お気楽読書日記:10月

作成 工藤龍大

日記目次へ戻る | ホームへ戻る

10月

10月24日(その二)

読書日記です。
フロイスの「ヨーロッパ文化と日本文化」を読み終わりました。
ものすごく物知りになった気がします。(笑)

こういうときは、とにかく人に喋りたくなる。相手がどう思おうとおかまいなしに。
どうも危ない感じなんで、別の本について書きます。
いくら公開日記だからといって、あんまり退屈させたのでは、読んでくれている人に悪い。

「細川ガラシャ夫人」(三浦綾子)も読んでいますが、この作品から五年後に書かれた「千利休とその妻たち」に比べると文体の洗練度がいまひとつなので、どうも進みません。
読む順序を間違えたようです。
完成度は「千利休〜」のほうがはるかに高い。

「千利休とその妻たち」は、文学史に残る名作です。他のひとがどう云おうと、わたしはそう思いますね。
それに比べると、「細川ガラシャ〜」は、三浦さんが始めて書いた歴史小説だから比べるほうが気の毒でしょう。

というわけで、また別の本に浮気しています。
「私説・日本合戦譚」(松本清張)です。

しかし……いきなり、懐疑モードに入ってしまいました。
時の流れは残酷ですね。
1965年に「オール読物」に連載された清張戦国史は……すっかり古くなっている!

いまどきの歴史ファンなら、たとえ小説を読まず、戦略シュミレーション・ゲームにはまっているだけの人間でも、この「私説・日本合戦譚」の間違いを指摘できる。
というより、現地の発掘調査が進み中世考古学が発達したおかげで、文献資料に頼った伝統的な史料解釈の限界が明らかになっている。

松本清張さんほどの大作家でも、データが古びていたのではしょうがない。
学研や新人物往来社の歴史ムックの愛読者には、物足りない本です。

風俗小説というジャンルは10年単位でどんどん古びていくものですが、現代のように新しい情報が洪水のように溢れてくる時代では、歴史みたいな変化が少ないものでさえ例外ではない。
時代の荒波がどどーんと押し寄せている。
ジジイの趣味だなんて云っていられませんね、歴史も。

八十代、九十代になろうが、現役歴史ファンであるかぎり、ぼけている暇はない。過去の知識の蓄積に安住していてもいけない。
日々が精進です。(笑)< 訓示みたい……ですね。

永久に終わりのない歴史研究は、中年以後の最高の趣味だと思いますね。
大作家のエッセイを読んで、かえってこんなことを考えてしまいました。

それで、清張さんの本ですが、マニアックに戦国時代をきわめている人なら間違い探しで楽しめます。
そうでない人は、日本史のエピソードを学ぶことができる。
少なくとも、昭和以前の日本人の歴史常識がわかる!

史実より伝説がほうが多いけれど、これがわからないと、歴史ドラマは分からないし、歌舞伎その他の伝統芸能もよくわからない。

伝統芸能の共通基盤は、事実ではなく、口碑なんかの伝説ですからね。
いってみれば、伝説は日本文化のお約束みたいなもの。これがないと、話にならない。

ありゃ、焦点がぼやけてしまったかな?

とにかく、戦国時代に詳しい人も詳しくない人も、読んでみて損はない。
――ということを云いたかったんですよ。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

10月24日

昨日(24日)、空を見上げるときれいな雲が浮かんでいました。
「ひつじ雲」というそうです。
草原に白い羊が群れているような、メルヘンチックな雲でした。
関東地方では見た人も多いでしょうね。

青い空に、白い無数のひつじ雲。
空気もほどよく冷えていい感じでした。

ただし、天気予報の解説だと、この雲が出ると天気が崩れることになっている。
さすが気象庁。予想にたがわず、本日は雨です。
昨日の鮮やかな空の色が嘘みたいな雨雲ですは。(^^)

ところで、昨日書きそびれたのですが、宮城県で上高森遺跡で60万年前の原人の住居跡が見つかったとか。
家の柱らしい跡に、打製石器らしい石もある。
日本列島は、原人時代にはハイテク先進国だった?
そう考えると、楽しいですねぇ。

上高森遺跡の発見に負けん気を起こしたわけでもないでしょうが、埼玉県の地方版でも同県の小鹿坂遺跡での新発見を報じていました。
あの50万年前の原人の住居跡だという小鹿坂遺跡です。

今度は旧石器と土壙(楕円形の穴)が発見されました。
発掘にあたった教育委員会の見解では、小鹿坂遺跡の土壙は旧石器を貯蔵する倉庫の役割をしていたそうです。

両者には10万年の開きがあるけれど、想像してみただけでぼーっとなりますね。
新人とよばれる現代人が登場してから、まだ3万年しかたっていない。
いくら進化のスピードが今と比べて遅かったとはいえ、10万年もあれば絶滅した動物もいるだろうし、新種も現れたはず。
人類がまだ自然界の支配者ともいえない時代に、埼玉県の山の上や、宮城県でおサルさんに似た原人さんたちが一生懸命生きていたなんて……
考えただけでメルヘンだなぁ――って、思いませんか?

それにしても不思議なのは、打製石器を作るほど利口な原人がなぜいなくなったのか。
原人と現生人類がいっしょに生きていれば、けっこう面白かっただろうに。

でも、動物界では同じニッチ(生活環境)に似たような新種が現れたら、古い方の種は住処を失って絶滅してしまうのが法則です。
古い哺乳類の単孔目(カモノハシ)が有袋類(コアラやカンガルー)に追われ、有袋類が胎盤を持つ哺乳類に追われたように。

人類なんて生活欲旺盛な動物同士だと、時代遅れの旧種はたちまち絶滅。
それも仕方がない。

しかも、仲間殺しをするチンパンジーと、人類は遺伝子的には90パーセント同じ生き物です。
異星人(エーリアン)がみたら、チンパンジーと人類は同種族にしか見えないでしょうね。
わたしたちが毛ガニとタラバガニを同種だと思い込むように。
(ちなみに、毛ガニは立派な(!)カニですが、タラバガニはヤドカリの仲間です)

考えてみると、原人さんが万が一にも生き残れる可能性はないでしょうね。
わたしはヒマラヤの雪男(イエティ)や、アメリカのビッグ・フットなんて、毛むくじゃらの人型UMA(未知動物)がすきなのですが、もしかしてこれは原人さんに対する原罪意識じゃないかなと思います。(笑)

本日は冷えていることでもあるし、原人さんの冥福を祈って、晩酌に一本つけてみようかな。
――って、そりゃあ関係ないだろう。(笑)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

10月23日

読書日記です。
ルイス・フロイスの「ヨーロッパ文化と日本文化」は面白いですよ!
岩波文庫で薄いから、その気になればすぐ読める。
時間があれば、ぜひ読んでみてくださいまし。(笑)

それにしても、戦国時代と現代を比べてみると、かなり違った風習があります。
もちろん圧倒的に今と同じ方が多いですけれど。

むかしの人はどんなことをしていたかって、気になりませんか?
つまらないようなことだけれど、そういうことを知ると人生が豊かになったような気がします。
なぜかって?
はははっ。愚問です。却下します。
(ほんとうは、自分でもよくわからない……です)

そんなつまらないことの一つ目は、戦国時代の人はキュウリが黄色くなってから食べた。
今はそんな人はいないでしょう。
黄色いキュウリなんて売っていないし、買ってきたキュウリを冷蔵庫に入れないと黄色くなる前にしなびてしまいますからね。
いったい、どんな味がしたんでしょうね?

その二。戦国時代末期には、梅漬けならぬ「葡萄漬け」というのがあったらしい。
はっきりとは書いていませんが、山葡萄の未熟な実を塩漬けにして食べたようです。
いったい、どんな味がしたんでしょうね?
山葡萄でブドウ酒を作ったことはありますが、想像もつきません。

干しブドウにしたほうがよさそうだけれど、山ブドウなんて実が少ないから見つけたらさっさと食べるに限る。
田舎育ちの特権ですな。

あさっての方へ話がいってしまった……(笑)

それともっと凄い話もある。
どうやらこの頃の日本人は野犬を食べていたらしい。
犬です。イヌ。愛犬家の人にはショックだろうけれど。
鎌倉時代の人がイヌを食べていたのは知っていたけれど、織豊政権時代でもやっぱりイヌを食べていたのかと納得してしまいました。

鹿児島では幕末までイヌを食べていたそうですから、当然といえば当然でしょうね。

イヌの他には、サルまで食べていたらしい。モンキーですね、いわゆるニホンザル。

フロイスはネコまで食べていたと書いていますが、いくらなんでもこれは違うでしょう。
ネコ科の動物はアンモニア臭がきつくて食べられないそうですから。
注釈をつけた岡田章雄氏はタヌキかカワウソではないかといいますが、どっちも臭くて食えないといいますね。猟師さんの聞き書きにそんなことが書いていました。
タヌキに似ているアナグマはけっこういけるらしいから、そいつの間違いかもしれません。(笑)

もうひとつ意外に思ったのが、日本の馬は蹄鉄を使っていないということ。
解説では幕末まで日本の馬は藁沓を履かせているだけだったとか。
すると、時代劇やNHK大河ドラマで疾走する馬の映像は全部ウソではないか。

あんまりリアルにやりすぎると、さまにならないのだから仕方がない!
――ということでしょうね、きっと。

現代は身長180センチくらいの俳優がごろごろいる。ちんまりとした日本馬に、藁沓をはかせたうえで、図体の大きい俳優が乗ったら、動物愛護団体から抗議が殺到するでしょうから。

もちろん、違いばかりでなく、現代と同じ食い物もありますよ。
たとえば、素麺。
いまと同じで冷水につけて食べたそうです。
薬味に唐辛子と芥子を使うところが、ちょっと違います。

ついでにウンチクをひとつ。
これは別の本に書いてあることですが、ソバの麺はこの時代にはまだありません。
ソバはそばがきとして食べていたものを、救荒作物だったものをうどんを真似て麺にしたもので、江戸時代の初めころに登場します。

日本の麺類の原型は「饂飩」(うどん)なのです。
もともと中国のお菓子だった「饂飩」は「コントン」といって、中に餡をつめたギョウザやワンタンに近い。これの皮(小麦粉)だけを細長くして切ったのが「切麦」(きりむぎ)。
じつは、この「切麦」が今でいう「ウドン」のことです。

これを冷やして食べるから、「冷麦」(ひやむぎ)というわけで、もともとの意味合いはいまでいう「冷やしウドン」でした。
熱い汁をかけると、「熱麦」(あつむぎ)といいます。冗談じゃありませんよ、ほんとのはなしです。(笑)

この頃には、うどんは菓子屋で売っていたそうです。

素麺というのは調べてみると、なかなか馬鹿にできないものだとわかりました。
もとは「索餅」と書いて「むぎなわ」と呼ぶ。

油をいれて柔軟性をました小麦粉を機械力で糸のように細長くする今の素麺とほぼ同じ製法でした。
なんと、奈良時代にはすでにあったのです。
これは宮中や貴族でなければ食べられない高級食品でした。

ところが戦国時代末期ごろから、庶民のあいだにも徐々に広まっていきました。
フロイスが素麺を知っていたのは、そのおかげです。

近くて遠いですね――食い物というのは。(^^)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

10月23日

森首相という人は、気の毒といっていいのか、なんといっていいのか。
母校で「国民がイジメる」とぼやいていたそうですが……

でも、もとは余計なことを言って物議をかもしている自分のせいだとは思わないのでしょうかね?
ブレア首相に北朝鮮との裏交渉をもらすあたり、人が悪くないとつとまらない国家元首という仕事には向いていないような気がします。
外交みたいに裏交渉が必要不可欠の分野にむいていないから、人は良いのかもしれませんね。(笑)

ただ、どうもいきあたりばったりの決断がわたしは嫌です。
「YAWARAちゃんに、なぜ国民栄誉賞をあげないんだ!」
と、突き上げられたら、いきなり「総理大臣顕彰をあげます」ですから。

文藝春秋の菊池寛賞の遅れをとったので、こりゃあかんと思ったのでしょうか。
これを微笑ましいというべきかどうか。

森首相は、小学校のPTA会長や町内会会長ぐらいだったら、良い人なんでしょうけれど。
体格に似合わず、やることが軽すぎ――それが、森首相の敗因ですね。

それに比べると、天皇・皇后陛下の言動には重みがあります。
宮中でオリンピックのメダリストや入賞者を招いたお茶会でのこと。
高橋尚子選手には「高地トレーニングが大変でしたね」と声をかけ、田村亮子選手には「デビューからずっと応援していた」とねぎらい、田島寧子選手には「銀メダルにはなれましたか」とさりげなくユーモアを披露する。
TV各局の特番をみれば誰でも知っているだけれど、天皇ご夫妻が云うと選手たちも大感激!(^^)
それにしても、天皇陛下が井上康生選手に亡くなったお母さんについて話されたとき、井上選手は嬉しかったでしょうね。

儀礼的に「お言葉」をかけているという風ではなく、選手ひとりひとりに人間的関心を寄せていることが伝わってきますよね。
「思いやり」や「人間としての共感」があるかどうかなんですね。
言葉が生きるのも死ぬのも。

せんじつめれば、「人間としての値打ち」を認めて尊重しているということです。

森首相のやることなすことにいい気持ちがしないのは、相手の立場や気持ちをろくに考えない姿勢のせいだとわかりました。
拉致事件発言では責任を中川前建設相に押し付けようとしたりする。

人の立場を考えない「醜い日本のオヤジ」の見本みたいな、森首相が好きになれないのは当然でした。

なんで縁もゆかりもない日本国首相の顔を見て、気分が悪くなるのか不思議でしょうがなかったけれど、やっと理由がわかりました。

「あんなふうには、なりたくない」
――オヤジの仲間入りする年代にとっては切実ですよ、ほんと。

笑ってられませんよ。
年下の人間だって、とっくに森首相化現象がはじまっているんだから。(笑)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

10月22日(その二)

読書日記です。
「ヨーロッパ文化と日本文化」(ルイス・フロイス)に取りかかりました。

このところ、キリシタンが面白い。
いわゆるマイ・ブームというやつです。(笑)

性懲りもなく、鎌倉時代を舞台にして歴史小説を書いているので息抜きみたいなものです。
作品を書きあげたら、どこかの新人賞に応募しようと思っています。

前回は某新人賞の一次予選を通過したので、今度は二次くらいはいくかな。(苦笑)
そのうち、なんとかなるだろう――なんてね。
おめでたくないと、いまどき歴史小説なんて書いていられませんは。

まあ、そんなことはどうでもいい。
話を戻します。余談ばっかりですね、わたしの書くものは。

ルイス・フロイスというのは、NHK大河ドラマ「信長」でナレーションをするイエズス会宣教師です。
もう忘れた人も、多いだろうけれど。

フロイスはポルトガル人で、その書簡や著書はポルトガル語でかかれていました。
中公文庫で出ているこの人の「日本史」もポルトガル語だそうです。

「ヨーロッパ文化と日本文化」を読みあげたら、今度はそちらもチャレンジせねばなりますまい。(^^)

ところで、歴史小説を書こうとするとなかなか風俗がわからなくて困る。
日常のこまごまとしたことを書こうとすると、ヘンなことが気になる。

たとえば、日本人はいつから歯を磨いたのか。
史料のある上流階層の女性の名前はすぐにわかるけれど、庶民女性の名前はどうだったんだろうとか。

説話文学なんかは、この点でありがたい。
日本霊異記だか、今昔物語だか忘れましたが、浅草あたりにトラサクラという名前の兄妹がいたという記述があったのには笑った。

ところで、フロイスの本を読んでいると、そんな素朴な疑問がするするとわかってしまう。
朝起きたら、顔を洗って歯を磨く習慣が日本ではすでに戦国時代に定着していた様子が描かれている。
そうか、秀吉や信長が楊枝で歯を磨いても、全然オッケーなんだとほっとするわけです。

こんなことを書いていると馬鹿みたいに聞こえますが、風呂好きの日本人が今のように湯船につかって入浴するようになるのは江戸時代なのです。
五右衛門風呂が登場するのは、江戸時代後半なので、宮本武蔵が五右衛門風呂に入ったりするのはおかしい。

日本人として当たり前と思い込んでいる風習のかなりの部分が、江戸時代にできているので用心しないといけません。

プロのミステリ作家さんなら、平安時代の武士が槍を振り回したり、足軽が鎌倉時代初めに活躍する歴史ものを書いても誰もなんにも言いませんが、これから作家をめざす人間がこんなことをやるわけにはいかない。
(ちなみに、どっちも間違いです。槍は南北朝の頃に使われ始めたもの。「足軽」という言葉は「平家物語」に出てきますが、意味は違います)。

そんなわけで、風俗を書くのはいつもびくびくものです。
だから、そういうことが書いてある本はありがたいですね。

恐ろしいことに、二、三十年前に直木賞をとった一流作家でも、いまの歴史学からみると完璧な間違いがぽろぽろ見つかってしまう。
歴史学や中世考古学がすすんでくると、こういう事態は避けられません。
ただ、だからといって間違いをそのまま踏襲するのも間抜けすぎる。
日進月歩の歴史学・考古学の成果を吸収しながら、いいものを書くのが歴史小説家です。

――ということで、フロイスの本はいい勉強になります。(笑)
そういえば、もうひとつの疑問の答えがまだでしたね。
戦国時代の庶民女性の名前とは――。
答えは、なべ(鍋)・つる・かめ・ちゃ・たけというものだそうです。
ついでに、「げげ」というのもある。これは草鞋の一種のことです。

なんだ、大騒ぎしたわりには、江戸時代なんかと同じじゃないかと云われそうですね。
まったく、そのとおりでございます。てへへへへっ。(笑)

でも、歴史好きはそんなつまらないことにこだわって、調べ物をするのが好きな人種なんですよーっ。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

10月22日

NHKのドキュメンタリー「世紀をこえて」というのは面白いですね。
あれを見るたびに、雑談モード(午前中にアップする日記です!)で書きたくなる。(笑)

こんなところでしか云いたいことがいえない。
ほんとに孤独な中年ですね、わたしも。(泣)

ところで、昨日は中国でLINUXをベースにした企業活動が盛んになっているという話でした。
「紅旗LINUX」という製品を作っている会社を取材していましたね。

いや、それにしても中国人プログラマのやり手なこと。
たった二ヶ月でTVでインターネット接続できるハードとソフトウェアを作るなんて。
マイクロソフト帝国はあと五年もしないうちに崩壊ですね。いや、三年くらいで勝負がつくかもしれない。

今日もマイクロソフト社は「Internet Information Server 4.0/5.0)」に重大なセキュリティ・ホールがあると発表していましたね。
日経BPによると、ある種の文字列をURLとして入力すると、サーバー上のファイルやフォルダの削除や変更が自由自在にできるようになるというセキュリティ・ホールです。
英語版の修正モジュール(パッチ)はすでに出ているけれど、現時点では日本語版はまだ。
システム管理するのに、こんな製品でいいのかなと思いますね。

話がずれましたね。
本題は中国です、あくまでも。

IBMの開発要員はいまはインド人が主流だけれど、その前は中国人(大陸)でした。マイクロソフトはいまも中国人(在米も含めて)が主流らしい。
世界のソフトウェア産業をささえているのは、インド人と中国人のようです。

しかし、中国のIT志向を手放しで喜んでいいのかという気がしないでもありません。
中国国民がみんなインターネットを使用する巨大な市場形成をめざして、中国国内と外国企業がしのぎを削っているわけですけれど、もしそうなったら産業廃棄物はどうなる?
中国にリサイクル市場ができないまま、短期間でハードウェアの廃棄・新規購入を繰り返す電子産業が大発展したら……
ひょっとして、広い中国大陸がゴミの山になるかもしれない。

すでに、長江流域の住民はゴミの山に埋もれて暮らしていると、某NHKで長期取材してきた友人K君がいっておりました。
基盤からはPCBも流れ出すだろうし、環境ホルモンだってどうなるかしれたものじゃない。
よけいなお世話だけれど、中国人民が本格的なIT時代の欲望にめざめたとき、世界はどうなるか。
怖いものがありますね。

だいいち、NHKでは以前に同じ番組(「世紀をこえて」)で、中国人がアメリカ型酪農で育った脂肪過多牛肉の味を覚えたら、いまの食糧生産能力では世界の人口をまかないきれないという内容のドキュメンタリーを制作していました。
ハンバーガーやステーキにして美味い牛肉には、大豆やトウモロコシを使った混合飼料が要る。人間数人が生きていけるだけの穀物を、一頭の牛や豚に食わせなければならない。とれる量が限られている穀物で、そんなことをやったら、食いっぱぐれる人間がとうぜん出てくる。

「欲望が人間を進歩させる!」というのは、20世紀の合い言葉だけれど、21世紀はそんなわけにはいかないでしょうね。

中国という国の文化やそこに住む人たちは好きですが、あの国の人たちがアメリカ型の生活を追及するのはやめてほしい。
そんなことよりも、人類を破滅に追い込むアメリカ型消費社会をストップさせる知恵を、中国の人にひねりだしてほしいと思います。

それでは先進国だけ浪費生活を楽しんで、われわれ後発の国には許さないのか。
不公平ではないかと云われそうだけれど、先進国だって浪費型社会を変える方向へ向いている。
勝手ながら、時代は変わったんだといわざるをえない。

中国は孔子を生んだ国だし、あんなに人口が多いんだから、社会の流れを変える逸材が現れても不思議はないはず。
もうーっ、頼みますよ。
――という気持ちです。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

10月21日(その二)

以前、「望郷のとき」(城山三郎)という本を読んだことがあります。
支倉常長ら慶長遣欧使節の一行のうち、メキシコに残留した侍たちの物語と、その末裔を探すノン・フィクションで構成された本です。(「3月29日」の日記参照

大泉光一氏の「支倉常長―慶長遣欧使節の悲劇」でも、そのことに触れています。
メキシコの文書館で「福地寺右衛門」なる人物を、古文書から発見したそうです。
1620年に受洗して、現地の女性と結婚。娘がひとりいました。

はっきりと確認はできないのですが、前後の事情からみて、この人物は支倉らと「サン・ファン・バウチスタ」号でメキシコにやってきて残留したようです。
名前は日本名ではなく、ルイス・デ・エンシオと改名していたとか。

やはり、メキシコに消えた伊達侍たちの事跡は、大泉氏でも発見できませんでした。

ところが、意外なところに天正遣欧使節の末裔を自認する人々がいました。
コリア・デル・リオというスペインの小さな田舎町(人口二万一千人)で、そこにはスペイン語で「日本」を意味する「ハポン」という姓の一族がいます。
全員で830人くらいだそうです。

ハポン姓をもつ篤志家が町の洗礼台帳を調べてみると、1604年以前には「ハポン」という姓はなかったことがわかりました。
1604年から1665年までの台帳は現存しておらず、ハポンという姓がはじめて登場するのが、1667年。
それじゃあ、天正遣欧使節がセビリア周辺にいた1614年から1618年とは合わないということになりそうですが、大泉さんの調査ではそうはならない。
問題の人物がホアン・マルティン・ハポンという姓名の男性であることに注目して、このハポンという姓は母親の姓であったと推測しました。スペインの風習では、父親と母親の姓を第一姓、第二姓と併記することがあるらしい。

洗礼台帳の記事には、ホアン氏の娘が生まれたことを記載しているので、そこから逆算すると、ホアン氏を生んだ母親が生まれたのは、少なくとも50年くらい前にさかのぼる。
すると、ちょうど天正遣欧使節の滞在時期とぴったり重なるというわけです。

コリア・デル・リアの町に住むハポン姓の人には、先祖はグアダルキビルから来た日本人の漁師だという言い伝えが残っているそうです。
このグアダルキビルというのは川の名前で、天正遣欧使節はスペインのカディス湾からこのグアダルキビル川を遡行して、コリア・デル・リアの町に入って滞在したのです。

コリア・デル・リアのハポン家の人々の口碑は、たぶん史実だと思いますね。
長期航海にでかけたわけだから、使節には侍だけではなく漁師や商人もいたことでしょう。
その子孫がスペインにいるなんて、じんとくるものがあります。

今から400年も前の東北人のことなんて関係ないといえば、それまでだけれど、なんだか心が暖かくなりませんか?
いい話――じゃあ、ありませんか!(;o;)
この際、理屈はぬきです。(笑)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

10月21日

不思議な話を聞きました。
西陣織というのは、どうやら日本の特産品ではないらしい。

いまの西陣織はベトナムで作っているそうです。
業界では常識らしいけれど、はじめて知りました。

それを教えてくれたのが、読売新聞日曜版でノン・フィクション・ライターの野村進氏が連載しているエッセイ「アジアン・ビート」。

ベトナムで野村さんが取材したところ、ベトナム人の若い娘さんが金糸銀糸を縫いつけて西陣織を作っていました。
下駄、簪、巾着という小物まで作っているそうです。

ベトナムの西陣織請負業者というのが韓国の人で、もとは韓国に工場を開いていました。
賃金が上がったので、京都の業者に薦められて、ベトナムに生産拠点を移したということです。

単価を比べると、日本を基準にして、韓国は三分の一、ベトナムは十分の一。
これじゃあ、無理もない。

野村さんによると、雛人形や仏壇でテレビCMなんかを流している大手メーカーは、ほとんど東南アジアで現地生産させているとか。
理由は人件費が安いのと、日本人の職人さんが高齢化して後継者もいないせいらしい。

郷土の民芸品というのも、かなり東南アジア製が入っているそうですね。

考えてみれば、西陣織も民芸品なども資源・物産にめぐまれず、安価な労働力しかなかった貧しい地域の産物です。
もっとお金が稼げる道があるのに、食うや食わずの工芸品の世界に身を投じるのは、無理がある。日本で後継者がいなくなっても、当然でしょう。

伝統工芸の灯が消えるという懸念はもう懸念ではなく、現実となっているのですね。

それにしても面白いのは、西陣織のような高度な刺繍技術ができるのが日本・朝鮮半島・中国だけだそうです。
他の東南アジア諸国には、そういう伝統はないんだそうです。

野村さんはこの地域が漢字文化圏であることに関係があると考えています。

でも、わたしはやがて他のもっと人件費が安い地域に、この刺繍技術はやがて移転すると思いますね。
ベトナム人みたいに勤勉で文化レベルの高い民族がいつまでも経済成長しない保証はない。韓国だって経済成長してしまったから、生産拠点を移転せざるをえなくなったわけでしょう。
この調子で行くと、人件費がもっと安い国を求めて業者は転々と世界を流れ歩き、ついには全世界いたるところに西陣織の技術が普及するかもしれない。(笑)

回転寿司のタコだってアフリカ産だし、マグロはインド洋。
北海道名物だったししゃもは、いまやカナダかノルウェーから輸入ですからね。

雛人形や仏壇が東南アジアで作られたって悪いわけじゃない。
安くて質がよければ、大いに結構じゃありませんか。

そのうち、日本の伝統工芸に興味のある若者は、東南アジアで修行することになるかもしれませんね。
21世紀中ごろには、日本の伝統工芸の本場がアフリカか南米だったりして。(^^)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

10月20日(その二)

読書日記です。
「支倉常長―慶長遣欧使節の悲劇」(大泉光一)を読みました。

著者の大泉氏は、メキシコの大学で15年間にわたってスペイン語古文献を調査された方です。
この本は新書版ですが、もとは「支倉六右衛門常長――慶長遣欧使節を巡る学際的研究」(文眞堂)という学術書のダイジェストだそうです。
オリジナルの学術書が出たのが1998年で、こちらの新書は99年3月が初版。
わたしにしては珍しく新しい本を読んでしまった。(笑)

支倉常長についてはいろいろなところで読んだ記憶がありますが、イスパニアやローマ教皇庁の資料で詳細に固められた本は初めてです。

それにしても、筆記体で書かれた文書を判読するのは、骨が折れただろうなと、アホウのように感心してしまいます。
西洋史をやる人なら当たり前ですが、わたしがやった古代ギリシアの金石文には筆記体はない!
だから、文字そのものの判読に困ることはなかったのです。
スペイン語や近世ラテン語も要は慣れだと思いますが、もともとかなりの語学力がないとできることではない。日本語の行書や草書と比べてみれば、わかるでしょ?

そんなに厚くない新書ですが、史料を探し出し分析して、まとめあげた労力を考えると、思わず土下座したくなりました。ほんとですよ。

こういう本は寝転がって読むものじゃありませんね。
思わず床に正座して読んでしまいました。

支倉常長という人については、今まであまり興味を持っていませんでした。
ただ詳しく知ると、この人はずいぶん魅力的ですね。
なにせ、言葉も文化もろくに知らない世界へ、口のうまい宣教師だけを頼りに出かけてしまうのですから。

生きては戻れぬと覚悟を決めたのは間違いない。
数えで四十二歳の出発でした。
故郷には妻子がいました。

いくら主君・伊達政宗の命であったとしても、大変な勇気といわざるをえない。
出発の年に、父が罪を得て切腹したと日本側史料にあるから、消耗部隊として派遣されたのは間違いない。
何らかの成果があれば儲けもので、海外で死んでもかまわないし、もし日本の情勢が変われば無事帰国したとしても切腹させてもよい。
――そんな鬼のようなことを、政宗は考えていましたから。

支倉常長は寡黙で、沈着冷静。朝鮮の役では武功をあげ戦後は所領を貰う。他の合戦では敵地で隠密活動までやってのける。
地球の裏側までいって帰ってくる大冒険をやってのけるには、ふさわしい人でした。

支倉常長のような人こそ、見習いたいものです。21世紀の日本人としては。
こういう人を使い捨てにしようとした独眼龍なんかは、いいです、わたしは。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

10月20日

意外なニュースに驚きました。
あのノーベル賞学者白川英樹博士(64歳)に、受賞するまで国内大学から再就職の口がかからなかったとか。

海外の大学からオファーが一、二件あったので、今年一年は休養にあて来年そちらで働く予定だったそうです。

少子化で私立大学に余分な教授を増やす余裕がなかったせいだろうと、白川博士は云っています。
でも、本当のことを云えば、筑波大学名誉博士だった白川博士に、なんのネームヴァリューも無かったというのが正しい。
その証拠にノーベル賞受賞が決まったら、事態は一変。
国内大学からポストのオファーが殺到したそうです。(- -;

読売新聞の社会面で、これを読んだときには溜め息が出ました。
白川博士は、日本の私立大学にいくより海外の大学へ行ったほうが優遇されると確信しましたね。
頭脳流出おおいにけっこう!
第二の人生は、海外で!
――と、思いませんか?

研究者の値打ちもわからん日本の大学へいったところで、いいことはないと思いますよ。

ところで、昨日(19日)の夕刊にも驚くような記事がありました。
いや、予想通りというべきか。

シドニー・パラリンピックの重量挙げ選手にドーピング陽性反応が出た――というニュースです。

商業化がすすめば、パラリンピックだってドーピング汚染は蔓延するだろうと思っていたら、やはりそうなった。
笑うしかないですね、こうなると。

重量挙げの場合は筋力増強剤だったけれど、パラリンピックならではの手法もあるそうですね。
身体にまひ症状がある選手の場合は、その部分に強い刺激を与えるとちからが出る。
まるで、鍼治療やツボ療法みたいですが、それも禁止されているようです。
ちなみに、足が麻痺している選手の場合は、足の爪のなかに針を差し込むらしい。痛みを感じないからできるのでしょう。
これをブースティングというそうです。

これだけの情報だと、そのどこが悪いのかという気になりますが、悪影響が出るから禁止されたのでしょうね。
まさかスポーツ・マッサージや、指圧までドーピング扱いにするわけはない。

お金目当てにドーピングするのは論外です。
でも身体を損なっても勝ちたいという闘争本能は、ボランティアや協力者がいなければ競技そのものがなりたたないはずの障害者競技でさえ免れることはできない。

これが人間の業というものかもしれない。
このごろ、浄土教関係の本を毎日読んでいるせいか、ひとしおそういう気がします。

そういえば、日本や欧米の生活スタイルを全人類がおこなったら、地球があと二つ必要だという調査結果が出ていました。
先進国の生活スタイルをささえているのが、パラリンピックにまで浸透している競争主義です。

もう、いいかげんにしないと危ない。
地球が三つあるわけじゃないのだから。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

10月19日(その二)

「細川ガラシャ夫人」(三浦綾子)を読みながら、他の本を眺めています。
どうも、話がメロドラマになってきたので、つい浮気してしまいます。

これなんですよね、わたしの最大の弱点は。
話がメロドラマになってくると、あくびが出る。(笑)
後のガラシャ夫人こと、ヒロイン玉子が夫・細川忠興に抱かれながら、りりしいキリシタン大名高山右近を想って……。

――なんてことを読んでいると、「団地妻昼下がりの情事」なんて言葉が頭に浮かんで、古き懐かしい日活映画の女優さんたちの名前をあれこれと思い出す。
しょうのない中年オヤジです。

本好きな女の人に薦められた本を、結局読まずに終わる理由がこれですは。
とにかく恋愛がからむと、ばかばかしくって。
もしかして、わたしは恋愛(不倫)アレルギーなのかもしれません。

そういうことに縁のない生活が長かったからなぁー。
いまどきの三十男が結婚できなくて、世の女人たちから嘲笑われるのを見ていると、胸が痛みます。
――というのは、大嘘!

インタビュー番組や、雑誌の特集を見ると、腹が立ちますね。
自立していないくせに、教養もない日本の男なんぞいらないっ……だと!
男は忙しくて、カルチャーなんかする時間はないんだ。

そのようなことをほざく今どきのアホ女と結婚するくらいなら、フィリピンなんかの人を嫁に貰うほうがいいぞ、きっと。
結婚して、子供が欲しいなら、それに限る!

さもなきゃ、結婚なんかよせっ……て余計なお世話ですね。(笑)

どうも、話がどんどんずれてしまう。
つい私情がからむと、どうもねぇ。はははっ。

というわけで、「支倉常長―慶長遣欧使節の悲劇」(大泉光一)という本を読んでいます。
詳しい話はまた明日。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

10月19日

リストラというお題目で、文化を捨てる愚行はいつまで続くんでしょうか?

社会人野球の名門プリンスホテルが、今年の社会人選手権(第27回)の2回戦で負けたそうです。今大会限りで、廃部が決まっていたために、これでノンプロの名門は歴史を閉じることになりました。
22年間の歴史に幕を閉じたということですから、部が新設されたのは1988年ですか?

プロ野球の西武ライオンズができた時には、同じ系列のプリンスから有力選手が続々入団しましたね。
石毛とか。
あのころは西武もお金があったから、ノンプロ(プリンス)→プロ野球(西武)というコースで人材育成をしました。
プロ野球に入ってからも、アメリカのマイナー・リーグへ選手を出したり、いろいろやっていた。

いま思えば、日本に余力があった最後の時代だったのかも。

流通のセゾン・グループはメッセ事業から撤退してしまっているし、西武グループ全体が地盤沈下しているのだから仕方がない。
そもそも企業が収益を社会に還元する目的で、スポーツを含めた文化事業がおこなうという図式が通用しなくなった――と見るのが自然ですね。
企業が一般人に文化を恵んでやるのではなく、文化(スポーツ)を愛する人が文化(スポーツ)をささえるという構造でないともういけない。

いまどきの人は、なんらかの形で企業と関わっていますから、完全に企業と絶縁するわけではなく、会社・仕事はそれ、プライベートはこれと切り分けて、二重生活をしなくてはならない。

野球の得意な人には、それで活躍できる場所を用意してあげたいものですが、どうやら企業にはもう無理なようです。
だったら、サッカーのJリーグみたいに地域密着型のクラブ・チームの遣り方しかない。

冗談みたいな話ですけれど、高度経済成長が始まる前は、北海道の札幌や函館には全国制覇した強豪クラブ・チームがありました。
重厚長大産業の大手企業がノンプロ野球をはじめると、豊富なトレーニング資金をもたないそういうチームは相対的に弱体化して、ついには解散ということになる。

でも、今後はそういう方向性にしか活路はないかもしれない。

とにかく、別の営利行為でお金を作る企業が片手間に支援するのではなく、文化・スポーツそのものを目的として運営する組織を自前で作れないと、今後そういった方面は苦しいでしょうね。
もちろん、独立採算制というのも厳しいから、ボランティアとして愛好者を巻き込まなければいけない。
だとすれば、縦割りのスポーツ社会も、横並びのネットワーク型社会へ移行しないと――と思いますけれど。

どこを向いてもいい話はありませんが、こういうのがネットワーク型社会というもの!(笑)
ひとり勝ちしている組織があれば、どっとそちらへなびくのが普通ですから。
そうなると、勝ち組を頂点にする縦割り社会がすぐできる。

リストラなんて、どんどんやってくれたほうが良い世の中になるかもしれない。長いものに巻かれるのだけが、生き残る戦術というわけでもありますまい。(笑)

リストラされたほうが逞しく生きるちからがつくかもしれない。
うだうだ書いているうちに、元気が出てきました。
部外者のわたしだけが元気になってどうする!(爆笑)

野球部が解散したなら、自分たちで野球できる場所を作ればいいんです。
「虎を野に放つ」という言葉だって、あるんだから。

いろいろやってみれば、大丈夫ですよ。捨てる神あれば、拾う神あり。
「そのうちなんとか、な〜るだろ〜ぉ♪」
なんだか植木等になってしまいました……(^^)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

10月18日(その二)

「細川ガラシャ夫人」(三浦綾子)にとりかかりました。
文庫で上下二巻ですが、上巻はガラシャ夫人の父・明智光秀が謀反を起こす前の話です。
だから、光秀という人をじっくり書き込んでいます。

いったい明智光秀という人はどういう人だったのか。
ビジネスマン向けの歴史ものを書く人は、100人中99人まで時代を読み誤まった時代遅れの人間だとしていますが、そんなことを云うほうが<脳みそ化石状態>です。(笑)

光秀が信長に苛め抜かれていたというのは後世の作り事です。
信長は光秀をかなり優遇していました。織田軍団で最初の城持ち大名になった男ですから。
出世という点で云えば、あの時点では秀吉の比ではない。

ただ誰もが認めるとおり、光秀の利用価値は畿内平定の段階で終わっていた。
信長は人間をただの道具だとしか見ないので、あとは四国・九州の平定で使い潰すつもりだった。その後は、所領を没収して高野山に追放か、さもなければ難癖をつけて切腹。
これは絶対間違いない。

そんなことはないだろうと云う人は、信長タイプの人間の怖さを知らない。
人間不信の塊りだった戦国大名でさえ、信長の政治的理性の恐ろしさをみくびって、滅ぼされていったくらいです。
滅私奉公さえしていれば組織がなんとかしてくれる社会に生きた人たちに、信長の恐ろしさはわからんでしょう。

不況とリストラのまっただなかにいる今時の中年じゃないと、明智光秀の気持ちはわからないと思いますよ。

明智光秀は殺られる前に謀反をしただけで、他のだれであれ、そこまで見えていたら、大博打を打つでしょう。たとえ、徳川家康であれ、柴田勝家であれ、豊臣秀吉であれ、同じこと。他の人間には、チャンスはなかっただけです。
(あるいは頭が悪かった)。

じゃあ、なぜ織田信長を殺したあとで、光秀は何も有効な手を打てずに秀吉に負けたのか。
そのことは、秀吉の情報収集能力が優れていたということに尽きますね。

光秀は謀反のあとの政治工作をしなければ、権力の継承ができなかった。朝廷に大変な献金をしたり、周辺の大名に政権参加を呼びかけたり、そんなことをするのに数ヶ月はかかる。
光秀の成算は、他の織田軍団の武将が戦線膠着状態で動けないことだった。
秀吉が毛利攻めの軍団を率いて帰ってきたとき、明敏な光秀にはすべてが終わったことがわかっていた。
みすみす負けが見えていたから、余計な戦線拡大を望まなかっただけ、為政者としては偉かったように思います。
それを諦めが良すぎるなんていうのは、頭が悪すぎる。

そんな光秀にしたがって手飼いの明智軍が奮戦したのは、光秀とその家臣団の結束の強さの証明ですね。

勝ち馬に乗るだけの武将が多いなかで、光秀の家臣だった斉藤利三や明智左馬介は立派だった。

だいたい信長の晩年は家臣たちの謀反だらけ。信長があのとき死ななければ、日本の歴史は変わっていた……なんてことはない。
ほとんどすべての重臣は、信長が死んでくれてほっとしたのですから。
遅かれ早かれ、信長は家臣の誰かに殺されることになったはずです。

横暴な独裁者となって、政治感覚さえ無くし始めていた信長を倒すには、光秀のような名将が必要だったんですよ。

いつのまにやら明智光秀ひいきになっていました。(笑)
光秀という人は、戦国時代にはめずらしい人間的な人だったように思います。

娘のガラシャ夫人をさしおいて、一方的に光秀の話に終始してしまった。
続きはまた明日。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

10月18日

どうやら元松坂専属広報課長の黒岩さんは、古巣のコクド総務部へ戻れたようですね。
路頭にいきなり放り出さなかっただけ西武グループも良識があった。
黒岩氏がお仕事を続けられてよかったと思います。ほんとに。

ところで書店でどこぞの月刊誌(名前は忘れました)を立ち読みしていると、「日本のオタク文化が滅びようとしている」という特集がありました。
なにをいまさら。
――と、鼻で笑いますね。

先日も友人と話をしていたら、このごろじゃあアニメや特撮で何かやると「エヴァ(エヴァンゲリオン)のぱくりですね」とわかいもんが云うと怒っていました。
<わかいもん>とは20代(または三十代になりたて)で、どうやらエヴァの庵野監督が大昔のアニメや怪獣もの、変身ヒーローものを巧みにパロディ化して映像化する手法を持ち味にしていることを知らんらしい。
エヴァンが古典になるとは――と友人も嘆いておりました。

あれはかつてのオタク文化のゴミ溜めみたいなもので、その肥料になったアニメや特撮がもっていたみずみずしい生命力のかけらもない。
若いうちにあんなものにしか出あえなかったのは、時代の不幸というしかない。

ジャパニメーションも往年の活力を失っています。
TVのロボット格闘物にさえ高度なCGを多用していますが、その感覚はお粗末の一言。高い機材がもったいない。

つづめていえば、アニメしか観なかった作り手世代の自己崩壊です。
でも、そんなことは珍しくもなんともない。
アニメーションだって、粗製濫造がたたって一事は滅びかけたジャンルです。
「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」が登場する前の、海外プロダクションで下請け制作された作画メチャクチャのアニメなんて知らんでしょうな。オタク文化が亡んだなんて特集を組んだ人は。
あの頃のアニメは、主人公でさえ顔を見る限り同一人物には見えなかった。(笑)
後は押して知るべしです。

それから、ここまで来たのだから、いまの20代がオタク文化を継承できなくたっていいんです。
絶対にジャパニメーションや、特撮のたぐいは復活しますよ。
ジブリの高畑勲監督が12世紀の絵巻物を研究して断言しました。
「日本人は大昔からマンガやアニメが好きなんだ」と。
いまのマンガやアニメの表現技法や発想が、12世紀の絵巻物にすでにあったという研究の上での発言ですからね。

東大でフランス文学を専攻していた高畑監督みたいに、きっと異分野からすぐれた才能がアニメ界へ参入してなんとかしてくれますって。
なにせ、マンガ・アニメ好きってのは、日本人の本質に根ざしているんですからね。(笑)

追記:
私事ですが、ちょっとご報告。
ここの日記に無料アクセス・カウンターをつけています。
一昨日、自分でアクセスしたら、表示された数字が<6666>!

人様のホームページでも「きりのいい数字が出たらメールください」というのがよくあるけれど、自分で引き当てたのは、本人のも含めてはじめてでした!(笑)
別にどうということもないのですが、なんだか「ついてるなぁ」とおみくじの大吉を引いたような気分です。

あまりにも自閉してますか?(苦笑)

先頭に戻る | 目次に戻る | 昨日の日記 | 次の日記




© 工藤龍大