お気楽読書日記:11月

作成 工藤龍大

日記目次へ戻る | ホームへ戻る

11月

11月30日(その二)

本が売れない時代っていうのを、ほんとに痛感しました。
古本屋で、3000円するハードカバーを300円で買いました。

べつに汚れているわけでもないし、内容が読み捨てというのでもない。
日本翻訳出版文化賞とかいうなんだか立派な賞までもらっている。

それが300円です。
文庫本のほうが高いですは、これだと。

ついでに、ベストセラーになった小説のハードカバーをみたら、もっとすごい。
100円ていうのがざらです。
そういえば、<BookOff>でもハードカバーのほうが安かったですね。
重くてスペースを取るハードカバーは、都会の読書人にはつらいですからね。

ハードカバーを買って読んで内容が気に入ったら、文庫が出たときにハードカバーを古本屋に売ってかわりに文庫を買う人がいます。
身にしみて共感しますね。
ハードカバーがどかどかあると、ほんとうに困る。
スペースをとらない文庫がありがたいですは。(苦笑)

この本は「通辞ロドリゲス」(マイケル・クーパー)です。
いつか買おうとは思っていたので、安く買えたのは嬉しいけれど、複雑な気分です。

まあ、いいや。
新しい友だちが我が家に来てくれたんだ!
大切につきあうことにしよう。

いい本は、ぜひとも我が家に招待申し上げる!
本と付き合うわたしの哲学が、これです。(笑)

そのかわり、中身がない本には冷たい。

中年の読書の基本姿勢は、「つまらない!」と直感した本を<買わない・読まない>ことに尽きます。

わたしは日本語のほかに、英語だのフランス語だのドイツ語だのまで守備範囲にしているせいで、つまらないとわかった本は読まないことにしています。
ギリシア語の本も読みたいですしね。
昨年読み出したクセノフォンの「アナバシス」をまだ読んでいるんです!
外国語で読むと、とにかく時間がかかってかなわない。
でも、その分だけ楽しめます。

いわゆるベストセラーは書店で立ち読みしていけると思ったら買いますが、話のタネくらいだったら止めておきます。
そのくらいなら、立ち読みで十分です。

つまらない本につきあうと、目が疲れるし、だいいち時間がもったいない。

この人はあかんと思った作家さんは、たいていいつのまにか消えているから別に読まなくても損はしていない……はずです。
例外はありますが、その場合も立ち読みの段階で縁がないことを再確認するだけです。

もちろん食わず嫌いの作家さんもいます。そういう人の作品が後で生涯の愛読書になった例もかなりあります。
こういう方々は手にとって見ることもしなかったので、「立ち読み審査」(!)にはかけていない。
ほんの一年前まで、三浦綾子さんがそうでした。(笑)

どうも余談ばっかりになりましたね。
「通辞ロドリゲス」については、また明日。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月30日

オランダの安楽死合法化について、読売新聞で特集記事を組んでいます。
末期がんの患者が絶えがたい苦痛を避けるために、安楽死を選ぶという方向で納得したのかと思ったのですが、事情はちょっと違うみたいです。

いまでは体にはなんの異常もない精神病患者にも、安楽死が認められるそうです。
しかも、自殺にさえ安楽死を認めろと要求する『自発的安楽死協会』というのがあって、会員が10万人いる。
「もう生きる価値がない」という健康な高齢老人(80歳)が医師に頼んで安楽死させてもらったという事件も起きたそうです。
大新聞だからうかつなことを書けないでしょうが、ただの個人のわたしには自殺幇助としかみえません。
「人生が終わったという人に死を選択できる権利を法律で認めろ」という『自発的安楽死協会』の主張は異常としか思えませんが、人権派のひとは納得するような気がします。

高齢老人に一件では、現地の地裁は医師を不起訴にしたそうです。
やっぱり、と思いました。

オランダの法案では、安楽死の動機は「病気」とは限定していないそうです。
そのうち「人生からの離脱」も視野に入ってくるかもしれないと心配されているそうですが、たぶん間違いなくそうなると思います。

オランダの国情として深刻な高齢社会が大問題になっています。
人口全体の13パーセントが60歳以上だそうです。
40年後には国民4人に一人が高齢者になっている計算とか。

深刻な少子高齢化と、人に迷惑をかけずに潔く死にたいという希望がオランダの自殺合法化の根底にある。
極端なことを云えば、「生きるだけで価値がある」という思想は、平均的なオランダ人には無縁らしい。
つまりは「生きること」にさえ優劣の差別をつける思想が、オランダ人の哲学だということでしょう。

オランダは哲学者デカルトが住んでいた国でもあります。
近代的理性の祖といわれるデカルトは、「生命は部品のかたまり。動物は機械」だと考えたひと。
近代的理性は、もともと生命というものを理解できないのかもしれません。
ベルグソンの言葉に「知性は本質的に生命を理解できない」という言葉もあります。

19世紀からようやく世界中にひろまった近代的理性は、今では北側の先進国の一般庶民に浸透している。
人間のこころのなかでも、ほんの一部でしかない「意識」の部分だけを、人間のすべてだと考えている。
2500年前に誕生した仏教では、「意識」を「小我」と分析して、これにこだわるとついにはものごとの正邪が分からなくなると警告していました。
西洋で生まれた近代的理性は、ついにここまで来てしまったようです。

「生命は借り物である」という思想が東洋にはあって、「論語」にもちゃんと記載されている。
自分の命だからといって、勝手に殺していいわけではない。自分の肉体だからといって、勝手に傷つけて言い訳ではない。

自己犠牲という美しい言葉がありますが、これはいかんのです。
自分も他人も幸せにならないと、結局ゆがみが生じて、後で高いつけを払うことになる。

オランダの安楽死や自殺に対する考え方をみていると、「恐怖が人を殺す」という聖書のどこかに書いてあった言葉を思い出します。
将来を案じすぎて、死んでしまうのですから。

将来の予想、優劣の判定は理性の産物ですが、「近代的理性」にいたってついに生命の否定にまで到達してしまったといえるんじゃないでしょうが。
「近代的理性」と「近代市民社会」を世界で最初に生み出した国の、いきついたはてをみるにつけ、もう西洋が生み出した「近代」は死んだんだと思いますね。

19世紀の終わりに、ニーチェは「神は死んだ」といいましたが、20世紀の終わりには「人間という理想が死んだ」といえるかもしれない。

すくなくとも、ヨーロッパ近代が生んだ「(西洋的)理性」と「市民」という理想は、個人の生存にとってさえもはや有害無益なものになったと思います。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月29日(その二)

どうやら「天北原野」を読み終わりました。
なぜか太平洋戦争の戦局が悪化して、完治一家にいろいろと不幸が降りかかってくると、気分がよくなった。
こういうことではいかんとは思うのですが、完治の血縁者の不幸にはすーっとしてしまいます。
まじめな読者はまずこんな不謹慎なことは書かないんでしょうけれど。(笑)

うまくしてやられたような気がします。
昭和の悲恋メロドラマの王道ですね、この作品は。
いちおうカタルシス……かな。

人間関係の葛藤の解決が、戦争の悲惨にすりかえられているような気もしないでもありません。
そのへんが不満といえば、不満といえる。

この作品を採点すると、日本文学度はかなりのポイントだけれど、三浦綾子度は低い。
これじゃあつまらないって云ってるのとおんなじですね。(苦笑)

「日本文学」という言葉は、私の語彙のなかでは「つまらない」という単語の婉曲表現ですから。

この手の作品を書く女流は、昭和時代には掃いて捨てるほどいた。
三浦さんならではの味つけが欲しかったです。

ただ作品の終わりでようやく三浦さんらしい味が少し出ている。
それがほとんど微妙なところで終わっているのが物足りない。

でも、「文学」が好きな人ならかえって良いかも知れない。
わたしには、よくわかりません。

ところで、「天北原野」の舞台は北海道と樺太です。
うちは母親が樺太引き上げ者なので、なんとなく樺太には思い入れがあります。

歩いて十分くらいで海につく家の玄関前に、冬になるとアザラシが遊びに来るなんて、冗談みたいなことを聞いたことがあります。
この作品によると、樺太にはツンドラがあって、野生のトナカイが走り回っていたそうです。
やっぱり、寒帯はすごいなあ。
いつか機会があったら、サハリン(樺太)にはいってみたいものです。

樺太引き上げの場面ですが、ヒロインは終戦直後にすぐ北海道へ戻ったのですが、うちの母親の一家はたしかロシアに占領されてから一年くらい樺太にいたと聞いています。
どうやら、樺太では満蒙と違って、地域によってはロシア軍にひどいことをされなかったこともあるようです。

戦前の樺太は日本人やロシア人、中国人や韓国人、それに樺太にもともといた樺太アイヌ、オロッコ、ギリアークという多民族の雑居地域でした。
ただ三浦作品では、出てくるのが日本人だけ。
ロシア人ではひとり重要な登場人物がいますが、あとはオロッコ人とギリアーク人の名前が一遍でてくるだけ。

一般人レベルでは、多民族との交流はめったになかったそうですから、小説としては穏当な線でしょう。
小説読みとしては邪道でしょうが、語られざる事実によってかえって大日本帝国の植民地支配がすけて見えますね。
オロッコやギリアークに対する文化的侵略のことは、三浦さんも少しではありますが筆にしている。
こういうところがあるから、わたしは三浦さんが好きなんです。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月29日

日本海が死ぬかもしれないという話があります。
ただ今すぐじゃない。
350年後だそうです。

海が死ぬというのは、海洋汚染で生物が住めなくなるということではありません。
酸素がなくなるので、魚が住めなくなるということらしい。

なぜ、そんなことになるのかというと、地球温暖化が原因だという。
なんだか、落語の三題噺みたいで、よくわかりませんね。

理屈を聞くと、なるほどと思いました。
日本海では冬になると、表層の海水が冷やされて底のほうに沈む対流現象が起こる。上が沈むと、逆に深層の海水が上がって来ますね。
これのおかげで、表層の海水に溶けた酸素が深海へ運ばれるのだそうです。

深海にはバクテリアがいて、上から沈んでくる海水に含まれる有機物を食べて、窒素やリンなどの無機物に分解する。この過程で酸素が消費される。
いっぽう表層には植物プランクトンがいて、深海のバクテリアが作った無機物を栄養源にしている。深層の海水といっしょに上へやって来る無機物が、植物プランクトンを養っているわけです。
いっぽうで植物プランクトンは光合成で酸素を作る。
鍋のお湯みたいに海水が対流するおかげで、この食物連鎖が成り立っています。

ところが、最近は地球温暖化のせいで冬に表層の海水があまり冷えない。
だから、深海へ沈降しなくなってしまった。

その結果、1960年代から海水1リットル中の酸素量が百万分の三十二グラムずつ毎年減ってきているそうです。

これを計算すると、350年後には酸素濃度がゼロになる。
地球温暖化というのは、恐ろしいものですね。

酸素がないと、深層のバクテリアは有機物を分解できない。それに循環がないから、深海の無機物は表層にこない。
すると、植物プランクトンは餌がなくなるから、減ってしまう。
食物連鎖のいちばん下にある植物プランクトンが減れば、魚は減らざるをえない。
そういうわけで、日本海に魚が住めなくなるわけです。

理屈がわかったからといって、ほっとしているわけにはいきません。(笑)
350年も先の話だから、そんなに気にしなくてもいいと思う人はまさかいないでしょうね?

この調子でいったら、地球温暖化はどんどん進むばかり。
残念ながら、この国の政府のおかげで、わたしたち日本人は世界の嫌われ者です。
先だってのハーグでの温暖化阻止会議を決裂させた張本人とみなされていますから。

世界の世論が日本に牙を剥いたら、クジラどころじゃない。
それほどまでして、一部産業の利益を守る必要はないでしょう。

政治問題なんてカンケイない、というわけにはいきません。
10世代くらい後の日本海には、カニも魚もいなくなるわけです。
こんなとんでもないことを、ほっておいていいはずがない。

例のロシアタンカー重油流出事故では、ひとりの老漁師が重油除去作業中に亡くなりました。
孫にカニを食べさせたいといって、吹雪の日に作業に出て心筋梗塞を起こしたのです。

こういう人の想いがあるかぎり、海を殺すわけにはいかんです。

ひとりに何ができるかといえば、よくわかりませんが、とりあえず我が家の電気と石油の消費を控えようと思います。

一人で出来ることがいちばん確かだというのが、かの山田和尚の持論だそうです。
わたしも同感です。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月28日(その二)

国会議員たちが「バトルロワイヤル」の試写会を開いて、深作欣ニ監督と深夜まで討論会をしたそうです。

民主党の石井という議員が呼びかけて開いた集まりで、要はこの作品に対する憤懣を深作監督にぶつけた。
なんで、こんな映画を作ったのかと。

深作監督は「政治家は日本の子どもたちを信じていない。芸術にはいろんな描き方がある」と発言しています。
ニュースを聞いたワイドショーのコメンテイターたちも、「政治は芸術に介入するな」「映倫という立派な組織が認めたものを、政治家がいちゃもんをつけるのはけしからん」と言っていました。

何年か前なら、監督やコメンテイターたちの意見に賛成したと思います。
でも、いまはだめですね。

政治家には芸術がわからないかもしれないけれど、金に困った映画人に芸術家としての良心や倫理があるとも思えない。

そもそも芸術であれば、すべてが許されるというのは幻想です。
そんなことを許した国家も社会も、かつて地球上に存在したことはない。

芸術はつねに政治権力や経済的スポンサーとの、折り合いをつけなければならなかった。

芸術であるよりも、より多く商品である映画というメディアについては、なおさらそう。
商業映画をまだ撮ったことがない半アマの人がいうなら、深作監督の意見ももっと説得力があったかもしれない。

でも、プロですからね、深作監督は。
こんな科白はプロのものじゃない。

議員たちのお節介で、映画が盛り上がってヒットしたら嫌だなあ。
内心では、こけてくれればいいと思っています。
そしたら、もうこんな映画はできないでしょう。

子どもや動物をいじくるのは、映画を大ヒットさせるこつです。
深作監督だって、それぐらいの計算はあるはず。
こどもが殺しあうなら、きっとバカなオトナがひっかかるという狙いでしょうね。
いちおう15歳未満は入場禁止らしいですから。

こういう映画ってのは、精神年齢をはかる物差しかもしれません。
気分に子どもの要素が多いと、子どもが殺しあう設定でもあんまり違和感はないと思います。
設定を聞いただけで、激怒するってのは、年とった証拠かもしれない。

極端なことをいえば、日本の映画人ってのは精神年齢が中学生とあまり変わらない?
――なんて、意地悪をいいたくなりました。(溜息)

商業芸術が表現の自由をとなえて、じつは退嬰的なアブナい方向へ走る。
政治家がモラルを口にして、そういう商業芸術に干渉しようとする。
これって……どこかで読んだことがある。(笑)

ヨーロッパでは第一次・第二次世界大戦前に、日米では太平洋戦争前に起きた現象ですね。
経済が破綻して、社会不安が高まると、どうしてもこういうことになる。
いよいよ来たな――という感じがしませんか?

ところで、「天北原野」はまだ読み終わりません。
カタルシスが全然ないんで、疲れてかなわんです。

読んでいくうちに、登場人物がどんどん嫌いになっていく。
今夜あたりがやまかな。
もしも、本日中に読みきれなかったら、投了するかもしれません。
不安を残しつつ、続きはまた明日。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月28日

昨日のNHK「プロジェクトX」は感動的でした。
97年にロシアのタンカーが沈没して、日本海に重油が大量流出して沿岸部が大変なことになった。
その重油を手作業で除去した30万人のボランティアを扱ったものです。

事件が起きたのが97年の正月。そして3月には重油が除去されていた。
その陰には、30万人のボランティアの活躍があったとは……この番組を観るまで全然知りませんでした。

番組のはじめに、「山田和尚」という人が出てきたのには、ちょっとびっくりしました。
この人、田口ランディさんのメルマガに今年になってから出てくるようになった人です。
ボランティア界ではそうとう有名な人らしい。
いまは「原爆の火」を日本全国に分灯するために、日本全国をたった一人で行脚しているはずです。

山田和尚さんが主催する団体<OPEN Japan>のアドレスは下記のとおり:
http://www.peace2001.org

分灯運動の情報もあります。

しかし、番組のテーマは山田和尚さんではなくて、和尚さんのアドバイスで立ち上がった地元の建設会社社長さん(当時35歳)。そして、ボランティアとしてやってきたフリーターの女の子と、定年退職したお父さんでした。

やりたい仕事がみつからないでフリーターしていた女の子が看護婦になり、在庫管理のプロだったお父さんはボランティア活動を第二の人生と決める。このドラマにはじんときましたね。
こういうものを描くには、45分番組では全然たりない。
こういう人たちのことを書くためにこそ、小説やノンフィクションというメディアが必要だと、つくづく思います。

じつは昨日、思い立って作家のHPをいろいろ検索してみたのですが、超一流(とわたしが思う人)でHPを持っているのは、村上春樹さんくらいみたいです。
後の方々は、再販制度廃止で本が売れなくなるとか、不況で本が売れないとか、ヒステリックな愚痴ばかり。
ひょっとしたら、ユーモアのつもりで書いているのかもしれませんが……。
読んでいるうちに、こっちまで気分がまっくらになってしまいました。

「そんなことを愚痴っている暇があったら、立派な作品を書いてくれよ」
余計なお世話でしょうが、そう言いたくなる。

昨日の「プロジェクトX」よりももっと突っ込んだ作品なら、絶対に支持されますよ。
ところで、読売新聞で21世紀に残す名著というアンケートの結果発表がありました。
これを見た高樹のぶ子さんが小説部門にショックを受けたと同紙に書いています。

選ばれた作品が、さいきんの文芸雑誌に載っているものと、まったく傾向が違うというんですね。
読者は小説のなかに人間と人生を見たがっていることに気がついたとも。

どうやら、プロ小説家さんたちはそんなことを考えて書いているのではないらしい。
人間と人生を描かなくてなんで小説なのか、わたしにはよくわからないのですが、とにかく文芸誌に執筆するプロたちにはそんなことは問題にならない。

年配の人しかアンケートに答えていないからだと、高樹さんは納得したようです。
でも、大変なことに気がついて、もっとショックをうけた。
それは、もう年配の人しか本を読まないということです。

男は50代の会社員と、60代・70代の定年退職者。女は40歳以上の主婦。

これが、現代日本で出版業界をささえている人の実態だった!
あらためて冷徹な現実に気づいた高樹さんは、頭のなかが一瞬パニックになったんじゃないでしょうか。

若いとき本を読むことを覚えなかった人は一生本を読まない。
どうする、ニッポン!――と思ったに違いない。(笑)

各種文学賞はとかく若者向けだけれど、これはメーカー側(出版社)の大きな間違いかもしれない。(爆笑)

文芸作家のことはおくとして、このアンケートでわかったのは、現代日本の状況ですね。
いまのニッポンを支えられるのは、50代以上のおっさんと40歳以上のおばさんしかいない!

「ドキュメントX」に出てきたお父さんは、いまやボランティア界の「千葉のお父さん」として慕われ、栃木の大水被害や有珠噴火でも活躍しているそうです。
ボランティアの若者たちと心を開いて対話できる「千葉のお父さん」みたいな人がいないことには、もはや日本は立ちいかない。

30代・40代の男は仕事でがんじがらめになっている。
でも、いわゆるビジネスだけでは社会は回らないという事実が、最近とみにわかってきましたよね。
その隙間を50代以上の人たちに埋めてもらうしかないようなのです。

いろいろなことがどーっと出てきて、整理がつかないくらい大きな問題が見えてきましたね。(笑)
もう、わけがわからない。

とにかく、おじさんとおばさんがなにかにつけて頑張らなければならない!
――そのことだけは、たしかなようです。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月27日(その二)

アメリカではゴアがしぶとく粘っていますね。
さすがに、世論調査でも米国民の60パーセントが引き伸ばしに嫌気がさしているそうです。

いくら数え直してもゴアの逆転はなかったから、これ以上は無駄のような気がします。

ただいまの連邦政府は民主党とそのシンパで構成されているから、ブッシュにすんなり事務所なんかを提供するはずがない。猟官制度というアメリカ独特のシステムがあるから、日本みたいな官僚が存在しないからやむをえません。

それにしても、この国の首相はどこまでおバカなのか?
松浪健四郎議員のコップ水かけを擁護したりして――(絶句)!

この人に、つけるクスリはもう何もない。(溜息)
ゴアがどうしても一国のトップになりたいなら、トレードで首相をアメリカに放出して、かわりにゴアに日本の首相になってもらったほうがいいのでは?
イチローもメジャー・リーグへ行くことだし……。(笑)

ところで、「天北原野」をまだ読んでいます。
読書スピードが速いのが自慢なのに進まない。

三浦さんの他の作品とちがって、あんまり救いがないので、飽きてしまうのです。
だいたい敵役のヒロインの亭主が気に食わない。

ヒロインを強姦して女房にしたあとも、女狂いを続けている。
宮本輝や宮尾登美子の愛読者なら、きっとうっとり満足する展開なんでしょうが、こういう男は嫌いです。

男のずるさ、小心さ、卑しさが、凝り固まったようなのが、ヒロインの亭主・完治。
男の美学を感じられない人間が嫌いだという、了見の狭さが欠点のわたしには、とにかくイヤですね。

いやな奴だなぁーと読みながら思うのですが、登場人物たちが完治を「めんこい」(北海道方言で『可愛げ気がある』という意味)と許しているところがわからない。

もっとも、ヒロインとヒロインの元恋人・孝介だけは別ですけど。
ふたりとも、完治の陰謀で酷い目に会っていますから。

だれもが完治のおかげで、少しずつ不幸になっているのに、いまのところ完治をどうにかしようという気配は家族のどこからもない。(笑)

まだ途中ですが、完治と性格がそっくりのその両親もどうにかしてほしいものです。
いや、これはいかん。かなり不穏な思想だぞ、これは。
それにしても、良心というものがないのかな、この一家には?

ヒロインは、完治の血を引く子どもたちを三人も生むのですが、これからどうなるのでしょうか?
こんな父親からまともな子が育つとは思えない。

すっかり朝の連ドラや「渡る世間はなんとやら」と同じノリで、読んでいます。
いま思い出したけれど、「氷点」というのもこんな感じで観ていたっけ。

なんだか60年代テイストを思い出してしまいました。
昔の小説やドラマなんて、理不尽な男に泣かされる健気な恋人たちという設定だったなぁ。
リバイバルで観た「君の名は」なんかも、もろにそうだった。

そうか、これは昭和50年代前半までの、女性向き小説の王道だったんだ。
平成の御世を生きる中年がかーかー文句をたれる筋合いはない!
――と、すなおに反省する読書家です。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月27日

スパイが流行っているんでしょうか、このごろ。(笑)
ロシアの駐在武官にころっと騙された三等海佐の公判がはじまった次の日に、北朝鮮のスパイが保険金詐欺でつかまったというニュースがある。
笑っていいのか、深刻になるべきなのか。

それにしても、三等海佐の話は泣かせますね。
難病の子どもを抱えて、新興宗教に入っていた。
その海佐に深い同情を示してくれたロシア人。
寝言までロシア語だった海佐は冷たい同僚や日本人よりも、ロシア人のほうに惚れちゃったんですね。
「大佐はあの書類を喜んでくれただろうか」
なんて、日記に書いていた海佐さん。かなりアブナい世界ですね、これ。

頭脳優秀だけれど、友達のいない孤独な性格だったから、ロシア人の計算づくの優しさにひっかかった――。
そういってしまえば、身も蓋もないけれど、音羽の逆恨み主婦とおなじ荒涼としたものを感じます。

今まで人と心を通わせたことがないから、ロシア語やロシア人が精神的故郷になっていたんでしょうね。
こういうのは、じつはどこの国でもよくある現象だそうです。
けっしてこの国の学校秀才だけじゃない。

イギリスなんかは、これに同性愛が加わるから、「アノザー・カントリー」みたいなことが幾らも起きる。昔は同性愛が刑法で処罰されたそうですから。

自分の置かれた状況に違和感をつよく感じる人は、心の隙を狙う連中には格好のエモノだということは「孫子」にも書いてある。

ロシア武官にしてみれば、カモがネギを背負って目の前に現れたって、ことでしょうね。

こっちはロシア・スパイにみごとにしてやられた(!)ケースだけれど、北朝鮮のほうはなんだか切羽詰っている感じがなんともいえない。

交通事故に遭ったのを逆手にとって、保険金詐欺で275万円を騙し取ったというのは、スパイにしてはすこしけち臭いんじゃないでしょうか。(苦笑)

それっぱかりのお金で身元がばれるようなことをしていいの?
司令部は怒らないんでしょうか?(笑)

しかも、当事者は六十歳をこえたオッサンというか、年配の人というか。
分別がないのか。活動資金がよっぽどなかったのか?
いったい、どっちが足りないのか……(笑)

この連中が日本国内で収集していたのは、日本の情報じゃなくて、韓国のそれ。
日本の情報なんかいくらでも取れると思っていたのかもしれない。(苦笑)

日本なんかより防諜体制が整っている韓国のほうが手ごわかったのは間違いなし。
気の毒なのは、防諜能力がない同盟国に、機密情報をべろべろ垂れ流されている韓国だと思いません?

それにしても、北朝鮮スパイのほうは10数年以上も活動していたわけだから、半年こっきりで正体がばれたロシア武官よりも上手だといえないこともない。

どっちのお隣も油断できませんね、ほんと。
「スパイ天国ニッポン」を実感しました。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月26日(その二)

尾瀬のお風呂の一件で、まだ気分が悪い。
新聞記事には、生活廃水も風呂の排水も完全に処理できる浄化槽ができたから問題ないということになっています。

たしかに一汗かいた後で風呂に入れば気持ちがいい。
でも、そういうことじゃないだろうと思うわけです。

一日、二日風呂に入らなくても死ぬわけじゃない。
でも、一人一人のほんのささやかなわがままが積み重なって、地球環境はえらいことになっている。
なるべくグロンギ人にならないように、お互い気をつけましょう!

気を取り直して、読書日記にします。
「天北原野」(三浦綾子)を読み始めました。

この作品は今までの三浦さんとちょっと違いますね。
まだ全部読んだわけではありませんが、違いの原因はなんとなくわかる。
三浦さんの作品に宗教臭を感じる人には、他のどんな作品よりも読みやすいかもしれない。

三浦さんらしくないのは、困った男と耐える女という日本文芸の伝統的テーマになっているところ。
読んでいるうちに、宮本輝の自分の父親をモデルにした大河小説や、宮尾登美子の一連の作品を思い出してしまいました。
周囲に迷惑をかけつづける生活力旺盛な男というのは、この国の文芸の典型的ヒーロー像なんだと改めて思いました。

「天北原野」のヒロインの夫は、まさにそういう人物です。
たぶん宮本輝や宮尾登美子の作品に登場したら、大変魅力的な人間かもしれない。
気前のよさと吝嗇、大胆と小心、見せかけの優しさと冷酷な本性という、まことに「耐える女」の相手役としてはふさわしい。

世の中で幅をきかせるには、こうした矛盾した性質が必要らしい。
実生活では最期には不幸になることが多いのですが。
べつに勧善懲悪というわけではなく、どうも観察しているとそうなる。

こういう人はとてつもなく強くて、世渡りがうまい。
でも、なんとなく不幸な影がある。

本人が巻き起こすトラブルの割をくうのが、いつもご本人の周りの人と筋書きが決まっている。
本人が傷つかなければ、いいようなものだけれど、世の中には奇妙な算数が働いていて、すべてのマイナス・プラスを加減乗除して絶対にひとり勝ちはできない仕組みになっているようです。

――などと、ごたくを並べているうちに、この小説の仕掛けが見えてきました。

どうやら、この小説の眼目は<罪を知らないことが、最大の罰である>ということにあるらしい。
三浦さんは別のエッセイで書いてあるけれど、「キリスト教でいう罪」とは「自己中心」ということだというんですね。

宗教っぽいことを書く人が「食欲も性欲も原罪だ。人間は罪深い」というけれど、三浦さんにいわせればそれは大間違い。
食欲も性欲も原罪ではない。
「人間は動物や植物を食べなければ生きられないから罪深い」というのは、とんでもない勘違いだというんですね。

ものごとを自分中心にしか考えられないこと。
だから他人を思いやることができないこと。他の人の苦しみをともに苦しむ能力がないこと。

これが人間に課せられた原罪だと、三浦さんは考えています。

「天北原野」では三浦さんのデビュー作「氷点」と同じように、<罪を知らない>人々が愛しあおうと努力しながら、ますます泥沼にはまる。
善良な人も出てくるけれど、悲劇は深まるばかり。

「自己中心」というのは否定できない人間のありかたです。
人間じゃどうにもならない――と、三浦さんは思い定めている。

この作品では作者の視点が、「現代の文豪」宮本輝や宮尾登美子と似ている。
人間の業をひたすら描くという点において。
そんわけで、宗教嫌いの文芸愛好者にはなじみやすいと思います。(苦笑)

それにしても、まだ上巻しか読んでいないこの続きはどうなるのか?
続きが楽しみです。(@_@;
では、また明日。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月26日

フロリダ州の集計ではブッシュの勝利が確定されました!
Yahoo!USAと、ニューヨークタイムズが報道していました。

でも、ゴアは諦めないで法廷闘争を続ける気らしい。

この調子だと、アメリカ国民もそろそろブーイングしはじめるんじゃないでしょうか?
いったい、いつまで続ける気だろう、ゴアは。

ところで、キムタク・静香の結婚が決まったと思ったら、藤島親方の角界廃業のニュース。
ビッグ・ニュース続きで、芸能レポーターは嬉しいでしょうけれど。(苦笑)
キムタクのほうはさっさと決まって良かったねといいたいけれど、藤島親方の廃業はなんともいえない。
これで、貴乃花がいつ引退しても親方株には困らないなんて報道もあるけれど、横綱が相撲を廃業するのは納得がいきません。

格闘家になった某横綱は相撲界の最高位にふさわしい人ではなかったから、廃業しても別になんとも思わなかったけれど、元若乃花は違うはず。
タレントになったほうが収入がいいかもしれないけれど、どうにもつまらない。

おかみさんの不倫騒動といい、さかのぼれば貴乃花の洗脳騒ぎといい、「どうしたんだ、二子山部屋」と泣きたくなる。
しばらく立ち上がれませんわ、先代貴乃花からのファンとしては。(ToT)

腹が立つと、ろくでもない記事が目に飛び込んでくる。
「ぬぁーにー、尾瀬の山小屋で毎日風呂だと!」

山小屋の屎尿処理や汚水で水質汚染が心配されている尾瀬で、いったん「風呂禁止デー」を作って風呂を一週間に一度自粛していた。
それが客足が減ったのと、中高年の女性の要望で毎日風呂を焚くことにした!

山小屋で風呂なんか入るな、○バ○ども!
湯につかりたいなら、温泉に行け!

アウトドア派じゃないので、中高年のバ○アどもにはまったく共感できません。

まあ、こんなことを書くと自然を知らない観念的都会人は困るって、笑われるんでしょうけれどね。

でも、自然保護でいちばんいいのは、人間がいかないことなんですよ。
たとえば、屋久島の縄文杉。
あの杉に長生きしてもらいたいなら、行かないことです。
元気をもらいに日本全国から吸血鬼のごとく中高年が押しかけるから、縄文杉は根を踏まれてあぶない状態になっている。(怒)

ほんとうに自然を大事に思うなら、場合によってはあえて行かない選択だってあるんじゃないか――日本全国何百万いるかもしれないアウトドア愛好派を敵に回して、わたしはいいたい。

自然にとって、いちばん怖いのは松を食い荒らすマツクイムシじゃなくて、都会生活を田舎に持ち込もうとする観光客なんです。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月25日(その二)

まだ風邪がなおっていません。
テレビを見るくらいなら出来るんですが。
そんなことをしているくらいなら、寝ていたほうがいいのはわかっているけれど。(笑)

でも家人も寝込んでいるので、家の前のスーパーへお使いにいってきました。

なかに書店もあるので、つい立ち寄ってしまいました。
これじゃあ、直らないのも無理はない……

ところで、買ったのは三浦綾子さんの天北原野(上下)。
それに、「大法輪」12月号!

あの坊さんしか読まないんじゃないかという雑誌「大法輪」です。(笑)
ただ今回は特集が「<浄土経典>のすべて」ということなんで、法然さんにとりつかれている読書家として見逃せません。

こういう特集のありがたさは、大上段に構えたテーマよりも、わきにそっとある記事ですね。
「浄土経典と絵画――中世日本人と当麻曼荼羅」(加藤善郎)という記事に、念仏会の具体的なやり方が書いてある。
これですよ、これ。
こんなのは、プロの坊さんしか読まない(違ってたら申し訳ありません!)雑誌にしか載っていません。

それに「浄土経典に基づく偈文」(斉藤晃道)というのもありがたい。
「無量寿経」に載っている偈文(げぶん)の読み方・唱え方が書いてある。

こういうディテールが嬉しいですね。
本文は岩波文庫の浄土三部経(上巻)で読んでいるのですが、じっさいにお坊さんがどう読むのか疑問に思っていたのです。
ルビつきで、読み方がわかっただけでも大収穫です。

――なんてことを、鼻水をすすりながら書いている。
あーあ、早く寝て風邪を治さなくちゃあ。
それでは、また明日。

先頭に戻る | 目次に戻る | 次の日記

11月25日

ひさしぶりに「仮面ライダー クウガ」を観てしまいました。
今日(26日)の「クウガ」は「切れる・むかつく」問題に鋭くほのぼのと(形容がおかしいなあ……)取り組んでいました。

やっぱり特撮ヒーローものの王道ですね、これが。(ToT)
あいかわらず説得力がないのは「クウガ」脚本の弱さだけれど。
「クウガ」に不満なのは、脚本部分の弱さです。
あんまりざあとらしいのが嫌なんだろうけれど、洗練を意識しすぎると弱くなる。

泥臭いメッセージが好きなんて、ふっ……、オヤヂになったなぁ、おれも。
く、くさすぎる。(笑)

話はかわりますが、ビールの宣伝で吉本多香美のお父さんや、森次晃嗣さんに団次郎(たしか今は時朗だったかな)さんが並んでいるのがありましたね。
うっ、黒部進さんの名前が出てこなくて、レナ隊員のお父さんとしか思い出せない。

オヤヂというべきか、永遠のとっちゃん小僧というべきか……(汗)

この三人のつながりがわかるのは、いったい誰だ!(爆)

それに、三人を見下ろして、空の上に篠田三郎が浮いている。
ううううっ、わかる。わかるぞ、CMディレクター!
あんたのこだわりが……!(号泣)

初代ウルトラマンに、セブン、帰ってきたウルトラマン。
そして売れない役者さんたちをすっとばして、タロウかーっ。

篠田三郎を三人と並べないところに、CMディレクターの優しさを観た!
――と思うのは、わたしだけ?(笑)

ああ、このCMディレクターさん、たぶん同世代なんだよな、きっと。

ところで、ふたたび「クウガ」に話を戻しますと、バンプレストのゲームソフト「スーパーヒーロー大戦」のCMに懐かしの宮内洋(V3!)が出ているじゃありませんか。

しかも、白いギターをかついだ懐かしの格好で!

「おれが誰だって?
お父さんに聞いてみな」

あいかわらず、きざな科白が快感だぁーっ。
もちろん、あなたは仮面ライダーV3風見志郎を演じた宮内洋さんじゃありません。!

日本全国津々浦々へ押しかけて、異業種格闘技戦でなみいる日本一名人たちを打ち負かし、悪の組織と戦った怪傑○バッ○さんです。(爆笑)

いっきに笑ったところで、新聞の朝刊を読むと、日米のせいでハーグの地球温暖化防止会議が決裂したとありました。
いまではアルブスでさえ、永久氷河が溶け出して大洪水を起こす時代。
ぼやぼやしている暇はあるの、と誰しも思うはず。

それも、日米は基準を甘くして地球温暖化防止を空洞化するような提案をしている。

するってぇと、もしかして、地球の敵はニッポン人とアメリカ人?
「クウガ」では、太古から蘇ったグロンギ人がわけのわからないグロンギ語で悪だくみしているけれど、世界の他の国から見たら、日本人はグロンギ人と変わらないってことになるんでしょうか。

わたしは、そんなものになったつもりはありませんが!(怒)

それにしても、国連を運営する費用は日本とアメリカでほぼ半分くらいを負担しているんですよね。
それは地球温暖化推進派の議員や企業のポケット・マネーではなく、日本国民の税金です。

それだけの大金を出しておきながら、政治家や企業のおかげで、グロンギ人(悪役)にされるなんて、割が合わない。

アメリカに必要なのがマグマ大使だとしたら(笑)、いまの日本に必要なのはやっぱり「仮面ライダー クウガ」なのか?
それとも「♪ズパッと参上。ズパッと解決♪」してくれるあの人なのか?
洒落になりませんね、これじゃあ。(泣)

先頭に戻る | 目次に戻る | 前の日記 | 次の日記




© 工藤龍大