米国から食料輸入せざるをえないと予測されています。 黄河や長江みたいな大河に恵まれた農業大国といえども、天候には勝てない。人為的に天候操作できる技術が開発されたら、最大の兵器となるといわれるのも無理はありません。 悠々たる大河・黄河でさえ、工業用水や農業用水でどんどん水を取られているので、水量が減っているそうです。 しかも黄河は、その流域地帯をのぞけば、まわりは砂漠だらけ。 中国政府は黄河から用水を引いて、砂漠を耕地化させているそうです。 科学技術文明の勝利――と、60年代なら手放しで喜べたのですが、降水量そのものが減っているのと、黄河源流地帯の保水力のなさのおかげで、深刻な水不足が予想されています。 いってみれば、毛細血管のように農業用水を国土に張り巡らそうとしたら、いちばん大切な血液が減ってしまった――笑うに笑えませんね。これでは。 以前この日記で中国の食料自給政策が数年後に破綻するという予想を紹介したことがありますが、現実はさらに厳しくて、どうやら今年くらいから中国もアメリカの食料生産に依存する方向へ、路線変更せざるをえないとか。 だからといって、十年以内に人類が滅びるとは思いませんが(笑)、この調子では中国の現政権もどうなるかわかりませんね。 あそこがヘンになったら、日本はまともに動乱に巻き込まれるのは確実。 いまから覚悟だけはしておいたほうがいいと思っています。 どうも殺伐とした「保元物語」を読んでいるせいか、考えがそっちのほうへいきがちです。 べつに、他意はありません。(^^) ところで相変わらず、「増鏡」と「保元物語」を並行して読むという妙な読書をしています。 鎌倉時代の宮廷生活を描いた「増鏡」はじつは室町時代の作品で、保元の乱を描いた「保元物語」は鎌倉時代の作品です。 室町時代というのは、京都の将軍・朝廷に限って云えば、意識の上で王朝時代に逆行した時代です。 現代の人間からみれば、「保元物語」のほうが心情的にそのまま理解できます。 最近、院政時代から鎌倉時代にかけて歴史の本を眺めることが多いのですが、面白いことに気がつきました。 どうやら、歴史学者にも二つのタイプがあって、一方は貴族中心史観とでもいう他ない人々で、もう一方は開拓農民史観とでもいうべき人々です。 このごろの若い人(といっても、四十代・五十代くらいですけど……!)は、「貴族中心史観派」が全盛ですね。 民俗学的というか、構造主義に毒された(あわわわ……)というか、武士は朝廷の呪術師であったという風に考えるのが、この派の特徴です。 乗馬・弓矢という軍事技術には、悪霊を払う「辟邪(へきじゃ)」の呪術力があると認められていた。武士というのは、本来は天皇の霊的ボディガードだというのです。 源頼光の酒呑童子退治や、その子孫・源頼政のヌエ退治なんかを引き合いにだして、詳細な議論を展開しているので、一考に価いすることはたしかです。 この派は、武士は貴族そのものであったという立場でして、今風にいえばハトは恐竜そのものであるという学説と似ていないこともありません。(笑) この派の人々の本を読んでいると、「歴史は中央と地方の貴族が作った」と云いたいのかなという疑いが浮かんできてしょうがないのです。 わたしのひがみでしょう……か?(笑) とはいうものの、もともと近畿のヤマト政権に服属した「地方」の旧支配者・古代豪族たちがヤマト政権の地方政庁・「国府」の在庁官人として地方政府の組織にもぐりこんだ。そして、中央政府の有力者と結託して、開拓地を開いたという動きも一方ではあります。 せんじつめれば、「貴族中心史観」も「開拓農民史観」も云っていることはほぼ同じで、武士は中央貴族の悪霊払いの呪術師としての芸能と、地方の耕地開拓・私有化の動きから生まれてきたということです。 ただし、ニュアンスというか、口ぶりで、研究者のシンパシーがどちらにあるかがわかります。 つまり、文献をたくさん残している宮廷の貴族に共感するか、文献がないゆえに口碑と考古学の発掘調査に頼らざるを得ない武士たちのほうに共感するか。 戦後は「封建制度をぶっとばせ!」という勢いがあったので、武士擁護派の元気が良かったのですが、最近では文献を観念的に読み込むほうが元気となっています。 ……こんな素人にはどうでもいいことをエンエンと書いたのは、わたし個人の趣味の問題として、「貴族中心史観」はどうもいただけないような気がするからです。 黄昏た時代の独特の発想みたいで、根底には「滅び行くものへの共感」があるような気がします。 意地悪な言い方ですが、大学アカデミズムというのは19世紀的なヨーロッパの知の産物でして、いまやその知は否定されつつあるのではないか。 アカデミズムは、枯れ木のように空洞化して、生命力の衰退を深刻に感じている気配があります。 「古今伝授」とか「秘曲」(*)とか、今からみれば、とんでもない愚劣な行為が、ハイレベルの知的作業とされた時代は、王朝文化の担い手・貴族が経済的に徹底的に没落した時代でもありました。 昨今の歴史の本を見るにつけ、そんな連想もしてしまうのです。
「古今伝授」とは、王朝時代の物語・和歌には裏の意味があると、 煩瑣でくだらない事実をさも大切そうに、秘密めかしてでっちあげ、 そこばくの金を取って、教えるというもの。 「秘曲」とは、音楽教師から演奏許可をもらわない限り、 人前で演奏してはいけない「曲」のことでして、 誰にも聞かせてはいけない曲ではありません。 もちろん許可を貰うには、師匠にお金を上げなければなりません。 そんなことを考えるのも、「保元物語」や「平家物語」の生き生きした筆と、精彩を欠いた「増鏡」を読み比べて、沸いてきた素朴な印象です。 もちろん「保元物語」や「平家物語」は、不遇な下級貴族が原形を作ったのだから、広い意味では貴族文化の産物といえないこともないのですが、それを言えば、文字文化はほとんど貴族文化になってしまう。 時代の息吹が息づいているかどうか……大事なのは、そういうことでしょう。 |
このところ、歴史の世界にはまりっぱなしで、ちっとも現代に触れてませんね。 もともと古い時代が好きで、今が嫌いなヘソ曲がりなのです。性分とでもいいましょうか…… 現実から離れて、歴史の時代に触れることで、日常生活の重たさとのバランスをとっております。 そういうのを「現実逃避」ともいいますが、人間は少なからず「現実逃避」しないと病気になるというのが、わたしの持論です。 人間は現実に立ち向かうエネルギーがなくなってくると、周囲のことがどうでもよくなってきます。 これをニヒリズムといって、いきがっているうちは良いのですが、そのうち元気のよさが虚無感というマイナス・エネルギーに食われて無くなってくる。 そうなると、今度は不定愁訴というやつで、身体のごくわずかな不調がいやに気になる。 ここから、神経症にいくのは、薄紙一枚です。濡れティッシュに縫い針を突き通すくらいの間隔です。 津本陽さんによれば、薩摩示現流の極意は薄紙一枚に針を突き通すほどの時間に、刀を振り下ろすことだとか。 変なアレゴリーをもって来て話がずれましたが、それほど危ういということを強調したいわけです。 「文学や歴史なんかの閑文字遊びが、現実生活になんの役に立つか」と云えば、「想像力の健康体操」ということにつきます。 「想像力」とは、じつは本能が壊れた動物である人間にとって最大の武器であると同時に、最大の敵でもあります。 「想像力」が常軌を逸した暴走をはじめると、人間の意識は他者に対してだけでなく、生物体としての自分の身体にさえ有害なものになるのです。 「卑小な自分(=自我)」という有り様を離れて、「宇宙の中にいる自分(=自己)」というものを想像のちからを借りて構築しないと、人間は心や身体に異常をきたすと云います。 マスローという心理学者が主張して、イギリスの哲学者(?)コリン・ウィルソンが紹介した説ですが、わたしもそのとおりだと思います。 これは人間という生物に課せられた構造的な宿命なのです。 「文学や歴史なんかの閑文字遊びなぞ、現実生活には役に立たない」と云っていた自称現実家が、らちもないデタラメ歴史や偏向した史観の奴隷となって、皇国史観や戦争讃美に走るのは皆さんもよくご存知でしょう。 もっとも、その状態になったら、正気に戻ることはまず無理なので、早めの予防が必要です。 バカにつける薬はないのです。 ただし、そうした人が治癒不可能なバカになるのは、権力闘争を勝ちあがった壮年期以後です。 社会的に偉くなっているから、まわりにイエスマンがたくさんいて、お言葉に逆らうものも無く、その人が上にいる社会や組織はおかしくなる―― これも、人間という社会的生物が遺伝子的に持っている欠陥なんでしょうかね。 だから、お金や権力もない若い頃から、歴史や文学に少しは興味を持っているのは、逆説的ですが、広い意味で世のため、人のためになると思います。 「をいをい、あんたの言ってることは、ヘンだぞ」と合理的にものを考える人が増えると、どんな社会でもあんまり無茶はできないものです。 こういう人が多いと、その社会は良い社会だといえます。 歴史小説は地球を救う! なんてのは、あんまりにも手前味噌がすぎますね。(爆笑) 本日(8日)は故小渕首相の内閣・自民党葬が行われました。 すでにマスメディアは「非凡の凡人宰相」などといって、故首相を持ち上げていますが、よく考えてみれば、故首相の政治が結果を出すのはこれからです。 国民の将来にとって、大事なことをロクに論議もしないで、どんどん決めていったことを「仕事をした」と評価する人の気がしれません。 でも「仕事師・小渕」を褒め称える論調はすでに印刷メディアのそこここで現れています。 印刷メディアなんか無視して、自分の目で見たことを信じて、自分の頭でものを考えるしかないと思います。 どんな偉い肩書きの人であっても、いまは「世の中の底が抜けた」という乱世なのです。 信用するほうが、「バァーカ」と笑われるのが落ちだと思いますね。 ――などということを考えながら、「増鏡」と「保元物語」を読んでいます。 新しい世を迎えながら、まだ試行錯誤を重ねていた時代の「歴史書」(……じゃないと昔の学者さんは云いましたが、昨今の気鋭の学者さんは史料として使っています)を読んでいると、世の中の行く末が聡明な人間にはわかっていた「戦国時代の終わり」「幕末」「明治」という時代は良い時代だったとつくづく思います。 偉大な経済成長の時代でもあったわけですから。 しかし、残念ながら、現代はそうじゃない。20年前で、それは終わったのです。 いまは、新しい世の仕組みを模索する構築の時代であり、経済の大成長はもはや望めない時代です。 そんな時代だからこそ、昔の人はどんな風にがんばって生きていたのか、懐かしくなる。 わたしは、自分の最近の読書傾向をそんな風に考えています。 |
本日はかなり重たい本でして…… 日本古典文学大系(岩波書店)の「親鸞・日蓮」です。 図書館で借りました。 親鸞と日蓮の主要な著作をおさめているのですが、今回は親鸞の「消息文」(=手紙)と有名な親鸞の妻・恵信尼の「消息文」、それに親鸞の「和讃」を読みました。 これだけで、くたびれたので、本は近所の図書館に返してしまいました。(^^) 元気をとりもどしてから、再び残りにトライすることにしたいと思います。 こんな本を借りたのも、しばらく前から親鸞づいているので、ぜひとも親鸞が晩年に書いた和讃集を読みたいと思ったからです。 岩波文庫で出ているはずですが、いきつけの本屋にはありません。 そこで、図書館のお世話になりました。 親鸞の「和讃」は主要な三つの作品群にまとめられています。 「浄土和讃」「浄土高僧和讃」「正像末和讃」がそれで、三つまとめて「三帖和讃」といいます。 その他に、聖徳太子の偉業をたたえた「皇太子聖徳奉讃」というのもあります。 なぜ、聖徳太子にそれほど比重をかけたかというと、妻帯しながら仏教徒して修行するというインドにも中国にもない在家仏教の元祖として、親鸞は尊敬していたからです。 もともと聖徳太子は最澄を代表とする平安仏教の初期の担い手たちからも、仏教興隆の大恩人として神格化されていました。 親鸞はそれをさらに一歩すすめて、浄土宗の大先輩にしてしまいました。 比叡山を去って、法然のもとへいくことを決断したり、妻帯を決意するという人生の決断にあたって、親鸞が京都の六角堂にこもったことはよく知られています。 ここのご本尊は救世観音ですが、もちろんそれは聖徳太子の化身です。 親鸞は人生の決断において、夢で救世観音のお告げを聞くわけですが、当然親鸞にしてみればそれは聖徳太子のお告げでもあります。 夢でしかあったことのない聖徳太子ですが、親鸞にとっては人生の師でもあるのです。 生身の師・法然と同じように、夢の師・聖徳太子は、親鸞にとっては人生の師であるとともに、観音菩薩の化身として霊的な指導者(アデプトとかスピリチュアル・マスターとか云います)でもあったわけです。 法然と聖徳太子の「和讃」はじんとくるものが多いです。 増谷さんが現代語訳したものをひとつ引用してみましょう。 「知恵の光のかたよりぞ 源空うまれいでたまひ 浄土の真宗ひらきつつ 本願念仏ひろめたり」 源空というのは、法然の名前でして、この人の名前は法然房源空といいます。 だから公文書では「源空」と書かれています。 広大無辺な宇宙の叡智が光となって、凝固して、この世にひとりの菩薩があらわれた。 それがわが師・法然だというのです。 すごいことを云いますね。 「浄土の真宗」というのは、現代の本願寺や大谷派のことではなく、ほんとうの浄土宗の教えという意味です。 わが師・法然と自分だけが、浄土の本当の教えを理解した! なにごとかに生命を賭けている人間でなければ、こんな科白は吐けません。 時として、言葉を失なわせるところがあります――親鸞という人には。 この本に妻・恵信尼の「消息文」まで収録されていたのは、意外な収穫でした。 この文書は大正十年にはじめて、本願寺の書庫で発見されたものです。 分量はわずか10通くらいの短いものでした。 それにしても、これを読んでわかる親鸞の事蹟はほんのわずか。 吉川英治氏の「親鸞」がほとんど想像力の産物であるのも、無理はありませんね。 津本陽さんが読売新聞で親鸞を書くことになっていますが、雑賀一揆や和歌山県の歴史に詳しい津本さんでも苦労しそうです。 親鸞はその生涯で実際に何をやっていたかと探ってみると、わからないことだらけの人です。 べつに身を隠して天下国家を征服する陰謀を企てていたからではありません。 冗談です。すいません。(笑) たんに無名の庶民のなかで布教をして、生活していたからです。 この時代は、貴族と接点がなかった人の事蹟はぜんぜんわからないのです。 親鸞に比べて、師・法然の生涯のほうが詳しく知られているのは、法然は九条兼実・慈円という当代きっての文人貴族と交際があったうえに、多くの貴族たちから尊崇されていたからです。 見も蓋もない言い方ですが、貴族たちの日記が今日まで伝わっているおかげです。 それに比べると、親鸞は付き合う相手が上はせいぜい田舎武士で、下は貴族からみれば虫けら同然の農民・職人・商人ですから、当時の「偉い人たち」のメモ・覚書・日記のたぐいには親鸞のことが記録されなかったのです。 明治時代には、「親鸞なんて、ほんとはいなかったんだ」という学説まで登場しました。 もっとも、その学説はたちまち消えてしまいましたが…… とにかく、それだけ謎のひとでもあります。 津本さんがどう書くのか、興味津々です。 晩年に親鸞が息子・善鸞を義絶した手紙も、読むことができました。 角川文庫版「仏教の思想(10)」に引用されたそのままの短いものでした。 この文庫はよく出来ていて、増谷文雄さんの引用は、ほぼ原典そのままですね。 収録するために、適当なところでカットしていないという意味です。 親鸞の手紙は、とつとつした語り口ですが、心にしみる文章です。 晩年の親鸞は、容貌魁偉という他はない面魂の持ち主ですが、この文面をみるかぎり、よほど情愛の深い、優しい人柄に思えます。 優しそうで愛想がいい人が案外冷酷で、無骨で恐ろしげな顔つきの人のほうが心の底から親切で思いやりがあるのはよくあることです。 人はみかけによらない。 文は人なり。 たおやかで優美な顔の下には、トカゲやヘビのような冷血で無感動な心があり、山に棲む荒々しい熊や猪のほうが繊細で、熱い血潮にあふれた魂をもっている―― 正確には覚えていませんが、こんな言葉を隆慶一郎さんは残しています。 わたしはこの言葉が大好きです。 |
本日(5日)は、ぱらぱらと本を斜め読みしました。 読んだのは、 ・「孔子」(和辻哲郎) ・「王朝物語秀歌選」下巻の「風葉和歌集」 ・「増鏡」 和辻哲郎の「孔子」は意外に薄い本だ。 この本の特徴は、「論語」の講釈と、孔子の一生の概説が必ずしも主要なテーマではないことにある。 むしろ、論語の構成と原典の成立するプロセスを推理しているところが面白い。 その下敷きになったのは、東北大教授・武内義雄(1886-1966)氏が昭和三年に行った講義であるという。 武内氏の発想にヒントをえて、哲学者・和辻が西洋文献学の手法を応用して、「論語」を推理した。 まだ読みかけだが、このあたりの記述は国産の推理小説を読むよりも面白い。 知的推論の楽しさ……である。 武内義雄氏は和辻が聞いた講義からほぼ十年後に「論語之研究」という名著を書く。 これは先の講義をさらに深めた内容であり、「論語」研究に革命を起こした画期的な研究書だった。 和辻が「論語」を書いたのは、昭和十三年であり、「論語之研究」に先立つこと一年前である。 じつは武内氏はこれ以前には講義で明らかにした成果を論文のかたちでは世に発表していなかった。 和辻はてっきりそういう論文があるものと思い込んでいたようだ。 しかし、自分で調べた様子はない。いい時代である。 いまでは、そんな悠長な人はよほど怠惰な人でもないといないだろう。 とにかく、和辻は武内氏の講義で知ったアイデアをもとにして、西洋哲学研究で身につけた文献学で「論語」を読み解いた。 しかし、その一年後に武内氏の画期的な本が出たことを知ると、さっそく入手して読破した。 この気分は、本や雑誌にものを書いたことがある人間なら、よくわかる。 山伏がやる抜き身の日本刀を歩く行をさせられるような……恐ろしい気分である。 あれは、こちらに怖れがなく、すたすたと歩くと怪我をしないそうだ。 日本刀は押したり、引いたりしないと斬れないようにできている。垂直にちからがかかるだけでは、斬れないように研いであるからだ。 理屈はわかっていても怖い。 和辻はそんな気分だったに違いない。 結果は、そんなにハズれていなかった。中国文学者なら、めくじらたてて言い立てるかもしれないが、分野の違う和辻にしてみれば、それほどの問題とも思えない。 そこで、版を改めるときに、「論語之研究」の要旨を要約して、自説の訂正とした。 あまりにもアカデミックな「論語之研究」を詳細に論じることは、専門研究者ではない人々には煩雑なだけである。 素人には和辻の要約と、和辻の「論語」を読む比べるだけで充分だ。 哲学では、事実(データ)にもとづいて事実関係を推論する合理的精神の働きを「悟性」という。ドイツ語では《Verstand》(フェアシュタント)という。もともとは、知力・理解力・思慮・分別という意味だ。 ちなみに哲学では「理性」というものは、「悟性」とは区別される。 こちらは、ドイツ語では《Vernunft》(フェアヌンフト)という。 「悟性」が感覚的データに立脚して推論するのに対して、「理性」は直感にもとづいて思弁する能力をさす。 わかりやすく云えば、 「我思うゆえに我あり」というのは、「理性」の働きであり、 「リンゴが落ちた」という事実から重力の法則を発見するのが「悟性」である。 だから、「理性」は善悪の判断・神が存在する/しないという道徳や形而上学的な問題を扱う精神的活動である。 カントの著作を読むと、一ページに理性と悟性という文字がアリの大群のように群れていて、なれないうちは気分が悪くなる。 読んでいるうちに、これが快感に変わると……あなたもカント・ファンという訳である。 それはともかくとして、「悟性」という能力も、筋肉や反射神経と同じように、使うと楽しい。 ときとして、「悟性」を大いに使うのは、いくらへたくそでもテニスやバドミントンをやるほど楽しいものだ。 この国の文芸はどちらかといえば、感覚的刺激と情動を強要するところがあって、比喩は悪いが下戸が安酒を強いられるようなところがある。 この場合の安酒とは、たとえば醸造用糖類とアミノ酸・添加アルコールを大量にぶちこんだような味をさす。 そこへいくと、悟性の産物である和辻のような本は、糖分ゼロ・ノンアルコールの健康飲料みたいで、まことに具合がいい。 精神のダイエットのために、必要不可欠である。 和辻の「論語」の世界に心楽しく浸っている。 ところで、もはや悪夢に化した感がある「王朝物語秀歌選」とくに「風葉和歌集」だが、このごろやっと馴れてきた。 馴れとは恐ろしい。 退屈なのは相変わらずだが、頭痛はおさまった。 抗体ができたというべきだろうか。 こういうのを読んでいるから、和辻のような「悟性」の世界に浸りたくなる。 「風葉和歌集」を読んでいるうちに、ふと思い立って、本棚から「増鏡」をとりだした。 これは南北朝時代に書かれた歴史書で、四鏡(しきょう)といわれる「大鏡」からはじまって「今鏡」「水鏡」と続く一連の歴史書の最後である。 扱う時代は、後鳥羽上皇が承久の変を起こした頃から、鎌倉幕府滅亡までという激動の時代だ。 そのわりには、描かれてある内容は、鎌倉時代のしょぼくれた公家や朝廷の事件ばかりで、武士たちの合戦や幕府内の抗争は伝聞のかたちでわずかばかり載っている。 ここに描かれた時代は、大まかにいえば、「風葉和歌集」の時代に近い。 いま読み返してみると、「増鏡」の世界は衰退の色が濃い宮廷生活を克明に描いている。 これは、「風葉和歌集」編纂の実質的作業者だった宮廷女官たちの世界そのものだ。 らちもない宮廷儀式とファッションの記述が多いことは、「栄華物語」そっくりだ。 現代の無粋な読書人からみれば、うんざりするような美意識だが、後世のこの国の伝統文化にあっては、その残滓が異様なかたちで排水管のなかのヘドロやカビのように増殖していた。 突拍子もない連想かもしれないが、どうみても体育会系の現首相の口から「国体」(もちろん国民体育大会ではない!)とか、「天皇中心の神の国」という言葉が飛び出すに及んで、いよいよその感じを強くもった。 現首相の言葉尻をつかまえて選挙戦術に応用しようとする野党は、戦略的に稚拙だと思うので、このことについて、何も語る気はない。 だが、体育会系であるだけに、現首相はむしろそのへんのジイさんやバアさんの気分を代弁しているような気がしないでもない。 この国の大人が戦争をしている頃には、オムツをつけたり、鼻水を垂らしていた人々である。 首相の資質を欠いていると自民党の体育会系オジさんを叩く前に、自分らがはたして近代市民社会の構成メンバーとして、ちゃんとやっていける資質があるかどうか考えたほうが良いのではないだろうか。 鎌倉時代の古典を読んでいるうちに、われらが内なる天皇制ということにふと思い当たった次第であります。 天皇制というものは、先に挙げた定義によれば、感覚的データに基づくものであるよりは、道徳・形而上学の問題と理解されている。 現首相の言葉から、現代日本人の大多数にあっては、そんな風に捉えられているように思います。 これを歴史的分析という「悟性」にゆだねることは、いままでどうも上手くいっていない――それは何故か? このことについては、もう少し考えてみたいと思います。 |
日曜の夜になると、TV漬けになります。 NHK大河ドラマをみて、NHKスペシャルを観る中年の必勝パターンです。 昨夜はその後で梅酒を飲んで寝てしまいました。 うちの梅酒は漬けてから、もう四年くらいの年代物(?)です。 いままでは作っても、三ヶ月で飲めるようになったら、すぐ飲んでしまいました。 こんなにもったのは、初めてです。 おかげで、なかなか良いできで、チョーヤの梅酒ぐらいにはいけたかもしれません。 今年もホワイトリカーと青梅と買って、また作るつもりです。 今度は十年ものにしたいと思うのですが、まず無理でしょうね。(^^) TV漬けから、梅酒を漬ける話になる……展開としては、あまりにもみえみえで、感心しませんな。(笑) ところで、観た方も多いでしょうが、昨日のNHKスペシャルは「コンクリート高齢社会」というものでした。 はじめは何かの冗談かと思ったのですが、じつにそのまんま。なんのひねりも落ちもない、悪夢のような話でした。 学校、マンション、陸橋、高速道路、トンネルといったコンクリート建造物がぼろぼろと静かに静かに崩壊してゆくという……哀しくて切ない話なのです。 理由は簡単で、誰もが想像するとおり、手抜き工事のせいです。 こうした現象は、1970年代の高度経済成長時代に作られたコンクリート建造物に頻発しています。 理由は笑ってしまいますが、コンクリートに混ぜる水の量だそうで、文字通り水増しされたコンクリートが建物の重量に耐えられずに崩壊するだのだそうです。 突貫工事で、工期を急がせられ、品質がおろそかになった。 そこへもってきて、コンクリートを地上から高層へ巨大なホースで注ぎこむポンプ車という新技術が登場した。当然、ホースが途中でつまる。便秘と同じで、お通じがわるくなると、水気を増やして通りを良くする。この場合は、文字通り、水でコンクリートを薄めたのですが…… おかげで、工期には間に合う。クライアントは喜ぶ。請け負い元の建築会社も喜ぶ――というまことに目出度い結果になったのですが、それから20年たった今、建物は静かに静かに終焉を迎えています。 なんだかとても象徴的な出来事のように思えました。 仕事中毒の国ニッポン、社畜の国ニッポンというのは、将来をまじめに考えない行き当たりばったりのやっつけ仕事の上に成立していた――と、わたしは考えているのですけれど、つい最近までは「いままでは勤勉に頑張っていたんだ。無理を重ねて、勤続(!)疲労を起こしたんだ」とも思っていました。 でも、昨今の世相を見たり、ついでに自分の周囲の人たちの仕事ぶりを見るにつけ、どうも違うような気もしていたのです。 もともとやっつけでずさんな仕事をする癖が、日本人にはあるのではないか。 不遜ではありますが、そんな気がしてなりません。 まじめぶっているけれど、その心根はいい加減。そういう性格は、見た目も中身もいい加減という、首尾一貫した人々よりも性質が悪い。 日本人が高品質志向だというのも信じられなくなってきました。 革新的な発明では世界に通用する商品ができなかったから、凡人の発想として品質で勝負した。それが一時は世界を制覇した<メード・イン・ジャパン>の正体ではないか。 そんな気がします。 創造性のない人ほど、細かい規則や掃除・整理整頓で、点数を稼ごうとしますから。 だいたい第二次世界大戦前までは、<メード・イン・ジャパン>とは粗悪品の代名詞だったのですから。 たしかに、電化製品・自動車の分野では品質重視の戦略は大成功だったのですが、もともと薄い人材がそこに集中してしまった。 そのあげくに、土木・建築の分野では人材が不足して、品質無視という日本人本来の悪い癖が露呈してしまったようです。 NHKのドキュメンタリーでは、トンネルの崩落事故を起こしたJR西日本の調査員たちが金槌でとんかんとんかんコンクリートを叩いている姿を映し出していました。 これはもちろんトンネルを修理しているわけではなく、コンクリートの打撃音で異常を発見する調音検査というものです。 いっしょう懸命やっつけ仕事をした一世代前の人たちのお仕事を、四十代の人々がいっしょう懸命とりつくろっている。「けつを拭いている」ともいいますが…… 世代論がやたら好きで申し訳ないのですが、このやっつけ仕事をしたのが、いわゆる「団塊の世代」で、その尻を拭いているのが「しらけ世代」の四十代。なかなか面白い図式だと思います。 無茶をやった人のつけは、必ず誰かが払うことになるのです。 ところで、話は変わりますが、新聞・TVで三十代後半から四十代の人がいろいろ犯罪を起こしておりますね。 これは世代論というよりは、ライフ・サイクルの問題だとおもうのです。 つまり、倫理・人生・宗教といった形而上学的な問題にそれまでエネルギーを費やさなかった人々は、この時期(三十代後半から五十代初め)に深刻な精神的な危機に遭遇するということに、深層心理学ではなっております。 困ったことに、この精神の危機を言語化して、概念として自覚できるひとはほとんどいないそうです。 なんとなく、いらいらとした気分や、原因不明の軽い体調不良として現れるのですが、もちろん医者にいって検査しても「気のせいです」といわれるのが落ちです。 この時期は、男女ともに買春や汚職、不倫の誘惑にきわめて弱くなります。 いわゆる「魔がさした」という、自分でもわけのわからない衝動で人生をふいにしかねない。 まあ、犯罪を起こさなければめっけものという剣呑至極な時期ですね。 人間が長寿化したおかげで、この時期は「働き盛り」の時期に重なってしまいました。 内面はぐらぐらで、肉体はくたびれてよれよれ、それなのに生意気盛りの子供を養い、リタイアする先行する世代の尻を拭く、尻の青い後の世代の鼻水を拭いてやらねばならない。でも、上からも下からも、だれからも感謝されない。 泣けてくるけれど、これが四十代というもの。 この道はいつか来た道というわけで、世代ごとの申し送り事項なんだから、なんとか身体と頭を絞って乗り切るしかありませんね。 いま二十代や三十代のひとも、いつかは通る道です…… 手前みそになりますが、こういうヤバい時期を乗り切るには、読書がいちばんです。 どうせ皆が苦労して通ってきた道です。 そのお知恵を拝借しても、バチはあたりますまい。(笑) 読むなら、日本や中国の古典がいいですね。 さもなければ、モンテーニュとかパスカルとか。 こんなのを読んでいると、取引先のお客さんや、職場の上司、同僚、後輩、知り合いの誰それの顔が浮かんできて、はたっと思い当たることがたびたびです。 字面でなく、行間が読めて、ときには泣けてきます。 本の効能というのは、こういうところにもあります。 さて、昨日やっと「王朝物語秀歌選」の上巻を読み終わりました。 これは、同巻に収められている「風葉和歌集」の第八巻までです。 残りは18巻でまだ半分にも達していません。 先は長いです。 でも……ほんとに退屈で、われながらご苦労様だと思います。 たまに良いのがあるなと思ったら、「源氏物語」から収録されたものでした。 やっぱり、「源氏」は物語の王様、いや女王さまですね。(笑) |
昨日(3日)は難しい本はよしにして、「ハリー・ポッター」の原書二巻目を読みました。 今回も快調なペースで物語は進んでいます。 困ったちゃんの下級生とか、超ミーハーな教師とか、いろいろ出てきてハリー少年も苦労しております。 その分、前からのお仲間の影が薄いかも…… しかし、仇役のいじめっ子が父親に最新モデルの「空飛ぶ箒」を買ってもらって、ハリーとスポーツ対決する展開はお約束とはいえ、必勝パターンですな。 ハリーがどうやって勝つのか、いまから楽しみです。 ついでに、珍しく2時間ドラマを観ました。 主演・水谷豊の刑事ドラマです。 殺人事件にからんで冷酷な警察組織と、腐敗警官を描いているのですが、昨今の県警の騒ぎに慣れてしまった身としては、物足りなさが残りますね。 水谷豊は大昔からファンなので、文句はないけれど、脚本がもう少しひねってほしかったように思います。 暗ければリアルだと思い込んでいたり、SFまがいで暗い話が多かったりするので、このごろでは刑事ドラマはあんまり観ていません。 それよりも、男の若い俳優がみんな女の子にみえて困ります。 どうも日本人は平和になると、カマっぽくなるようです。 民族の習性とでも申しましょうか。 ホモでもいいから、もう少し男の魅力があるタイプは出てこないものでしょうか。 まあ、これは極論ですが。(笑) わが青春のヒーロー、松田優作も、息子さんはりっぱにカマっぽいですし。 かんべんしてほしいって、オヂさんは思います。 しかし、このごろの若い女のタレント(女優とは書きません!)は、不精ひげを生やした美形の男の子よりも「キタナい」(←悪意あり!)から、しかたがありません。 まるで、おすぎとピーコみたいな言い方ですが、身ごなしがとにかく「美しくない」感じです。 生物学的にオンナというだけで、「女性」を演じるのは無理。 演技はなによりも意識的な活動です。 いっそのこと、若いだけがとりえの女タレントは使わないで、きれいな男の子に女装させて「少年歌舞伎」みたいにしてしまったら……などと考えてしまいます。 男の宝塚ですな。 でも、シェークスピアの時代には、オンナ役はすべて少年俳優だったのです。 だから、オフィーリアもマクベス夫人もジュリエットも、全部美形の男の子。 それで、なんにも困らなかったようです。 もしもそうなったら、世の女性が怒る……いや、喜びこそすれ、怒る人はいないでしょうね。 どうも、このオヂさんはろくなことを考えません。(笑) ところで、「仏教の思想(4)」の「認識と超越 <唯識>」をまだ読んでいます。 一日一冊の鉄人読書日記というフレーズも、このごろでは、どうも怪しい。 「本のリスト」をごらん頂けば、おわかりのように、わたしは小難しい本や、時代遅れの本、ついでに誰も読みそうにない本に強く惹かれる習性があるので、こんなことになっています。 大目にみてやってください。 本日は、例の「論語を読む」を更新しました。 こちらも読んでいただければ、嬉しいです。 |
「絶望と歓喜 <親鸞>」(増谷文雄・梅原猛)をやっと読み終わりました。 ちょっと虚脱状態です。 親鸞を読むのは、ヘビーです。 お腹パンパンの超満腹でして、しばらく難しい本は読みたくない―― なんて、云いながら、角川文庫「仏教の思想(4)」の「認識と超越 <唯識>」という小難しい本を読んでいます。 「のりかかった舟だ、いっそ角川文庫版『仏教の思想』全12巻を読破してやろう」 という身のほど知らずな野心を起こしてしまいました。 でも、なんとかなる気がします。 大学時代にインド哲学を受講したことがありますが、そのときの教授は「説一切有部」や「中観派」の専門家だったらしく、この二大仏教学派についてやたらと詳しく講義してくれました。 でも、論理の流れから云えば、西洋哲学それもドイツ観念論なんかを少しかじっていると、とてもわかりやすいところがあります。 専門家にいわせれば、ド素人が何をほざくかということでしょうが、インドの学問的な仏教はドイツ観念論や深層心理学にとっても似ているので、煩瑣なアカデミズムの迷宮に迷い込む職業的必要に迫られている人でなければ、そんな理解でも充分良いのです。 わたしは、どたまが悪いくせに(いや、むしろ、それだからこそ)哲学的な話が大好きでして、ポルノ小説を読むくらい熱心に読みふけってしまいます。 ほとんど官能的快楽というんでしょうか。 親鸞のような日本的な情念の世界にどっぷり浸かると、わたしはアク抜きとしてロジックでがんがん押してくる本を読まないと気分が悪くなるのです。 「認識と超越」を担当しているのは、仏教学者・服部正明氏と哲学者・上山春平氏です。 上山さんという人は、こみいった哲学概念をきっちり整理してくれる奇特な哲学者です。 哲学者という人種は、人を煙に巻くのが好きなハッタリ屋が多いので、素人としてはなかなか信用できないのですが、上山さんは珍しい例外といえます。 楽しく「唯識哲学」を読ませてもらうことにします。 ところで、昨日衆院が解散して、今日から選挙活動が始まっていますね。 有名どころがかなり今期限りで引退するのは嬉しいです。 国会で昼寝しているような人や、病院から出て来れない人は問答無用で引退すべきでしょうね。 小選挙区になってから、小政党がほとんど消えて、泡沫候補もいなくなりました。 分裂を繰り返してきた某二政党なんかは、消滅してしまうかもしれません。 どっちも一時は天下を取る大政党だったのに。 世の移り変わりを実感します。 「祇園精舎の鐘の声……」 なんて、平家物語じゃないんですが……(笑) |
ギリシア語で<アクメー>という言葉があります。 「アクメ」というと、「(性的)絶頂感」という風に、エロ小説では使われていますが、ギリシア語の意味は「ある人が生涯でいちばん活躍した時期」を意味します。 ふつうは「男盛り」と訳します。 というのも、古代ギリシアは徹底的な男尊女卑社会なので、女性は社会的活動から排除されていたからです。現代なら、「働き盛り」とでもいったほうがいいようです。10年も前から企業社会・官界にも女性管理職が登場しましたから。 さて、では<アクメー>は何歳くらいかといえば、日本語の「働き盛り」が社会的にいちばん活躍できる時期として、40代から50代前半を指すのとは違って、古代ギリシアでは40歳前後です。長寿日本と違って、人生は短かったのです。 だいたいの人は、<アクメー>の時期に社会のなかでその人なりに活躍して、人生の幕を下ろすようになっています。 ところが、人によっては、<アクメー>の時期が全然違う人もいます。 例えば、親鸞が生涯でいちばん生産的な仕事をしたのは、74歳から86歳くらいだそうです。もし、親鸞が73歳くらいで死んでいたら、親鸞の著作はこの世に残らなかったのです。 いま私たちが知る親鸞の思想は、老いの身を貧しい信者の寄付でつなぎながら、せっせとしたためていた著書・手紙・和讃(=唱歌)によるものです。 親鸞は90歳で亡くなりますが、その業績は晩年のものでした。 物忘れがだんだんひどくなっていたころに、かえってその生涯を決算する文筆の仕事をしたいたのです。 なにが、老いた身で、そんな仕事をさせたのか? 仏教学者・増谷文雄さんは、いっしゅの使命感だといいます。 親鸞が流刑後に20年間の関東布教を終えて、京都に帰ってきたのは60歳をとうに過ぎた頃でした。 その頃には、法然の直弟子だった仲間はもう皆死んでいました。 親鸞は法然の教えを正しく伝えるのは、もはや自分しかいないという切なる思いで著述をしていたのです。 ちなみに親鸞の教えは「浄土真宗」ということになっていますが、親鸞は自分で新しい宗派をたてるつもりはありませんでした。 「浄土真宗」とは親鸞が言い出した言葉ですが、親鸞は法然の教えのことをこう呼んでいたのです。 親鸞にしてみれば、法然の教えそのものが天地の真理に思えたからです。 「おれがやらねば誰がやる」 70代・80代の親鸞に血を吐くような文章を書かせたのは、そんな覚悟でした。 唐突に話は変わりますが、司馬遼太郎さんの「街道をゆく(43):濃尾参州記」を読みました。 古い読者には、「シバリョウ」と呼び捨てにされ、少し学のある人からは「司馬史観! へっ」と云われていたこの人は、進歩派を自認する人たちからは今でも人気はありません。 「シバリョウ」嫌いが進歩派の踏絵であったりすることは間違いありません。 そのかわり企業人や政財界人には、ずいぶん人気のある人でした。 人の評価はどうあれ、わたし自身は司馬さんほどの作家はこれまで世界に現れたことはないと思っています。 この人と同じレベルで経済・技術まで目配りをした歴史記述者となると、おそらく司馬遷くらいなものでしょうか。 おかど違いかもしれませんが、ギリシアの歴史家ではヘロドトスが資質としていちばん近いような気がします。ローマではタキトゥスがだいぶ落ちますが、似ています。 国民作家としても毀誉褒貶といってしまえば、それだけの話ですが、絶筆となった「街道をゆく:濃尾参州記」を読むにつけ、この人は晩年になるほどエネルギッシュであったという気がします。 司馬さんが同世代やもう少し下の世代と決定的に違うのは、若々しい感性です。 不思議なことに、漢語を多用しているくせに、表現がジジむさくない。 ここが他の同世代の作家と違いますね。 それは、決して訳知りにならない――からじゃないでしょうか。 晩年の司馬さんは日本を覆う商業主義・(とくに土地を巡る)投機主義に心を痛めて、それを憂うエッセイを書いていました。 この本にも、そんな気配があります。 司馬さんは徳川家康の先祖を祀る高月院という愛知県のお寺が好きでした。 はじめて訪れたときの静謐で、清潔なたたずまいに心打たれたからです。 ところが三十年ぶりに「街道をゆく」の取材のために訪れると、そこは商業主義の喧騒に満ちていました。 聡明な司馬さんはそれが「町起こし」のためであることは了解していましたが、情において忍びないところがあったのでしょう。 最後にこんなことを書いています。 「わたしの脳裏にある清らかな日本がまた一つ消えた。 ……(中略)……、こんな日本にこれからもながく住んでゆかねばならない若い人達に同情した」 晩年の司馬さんは小説を書くことは辞めて、もっぱら対談や一人語りを本にしたり、エッセイや紀行文を書いていました。 トラック一台分の資料を用意して執筆するスタイルでは、変容する現代日本のスピードについていけないと思ったのではないかという気がします。 それも、これも「こんな日本にこれからもながく住んでゆかねばならない若い人達」を真剣に心配したからではないかとおもいます。 司馬さんのような人の<アクメー>を見るには、他の人の物差しはつかえないようです。 「竜馬がゆく」を書いて、日本の若い人達を励ましてから、亡くなるそのときまで、司馬さんは全力で駆け抜けた―― そのことは、司馬さんの愛読者なら、誰もが知っています。 |
© 工藤龍大