お気楽読書日記:11月

作成 工藤龍大

日記目次へ戻る | ホームへ戻る

11月

11月24日(その二)

どうやらインフルエンザをうつされたようです。
読書どころじゃなくなりました。

難しいのも、軽いのも頭に入りませんは。(泣)

久しぶりに山本周五郎の「おごそかな渇き」に入っている短編を二つ読みました。
でも、えらく時間がかかってしまった。
それぐらいなら、はやく寝たほうがよかったかも。

「山田長政」についても書く元気がありません。
そんなわけで、また明日。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月24日

発泡酒だけじゃなくて、ワインも増税するみたいですね。
細かいことは忘れたけれど、単位あたり40円から80円になるというから2倍になる。

「嗜好品だから国民の皆さんにもお願いしやすい」と宮沢蔵相が言っていました。

一千億くらいの増収をみこんでいるようですが、ワインや発泡酒を買う人が減ったらどうするということは考えていないようですね。
酒造メーカーや酒屋さんの肩をもつわけじゃないけれど、安さが魅力の発泡酒も税率があがったらそんなわけにはいかない。
あまり高くなったら、買わないだけのこと――大蔵省の思惑なんて、関係ありません。

このあいだの国会答弁で知りましたが、純粋な税収でまかなえるのは国債の返還分と地方交付金と公務員の給料だけですからね。
このなかで減らすことができるのは、地方交付金と公務員の給料だけ。
でも、地方交付金を減らしたら自治体が潰れる。公務員は日本国憲法で身分が保証されているから、民間企業と違って首切りはできない。せいぜい新規採用を控えることだけです。

増税するしかないという大蔵省の言い分は無理もない。
無駄な公共事業をやめるといっても、止めるのにも金がかかる。
その資金源は国債しかないんですからね。

「そらみたことか、会社つぶれてしもうたがな」
なんて本のタイトルをみたような記憶がします。

このタイトルをみて、腹が立ちました。
自分の会社が危ないのに、「そらみたことか」なんぞとほざく神経が気に食わない。
「給料分の仕事したのかい、あんたは」と、つい言いたくなる。
たぶん、そんな給料はもらっていないと逆ねじをくらうのが落ちでしょうが。(笑)

会社なら社員として何かができそうな気がしないでもないけれど、こと国のことになると、この著者のように自虐的になりがちですね。
そらみたことか、国つぶれてしもうたがな――なんて。

しかし、こんな自虐にふけっていても仕方がない。
<Life goes on.>(人は生きねばならない)
というわけですから。

いまのうちに、ワインの飲みだめでもしておきましょうか。(笑)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月23日(その二)

読書日記です。
「泥流地帯」と「続泥流地帯」(三浦綾子)を読み終わりました。

どうやら、この主人公たちのモデルは実在したようですね。
他でもない三浦さんの夫・光世さんの実家らしい。
別のエッセイで読んだところでは、光世さんの実家も十勝岳噴火の泥流で被害にあった。
それに家族のプロフィールなんかも、かなり似ている。

もちろんフィクションの部分が多いはずですけれど、この作品の異様な力強さは事実に裏打ちされていたんですね。

主人公の兄・石村拓一も、三浦光世さんの兄たちが投影された人物のようです。

フィクションのちからが事実よりも劣るとは思っていないのですが、フィクションに力を与える核(コア)はやはり事実だと思います。

光世さん一家の「しんじつ」に裏打ちされた作品なんだ。
どうりで……と思いました。

いっぽうで、この小説がキリスト教くさいという人の言い方も、続編を読むとわからないわけでもない。
続編の後半に、旧約聖書ヨブ記が引用されているからじゃありません。

「なぜ善良な人に災難ばかりが襲うのか」
という素朴な疑問が、「泥流地帯」正続編をつらぬいている。

とても立派な人物だった主人公耕作の祖父が泥流に呑まれて死に、あこぎな女郎屋の親父はのうのうと生きている。
泥流で壊滅した農地を蘇らせようとする拓一は、さらにひどい目にあう。
これでは、神もホトケもあるもんか――と思うのが普通でしょう。

災難を免れると「日頃の心がけが良かった」などと冗談でよくいいますね。
ぎゃくに非のつけどころがない立派で善良な人が災難に合うと、「日頃の心がけが悪い」とはまさかいえない。
「きっと前世に何かがあるんだろう」とでもいうしかない。

三浦さんはそれが大間違いだと云うんですね。
心がけも、前世も関係ない。
災難にあうのは、人知をこえた神様のおはからいだ――と三浦さんは考えています。

「日頃の心がけが良い」「前世のむくい」というのは、仏教的な考えですよね。
わたしもついそんなことを思ったりもします。
「カルマの法則」なんてね。

でも、自分で法然さんや親鸞さんの書いたものを読んでいくうち、こんなことを云ったら優しい法然さんさえ色を変えて怒ったはずだと思うんです。
気性の激しい親鸞さんなら、それこそ何をするかわからない。(笑)

(法然、親鸞をさんづけで呼び始めたわたしって……ああ、仏教フリーク(^o^)/^^^^)

そんな偉そうなことを吐く資格のあるやつぁ、この世にいないよ!
――というのが、法然さんや親鸞さんの教えのはず。

話はずれてしまったけれど、わが永遠のヒーロー・拓一さんはとんでもないことを言うんですな。
災難もまた「人生の宝」だと。

こんなエピソードもあります。
拓一さんは手先が器用で力も強い。頭も良いし、面倒見も良い。
富良野の開拓部落にいるより、旭川の市街にでもいけば大工でも時計職人だって、なんだってこなせる。なにをやっても、ひとかどの人になれるだろう。
周囲の人間もそう言って、拓一さんに農地復興を止めさせようとする。
無駄だからよせというんです。

すると、拓一さんはいう。とにかく三年は努力してみる。
たとえ無駄に終わったとしても、無償の努力を三年続けることは、自分にとって計り知れない宝になると。

これは深いなあー。
拓一さんのような相手には、義人ヨブに災厄を与えつづけた悪魔でさえ裸足で逃げ出しそうですね。

「ヨブ記」というのは、聖書の中ではとても難解でクリスチャンの人は「つまづきの石」と呼ぶ。
ありていにいえば、非常識なくらいとんでもない内容だからです。

どこから見ても非の打ち所がない義人ヨブに対して、神様が悪魔にヨブ本人を殺さない限りはいくらひどい目にあわせてもいいという許可を与える。
調子に乗った悪魔は、ヨブの妻子を皆殺しにして、財産をすべて失わせ、ヨブを人が忌み嫌う皮膚病にかからせてしまう。

そこへヨブの親友たちが現れて、こんなことを言うんですね。
お前さん、神さまに悪事を隠しているだろう。
正直に懺悔して、神さまに許しをこえば、こんなひどい目にはあわないだろうと。

クリスチャンだって、なぜヨブがこんな目にあったか答えられる人はそうそういない。
キリスト教にすこしぐらい興味をもっても、「ヨブ記」をみたらまず間違いなく逃げ出したくなる。

ただ社会的に大いに発展して、かつ人格も練れているような人は、牧師さんに教わらなくても「ヨブ記」の問題をクリアしている場合がある。
幸運も財産だけれど、不運も財産だと、こういう人たちは知っているようです。
めったにいませんけれど、そういう大人物は。

汚い話ですが、人間にとってミソとクソは全然違うものですね。
ただし自然界をひろく考えれば、クソは大変価値のあるものです。
植物や微生物だけじゃなくて、食物連鎖を考えれば、とうぜんそうなる。

うまいことをいっている人がいました。
生殖器と肛門・尿道がなぜほとんど同じ場所にあるのか?

赤ん坊も糞尿も自然から見れば、どちらも値打ちある生産物だからだそうです。

貴重なものを生み出す器官がごく隣り合っても、不思議じゃない。

このあたりの事情をわきまえていることが、人間の尊厳と深く関わっているんじゃないか。
三浦さんの本を読んで、そんなことを思いました。

三浦綾子さんの作品って、「人間の尊厳とは何か」というテーマで貫かれていますからね。

ただしあくまでも「言うは易く、行うは難し」……
人間らしくなるという「明日のために(その二)」はえらくしんどいですね。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月23日

わからなくなりましたね、アメリカ大統領選。
ゴアの票が上積みされて勝つのかなと思っていたら、最大の票田となるはずのマイアミ・デイド州が26日までに65万票を手で数えるのは不可能だと投げ出した。

こうなると、ゴア票の上積みはほとんど期待できなくなる。
州最高裁がせっかく手作業集計の参入を決めてくれたのに、がっくりでしょうね。

ゴアの弁護士は来週月曜まで最高裁に集計締め切りの延長を求めています。
でも、そうなると12月8日の大統領選挙人投票に間に合わなくなる。
結果的にフロリダ州からは大統領選挙人が出なくなる。プロセスから排除されるんだそうですね。

非常手段として、フロリダ州議会で大統領選挙人を選出することもできるそうです。
ただこの場合は、共和党が支配している州議会ですから、結果は火をみるより明らか。

そういえば、手作業で集計中の三郡のどれかで選挙管理委員だったかが数日前に辞任したというようなニュースもあったように思います。
ボランティアが何人いるかしらないけれど、60万票や50万票を手で勘定させられるのはきついだろうなぁ。
ボランティアに応募したときには、まさかそんなことまでやるとは思わなかったでしょうね。(笑)

事態がこれだけ混迷してくると、アメリカを救えるのはもうあの人しかいない!
マグマ大使ーっ!
マモル少年に「ロケット人間」マグマ大使を呼んでもらおう。(笑)

(しかし、マモル少年を演じた江木俊夫氏はクスリでつかまったよなー(泣))

いやはやオヤヂぎゃぐで申し訳ない。
このあいだ受けたもので、つい……(恥)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月22日(その二)

読書日記です。
ところで、シャムの人名、地名に疲れたので、「山田長政」(小和田哲男)はお休みです。
読んだのだけど、まだよく整理ができていない。
消化不良気味なんです。

もっとこなしてから書かせてもらいますね。(^^)

さて、「泥流地帯」(三浦綾子)を読みました。
読み終わって大変な誤解をしていたことに気がつきました。

本の宣伝文や裏表紙の文句をみて、この本をまるで誤解していた。
北海道の開拓村に住む二人の兄弟を次々と災厄が襲う。
ひたすら耐える兄弟。
そして、キリスト教信仰へ導かれるふたり……

この本を読んだ人の感想だの、三浦綾子さんへの先入観から、だれだってこう思うでしょう。
あー、でも……これは大間違い!です。
むしろ大ウソ!といったほうがいい。

騙されていた!
く、口惜しや〜〜!
――と、玉梓が怨霊(ふ、古い……)ならずとも、言いたくなる。

この作品は、不屈の魂をもつひとりの漢(をとこ)の物語として読みたい。
すくなくとも、わたしの中で主人公の兄・石村拓一は永遠のヒーローのひとりになりました。
この人がどれほどの「漢」(をとこ)であるかは、ぜひ一読してください。

ひさしぶりに熱い魂にあって、ぐらぐらきています。
ついでに、文章もヘンです。(笑)

三浦綾子さんの小説って、男が素敵なんですよね。
綾子さんの恋人・前川正さんや、ご主人・前田光世さんは、男のなかの男です。

自伝的三部作「道ありき」で描かれたお二人は、日本の男の美しさの理想ですな。

男の生き方のバイブルというべき三浦綾子さんの本を、女子どもだけに読ませておく手はない。
小学校五年生以上の日本人男子には必読の本ですよ、三浦さんの本は。

ちょっと興奮しすぎて、収拾がつかないので詳しい話は明日にしたほうがよさそうだ。(笑)
「男のオバさん」になりたくない男の子は、すべからく三浦さんの本を読むべし!
「日本男児の明日のために(その一)」であります。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月22日

そろそろアメリカ大統領選も決着が見えてきたような気がしません?
予想とおり、民主党よりのフロリダ州最高裁は手作業による集計を認めましたしね。

票の数え方は、はっきり言って民主党ボランティアのお手盛りでしょう。
「ハンギング・ドア」「スィング・ドア」なんて分類しているけれど、投票用紙の穴のあけ方は無効とみるべきでしょう。
きちんと紙に穴があいていないんだから。

投票用紙が切り抜きシートみたいにはがす形式というのも呆れるけれど、それをきちんとはがさないなんて投票者もおかしい。

シートからパンチで打ち抜いてはがれた紙片を「チャド」と呼ぶそうです。
今回初めて知りました。

そのチャドの状態を分類したのが「なんとかドア」という上の言葉。

「なんとかドア」というのは、ちょうどドアみたいに四角い紙片が投票用紙についている状態です。
この紙片がすっぽりと抜け落ちなていないのは、無効とおもうべきなのでは。

それ以上にひどいのが、「プレグナント」「ディンプル」というタイプ。
「プレグナント」(=妊娠)というのは、紙片の四隅がまだシートから離れていない。
「ディンプル」(=えくぼ)にいたっては、くぼみがあるだけ。

これを有効とカウントするのは、間違っていると思います。

民主党のポランティアがチャドを口に飲み込んで作業しているという共和党集計作業員もいる。
たぶん、そういう人もいるかもしれない。
でも、それ以上に、ただのくぼみや、パンチミスの痕跡まで票に入れる根性がおかしい。

よその国の話ではありますが、あんまりデタラメだとつい熱くなる。
お人よしですね、わたしも。(笑)

ところで、ペルーのフジモリ大統領は日本滞在中に辞任を発表して、議会から罷免されましたね。
新聞をみると、十年も政権にいたんですね。
はじめて登場したときは、日本でもすごく期待されたし、大使館人質事件のときにはお世話になった。

国内では独裁的傾向が嫌われて孤立無援になっていきました。
フジモリさんは他に行く場所がなくなって、この国に来たのでしょうね。

ペルーは強力な政権が経済建て直しをしなければ、どうにもならないけれど、今ではだれがやっても無理でしょう。

しかし、日本の外務省はこの人にさっさと出て行ってほしいと表明している。
なんだよ、窮鳥を懐に入れる度量もないのか、この国は。

フジモリ氏に陰の部分があるのは確かだろうけれど、いちどはこの国の人を救ってくれただろうに。
長期滞在させてあげてもいいんじゃないか。
――それが、人間としてのつきあいってものじゃないか。

ペルーで不正蓄財の容疑があきらかになって正規のルートで召還されたら、フジモリさんも戻るべきだとは思います。
しかし、行き場のない疲れた鳥をそそくさと追い立てようとするなんて、恥ずかしいとわたしは思うんです。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月21日(その二)

いきなり読書日記です。
「山田長政―知られざる実像」(小和田哲男)ですが、タイの歴史に入ったとたんに読むスピードが落ちてしまいました。

タイ語になれていないので、人名が頭に入らない!
翻訳ものが嫌いなひととおんなじ状態になってしまった。(笑)

それほど東南アジアについて、わたしは知らなかったんですね。(苦)
読んでいるうちに、あたまがぐるぐるしてきました。
インフルエンザが伝染したかな?

日本の戦国時代末期は、タイではスコータイ王朝だのアユタヤ王朝が激しく争い、そこへアンコールのクメール王国やチェンマイのランナータイ王国だのパヤオ王国が侵略と和平を繰り返す。

東南アジアには縁のない中年(笑)なので、これだけでもう訳がわかりません!
しかも、アユタヤ王朝が王位簒奪者が次々と登場するので、覚えきれないくらいのタイ人名です。
むかし慣れ親しんだキック・ボクシングのタイ人選手と似ている名前があればもうすこしなじめたんでしょうが……
ムエタイをキック・ボクシングと呼んでいたはるかな70年代が懐かしい……。
真空飛び膝蹴り!――なんてね。(苦笑)

とにかく大変です。
明日までにはなんとかもう少しわかるよう努力したいと思います。

さて、山田長政という人は、紺染め商人の息子のくせに、譜代大名大久保忠佐を藩主とする沼津藩に潜り込んでいたようです。
大久保忠佐(ただすけ)というのは、有名な旗本大久保彦左衛門のお兄さんですな。

ただし、身分は駕籠かきでした。
殿様の駕籠をかつぐので、かろうじて武士のはしくれといえるけれど身分は低い。
出世の見込みは全然ありません。
もう少し時代が古いと、豊臣秀吉みたいに草履とりからでも大名になれる人もいましたけれど。

しかも、沼津藩はわずか2万石。これじゃあ、上がつかえていて出世は無理。

それに、大久保家というのは徳川家臣団のなかで数は多いけれど、内政や外交で有能な人物はまずいない。
徳川家臣団でも能吏派の本田正信・正純親子と大久保一党の総帥・大久保忠隣(ただちか)は犬猿の仲。

つまり発展性はまるでない藩なんです。
それが証拠に、慶長六年に大久保忠佐が病没すると、沼津藩は継嗣がないので断絶してしまう。

長政はいったんは武士になろうとしたけれど、主家に見切りをつけて駿府に戻ってしまったのです。
で何をやっていたかというと、町の顔役です。

武芸の道場に通い、徒党を組み、町の揉め事の仲裁にあたっていた。
いわゆる侠客。当時の言葉でいえば「傾き者」ですね。
腕がたって、弁才があって、指導力がある。
どうやら、仕事にあぶれた「傾き者」の頭領だったようです。

この時代は、関ヶ原・大坂の陣で潰れ大名が大勢でた。失業した武士が、あふれた時代です。
しかも、キリシタン禁制がはじまって、キリシタン武士の就職はほぼ不可能。
失業者があふれた時代でした。

そういう牢人たちが戦闘技術という身に付けた特殊技能を発揮する場所を求めたとしても不思議はない。
東南アジアの日本人村は、そういう武士たちにとって希望の天地でした。

「傾き者」とはせんじつめれば、武士くずれの牢人です。農民・商人といっても、戦国時代のそれは、われわれ後世からみると武士とさして違わない戦闘力をもっている。

もう少し時代がくだると、「傾き者」は町奴とか旗本奴とわかれますが、町奴のほとんどは牢人なんです。

戦闘しか生きるすべを知らない牢人たちの頭目となった山田長政は、駿府の豪商の船で密航して当時シャムと呼ばれたタイへ向かった。
そして、傭兵隊長となり、また大貿易商として幕府と交易をするまでになります。
ただ、そのことを読み解くには、タイの地名と人名の嵐をクリアしなけりゃならない。(苦笑)

それについては、また明日。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月21日

このところ、ロボット・ブームなんでしょうかね?
つい先だって、本田技研が人間型ロボット「P3」の改良型「ASIMO」を発売したかと思うと、昨日(21日)ソニーも人間型ロボット「SDR−3X」を発売しました。

本田の「ASIMO」は身長120センチだけれど、ソニーは身長50センチ、体重5キロ。
しかもソニーのは、パラパラ・ダンスまでできる。
わたしより運動能力が高いかも?(笑)

お値段は本田が乗用車3台分、ソニーが軽乗用車1台分。
どっちもはっきり言わないところがにくい。(笑)

でも、もっと安くなったら欲しいなあ。
ロボット・アニメで育ったわたしには、ロボットと聞いただけでふらーっとなるところがある。

できれば、鉄人28号だの、マジンガーZだのの形が着せ替えできればもっといい。

ソフトウェアのMP3プレイヤーに「スキン機能」がありますよね。
あんなふうにアレンジできたら嬉しい。

わたしは「縮み志向の日本人」(笑)なんでソニーのほうがいいですね。
家中にちっこい鉄人やマジンガーがうろうろしているなんて、考えただけで楽しい。

ソニーはどうやらアイボの娯楽路線を狙っているんでしょうが、本田のほうは介護や家事用の実用路線のようです。
おたくオヂのファンタシー(笑)を忘れて正気に返ると、本田の試みのほうが大切ですね。

ひとつには、いまどきの若い世代(ミドル・ティーンから二十代前半)に生命を持った存在とコミュニケーションできるかどうかという疑問がある。
どうも、この世代の子は生物としての危険感知能力が麻痺しているとしか思えない。

渋谷ハチ公前の植え込みでドブネズミが大繁殖しているという報道番組を見たんですが、現場に居合わせた人たちの反応がどうもヘンに思えるんです。

ネズミがうようよいるをみて、いちおうワッと驚くのは二十代半ば以上の人間。
高校生の女の子だと「かわいい」「リスみたい」と今にも撫でたそう。
これには、ネズミの映像よりもショックでした!

ドブネズミが病原菌や家ダニをもっていることを知らないのですね。
しかも、こいつらはネズミの中までいちばん獰猛で人間を襲うことさえある。
野良犬や野良猫よりも危険な存在なんですけど――そんなことは、学校で教わらなかった?(笑)

人間は学習しないと何も出来ない本能が壊れた動物です。
生物としての基本教養さえ学習しなければならない不完全動物です。

きょうびの若い世代は、そこらあたりの警戒システムの回路が欠損している。
第二次大戦後、安全で清潔な国づくりをめざした副産物なんでしょうがね。

昭和三十年代から四十年代までは常識であったことが、その後の世代では常識ではない。
これだけ共通基盤がないと、ほとんど外国人と変わらない。

ただ、ことが生きることの常識にかかわると、生物としての常識をそなえた外国人とは比べられないはず。

いまの三十代以降の世代が介護を必要とする時代になったら、深刻な問題が起きると思いますね。
昨今の医療ミスくらいじゃすまないでしょう。

そう考えると、はやく介護用ロボットが完成して欲しい。
いまの中学生以下の世代が生物体としての常識や、社会的動物としての訓練を受けて変わる可能性はあります。
というより、そのことは期待してるんですけどね。
気分は教育臨調の審議委員と同じですは。(笑)

こどもは爆発的に脳が発達するから、すぐにも変わる。
だから将来を悲観するわけではないけれど、どうしたって空白の世代が挟まるのはさけられない。

そこを埋めるには、やはりロボットかなあ。
――と思うわけですよ。

100万馬力なんていらないけれど、アトムみたいな「♪心優しい科学の子♪」が出来て欲しい。
いまから、国民の老後を心配するおせっかいなオヂであります。(苦笑)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月20日(その二)

先日の日記に書いたグアテマラの女性人権活動家は、メンチュウという名前でした。
たしかニューズ・ウィークでも取り上げられたことがあったように記憶しています。

グアテマラの中学生たちにこの人が特別授業をするNHKのドキュメンタリー番組をみて、いいこというなぁと思いました。

言語と歴史を奪うのは、民族を衰退させる早道です。
かつて日本も被植民地国で、そういうことをやろうとした。
幸いにして、日本の敗戦で西洋を真似た歴史・言語の廃絶計画は頓挫しました。

これは地球的規模でいえば、とってもよかった。
西洋が植民地にした国々では、歴史と固有言語の伝統が破壊されたおかげで、いまだに過去のマイナス遺産を払拭することができないでいる。経済的自立どころか、国内の平和さえ達成できないでいる。
それを思えば、日本植民地主義がはやばやと破綻したおかげで、アジアの国々は発展しているといえる。

言葉と歴史を大切にしないことは「国民のやる気」をそこなうんですね。
自分に自信がもてない子どもは、遊びにも勉強にもやる気がでない。
オトナであっても、事情は似たようなものらしい。

メンチュウ女史の話を聞いていると、英語公用語論なんてとんでもない気がしてきました。
フィリピンに一度だけいったことがあるけれど、あそこは文化的にはアメリカの植民地です。

いまの日本だって似たようなものでしょうが、アメリカ的生活が心地良い訳じゃない。
日本人が気持ちの良い生活を探すには、言葉(日本語)と歴史を見直すしかありませんな。

日本史だって、了見の狭い日本史学者の視点をぽい捨てして、地球的規模で見直せば今までわからなかったいろんなことがわかってきます。
日本語を大事にする人間でなければ、英語だってろくなもんじゃありません。

どちらの言語も中途半端にしか使えないのは不幸です。
もっとも、英語を話せず、日本語もろくにわからない人についてはいうべき言葉もありませんが……

いまじゃ、三十代くらいでも国語力ないんじゃないかと思う人が結構います。
「それをしもAというなら」という言葉をみて誤植だと笑っていたバカな三十代の女性がいました。
「それをしも」という副助詞「しも」の用法を知らないで、「それをもし」の誤植だと思ったのですな。
こういう人のことはほっておくしかありません。(泣)

前置きが長くなりましたが、こういう複雑な(?)問題をうっちゃって、この国の人が世界のあちこちをぶらついていた時代もありました。
現代じゃありませんよ。(^^)

戦国時代から徳川時代初めの頃です。
つまり山田長政が活躍した時代。

世界史的には、ヨーロッパの大航海時代にあたります。
日本においても、徳川家康が天下を統一したこの頃が「大航海時代」だと『山田長政』の著者・小和田哲男氏は言っています。

家康は息子秀忠にはやばやと将軍職を譲って、駿府に隠居したのですが、それは名ばかり。じっさいは駿府を国際貿易都市として成長させて、その富で徳川政権を強化していたのです。

家康が大御所で秀忠が二代将軍だったころは二重統治体制といわれますが、どちらが本当の専制君主かについて外国商人たちはお見通し。
家康が城をたて隠居するとともに、駿府は諸外国の商船が入港する国際都市へと成長しました。

山田長政は、この国際都市・駿府で地侍の娘である母と、紺染商人の父とのあいだに生まれたようです。
他に尾張・伊勢・長崎出身説もありますが、小和田氏によると駿府出身説が資料的にいちばんたしかだということです。

長政が生まれたころはすでに天下の趨勢がきまり、武士としての立身は望めなくなっていました。
世の中全体が固定化して発展が望めない。そんな時代です。
商人になっても、既存の大商人たちに阻まれて上へ行くのはむずかしい。

こんな世の中に生まれあわせた英雄児が、どんな人生を選んだのか。
それについては、また明日。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月20日

頭脳活性化トレーニングの犠牲者(笑)となったのは、うちの奥さんでした。

熱を出して寝込んでいます。
急に気分が悪くなったというのです。

なぞなぞを考えすぎて、と本人は言っています。
しかし熱まで出るとは。
こんなに頭を使ったのは何年ぶりかしら、ということなんですが……

知恵熱かと笑っていたけれど、どうやらインフルエンザのようです。
なぞなぞに疲れて、インフルエンザになるかーっ!

笑っていいのか、悲しんでいいのかどうもわかりません。(笑)
はやく良くなってほしいもんです。

これじゃあ、古典落語の修行なんて……ねぇ。

さて、昨夜はTVにかじりついていたけれど、自民党らしい終わり方でしたね。
でも、国会中継を昼間から断続的に観ていたおかげで、いまの国政がよほど危ないことだけはわかりました。

いまの国庫の歳入・歳出を比べると、すごいことになっているんですね。
税収でまかなえるのは、国債の返済と地方交付金に、公務員の人件費だけ。
新聞で何度も読んだことだけど、すこしも頭に残らなかった。
議員と宮沢蔵相のやりとりをみて、記憶に焼きつきました。
潰れた一流企業の重役は、宮沢蔵相みたいにしたっぱのいうことを軽くあしらってきたんだと改めて思いました。

<そごう>どころじゃない破産間違いなしの会社に、わたしたちはいるようです。
たぶん、この国が破綻するころには、宮沢氏はあちらへ行かれているでしょうけれど。

いまの状況では、経済政策はだれがやっても上手くいかないでしょうね。
評論では切れあじ抜群の堺屋経済企画庁長官も、実務ではなんとなく冴えない。
日本経済の構造そのものが、状況に合っていないから、雇用も増えないし、家庭の支出も減るいっぽう。

どうすればいいのかは、たぶん政治家の経験ではなく、起業家の知恵が頼りなんだなと思います。

加藤氏の騒動は国民の気分と無関係に終わったけれど、自民だって無事にはすみますまい。
こんどの選挙が楽しみです……(怒)

さてと、こんどの注目は、アメリカ・フロリダ州最高裁の判決かな。
この結果はいつでるんでしょうね?
7人の判事はまだ決めていないそうですけれど。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月19日(その二)

読書日記です。
いいかげん、ハードななぞなぞ勝負でついに犠牲者が出ました。(笑)
それについては、明日の雑談モードで書くことにします。

おかげで、なぞなぞからはしばらく解放されそう。(^^;

ところで、19日付けの読売新聞で面白い対談がありました。
韓国と日本の古代史を、国際化時代のさきがけとして再評価する対談でした。
日本側は梅原猛ら。韓国側は「縮み思考の日本文化」のイー・オリョン教授ら。

韓国の金教授が「飛鳥はなぜアスカと読むのか。またアスカはなぜ明日香とも書くのか」という謎を解いてくれました。
「飛鳥」を韓国語(というより、朝鮮民族の言葉といったほうがいいでしょうね)で読むと、「開く」と「日」という単語になる。

「飛鳥」は日本の万葉仮名と同じように、漢字を音標文字として使って古代朝鮮語を表記したわけです。
だから、「飛鳥」という地名には、日本語ができない古代朝鮮語使用者が読んでも、朝鮮語ができない古代日本人が読んでも同じ意味になるような仕掛けがしてある。

たじゃれとかけ言葉が好きな、われらが先祖の特徴ですねぇ。これって。
おやぢギャグの伝統も、ここまでさかのぼるかな?(笑)

「明日香」と表記する場合も、発想は似ている。
これは「明日郡」とでもいう意味なんです。
朝鮮半島での地方の政治単位「郡」を発音すると「コオル」になって、この音が「香る」つまり「香(カオル)」に通じる。
「明日の町」という意味をこめて、日本語・古代朝鮮語に通じた人間が考え出した――ということのようです。

しかし、今回の対談の気分のよさは、ふたつある。
ひとつは朝鮮半島から人がやってきたばかりでなく、日本語・古代朝鮮語がすでに言語的に分離していた時代でさえ、日本人と古代朝鮮民族が日本と朝鮮半島で入り混じって暮らしていたと双方が認めていること。
日本に朝鮮民族の村があったように、朝鮮半島にも日本人の村があったということです。

もうひとつは、古代日本へやって来た半島の住民たちがこの地をフロンティア、希望の地とみなしていたと韓国側が認めたことです。

日本人が朝鮮半島の文化の残りかすを盗んだというのではなく、半島からこの国に来た人々が先住民といっしょに国づくりをして日本人になった。
考えてみれば当たり前のことを、韓国側が認めるようになったのは嬉しい。

もっとも、イー・オリョン教授や金教授はかなりの知日派だから、この見方は一般的ではないかもしれないけれど。

むかしはこんなことを学者が発言すれば「日韓同祖論」という戦前の悪夢が蘇って、大変なことになったはず。
司馬遼太郎さんが韓国の学者さんたちとの歴史について対談したときには、まだ戦前の記憶がなまなましくて、とても今回のような議論はできませんでした。

今回の出席者がイー教授をのぞいて、みな50代・60代だということも一因かもしれない。
戦前の植民地時代を知らないという意味においてですが。

ところで、土の下を掘り繰り返さないとわからない古代社会が、いまさらなんの役に立つという疑問を、歴史に無関心な人はよく口にしますね。
こういう人に限って、ファシズムの民族主義的たわごとに騙されやすいんですがね。(笑)
そのことは置くとしても、歴史を知ることは人間にとって必要不可欠だということを、グアテマラの女性人権運動家に教えてもらいました。
それは「誇り」の問題なんです。

自分が価値ある存在であることを知るためには、歴史を学んで先人たちの努力を知る必要がある。
こういう偉いことをした先人たちがいるから、いまの自分がある。
先祖や先人のやってきたことをえらいなぁと思う気持ちがないと、自分も愛せないし、自分自身にも価値を見出せないのだそうです。

自分を無価値だと思えば、麻薬と犯罪に走ってしまう。
グアテマラ先住民のその人は、悲惨な状態にある自分たち民族の誇りを取り戻すために活動しています。

「歴史」と「言語」を大切にしなければ、個人であっても幸せに暮らせない。
日本人なら「ほんとかよ」と疑う人が多いはず。
でも、この事実を、民族抹殺(ジェノサイド)と貧困と犯罪の世界を生き延びてきた女性活動家は身をもって知った。
わたしは懐疑派の良識日本人よりも、グアテマラの中年おばさんのほうを信じます。

歴史を学ぶことは、人間の尊厳にかかわる問題なんだと、厳しい人生体験から教えてくれたグアテマラ人女性に、背筋をどやされたような気持ちです。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月19日

昨日のなぞなぞは、とうとうわかりませんでした。
結局、降参です。(ToT)
あーあ、答えを聞けば、なんてことないんですけどね。(苦笑)

ところで、注目のアメリカ大統領はどうやら法廷闘争ですかね?
そうなると感謝祭までは確実にずれこむ。下手をしたら12月に入るかもしれない。

感謝祭というと、11月第四木曜日だから、今週木曜日(23日)ですね。
今月7日にはじまった選挙の結果がいまだに出ない。
国際政治においても大変な空洞状態のはずですが、後にならなければ、この後遺症はわからない。
アメリカ国民もそのことはわかっているんでしょうが……

冷戦構造が終わって、アメリカのひとり勝ち状態だからできることですね、今の状態は。
来年二月で任期切れのクリントンだけがはしゃいでいるように見えるのは、わたしだけ?(笑)

本日(20日)午後には、日本でも不信任案が出る。
加藤派(旧宮沢派)は、宮沢蔵相たち10数人が出て分裂した。
はたして、不信任案はとおるのか。むずかしいかなとも思いますが……。

たがいにルール破りなんて言い合っているあたり、アメリカの大統領候補も日本自民党も似てますねぇ。(笑)

ルール破りといえば、アメリカン航空旅客機の機内トイレでタバコをすっていた45歳の会社員が飛行機から下ろされるというニュースがありました。
事故につながるからタバコ厳禁の機内トイレで喫煙するとは、いい根性だ。
離陸後20分だったせいか、機長が成田に引き返してこの男を下ろした。

運行に支障がでた費用は、この会社員との話し合いにするという話です。
数百万から数千万はいくかもしれない。

ルール破りの「自己虫」は、経済活動の分野だと、この国から一歩でたら通用しないんだなと、痛快でした。
ちょっと意地悪ですかね、わたし。(^^)

1960年の大統領選挙でニクソンが不正選挙したと内々では思っていたケネディに敗北宣言をしたのは、冷戦状態で権力の空白など許されないと判断していたからです。
すくなくとも、ニクソンとケネディのあいだには、アメリカの国益を優先するという暗黙のルールがあった。
この手のルールを「良識」というんだろうけれど、ブッシュとゴアのあいだにはそういう「良識」はないようです。

ただし、「良識」も一歩ずれると、固定化につながる。
宮沢蔵相がいう自民党の「良識」は、国民にとっては非常識でしょう。

たびたびおんなじことを書いて恐縮ですが、「暗黙のルール」は価値観を共有する人間・集団同士にしか通用しない。

「ルール」をだれにでもわかるものに翻訳する作業が、価値観が多様化した時代には必要となる。
この作業が「立法」というわけです。

日本の法律はどうかわかりませんが、ローマ法をもとにする西欧の成文法はその精神で貫かれている。
古代ローマで誕生した「法律」は、異民族・異文化がひとつの世界で共存するための仕掛けです。

(繰り返しますが、日本のことはよくわかりません……)

選挙を法廷闘争に持ち込むというアメリカ大統領選の行方は、多民族・多文化国家アメリカにとっては必然なんですね、きっと。

そうすると、日本の「自己虫」が西欧化された世界で通用しないのは当然です。
アメリカも法律観念においては、古代ローマ文化の末裔ですからね。

あの社会を構成する異文化の人は、他の文化に属する人からすると、日本で増えている「自己チュー」みたいにみえる。
そういう人にもわかるルールを示して、それに従わなければ金を払ったお客さんてもサービス提供を拒む。
ちょっと見るとひどくかたくなな態度ですが、数多くの異民族・異文化と共存する社会の知恵です。

そういうことがわかっていない人は、この国から出ると大変だ、きっと。

------------------------
追記:
「木の花とプラスチックの花では、におうのはどっち?」
というなぞなぞがありました。
これも難しい!
とうとう降参しました。(笑)
答えはどっちだと思います?(^^)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月18日(その二)

前の日記のなぞなぞの答え……わかりました?

一晩かからないで、わたしもわかりましたよ。(笑)
よかった。よかった。

とにかく、こんな調子じゃ、ろくろく本が読めませんは?
もっか二つの難問を抱えています。

ひとつは「虫がいっぱい入っているかんはなに?」
もうひとつは「世界でいちばんでかいくだものはなに?」

うーん……わからない。
一晩かかるかな、やっぱり。

ところで、いま「山田長政」(小和田哲男)を読んでいます。
しかし……読書日記をつける余裕は……ないです、いまのところ。

ああ、読書日記は明日だな、また……(泣)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月18日

一昨日から、つまらないことに熱中しています。
笑っちゃいますが、なぞなぞ。

どうも頭が堅くなったせいか、けっこうしてやられています。
うちの家人が熱中しているせいで、油断もすきもありません。

昨日もやられてしまった。

「家の中で、いちばん温度に関心があるのはどこ?」
うわーっ、これはわからなかった。
きっと、皆さんなら簡単にわかったでしょうね。(泣)

こいつも難しかった!
「三年たたないと食べられない草は?」

一晩かかりました。思いつくには。
さいわい正解でしたけれど……。

いま「花屋さんがすすめる花はなに?」というのに取り組んでいます。
今日中に答えがわかれば良いんですけど。(笑)

家人はスタジオ・パークというNHKのトーク番組が好きで、ロックシンガー兼落語家のミッキー・カーチスが出ていたのに感銘をうけたようです。
師匠立川談志の詩をカーチスが作曲してレコーディングした。

「おれの曲はどうせB面だろう」
と談志がいつものようにからむ。すると真打ちミッキーが答える。

「師匠、A面B面はむかしの話で、いまはCDです」

この問答に感動したらしく、堅くなった頭脳を柔らかくするんだと、小学生向きのなぞなぞの本を買ってきて、チャレンジしているのです。
本人は、なぞなぞを卒業したら、落語を勉強するといっております。

(こんな出来すぎた話にのせられるようじゃあ……道は遠いでしょうね、きっと。)

そんなわけで、いま我が家はなぞなぞの一騎打ちでろくろく読書もできません。
本を読んでいると、いきなりなぞなぞ問答ですから。

家ん中が「バガボンド」状態で油断もすきもない。
四六時中、木刀じゃなくて、問答がとびかう。(笑)

剣豪ならぬなぞなぞ名人ができちゃうぞ、このままだと!
と、いっても聞いてくれるはずもない。

むかしの一休さんアニメと同じで、
「そもさん」
「せっぱ」
という具合に問答をやっています。
いつから、うちは禅寺になったんでしょう。

今日も朝から激戦です。(笑)
頭がそっちのほうにばかりとられて困る。
ボケ防止というには、あまりにもつらい修行であります。(ToT)

ところで、「サンタが乗っていて、入り口を探す動物は何?」って、わかります?

答えが知りたい方は、メールか、掲示板にでも書いておいてください。
えっ、すぐわかった?
す、すごい。(絶句)

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月17日(その二)

夕刊をみたら、今朝読んだニューヨーク・タイムズと同じことが書いてありました。
やはり、印刷・配達の手間がかかるだけ遅くなるんですね。

それにしても、日本のマスコミの論調って、ニューヨーク・タイムズかワシントン・ポストとそっくりなのには驚きますね。
あっちの記事を翻訳したんかいと突っ込みを入れたくなる。
同じ大手通信社からニュースが配信されているせいというより、分析まで似ているのはおかしい……なんて、思ってしまいました。

ところで、本日は読書日記はお休みです。
理由はちょっとしたお宝を入手したから。

といっても、大昔のアイドルのうれし恥ずかし初写真集を格安で買ったわけじゃない。(笑)

どーんと重い「ブツ」を、軽い財布をかえりみず買ったのでした。
その本というのは、
「親鸞著作全集」(金子大栄編:法蔵館)と、「浄土教教理史」(石田充之:平楽寺書店)。

どっちも、この分野では必読の名著なんです。

「浄土教教理史」のほうは前の持ち主が買ってから一度も読んでいないらしくて、まっさらです。
ページを開くと、ぱりぱりと嬉しそうな声が出る。きっと、長いことだれも頁を開いたことがないんでしょうね。立ち読みでも。

さいきん浄土教に凝っています。
岩波文庫では「浄土三部経」(上下)「教行信証」「歎異抄」「親鸞和讃集」「一遍上人語録」とじゅんぐりに制覇してきました。
目下、「往生要集」(上下)に挑戦中です。

法然・親鸞関係の文献では、参考文献として必ず挙げられている「親鸞著作全集」と「浄土教教理史」がこれに加わったのは、うーん、マニアックだけど嬉しい。

本日はちょっとハイになってます。(^_^)

そのうち、中味をご報告したい……とかように思っている次第であります。
続きはまた明日。

先頭に戻る | 目次に戻る | 前の日記 | 次の日記




© 工藤龍大