ずっと読んでいる明恵上人の伝記です。 さすがに耳を切り落とした後は自損趣味を止めたようですが、その後も霊物との交渉は続きます。 お経を上げていると、むこうからやってくるから大変です。 またやんごとない公家のところで法事をしたり、神社仏閣で法事をすると、たちまち童子や巫女に神仏が憑くのだからすごい。 まるでエクソシストみたいです。ただし、この場合出てくるのは良い霊ですが。 明恵上人が説法すると、聴聞している人々の中から、いきなり反吐を吐いたり、下痢をしまくる人が現ることもあります。 他の資料でみると、この時代、下痢すると大変です。 縁側(このころは庇《ひさし》と云います)から、尻を剥き出しにして、中腰でぴゅーっと空中高く放出するのですね。 男だけじゃなく、女もそう。 なにせ、この頃の俗人の屋敷にはトイレがない! トイレを「かわや」というのは、仏教寺院で、川水を引いて水洗便所にしたなごりです。 もともと古代では、身分の低い一般人もれっきとした「かわや」を使っていたようなのですが、平安時代になると山岳にある仏教寺院の他は、トイレがなくなったのです。 貴人はどうしたかというと、特別な箱に入れるのですね、これが。 これを、樋筥(= ひのはこ)と云います。 芥川竜之介の短編に、恋をあきらめるために恋人の大便を入れたこの箱を手に入れようとする男の話がありますね。あんなもんです。 明恵上人の説法はそんな具合で、大変汚くなったのかもしれません。でも、おかげで病気が治ったと、ますます人気が出るからたいしたものです。 そんなことをしているうちに、明恵上人の名声はあがる一方ですが、ある大事件に巻き込まれてしまうのです。 それについては、また明日。 |
世の中は広くて狭い。 人間知らないことってのは、いっぱいあるもんだ。 のっけから、つまらない話で恐縮です。 じつは、意外な事実を知って驚いています。 といっても、ミステリ好きの人には常識なんでしょうが…… ミステリにうといので「そんなことも知らなかったの!」と笑われても仕方ないです。 「本の雑誌」発行人の目黒孝二さんという人がいますね。 椎名誠のエッセイの常連だし、ふつーの本好きの必須アイテム「本の雑誌」の発行人だから、知らない人はまずいないでしょう。 いっぽうで、ミステリをやたら読みまくる書評家・北上次郎という人がいる。 どういう人かはわからないけれど、その辺の週刊誌を手あたり次第に開くと、書評のページになぜか書いている。 そうなると、いくらミステリ無関心派でも、この人がその筋(?)ではかなり有名な人だとわかります。 そういえば、ダ・ヴィンチだかなんだかで一日二、三冊のペースで本を読みまくる書評家として紹介されていたのを思い出しました。 ダウンジャケット姿の写真も、見たように記憶しています。 「本の雑誌」を愛読している普通の本好きなら、常識だったんでしょうね。 北上次郎さんと、目黒孝二さんが同じ人だってことは。 「本の雑誌」の愛読者でもなく、最近の椎名誠作品の愛読者でもないおかげで、もしかして日本の常識かもしれないこの新(!)事実をごく最近知りました。(笑) もっと正確にいえば、昨日の夕刊を読んで知ったのです。 目黒さんには、もうひとつ競馬評論家という顔もあるようですね。 そっちには、興味がないので、競馬評論家としてのペンネームは覚えていません。 目黒さんが新聞に載ったのは、「本の雑誌」のWEB版を9月から立ち上げたからです。 タイトルは「WEB本の雑誌」と云います。 念のために、アドレスを書いておきます:(00年9月12日現在) URL (http://www.webdokusho.com/) サイト・オープン記念として、「対談 椎名誠/目黒孝二『こんなSFを読んできた』」という対談があります。 椎名さんはまだSF新刊本をせっせと読んでいるそうです。 もとSFファンとしては、素直に偉いなぁと思います。 しかも、「SFの新刊が出ると必ずチェックする?」と訊かれて、「うん、でもつまらないよ」と答えるあたり、ますます偉いと思います。 わたしの知るかぎり、SFファンのなれの果ての多くは、手にとってぱらぱら読んで、後ろの解説を見ると、そっと本棚に戻して記憶をデリートするのが普通だからです。 つまらないと思うためには、いちおう読まなくてはいけない。 そこまでのエネルギーはないようです。 少なくとも、SFというジャンルに対する信頼がなくなってしまったせいかもしれません。 もとSFファンとしては、「こんなSFを読んできた」という対談より、「このSFが面白い」というほうが読みたいものです。 でも、SF&出版業界人の宣伝は……ダメでありますよ、やっぱり。 読書日記はまた後で…… |
どうも日記が長くなる傾向がありますね、この頃。 読書日記を書かなけりゃという強迫観念にとりつかれているせいかもしれません。 さて、和歌山県の苅磨(かるま)島に手紙を出した明恵上人の話の続きです。 昨日の日記の字は間違っておりました。 訂正しておきました。 この日記は字句のポカが多いので、気がつくたびに訂正することにしています。大笑いです……。(泣) さて、この島は紀伊水道に面した湯浅湾に浮かんでいます。いまは「刈藻島」というそうです。 この島を遠望する和歌山県有田郡湯浅町には、明恵上人ゆかりの施無畏寺というお寺があって、その後ろの山に上人は草庵を結んでいました。 耳をばっさりやったのも、ここの草庵です。 自虐マニアであり、神秘体験の達人というのは、日本よりも中世ヨーロッパのキリスト教聖人のほうに例が多いようです。かれらは人里離れた修道院で、孤独と瞑想の世界に浸っていました。山の上の草庵に住むのが好きだった明恵上人が、やることなすこと日本人ばなれしているのも、そんな中世ヨーロッパの隠者めいた風貌があるせいかもしれません。 ところで、先日の話に戻ると、なぜ明恵上人は苅磨島に手紙を書いたのか。 伝記を読み進むと、ここで明恵上人は文殊菩薩にあったのです。 しかも、親しく教えを聞いたと自分で云っています。 この人は身分の上下を問わないだけでなく、動物や無生物も、「こころ」をもった生き物と考えています。 だから……苅磨島も、自分と同じく親しく文殊菩薩から教えを聞いたと考えているのです。 地質学的存在である島へ出した手紙だからといって、幼稚な内容を連想するのは大間違い。 難しい経典の語句を縦横にちりばめ、さながら高僧が同じレベルの高僧に問答をしかけているような趣があります。 弘法大師空海が伝教大師最澄に、経文の貸し出しを断って、絶好宣言した「風信帖」なんて手紙よりもずっと風格があるのです。 それだけではありません。 明恵上人は朝廷と鎌倉幕府の暗闘や、土地争いを繰り返す日本にほとほと嫌気がさして、インドへ渡航しようと企てたことがあります。 すると、体調が一気に悪くなって、寝込んでしまいました。 そこへ、霊物(神や霊鬼)がどんどん現れて、上人へ日本へ留まるように懇願したのです。 明恵上人は、天命を思って渡航計画をやめました。 しかし、釈迦の生まれたインドへの思い断ちがたく、この苅磨島へ滞在したときには西の沖にみえる島影をインド(天竺)だと思って伏し拝んだとか。 和歌山県の刈藻島(=苅磨島)から西といえば、四国の徳島ですね。それとも、西北にある淡路島でしょうか。 苅磨島は、そういう意味でも、懐かしい場所といえます。 アブナい坊さん、明恵上人はこれからどうなるのでしょうか。 その続きはまた明日。 |
なにはともあれ、Yahoo!登録です。 いつも読んでくださっている皆さんには、空更新したと思われるかもしれませんね。 申し訳ない。 さりげない客引きであります。(笑) 登録されたといっても、この読書日記ではなく、トップページ。 なんだか詐欺みたいだけど、怒らないでください。 さてと、読書日記はまた後でアップするとして、趣味(……というか苦行というか……)の新聞切抜きで気になる記事を発見しました。 朝日新聞社のグラフ雑誌「アサヒグラフ」が10月4日で休刊するんだそうですね。 こういう老舗雑誌は、いくら売れなくても未来永劫続くものだとばかり思っていました。 大正十二年(1923年)創刊で、最終号は4105号になる予定とか。 創刊78年の老舗の終焉です。 シドニー・オリンピックが最後の華となるのですね。 それだけで驚いていてはいけなかった。 20世紀最後の快挙(?)ともいうべき荒俣「世界大博物学図鑑」を出した平凡社の「太陽」も、11月12日発売の12月号で休刊してしまうとか。 しかも、自社ビルをうっぱらって、社員の一部をリストラしてしまう。 荒俣宏氏が寝泊りしていた編集室もなくなるのですね。 しかし、自称ホームレスというわりには、元スッチーと結婚などしている荒俣氏を心配する必要はすこしもありませんが、平凡社がどうなるか心配ですね。 あそこの東洋文庫は単価が高いのが難点ですが、いずれ全巻読破したいスグレモノです。 単価が高いとはいえ、費用対効果を考えれば、驚くほど安い。高いと思うのは、わたしが貧乏人だから……であります。(泣) とにかく、「平凡社 へようこそ」という冴えないサイトをみただけでも、将来がほんとうに心配になります。 出版不況がこれほど深刻だとは…… 暗然とした気持ちです。 平凡社のような、固めの良い本屋さんは、なんとか持ち直してもらいたいものです。 読書日記は、また午後にアップします。 常連の皆さん、読んでやってくださいね。 |
ちょっと外出していたので、更新が遅れました。 更新時間が遅れるとてきめん読んでくれる人が減りますね。 それにしても、普段あまり書き込みがないのでほったらかしにしているうちの掲示板「よい書っ! コラっ書」に書き込みしてくれた方がありました。 「たけのこ」さん、ありがとうございます。 あんまり書き込みがないので、掲示板を見ないことが多いのです。本日はじめて書き込みがあったことに気が付きました。 吉川団十郎さんの話でレスがあったとは、嬉しい限りです。 「たけのこ」さんのご指摘とおり、わたしもほぼ同じ年です。正確に言えば、1958年生まれであります。 |
さて先日大騒ぎしたYahoo!の顛末です。 そろそろ登録されたかなと思って、Yahoo!Japanで確認してみました。 このサイトのトップページは、 ホーム > 地域情報 > 世界の国と地域 > オーストリア > 芸術と人文 > 人文 > というジャンルで登録されていました。 URLは: http://www.yahoo.co.jp/Regional/Countries/Republic_of_Austria/Arts_and_Humanities/Humanities/History/ Yahoo!の説明を読むと、オーストリア史の年表として登録されていたんですね。 いや、驚きました。 トップページにある「オーストリア関連年表」は、もともと精神分析の創始者フロイトのバックグラウンドを調べるために、自分用に作ったものです。 フロイトの生涯を調べたついでに公開しちゃえと気楽に載せました。 こっちが評価されて、渾身の研究成果だったフロイトの生涯のほうは…… 世の中なにが起こるかわかりません。(泣) とにかく、これからもしぶとく更新しつづけようと思いますので、よろしく。(笑) |
さて、明恵上人一代記もそろそろ後半に突入しました。 長い間中断していた耳そぎ事件に、話題を戻したいと思います。 財政問題で揺れるお寺に嫌気がさした明恵上人は、深山の峰に草庵を結んでひたすら座禅修行を続けました。 華厳宗のお坊さんではありますが、明恵上人は禅僧みたいなところがあります。 後の話ではありますが、日本に禅宗をはじめてもたらした栄西という臨済宗の開祖は、明恵上人の悟りの境地を認めて、ぜひ自分の法灯を継いで欲しいと懇願したと云います。ただ明恵上人から断られたので、弟子たちに遺言して自分の亡き後は明恵上人に教えを乞うように命じたほどです。 それはそれとして、どうもこの草庵の修行は厳しすぎたようです。 寒さと湿気がすごいにもかかわらず、暖かい食事はとらず、塩や味噌もとらなかったのです。 どうやら、おかげで栄養失調やカリウム不足なんかをきたしたらしく、粘液便をおびただしく下して寝込んでしまいます。 耳そぎをやってしまったのは、まだ寝込むまえのことです。 最初は世間から名僧として尊ばれるのが嫌さに、耳だけでなくもっと凄いことをしようと思ったのです。 両目をくりぬき、鼻を切り落とし、耳をそぎ、手足をぶった切る。 ――と、これだけやれば、世間も片輪者の自分を相手にすることはあるまい。 ほとんど自虐マニアといっていい覚悟だったのです。 ただよくよく考えてみれば、両目をくりぬけばお経が読めない。鼻を切り落とせば、お経を読んでいると鼻水がぽたぽたと落ちるだろう。手を切れば、密教で大事な「印」を結べなくなる。 そこで他の器官を自損することは止めたのですが、耳を切ったところで聴力がなくなるわけではないと覚悟をきめて、右耳をばっさり落としました。 いくら自虐マニアでも痛いものは痛い。さすがの明恵上人もつらさに泣き出したそうです。 しかし凡人ではない(あるいは精神分裂病者のせいか)明恵上人の夢枕には、霊人が慰めに来てくれたりします。 耳を切った翌日、お経をあげていると、仏典に記載されているホトケの宝殿にいつのまにかトリップしていて、霊人たちと仏教の祭典に参加して法悦を味わったり、とにかく普通ではありません。 やっぱりこんな暮らしをしているのを案じてか、師匠にあたる文覚上人が高尾山神護寺に呼び戻します。 この文覚というのは、平家物語で頼朝に平氏打倒をそそのかすあの怪僧です。 どうしてこの人の弟子に、明恵上人のような優れた人がいたのかは日本仏教史の七不思議のひとつです。 ただ荒行で死にかけたときに、救ってくれた人に向かって、「余計なことをしてくれた」と怒ったような文覚ですから、明恵のアブナさが気に入っていたのかもしれません。 高尾山神護寺に戻ってからも、明恵上人の奇行は続きます。 エピソードもいくらもありますが、なんといっても凄いのはこれ。 紀州の苅磨(かるま)という島に手紙を書いたことです。 使いのものはあっけにとられて、どうやって手紙を島へ届ければいいのですかと聞くと、 明恵上人はすました顔で云います。 「島に着いたら、栂野の明恵から手紙が届いたよといって、その辺に捨てて帰ってくればいいよ」 いったい何を考えているんでしょうか。 それについて、考えたことがありますが、そのことはまた明日。 |
さて、気分を一新して読書日記を書きます。 オウムなんぞ、来るなら来い!です。(9月5日と9月6日の日記参照) 昨日は長い間探していた本を購入しました。 岩波文庫の「親鸞和讃集」です。 以前、この日記で書いたように (6月6日の日記参照)、図書館で借りて読んではいますが、やはり良い本は手元に置きたいもの。 おかげで、いつも親鸞自作の詩を読むことができます。 本てのは、原則的に手元に置いて愛玩するもの……だと思いません? ついでに、講談社学術文庫の「今物語」も購入しました。 鎌倉中期の仏教説話集ということですが、それを知ったのはこの本を買ってから。 そもそも、こんな本があるとは知りませんでした。 なぜ、国文科の出身でもないのに、こういう本があると分かったかといえば、いま読売新聞で津本陽さんが連載している「弥陀の橋は」という新聞小説のおかげです。 新聞小説も馬鹿にはできません。(笑) もちろん、冗談ですよ! 作者は藤原信実という歌人です。この人は肖像画家としても有名で、後鳥羽上皇の肖像画はこの人の作品です。 お父さんも藤原隆信という有名な画家で、国宝にもなっている源頼朝像や平重盛像はこのお父さんの作品。それだけでなく、歌人としても有名で、父親こそ違いますが、隆信は藤原定家の異父兄でもあります。 ところで、講談社学術文庫というのは、なかなか侮れないですね。 全訳注つきの古典を出してくれるかと思えば、定評ある学術書で絶版の憂き目にあったものを次々と出してくれる。 ほんとうに有難いと思います。 岩波現代文庫もそんなところがありますが、なにせ自分のところで品切れ絶版にした単行本を形を変えてリニューアルしただけ……といえないこともありません。 文庫にしたところで、単行本のときとそんなに価格が違っているとも思えない。 二子山部屋のおかみさんから訴えられているとはいえ、講談社も偉いじゃないかと、わたしの内部評価はあがりっぱなし……です。 講談社学術文庫は、いまやマイブームといっていいでしょう。(大笑い) ところで、中断している明恵上人については、明日書くことにします。 いつも読んで頂いている皆さんへ、嬉しいお知らせがあります。 というよりも、嬉しいのはわたしだけかも。 ここのページが<Yahoo!Japanに登録されることになった!>のです。 本日(9日)、Yahoo!Japan のサーファーチームから連絡がありました。 自薦しても全然ダメだったのに、こんなこともあるんですねぇ。 とにかく嬉しい……この一言であります。 あと36時間後には登録が終わっているとのことなので、もう少し待ってからお知らせしたほうが良かった……かな。 でも、やっぱり、ついつい黙っていられなくて(ポリポリ)…… 読書日記のほうは、午後にでもアップしますね。(^^) |
どうも明恵上人の本について書く気になれません。 本のほうはせっせと読んでいます。 ただオウム問題で、自分自身の懐の狭さを改めて思い知ると、こんな自分が明恵上人についてどうこう言う資格はない……と考えざるをえない。 そっちの問題に整理がついたら、明恵上人の本へ立ち戻ろうかと思います。 オウム転入問題ではひとつ進展がありました。 本日の読売新聞地方版では、メディアへの対応にぬかりがないオウム側が、さっそく集団転入はしないように信者を指導するとコメントを出していました。 須田・新座市長は「こちらからの投げかけに真剣に答えてほしい」と回答していました。 あっぱれ、天下無敵の優等生的回答という他はありません。 日本じゅうの自治体の首長は見習いなさいと、オウムでは声を大にして説教したいところでしょう。 ただ住民感情は納得していないようですよ。といっても、我が家のご近所だけしかわかりませんが……(笑) ところで、久しぶりに新聞の切抜きをしました。 けっこう時間がかかりますね、これは。 立花隆氏の秘書さんが午前中いっぱい切り抜きにかかりきりになるという話を読みましたが、無理もありませんね。 わたしも草臥れました。できれば、自分ではしたくない作業です。(笑) しかし自分がやらずに誰がやるっ…… ところで、珍しい人の記事が出ていました。 読売新聞の生活欄ですが、なつかしのシンガーソングライター(……って、もしかして死語の世界?)吉川団十郎さんです。 まあ、インターネット世代の人は記憶にないでしょうね、吉川(きっかわ)団十郎なんて。 なにせ、24年前に大ヒットを飛ばして、ふっつりと消えた歌手ですから。 その歌が懐かしの名曲「ああ宮城県」。 まだニューミュージックなんて言葉はなかったから、あの手の歌はみんなフォークソングと読んでいました。 団十郎氏は大ヒットをひっさげて、宮城弁丸出しでテレビやラジアに大活躍していました。 ラジオの深夜放送からは、ズーズー弁の歌だの、特徴ある口調がやたら耳に入ってきました。 あの頃まだ大学受験生だったので、ラジオの深夜放送は受験勉強には欠かせない。 懐かしの旺文社ラジオ大学受験講座と同じで、受験生の常識です……ね。 ところが、団十郎氏はいつのまにか引退して郷里へ引っ込んだ。 わたしも、すっかり忘れておりました。 五十二歳になった団十郎氏は、いまシンガーソングライターと陶芸家を兼業されているとか。 髭だらけの田舎のオッさんとしか見えない姿で、写真に映っていました。 歌が売れてすぐに団十郎氏が郷里へ引っ込んだのは、当初からの予定だったそうです。 宮城県で注目されて、地元ラジオ局のDJをやり、ヒットの余勢をかって、一年間だけの予定で東京暮らしをしたとか。 ずいぶん思い切りのいい人だな……と思います。 ためしにネットで検索してみたら、吉川団十郎さんのサイトを発見しました。 「宮城県の吉川団十郎を略して『宮城の団十郎』としました」 ということで、「音楽、陶芸、写真、巨木、中国貴州省、よろず話等、盛沢山」のサイトを運営していたんですねぇ。 1999年3月4日から運営開始だそうです。 アドレスをいちおう書いておきます。(00年9月8日現在) URL: http://ha6.seikyou.ne.jp/home/danjuro/ 名称は「宮城の団十郎のホームページ」 中国の少数民族を訪ねる紀行本「貴州旅情」 を出したり、サイトで「さらば!ジャイアント馬場」なんて曲を発表したり、団十郎氏は元気に活躍されているようです。 テレビ東京の「日曜ビッグ・スペシャル」という番組に出演されていて、9月1日にその再放送があったとか。 団十郎氏の日記によると、この番組は今年6月9日〜11日に収録されて、7月2日に東京テレビで放映されたそうです。 「大転身!!あの有名人は今…その後の人生大公開」なんて、東京テレビお得意の番組で、レポーターは桑野のぶよし氏(シャネルズ・ラッツアンドスター)だとか。 たぶん観た人は大勢いるんでしょうね。(笑) もしかすると、読売新聞の記事もその絡みでしょうか。(笑) 切り抜きなんて地味なことをやっていたら、意外な発見がありました! |
昨日の続きになりますが、新座市では六日に定例市議会が緊急に開かれました。 やはり市長の決定に対する質問が議員から相次いだとのことですが、市長の答弁は新聞の談話と同じです。 「踏絵のような人権侵害はおこないたくない」 という須田・新座市市長の発言は立派という他はありません。 「よくやった」という激励の電話も、わずかながら市役所へかかってきているようです。 ただ気になるのは、昨日横浜市から教団本部の退去命令が出たことです。 行き場を失った幹部たちがどこへ移るのか。 住民としては気が気ではありません。 ただ埼玉県内でも、所沢市がオウム信者の住民票・就学申請・建築許可に対する不受理を六月に撤回していたことが明らかにされました。 この分だと、他の市町村でも密かに撤回しているのかもしれません。 信者受け入れ問題は、すでに埼玉県だけのものとはいえなくなっているようです。 あなたの住む市町村の、首長さんたちがいつこっそり受け入れを認めるか分かったものじゃない。所沢市もどうやら住民には説明なしだったようです。 もしかして自治省が個別に地方自治体に働きかけているのでしょうか? いっぽうで、某石井元受刑者の双子(父親はもちろん某A=某M)が京都市に転入したという報道がありました。 就学できたよかったと、ホッとするところもあるのですが、これは就学児童がいない自分だからそう思うだけで、転入してくる学校の児童の父母はどうなんだろうという気もします。 この石井元受刑者はもうオウムとは関わっていないらしいから、いいんじゃないかとは思いますが、父親があれですからね。 わけのわからない教義を捏ね上げて、なにをするかわからない。 不信と警戒心を解くのは、なかなか難しい。ことが、自分にふりかかってくるからなおさら――です。 それでも、オウムと手を切った元信者なら、自分の住む街に住んでもいいんじゃないかという風には思えるようになりました。 でも、やっぱり秘密教義なんかを後生大事に抱えている現信者は嫌だなと思います。 他人事のように思っていた問題が自分自身に現実として迫ってくると、やっぱりいろいろ考えてしまいますね。 こういうときこそ、明恵上人に面談するつもりで、「明恵上人伝記」と「遺訓」を読み返してみようと思います。 |
本日は驚きました。 一身上のことですが、いま住んでいる町で大問題が発生したのです。 すでに新聞などでご存知の方もいるとは思いますが、埼玉県新座市で市長が議会・住民に内緒でアレフ(=元オウム真理教)の信者受け入れを決めました。 わたしが住んでいるところが、まさにここ。 市長が報道機関に語ったところでは、集団での活動や、移住は禁止しているそうです。 しかし、ほんの数日前に入っていた市の広報誌ではオウム問題など全然触れていません。 集団移住や集団活動は禁止といっても、信者がばらけて入って来たら、どうするのか。 そのへんが気がかりです。 裁判になったら負けるから、このように決めたと須田・新座市長は言っています。 たしかに、蓮田市なんかは<超法規的処置>といって住民票受け付け拒否をしているわけですから、法治国家においては立派な法律破りですね。 法律を破ることを、「犯罪」というわけだから、蓮田市という自治体は理屈の上では正々堂々と犯罪を犯しているわけです。 だから評論家や人権活動家は、須田市長の判断を大歓迎しています。 たとえば江川紹子さんも。 ただどうも納得がいかないのは、なぜ新座市市長は市役所の人間だけで、こんな大事なことを決めたのか。 与党だっているはずなのに、市議会にも知らせず、ましてや市民にも何のことわりもなしに決定するとは。 だいたい新座市サイドがこの決定を密かに決めたのは、四月だそうです。 その後で、六月に新座市の市長選挙がありました。 ここの市長はずいぶん長いこと現職をやっているので、選挙は圧勝でした。 しかし、もしこのことがわかっていたら、市民がすんなり市長を再選したかどうか。 「淡々と市政を行いたかった」 「この決定はわたし個人の権限でできる」 「市議会からとやかく言われることはない」 市長は新聞にこんなコメントを出しています。 なんだか政権を失う前の自民党みたいです。 長期政権のおごりを感じる……といっても言い過ぎではない気がします。 だいたい選挙中に、このことが表面化しなかったのもおかしい。 市役所内部にはすっかり市長の権力が浸透しているようですね。 新座市はすでに独裁政権下の手中にあった!(笑) ファシズムの脅威を感じませんか……てのは、もちろん冗談です。 でもね、ことがオウムとなると、やっぱりわたしは人権派には味方できません。 宗教アレルギーは特にないので、創価学会であろうとエホバの証人であろうと犯罪行為を犯さないかぎりは「好きでしているなら仕様がない。頑張ってね」くらいの気持ちにはなれます。 しかし、オウムがアレフに改称したところで、法律を守る気がないのは分かりきっています。 なぜって、被害者保障にあてるべき会社収益までごまかして脱税していたくらいですから。 その後のコメントも、いただけなかった。 違法行為をしれっとやってのける集団を信じろというほうが無理でしょう。 おそらく連中は最低限のモラルも守る気はないでしょう。 その迷惑度は、「分別ゴミの規則を守らない」「ゴミだしの曜日を守らない」ダメ主婦の比ではない……なんていったら、怒られるかな? 「オウム……いいよ、いくらでも入っておいで」 「人間いろいろあるものさ。サリンを撒いたくらいいいじゃないか」 「法律を犯したグループは非の打ち所がない日本の司法制度できちんと裁かれている。あとの人に罪はないんだよ」 「服役して出所したら、どんな罪も許してあげようよ。それが人間だもの」 なんて、いえるほど立派な人権派になるには、まだまだ遠い自分でした。 どうも、こんな気分で明恵上人について書くのは、気がひけます。 そちらの話はまた明日書くことにします。 |
栂尾高山寺を開いた明恵上人は、華厳宗の中興の祖ということになっています。 奈良仏教の華厳宗がなぜ鎌倉時代最初に中興したのか、ということをちょっと振り返ってみたほうが良いかもしれません。 華厳宗といえば、奈良の大仏がある東大寺。中国の唐の時代にはじまった鎮護国家思想そのものです。 ただし、華厳思想そのものは、浄土宗・真宗関係以外の仏教では必須の知識なので、宗教というよりはプロの坊さんならみんな勉強していました。(ただし現代では、どうか分かりませんが) 詳しくなると、長くなるのではしょってしまいますが、鎌倉時代はじめに登場した明恵上人は仏教改革運動の精神的指導者でした。 直接の弟子は多くはないのですが、著書や講演によって、堕落した仏教界に絶望していた仏教者の尊敬を集めていました。 その明恵上人が何をやっているかというと、もっぱら座禅、つまりメディテーションです。 もともと華厳宗というのは、華厳経という経典を研究する学問仏教としての色合いが濃いのです。ただ中国では華厳宗が禅宗の思想的バックボーンになっていました。 いっぽうで唐代に発達する密教も、同じように華厳宗を思想的バックボーンのひとつとして採用しています。 簡単にいえば、華厳宗をひとつ学べば、密教も禅もカバーできるわけです。 修行が大好きなお坊さんにしてみれば、便利この上なし。 早熟な明恵上人が華厳宗に飛び込んだのも無理はありません。 ただ、その後の展開を考えると、華厳宗がそのまま日本仏教の王道にはなりがたい理由もここにあります。 なぜなら、禅の悟りとか、密教の即身成仏を全部なしとげるようなとてつもない宗教的才能(メディテーション能力といいかえてもいいですけど)がないと、明恵上人のような境地に達することはできませんから。 ひとつですべてをカバーするということは、逆にいえば負担も倍増してしまいます。 凡才にはどれも中途半端になってしまうので、どれかひとつに特化したほうが楽だし、集中できる。 ――というわけで、明恵上人の求道の精神は、ゆかりの東大寺や栂尾高山寺ではなく、むしろ道元その他の日本禅宗の人々に受け継がれたのです。 さて明恵上人は、先日書いたような過激な自殺を試みたあと、すさまじい修行を始めます。 その結果、歴史上でもまれな幻視能力を身につけのです。 夢に弘法大師が出てきて、目玉をくれたり、日中お経を唱えていると、仏壇から声がしてまだ習ったことのないお経を講釈してくれたりします。 いまでいう遠隔透視なんて簡単で、見えるはずもない遠方を幻視して、鷹に襲われる雀や、蛇の飲まれかける雀の雛、手桶に落ちた蜂を召使に命じて助けたりします。 この人は、動物に優しい人でもあります。 ただ精神医学を少し齧ると、どうも明恵上人は精神分裂病じゃなかったのかなという気もします。 坊さんがお経をあげている最中に、「あっ、ホトケさまが出現した。インド人の坊さんが周りをぞろぞろ歩いている」なんて口走ったら、どう思います? とにかく、こんな奇跡を二十歳にもならないうちに体験した明恵青年は、修行していたお寺が財政問題でごたごたしたのに嫌気がさして、和歌山県の山中に移り、草庵を結んで暮らします。 栄養が行き届かない食生活と、厳しい寒さのせいでしょうか、いよいよ幻覚を見ることが頻繁になり、ついにはえらいことをやってしまいます。 精神病者の自損のパターンとして、わりとよくあるあれ。 つまり、身体器官の切断です。 明恵さんは、オランダの画家ゴッホと同じように、耳を切ってしまうのです。 続きは、また明日。 |
昨日書いたフグのインタビューに触発されたわけではありませんが、また仏教関係の本を読んでいます。 岩波文庫の「明恵上人集」です。 あまり厚くはありませんが、中身が濃い。 一気に読み通すことなどできません。 明恵上人という名前は、心理学者の河合隼雄さんの愛読者にはお馴染みですね。 河合さんには、「明恵 夢を生きる」という本もありますから。 ただし、今回は深層心理学がらみで読んでいるわけではありません。 いまはまっている法然・浄土宗の関係で読んでいます。 知っている人も多いと思いますが、明恵上人は浄土宗の論敵です。 法然の著した「選択本願念仏集」を読んで、反論の書「摧邪輪」を書いた人です。 この中に入っている「梅尾明恵上人伝記」と「梅尾明恵上人遺訓」を読みました。 ただし、伝記のほうはまだ途中です。 ところで、「梅尾」という表記をみてなんだか変だなと思った人もいるでしょうね。 わたしもそうです。 だって、これだと「うめお」としか読めませんよ。 ご存知のように、明恵上人は京都府の「栂尾山高山寺」の開山ですからね。 「梅」と「栂(とが)」では似ていても、別のはず。 岩波文庫の誤植発見か! ――なんて、思っちゃいました。 でも、凡例をみると、きちんと断り書きがあります。 間違っているけれど、慣用として「梅尾明恵上人伝記」と「梅尾明恵上人遺訓」の書名が使われているから、それに従うということでした。 岩波文庫の間違い発見!――という訳にはいきません。(笑) 「伝記」のほうを少し読み出してだけですが、この上人さんはとんでもない過激な人だったようです。 伝説も入っているので、ほんとうかどうかはわかりませんが、四歳にして顔を火箸で焼いて、人中に立ち混じられない廃れ者になろうとしたとか。 ためしに、左の上腕部に真っ赤に焼けた火箸を当てたら、あまりにも熱いので思いとどまったそうです。 その跡が、やけどになって、ずっと残ったとありますが、ひょっとして幼児虐待でもされたのじゃないと勘ぐらないでもありません。 この人は、あとでもっと凄いことをやっちゃう人なんです。 リスト・カッターの比じゃありません。 八歳で父母に死に別れ、翌年お寺に入るわけですから、そんな不幸をつい想像してしまいます。 ところが、明恵少年の自虐の凄さはそれだけじゃない。 十三歳の頃から、寺の裏山でひとり座禅をしたようですが、そのときひらめいたのです。 こんな修行をしても、どうなるもんじゃない。いっそ死んでやれ。 死ねば、思いわずらうこともない。そうだ、「空」(くう)に帰ろう。 そう思い立った少年は、墓場へ行きます。 当時は、火葬される人はよっぽど裕福な人か、貴族・上級の武士だけです。 他の人はどうするかというと、原っぱや谷間へ遺体を置きっぱなしにしておくのです。 上等な部類は棺桶に入れておきますが、それだって野原の上に置きっぱなし。 行き倒れの死者は、素裸に剥いて地面に転がしておく。 一般の場合はせいぜいがムシロや、衾(ふすま)にくるんでありますが、地面に転がしておくことに変わりはない。 とうぜん獣や鳥がさんざんに食い荒らすことになります。 まだ肉のついた生首が転がっているわ、食いちぎられた手足が散乱しているは、腐乱死体の展示会場となっています。 だから、明恵少年がいった墓場でもそのような陰惨な場面が繰り広げられていました。 自殺を覚悟した明恵少年はさすがに仏教徒だけあって、自分で手を下すようなことはしません。ヤマイヌや野犬に食われてやろうと、地べたに横になるわけです。 日がとっぷり暮れると、犬たちが現れて、死体を齧りはじめました。 明恵少年も、すっかり怯えて、こんなことをしてしまったのを後悔します。 ところが、どうしたわけか、野犬やヤマイヌどもが明恵少年を齧らなかったおかげで、生命をとりとめました。 これも、ホトケが修行せよとおっしゃられたあかしだと思って、明恵少年はますます荒行に励んだそうです。 過激な自虐マニアの明恵上人がこれからどうなるのか。 続きは、また明日。 |
TV断ちをやろうと思ってはいるのですが、また何時間も観てしまう。 そんな繰り返しですが、本日もそう。 「Pride 10」だの、NHK教育の「土曜プレミアム」だの、合計4〜5時間は観てしまいました。 いくらなんでも、「Pride」の試合結果ぐらいは知っていますが、やっぱり観てしまう。好きなんですね、我ながら。 なんといっても見ごたえがあったのは、桜庭とヘンゾ・グレイシーの試合。 派手な試合よりも、ああいうガチンコが好きです。 レスラーや異種格闘技の人のパンチや蹴りというのは、あんまり感心しないことが多いので、関節技で決めてくれるほうが嬉しい。 2ラウンド終了間際に、桜庭がみせた腕ひしぎには痺れました。 ところで久しぶりに格闘技の雑誌を買ってしまいました。 「格闘Kマガジン」。 表紙がアンディ・フグだったのが、購買動機です。 特集がアンディのカカト落としです。 年も年だし、身体も硬いから実技系の格闘雑誌には興味はないのですが、アンディの雄姿にふらふらと財布を取り出してしまった! それにしても、いまどきの若いもんはこんなものを読んでトレーニングに励んでいるんでしょうね。 この雑誌には、ジムや道場の広告やトレーニング道具の広告しかない……雑誌としてやっていけるのかちょっと心配になりました。余計なお世話ですけど。 しかし「SP養成学校」というのもあるんですね。広告をみて呆然としました。 SPは警察官しかなれないはずですよね。 格闘家をめざす人は、こういう職業に憧れるのでしょうか? ただいわゆる職業的SPになれるとは一言も書いていない。 不思議な宣伝です。 ところで、アンディの特集を読んで、またまた呆然としています。 「日本人には哲学がない」 と、アンディは言っています。 自分のトレーニングは、東洋哲学にベースがある。武士道、禅、仏教。これらの本質にあるメディテーションと呼吸法を実践せずに、過酷な戦いの場において身体の痛みに耐えられるはずがない―― 肉体的なトレーニングは大切だが、それ以上にメンタルなトレーニングが必要だとも。 最近、こういう趣旨の発言を外国の人から聞くことが多くなりました。 日本で圧倒的に強いのは、体格・体力に恵まれた人間たちですね。 精神論でいくら頑張っても、体重100キロを超えた人間に、70キロ台の人間が勝つのは難しい。 だから、格闘の世界では巨漢だけがのさばる。ただし、この連中が世界へゆくと、同じ体格の連中はごろごろいる。 しかも、貧乏な環境で育った連中のほうが、メンタル面ではるかにタフだ。 これでは、勝てるはずがない。 「日本の皆さんも、西洋をばかり見ないで、もっと身近な東洋の哲学を見直したらどう?」 と、アンディはインタビューで言っています。 アンディは最後の病床にあっても、フランス語で書かれた禅(ZEN)の本を枕もとにおいていたそうです。 日本人はみんな禅に詳しいと思い込んでいたらしいですが、アンディが禅の話を始めると正道会館の選手たちにはちんぷんかんぷんだったとか。 日本のサムライ道は、アンディやグレイシーみたいな人にしか伝わっていないような気がします。 |
まだ「水車の本」を読んでいます。 手作り水車は荷が重そうなので、アマチュア水車大工の夢は捨てました!(笑) それにしても、水車というのが、こんなに奥が深いとは思わなかった。 「コットン、コットン」と水車が回るなんて、童謡があったような気がしますが、あれは間違いだそうです。 正確に言えば、あの音は水車の「輪」の部分が出すものじゃない。 水車小屋の中に仕掛けてある「粉付き用の杵と臼」が出すものだそうです。 田園風景に必ず描かれる水車小屋というのは、穀物を精白したり、粘土をつき砕いたりする「動力水車」というジャンルに入ります。 いやーっ、勉強になりました。 水車には、もう一種類あって、こちらは揚水水車というんだそうですね。 川から田畑に水をくみ上げるやつですね。 こっちはあんまり見栄えがしないから、絵にはならんです。 バケツや、空き缶で作ったりすることもあるとか。 わらぶき屋根の水車小屋なら絵心もそそるでしょうが、コカコーラの空き缶と廃材を組み合わせた田んぼの脇の水車ではどうも…… そういえば、「からくり水車」という一分野もあって、これは水車を動力源にして人形を動かすタイプ。特攻基地で有名な鹿児島県の知覧町では郷土芸能になっていらしい。 ただ現在のからくり水車のシリコンヴァレーは鹿児島ではなく、富山県の礪波郡城端町だとか。 水車で村おこしするブームが起きていて、ここはその先端技術の発信地だとか。 あなたの知らない世界……って、言うんでしょうか。(笑) 水車で時計を回したり、自家発電で夜の庭をライトアップしたり、なかなか大変です。 名前がいいですね。「水車時計」に「発電機水車」 原理的にいえば、「水力式時計」や「据え置き式水力発電機」なんて呼びたくなりますが、こう書くとあんまりレトロになりすぎるかもしれませんね。 「サイボーグ」じゃなくて「改造人間」とか……(笑) SPレコードを回す水力式蓄音機なんてのもあるそうです!(^^) その名は「蓄音機水車」。 水力式芋剥き器もあって、やっぱり名前は「芋水車」。 ますます広がる不思議な水車ワールド。 もしミニチュア・モデルが出たら、全国のモデラー君たちがほっておきますまい。 そうそう、日本の水車の最高峰って、知ってます? この本を読んだおかげで、物知りになったので、高校生クイズにこの問題が出ても、わたしはOKです。 福岡県の菱野というところにある「朝倉の三連水車」というやつだそうです。 直径5メートルから4メートルくらいの水車が三つ仲良く並んで回っています。 ところで、ひとつお詫びと訂正があります。 以前の日記で、この本を読んで水車の世界に浸って、癒しをうんぬんかんぬんと書いてしまいました。 これは、立ち読みでざっと読んでしまったわたしの早とちりであります。 著者の吉田さんにいわせれば、これはとんでもない心得違いです。
「アラッ、水車って癒し≠フために回っているんじゃなかったのネ」 もちろんです。そこのあなた勘ちがいしてもらっちゃ困りますッ。 (同書P.95) 現役で動いている水車小屋のなかは、杵がどすんどすんと穀物を砕いたり、粘土・和紙原料なんかを叩きつぶす汗臭いガテンの世界です。一歩間違えば、鮮血が迸り、頭蓋骨が砕ける超重量級パワー・ファイターの世界であります。 癒し≠ネんて、オンナの子が嬉しがるものじゃありませんでした。 体育会系の運動部室の匂いが好きな娘さんなら別でしょうが。
「最近の若い人たちは本気でこんなことをいうから困ったものである」 (同書P.95) と、著者の吉田さんは癒し≠ネんぞと口走る不心得ものを一喝しています。 わたし自身はちっとも若くはないのですが、困った人となってしまいました……(泣) |
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