お気楽読書日記: 9月

作成 工藤龍大

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9月

9月19日(その二)

読書日記です。
ギルモアの「心臓を貫かれて」はなかなか重い。
ぱらぱらとページをめくっているだけで、くたびれます。
これに比べると、国産の馳星周は軽いもんです。

本屋で「虚の王」を立ち読みしたけど、こんなもんかなと思いました。
すさまじく暗澹としたストーリーなのに、軽快な感じ。
軽薄という意味ではなく、まるで無重力じみた、手ごたえのなさ。
あっさりとしたヴェジタブル料理の味わいとでも云いましょうか。
アメリカと違って、この国の闇は、とりとめのないセンチメンタルな空虚感なのかもしれません。

それに比べると、憎悪と拒絶が凝縮したアメリカの闇のほうがまだ親しみがもてる。
そう思うのは、変でしょうか?

とにかく、この本にはアメリカ家庭の最暗黒部がこれでもか、これでもかというほどに登場してきます。
その累積した軋みが、ついに実兄の犯罪として結実した――とでも、ギルモアは言いたいんでしょうね。
まだ読み始めたばかりなので、今後の展開が楽しみです。

この死刑囚ゲイリー・ギルモアの話を文豪ノーマン・メイラーが「死刑執行人の歌」という作品にして、ベストセラーになったことがあるそうです。
メイラーの良き読者でないので、そんな本があるとは知りませんでした。
ただ、その本ではギルモア家の”a skeleton in the closet”(家庭の秘密)は、明かされないままだったとか。
いよいよ興味が湧いてきました。

続きは、また明日。

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9月19日

ライオンの歯磨きのCMが、どうも気になっていたという人はいませんか?
じつは、わたしがそうです。
あの実写の男優にからむCGのオンナの子。どっかで見たような気がして……

20日づけの読売新聞で、もやもやが晴れました。
やっぱり、テライ ユキだったんだ!
どうりで――見覚えがあったはずだ。

ところで、あのCG人形がみょうにリアルなんですね。
それでいて、やっぱりグラフィック。
ベロを出して、舌垢(ぜっこう)を取るところなんか、どんな美少女でも人間だったら、そうとう気色悪い。
CGだから、生物体の気色悪さが払拭されている。
アニメよりは人間寄りだけど、生物ではない。そこがいいところです。

しかし、来るところまで来たなという気もしますね。
TVってのは、流行が陳腐化する墓場でしょう。
そこに登場するってことは、CGのヴァーチャ・アイドルも陳腐化する寸前。いいかえれば、一般大衆の意識の上で違和感のない「当たり前」になってしまうのが、目の前だってことです。
アニメが大人にとっても「当たり前」でなんの違和感もないものになったように、ヴァーチャ・アイドルもそうなる。

でも、なんとなく、そんな日は近いという気はずいぶん前からしていました。
藤原紀香や菅野美穂あたりから、どうもアニメくさいメイクだなって思いましたね。
藤原紀香はドラマ出演を始めた頃はまだ人間臭い(いいかえれば年齢相応の)メイクをしていたけれど、CMで売れるにつれてどんどんメイクが非人間化(=アニメ人形化)していっている。
もしもこの二人が今日いきなり死んでも、CG合成でなんとかなるんじゃないかという気がします。
とくにCMでは。

もっと凄いのは、浜崎あゆみでしょうね。
最近のポスター・CMでは、意識してCGそっくりにしている。
浜崎あゆみって、もしかして人間じゃないかも?
本人はとっくに死んでいて、CG合成した画像だけがエステのCMに使われていると云われても、ぜんぜん驚きませんね。

アニメっぽいアイドルのはしりといえば、やっぱり神田うのでしょうか。
「うの人形」がCMに登場したときには、感動しましたね。
人形とご本人がたいして違わない――って。
「うの人形」の強烈な魅力は、人形作家の造形力というより、「神田うの」という人の肢体・顔立ちの「アニメロイド」(アニメとアンドロイドから作った造語です)らしさのせいですね。

自分で作った言葉でいうのもなんですが、この頃人気のある若手女優は「アニメロイド」が多いように思います。
深田恭子とか田中麗奈とか。
なんか可笑しいなと思いつつも、彼女たちの顔に引き付けられる。
ジャパニメーションで育った世代のせいなんでしょうか。どうも我ながら自分の審美眼が信用できない。

そういえば、本屋に並ぶエロ・マンガも、アニメチックな絵ばかり。いまどきの青少年はあんなんで興奮できるんだなとむしろ感心します。
そういえば、「くりいむ・れもん」なんて、エロ・アニメもあったけ。

日本の男の子くんたちは、20年も前からアニメに発情するように教育されていたんだ!
いまや「アニメロイド」全盛なのも、無理はない。

でも、それは男の子くん(=三十親父も含む)オヤヂだけじゃないかも。
だってね、SMAPの香取と草薙だって、じゅうぶんに「アニメロイド」だと思うよ、わたしは。
それに、年上食いの藤原くんだって。
この国の女の子ちゃん(=中年オバも含む)たちも、やっぱり「アニメロイド」に弱いんだ、きっと。

この調子でいけば、究極の「アニメロイド」としてCGアイドルがブレイクする日は近い。
楽しみでもあり、怖くもありで、なんとも云えませんは。

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9月18日(その二)

読書日記です。
明恵上人は「伝記」と「遺訓」を読み終わって、有名な「夢記」を読んでいます。
ただ内容が雲をつかむような、幻視体験というべきものばかりなので、ひとに語るほどには読めていません。
はたっ、と何かわかるところが見つかってから、書くことにします。

これと平行して今読んでいるのが、マイケル・ギルモア「心臓を貫かれて」
この本はMLで紹介されて知ったのですが、アメリカの深い闇を感じましたという言葉に興味をそそられました。
本屋で見ると、訳者・村上春樹で死刑囚の実弟が書いたノン・フィクションなんですね。
信仰深いモルモン教徒だったらしい母に育てられた少年がなぜ凶悪な殺人犯になったのか。
翻訳ではひさしぶりに、手ごたえのある本です。

とはいいながらも、また別の本も読んでいるんです。
こっちは「不道徳教育講座」(三島由紀夫)。

テーマは軽い、軽い。
つい楽チンなんで、すいすい読めてしまいます。
禅の公案みたいで「なんじゃ、これは」と頭を抱えながら読む「夢記」や、あまりにも重過ぎるテーマにときどき頭が思考停止するギルモアとは違って、ほっとします。
あんまり難しい本ばかりを読んでいると、頭皮が血行不良になって、養毛剤に頼るしかなくなる。
――ということもありますから、こういう本は大事です。(笑)

三島という人は、意外にユーモア作家だったんですね。
青少年のころは、文学史の教科書と文芸評論家どもに騙されて、三島の暗い小説や男色っぽい小説しか読んでこなかったことが悔やまれます。
こんな面白い人だったとは。
わたしにとって、三島由紀夫はごく最近発見した作家です。
「金閣寺」とか「天人五衰」なんて名作小説を読む代わりに、エッセイやユーモア小説を読むべきですね、三島という人は。
楽しい気分になること間違いなしです。

「ウソが本当らしくみえればみえるほど、美しく見えるというのがウソの法則」
というアフォリズムには、唸ってしまいますね。
浅田次郎氏の作品なんか、まさにこれ。

ただ、こちらもこれを書いた三島の年齢よりは上になっている。
ちなみに、この本が週刊明星に連載されたのは、昭和33年。三島由紀夫33歳のときでした。
そうそうは感心してばかりもおられず、むしろ若々しい気負いについ口元が緩くなる。年を取るとは、こういうことですかね。

気になって年表を調べてみると、三島由紀夫は45歳で割腹自殺しています。
30代の頃にあった精神の柔軟性は、成熟には向かわずに、むしろ思春期に逆行したような感じがあります。
それを美しいと見るのは……ちょっと無理でしょうね。

三島由紀夫のユーモアの本質は、逆説的な言葉で幻惑しながら、じつは穏健な中産階級道徳を決して踏みはずさないところにあります。
かえって、そのギャップが面白い。本質的には、不良を演じる良家のお坊ちゃんタイプであるところが、この人の魅力だとしみじみわかりました。
なんのことはない、やっぱりこの人も石原裕次郎と同じ人種だったんだ。
ご本人は、裕次郎なんか馬鹿にしていたようですけど。

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9月18日

オリンピックですが、もうニュース番組でダイジェストしか観ない世界に突入してます。

それにしても、やっぱり人間のドラマですね、オリンピックって。
400メートル・メドレーで銀メダルの女の子は、表彰台でこけたのがもとで足を捻挫して、他の二種目は予選落ちだったとか。
メダルをとってはしゃいでる姿が、こっちの年のせいかとっても可愛らしく見えましたが、勝負の世界は非情です。
少しの気の緩みも許してくれない。
可哀想な気もするけれど、人生にどんな落とし穴があるかわかったもんじゃないという貴重な教訓を貰ったのはめでたいとも思います。
わたしなんぞ、いくら教訓をもらっても、ぜんぜん悟らなかったゆえに、この体たらく。苦労は若いときにしておくもんだと思いませんか?(笑)

35センチの大足で無敵だったオーストラリアの天才高校生イアン・ソープも伏兵の出現で金メダルを取りそこなう。
選ばれた人ってのは、大変ですね。わりと人生の早い時期に、大ショックを受けなきゃならないのですから。

オリンピックみたいにメジャーな話題はおいておくとして、ちょっと変わった話題をひとつ。
バングラディシュって、インドの東にある国のことはご存知だと思います。
旧名は東パキスタン。インド独立のときのヒンズー・イスラム分離政策のおかげで、イスラム教徒が東西に分かれて、パキスタンという国を作る。東西のあまりの経済格差にたまりかねて、東パキスタンはインドとパキスタンとの三つ巴の独立戦争をへて、バングラディシュという国を作った。

こんな建国事情からわかるとおり、極貧国として有名です。
膨れ上がる人口、食料不足。そして、近年の大洪水と、いいところなしの状態です。

貧困脱出には識字率向上がいちばんというわけで、フォスター・プランなんかが頑張ってます。

ところが、そのバングラディシュで女性起業家が増えているそうです。

日本に来たNGO代表グレ・アフルズ・マフブブさんによると、たとえ一家に現金が渡っても、バングラディシュの男どもは酒と賭博であっというまに使ってしまう。
イスラム教徒は酒が御法度だから、酒をおおっぴらに飲むのは、非宗教政策をとるトルコだけかとおもったら、バングラディシュの男もそうだとは意外でした。
現在では、イスラム原理主義の家元イランでさえ、国民はおおっぴらに酒を消費しているから、バングラディシュが例外ともいえないのかもしれません。

「なぜ女性企業家か!」という答えは、ここにあって、現金を持ったら、ヤギやニワトリを飼う・食品加工業をはじめる・総菜屋を開く……なんて建設的なことをするのはオンナの人だけなのだそうです。
オトコは酒とトバクにロマンを求め、オンナはちまちまと小金を稼ぐ。
人類の祖先が狩猟採集生活を送っていた頃から、全世界において普遍的な真理ですね、これって。(爆笑)

ところが、このことに意外な副産物があって、オンナが忙しくなると、子供を作っている暇がない。育てている時間もない。
そこで、結果的に産児制限が達成されたって!云うんですな、これが。

かつては「人口爆発」とまで云われた人口増加率も、いまや2%くらいで沈静化したそうです。

字を読めない女性に資金を貸し付けて、文字を学ぶ教育プログラムのおかげで、産児制限はできるし、経済を下支えする起業家がぞくぞく誕生するし、いいことばかり。

「だから、対外援助は女性優先にして」というのが、今回来日したマフブブさんの言い分。
このやり方を全世界に広めれば、南北問題も解決する。
と、マフブブさんは信念をもっています。

オトコであるわたしは、力なく笑うしかありません。
「だから、アナタ(貴女)も頑張って」って、それじゃ極妻から弁護士になったあの方みたい……じゃあ、ありませんか。

オトコの浪漫もいい加減にせいとは、それは厳しいバングラディシュの小母さんのお叱りでした…(泣)

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9月17日(その二)

読書日記です。
本日は「論語を読む」も更新しました。
見ていただければ、嬉しいです。

さて、本日は明恵上人から離れて、別の話題……であります。

そこで、読んだ本というか、正確にいえばムックなんですけど、それが朝日新聞社のAERA Mook「司馬遼太郎がわかる。」
結論からいうと、あんまりお薦めしませんね、これは。

書き手のほとんどが、なんとか大学教授・助教授という肩書きつきで、書いている内容といえばいい加減聞き飽きた賞賛と批判。
もう少し芸はないのか!と、司馬ファンなら云いたくなる。

自分の縄張りという、細いパイブの先から、司馬遼太郎という巨象を覗いている根性の狭さに暗澹とした気持ちがします。
「群盲象を撫でる」とは、まさにこれ。

こんな方々ばかりを選んできた朝日新聞社の見識を疑います。
ここも、組織が硬直化して、弾力的な発想ができなくなっているとみました。
マスコミ関係で次に経営危機に陥るのは、この会社だと思います。

それにしても、清水義範さんの「しばりょう的文体論」は、もう食傷気味です。
たしかに、初期の「しばりょう」文体の模倣で書かれたサルカニ合戦は面白かったけれど。

あんまり云いたかないけれど、
大手出版(マスコミ)社はいいかげん司馬遼太郎にたかるのを止めんかい!
……なんてね。

だったら、買わなきゃいいんですが、見逃せない寄稿が一本あったのです。
司馬遼太郎さんの資料採集と研究の第一人者、増田恒男さんです。
この人は、司馬さんが本人も忘れたかったに違いない20代に書いたユーモア現代小説を発掘した方です。
この人のおかげで、33歳で講談社倶楽部賞を受賞して世にでる前に、司馬さんが活字にした作品が次々と発掘されました。
おかげで、嬉しいことに、わたしも読むことができました。

増田さんという方は、横浜市役所にお勤めとか。
眼の不自由な人々のなかに、紛れ込んだ目明きいや、目利きというところ。

前に書いたことを翻すようですが、増田さんのような方が書く場所を作ってくれたということであれば、どうでもいい学者さんたちも無駄ではなかったかもしれない。

今回は、ファンの山伏哲雄先生(宗教学)や森浩一先生(考古学)についても、他で言い古した内容ばかりなので、点数はからいです、わたしは。
ただ学者さんたちのなかで、この人だけは良かったというのもあります。

それは、土木工学の宮村忠さん。
「司馬遼太郎さんと藤沢周平さんは、得意な川が違う!」
なんて――ことは、土木工学の専門家でなければ云えますまい。

宮村さんによれば、司馬さんは上流地帯の川の描写が上手くて、下流域になると、どうもそれほどの切れ味がない。
川について、独特の直感でものをいうときでも、上流の川については、専門家を唸らせるような発想があるけれど、下流ではぱっとせず、歯切れが悪い。

これと反対に、三角州のある河川や、ゼロメートル地帯の低湿地を描くと、ばつぐんに上手いのが藤沢周平さん。

普通の人は、そんなことは考えませんよね。
やっぱり、土木屋さんは凄いもんだとあほうのように感心しました。

だから、学者を呼ぶなら、そういう人を連れて来い!って、いいたいですわ、ほんとに。(笑)

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9月17日

「知ってるつもり」を観てしまいました。
なにせフジ子・ヘミング!
観ないわけにはいきません。

この人のピアノは、他の人とは全然違いますね。
わたしはクラシック通じゃないので、一流ピアニストなんて値打ちがさっぱりわかりません。これは誰の演奏なんて、わかってしまう通の人は素直に尊敬します。
知り合いに、楽譜を読めるクラシック通がいましたが、この人にかかると音の羅列がきちんと文法のようにわかるらしい。
しかも、ご本人はギター一本持っているわけじゃない。
音楽を鑑賞する能力というのは、わけがわかりません。
わたしはカラオケも全然駄目で、飲み会ではカラオケ禁止令が発動されちゃうので、うらやましいかぎりです。

つまらないことですが、フジ子・ヘミングに実弟がいて日本で俳優をしていたと初めて知りました。
なんと、それが大月ウルフ。
といっても、時代劇や東映特撮アクション番組に興味ない人にはよくわからんでしょうが……。

だいたい東映系の時代劇で、悪い外国人をもっぱらやっている俳優さんです。
記憶違いかもしれないけれど、あの(SFファンしか覚えていない)名作「スター・ウルフ」にも出ていたはずです。(笑)
とにかく特撮ファンには、なつかしい名前。
この人の姉が、フジ子・ヘミングさんだったんですね。

フジ子さん、と書こうと思ったけれど、どうも Lupin the 3rd のあの人みたいなので、やっぱりフジ子・ヘミングさんにします。

フジ子・ヘミングさんのお父さんは、スウェーデン人だそうで、母が音楽留学したベルリンで出会い、結婚したとか。
自伝を読んでおけばよかったのでしょうが、てっきりドイツ人だとばかり思っていました。

フジ子・ヘミングさんは30歳を過ぎて、ドイツへ留学。39歳まで鳴かず飛ばずで、思い切って世界的名指揮者バーンスタインに売り込んで、リサイタルを開く。でも、その一週間前に高熱を出して、聴力を失い、リサイタルは失敗。
この話は有名だから、知らない人はまずいないでしょうね。

聴力がやや戻ったところで、いったん帰国した彼女がなぜドイツへ戻り、その後15年間も無名のピアノ教師としてドイツの片田舎で暮らしたのか。
そのことは、知りませんでした。
事情を知って、びっくり……です。

厳しい母の愛というしかありません。あくまでも娘の天才を信じる母が、娘の奮起を願って、心を鬼にしてドイツへ追い返したとは!
四十歳をこえて、まだ無名の娘を、母親だけは信じていたんですねぇ。

フジ子・ヘミングさんのCD「奇蹟のカンバネラ」はうちにもあるので、あれからずっとかけっぱなしです。

ときどき思い出したように、じわりと涙が出てきます。
涙腺の痙攣性発作とでもいいましょうか。

この人の才能が開花するには、55年の時間と、世に打ち捨てられた苦悩が必要だったのかと、あらためて思います。
天才とは、それを持って生まれた人間にとって災難いがいの何ものでもない――とはよく言いますが、フジ子・ヘミングさんの生き方を知ると、そうとしか思えない。
でも、よくよく思いいたせば、ありとあらゆる才能とは、それがどんなつまらないものであっても、忍耐の代名詞でしかない。

いい年した中年オヤジのくせに、涙腺がどうも……
わたしは静かにガンバるバアさんが好きでたまらないのです。

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9月16日(その二)

読書日記です。
また明恵上人について書かせていただきます。

明恵上人は仏教の真髄を、「あるべきようは」という七文字を守ることだと言い切っています。
漢字で「阿留辺幾夜宇和」と書いていますが、意味としては「あるべき様(よう)」、つまり「○○らしく―しなさい」と言う事。
坊さんは坊さんらしく、俗人は俗人らしく、王侯貴族は王侯貴族らしく、家臣は家臣らしく。おのおの、自分の立場と仕事にふさわしい人として行動しなさい。
――ということです。
「あるべき様」を守らないのが、諸悪の根源だと断言するのです。

自分は、死後や来世において救われたいと思って修行しているのではない。
現世で、何よりも「あるべき様」を目指して生きているものだとも。

とにかく、ずるい振る舞いや、卑怯未練な生き方はしてくれるな。
仏教はそういう「けきたない心」ではいけない。
武士であっても、「けきたない」行為をしていると、世間から相手にされなくなる。
純粋な心で、修行に励め。

明恵上人はもともと西国武士の家に生まれたので、武士として「きたない振る舞い」はするなと教え込まれていたようです。
別の場所でも、こんなことを言っています。

わたしは武士の家に生まれたから、もし武士になっていたら、人から後ろ指をさされるような真似をしたら、おめおめ生てはいない。さっさと、死んでみせる。
仏門に入ったからには、世間と妥協して、なあなあで世を渡る法師になんかならないぞ。
「仏法の中にて大強の者にならざらんや」
もし、それができないのであれば、生きている甲斐がないではないか。

わたしはどうもこういう人に弱い。
英雄豪傑には興味もないし、出世した人・世に時めく人にも関心はありませんが、こういう気迫のある人は好きですねぇ。
こんな人に会いたいっと思うから、毎日飽きもせず本を読んで暮らしているのかもしれません。

明恵上人はこんなことも言っています。
およそ坊主どもは一日24時間、仏教のこと以外の楽しみに心を費やして、一日二、三時間のお勤めの時でさえ、心は上の空。
それで恥ずかしいとは思わないのか!
そんな坊主は、地獄へ落ちてしまえ――と。

明恵上人は優しそうな風貌に似合わず、禅家のように多分におっかないところを秘めていたようです。
こんな厳しさを失ってしまえば、どんな商売をしていても、つまらないものしかできないでしょうね。
明恵上人にどやされて、なんだか背筋がすこしシャンとしたような気がします。

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9月16日

すごい一日でした!
午後3時半から、TVに釘付け。

YAWARAちゃんの試合が気になって、他のことは手につかない。
武蔵丸が優勝したって、どってことないです。
相撲は先場所の若乃花引退に続いて、水戸泉も今場所で引退。寺尾が十両でがんばっているけれど……
いまいち関心が薄いですね。

おかげで、400メートル・メドレー田島選手の銀メダルまで見てしまいました。
こんなにTVばかり観ていていいのか。
時間に追われる鉄人読書家(笑!)としては、もっとしっかりしなければ。

それにしても、田村亮子選手の試合にははらはらしました。
準決勝での北朝鮮の選手の戦いぶりは、アトランタの決勝を思い出させるような戦法。
でも田村選手はしっかり対策を練っていたので、判定で勝利した。
あの戦法じゃ、あれしか勝つ方法はないでしょう。

この四年間があったからこそ、あの勝利はあったんだろうなと、試合終了後にはこっちまで泣けてきました。

そのリアクションなのでしょうが、アン・シモンス選手が北朝鮮の選手を破った試合には「思わず快哉を叫んだ!」と古臭くも、言ってやりたい気分。

この北朝鮮の戦法に比べれば、男子60キロ級決勝で野村選手に負けた韓国の鄭富競(ジュン プギョン)選手は立派だと思います。
キューバのポウロ選手の試合振りもよかった。男子60キロ級は意外な見ものでした!

YAWARAちゃんの決勝一本勝ちには、息が止まりました。
表彰式でのメダルにキスするパフォーマンスや、表彰式で表彰台から立ち去りかねている姿が眼に焼き付いています。

なんの脈絡もないけれど、
「ありがとう、YAWARAちゃん」
という言葉しか思いつきません。

なんで、ありがとう……なのか。
天才YAWARAちゃんでも出来ないことがあった。
でも、彼女は夢を果たした。

「勇気をもらう」という月並みな言葉が、これほど似合う場面もありませんね。

……
スポーツ無関心派のわたしが、シドニーで気になっていたのは、YAWARAちゃんの柔道だけ。
あとの競技は、もういいっ……て感じです。
結果が出れば目出度い。出なくても、オリンピックに行けたんだから、それでいいじゃないか。
行きたくても行けない人もいるんだし……。

わたしのシドニーは、この日でほぼ終わりました。

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9月15日(その二)

読書日記です。
といっても、明恵上人の伝記はお休み。

池袋の新刊書店で買った本の話です。
といっても、この読書日記だから、話題の本ではない……のです。(笑)
マイブームの講談社学術文庫で、前から欲しかったものを買いました。

古典の「西行物語」。
仏教関係の古典では、「八宗綱要」。それから、笠原一男氏の「親鸞」。
それから、岩波文庫で「どちりな きりしたん」を購入。

「西行物語」とは作者不詳で、あの西行の一生を描いた歌物語です。
鎌倉にはまっている身としては、見逃せないところ。

「八宗綱要」は鎌倉時代に凝念大徳(ぎょうねん だいとく)という学僧が著した仏教入門書です。
奈良仏教や、真言・天台の用語はこれでばっちり……ではないかと思います。

平家物語や、法然・親鸞の本を読むには、これぐらい押さえてないと、なかなかついていけません。
平家物語の原文や、「選択本願念仏集」や「教行信証」をちらりとでも見たことがあれば、あの仏教用語の羅列には畏れをなしてしまいます。
新書版の仏教概説書では手におえませんからね、あれは。

親鸞研究の碩学笠原さんの「親鸞」を買ったのは、好奇心の他にもうひとつ理由があります。
いま読売新聞では津本陽さんが親鸞を題材にして連載小説を書いています。
ただ、どうもタネ本がわかりすぎるくらいわかります。
法然については、これも講談社学術文庫から出ている大橋俊雄「法然」、親鸞についてはこの笠原「親鸞」じゃないかと確信しています。
記述がほとんど引き写しに近いからです。
ちょっと意地悪な気持ちで、「親鸞」を眺めると、いま連載がさしかかっている法然流罪のいきさつは、この本の引き写しですね。
自分の見方が間違っていなかったと独りで得意になっています。(笑)

ところで、「どちりな きりしたん」という本は、戦国時代に日本へ布教にきたキリシタンの教義問答集です。
隆慶一郎さんの大傑作「捨て童子松平忠輝」と「影武者徳川家康」を読んだ後では、歴史小説として安土桃山時代から徳川時代初期を扱うのであれば、キリシタンの動向を視野に入れないものは、存在する価値がないように思えてなりません。

だったら、自分も少しはキリシタンを知ろうと思って購入しました。

ただ買ったばかりで、読んでいない……
われながら、不勉強者であります。

心を入れ替えて、さっそく読んでやろうと思います。(^^)

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9月15日

全世界的な祭典シドニー・オリンピック開会式はご覧になりました?
わたしは、観ていません。(笑)
「日本選手団のユニフォームが日章旗の呪縛から、解放されたなーっ」  と、新聞を読んで感心した程度。

今日(9月16日)はYAWARAちゃんだけは観ることにしようと思います。

あとは女子マラソンか……
最終日だったかな、あれは。
それだけが楽しみです。

ところで、上野の国立博物館と東京都博物館でやっている「エジプト文明展」と「インダス文明展」へ行ってきました。
なんですね、こういうところに行くと、日本の文化状況をささえているコンシューマーは熟年世代だと実感しますね。ほんと。
昔元気に働いていた元ジャパニーズ・びじねすマンのお父さんたちは、ボロ雑巾のように休憩所の椅子で口を開けて寝ています。
「頭痛がしてきた」
「もう返ろうよ」
 と、奥さんに泣きを入れる頭の白い(または頭髪のない)お父さんがいっぱい。

それに比べて、大昔のお嬢さんたちの元気なこと。
眼をらんらんと光らせながら、黄金製の装身具にむらがるあたり、エネルギーが枯れてませんね。
それとか、いかにも嫁・姑の休戦条約締結中という感じの二人連れがいて、姑さんが嫁さんにTVで見た内容を講釈している。中年の嫁も、同じ番組を観ているので、内心ではふふんっと笑いながら、人目もあって神妙である。
美しい日本の原風景を見る思いです。

若いカップルがいて、男のほうがとんちんかんな講釈をして女の子に説明するのだけど、女の子のほうがよく知っていて、さりげなく訂正してやっている。

あーあ、この男の子も、あのお父さんたちと同じ運命を辿るのか……
なんて、少し暗い気持ちになりました。

こんな調子では、博物館側も、お客さんのターゲットを今時と大昔のお嬢さんたちに絞ってしまうかもしれません。
今回行く気はないけれど、国立科学博物館で「ダイアモンド展」というのを企画したのは、その前兆かな。
すこしブルーであります。

展示内容からいって、「古代エジプト展」はすばらしかった。
ついでに、人ごみも凄い。
定年退職したお父さんたちが、ふらふらになるのも無理はありません。

これは10月1日までなので、時間に余裕があれば、ぜひ行ってみてください。
今回は、吉村作治さんがカイロ博物館の倉庫から、あまり知られていない絶品を厳選した「がちんこ企画」です。
これを見逃すのは、末代までの損と申せましょう。
ただ、子供連れではもう無理かもしれません。
とにかく、すごい人の入りでありました。

いっぽう「インダス文明展」のほうは、展示品が少し見劣りします。
この文明の特色は、掌サイズの小さな土偶や、交易に使った印章やネックレスのたぐい。
とにかく展示物が小さすぎるのです。
エジプト文明展の巨像を観たからでしょうが、ちっこくてインパクトに欠けます。

ただ、よくよく眼を近づけてみると、その精緻さとデザイン・センスにはびっくりです。
細かい美術品やアクセサリーが趣味として大好きな人なら、お薦めです。

歴史の復習になりますが、厳密な意味でいうインダス文明は紀元前2600年から2000年くらいまで存続しました。
これは川水を巨大な人工貯水池に溜め込んだ巨大都市の文明です。
その原型となる文化は、紀元前3000年ころからありますが、これは初期ハラッパー諸文化という石器文化です。

他の三大文明と比較すると、
エジプトでいうと、三大ピラミッド建設で有名な古王国とほぼ同じ時代に消長し、
メソポタミアではバビロニアのハンムラビ王が出現する前に滅び去り、
中国文明では殷王朝が存在する500年まえに消滅したことになります。

これだけ古いから、その中身が幼稚に見えても仕方がない。

他の文明の展示物は、紀元前2600年から紀元前500年(エジプトの場合)の範囲で出展されていますから。
イエス・キリストの時代と、現代よりもタイム・スパンがある……ことになります。

「インダス文明展」は、12月3日までやってますから、急ぐことはない。
のんびり行って大丈夫……でしょう。
繰り返しになりますが、工芸品愛好家およびインド大好き人間なら、きっと楽しめますよ。

話は変わりますが、こういう博物館へゆくと、ほんと歴史が楽しくなります。
いま活字離れの影響からか、歴史離れも確実に進行しているところが、ちょっと悔しい。
この楽しさを、なんとか伝道できないものかと、HPの企画を考え始めています。

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9月14日

読書日記です!
気合というか、馴れというか……
とにかく二回目の更新です。(^^)

さて、いよいよ明恵上人の晩年について書こうと思います。
明恵上人は1232年に六十歳で亡くなっています。

ちなみに、鎌倉新仏教の先駆者・法然は、1212年に80歳で亡くなります。
明恵上人の同志だった解脱上人貞慶が59歳で亡くなったのは、翌1213年です。

鎌倉新仏教の関連でいえば、1232年の時点では親鸞が常陸国で布教をしているくらい。まだ道元が宋から帰国して数年。日蓮はまだ安房国の清澄山で小坊主でした。

鎌倉仏教をざっとおさらいしておくと、時代の主人公はこんな順序で登場します。
法然 −− 道元 −− 日蓮 −− 一遍

親鸞が入っていないじゃないかという、しごく妥当な疑問があるでしょうが、あの人は90歳まで生きたので、ずっと年下の道元よりも長生きしたのです。
生きていた頃はあまり有名な人ではなかったので、道元や日蓮、一遍は親鸞という人のことは知らんでしょうね。
ただ道元と日蓮は超有名人だったので、田舎にいた親鸞もその名前は聞いていたはずです。
六十歳を過ぎてから、親鸞は京都へ移り、そこで一生を終えたから知らないはずがない。

説明が長くなりましたが、鎌倉時代といっても長いので、ちょっと頭の整理を……というところ。

さて、孤高の瞑想者・明恵上人はあまり身体が丈夫ではなかったようです。
あまりの粗食に、寒湿甚だしい山暮らしが長いのだから、無理もありません。

身体の不調を訴えて、食欲不振に見舞われます。
なにせ、山菜の味噌和えを食べても美味すぎて気持ちが悪いと、障子の縁に溜まったホコリを舐めて口直しをした人です。
周りの人は目をまん丸にして、呆然としていたそうです。
もともと食には興味がなかった……といえなくもありません。

寝たきりになるのですが、それでも修行を止めない。
敷物の上で、座禅をしていたそうです。

すると、いつのまにか息をしていない。
弟子たちは、お師匠様のご臨終と思って泣き出します。
ただ不思議なことに、いつまでも体温は温かい。
弟子たちは様子を見ることにしました。すると、数時間後には眼を開けて、生き返りました。

弟子たちは、明恵上人から息が止まっても、あわてて埋葬してはいけないと念を押されていました。
そこで、師匠の教えにしたがって早すぎた埋葬をしなかったので、ほっとしました。

蘇生した明恵上人が言うには、山中で座禅して瞑想しているときには、よくそういう状態になったそうです。
今で云う幽体離脱ですね。

明恵上人は若いときから数日分の食料をもって、深山に分け入り、手ごろな木の枝や、岩を見つけるとそこで座禅をしていました。
栂尾高山寺のまわりの山で、自分が一度も座らなかった巨岩はないと豪語していましたから。

そんなことをしていれば、神仏や霊鬼がやってきても不思議はない。
しまいには、道場にホトケが顕現して、仏華が降り、芳香が漂ったといいます。
霊の物質化現象というべきでしょうか。
明恵上人の霊能力はいよいよ凄みをましてきました……
続きはまた明日。

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9月14日

昨日はいきなり二回更新が途切れてしまいました。
云っている側から、これだからもう……

そんでもって、本日はいきなり雑談モード。
昨日(14日)は、開会式を行う前に、シドニー・オリンピックのサッカー予選でしたね。
いったい、どうなってんのか。スポーツ情報弱者のわたしにはよくわかりません。
とにかく、日本が一勝したのは目出度い!

わたしはメダルなんて全然期待していないので(非国民!)、昨日みたいに薄氷を踏むような戦いを繰り広げてもらえれば満足です。(笑)

スポーツといえば、格闘系にしか興味がないので、楽しみなのは日本柔道だけ。
だから、YAWARAちゃんが出る初日でもうシドニーは終わりっ……なんて思ってますが、やっぱり非国民!であります。

ところで、このあいだの日曜日にNHKのドキュメンタリーで「ドーピング」の特集番組がありましたね。
どうも、あれを観て以来、現在の世界のトップアスリートがうさんくさく見えて仕方がない。
マラソンでは血液中の赤血球が普通よりも異常に多くなければ、もう世界では戦えないそうです。
高地トレーニングも、心肺機能を鍛えるわけではなく、血液中の赤血球を増やすためだとか。
わざと足場の悪い坂道をハイペースで走って、その衝撃で赤血球を壊す。その原理が凄い。足裏の毛細血管内を流れる血流中の赤血球を、体重の数倍の力がかかる衝撃で壊すのです。
すると、身体が赤血球を必死になって再生するので、血液内の赤血球が異常に増える仕組みです。

日本期待の星、犬伏選手も同じトレーニングを使っているとか。

そんなら、いっそのこと赤血球を人工的に増やしてしまえと開発されたのが、ドーピングの対象として指定されたEPOという薬品。

血液を変えない限り、闘えないとなると、もう科学的人体改造の他には手段がないでしょうね、やっぱり。

第二次性徴が発現する思春期に、大量の男性ホルモンを投与された東独の女子競泳メダリストは、いまや筋骨逞しい髭の中年男になってしまいました。
性同一性障害に悩んで、性転換手術をうけたのです。

あのソウルのヒロイン、F・ジョイナーもどうやらドーピングの副作用で急死したようです。

百メートルの女子ランナーたちの筋骨隆々ぶりもどうも怪しい。
あの裸足の少女ランナー、バッドの少女っぽい体つきと比べると、どうみても男子軽量級ボクサーのセミみたいな身体つきですからね。

20世紀最後のオリンピックを素直に感動しながら観るのは、わたしにはもう出来ません。
皆さんはいかが?

読書日記はまた後で。

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9月13日

本日は読書日記です。
ここんところ、気分がハイになって、掟破りの一日二回更新をやっていました。
午前中は雑談モードで、午後は読書日記。
気力が続くだけ、やってみます。(笑)

さて、昨日の続きです。
明恵上人の友達に、解脱上人貞慶という人がいます。
この人は法相宗の中興の祖といわれていますが、明恵上人もそうだけど、中興の祖という割には以後その宗派で有名な人がいない。
実質的には最後の華というところでしょうか。

解脱上人貞慶はもともと奈良の興福寺にいたのですが、この頃の興福寺というのは奈良県のほとんどを私有している大荘園主です。そこからあがる膨大な税収を背景に、武力を蓄え、近隣の農地を蚕食するのがもっぱらの仕事でした。
ここの武力集団である僧兵というのは、坊さんの格好はしているけれど、実質は荘園を預かる西国の武士たちです。そういう連中が寺の経営にたずさわっているのだから、まじめに坊さんをやろうとしている人たちは耐え切れない。
解脱上人貞慶は興福寺を出て、笠置山に寺を開きました。

明恵上人とはよく気が合ったようで、たびたび訪問しあったようです。
これはそんなときの話です。

解脱上人さんが来て云うには、妙な夢を見た。 それは、深夜寝ていると草庵の戸を叩くものがある。何者かと思って、出てみると、異形の化け物に囲まれて、尊げな老僧がいた。
何者かと聞くと、先ごろ物故した有名な僧だった。つまりは幽霊。

魔道に堕ちた仏僧の苦しみを教えて、世に警告して欲しいと化けて出たのです。
その苦しみとは、異形の化け物どもに身体を食われ、あるいは身体を切り刻まれ、時には全身を炎で焼かれる。鬼が現れて、舌を引き抜き、溶けた鉄を呑まされる。
もう死んでいるわけだから、いくら苦痛を味わっても死ぬことができない。
あっという間に生き返って、また繰り返し。
それも、時により手を変え品を変えて、やってくる。

こういう苦しみを受けるのも、仏僧として修行しながら、戒律を守らないせいなのだそうです。
先の拷問は、破った戒律に応じて行われるとか。

しかも、なまじい仏説を聞いているので、凡人のように地獄から人間や動物に生まれ変わってやり直すこともできない。魔道とは、地獄ではないからです。
修行によって、常人を超えた験力を身につけた僧だけが入る境地なので、仏弟子だった功徳もあって地獄界へ落ちることはない。
このどこが地獄と違うかという気もしますが、魔道に堕ちた霊は天狗・妖魔のたぐいとして凄まじい霊力を振るうことができるのです。この苦難はその代償ともいえます。

地獄さえ、救いに至る装置であるはずなのに、天狗・妖魔となった身にはそれすら許されない。

しかも、妖魔・天狗の寿命は長いので、「二劫」という期間は存在しつづける。
「劫」という時間観念を現代風にいえば、宇宙論的な時間で、今ある宇宙の寿命ぐらいと考えればいいんじゃないかと思います。
それが二つ分。「永遠とどこが違うのか」という気もします。

戒律を破るということは、つまるところは荘園制度で徹底的に世俗化した仏教界の実情です。
しかも、荘園を寄進された背景には、仏罰で脅した霊威の誇示がある。

「天狗になる」「魔道に堕ちる」とは、平安仏教界ではわりと良く言われたことで、空海の高弟だった真済・真雅を始め、実例には事欠きません。
先の老僧の亡霊に付き従った者たちが名乗りをあげると、解脱上人も知っている名前がぞろぞろ出てきたそうです。

まともな仏教を復興させようと努力していた解脱上人貞慶や明恵上人には、我が意を得たりという夢でした。

ただ明恵上人や解脱上人貞慶だけでなく、中世の坊さんにとって「夢」とは精神分析の対象であるよりは、霊告そのものでした。
異界からのメッセージなのです。

親鸞が京都の六角堂へ篭って、聖徳太子の夢告を受けて、法然のもとへ弟子入りしたり、一遍が那智権現の夢告で遊行を始めるとか、人生の岐路にあたって「夢」が決断の後押しとなった例は枚挙にいとまがありません。

明恵上人のいた時代では、大荘園の所有者となった有力寺院が世俗にまみれた領主となり堕落をきわめていました。
それに対抗するために、法然の浄土宗が登場したわけです。

ただ、旧仏教を改革しようとする明恵上人や解脱上人貞慶が、あまりにもラジカルな方向をとりだした法然の一派を弾圧する側に回ったのは残念なことです。

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9月12日(その二)

ふたたび読書日記です。
本日は、明恵上人が巻き込まれた大事件について……です。

1221年に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府追討の院宣を発して、挙兵しました。
これを承久の変といいます。
一時は都を制圧した上皇方も、鎌倉武士の大軍が上京してくると、あっけなく敗北してしまいます。

世を捨てた明恵上人に、戦乱がなんの関係があるかというと、上皇方の落ち武者を匿ったという嫌疑をかけられたのです。
秋田城介(じょうすけ)義景(よしかげ)という武士が、上人の住む栂尾高山寺周辺を山狩りして、明恵上人を捕らえ、上洛した鎌倉幕府軍の総大将・北条泰時のもとへ連行します。

なぜ落ち武者を匿ったかと詰問されると、上人はそんなことは知らない。しかし、鳥や獣にさえ慈悲を与える仏弟子なら、難儀をしているものを見捨てては置けない。栂尾山に落ち武者がいるなら、見逃してやってほしい。そのかわり、自分の首を打てと懇願します。

明恵上人の言葉に感動した北条泰時は、すみやかにその縄を解いて、以後は親しく教えを受けることになりました。
上人を捕らえた秋田城介義景を叱りつけ、罰しようとしたところ、かえって上人から罪を許すようにさとされて、北条泰時はますます上人へ尊敬を厚くします。

もちろん秋田城介義景も、上人の恩に感じて、やがて出家して、弟子となります。

ところが、この記述は注釈者によると間違っているそうです。
この事件を起こしたのは、秋田城介義景ではなく、その父・景盛です。
秋田城介とは、役職名で出羽国の地方長官のすぐ下。その次官クラスを意味します。
もとより、平安中期以後は出羽に土着した平氏の世襲する職でした。
鎌倉時代になると、安達氏の世襲職となり、秋田城介景盛とはじつは鎌倉幕府の重臣・安達景盛のことです。
この人は、じつは三代将軍源実朝の腹心で、実朝が暗殺されるとすぐに出家したのです。

鎌倉時代は、武士にとって油断も隙もない時代でした。
安達氏は北条氏と潜在的なライバル関係にあったので、政争に巻き込まれて、いつ潰されるかわかったものじゃない。
景盛がさっさと出家したのは、政争に巻き込まれるのを未然に避けたからです。
北条氏と共存していくのは、それほど難しかったのです。現に、景盛の孫・泰盛はついに北条氏の謀略で滅亡させられてしまいます。

安達景盛にしても、承久の変のときの果敢な明恵上人の姿を思い起こして、窮鳥懐に飛び込むの心境だったのでしょう。
北条氏の面々は表面は穏やかでも、肚の底は陰険な策士そろいですから。

ところで、明恵上人に帰依した北条泰時は、やがて父・義時の後を継いで執権になります。
その後、荘園を寄進しようとするのですが、そんなものを貰ったら、寺の弟子たちが堕落すると明恵上人は断りました。

オカルト方面で異常な能力を発揮する名僧というのは、この時代掃いて捨てるほどいますが、明恵上人のようにお坊さんとして、しごく真っ当なことを云う人はあまりいません。
いろいろ変わったことをやりながら、明恵上人が尊敬されるのは、そんなところにも理由があるのです。
それについて、面白い話があるのですが、それについてはまた明日。

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9月12日

関東で午前中に大雨が降ったと思うと、東海地方ではもっと凄いことになっていたんですね。
堤防が切れて、名古屋の町は水浸し。TV画面で見たら、ほとんど水没ですね。
新幹線も停まったきり。

いよいよ地球があぶない……
足立区では竜巻が起こって、住宅・工場21棟が損傷したそうです。

こうなると、やっぱり科学方面にももう少し頑張ってもらいたい。
……なんて、一般人の要望をさっそく汲み上げたのか、やってくれました!
宇宙開発事業団では、気象観測用衛星のデータを公開するHPをオープンしたという報道がありました。
「TRMM Webサイト」という名称です。英語版もあります。
URL:(http://www.eorc.nasda.go.jp/TRMM/index_j.htm)(00年9月12日現在)

さっそくアクセスしてみました。

やたら気象データがあるので、ずいぶん役にたちそうです。
でも、一般人にはただの天気予報で十分だという気もします。(苦笑)

人工衛星のデータを、自分のパソコンでリアルタイムに見ることができるなんてつくづく凄い……と思いません?
カーナビなんていうのも、同じ類ではありますが、今回のに比べると今ひとつSF的インパクト(!)に欠けます。(笑)
中学生時代からはまったSFですが、パソコン・携帯無線機という具合にかつてのSFアイテムがどんどん現実のものになっています。
遺伝子改変だって、もうビジネスの対象ですからね。

運動選手のために、異種の生物の遺伝子を組み込む研究も盛んだそうですが、これには笑ってしまいます。
NHK番組で見たのですが、その研究者はガマガエルで実験していました。
もしかしたら、この人、ショッカーの怪人を作りたいんでしょうかね!
「恐怖!!ガマ男のオリンピック優勝作戦」なんてね。
ものには、限度があるような気がしますけれど。

話は変わりますが、このところ偉い人がどんどん亡くなります。
ついこの間も、日本史学者の水野祐さんと、聖書学者の関根正雄さんが亡くなりました。

水野祐さんといえば、古代史ファンの常識「三王朝交代説」を唱えた人。
日本古代史に興味のある人で、水野さんの名前を知らないようでは、モーニング娘の名前を云えないモー娘ファンみたいなもんです。……
いや、これは例が悪かった。訂正します。
あんなに、頻繁にメンバーが変わっていたら、わかんなくても仕方がない。(苦笑)

関根正雄さんといえば、名著「旧約聖書の文学史」や岩波文庫の「創世記」「出エジプト記」「ヨブ記」の翻訳で有名です。
日本において、旧約聖書学を一気に発展させた方でした。
中近東マニアとしては、著書を通じていろいろお世話になりました。

つつしんで、お二方のご冥福をお祈りします。

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© 工藤龍大