お気楽読書日記:12月

作成 工藤龍大

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12月

12月11日

連邦最高裁が5−4でフロリダ州の票の再集計を停止させました!
アメリカ時間で11日月曜日午前中に、ブッシュのフロリダ州最高裁への判定への不服申し立てを審議する予定だそうです。

関連記事
本日は新聞休刊日らしいので、とりいそぎご報告まで。

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12月 9日(その二)

あ”ーまたやっていた!
すいません。午前中にこの日記を見た方。
日付をきのうのままにしていました!(汗)

読書日記です。
まだ「曽我物語」を読んでいます。

読めば読むほど、この本はなにか匂う。
作者はだれか不明なのですが、どうも作り手の下心がみえみえですね。

曽我兄弟の復讐物語を、網野義彦さんのいう「道々の輩(ともがら)」が口承文芸にしたものがオリジナルなのは間違いありません。
ただし、それを最終的に文字にして物語化したのは、自由な放浪者「道々の輩」などではありません。

箱根神社の天台僧だったようです。
本日(9日)に、図書館で調べたら、木曾義仲の軍師だった大夫房覚明という人物を作者とする説もあるようです。

厳密に言えば、天台宗の僧侶か、唱導師といわれる仏教音楽「声門」(しょもん)を職業とする半俗僧らしい。
この当時、安居院聖覚という法然上人のシンパが箱根神社を支配していたという説もありました。

なんだか歴史推理の虫がうずいてきますね、こういう名前が並ぶと。
このところ天台宗と浄土宗の接点をいろいろ調べているので、キーパーソンのひとり安居院聖覚が出てくるとどうしても気になるんですよ。

ただそこまで考えなくても、この「曽我物語」の骨子は箱根神社とそこの天台系祈祷僧の宣伝にあるということはみえみえです。
気がつかないほうがどうかしてる!

このウンチク垂れ流し日記(笑)を読んで頂いている方ならおわかりでしょうが、日本の寺院が神社と完全に別物になったのは明治の廃仏毀釈令から後のことです。
それ以前は神社と寺院は一体と相場が決まっていた。
わたしたちが知っている寺院と神社の姿は、わずか130年しかない。

それまで一千年以上も寺院と神社は並存していたのですね。
だから、箱根神社も当時は箱根権現として神職を天台僧がかねていたわけです。
この権現というのは、神仏習合のめじるしみたいなもので、仏教でもないし太古の神道とも違う中世以降に発達したこの国独特の神観念です。

話はずれたけれど、箱根山の天台系祈祷がどれほど威力があるかを知らしめるために、「曽我物語」は書かれたのです。
じっさい、曽我兄弟の復讐は成功したのですが、どうやらこの兄弟は怨霊と化してさんざん祟りをやる「御霊」という悪神になってしまったのですね。
その「御霊」をなぐさめるという目的も、この物語にはこめられている。

ジャパネスクなホラーとして、読まないこともないんですよ。(笑)

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12月 9日

ここの日記が参加しているリンク集「日記猿人」が2001年元旦からリニューアルされるそうです。
「日記猿人」のトップページで告知されていました。
新しい名称は「日記才人」だそうです。
わたしは「才人」なんて柄じゃないから、困ってしまいます。(笑)

ベータ版の新サイトを覗いてみたら、ポータル・サイトみたいになっていました。
これじゃあ、ここのような弱小日記(!)は眼につかないでしょうねぇ。(溜め息)
なんだか不安です。

「日記猿人」に登録してから、1年とちょっとになりました。
アクセス数は、このあいだ8000を超えました。
同じような時期に登録している日記サイトは30万アクセスを超えているのもある。
人気サイトとは間違ってもいえないけれど、よく続いているなあと、われながら感心しています。

とにかく毎日更新しているので、これからも読んでやってください。

昨日、三浦綾子さんの夫・三浦光世さんが書いた「綾子へ」という本を買いました。
いつかNHKのドキュメンタリーで紹介されていた光世さんの本が出版されていたのですね。
10月に出ていたようです。
昨日、近所の本屋さんで見つけるまで忘れていました。

その本屋さんは駅前でいちばん大きなところなのですが、最近思い切ったリニューアルしました。
店舗のほぼ三分の二を雑誌のスペースにあてて、単行本や文庫本はマンガと同じ片隅に追いやってしまいました。

いまは雑誌しか売れないそうなんで、やむをえない選択かもしれません。
品揃えもかなり悪くなったような気がします。
書店はこの調子で行くと、本を買う場所じゃなくなるかもしれない。(苦笑)
光世さんの本も、たまたま目に入ったからよかったものの、さもないと見逃してしまうところでした。

家の前の<TSUTAYA>みたいに売れ筋の本しかないのも困ります。
本屋さんで面白そうな本を買うというライフ・スタイルは、もう出来ないのかもしれません。
すると、無名の新人がいきなり売れ出すということも期待できない。
顧客の眼に入るのは、出版社が広告に力を入れた本だけということですから。

レイ・ブラッドベリの「華氏451度」とは違った意味で、本が消えつつあるのかもしれません。
とにかく大変なことになっていますね。

ミステリなんかはけっこう書評サイトがたくさんあるけれど、あんな風に「たくさんの人に読んで欲しい本」の書評サイトがあったらいいなと思いませんか?
そうでもないと、出版社が利益を出したい本しか、本屋さんにはなくなる。
ここでも、そのうち、そんなことをやろうと思いました。
あんまりぼやぼやしてはいられません。
本屋さんから本がなくなる日は案外近いかもしれないので。

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12月 8日(その二)

読書日記です。
「曽我物語」をあいかわらず読んでいます。

それにしても、殺伐としていますね。平安時代末期の武士というのは。
工藤祐経が叔父の伊東祐親の暗殺を企んだのは、仁安二年頃というから西暦でいえば1167年頃。ちょうど平清盛が太政大臣になった年です。
これから13年後に頼朝が石橋山で旗揚げをして、18年後に平家が壇ノ浦で亡ぶ。
平家全盛の時代に、祐経は郎党に命じて、叔父を暗殺しようとしたわけです。

このころ、流人として伊豆にいた頼朝を慰めようとして、源氏ゆかりの武士たちが巻き狩りをもよおした。関東や伊豆の名のある武士たちがみなこぞって集まって、狩りを楽しむことになりました。

そこで、伊豆の大豪族だった伊東祐親が宿を提供してもてなした。

このとき、酒盛りの余興で相撲をとったところ、祐親の長男・河津三郎祐泰が大活躍したので、その場にいた連中が二手に分かれてあわや斬りあいになりかける。
狩りの時からのいざこざが、こんな形で尾を引いていたんですね。

面子が生命よりも大事で、プライドを傷つけられたら、かんたんに太刀を抜くのが、この時代の武士です。
どっちかというと、戦後闇市時代の粗暴な暴力団に近い。

その場はなんとかおさまったけれど、この酒宴の返りに河津三郎は暗殺されてしまいます。
刺客はもともと親の祐親を狙うつもりだったけれど、待ち伏せした場所に息子のほうが先に通りかかったので射殺したのです。
行き掛かりで殺されたこの河津三郎というのが、曽我兄弟の父親なんです。

河津三郎を殺した工藤祐経の郎党たちは、河津三郎の弟・伊東九郎祐清によって後日討ち取られることになります。
郎党たちはわずか十人。そこへ、伊東九郎は郎党八十数人を引き連れてきたから、かなうわけがない。

ところが、小物を殺したけれど、工藤祐経のほうにはなぜか手が出せなかったようです。
ここで伊東九郎がやっておけば、甥の曽我兄弟も苦労せずにすんだのに。(笑)

ただ工藤祐親は暗殺を命ずる前に、人数を集めて伊東祐親の館を襲撃しようとしています。
そのときは200人の武士を集めていた。
伊東は親族を集めて対抗したおかげで、正面きって戦うことはありませんでした。
こんな具合だから、工藤祐経のほうには手を出せなかったのでしょうね。

工藤が暗殺を決意したのは、この時伊東祐親が都に訴えでたせいでわずかに許された所領の支配権もとりあげられたからです。
いかにも悪どい伊東祐親みたいな相手には、もう殺すしかないと思い定めたわけです。

これを責めるのは酷だなあ。
現代じゃないんだから「眼には眼を、歯には歯を」しかないじゃありませんか。

ところが、この悪どい伊東祐親の悪運もやがて尽きるのです。
なんだか、ほっとしました。(笑)

それについては、また明日。

ところで、河津三郎の名前は妙なところで相撲に関係があります。
「河津掛け」という相撲の技を編み出したのが、この人だというわけです。
この「河津掛け」を改良して、プロレスで使っていたのが、晩年のジャイアント馬場だった!
あの「河津落とし」というやつが、それです。

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12月 8日

8日は、日米開戦だの、ジョン・レノン殺害だの、ぶっそうな記念日でしたね。
でも真珠湾攻撃のことなんか、世間は忘れているらしい。
ジョン・レノンのほうが大事なんですから。

こういう(歴史)健忘症がなおらないかぎり、この国を信用する隣人はおらんでしょうなあ。

不幸の原因を分析するよりも忘れるほうが大切だという人生観は、自分が不幸をするだけだと思います。
きっと、いつかまた同じことをやるんだろうなあ。

若い世代は改憲派が増えているそうですね。
平和尊重と防衛権を両立させるには、自衛という概念を明確に規定して、「超法規的処置」というルール破りを徹底的に排除する姿勢が必要です。
戦前の朝鮮併合も、満州国建国もいってみれば、明治国家の防衛戦略から出たものです。
「大日本帝国が世界を征服するのじゃ、がはははっ!」とは、軍人でさえ思っていたわけではない。
むしろ自分たちが被害者だと思っていたのだから始末が悪い。

他国への軍事侵略を否定して、自国の国土防衛に専念するなんて、無理じゃないですか。
こんなことができるのは、自分で決めたルールは死んでも守るという頑固で融通のきかないスイス人のような国民だけでしょうね。

融通無碍で、自由闊達。いいかえれば、ルーズでいきあたりばったりの国民性じゃあね。

などと、時代遅れのことを考えてしまいました。(苦笑)
三島の憂国思想さえ見直されている時代なのに……。

ところで、アメリカではまた大きな動きがありました。
フロリダ州最高裁が手作業による集票作業をただちにはじめるように判決をくだしたのです。
そして、先に手作業による集票を求めたゴア陣営の訴えを却下した地裁判事をこの件の担当からはずす命令も、最高裁が出した。

このおかげで、ひょっとするとゴアが大統領になる可能性が再浮上しました。
関連記事はニューヨーク・タイムズに載っています。(12月9日現在)
いっぽう、この判決が出る前に、懸念されていたレオン郡地裁が民主党側の訴えを退けて、ブッシュ陣営は勝利を獲得していたのに、フロリダ州最高裁の判決ですべてふっとんでしまった。

ただし、最高裁の判決には、いつまでに誰がこれを行うかは指示していない。
12月12日の大統領選挙人選出に間に合うのかという問題は残ります。
そして、ブッシュも連邦最高裁にすぐに上告しています。

フロリダ州最高裁の判決は、4−3というきわどい判定でした。
反対にまわった判事も厳しい批判を出している。

いったい、どうなるんでしょうかね、この泥試合は?

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12月 7日(その二)

20世紀最後の古典講読をやっております。
本日も、「曽我物語」の続きです。

この本のテーマは、曽我兄弟が親の仇・工藤祐経を討つということになっています。
たしかに、そのとおりだけれど、事件の発端はどうも納得できない。

もともとは親戚同士の所領争いだけれど、原因は曽我兄弟の祖父にある。
ちょっと整理してみると、ここに曽我兄弟の祖父の祖父にあたる「くすみ入道寂心」という人物がいる。元の名前は「工藤大夫すけたか」という。
この工藤というのは、木工寮という官庁の役人だった藤原氏というわけで、(木)工と藤の字をとったわけですね。

この人は伊豆に伊東・河津・宇佐美という三つの所領を持っていました。

息子が全部早死にしたので、妻の連れ子に手を出して、男の子を産ませた。
ほんとは実子のこの子を長男として、養子にむかえて伊東の所領を譲り、都の武者所という役所に出仕させました。
これを工藤武者祐次といいます。
祐次は工藤祐経の父親になります。

ところで、早世した息子の子どもに男子がいた。この孫を、次男として養子にして、河津の所領を譲りました。
こちらが河津次郎祐親で、曽我兄弟の祖父にあたります。

世間をはばかって祖父・寂心入道が祐次を兄にしたことが、祐親には気に食わない。
本来なら、早世した長男の嫡子である自分が、すべてをもらうはずではないかと考えたのですね。
そこで、工藤から伊東の領地を取り上げる悪巧みを考え出した。

自分がスポンサーになっている高僧に呪詛を行わせて、工藤祐次を病気にさせる。
そして、まだ幼い嫡子(のちの工藤祐経)の面倒をみて、自分の娘を嫁にすると約束すると、病気で気が弱った兄は土地の登記証明書(地券文書)を預けてしまったのです。
それまで、河津祐親といくども争っていたから、普段ならそんな言葉は信用しなかったでしょうが、運の悪いときは仕方がない。

祐経が成人すると、娘を嫁として与えて、都の武者所に出仕させる。
祐経親子は大喜びでしたが、この隙に方々に手を回して祐経が相続するはずの土地を横領してしまったのですね。
娘も別居中に、他のところへ嫁に出してしまう。

祐経は郷里からの仕送りがたたれて、都の武者所に出仕することもかなわない。
この役所は給料をくれるのではなく、上役の貴族に賄賂を贈って肩書きをもらうところなのです。
名目上の給料はくれるけれど、それでは生活することなどできません。

祐親は都の土地登記を管轄する奉行所にまで賄賂を送って、手を回したので、祐親が訴えても役人が握りつぶしていました。
ようやく工藤祐経の訴えが認められると、祐親は奉行にも賄賂を贈ります。
奉行の貴族は工藤祐親の言い分にケチがつけられなかったので、無理やり伊東の所領を二分して半分を祐親へ、残りを工藤祐経にわたすことになったのです。

これに怒って、工藤祐経は伊東祐親を殺そうと思ったわけです。
うーん、今の法律論はいざしらず、素人考えでは悪いのは伊東祐親でしょうね。

この時代は弁護士もいないし、法廷での裁きも公平を期待できない。
中央省庁が国家の義務を放棄した時代です。
そもそも法律が機能していない状態では、暴力しか最終手段はない。
これが冷徹な人間学ですね。

これを人間同士がやるとかなわないから、近代国家は暴力の行使権を国民からとりあげて、国家機能(警察・軍隊)にしか認めないのです。
日本国民が自由にピストルを所持できないし、勝手に人を殺傷する自由を持たないのは、こんなわけです。(笑)
こういう考えは「社会契約論」といって、今ではあまり流行りませんけどね……(苦笑)

法律というのはオールマイティではなくて、「人倫」というか、デカルト哲学でいう「良識」(ボン・サン)を前提にしてできている。
日本国のことはよくわかりませんが(笑)、ローマ法から学んだ西洋の法律はそういう原理でなりたっています。
法律は「最低限これだけのことはやめておこう」というもので、法律にないから何をしても良いというのは、問題外です。
ただし、これはあくまでも理論的な西洋法の考えでして、日本国で通用するわけではありません。誤解のないように。(笑)

余談が多くなったけれど、どうも工藤祐経だけが悪いとは思えません。
いくら先祖びいきだといわれても、この線はゆずれない。
(宮城県以北、特に青森・秋田出身の工藤さん。あなたも祐経ゆかりの人なんですよ!)

このまま泣き寝入りして良いものか。
無政府状態で、賄賂政治が横行している世の中に負けるな、ご先祖さま。(笑)
続きはまた明日。

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12月 7日

森政権の不人気もたいしたものですねぇ。
読売新聞のアンケートでは半数が早期退陣を望んでいる。
じつはわたしもそうですけど。(笑)

よくまあ続けられるもんだなと思いますね。
それと、期待する政党では「保守党」に入れた人がゼロだった。
「扇党首の明日はどっちだ!」
なんて、笑っちゃったけれど。
自民党に入れてもらうしかないでしょうね、きっと。

ところで、アメリカ大統領選も最後の局面かな。
レオン郡地裁の女性判事が担当する裁判に、ゴアは最後の希望をつないでいる。
このひとは黒人で、しかも熱烈な民主党支持者です。

ブッシュが圧倒的にリードした2郡の集票作業に不正があったというゴア側の訴えがとおれば、ブッシュ票の優位が逆転される。
ブッシュ側としても、非常に気になるところです。

ただしここでゴアが負けると、もう法廷闘争もできない。
12日には大統領選挙人の選出が決まるから、法廷で勝っても票を手作業で数えなおす時間はもうないんだそうです。
ブッシュ側が上告するのは間違いないから、実質的にはすでに時間切れでゴアの負けは間違いない。

ご苦労さんなことだけれど、ゴアにとっては引き際の大義名分が欲しいんでしょうなあ。

ところで、大統領選が混迷しているせいばかりでもないけれど、ついに連邦準備委員会(FRB)のグリーンスパン氏がアメリカ経済が下降局面に入ったとコメントしていました。
世界経済はついにえらいところに入ったようですね。

アメリカ経済をささえていた半導体業界、PC業界、IT業界がそろってだめになったせいです。
アップルも業績が悪化しているし、アメリカですらPC販売がそろそろ成長の極点に入っている。
PCの時代が終わりつつある証拠ですね。

ユーザーの買い替えリサイクルが今の3−5年から6−7年になったら、パソコン製造業界はそうとう苦しくなりますね。

PDAと携帯電話が融合したツールが主流になるのは間違いないから、今度はPDAと携帯電話サービスの価格競争が始まるはず。
ただ、PDAと携帯電話が必須アイテムになった世界で、どんなビジネス・モデルが可能なのか。
商売人失格と経営者に断言されたわたしにはよく分かりません。(泣)

ただし、在来型ビジネスや企業形態は無用の長物になることだけは確実です。
それは大企業も例外ではない。
いまの中高年は60代・70代になっても現役で働いて日本を支えなければならない運命にあります。
この世代の人たちが働ける場所を、商売上手な人たちが用意してくれたらいいなと思います。

起業家精神にあふれた中学生・高校生が起業して、経験をもち勤労意欲にあふれた高齢社員がサポートする。
こんな世の中も、悪くない。
――冗談抜きで。

中高年の中途採用を嫌がるような企業は、なるべく早く潰れてほしい。
働く意欲があれば、何歳でも働ける企業だけが生き残って欲しいと思いますよ。

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12月 6日(その二)

読書日記です。
どうやら風邪が治ったみたいです。
これから20世紀最後の日々を、読書に邁進できそうです。
どうぞ、よろしく!(^ ^)

さて、本日より本年最後の古典ということで「曽我物語」を読んでゆくつもりです。
昨日まで難しい本が読めないとこぼしていたのに、元気になったとたんにこれですから!(笑)

「わんぱく時代」もぼちぼちと読んで行こうとは思っています。
なんとか、今世紀中(爆笑!)には読み終わりたいものです。

それに「山田長政」(小和田哲男)や「通辞ロドリゲス」(M・クーパー)もまだ残っている。
今世紀中に読みたい本がいっぱりありますね。(苦笑)
ぼちぼちとやっていきましょう!

ところで「曽我物語」の悪役はご存知ですか?
知っている人は、たぶんわたしの名前を思い出してにやりと笑っているでしょうね。

「工藤左衛門尉祐経」という人を、親の仇として曽我兄弟はつけねらうわけです。

工藤という苗字は、この人の一族なんです。
でも、「曽我物語」を読んでいくと、もっと意外なことがわかる。

工藤というのは、伊東一族から別れたのですな。
伊東一族は伊豆にいた武士で、読んで字の如く伊豆の東にいたから、「伊東」という。
伊豆近辺にある河津、狩野なんてのも一族なんですね。

もともとは藤原南家に属する貴族だったけれど、平安時代中期には地方で武士になっています。藤原南家は奈良時代に藤原仲麻呂(=恵美押勝)が亡んでからはぱっとしないので、学者になったり、国司から任地に土着化して武士になったりしているんです。
都で学者を続けている家系からは平治の乱で死んだ藤原信西入道が出ています。

そんな古い話を抜きにしても、「曽我物語」の登場人物たちの親族関係はややこしい。
けっきょく、話の背景は親戚同士の土地争いなんですね。

それにしても、伊豆の工藤氏は親分の祐経が曽我兄弟に殺されてから、北条氏の被官となって奥州へ下ります。奥州は武蔵国とならんで、鎌倉北条氏の財政基盤でした。そこの管理人になったわけです。
東北の特に青森県あたりに工藤という苗字の人がやたらいるのはそういうわけです。

その連中の家紋が、「一つ木瓜」(ひとつもっこう)。
我が家の家紋も、これです。

「曽我物語」は、ご先祖さまが敵役になっている話だった!
と改めて思いました。

赤穂浪士があらわれるまで、工藤祐経はちょうど吉良上野介みたいに思われていたんですね。(笑)
吉良が敵役になってくれたおかげで、工藤一族はのんきに暮らせるようになったのか。
江戸時代まで、ずっと悪役だったわけだし……

歌舞伎「助六」の主人公・助六はたしか曽我五郎だったはず。
吉良のおかげで、ご先祖さまの祐経さんは天下の悪役から解放されたのか。(苦笑)

全国の同姓の工藤さん。
世間がたとえ「忠臣蔵」を忘れても、わたしたちだけは吉良上野介さんと大石内蔵助さんを贔屓しましょうね。
ご先祖さんのいわれなき悪名を、世間の眼からくらましてくれた大恩人ですから。

今年こそ、12月14日は泉岳寺へいって、赤穂義士の墓を拝んでくるぞ!
と、かたく心に決めた読書家です。

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12月 6日

アメリカのアルタビスタがインターネット無料接続サービスから撤退するそうですね。
理由は、インフラを提供する関連会社が廃業するせいらしい。

広告収入でやっていくはずの、無料接続サービスもきついようです。
どうやら、アメリカではネット・バブルは終わったと思われている。
ドット・コム企業はすごい勢いで凋落している。

日本はどうやらネット・バブルにはなりそこねたようですね。
「ネット・バブル」という新書を立ち読みしたら、証券会社や起業家たちはあきらかにネット・バブルを狙って動いていたそうです。
ただし、幸運なことに、アメリカのネット景気が冷え込んだので大事にいたらずに日本版バブルは膨らみきらずにしぼんでしまった。

ネット広告という手段そのものがアメリカでは見直されているとか。
ただ、これからは携帯電話、携帯情報端末、ゲーム機、デジタルTVなんかがインターネット上のコンシューマーの主流なるのは間違いない。
従来のマス・マーケティングの手法はまだ通用する余地はあるでしょう。

でも、情報が増えているのも事実。
地上波だけでなく、BSデジタルにも民放各局が参入したのはいいけれど、こんなにTVを観る時間があるのかいなという気がします。(笑)
一日は24時間しかない。
これだけメディアが増えても人口にも、使える時間にも限りがある。

どうやら自分が使いたい情報だけを選別して受け取れる人と、そうでない人に大別されそうですね。

自分で選別できる能力がないと、欲しくもない情報だけを洪水のように浴びせかけられる。
そういう設定が自力できないと、ものを考えることができなくなるかもしれません。

いや、もうそうなっているのかも?(笑)

パソコンよりも、携帯電話や携帯情報端末が普及してしまうことで心配なのは、そっちのほうですね。
携帯情報端末を使いこなすひとは、パソコンで情報が管理できるでしょう。
でも、携帯電話はどうかな?

情報管理でいちばん大切なリソースは時間ですね。
時間管理ができない人間に情報の整理ができるわけがない。

四六時中、携帯電話のお守りをしている人に時間管理はできんでしょうね。

ところで読売新聞紙上の討論会でだれかが面白いことをいっていました。
情報をうまく使える人を「情報ブルジョア」、そうでない人を「情報プロレタリアート」と呼ぼうと。

本音は、「情報富豪」と「情報貧民」といいたかったのでしょうが、さすがにマスコミでそんなことはいえませんわね。(笑)

冗談はさておき、自分とその周りの人々に役に立つ情報を見分けて、収集する能力は、21世紀ではお金儲けの才能よりも大切になるかもしれません。
さもないと、お金儲けのために贋情報や、ろくでもないイデオロギーを押し付けてくる広義の情報産業に搾り取られるだけです。
いっけん立派な人権思想だって、だれかの金儲けの道具になりかねない。
環境保護が海外では総会屋じみたビジネスになっているのと同じように。

だれか一人でも「情報富豪」がいれば、その人のまわりの人々はずいぶん助かると思うのです。ありとあらゆる意味において。
お互い少しでも「情報富豪」になって、家族や周囲の人々のお役に立ちたいものですね。
わたしは本気でそう思っています。
可笑しいです?(笑)

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12月 5日(その二)

読書日記です。
あいかわらず風邪が抜けないせいで、難しい本は読めませんね。

「通辞ロドリゲス」も全然手付かずです。(泣)
そのかわり妙な本を読んでいます。

「わんぱく戦争」(佐藤春夫)がそれ。
大林宣彦監督がこれを原作にして「野ゆき山ゆき海べゆき」という映画を作ったそうです。
この映画は昭和60年ころに公開されたとのことです。

今から15年前かーぁ。
見ると鷲尾いさ子らしい少女が、カバーの写真に載っている。
まだ「鉄骨娘」(笑)なんてやっていない清純系美少女のころ。
あの人ももう三十過ぎ。
いやはや時間のたつのは早い。

ところで、この小説は佐藤春夫の自伝的作品だそうで、郷里の熊野が舞台となっています。
中上健二が出てきてから、熊野というとどうもおどろおどろしいイメージがありますね。(笑)
この作品の読後感がさわやかであることを期待しています。

師走のせいでもないけれど、風邪がなかなか抜けないんで困っています。
忙しいから本も読めないし……
20世紀は今月で終わりだ!
なんとか気力を奮い起こしたいものです。

ところで、面白いものを見つけました。
英訳されたハンムラビ王の法典です。

古代バビロニア時代の法律書なんて、なかなか読めるものじゃない。
「目には目を、歯には歯を」という有名な聖書の文句は、ハンムラビ法典が原典らしい。
ついこのあいだ世田谷博物館で、ハンムラビ法典を刻んだ碑文で実際にこの文句があるところを見てきました。
碑文の背面に、たぶんそれらしい箇所があったのです。
楔型文字なんて読めないから本当かどうかはわかりませんけれど、壁面のモニターに映し出される文字と碑文を見比べながら見つけたのです。
他にも何人かそんなことをしている人がいました。(^^)

世の中には、暇な人もいるなあと嬉しくなりましたよ。

興味があるかたは、下のアドレスをクリックしてみてはいかが?
http://www.fordham.edu/halsall/ancient/hamcode.html

それにしても、こんなものを読んでいるから、風邪が抜けないんでしょうかね?(笑)

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12月 5日

日本は内閣改造が終わったけれど、アメリカではまだごたついていますね。
ゴアの敗北は決まったようなものだから、あとは敗北宣言のタイミングだろうなあ。

CBSのアンケートでは65パーセントがもういい加減にせいということになっているらしい。
ゴア氏の引き際に注目!――なんてね。

しかし、本日も森首相には笑かしてもらいました!
IT革命をぶちあげて「メールができなけりゃあゴミ」なんて言っていた首相は、パソコンの電源を入れるところで挫折していた!
いちおうパソコン講習は受けたのだそうですが……

東大出の宮沢大蔵大臣は事務所でホームページまで開いているのに。
どうする、早稲田雄弁会!
IQは限りなく低いぞ。(笑)

しかし、スタイリストというか、流行に敏感というか橋本元総理はメールを出せるし、自分のHPに書き込みまでしてる。

それにしても閣僚で、自分でメールを出せるのが、この橋本元総理とサントリー常務から環境庁長官に抜擢された川口順子(よりこ)氏だけというのが情けない。

河野洋平氏もiMACを買って特訓中だけれど、まだメールも出せない。
早稲田出身の森総理・河野氏はあかんですな。
やっぱり、東大勢(宮沢・川口)と慶応勢(橋本)に比べると、早大は……

政界でもデジタル・デバイドは深刻ですねぇ。(笑)
IT講習券を国民に配るよりも、メールの送受信ができるように国会議員に講習を義務付けたほうがいいんじゃないでしょうか。

もしかして、国民の声を聞きたくないから、わざとメールを覚えない?
つい、そんなことも考えてしまいましたけれどね。

これからのニッポンをささえる五十代・六十代の人には、メールは必須だと思いますよ。

しかし、クリントンやゴアやヒラリーが、メールを使えないなんて考えられない。
一国の首相がホームページさえ自力で閲覧できない国なんて……
をいをい……と思うのはわたしだけでしょうか?

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12月 4日(その二)

読書日記です。
「生きとし生けるもの」(山本有三)は残念な結果に終わりました。

というのも、これは未完だったんですね。
いよいよというところで、終わりでした。残念!
この先どうなるのか、気になるところです。

といっても、著者も亡くなっているから、どうしようもない。(笑)
いったい、どうしてくれる!――というのも愚かな話です。(苦笑)

あとは自分でストーリーを想像するだけですが、それでも楽しめないことはありません。

発端は炭鉱のなかでの出産。炭鉱の爆破事故と、なかなか波乱万丈な展開でした。
次には銀行の詐欺事件や、給料の誤配事故という、シビアな倫理問題を突きつけたところで、終わりです。

もったいないような気がするけれど、仕方がありません。
創作なんて、書き手がよほどがんばらないと流産するものですから。
駄作であろうとなかろうと完結した作品には、書き手の汗と涙が篭もっているのです。
自分で小説を書くようになって、このことは身にしみました。

ところで、この本を読んでうっかり思い出したことがあります。
むかし、この国ではカール・マルクスという人が書いた本はほとんど発禁状態だったんですね。
発禁というか、それを持っているだけでテロリストやアウトローのように見られた。

それも、ほんの半世紀ほど前まで。

戦前の日本はひどい階級社会であり、貧富の差が激しかった。
恵まれた階層に生まれたらそこそこのいい暮らしができたけれど、下の階層では日々の暮らしにさえ事欠く状態でした。

だから、貧しい家庭に生まれた頭脳優秀な子どもが、<マルクス主義>を拠り所にして社会と対決する構図があった。
いっぽうで頭脳優秀な子は、学閥なんかで上流階級にもぐりこむ。

階級的上昇をめざす出世主義者と、階級闘争をやる政治活動家が同じ階層から誕生していた。
いまのアジアと似ているけれど、幸か不幸か現代では<マルクス主義>に代わる拠り所がない。

<人権思想>というのが、かつて左翼だった人々の新しい看板になっていますね。
ただ、これは使いようによっては、右でも左でもかまわないところがある。
<環境問題>というのも、そう。

ソ連が崩壊してから、左翼や右翼というふうに、ものごとを単純に切り分けることがむずかしくなりましたね。
かつては立場によって「左翼からみて善いことは、右翼の悪」となったけれど。

何がいいことか悪いことか、目の前にある事象についてすぐに判断して行動に移すことを要求する社会ですね、いまは。
昔みたいに権威にはよりかかれない。

だからこそ、自分の代わりに考えて決断するカリスマみたいな存在が、髪結いさんや衣料品店でさえ求められる。
自由であることの代償は、あまりにも重過ぎるのかもしれない。

「人間は自由という牢獄に閉じ込められている」とフランスの哲学者サルトルは言っています。
現代ほどこの言葉にぴったりする時代は、日本ではなかったように思います。
戦前の小説を読んで、そんなことを思ってしまいました。(笑)

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12月 4日

アメリカ大統領選もいよいよ王手かな?
アメリカ最高裁がブッシュ候補の訴えを認めて、手作業による集計を無効として審議をフロリダ州地裁に差し戻しました。
その判決文が、http://www.nytimes.com/2000/12/04/politics/05SCTEXT.htmlに掲載されています。(12月5日現在)

これを受けて、フロリダ州地裁でもゴア陣営の手作業集計を求める訴えを棄却。
ゴア陣営はすぐに上告したけれど、たぶん駄目でしょうね。

あとはどこで敗北宣言を出すかという判断が勝負かな。

ところで、日本のほうはついに堺屋経済企画庁長官まで首相を見限ったらしい。
野中氏はキング・メーカーへの道を歩もうとしているし、あいかわらずですね。(苦笑)

田中派・竹下派、(途中はわすれました!)橋本派と名前は変わってもやってることは「経世会」の頃からおんなじ。
進歩も発展もない派閥ですね、これ。

ところで、いつも読んで頂いている「G」さん。
ご指摘ありがとうございます。
さっそく、目次ページの「最新の日記」のリンクを直しておきました。

ご指摘の通り、最新と言っておきながら、11月でした。
お恥ずかしい。(#^ ^#)
今後ともよろしく。

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12月 3日(その二)

どうも鼻水が止まらなくて、難しい本は駄目です。
「通辞ロドリゲス」も途中で放り出しています。
なんだか頭が働きません。

小説でも読もうと本屋に行ってみたけれど、こういうときは新刊本を読む気にはならない。
このごろの小説はどこかひたすら焦っているような速度感覚のせいで、こちらに体力の余裕がないとどうもつらい。
小さい字がぎっしり詰まっている昔の小説のほうが、心なごみます。

わたしがボケているせいかもしれませんがね。(苦笑)

そんなわけで古本屋でみょうに古い本を買ってしまいました。
山本有三の「生きとし生けるもの」という小説です。

このごろの直木賞作家や芥川賞作家の本が面白く読めないんで、こんな本に惹かれたのかもしれません。
でも、三浦綾子さんの小説などを読んでいると、むしょうに古い小説が読みたくなる。
むかし読んだという意味ではなくて、バブル前の昭和や、明治・大正ころに書かれた小説ということです。
昨夜も寝る前に、堀辰雄の「大和路・信濃路」なんてエッセイを読んでしまいました。
さっさと寝たほうがよかったのに。
でも、たっぷり楽しめました。

どうしてなんだろうと考えてみたけれど、おもいつくのはやっぱり気分ですね。
いまの作品って、世の中がジェットコースターで奈落の底に落ち込むような恐怖感と危機感をあおっている。
じじつそうなんだから、仕方がないけれど、だからって四六時中そんなことばかりというのはつまらない。

お茶の千利休の高弟たちは、戦場で生命のやりとりをするだけでなく、権謀術数の政治の世界に生きた戦国武将たちでした。
敵の首を叩き斬る荒武者であり、どうじに仲間の寝首をかく裏芸の名人ぞろいだけれど、そんな連中だからこそ、茶道のような静謐な時間と空間を必要とした――と思います。

客観的に考えれば、バブル前の日本というのは、現代よりもはるかにひどい国でした。
いまどきの若者たちからみれば、貧しい外国にしかみえないはず。
でも、精神の領域では、現代よりも筋が入っていたような気がします。

小説も、人の狂気よりも「振る舞い」を大事にした観がある。
人としての美しさを追求していた作品は、むしろ現代よりも多い。

もちろん忘却をこえて残った名作がそれだけあるということだから、今本屋さんに並んでいる作家さんたちと比べるのはフェアじゃない。
たぶん、現代でそういうことを書く人に、わたしがまだ出会っていないのかもしれない。
とにかく自分の古いもの好きをそんなふうに納得しました。

山本有三の小説を読んでいると、もうひとつわかったことがあります。
この小説に書かれているのは、希望ですね。
どんな絶望的状況からでも、人は立ち上がって未来を開くことができるんだという強い信念です。

希望!
わたしが、古い小説を読みたくなった最大の理由はこれなんですよ。

「贋物の希望なんか要らない!」「絶望のなかであがけ!」というテーマの作品が評価されている世の中ですが、そんなことは云われんでもわかっている。
わかりきったことをわざわざ聞く必要はないじゃありませんか。
そこを突き抜けた作品じゃないと、わたしは読みたくない。

――ということになると、やっぱり古い作品に行くしかないんですね。
残念だけれど。

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12月 3日

驚きました!
チェルノヴィリ原発はまだ生きていたんですね。

欧州復興銀行(EBRD)が235億円(2億1500万ドル)の緊急融資を了承したおかげで、やっとチェルノヴィリ原発廃止にウクライナ政府を認めたんだそうです。

12月15日正午に、チェルノヴィリ原発は完全に稼動停止することになりました。

ところで、緊急融資の使い道には呆れました。
新たに二箇所で原発を建設するんだそうです!

いままでEBRDがしぶっていたのは、同銀行に資金を提供する各国政府が使い道に反対していたせいです。
そりゃあ、そうだ。
危機管理ができないところに、新しい原発を作ってどうすると思うのが人情でしょうね。

ところが、1986年に大爆発事故を起こしてからも、チェルノヴィリ原発では操業が続けられていた。
もともとここには原子炉が四基ある。
事故が起きたのは四号炉でした。その後は三基が運転停止になっていて、いまは三号炉だけが稼動中でした。

しかも、先月27日にはまた事故があって、三号炉も自動停止となった!
いまも点検中ですが、ウクライナ政府は12月2日に運転再開したそうです。

なんでこんな危険な真似をしなければならないかというと、この3号炉だけでウクライナの全発電量の7パーセントを受け持っているためだとか!
あと二週間で操業停止を約束した原発を再稼動させる理由は、これです。
「残り二週間でも操業するのが国民のため」なんてことをウクライナの役人は言っています。

あ”ー、なんとかならんか、この国は!

「泥棒に追い銭」(*)という諺がありますけれど……。(泣)
* ……意味は恐ろしくて書けません。!
興味のある方は辞書を見てください。

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12月 2日(その二)

「食の起源―メソポタミアとイスラーム」(牟田口義郎)について、もう少しだけ書きます。

フランス料理のフルコースで、なぜスープが先に出てきて、あとは汁気のあるものは出てこないのか。
その理由は、9世紀のバグダードの王侯貴族のテーブル・マナーにあったというんです!

この時代にスペインにあったイスラム系コルドバ王朝の習慣が、のちにスペイン貴族に伝わり、そしてフランス宮廷に取り入れられたのだそうです。

しかも、コルドバ王朝にこれを伝えた人物の名前もわかっている。
アブール・ハサン・アリー・イブン・ナフィ(789-857)というバクダード生まれの音楽家だそうです。
通称のジルヤーブ(『黒つぐみ』という意味)のほうが有名だそうなので、以後はジルヤーブと書きます。なんでも色黒だったので、こんな通称ができたとか。

この人は天才的な音楽家だったのですが、故郷のバグダードで師匠に妬まれて亡命した。そしてコルドバに流れ着いて、ときの王様アブドラッフマン二世に召抱えられました。

王様は音楽家の才能よりも、当時の世界文化の中心地バグダードの最新流行を知るためにジルヤーブを雇ったのです。
コルドバ王朝はバグダードを支配したアッバース朝と仲が悪い。というのも、アッバース朝はコルドバ王朝の本家ウマイヤ朝を滅ぼしてできた国だからです。

文化を学びたいが機会に恵まれなかったコルドバ王朝にとって、亡命者ジルヤーブはうってつけの文化アドバイザーでした。

当時のスペインのイスラム文化にはなかった練歯磨きや、散髪・夏冬の衣替えの習慣を教えたのは、ジルヤーブでした。
この知識は前に書いたテーブル・マナーとともに、まず隣のスペイン・キリスト教徒の貴族へ伝わり、それからフランスをはじめヨーロッパ諸国へ伝わりました。
スープに始まり、メインディッシュの肉料理をへてお菓子のデザートに終わるフルコースの習慣は、コルドバの宮廷文化だったのです。
いまのイスラムにはこうした習慣はないらしいので、9世紀にジルヤーブが伝えたバグダードの習慣が奇跡的に生き残っているといっていいようです。

なんのことはない。いまのヨーロッパ文化はたいていフランス文化の薫陶を受けていますが、その根っこは9世紀にいたひとりのアラブ人なんですね。(笑)

しかも、このジルヤーブはバクダードにもない大発明をしました。
ワインはふつうガラスのワイン・グラスで飲みますよね。
これをはじめたのが、ほかならぬジルヤーブなのです。
当時、コルドバ王朝の特産品だったガラスに目をつけたジルヤーブは、これでグラスを作ってワインを飲むことを広めました。
これだと、ワインのきれいな色を楽しむことができますからね。
世界史的な大発明だなと、ワイン好きなわたしなんかは思っちゃいます。(笑)

いまや全世界を支配する西洋文明ですが、よくよくみればイスラムからの借り物がかなりあります。
コーヒーも、お茶もイスラム経由でヨーロッパに伝わったものです。
コーヒーは16世紀半ばにオスマントルコで大流行しました。それが交易と戦争を通じて、ヨーロッパに伝わりました。
ヨーロッパではコーヒーの興奮作用に神学論争まで起こりましたが、ローマ教皇クレメンス八世がコーヒーに洗礼を施してから問題は解消。
ヨーロッパ全域に広まったのだそうです。

それとお茶も面白い。
お茶は中国が原産で、現地語では「チャー」という。
これが中央アジアのトルコ系民族やペルシア人につたわって、それぞれトルコ系言語(小アジアのトルコ語も含む)、ペルシア語で「チャイ」となる。
アラビア語では「シャイ」となりました。

ところがシルクロード経由の「チャー」「チャイ」「シャイ」は北アフリカのモロッコで終わりだそうです。
ジブラルタル海峡の向こうにあるスペインからは茶を「テ」と呼ぶ。
ラテン系のスペイン・イタリア・フランスはみなそう。

ところが、これはなんとマレー半島の言葉に由来するそうです。
16世紀にイギリスの植民地だった同地では茶を「テー」と呼んでいた。
茶とともに、この名称がイギリスに入ってきて、英語を通じて各国語に入ったそうです。

なんだか、ものすごく物知りになった気がします。(笑)

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12月 2日

昨日はとりまぎれて走り書きになりました。
気を取り直して、本日からまたしっかり書きますので、よろしく!(^^)

ところで、世田谷美術館でやっているメソポタミア文明展は本日(12月3日)までです。
機会があれば、ぜひ行ってみることをお薦めしますよ。

ハムラビ(またはハンムラビ王)の法典を刻んだ石碑は、ルーブル美術館の秘蔵品ですからね。
いつでもルーブルへ行ける人なら、別でしょうが。(笑)

しかし、楔形文字というのはすごいもんです。
ちまちました字で、ぎっしり書いてある。
こんな文字を読み書きした「書記」という商売は、きっと目を悪くしただろうなあ。

「書記」というから共産党か生徒会みたいだけれど(笑)、メソポタミアやエジプトの社会では弁護士と上級公務員をあわせたみたいなエリートなんです。
あそこはすごい契約社会ですから。
字が読めないと話にならないけれど、その法律や経理の仕組みだって、かなり複雑です。
字が読めるだけではつとまらない。

法律と経営学・経理学を修めていないと、「書記」なんて仕事はできない。
文芸というのは、厳密にはありませんから。

「ギルガメシュ叙事詩」とか今でも伝わるメソポタミア文学というのは、神殿で神官がとなえる祝詞みたいなものだったのです。

それにしても、メソポタミア文明の遺品を眺めていると、ギリシア文明と似ているなあとつくづく思いました。
日本の文化が、中国文明の影響を色濃く残しているように、ギリシア文明はメソポタミア文明の遺伝子を受け継いでいるのですね。

陶器なんかみていると、ギリシアの古い陶器に似ているなあと思いました。
ただし、そっちは紀元前2000年ころ。
ギリシアのそれは紀元前900年頃ですけれど。

源流なんて言葉は今どき流行らないけれど、メソポタミア文明はたしかにギリシア文明の母胎なんです。
ヨーロッパ文明の母胎は、やはりギリシア。ということは、近代文明のルーツは、メソポタミアということになる。
こんどのメソポタミア文明展では、あらためてその当たり前のことを実感しました。


会場で「食の起源―メソポタミアとイスラーム」(牟田口義郎)というブックレットを買いました。
これによると、ビールとパン、それにワインは、メソポタミアで生まれて、全世界に広まったそうです。
それに、ピタゴラスの定理はすでに紀元前1800年ころバビロニア王国の算数の教科書で教えられていた!

エジプト人も知っていたというから、べつにギリシア人ピタゴラスが発見したというわけじゃない。

現代文明は、メソポタミアあたりから始まったことは間違いないようです。
少なくとも、西洋文明については。
当たり前のことですが、そのことが肌でわかったような気がします。
肌で知るということが、大事なんですよね、きっと。

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12月 1日(その二)

あーっ、外出したので、更新が遅れてしまいました。
仕方がない。
詳しい話はまた明日書くことにします。

ちょっと世田谷まで行って参りました。
NHKの四大文明展でまだ行っていなかった「メソポタミア文明展」へ行ってきたんです。
ハムラビ法典の碑文もばっちり見てきました。

あそこに出ているのは、ルーブル美術館のものなんですね。
メソポタミア文明を扱った本なら、必ず出ている名品がぞろぞろありましたよ!

ルーブルまで行く手間を考えたら、東京近郊のひとはぜひ見ておいたほうがいいかも。
読書日記については、また明日。

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12月 1日

昨日はBSデジタル放送の開始日でした。
けっこう高い機器も品不足とはすごい……

不況とはいっても、あるところにはあるのでしょうか?
それとも、業界関係者が大慌てで買っていたとか。(笑)

野中幹事長が辞任したというのも、気にかかるニュースでしたね。
もしかして、打倒森政権の準備?

「あなただけ逃げて卑怯じゃないの」
という扇自由党党首の言葉が、悲鳴に聞こえるのはわたしだけ?

神崎公明党党首も入閣を固辞しているというし、森政権は一月中に終わるという週刊誌の予想もなんだか現実味を帯びてきましたね。

ところで、20世紀も余すところあと30日。
いよいよ21世紀か。

木星探査船ディスカバリー号もないし、月に恒久的な探査基地もない2001年です。
ただ宇宙ステーションはできた。
いちおうスペースシャトルも飛んでいる。
A・C・クラーク先生もだいたいは満足しているんじゃないでしょうか。

BSデジタル放送や、iモードをはじめとする携帯電話端末の電脳化は、新石器革命以来の大変な革命をもたらすでしょう。
グーテンベルクの出版革命をもしのぐ可能性がある。
「木星の軌道上でモノリスに出会うよりも、すごいことが待ち構えている!」
と、むかしのSFファンでも思うでしょうね。
自分のことですけど。(笑)

きょうびSFを読むのは、ノスタルジー以外のなにものでもない。
みようによっては、渋谷や新宿の雑踏を歩いているほうが、SF的感性を刺激されたりしますから。

古臭いかもしれないけれど、ウェルズをこえるSF作家は結局いなかったんじゃないかという気もします。
「透明人間」だの「モロー博士の島」といった古典がいまだに映画の原作になっていますからね。

新しいハードウェアが出てきても、社会や人間の本質を洞察することはできやしない。

それが出来るのは、すぐれた人間観察者だけでしょうから。
たぶんデジタル放送ができても、携帯端末が発達しても、そこにのっかるものは古典的な人間らしさだと思うんです。

デジタル放送開始に乗り遅れたオヂのぼやきであります。(笑)

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